世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

【第1章 南米編 俺達はクソッタレバックパッカー】

2013-06-01 22:08:56 | 日記
2013年6月3日。

アスンシオン中心部・セントロの北側に広がるスラム街。「ここには一人で近づかないように」とのお触れが出ていたが、その世界を知るために、僕は足を運んだ。

手前のストリートまでは多くの人が練り歩き、活気に満ちている。治安の悪さも感じない。しかし、スラム街の手前まで来ると、信じられないくらい空気が変わる。人気も一気になくなり、何というか、殺気さえ感じる。ほんの200m手前までとは打って変わって違う世界になる。

近くにいた警官が僕をにらむ。明らかに僕を見ている。

スラムの青年が僕をにらむ。明らかに僕を見ている。

青年が何かを叫んだ。スラムの若者が数人集まってくる。その動きに反応してか、子ども達も集まってくる。

「僕は世界の不条理に憤っている日本の若者だ。皆さんを卑下するためにここに来たんじゃない。そんな目で見ないでくれ。冷やかしの気持ちなんかじゃない。僕は知るために、本気で今ここに来ているんだ。」

そんなことを考えたりする。

「おい!この日本人!」

突然誰かが叫んだ。

それは僕だった。

「お前はそういうつもりで来ているのかもしれないけど、ここの人達にとってはお前なんかただの冷やかし同然なんだよ。ここでの様子を写真に撮って、ブログやらフェイスブックやらに載せて世間に知らせた気になって、日本で買ってきた百均のボールペンやお菓子とか配って、それで満足か?ここの人達にとってはな、お前がきたことで生活が変わるわけでもなんでもねーんだよ!このマスターベーション野郎が!」

まだ叫んでくる。

「お前らみたいな奴らはな、ただの物珍しさにやって来たクソ野郎なんだよ。お前らはたまたま日本という国に生まれて世界を旅することもできる。でもな、ここに生まれた人達は、一生ここからあ出られない人がほとんどなんだよ。頭ではお前も分かっているだろ?お前が来たことで、ここの人達の何が変わる?お前らみたいな奴らは、クソッタレバックパッカーなんだよ!」

僕が僕に叫んでいる。

僕は言い返す。

「そんなつもりじゃない。ここに住んでいる人達を卑下する気持ちなんて、全くない。僕は本気で心を痛めている。本気で何とかしたいと思っている。でも・・・今の僕は・・・今の僕に出来ることは・・・。」

スラム街を後にする。少し遠くで、警官は僕をじっと見ている。

そうだ。僕は自覚しなくちゃいけない。僕は崇高な気持ちで世界を見ている「つもり」でいる。でも、そんなのは彼ら彼女らには関係ないんだ。僕は無力だ。僕に出来ることなんて、筆記用具やお菓子を配ることくらいしかない。僕なんて、ただの見物人以外の何者でもないんだ。

そうだ、俺達はクソッタレバックパッカーなんだ。

そう、俺達はクソッタレバックパッカーだ。

2013年6月3日。思ったよりも冷え込んでいる、エンカルナシオン北の日本人居住区にて。

【第1章 南米編 ヒンミンノムラ】

2013-06-01 20:48:40 | 日記
2013年6月1日。

ガイドブックには「市内から車で30分ほど」と書かれていた。しかし実際には1時間以上路線バスに揺られてようやく辿り着いた。

先住民族・マカ族の村。

ここは別に特別な村ではない。市内から路線バスで行けてしまうのだから、まぁ近いものだ。しかしこの村、僕の心には深く突き刺さるものがあった。

バスに乗るときに「マカ族の村に着いたら教えて」と運転手に頼み、「OK!」と快い返事をしてくれた運転手さん。30分で着くと思っていたのだがなかなか着かず、何度も運転手に「まだ着かないの?」と訪ねた。パラグアイの人はみんな本当に親切だ。困っていると、必ず優しく助けてくれる。しかしバスの運転手にお願いをしたときは、小まめに聞いた方が良い。たまに忘れてるんだよね。二回ほど、僕は頼んでおいたバス停を通り過ぎられたことがある。でもみんな優しいから、そのくらいオッケー!

