世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

ふじもん世界一周「放学記」第7章アジア編 波乱万丈、でも最高!極上の湖「ソン・クル」への道Vol,2

2014-06-21 00:13:15 | 日記
2014年6月20日。


《ということで今回も「波乱万丈、ソン・クルへの道」第二弾でございます。どうぞよろしくお願い致します~!》


「明日の朝ソン・クルに行けばいい。送っていくぞ!」


前日、調子よくそんなことを言っていたおっちゃん(まぁ正確に言えば一切言葉が通じないので、あくまで僕の推測なんですけどね)。さぁいよいよ夜が明けた!次の日がやって来た!


メッチャ楽しかったから良かったけど、さすがに今日はソン・クルまで行かねばならぬ!行かないわけにはいかぬ!


ということで、例のレッドカーの準備をし始めたおっちゃん。時間は朝9時頃だった。


「よし、準備オッケーだから行くぞ、日本人!」


勢いよく声をかけてくれて、僕らもそれに応えるように勇んで外に出た。しかし、そこで思わぬ声が娘2人からかかったのだ。


「ヘイ、ダラーダラー。」


ダラーとは「ドル」のこと、要は「金よこせ」ってことだ。これ!これなんですよね、微妙なところ!


確かに僕らはとってもお世話になったし、温かいところで寝させてもらったし、メッチャご飯もいただいたし、本当に楽しくて貴重な時間をいただいたし、お金を払うのは当然の立場。しかし事前には一切金額の話などなかった。


一応おっちゃんに「いくら?」と前の日に僕は聞いたのだが、そこでは具体的な返事はなく、「まぁいいから中に入れ!」という感じだったのだ。


こういう展開はいつものことっちゃあいつものこと。でも微妙な気分になるのが正直なところだ。


「なんだ、やっぱり金なのか」という思いもあるし、「いやいやいや、あんなにお世話になったんだから払うのは当然でしょ」という思いもあるし、「お金は払うつもりでいたけど、ああやった求められると嫌なんだよな~」という思いもあるし・・・。複雑な心境になるのだ。


しかも「いくらちょうだい」と言ってくるのではなく、「いくら払う?」と聞いてくるのがさらに微妙!考えた挙句、ビシュケクの安宿とほぼ同じ値段を渡すことで解決。やっぱりお金の話はどんな状況でも事前にしとくべきですな・・・と、強く感じた僕なのでした。


まぁ何にしても出発だ!ちょっと天気は悪いけど、目指すは「極上の湖「ソン・クル」だ!このおっちゃんがどこまで送ってくれるのかは正直分からないし、僕は荷台の中だから外が全く見えずただひたすらに謎だけど、なんとかなるべ!


ということで、荷台の中で揺られること20分くらい・・・。


着いた場所は・・・ええ?


なんもないやないか~い!



そこには小さな家が2軒だけあった。そして遥か先へと続く道が1本・・・。


なんてこった、おっちゃん!いくらなんでもこりゃ中途半端じゃねーかぃ?


何度かおっちゃんに話してみたが、「これから先は山道だ、もうこの車じゃ無理だよ!」とのこと。まぁ確かにそうかもしれんが・・・。


となるとやることは1つ!この道でヒッチハイクを試みるしかない!


しかし最悪なことにこの日は雨・・・!車も全然通らない!小さな家のおっちゃんが「俺のジープで送っていやってもいいぜ」と言ってくれたものの、例によってボッタクリにも程がある価格!クソが~、ムカつくぜこのオヤジめ!


ああっと、いかんいかん。もうイライラは捨てたんだった。よし、この状況を楽しめ!きっと「救いの車」は来る!神は僕らを見捨てぬさ!


ということで、僕らは雨に打たれながら止まってくれる車を待った。そして程なくして・・・!


神は救いの手を差し伸べてくれたのだ!


そこにやって来たのは、ユルタ(キルギス人の移動式住居)を運ぶトラック。僕らが手を上げると、すぐに止まってくれて「ソン・クルか?よし、乗っていけ!」となったではないか!


うお~!マジで嬉しい!やっぱり捨てる神あれば拾う神ありだな!


