光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

韓国世界遺産の旅 昌徳宮、宗廟

2019年07月07日 | 海外旅行

 3年前に行った韓国世界遺産旅行、ブログアップが途切れていましたが、最後の、ソウル市内

の2か所、「昌徳宮」、「宗廟」をやっとまとめました。

ちなみに、今までの本シリーズを再掲すると

朝鮮王朝の王墓群[隆陵・健  陵]、水原華城、南漢山城 (2018/01/01投稿)

高敞支石墓遺跡、百済歴史遺跡地区(2017/10/22 投稿)

海印寺(2017.2.10投稿)

良洞民俗村、安東河回村(2017.2.7投稿)

慶州 その1(2017.1.17投稿)

済州島 その4 城邑民俗村、城山日出峰(2016.12.31投稿)

済州島 その3  万丈窟、サングムプリ噴火口(2016.12.29投稿)

済州島 その2(2016.12.18投稿)

済州島 その1(2016.12.7投稿)


うーん、間が空きすぎ! 


さて、昌徳宮、宗廟、写真を見ながら、当時を思い起こしてみました。

2016年10月22日(土)の朝食は、ソウル市内の神仙ソルロンタン、以前の旅行でも、ここに

来ていて、味はおなじみ。 カクテキがおいしい。      8時14分

 

 

 

朝食後はすぐに世界遺産、昌徳宮へ

入口の敦化門です。 ガイドさんが交渉して、一般客の入場前に、はいれました。   8時57分

 

 

 

屋根の上の魔除けのような雑像。 それぞれは三蔵法師や孫悟空など、西遊記に登場する人物や動物らしい。  9時8分

 

 

 

門の下から、後ろを振り返ると、北岳山が見えます。  9時8分

 

 

 

雨水を流す溝かな。 紅葉が始まっていました。 9時15分

 

 

 

仁政門と、その奥の仁政殿が見えてきました。  9時17分

 

 

仁政殿は1405年に創建された昌徳宮の正殿で、王の即位の礼や、臣下の朝礼式、外国の使節との接見など、公式行事を行う儀式の建物。 9時18分

1592年、秀吉の文禄の役で、昌徳宮も景福宮も焼失、私は秀吉軍が焼き払ったのかと思ったのですが、ウィキペディアによると

”国王の宣祖一行が漢城から逃亡すると、治安が乱れて秀吉軍の入城を前に朝鮮の民衆によって略奪と放火の対象となり景福宮や昌徳宮

付属する庭園(秘苑)などと共に焼失した” とあります。

その後、昌徳宮は1609年に復元され、現在の仁政殿は1804年に再建されている。

屋根の縁が白いのに、今、気が付きました。 敦化門もそうです。 調べると、屋根の構造強化のため、漆喰を塗っているとのこと。  

 

 

 仁政門の軒の構造。  9時19分

 

 

 

仁政殿前の広場。 位階を示す標柱が並んでいます。 臣下は、この標柱を目印に、位の順に整列した。  9時21分


そういえば、ソウルの国立民俗博物館に、整列した写真が展示してあった。ただし、景福宮の勤政殿です。↓

 

 

 


彩色された仁政殿は、日本でいえば紫宸殿にあたるもの。  9時22分

 

 

 

 

 

 仁政殿内の玉座。  9時23分

 

 

 シャンデリアは、1900年代以降に導入された。洋風カーテンもそうかな。

 

 

 隣の建物に行きます。 9時27分 

 

 

青い屋根が特徴の王が政務を行った宣政殿

現在の韓国の大統領府は青瓦台といわれ、文字通り、青い瓦。  韓国では、青い瓦は、位の高い者がそこで政治など国家の政務を司っている象徴だとか。  9時27分

 

 

 宣政殿の隣の、王の寝殿と執務の場であった「煕政堂」   9時28分

 

 

 

 奥に見える大造殿、王妃の起居する建物。  9時30分

 

 

 大造殿は朝鮮が日本の植民地支配下に置かれることが決まった御前会議が開かれた場所であり、最後の王である純宗が1926年に崩御した場所でもある。

内部の調度は、西洋式のものが、取り込まれている。 9時30分 

 

 

 

 

 

螺鈿の長椅子や、透かし彫りの丸テーブル など手の込んだ工芸が施されている。  9時33分 

 

 


厨房かな。  9時34分

 

 

 オンドルの焚き口  9時35分

 

