世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

ふじもん世界一周「放学記」第7章アジア編 『中央アジアの北朝鮮』トルクメニスタン珍道中!Vol,4

2014-06-12 01:32:16 | 日記
2014年6月11日。


《3回に渡ってお伝えしてきた「トルクメニスタン珍道中」も今回で最後です。どうぞよろしくお願い致します~!》


本当に僕を飽きさせてくれない国、トルクメニスタン。トランジットということもあり実際には3日しか滞在していないのだが、いや~最後の最後まで濃かった!

最後の濃ゆ~いお話は、いよいよトルクメニスタンを出国するまででございます。これがまた大変だった(笑)!


というわけで、ガスクレーターからチャイハネまで戻ってきました~!


さぁこの後は一路北上してウズベキスタンとの国境まで向かうわけなのだが、ここからは公共の交通機関などない。


なんたって、道はこの通り!


北を向いても南を向いても、ただひたすらに広がる砂漠と一本道!



ではどうやって国境まで移動するのかというと、そりゃもうあれしかありません。

公共交通機関がないのなら、ヒッチハイクしかないでございます!


ということで、やって来る車に声を掛け始めた僕たち。


僕たちは4人組だったのだが、1人はウズベキスタンではなくカザフスタンに向かうため、ここで別れることに。

さよーならコーヘイさん!お気を付けてカザフスタンまで行って下さい~!


コーヘイさんは1人なので簡単に車が捕まったのだが、なんせ僕たちは3人いる。なかなか同じ車に乗れるほど座席が空いている車はない。

外は灼熱の太陽が輝きだした。これがまた暑い!


オッケーを出してくれる車は多いのだが、とにかく3人一緒には乗れないのだ。下手に別の車に乗ってしまって国境付近でバラバラに降ろされてしまっては元も子もない。さてさてどうしたものか・・・。


どうしようかと考えている時、ふと隣のチャイハネに、同じ方向を向いて停まっている2台のトラックがあった。




出来れば3人一緒に乗りたいところだが、やはり3人一緒はなかなかに難しい。これは車を分けるしかないか・・・。


ということで、隣のチャイハネまでひとっ走り!そして簡単に交渉成立!トルクメニスタンのおっちゃんはみんな優しいね!

ということで、僕たちは2台のトラックに別れた。僕は1人で乗り、あとの2人は一緒のトラックに乗った。


さぁ後は一路北へ北へと進むだけ!これで簡単に国境まで行ける・・・はずだったのだが・・・。

最後の最後までトルクメニスタンは僕らを楽しませてくれた。もうホント焦りましたよ!


このトラックがですね、実に遅いんですよ(笑)。いや、仕方がないですよね、そりゃ乗用車よりは遅いもんです。でもですね、かな~り遅いんですよこれが・・・!


このルートでヒッチハイクをする予定の方、出来れば乗用車を捕まえた方がいいですよ~(笑)!


まぁ遅いのは仕方ない。なんせ僕らはヒッチハイクをさせていただいている身だ。文句などございません!無事にウズベキスタンまで行ければ大満足でございます!

のはずだった・・・。


しかしこの遅さが故に、まさが最後の最後にあんなドラマが待ち受けていようとは・・・この時は知る由もなかった。


そして道は砂漠の中を永遠と進む。いつまで経ってもこんな感じ・・・。



「いや~長いな~、これがあと何時間も続くのかと思うと恐ろしいな~。」と思っていたのだが、それよりも恐ろしかったのはあちこちで車を停めている警官たち!


さすがにカメラを向けることは出来なかったのだが、みんな「いかにも社会主義」的な、人民軍兵士か北朝鮮軍みたいな帽子を被ってそこら中に立っている。

そして何故だか分からないのだが、通る車を止めまくっているのだ。


そしてその度に運転手は車を降りていくのだが、その際必ず小銭を持っていくのである。恐らく間違いなくこれは警官のワイロのために停めているのだろう。まったく困ったもんだ!

