2013年6月22日。
アルゼンチンのバリローチェからアンデス山脈を越えて、チリに入国した。北から最南端まで移動しまくったアルゼンチン。たくさんの出会いが僕に色々なことを教えてくれた。
ブエノスアイレスから入国した僕は、最近のアルゼンチンについての良くない情報をたくさん耳にしていた。かなり警戒して入国したのだが、結論から言うと、アルゼンチン人最高!だと僕は思いたい。
性善説とか性悪説とかあるけど、僕は思う。というか、信じたい。「いやいやいや、人間は善ですよ!」と。アルゼンチンの人々は、僕にそんな思いを強くさせてくれた。
それに第一、人間を疑ってから見るのって嫌ですね。どうせなら、僕は信じたい。「悪い人なんていない」という前提から、人間を見たい。そうじゃないと、なんだかつまらない気がしませんか?
そういえば昔授業の中で、性善説と性悪説のディベートみたいなこともやったなぁ。そんなことも思い出してしまった。
ブエノスアイレスで、大学に行くときのエピソード。
バスでブエノスアイレス大学まで向かおうとしていた僕は、バス停でバスを待っていた。しかし、待てども待てどもバスが来ない。後で知ったのだが、デモがあってバスが来れなかったらしいのだ。
僕だけじゃなく、地元のアルゼンチン人もかなり焦っていた様子なので、こりゃ何かあったな~と思っていた。そして困り果てていた僕を見たあるアルゼンチン人が、僕との拙い英語の会話で事態を理解してくれた。
すると、そのバスが通る別のバス停まで、僕の手を引いて連れていってくれた。それも15分近く歩いて。さらにバスが来たら、運転手に僕のことを説明してくれて、さらに帰りのバスでの帰り方のメモまでくれたのだ。
なんと有り難いことか。日本でここまでしてくれる人は、果たしているだろうか。
ウシュアイア到着時のタクシーのエピソード。
世界最南端の街、ウシュアイアに到着したときのこと。夜の10時近くに街中に到着し、困り果ててしまった。僕が泊まろうとしていた伝説の日本人宿「上野山荘」は、街中から3kmほど離れていたからだ。
アルゼンチンのローカルバスに乗るにはカードが必要だが、実は今このカードが不足していて、観光客が購入することはほぼ不可能なのだ。仕方なくタクシーか…高いな…と思っていたところに、同じバスに乗っていた若いカップルが話し掛けてきた。単語のみのスペイン語とボディランゲージで意思を伝えると、サッと携帯を取り出しタクシーを呼んでくれた。そして一緒に乗ってくれて宿を運転手に伝え、「日本から来てお金もないでしょ?アルゼンチンに来てくれたんだから、僕が払うよ」と、サッと支払いまでしてくれたのだ。
なんと有り難いことか。日本でここまでしてくれる人は、果たしているだろうか。
バリローチェで宿がクローズしていて困っていたときのエピソード。
バリローチェは通過のみにしようと思って、バスターミナル近くの宿まで歩いていった僕。目的の宿の近くまで来たが、看板がない。道を聞こうと店を閉めようとしていた若い女性の方に宿の場所を聞いた。すると、「ここはもうクローズしているわよ」とのこと。時間は夜9時半。これはまずいなぁと困っていると、奥から旦那さんが出てきて、事情を説明した。するとすぐにタクシーに電話をしてくれ、街中の一番安い宿までこの日本人を連れていくようにと交渉してくれたのだ。しかも通常の半額程度のタクシー代で!