トラックの中で色々話していたら、隣のおばちゃんが「今夜はウチのユルタに泊まっていきなさい!」と言ってくれるではないか!これはまさに完璧な展開!やったぜ、てことは一緒にユルタも組み立てて、そこで宿泊ってことだな!そいつぁ楽しそうだ!


ということで波乱万丈の時を経て、ついにソン・クル湖の畔に到着!


雨も止み青空も見え始め、良い感じ~やないかい!


そして一緒にユルタ建設!なるほど、こうやって組み立てていくのか・・・!








しかしウンコ多過ぎ!何度かモロ踏んじまったぜ・・・。


あ、ちなみにこのウンコ、乾燥したら燃料になるんですよ~。まさにエコ!


このご家族は本当に優しかった。


ご飯もたっぷり用意してくれるし、突然現れた僕らを全然のけ者にしないし、なんと言ったらいいのだろう、一緒にいさせていただいて本当に気持ちがいいのだ。




どうやらこの日はユルタだけを運んできたみたいで、このご家族の若い衆は一度前の村に戻って、翌日たくさんの馬や牛や羊を連れてくるらしいのだ。全部で7人(荷台にも何人か乗っていました)トラックに乗っていたのだが、そのうちの若い4人はその日のうちに村に戻るということだった。


何を言っているのか分からないけど、いつも何かを話し掛けてくれるおっちゃん、トォロクさん。


お皿が空になると、間髪入れずに次を注いでくれるおばちゃん、ディナールさん。


ちょっと恥ずかしがり屋だけど家の仕事はバリバリこなす娘、メディナちゃん。



そして外に広がる極上の景色。


草原、草原、草原。ただひたすらにそれだけ。


川の水だって、そのまま飲んで全然問題なし。


すげぇよなぁ。なんかもう、何て言ったらいいのか分からん。もうただ凄い!


そして色々なことを考える。というか、考えてしまう。こんな大自然を目の前にすると・・・。


こういうところに住んでもみたいけど、一生は無理だな~とか・・・


彼らはここでの生活が幸せなのかな~とか・・・


彼らは日本に来たら、どんな風に感じるのかな~とか・・・


もしこの大地で死んだら、この土にただ還っていくだけなんだな~とか・・・



なんか色々考える。


旅をしていて、こういう大自然の中にただただ身を置く時間になると、本当に色んなことが頭を巡る。


突然閃くこともあれば、突然不安に苛まれることもある。強気になる時もあれば、全然ダメなやつになる時もある。


不思議なもんだな・・・。


そんな時間を、僕はこのソン・クルで過ごしていた。


当然電気などあるはずがない。日が暮れればそれと共に寝るだけ。ああ、なんて気持ちが良いんだろう。


この方が、人間の生活って感じがするよな。


電気なんてあるから、人はいつまでも起きてしまうんだ。そんなもん始めっからなけりゃいいんだ!


な~んて考えたりね・・・。


Wi-Fiなんてあるはずがない。だから、パソコンに縛られることなんてあるはずがない。


いいよなぁ、この方が人間らしい気がする。とか言っておいて、ビシュケクに戻ったらすぐにパソコンをチェックする自分がいるのにね・・・。


そんなことをウダウダ考えながら、眠りにつく。


そして夜が明ける。


極上の草原が、また僕を待ってくれている。


標高が高いからすごく寒いんだけど、でも太陽の熱が本当に温かい。


ああああ、幸せだ。なんだかすげぇ幸せだ~!


でも、それが短いから「幸せ」なのかもしれないな・・・。ずっとじゃないからいいのかもしれない。上手く言えないんだけど・・・。


そんな気持ちを心に留めながら、僕は再びヒッチハイクをし、ビシュケクへと戻る。


本当にありがとう、泊めて下さったご家族の皆様!一生忘れられない思い出と貴重な経験が出来ました!


再び戻ってきたビシュケク。そこには見慣れた「喧騒」が僕を待ってくれていた。


さてさて僕は考える。どっちの生活が「楽し」くて、どっちの生活が「幸せ」なんだろうね・・・。


2014年6月20日。引っ越したばっかりで、まるで誰かのウチに泊まりに来ているような、カザフスタンのアルマティの安宿にて。



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ふじもん世界一周「放学記」第7章 波乱万丈、でも最高!極上の湖「ソン・クル」への道Vol,1!