しかしそんなの慣れっこなのか、運転手はためらうことなくお金を持って降りていくし、文句を言う様子もない。どうやらこれが「トルクメニスタンの常識」と言ったところなのだろうか?謎である・・・。


ちなみに僕も2回ほど警官に因縁を付けられた。でも一言たりとも英語で話し掛けられなかったので、全然何を言っているのかは分からなかった。たぶん「外国人は乗せちゃダメだから、もっと金払え!」みたいなことを言っていたのだろう。すごい親切なおっちゃんだったので、僕を乗せたせいで迷惑が掛かっていなければいいのだが・・・。



ちなみに言っておくと、僕のトラックはまだましだった。もう1台のトラックは運転手の他にもう1人乗っていたため、定員オーバーになってしまう上に座席の後ろのベッドスペースに押し込められ、蒸し風呂状態だったらしい。冷房も付けなかったそうだ、あの灼熱の中で。


そして警官に停められた時も「カーテンの中に隠れて!」となっていたらしい。それでも2回ほど見つかってしまったようで、その時は「マジでもうお終いだと思いましたよ。」と2人は思ったと言っておりました(笑)。


僕の方のトラックのおっちゃんはちゃんと冷房も付けてくれたし、1人座席でゆったり。2人には申し訳なかったっす・・・。


ということで、警官に何度も止められながらもトラックは進む、ゆっくりと・・・。警官を避けるため田舎道にも入りながら、まぁなんとか無事に進んではいたのだが・・・。





ここでマズイ事実が浮かび上がってきた!


なんと、トルクメニスタンとウズベキスタンの国境は、午後6時で閉まってしまうという話なのだ。もしそれが本当なら、もう時間ギリギリである。

時計の針はもう5時半を指している。「これはガチでヤバいんじゃないか・・・?」というあたりで、ようやくトラックは停止。そして「もう国境はすぐそこでもうトラックは入れないから、あとはタクシーで行ってくれ。」と、車を降ろされた。そして最後まで親切なおっちゃんたちは、僕たちのためにタクシーまで呼び止めてくれたのだ。


本当にありがとう、おっちゃんたち!ちょっとスピードは遅かったけど、それは仕方ないですね(笑)。楽しい楽しい7時間のドライブだったよ~!



さぁ問題はここからだ!もし本当に6時に国境が閉まってしまっては、それはマジでヤバイ!国境付近はメッチャのどかな田園風景が広がっているだけで、見事に何もない。ここで一泊は避けたい・・・!というか、だいたいホテルなんてあるのか?



ということで走れ!タクシー!6時までに国境に到着するのだ!


そして到着したのがなんと、5時58分!マジで閉まるギリギリだ。

守衛の兵士に話し掛けてみる。しかし最初の返事は「ノー!」。そして僕らのパスポートを確認して「あと2日はいられるじゃないか。じゃ明日来い明日!」みたいなジェスチャーをかましてきやがった!

いかんいかん、それはいかん!俺らはみんな時間がなくて先を急いでるし、気持ち的にも今日ウズベキスタンに入れないのはキツイ。それにだいたいこの付近に泊まれるところなんてあんのか?何より時間的には6時前に来ていたぞ、何とか通してくれ!

僕ら3人は必至で訴えた。でも僕は、内心「もうダメかな・・・」とも思っていた。

のだが・・・!


兵士の兄ちゃんはトランシーバーで中と連絡を取り始めた。そしてなんと、オッケーのサインが出た!おお、これはやったぞ!なんとかウズベキスタンまで行けるぞ!


ということで無事にトルクメニスタンを出国しウズベキスタンへ!国境の職員たちも早く仕事を終わりにしたいもんだから、とにかく僕たちを急がす急がす!でも僕は完全にバックパックを開けさせられて、ちょっと不機嫌になりましたが(笑)。まぁそんなのはいいか!


いや~何ともまぁ最後の最後まで波乱万丈のトルクメニスタンだった・・・!


しかし本当に飽きさせてくれない3日間だった。たった3日なのに、もう忘れられない記憶が刻まれましたぜ本当に!


色々あったけど、結果全部がサイコーでした!


ありがとう、トルクメニスタン!ありがとう、一緒に行ってくれた日本人の仲間たち!

※ヒバでの別れ際、一緒にウズベキスタンに入ったまさてぃとあきちゃんが2階から手を振ってくれました~、ありがとう!


※ウズベキスタン入国祝いに、さっそくビールとシャシリク(串焼肉)で乾杯してやったぜ!





