2013年6月17日。
僕は今、世界最南端・南極に最も近い街、ウシュアイアに来ている。このことに僕自身は静かなる興奮を感じ、今を楽しんではいる。しかし、こうも簡単に今の僕を発信できてしまうこの世界に、違和感を感じてもいる。
インターネットは本当にすごいと思う。日本からこうも離れた所にいるのに、ネット環境さえ整っていれば、いくらでも居場所から何から伝えることができてしまう。
なんて便利なんだろう。なんと素晴らしいことか。とても面白い。しかしその反面、世界は「つまらないもの」にもなりつつある気がする。
だって、ここは南極のすぐ手前ですよ?それなのに、「今日のバスはどうでした」とか、「今日は鉄道に乗りました」とか、伝えられちゃうわけですよ?何だかつまらなくありませんか?
きっと20年前だったら、今日出した絵ハガキが二週間後くらいに届き、「へぇ~、ウシュアイアってところにいるんだって。すごいね、世界最南端の街だって。でもこの絵ハガキの消印は二週間前だから、今はどこにいるんだろうね」って想いを巡らせると思うんですよ。またそれがいいと思うんですよね。
全てに利便性が求められ、合理的になり、スピードが要求される現在。素晴らしい面もある反面、失っているものもあると僕は思う。
サンパウロでの、僕の大×1000先輩である、空手の師範との会話を思い出す。
僕:今の子ども達が置かれている環境の、何が悪いんでしょうか。
師範:今の子ども達には、結果がすぐに分かってしまう。これがまずいと思うな。過程がなくなってしまったんだ。
僕:どういうことでしょうか?
師範:例えばインターネットの発達で、何でも一瞬にして分かるようになってしまった。語句を入れて検索するだけだよね。そこには結果しかないんだな。昔だったら、1つ1つ辞書を引いたりして調べていたのに。そこには過程があった。しかし今は、すぐに結果が分かってしまうんだよな。
例えば、僕がウシュアイアに来たという「結果」だけは瞬時に知らせることができる。しかし、来たことが大切なのではなく、誰と話して、どんな手段で、何を得ながら、どんなドラマがあってここに辿り着けたのか。その「過程」こそが大切なのだ。
なんだかんだ苦労してここまでやって来きましたということを、ちょろっとケータイやパソコンをいじるだけでお知らせできてしまう便利さが、またつまらなく感じてしまうんです、僕には。
移動もそうなのかもしれない。例えばブエノスアイレスからウシュアイアまでは、バスだと48時間。なかなかの長旅だ。ところが飛行機を使えばたったの3時間半。普通に考えれば、飛行機の方が断然良いはずだ。
しかし、バスだからこそ見えるものがある。48時間全く変わらないパタゴニアの景色。南に下がれば下がるほど低くなる太陽の位置。突然隣に座ってきて、嵐のようにスペイン語で話し掛けてきて消えていった謎のおっさん。多くのドラマがそこには存在する。
そんなことを言ったら、バイクや自転車で旅をしている人には、もっと多くのドラマがあるだろう。この前宿で、歩いて南北アメリカ大陸を縦横断した人の本を見つけたが、歩いてなんて…そこにもとてつもないドラマがあったはずだ。
僕は別にインターネットも飛行機も否定しているのではない。僕だって大いに利用している。しかし、人類が利便性を求めて様々なものを開発すればするほど、便利になるのと同じくらい、大切なものが見えなくなっているような気がしてならない。
今僕がこうして思ったことや現状を、Facebookやブログを通じて一瞬にして発信できてしまうことも、面白くもあり、またつまらなくもある。
なかなか手に入らないから価値がある。苦労して手に入れるから面白い。
こうも簡単に色々なことができてしまう。面白いし便利だけど…僕には何か違和感があるのだ。もしどなたか、この微妙な感じを分かっていただけたら嬉しいです。だから今回、このことについて書きました。
などと、そんな偉そうなことを言っても、僕はまたブログを書くし、Facebookにも投稿します(笑)。ごめんなさい。そしてできる限り、僕が見ている目の前の世界と、僕がそのとき感じたことを発信していきます。どうぞよろしくお願い致します。
2013年6月17日。ウシュアイアでフリーWi-Fiが使えるショッピングセンターにて。
僕は今、世界最南端・南極に最も近い街、ウシュアイアに来ている。このことに僕自身は静かなる興奮を感じ、今を楽しんではいる。しかし、こうも簡単に今の僕を発信できてしまうこの世界に、違和感を感じてもいる。
インターネットは本当にすごいと思う。日本からこうも離れた所にいるのに、ネット環境さえ整っていれば、いくらでも居場所から何から伝えることができてしまう。
なんて便利なんだろう。なんと素晴らしいことか。とても面白い。しかしその反面、世界は「つまらないもの」にもなりつつある気がする。
だって、ここは南極のすぐ手前ですよ?それなのに、「今日のバスはどうでした」とか、「今日は鉄道に乗りました」とか、伝えられちゃうわけですよ?何だかつまらなくありませんか?