2014-06-20 01:46:44 | 日記
2014年6月19日。


《キルギスで僕が絶対にやろうとしていたこと。それは「遊牧民の生活に触れる」こと!ということで、夏場しか訪れることの出来ない極上の湖「ソン・クル湖」に向かった僕であったが、それはそれは波乱万丈な日々の始まりだった・・・!》


「イシク・クルもいいですけど、キルギスらしい大草原を見て遊牧民の生活に触れたければ、ソン・クルの方がいいですよ。」


キルギスには「イシク・クル」という有名な湖がある。当初は「中央アジアの真珠」とも称されるイシク・クルに行くつもりでいたのだが、キルギスについてメッチャ詳しいある方の上記のようなアドバイスを受けた僕は、そのアドバイス通りソン・クルに向かおうと決めたのだ。


行き方はさほど難しくはない。バスを何度か乗り継ぎ、最後はヒッチハイクをするか高くはなるがタクシーを使えば目的地のソン・クルまでは行くことができる。「ま、全然楽勝で行けるでしょう!」と余裕ブッこいて首都のビシュケクをスタートしたのだが・・・いやいやいや、これがまた一筋縄にはいかなかったのだ・・・!


そう、それはまさに「ヒッチハイク・トラブル」だった・・・!


「ここからヒッチハイクで行けばいいですよ」と言われたポイント、アルブラックまでは順調に行けた僕。しかし問題はここからだった。


「ソン・クルまで?いいよ、行ってあげるよ」という感じに、ソン・クルまで行く車は簡単に見つかる。旅人の装いの僕を見て「どこまで行くの?」と頻繁に話し掛けてもくる。


のだが・・・!


みんなたけぇでやんの、その金額!


いやね、僕はヒッチハイクがしたいのよ、お金ないし!親指立てたらけっこうみんな泊まってくれるのに、二言目には「いくら?」の繰り返し!


そう言えば中央アジアに行った旅仲間が「中央アジアは何かとお金お金で、ちょっと嫌になりますよ~」というようなことは言っていたのだが・・・なるほど、そういうことか・・・!


それから先も何台もの車は停まってくれるのだが、み~んな金!金!金!


そりゃ分かりますよ、僕ら旅行者を見たら少しでもお金を取ろうと思う気持ちは。そりゃそうですよね、キルギスの人から見れば、僕らは正直「お金持ちの国から来た旅行者」に他ならないのですから。


でもですね、う~ん、やっぱり嫌だな・・・。もうみんな金!しかも明らかに高過ぎ!


そんな状況がしばらく続き、「マズイ、これじゃ先へ進めないぞ・・・!」と思っていたところに優しい兄ちゃんが登場!


しかし彼は目的のソン・クル湖までは行かないという。でも、途中にある村までは連れて行ってくれるというのだ。もちろんタダで!


「おお、やった!捨てる神あれば拾う神ありだ!途中まででもいいからとりあえず進むぞ!」


ということで小さな村まで進んだものの、そこで再び足止め。


村の様子はこんな感じ。


な~んにもな~いよ~!



でも、村の人は優しかった。本当に優しかった!


ある1人のおばあちゃんは困っている僕の様子を見て家に招待してくれて、チャーイ(お茶)やらパンやらクムス(馬乳酒)やらを食べきれないほど振る舞ってくれたし・・・


僕が次から次へと車に交渉しては断られている(まぁ正確にいうとお金が高過ぎるから僕が断っているのだが)のを見かねたご家族は、同じく家に招待してくれた上にウォッカの嵐をお見舞いしてくれたし(これはきつかった)・・・。


キルギス人、みんな優しいんですよ!


お金については色々あると聞いてはいましたが、そんなのはきっとみんな同じこと。誰だってお金は必要だ。


確かにムカッとくる人もたくさんいた。でも、こんなに温かい人もたくさんいる。


いいじゃないか、それで!


それで気持ちいいじゃないか!