さぁいよいよウズベキスタン。僕の旅はもう少しだけ続く・・・。


2014年6月11日。綺麗で居心地はいいけど、あと5ドル安くなってほしいな~と感じているタシケントの安宿にて。



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ふじもん世界一周「放学記」第7章アジア編 『中央アジアの北朝鮮』トルクメニスタン珍道中!Vol,3

2014-06-11 02:04:52 | 日記
2014年6月9日。


《波乱万丈のトルクメニスタン編、Vol,3。今回は神が作り出した奇跡の光景「地獄の門」でございます~!》


「トルクメニスタンってどんな観光地があるの?」そう思う方がほとんどではないだろうか。

しかしトルクメニスタンには、来たからには絶対に外すことの出来ない「とんでもない場所」がある。

そこはガスクレーター、通称「地獄の門」と呼ばれているところである。


一応簡単に言葉で説明をさせていただきますと・・・

【これで納得!トルクメニスタン名物ガスクレーター「地獄の門」とは?】

1971年に地質学者がこの地域でボーリングによる採掘調査を行ったのだが、その際に大規模な陥没事故が発生してしまい、50~100mにも及ぶ大きな穴が出来てしまった。発生する有毒ガスを防ぐために火を点けたものの、地下から出続ける天然ガスに引火してしまったため、今でも永遠と燃え続けているという。この地域には天然ガスが豊富に埋蔵されていると考えられており、その埋蔵量が未知のため、いつ火が消えるのかは分からないらしい。そして技術的にも消し止めるのは困難であり、今でも放置され続けているということなのだ。


はい、というのが「地獄の門」なんですね(笑)。

色々な旅人の情報でも「ここはマジですげぇ!」「トルクメニスタンに行ったら絶対に行くべし!」という絶賛の話ばかりである。そんなの聞かされたら、これはもう行かずにはいられないってやつですわ!


僕らのビザはトランジットビザ、滞在は5日間しかできない。ノンビリはしていられないので、ホームステイを終えた僕らは翌日すぐに「地獄の門」へ向けて出発した!

事前に調べていた情報とは少々異なる点もあったので、辿り着くまでにはかなり手こずった。しかし何とか目的のチャイハネ(カフェというか、ドライブインみたいなところ)に到着!


この「地獄の門」はトルクメニスタン中央部にあるカラクム砂漠のど真ん中にある。車でもアクセス可能だが当然お金がバリバリかかってしまうため、ほとんどの旅人は国道沿いにあるチャイハネで車を降り、そこから歩いてガスクレーターを目指すのだ。

目的地はこのチャイハネから真東にある。僕らはこのガスクレーターで野宿して夜を明かすため、夕暮れ前の午後6時半くらいにチャイハネを後にした!


見送ってくれたチャイハネのおばちゃん達。「24時間経っても戻らなかったら、日本大使館に連絡してくれ。」と頼んでおきました(笑)。



進路は東へ東へ、距離にして約6km!


こ~んな砂漠が永遠と続くんです・・・。


最初の目印はこの線路。これに出会えばまずは一安心(笑)!


線路でちょっとはっちゃけ過ぎました。


運がいいと、電車にも遭遇できますよ~!


情報によると、夜になればガスクレーターの明かりで場所が分かるという。しかし僕らはまだ日の高いうちに出発しており、その光を確認することは出来ない。


「こっちの方向で合っているのかな・・・」少しの不安と大きな期待を抱えながら、とにかく東へ東へと進む。


歩き出して2時間ほど経ったであろうか、途中ちょっと遊び過ぎたためけっこう時間がかかってしまったが、目の前に大きな山が見え始めた。

「おお、もしかしてあれじゃねぇか?」

誰かがそう言った。全員なんとなくそんな気がしてその山の方に向かって歩いて行くと、なんと・・・!

その山の隣にとんでもねぇ穴が!


おおお!あれか!あれが噂の「地獄の門」か!!!


いや~ビビったね!


おおお、燃えてる燃えてる!


恐る恐る中を覗き込む。すると、噴出するガスに火が点いている様子がよく分かるのだ。



最初、これは完全に自然の力によって出来たものだと思っていたので、人工的な作業によって出来上がった産物だと知った時は少しがっかりだった(笑)。ま、それはそうだとしても、これはこれですげぇ!



こういう偉大な自然(ではないですね)の前に来ると、人は何故か脱ぎたくなる(笑)。

以前から僕は砂漠に来ると、何故か脱いでいた。目の前の「地獄の門」が強烈過ぎるが、ここは間違いなく砂漠のど真ん中。ということは・・・やらねばならぬ!


えい、脱いじゃえ!まずは上だけ!


それじゃ足りんな、神様に申し訳ない。全部脱いでやれ!


そして何故か相撲!(ケツきたね~)


次は総合格闘技!


そしてガッツポーズ!おし、やりきったぜ!




