世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 『道を歩けばイングリッシュ』英語再考論】

2014-01-06 19:12:34 | 日記
2014年1月8日。

《年末サファリに行ったときのガイドさんとスタート前の気合いの一枚。当然会話は英語でするわけだけど、旅をしていてやっぱり思う。英語なんかより大事なことが山ほどあると。》


英語が苦手な中・高校生、はたまた大学生、いや全ての人へ。

大丈夫、英語なんていらんよ!

英語なんて二の次、いや三の次でいいよ!


旅をしていて一番恥ずかしいこと。それは英語で会話できないことなんかじゃない。

そんなのはどうだっていい。

一番恥ずかしいのは、自分の国のを知らないこと、語れないこと、誇りに思っていないこと。

それが一番恥ずかしい。

僕はそう感じている。


どうして日本人は英語が苦手なのか?

僕が考える理由は2つ。

①.英語と日本語が全く異なる言語だから、単純に難しい。

②.日本はどこの欧米諸国にも植民地にされなかった。だから、英語などの欧州の言葉を話す必要がなかった。日本語だけでよかった。



①の理由はまぁいいとして、問題は②だ。

ほんの数十年前まで、欧米列強がアジアやアフリカを植民地化することは世界の常識だった。世界の正義だった。

しかし日本は、独立を守り抜いた。最後の最後でアメリカにコテンパンにやられたけど、他のアジアやアフリカ諸国のような状況にはならず、独立を守り抜いていた。

これって凄いことですよね、いや、凄いことだよ!

英語が苦手、日本人?いいじゃないそれで。逆に誇りに思えばいいじゃない!

「俺たちはヨーロッパの言葉を話さざるを得ないような環境に置かれなかった、唯一のアジアの国なんだぞ!」と。


英語なんていいんですよ、だいたいで!

英語なんて「伝えるための手段」なんだから!

伝わりゃあ英語じゃなくたっていいんだよ!

「俺は今幸せだ~!」を伝えたければ、万歳して大騒ぎして伝えたっていいんだよ!

英語で「I am very happy!」なんて言えなくても、相手に伝わればそれで最高のコミュニケーション。

それでいいんじゃねぇか?


大事なのは「中身」。

英語は手段。だからそんなに大事じゃない。大事は大事だけど、もっと大事なことがある。

大事なのは「何を伝えたいか」「何を話したいか」「何を考えているか」。

そっちを鍛えなあかん。

だから、まずもって国語ですよ、国語!

絶対に国語!それが一人前になって初めて、次の言語がある。


ボリビアの日本語学校の校長先生が面白いことを言っていた。

「中途半端に日本語の環境に置くと、日本語もスペイン語も両方とも中途半端になってしまう。バイリンガルじゃなくてセミリンガルですよね。両方とも中途半端。それだとどちらの環境でも生きていきづらくなる。それは子どもにとって非常にまずいことです。」