なんか、そんな気になってきた。


そう、前回学んだじゃないか。イライラはマイナスしか生まないって。


ということで、そんな状況こそ笑顔笑顔!そしたら、ついに温かい車がやってきた!


と言っても、この車もソン・クルまで行くわけではない。しかも時間は午後4時を過ぎていた。日は長いとはいえもう夕方だ。まさかソン・クルに行くだけなのにこんなに苦労することになるとは・・・。


そしておっちゃんは言った。「今日はもう遅いからウチに泊まっていけ。そんで明日の朝出ればいいよ!」と。


おおお、そう来たか!実はこの村の人たちも何人か「ウチに泊まっていけ」とは言ってくれたけど、このおっちゃんもか!やっぱり優しいじゃないか、キルギス人!


本当はこの日のうちにソン・クルまで行きたかった。でも地元の人と触れ合っているうちにメッチャ楽しくなってきたし、このへんで1泊になるのもまた愉快かな~とも思っていたのだ。


ということで「乗れ!」と言ってくれたその車、こんな感じ。しかも助手席には奥さんが・・・。


ということは当然、僕はここ!




いやっははは!久し振りの荷台の中だぜ!暗いぜ!ちょっと怖いぜ!



ということで連れて行かれた先は・・・!


まさにおっちゃんの自宅だった!


庭(というか大草原)にはたくさんの牛や馬がおり、おばちゃんがその乳を搾る。そして娘さんもその仕事を手伝っている。






まさに「キルギスの民」という世界だった。


しかし、彼らが住んでいるのは移動式住居の「ユルタ」ではなく、なんというか、コンテナを改造したような家に住んでいた。だから彼らが本当の意味の「遊牧民」なのかというと、そうではないのかもしれない。そもそも「遊牧」の定義すら大きく揺らいでいるこの時代において、そのようなことを深く問いかけることはナンセンスなのかもしれない。


まぁそはそれとして、このご家庭も本当に温かかった。


みんなが突然訪れた僕を「一員」として受け入れてくれるし・・・


この家の娘2人も可愛いし本当によく働くし・・・


ゲップしまくりのおじーちゃんもまさに貫禄抜群だった。


なんて言うか、この日は本当に不思議な1日であり、また大きな学びがあった。


人間って、やっぱり本質は「善」なんだと思う。むか~し性善説とか性悪説とかブログの中で書いたことがあるけど、どこの国に行ったって、絶対に「善い人」の割合の人が多いと思う。


困っていれば必ず誰かが助けてくれるし、どこにいたって人々の温かさを感じなかったことなどない。


なんかいいよなぁ、こういうの!


温かいよなぁ!



僕は冷静に思う。もし突然困っている外国人が目の前に現れたら、僕はどのような行動をしてあげられるのかって。


家に泊めてあげたり、言葉が通じなくとも心から寄り添うことは出来るのかって。


旅をしていると助けてもらってばっかりだ。その度に、逆の立場になった時の自分のことを考える。


言葉なんてどうだっていい。宗教なんてどうだっていい。生活習慣だってどうだっていい。


大切なのは「心」であり「魂」だ。今、本当にそう感じている。


そんな温かい「心」に包まれながら、僕はこの日この家で床についた。


でも、ここはまだ目的地のソン・クルじゃない。目指すべき地はまだ先にある。


そして翌日、僕の「ソン・クルへの道」はまだまだ波乱万丈に満ちていた!先日のトルクメニスタンに続き、キルギスも忘れられない日々の連続がやって来たのだ・・・!


2014年6月19日。個性的な人が集まることで有名なビシュケクの安宿にて。



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ふじもん世界一周「放学記」第7章アジア編 キルギスの教え『基本に学べ!』旅は笑顔で、イライラは大敵!

