世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

【第1章 南米編 今日も僕は「無力」だった。】

2013-06-13 19:46:48 | 日記
2013年6月12日。

この写真は、どこのものだと思うだろうか。

意外かもしれないが、アルゼンチンの首都・ブエノスアイレスの街の中心にあるスラム街なのだ。この街は、ブエノスアイレスの中心にある、レティーロという鉄道駅とバスターミナルのすぐ裏にある。

僕は勝手なイメージを持っていた。ブエノスアイレスはもっと清楚で綺麗な街だと勝手に思っていた。しかし、着いた瞬間から、いや、着く前から、僕のイメージ通りではないのだと思い知ることになった。

事前の情報では、とにかくブエノスアイレスは犯罪が多いと色々な方から言われていた。「写真を撮ってあげるよ」と親切に声を掛けておいて、カメラを渡すとそのままダッシュ。あとはポカーンとするしかない、という手口。パラグアイでは、実際にカメラを撮られたという女の子もいた。

そしてもう1つ流行っているのが、ケチャップ強盗。1人が後ろからサッとケチャップをかけ、他の人が「大変だ、ケチャップがついてるよ!」と、これも親切な振りをして話しかける。「早く落とさないと大変だよ、服を脱いで!」と、ケチャップを拭きながら服を脱がし、そのドサクサに紛れて財布やカメラなどを盗んでいく。この手口の被害者もかなりいるとのことだった。

そんな話を事前に聞いていた僕は、「どうやら僕が勝手に持っていたイメージとは違うようだな」と、気を引き締めてブエノスアイレスに乗り込んだ。

昨日の朝、ブエノスアイレスに到着。

バスを降り、ターミナルから外に出る。

嗅ぎ慣れた異臭を感じた。ふと右側を見ると、そこにはスラムが広がっていた。

ブエノスアイレスの玄関口ともいえる大型バスターミナルのすぐ裏がこのような状況とは・・・僕は正直驚いた。

宿に向かって歩く。

信号で立ち止まる。

スラムから駆け寄ってきた子ども達が、僕に何かくれとせがんでくる。

その服はみすぼらしく、靴など履いていない。

僕は無視をする。

可愛そうだと思うが、1人1人を相手にするわけにはいかない。誰か1人に何かをあげようものなら、次から次へとせがまれるのは目に見えている。

子ども達はしつこく僕にせがんでくる。

ほとんどいないアジア人の顔の上に、大きなバックパックを背負っている。外国人の旅行者だというのは一目瞭然だ。

1人の少年が、僕のスネを蹴ってきた。

僕は少し前かがみになった。

その瞬間。

後ろから、別の少年が僕の後ろポケットに手を突っ込んできた。

僕は後ろのポケットには何も入れないので、何も盗るものはない。しかし当然、その少年の手を振り払うため振り返りながら両手を後ろにやった。

その瞬間。

僕のスネを蹴った少年が、間髪入れずに前のポケットに手を入れようとしてきた。

素早く気付いた僕は少年の手をバチッと叩いて振り払った。

ちょっとまずいな思った僕は、日本語で「いい加減にしろコラ!」と叫び、子ども達を追い払った。


日本でこのような子どもを見かけることは、まずない。しかし世界には、このような子ども達が山のようにいる。

この子ども達は、決してスリなどやりたくてやっているわけではないはずだ。たまたま見かけた僕に恨みがあるわけもない。ただ、それをしないと生きていけない。生きていくために、犯罪に手を染めるしかない。この2人の少年の動きは、実に機敏だった。何度もこの手口でスリを働いてきたのであろう。

世界中どこに行っても、このような子ども達に出会うことになる。そういう子ども達が限りなくいないであろう日本は素晴らしい!とも言えるのかもしれないが、それでは不十分だと僕は思う。

「自分の国さえ良ければいい」という考え方を捨てなければ、これからの世界は存続すらできないはずだ。どこかの国みたいに自国の利益のみを追求し、自国にとって都合の悪い事はノータッチ。それじゃダメだ。もう、そういう時代じゃない。「国家」という枠組みを捨てることはできないし、捨てる必要もないと思う。しかし、「お隣さんも幸せに」という気概、「競争」から「共存」への意識改革なくして、これからの世界の繁栄はないはずだ。それほどまでに、世界は繋がり一体化しているのだと思う。

この子ども達に、僕ができることは何なのだろう。僕は無力だ。あまりにも無力だ。この旅の中で、僕は何回「無力」を感じるのだろう。

少しでも「何か」を発信するため、今日も僕はここでブログを書く。

2013年6月12日。今日はお客さんが少ないブエノスアイレスの安宿にて。