なるほど、その通りだ。


僕は英語を完全否定などしていない。喋れないよりは喋れた方がいい。

でも、それよりもっと大事なものがあることを、僕は強く感じている。

日本人としての大事なこと。

それをしっかり魂に刻んでからこそ、次がある。



イスラム教徒が多いアラブ圏に行くと、比較的英語が通じないことが多い。

そんな彼らにアラビア語で話し掛けると、とっても喜ぶ。

「おお、おまえアラビア語分かるのか?」って。

スーダンなど、アラビア語でちょっと挨拶しただけで、紅茶やらコーヒーやら、下手したらメシまで出てくる。

それくらい彼らはアラビア語を愛しているし、誇りに思っているのだろう。

その姿に、僕ら日本人は学ぶものがあるのではないだろうか。


ハッキリ言って、僕は小学校で英語の授業など必要ないと思っている。

意味ないですよ、小学校から週にちょいちょいと英語やったって。

僕はそう思う。

それよりもっと大事なことを小学生の時は学ばなきゃいけない。

自分の国の言葉、歴史、誇り、等々。

身に付けるべきは、まずはそこからだ。

グローバルな時代だからこそ、内側を見つめなければいけない。

グローバルの時代だからこそ、自らを知らなければいけない。



もう一度言います、恥ずかしいことは英語が話せないことじゃない。

自分の国を知らないこと、語れないこと、誇りに思っていないことが一番恥ずかしい。



日本の子ども達へ。

もっともっと、日本のことを学んでほしい。

もっともっと、日本のことを好きになってほしい。

もっともっと、日本に誇りをもってほしい。

日本には絶対に世界に誇るべき歴史も文化も伝統もある。それを愛してほしい。



俺たち大人は、そういう子ども達が育つ教育をしなければいけない。

俺たちは、もっと「国際人」とか「グローバリズム」の真の意味を問い直さなくちゃいけない。

「英語が話せる=国際人」なんかじゃない。

もっともっと、深いところを俺たち大人みんなが理解し、日本を変えていかなければならない。


僕は今東アフリカにいる。

東アフリカ諸国は比較的英語が通じる国が多い。

僕ももちろん英語で意思の疎通を図るけど、なんだかとっても違和感がある。

彼らには彼らの言語や文化があって、僕らには僕らの言語や文化があって、

たまたま今は歴史や政治の都合上英語で話しているけど、なんかそれって魂が通っていない気がする。


お互いに「母国語」じゃないから。

そんな環境が、改めて僕に問い掛けてくれる。


「おい藤本、本当に大切なものって何だと思う?」

「オマエ偉そうに旅してんなら、しっかり自分なりの答え出して日本に帰れや。」
って。


もし世界中の人が英語だけしか話さなかったら?

効率はいいだろう。極めて合理的だ。

でも、そんな世の中絶対に嫌だ。

文化も歴史も伝統も言葉も価値観も、色々あるから世界は楽しいんだ。

それを認め合えるから、世界は美しいんだ。


そんな世界がいい。


俺は日本が大好きだから、日本の言語も文化も伝統も守りたい。

それを愛していると言いたいし、そういう人間でありたい。

それが素晴らしいものだと信じたい。いや、信じている。



だから今、宣言します。

あと数ヶ月、僕は日本人としての誇りと自信と責任を持って、旅を続けて日本に帰ります。以上!


2014年1月8日。夜風がメッチャ心地良い、ルワンダ・キガリの安宿にて。



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【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 『道を歩けばチャイニーズ』日本「鎖国」論】

2014-01-06 19:12:34 | 日記
2014年1月7日。


※こんな可愛い子ども達からも石を投げられることがある。それはやっぱり悲しいことだ。

《僕は日本人だ。だから「中国人か?」と聞かれて、正直良い気分はしない。しかしそんな感情論の話を超えて、ここから僕たち日本人が「いかに世界に貢献すべきか?」の道が見えてくると思う。》


南米はまだそうでもないですけど、中米でも中東でもアフリカでも、ま~凄いんですよ!外を歩けば「チャイナ!チャイナ!」と!大人から子どもまで、そりゃもうみんな叫びまくってくるんですよ。

これ、大袈裟な話じゃないんです。本当に信じられないくらい僕たちを(というかアジア人の顔を)見ると「チャイナ!」と叫んでくるんです。正直、ここまで言われ続けれと本当にウンザリして来るんです。


さてさて、でもここで考えてみよう、ふじもん君。どうしてここまで世界の人々は「チャイナ!」と声を掛けてくるのだろうか?

それはやっぱり中国人の世界への進出が著しいことの表れだろう。うん、単純なことだ(笑)。もっとも中国系の人々は「華僑」と呼ばれ、遥か昔から世界中に進出していた。中華街が世界中にあることは、その証明の1つとも言えるだろう。

しかし近年、それにも増して中国人、または中国政府や中国系企業の進出が凄まじい。ニュースを見ていればそのことは情報として知ることはできるが、実際に中米やアフリカを訪れると、その影響力を肌で感じる。1日何回「チャイナ!」と言われるのか?今度マジで数えてみようかな、と本気で思ってしまうほどだ。


一瞬焦る。

「我が日本は何をやっているんだ。日本も中国に負けず、もっともっと世界に出て行かなくては。このままじゃ、全部中国のものになってしまうぞ!」と。

しかし冷静に考えてみよう。街中で僕に「チャイナ!」と叫んでくる人たちは、中国人が好きだから、あるいは尊敬していたり敬意を表していたりするから声を掛けてくるのだろうか?