2014-06-16 21:00:43 | 日記
2014年6月16日。


《イライラは良くない。ムカムカもよくない。マイナスはマイナスを呼び込む。ネガティブは全てをネガティブに落とす。そんな素行は良くないと、キルギスの人々は僕に教えてくれた。》


僕は今キルギスの首都ビシュケクにいる。


とってもいい国だ。人々はみんな親日的だしとても優しい。


僕はウズベキスタンから国境を抜けてキルギスに入国した。


最初に僕が入ったのはオシュという街。


別に何か特別なものがあるという街ではない。むしろちょっと貧しさを感じる街だ。だけど・・・。


何かとイライラすることが重なった。


些細なことだ。でも、とっても小さな話でイライラしている自分がいた。


両替屋がなかなか見つからなかったり、宿がアルコール持ち込み禁止だと知らずに持ち込んでしまって、慌てて外で1リットルのビールを一気飲みするはめになったり・・・(笑)これはきつかった。


オシュに着いた次の日の朝、僕はビシュケクに向かうため、乗り合いタクシーの乗り場に向かった。


前日からのイライラを引きずっていた僕は、すげぇ嫌な奴になっていた。下らない話なのにね。


とっても優しい運転手のおっちゃん。


なのに、俺はイライラをぶつけてしまった。


きっと親切心で色々話し掛けてくれているのに、僕は日本語で「あ~うるせぇな~ちくしょう!」と投げつけてしまったり・・・。


良くないですよね、そういうのは本当に良くない。


一緒に乗ることになったおじちゃんもおばちゃんも、みんな良い人だった。


それなのに、僕は1人でイライラ。良くないですよね・・・。


出発して間もなく、朝食のためちょっとしたレストランに立ち寄った。


運転手のおっちゃんは2人いたのだが、2人とも僕を同じ席に呼び込み、一生懸命メニューの説明をしてくれた。


きっとイライラしていた僕を気遣ってくれたのだろう。


ウェイトレスのおねーちゃんも言葉が通じない僕を気遣い、周りの人が注文している品を指さしてはメニューを教えてくれる。


3人とも本当に一生懸命僕に伝えようとしてくれていた。


そこでようやく、僕はハッと気付いた。


「俺は何グダグダといつまでもイライラしてんのか」って。


「こんなに僕に気を遣ってくれる人々がいてくれているのに、何を俺はやってんだ」って。


イライラしても何も始まらない。悪い態度を取ったところで、自分も周りもネガティブな方向に持っていかれるだけだ。


そんなこと大昔から分かっていたことなのに、それなのに同じことを繰り返す愚かな自分。


良くないなぁ、本当に良くない。


ここから僕は態度を変えた。「何をいつまでイライラしてんだ!」って。


そしたら・・・。


長い長い乗り合いタクシーの移動だったけど、すっげぇ楽しくなった。


隣のおばちゃんもからはトマトやキュウリ、兄ちゃんからはチェリーやモモの差し入れがたんまりと・・・!


道中の景色まで、もっと綺麗に見えてきたぞ!(曇ってしまって暗い写真しかないのですが・・・泣)


そして昼ごはんは、運転手のおっちゃんがガッツリご馳走してくれました!


ビシュケクに着いたら、優しい運転手のおっちゃんは僕が泊まる予定の宿に電話をしてくれて、行き方まで確認してくれたし・・・。


なんだか、イライラしていた自分が情けなくなった。


キルギス人はとても親日的だし、旅行者のことを本当に助けてくれる。


やっぱり自分次第なんだよな。


イライラしていたら、本当にマイナスなことが自分に舞い降りてくる。


ちょっとくらい嫌なことがあっても笑顔でポシティブに考えていれば、必ず全てがプラスに運ばれてくる。


全てが楽しくなる。


いつも笑顔でいられる。



その方が、絶対に楽しいじゃないかって!


せっかくこうして旅をしていて色々なことを学ぼうとしているのに、イライラしていたら学べるものも感じられるものも逃げていく。


そんなこと、大昔からわかっていたのにねぇ!


旅をしていると「イラッ」とか「ムカッ」とかなんて日常茶飯事だ。でもそこで、それをそのまま受けて止めたところで、マイナスにしかならない。


そんなマイナスの行動は、僕自身を「嫌な奴だなぁ」と思わせるだけでなく、「日本人って・・・」という思いにもさせてしまう。


少しオーバーかもしれないけど、日本代表として(笑)それはアカン行動だ。


基本中の基本。プラス思考って大事だなぁ!


僕の旅も、あと1ヶ月しかない。


よし決めた!あと1ヶ月、ずっと笑顔でいよう!