 

 大造殿の裏庭。 木々の緑と軒の緑が呼応して美しい。  9時36分

 

 

 石壁の向こうは、後苑で、この王宮の見どころなのですが、一般観覧エリアとは別で、入場制限もあり、今回は見れませんでした。 9時39分

 

 

 門を出て、次の楽善斎に向かいます。 9時39分  

 

 

 

楽善斎です。 白壁と木の柱が、落ち着いた印象を与えます。  9時42分

東の隅に位置する「楽善斎」は24代王・憲宗の切ない恋がこもった後宮で、1847年に建築。その後も後宮や女官が余生を送る空間として使用された。

 

 

 裏の山手には、六角形の亭を持つ上凉亭。

 

 

 王朝末期の皇族たちが暮らした場所としても知られており、最後の皇太子である李垠に、梨本宮家から嫁いだ方子も晩年を過ごした。  9時43分

 

 

 庭の石組も見えます。

 

 

 窓の装飾が美しいと思いました。 9時44分

 



以上が、昌徳宮で、次は宗廟に移動。

宗廟は、朝鮮王朝・大韓帝国の歴代の王や王妃等の祖先を祭祀する場所。   10時42分

長い建物は、正殿で19人の王とその妃の位牌49位が安置されている。 1995年、宗廟がユネスコ世界遺産に、2001年に宗廟祭礼及び祭礼樂が世界無形遺産に登録された。

 

 

 

 以上で、世界遺産巡りは終わり、晩の帰国フライトまで、ソウル市内観光です。

北村韓屋村の入り口あたりに来ました。  11時17分

 

 

 北村韓屋村は、ソウル中心部北側の北岳山南麓の傾斜地に形成された住宅地で、東側を昌徳宮に、西側を景福宮にはさまれています。  11時19分

 

 

 昌徳宮や景福宮などに隣接する北村は、権力を持つ家門や王族をはじめ、身分地位の高い両班(官僚)の居住地とされてきた。

当然、大邸宅があって然るべきだが、今見られる北村の家屋は小規模なものがほとんどで、大規模な韓屋は少ない。

これは朝鮮王朝末期から日本統治時代にかけての社会的経済事情や、住宅難を解消するために、路地に家を建てたり、地割を

小規模な宅地に分割するなどした結果とのこと。 狭い路地に軒を連ねて韓屋が密集する北村の景観は1930年前後に形成されたものらしい

                                             11時20分

 

 

                                         11時22分

 

 

 大勢の観光客、中国語が飛び交っていました。  11時22分

 

 

 南山が見渡せるビューポイント  11時31分  

 

 

 

 軒下に飾った韓人形  11時37分

 

 

 

北村から仁寺洞に向かう途中で、山のように編み笠などを積んだトラック。  11時51分

 

 

路駐して営業しているようです。 

 

 

 仁寺洞です。 この時は、韓国は2回目で、仁寺洞がどこらあたりにあるのか分からず、迷ったら困ると思い、近辺しかうろついていません。

結構、韓服の方が多くいました。 レンタルの韓服は見たらわかりますね。               11時57分

 

 

 11時59分

 

 

 

 

 ちょっとしか歩きませんでしたが、アート関係や土産物屋が多い感じでした。  12時2分

 

 

 

しばらくすると、広場で太鼓と踊りが始まりました。   垂れ幕には土曜文化フェスティバルと書かれています。  12時11分

ソウル大学の学生達のようです。

 

 

 

大人も子供も食べている、ポテトフライがスクリュー状になったお菓子、ツイストポテトというのですが、この旅行の初日に済州島で、私も食べました。 12時22分

 

 



韓服を着た若い女性二人、スマホに夢中ですね。 こちらは、地元韓国の方に思えました。   12時23分

 




ツイストポテトを作っている屋台。 中国語や日本語で商品名が書かれています。 1本3,000ウォン(この時のレートは1,000ウォン≒96円)  12時26分

 

 

 

 

 昼食は、石焼ビビンバとハーフ冷麺とかかれていたのですが

 

 

 タコの刺身がおまけで付きました。 確か、足がまだ動いていたような・・・

 

 

 ハーフ冷麺

おいしいものを食べて、この旅行も終わりました。

1週間の旅行で、約10万歩あるいた、韓国世界遺産の旅、ダイナミックな火山島の済州島、のどかな農村風景の安東の河回村が特に印象に

残りました。


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