僕は思う、というか感じる。答えは「ノー」だ。


世界各地でこんな話を聞く。これは僕が中国が好きとか嫌いとかじゃなくて、冷静に中立に現地の人や現地在住の日本人から聞いた話だ。


パナマでのこと。

首都のパナマシティの旧市街にはたくさんの商店があるが、恐ろしくなるほどにそのほとんど全てを中国人が経営している。「どうしてここまで中国人が独占しているのか?」と不思議に思った僕は、現地の日本人の方に尋ねてみた。

「単純に中国人は商売が上手なんですよ。だから商店を独占してしまう。それはそれですごいことですよね。」

しかし、こうも続く。

「ただ、中国人は現地にお金を落とさないんです。みんな中国人が持って行ってしまうんですね。現地の人も雇わない。だから現地の人たちからは煙たがれれているようですね・・・。」

確かに中国人経営の商店で、現地の人が働いている姿を見たことはほとんどない。なるほど、と僕は思った。

ちなみにこれと同じ話は、ヨルダンでもスーダンでも耳にした。ヨルダン在住の日本人の方の話だと、太平洋の島国トンガに中国資本のホテルが建ったらしい。しかしそこにトンガ人を雇うこともなく、お金は全て中国が吸い上げてしまったいうのだ。それを見ていたトンガ人は憤慨し、中国への反発意識が大きくなってしまったという。


エチオピアでのこと。

ある観光地に行くときのツアーリーダーの方と色々と話をしていた。すると「ここまで走ってきた道路は中国政府が造ってくれたんだよ。まだここまでしかできていないけど、今後あと何十キロも建設予定なんだ。アディスアベバの地下鉄も、今中国が建設中なんだ。」と話してくれた。

「へぇ、そうなんだ!それはそれですげぇなぁ。」と僕は単純に思った。

しかし、こうも続く。

「でも、中国のものはすぐに壊れる。クオリティで言ったら日本の製品とは勝負にならない。安いから政府はすぐ中国から買うが、すぐ壊れてしまうんだよ・・・。」

この認識は世界共通のようだ。どこに行っても「made in China」は「安いけどすぐ壊れる」という意見を耳にした。パレスチナの難民キャンプの人たちまでこの意見を言っていたのだから驚きだ。

ちなみに僕個人の意見として付け加えるなら、アディスアベバでの地下鉄工事の環境整備は最悪だ。ひどいんですよ!地下鉄工事をしている幹線道路はもうメチャクチャで、渋滞もひどいし道路もボコボコ。その道路でバスに乗ったのだが、もう全然進まない。「もし工事をするなら、この地上のこともしっかり考慮してくれよ・・・!」と、本気で思った。


※この写真中央のバラックの塀の向こう側は地下鉄の工事をしているんです。


僕は別にここで、反中国の活動をしたいわけじゃない。僕がここまでの旅の中で見聞きしてきたことをそのまま、今書き表しているんです。

そして本当に、中国のことに対しての良い話はほとんど全く聞かないんです。それは僕が日本人だからどうしても情報に偏りが出てしまうという側面も否定しませんが、でも本当に中国の良い話は聞かない。


だから街中で「チャイナ!」と叫んでくる人のほとんどは、きっと何も考えずにアジア人の顔を見つけたからとりあえず「チャイナ!」そ叫んでみたか、あるいは少なからず悪意が含まれている。僕はそう思う。

その証拠に、僕は何度か「チャイナ!」と叫ばれて石を投げられたことがある。スーダンではその石が僕の背中に当たり、怒りと同時に何とも言えない複雑な心境になった。

ヨルダンで活動するJICA隊員の方にインタビューをさせていただいたときも、街中を歩いていると「チャイナ!」と石を投げられることが少なくないと話してくれた。その方は女性なので、女性故にそういうことがされやすいのだろうとも話していたが、僕は何とも言えない憤りを感じた。


しかしそうは言っても、中国の進出は今確かに凄まじい。それに脅威を感じているのは日本だけでなく、世界中が同じだろう。

じゃあ、日本も同じように後先考えずにガンガン進出していけばいいのか?品質は悪くとも、売りまくればいいのか?