ヤバイことが起きても嫌なことが起きても、全部プラスでいこう!


最初メッチャイライラしていたのに、優しく僕に話し掛けてくれた運転手のおっちゃん。どうもありがとう!


大切なことを教わったよ。


僕の見た目は何も変わらない。でも心の中は大きく大きく変えて・・・!


宣言。これから先、ずっと「キルギスの教え」を守っていきます!


2014年6月16日。独特の雰囲気が漂う、世界的に有名なビシュケクの某日本人宿にて。



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ふじもん世界一周「放学記」第7章 ウズベキスタンに『日本町』を見た!いざ、日本との架け橋となれ!

2014-06-14 01:17:24 | 日記
2014年6月13日。


《ウズベキスタンの片田舎に、素晴らしき『日本町』があることをご存知ですか?何もない小さな町ですが、この地から感じるべきことはあまりに多い。》


僕は日本人だから、日本語で挨拶をされるとやっぱり嬉しい。「日本語を勉強してます」とか「日本に興味があります」と言われても、やっぱり嬉しい。


ここはウズベキスタンの小さな田舎町、リシタン。目の前はキルギスとの国境だ。


こんな小さな田舎町なのに外を歩いていると、なんと「こんにちは!」と声を掛けられる。しかもそれはこれまでに体験してきた差別や偏見に満ちた呼ばれ方ではなく、純粋に「こんにちは!」と言ってくれるのだ。


リシタンは、ウズベキスタンで初めての日本語学校が創設された地なのである。その学校の名は「NORIKO学級」。創設者の大崎重勝氏は2005年に逝去されてしまったが、このNORIKO学級は今でも健在である。


当初、僕はリシタンに寄る予定はなかった。しかしこのNORIKO学級のことを知った僕は、直感的に「ここには行かなければいけない気がする」と感じ、すぐに連絡を取り、この地を訪れたのだ。


※NORIKO学級のホームページはこちらです~!

http://rjc.bz/index.html


僕のことを本当に温かく迎えて下さった、校長のガニシェルさん。


僕は今ガニシェルさんのご自宅に泊めていただいているのだが・・・




本当に温かいのだ。ご飯もメッチャ美味しいし!


日本のことを、日本人のことを本当に良く理解して下さり、家族そろってみんな日本語がペラペラなのだ。


不思議なものですよね、だってここはウズベキスタンの片田舎ですよ?それなのにたくさんの子ども達が日本語を学び、日本語で挨拶をされ、日本人を温かく迎え入れてくれる。

こんな場所が、ウズベキスタンにあったなんて・・・衝撃だ。


ひとたび学校に行けば、さらにその温かさに包まれる。


みんなそろって「おはようございます!」。


我先にと日本語で自己紹介。


驚くほどにみんな熱心に日本語を学んでいるし・・・


みんな口をそろえて言う。「日本に行ってみたい!」と。




ちくしょ~こいつらめ、みんな可愛いじゃねーか!

あんまり「可愛い可愛い」ばっかり言ってるとロリコン大将に間違われそうだけど、そういうんじゃなくて(笑)!

本当に可愛いんだよな~純粋に・・・。


僕はやっぱり日本人だから「日本という国に所属している」という意識は当然強い。そして旅をしていると、その意識はさらに強くなる。


だから、日本を肯定的に思ってくれる場所にくると、やっぱりすごく居心地がいい。


それはただ単に「居心地がいい」だけでなく、日本人としての誇りとかプライドとか、なんていうか尊厳みたいなものまで取り戻せるような、そんな気さえするのだ。


僕が思う、日本人の良くないところ。


そりゃいっぱいあるんだろうけど、その1つで僕がよく感じているものが、「自分達の良いところを認めるのが苦手」なところ。


今の日本、おかしいところだらけだと思いますよ。何とかしていかないとマジでヤバイ。もちろん本気でそう思っている。だからこそ僕は公立学校の教員という安定的な立場を捨てたし、今もこうして世界を歩いている。