タクシーが来るまでの間、寒いだろうからとストーブとイスも用意してくれ、さらに「アルゼンチンのワインは美味いぞ!」と、売り物のワインまで開けてくれたのだ。
僕は何回も「グラシアス」と言いながら、遠慮しつつもグイグイ飲んだ(笑)。そして「この女の人、ホントに綺麗だな~。こっちの人にありがちな、ケツから空気を入れたかのようなパンパンの身体なんかじゃないし、顔も綺麗だそ優しいし、旦那さんが羨ましいぜ」などと不純なことを考えつつ(笑)、グイグイ飲んだ。
タクシーが来たら、後で不当にお金を請求しないようにと何度も運転手に話をしてくれた。なんと有り難いことか。日本でここまでしてくれる人は、果たしているだろうか。
僕はこのアルゼンチンで、何度も人の優しさに触れた。そしてその優しさに守られ、助けられ、その温かさのおかげで旅ができた。
アルゼンチンに入国する前、とにかく犯罪が多いから気を付けるようにと言われることが多かった。確かに犯罪者も多いのであろう。しかし、それはごくごく一部であって、大半は温かく優しい方々ばかりなのだ。
月並みな言い方だけど、「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がある。僕の足を蹴ってスリを働こうとした子ども達も、拳銃を使った強盗までしてしまうような人達も、元々はやりたくてやっているのではないはずだ。ほとんど人は、生きていくために仕方なくやっているはずだ。
ということは、その人個人を責め、罰するだけでは何も変わらない。責任は社会全体であり、全ての人に少なからずの責任があるのだ。その意識を全員が持たなければ、きっと世界は変わらない。僕にだって、この世界を構成する一員である以上、責任を感じなければいけないと思う。もちろん直接的には何の関係もないけど、そのくらいの気概が必要なはずだ。
人間は本来的に善だ。僕はそう思いたい。しかし悲しいことに、旅人は「性悪説」で人を見ないといけない。悲しいことに、親切に話し掛けてきてくれる人達の中には、必ず悪者がいる。ポケットの中のお金を盗られるくらいなら何とかなるが、中には残念ながら、根こそぎ全てを狙ってくる輩もいる。性善説で接していたら、間違いなくいつかやられてしまう。それも旅人の現実でもある。
だから僕は、性悪説で人と接します。でも心は、性善説を貫きます。アルゼンチンという国の人々は、僕に何度も大切なことを教えてくれました、その行動を以て。
本当にありがとう、アルゼンチン!グラシアス!そしてチャオチャオ!
2013年6月22日。チリ南部の小さな街、プエルト・モンのちょっとヤバイ宿にて。
アルゼンチンのバリローチェからアンデス山脈を越えて、チリに入国した。北から最南端まで移動しまくったアルゼンチン。たくさんの出会いが僕に色々なことを教えてくれた。
ブエノスアイレスから入国した僕は、最近のアルゼンチンについての良くない情報をたくさん耳にしていた。かなり警戒して入国したのだが、結論から言うと、アルゼンチン人最高!だと僕は思いたい。
性善説とか性悪説とかあるけど、僕は思う。というか、信じたい。「いやいやいや、人間は善ですよ!」と。アルゼンチンの人々は、僕にそんな思いを強くさせてくれた。
それに第一、人間を疑ってから見るのって嫌ですね。どうせなら、僕は信じたい。「悪い人なんていない」という前提から、人間を見たい。そうじゃないと、なんだかつまらない気がしませんか?