きっと20年前だったら、今日出した絵ハガキが二週間後くらいに届き、「へぇ~、ウシュアイアってところにいるんだって。すごいね、世界最南端の街だって。でもこの絵ハガキの消印は二週間前だから、今はどこにいるんだろうね」って想いを巡らせると思うんですよ。またそれがいいと思うんですよね。
全てに利便性が求められ、合理的になり、スピードが要求される現在。素晴らしい面もある反面、失っているものもあると僕は思う。
サンパウロでの、僕の大×1000先輩である、空手の師範との会話を思い出す。
僕:今の子ども達が置かれている環境の、何が悪いんでしょうか。
師範:今の子ども達には、結果がすぐに分かってしまう。これがまずいと思うな。過程がなくなってしまったんだ。
僕:どういうことでしょうか?
師範:例えばインターネットの発達で、何でも一瞬にして分かるようになってしまった。語句を入れて検索するだけだよね。そこには結果しかないんだな。昔だったら、1つ1つ辞書を引いたりして調べていたのに。そこには過程があった。しかし今は、すぐに結果が分かってしまうんだよな。
例えば、僕がウシュアイアに来たという「結果」だけは瞬時に知らせることができる。しかし、来たことが大切なのではなく、誰と話して、どんな手段で、何を得ながら、どんなドラマがあってここに辿り着けたのか。その「過程」こそが大切なのだ。
なんだかんだ苦労してここまでやって来きましたということを、ちょろっとケータイやパソコンをいじるだけでお知らせできてしまう便利さが、またつまらなく感じてしまうんです、僕には。
移動もそうなのかもしれない。例えばブエノスアイレスからウシュアイアまでは、バスだと48時間。なかなかの長旅だ。ところが飛行機を使えばたったの3時間半。普通に考えれば、飛行機の方が断然良いはずだ。
しかし、バスだからこそ見えるものがある。48時間全く変わらないパタゴニアの景色。南に下がれば下がるほど低くなる太陽の位置。突然隣に座ってきて、嵐のようにスペイン語で話し掛けてきて消えていった謎のおっさん。多くのドラマがそこには存在する。
そんなことを言ったら、バイクや自転車で旅をしている人には、もっと多くのドラマがあるだろう。この前宿で、歩いて南北アメリカ大陸を縦横断した人の本を見つけたが、歩いてなんて…そこにもとてつもないドラマがあったはずだ。
僕は別にインターネットも飛行機も否定しているのではない。僕だって大いに利用している。しかし、人類が利便性を求めて様々なものを開発すればするほど、便利になるのと同じくらい、大切なものが見えなくなっているような気がしてならない。
今僕がこうして思ったことや現状を、Facebookやブログを通じて一瞬にして発信できてしまうことも、面白くもあり、またつまらなくもある。
なかなか手に入らないから価値がある。苦労して手に入れるから面白い。
こうも簡単に色々なことができてしまう。面白いし便利だけど…僕には何か違和感があるのだ。もしどなたか、この微妙な感じを分かっていただけたら嬉しいです。だから今回、このことについて書きました。
などと、そんな偉そうなことを言っても、僕はまたブログを書くし、Facebookにも投稿します(笑)。ごめんなさい。そしてできる限り、僕が見ている目の前の世界と、僕がそのとき感じたことを発信していきます。どうぞよろしくお願い致します。
2013年6月17日。ウシュアイアでフリーWi-Fiが使えるショッピングセンターにて。