だけど、今の日本の評価が国際的に低いかと言えば、まったくそんなことはない。いや、むしろ高いと僕は思う。それは日本人が思っている以上のものだと思う。


そのことを、日々世界を歩くことでひしひしと感じている。


だからと言って、その上にあぐらをかいてればいいなんていうわけじゃない。あぐらをかいているどころか、足がしびれていようが靴下が臭くて替えなくちゃいけなかろうが、今すぐに立ち上がって先を見据えた行動をしなくちゃいけない。そのくらい、今の日本はヤバイと思う。


そういう想いが前提にあるものの、だがしかしだ。


今の日本がそれなりに評価されてきた現実を、全面的に否定する必要はないと思うのだ。


国への所属というのは、個人のアイデンティティの行き着く先の最も大きなものの1つだと思う。日本の大人はよく「自分を好きになりなさい」「自分を認めてあげなさい」というような綺麗な言葉を子どもに伝えているような気がするが、そうは言っておきながら、アイデンティティの大元たる国への評価は極めて低い人が多いと思う。


それって大いなる矛盾ですよね。「自分を評価してあげなさい」と言いながら、その所属の大元には酷評を下す。


まぁ国というものの存在をいかに捉えるかの議論をしたら、話はまったく別のものになるのだが・・・。


それはさて置き、僕は思うのだ。日本という国の良い部分は良い部分で、素直に認めようぜ俺ら!って。


例えば、日本人はよく「右にならえ」的な国民だと言われる。個人の意識が薄くて、みんなと同じことばかりを行うと。


それ、当たっていると僕は思います。それは1つの日本のネガティブな面だと思います。


しかしそれは、同時にポジティブでもある。個人より集団の意識を高く持つが故に、一致団結してみんなで何かの課題をこなせるわけだし、共に同じ方向に向かって行動できる。待つべきところは待てるし守るべきものは守れるし、集団としての統制が取れる。


そんなのはかつての高度経済成長時代における集団作業のための統制だ!と言われればそれまでだ。でも、そうだとしても、その意識が日本人の「公」の意識の高さに結びついていることは、1つの事実なのではないだろうか。


それに、そのような意識付けが単に現代において形作られたものではないことは明らかだ。それはかつて日本を訪れた諸外国の人々が残した記録を見れば明白である。


もちろん「個」は大切。超大切。でも、あまりにも「個」が優先され過ぎているが故にしっちゃかめっちゃかになっている国を見てきて、僕は果たしてあれもどうなのかと思っている。


繰り返しますが、僕は今の日本のすべてが、いや過去も含めて、すべてが完璧だなんて夢にも思っていないですよ。特に現在においては問題だらけだと思っていますよ。


でも、過去に良かったものは良かったものとして認めたい。認めてもいいことを子ども達に僕は伝えたい。それがその時代だったからというものであっても、良かったものは良かったもので伝えてあげたい。


子ども達に自己肯定感を育むなら、まずもって自国の歴史を肯定的に捉える作業も必要なのではないだろうか。それは他国をマイナスに落とすことでプラスに持っていくのではなく、自らをプラスに捉えることで他も評価し、「共にポシティブ」に持ち上げていく。そんなイメージだ。


ここはウズベキスタンの片田舎、リシタン。ここにいると、日本人である自分に誇りが持てる。


日本や日本人を評価して下さり、生き生きと日本語を学ぶ子ども達に、本当に力と勇気がもらえる。


いいじゃないか、それで!それは素晴らしいことじゃないか!


アンパンマンの歌を歌って踊る3人組の女の子。マジで可愛いっすよ!


授業中いっつもダラダラしているくせに、実はとっても優しくて男前の2人組。


かなり日本語が上手で、いつも日本語とウズベク語の通訳をしてくれた少年。


放課後は例によってサッカー!みんな元気すぎ!


来週から3カ月、日本に短期留学に行くという中学生。


久し振りの授業、何だかんだで楽しいんですよね~!


こんな弁論大会まであるんですよ~!


遥かなるウズベキスタンの田舎町で、僕は1人考えながら満月を眺めている。日本人として、日本と世界を本当に見据えて、あるべき振る舞いとやるべき行動とは何なのか。


『偉大なる参考書・世界』のウズベキスタンのページには、これまた難しい課題が書かれいた。


そんな想いを僕は心に秘めながら、目の前でアンパンマンを歌って踊ってくれる子ども達に言う。「ハラショー!」と。


そして心から願う。ぜひともここの子ども達には、日本とウズベキスタンの架け橋になってほしいと!