僕は思う、答えはもちろん「ノー!」だ。


『道を歩けばチャイニーズ』と叫ばれる昨今、確かに「チャイナ」のインパクトは世界を席巻している。

でも、それは尊敬?羨望?憧れ?

そうではないだろう。そうだったら、誰も僕に石を投げない。

名前は売れている。でも、それは商品が「売れている」だけで、魂までは買われてはいない。


繰り返すが、僕は中国を否定したいのではない。そうではなく、この中国の現状からこそ、今後の日本の世界への貢献の仕方があるのではないだろうか。

中国の真似なんてする必要はない。売りまくる必要もない。

別に「街を歩けばジャパニーズ」にならなくていい。

それよりも、もっと大切な「日本流」があるはずだ。僕たちは、失われつつあるそれを守るべきだ。


グローバルだグローバルだと言われまくっているけど、それって世界に出ることが「グローバル」なの?海外在住のその国の国民が増えれば、その国はグローバル化に乗れてるってこと?

そうじゃないよなぁ。そうじゃないよ、絶対。

グローバルの時代だからこそ、ローカルの価値を見出す時代じゃないかなぁ。

そういうことを言ってる人はたくさんいるから、これは全然新鮮な話じゃない。でも僕はここまで世界を歩いてきて、こうも思う。


「日本は新『鎖国』時代に入ってもいいんじゃないか?」って。


グローバル化グローバル化っていうけど、結局はアメリカ中心の価値観同一化だと僕は思う。でも、そんな西洋的物質文明が限界に来ているのは目に見えている。そんな時代なのに、まだそこに足並みを合わせるの?

僕たちは変わらなければいけない時だ。

だから、日本というローカルがもっと主張してもいいんじゃないか?日本と言うローカルで生きていけばいいんじゃないか?自然を畏れ、大地と共に生きてきた日本人のDNA。僕は今こそ、そこに価値があると思っている。

もっと「日本流」を打ち出していいんじゃないか?そして「日本ってやっぱりすげぇぞ」「日本って何か違うぞ」と、他国に思わせちゃばいい。そしたらそれがモデルになる。憧れになる。単純な話だ。


グローバルの時代だからこそ「内向き」に。グローバルの時代だからこそ「内需」に。

「日本というすんげぇローカル」があってもいいんじゃないか?

価値観を大きく変えなければいけない今の時代こそ、そんな日本になることが「世界への貢献」になるんじゃないかな?


僕は『道を歩けばチャイニーズ』の今の世界から、本当に「世界に出る」「グローバルになる」ってことを、とっても考えさせられている。

最近思っているのは「グローバル化=世界進出」じゃないんじゃないかってこと。

中国の現状が、僕に「考えなさい」と言ってくる。


ハッキリ言います。だから今の中国は「グローバルじゃない」ですよ。何かが違っている。

だから日本は中国みたいになる必要なんてない。そこから「ローカル日本流」を見出すべきだ。



今世界は、世界を見ようとするあまり、見る方向を間違っている気がする。

今世界は、世界を出ようとするあまり、大切なことを失っている気がする。



世界を旅していると、本当に色々な課題が空から頭に降りてくる。それもとんでもねぇ難しい課題ばっかりだ。


すいません、今回は今僕が頭に浮かんだことを、そのまま書き綴ってみました。最後までお読みいただきましてありがとうございました!

2014年1月7日。久し振りにWi-Fiが絶好調のルワンダの安宿にて。



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