1時間半近くバスに揺られ、ようやくバスが着いた。アスンシオン市内とは比べ物にならないほどの田舎の街。もちろん地図などない。近くの住人に道を聞きながら動き、ようやくマカ族の村に辿り着いた。

衝撃だった。

村の様子は、スラム街そのものだった。


これらの写真からでは分かりづらいかもしれないが、中のもっとリアルな写真は超高額なチップを要求されたので、撮ることはできなかった。また写真からでは感じる術はないのだが、村に入った瞬間に強烈な臭いがした。いわゆる「糞尿」の臭いだ。誤解を恐れずに言うなら、インドの薫りである。

僕が村に入ると、まずは案内人のおじさんが僕のもとにやって来た。色々と説明をしてくれるのだが、もちろんスペイン語なので理解不能。たまにグアラニー語とマカ語も入ってくるので、さらに理解不能だ。

そして説明をしたり案内をする度に、チップの話になる。そして子どもたちもチップをもらうためにわさわさと僕の周りにまとわりついて来る。大人たちは僕のことを刺すような視線で見ている。ガイドブックに出るくらいだから、たまに外国人がやって来るのであろう。しかしその目は、「また来たか。何しに来たんだ、この外国人は。」と語っているかのようだ。

村はとにかく貧しかった。その生活は、スラムのそれそのものだった。服装もボロボロだし、とても風呂に入っているとは思えない。周囲のパラグアイ人の生活とは雲泥の差だ。この違いは、一体何なのだろう。

実はマカ族の方々は、迫害され政府から強制的に移住させられたらしい。村を見たところ、農業をやっている様子でもなかった。どのように生活をしているのか疑問だが、恐らく政府からわずかな補助金が出て、それで生活しているのであろう。

10000グアラニーのチップを払い、何人かの子ども達の集合写真と村の中の見学をさせてもらった。子どもたちは慣れているのか、スッと同じ場所に集まり整列をする。たまにやって来る外国人のチップは、重要な収入源なのだろう。

南米を旅していると、必ず貧民街が存在する。同時に、高級住宅街も存在する。そして貧民街に住むのは先住民族系の人々であり、高級住宅街に住むのは白人系の人々である。これはアフリカでも同じことだ。

僕は品行方正なんかじゃないし、悪いこともいっぱいしてきた。僕は全然良いやつなんかじゃない。だけど、それでもだけど、僕の心には憤りが沸いてくる。

「ここに元々住んでたのは、誰やねん。先住民族の方々じゃないんかい。何でこんなに追いやられてんのじゃ。」

白人のことを悪く言う訳じゃないけど、いや、悪く言ってるな。なんかおかしいと思う。そもそもなんでスペイン語が公用語?スペインが侵略したからでしょ?先住民族から略奪して、民族によっては絶滅までさせて、そんで支配したんでしょ?そして今は、先住民族を都合のいいように追いやって、貧しい生活をさせてるんでしょ?村の外の人達は、綺麗な家に良い車乗って、土曜日だったし家族で洗車してましたよ?

じゃあ日本の歴史はどうなのよ?って話はさて置き、僕は、この現実に心が痛む。アジア、アフリカ、アメリカ、そしてオセアニアもか。考えてみたら、世界中は白人たちによってほぼ植民地にされてきたんだよな。だからって白人たちにどーのこーの言いたい!とかじゃないんだけど、上手く言葉じゃ言えないんだけど、世界の歴史と今ある現実が、やっぱり憤る。

僕は無力だ。憤ったところで、何一つ解決できやしない。

マカ族の子ども達は、何を思って生きているのだろう。村を一歩出ると、車に乗って綺麗な家に住んでいる白人系の人達がたくさんいる。自分達の存在を、どう思っているのだろう。

僕も今、一人考える。僕の家も決して裕福ではなかったが、毎日ご飯を食べられたし、風呂にも入れたし、車もあったし、ちゃんとした布団で寝ることができた。その生活に、疑問なんてなかった。でも今、数十年の時を経て、その生活に疑問を持って振り替えっている。

僕は今、「世界の不条理」を一人考える。

2013年6月1日。アスンシオンの安宿のロビーで、日本のNHK 放送を観ながら。