2014年6月13日。素晴らしく美しい満月が光り輝いている、ガニシェルさんの中庭にて。


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ふじもん世界一周「放学記」第7章アジア編 『今、僕は人類を問う』消えゆくアラル海を眺めて。

2014-06-13 01:23:15 | 日記
2014年6月12日。






《目の前に忽然と広がる砂の大地。でもここは、元から砂漠だった場所ではない。そこにはかつて、豊かな「湖」が広がっていた。》


僕は人間の所業を考えていた。


目の目には、ただただ荒涼とした大地が広がっている。


僕が今いるこの街、ムイナク。


ウズベキスタン西部にあるこの街は、かつては世界第4位の面積を誇っていた豊かな湖「アラル海」に面した、豊かな港町だった。


でも今、そこにあるものは・・・。


通称「船の墓場」。


かつてはこの湖で大活躍していた船たちが、まるで墓標のように静かに腰を下ろしている。


その錆が痛々しい。


まるで何かを訴えているような・・・僕には、そんな気さえした。


かつてはここに、豊富な水があった。


人々はその湖から、多くのものを得、生活を成り立たせていた


でも人間の所業は、なんとこの「世界第4位」の湖さえ干からびさせてしまった。


「船の墓場」に建てられている、かつてと今のアラル海の様子。






これを見れば、一目瞭然だ。


「20世紀最大の環境破壊」とまで言われている、アラル海の消失。


かつて社会の教科書から受けた衝撃の現場に、今僕は立っている。


でもこういう話は、何も特別なものじゃあない。


アマゾンの熱帯雨林だって北極の氷だって、何もかもみんな「人間の営み」がその消失の原因だ。


危険な発想なのかもしれないけど、僕は思ってしまう。


人間の存在そのものへの「原罪」を。


アラル海の消失について、あるガイドブックにこう書いてあった。


「人間が自然を克服したのだ。しかし、今度は湖そのものの消失という現実に直面している。」と。


アラル海は、そこに流れ込む川から大量の水を人間が引き上げたために消失へと向かった。


そうすることで、人間は安定的に農業を営むための水を手に入れることは出来たのだが・・・。


でもそれって、「自然を克服」したことなのか?


よく分からないけど、なんか違うんじゃないのか?


そうやって自然に抗うことで、人類は自らの首を絞め続けているんじゃないのか?


僕は人間なんて、自然に「抗う」ことなど出来ないと思っている。


自然と共に在り、自然と共に生き、自然を敬い、自然を畏れ、そして自然から得る。


そうして人間は生きていくべきなんじゃないかって思っている。


ここ数百年、人間は「そうじゃない」生き方を洗濯し続けてきた。


その結果・・・・


この有り様だ。


何分間、僕は立ち続けていたのだろう。


ただただ、ずっと「元湖」を眺め続けていた。


ただただ、ずっと・・・。


そして僕は考え続けていた、「人間の在り方」を。


僕は偉そうに「教育から日本と世界を変えたい」とか「最終目標は世界平和だ」などとほざいているけど、


この「消えゆく湖」を前にして、そんなん言ってられんのか、俺?


目の前の現実と、空回りする自分の理想。


その狭間で、目の前の「死にゆく船たち」は風と砂に晒されていた。


水の消失と共に、寂れてしまった町。


見るべきものは何もない、廃れた街。


でも、そこにある希望。


それは子ども達の存在。


どんな状況でも、子ども達は未来を信じてたくましくそこに在る。


だから僕らは、動かなければいけないのだ。


絶望ではなく希望を、無謀ではなく野望を秘めて。


目に映るものは何もない町、ムイナク。でも心に映るものはあまりに多い。


僕の心には何が映ったのか。僕の魂は何を記憶したのか。


自分で自分に問い掛けながら、僕はこの町を後にした。


2014年6月13日。キルギスとの国境にもほど近い田舎町、リシタンにて。



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