そういえば昔授業の中で、性善説と性悪説のディベートみたいなこともやったなぁ。そんなことも思い出してしまった。
ブエノスアイレスで、大学に行くときのエピソード。
バスでブエノスアイレス大学まで向かおうとしていた僕は、バス停でバスを待っていた。しかし、待てども待てどもバスが来ない。後で知ったのだが、デモがあってバスが来れなかったらしいのだ。
僕だけじゃなく、地元のアルゼンチン人もかなり焦っていた様子なので、こりゃ何かあったな~と思っていた。そして困り果てていた僕を見たあるアルゼンチン人が、僕との拙い英語の会話で事態を理解してくれた。
すると、そのバスが通る別のバス停まで、僕の手を引いて連れていってくれた。それも15分近く歩いて。さらにバスが来たら、運転手に僕のことを説明してくれて、さらに帰りのバスでの帰り方のメモまでくれたのだ。
なんと有り難いことか。日本でここまでしてくれる人は、果たしているだろうか。
ウシュアイア到着時のタクシーのエピソード。
世界最南端の街、ウシュアイアに到着したときのこと。夜の10時近くに街中に到着し、困り果ててしまった。僕が泊まろうとしていた伝説の日本人宿「上野山荘」は、街中から3kmほど離れていたからだ。
アルゼンチンのローカルバスに乗るにはカードが必要だが、実は今このカードが不足していて、観光客が購入することはほぼ不可能なのだ。仕方なくタクシーか…高いな…と思っていたところに、同じバスに乗っていた若いカップルが話し掛けてきた。単語のみのスペイン語とボディランゲージで意思を伝えると、サッと携帯を取り出しタクシーを呼んでくれた。そして一緒に乗ってくれて宿を運転手に伝え、「日本から来てお金もないでしょ?アルゼンチンに来てくれたんだから、僕が払うよ」と、サッと支払いまでしてくれたのだ。
なんと有り難いことか。日本でここまでしてくれる人は、果たしているだろうか。
バリローチェで宿がクローズしていて困っていたときのエピソード。
バリローチェは通過のみにしようと思って、バスターミナル近くの宿まで歩いていった僕。目的の宿の近くまで来たが、看板がない。道を聞こうと店を閉めようとしていた若い女性の方に宿の場所を聞いた。すると、「ここはもうクローズしているわよ」とのこと。時間は夜9時半。これはまずいなぁと困っていると、奥から旦那さんが出てきて、事情を説明した。するとすぐにタクシーに電話をしてくれ、街中の一番安い宿までこの日本人を連れていくようにと交渉してくれたのだ。しかも通常の半額程度のタクシー代で!
タクシーが来るまでの間、寒いだろうからとストーブとイスも用意してくれ、さらに「アルゼンチンのワインは美味いぞ!」と、売り物のワインまで開けてくれたのだ。
僕は何回も「グラシアス」と言いながら、遠慮しつつもグイグイ飲んだ(笑)。そして「この女の人、ホントに綺麗だな~。こっちの人にありがちな、ケツから空気を入れたかのようなパンパンの身体なんかじゃないし、顔も綺麗だそ優しいし、旦那さんが羨ましいぜ」などと不純なことを考えつつ(笑)、グイグイ飲んだ。
タクシーが来たら、後で不当にお金を請求しないようにと何度も運転手に話をしてくれた。なんと有り難いことか。日本でここまでしてくれる人は、果たしているだろうか。
僕はこのアルゼンチンで、何度も人の優しさに触れた。そしてその優しさに守られ、助けられ、その温かさのおかげで旅ができた。
アルゼンチンに入国する前、とにかく犯罪が多いから気を付けるようにと言われることが多かった。確かに犯罪者も多いのであろう。しかし、それはごくごく一部であって、大半は温かく優しい方々ばかりなのだ。
月並みな言い方だけど、「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がある。僕の足を蹴ってスリを働こうとした子ども達も、拳銃を使った強盗までしてしまうような人達も、元々はやりたくてやっているのではないはずだ。ほとんど人は、生きていくために仕方なくやっているはずだ。
ということは、その人個人を責め、罰するだけでは何も変わらない。責任は社会全体であり、全ての人に少なからずの責任があるのだ。その意識を全員が持たなければ、きっと世界は変わらない。僕にだって、この世界を構成する一員である以上、責任を感じなければいけないと思う。もちろん直接的には何の関係もないけど、そのくらいの気概が必要なはずだ。
人間は本来的に善だ。僕はそう思いたい。しかし悲しいことに、旅人は「性悪説」で人を見ないといけない。悲しいことに、親切に話し掛けてきてくれる人達の中には、必ず悪者がいる。ポケットの中のお金を盗られるくらいなら何とかなるが、中には残念ながら、根こそぎ全てを狙ってくる輩もいる。性善説で接していたら、間違いなくいつかやられてしまう。それも旅人の現実でもある。
だから僕は、性悪説で人と接します。でも心は、性善説を貫きます。アルゼンチンという国の人々は、僕に何度も大切なことを教えてくれました、その行動を以て。
本当にありがとう、アルゼンチン!グラシアス!そしてチャオチャオ!
2013年6月22日。チリ南部の小さな街、プエルト・モンのちょっとヤバイ宿にて。