確かにこの穴自体は人工的な作業をきっかけに出来たものだけど、地下から噴き出してくる天然ガスは間違いなく自然のものだし、それが40年間も燃え続けているなんて圧巻だ。


マジで言葉を失う。そして思わず火に見とれてしまう。



こういうとんでもないものに出会うと、僕は感じるのだ。人間の小ささや己の無力さ、人生の儚さや虚しさを。

そして「今在る自分の価値」を。


もし僕がここに飛び込んだとしよう。僕は一瞬にして燃えてなくなる。

生命からただのモノに、有機物から無機物へと変化する。

人間の生と死の本質なんて、そんなものなのかもしれない。

もし僕が今ここで燃え尽きても、きっと世界は何も変わらない。

また日が昇り、また沈む。

幸せなディナーの席で笑い合う家族のすぐ裏ではどこかで争いが起き、醜く殺し合う。

遠慮なく使い続ける電気や化石燃料のせいで、地球は蝕まれ続ける。

そんな世界のリズムが永遠と続く。

「人間なんて、いっそいない方がいいんじゃないか?」そんな思いさえ過ってしまう。

でも僕は死にたくはない。

いずれは死ぬけど、今はまだ死にたくはない。

それは何故?死への恐怖?生への執着?それとも別の何かのため?


そういうことをよく考えるくせに、僕は全然分かっちゃいない。

でも1つだけ、大きなヒントに出会えた。


この日、なんと偶然日本からのツアー客の方々にこの「地獄の門」で出会えたのだ。それも皆さん80歳を超えるようなご高齢の方ばかり!

すごいパワーだ。マジですごい!

ある方がお話して下さった。「あなた達に出会えて本当に幸せ!」と。

ある方がお話して下さった。「君たちみたいな若者がいれば、日本も安泰だ!」と。

この言葉に僕は何かを感じた。そしてこの「地獄の門」という世界で最も日本人に出会いづらいんじゃないかと思われるような場所で10人以上ものご高齢の日本人に出会え、そしてお話をさせていただけたご縁には、何か大きな意味があるんじゃないかと。


そしてその答えを導き出すのは、他ならぬ自分自身だけなのだ。


翌朝、僕たちは同じ道を通ってチャイハネへと向かった。


後光のように朝日が僕らを照らす。


通りかかった電車にも後光が・・・!



過酷な移動、とんでもないガスクレーター、そして「地獄の門」でのまさかの出会い・・・。

トルクメニスタンは2日目も、僕に忘れることのできない1日を与えてくれた。


「どうやらこの国とは不思議なご縁があるのかもしれないな。」そんなことを考えながら、僕はチャイハネで身体を休めていた。


そして日が高くなる。「トルクメニスタン珍道中」激動の3日目が始まる・・・!


2014年6月9日。久しぶりの寝台車両でちょっとテンションが上がっている、ヌクス~サマルカンド間の列車の中にて。



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ふじもん世界一周「放学記」第7章アジア編 『中央アジアの北朝鮮』トルクメニスタン珍道中!Vol,2

2014-06-09 02:58:43 | 日記
2014年6月8日。


《ということで、今回も引き続き「トルクメニスタン珍道中」でございます。よろしくお願い致します~!》


いや~長かった!国境でこんなにも長く足止めを食らうとは・・・。

ホントに大変だったが、何とか国境を離れることが出来た僕らは、トルクメニスタンの首都アシガバードの手前のタクシースタンドみたいなところまで辿り着いた。

そこで別のタクシーを捕まえ街中に向かったのだが、そこで僕らは衝撃的な光景を目にするのだった・・・!


な、なんなんだこの街は・・・?


ただひたすらに真っ白な建物!


そして街中には人が誰もいない・・・?


たまに見かける人は道路掃除をしているおばちゃんのみ。この血の通っていない街は一体どういうことなんだろう?




僕はこの街を見ていて、この国が通称「中央アジアの北朝鮮」と呼ばれている意味が分かった。入国も大変だし、入ったら入ったでなかなか街中まで来れないし、来れたら来れたでこんな「白亜の巨城」が広がっているなんて・・・。

しかしそれはそうだとしても、これは興味深い。


一体何がどうなってこんな街が出来上がったのか?ぜひ一度本気で調べてみたいものだ。


しかし同時に、僕はちょっと恐ろしくもなった。

そして思った。「この国には、本当に人間が住んでいるのだろうか?」と・・・(笑)。

いやですね、いきなりこんな「白亜の巨城」を見せつけられたら、そりゃマジでそんなこと考えちゃいますよ!今までそれなりにたくさんの国を訪れて来ましたが、こんな国は初めてですよ!さすがにビビりましたよ!


真っ白で人の気配の全くない中心部を通り過ぎると、徐々に「人間臭さ」を感じられる街になってきた。それを見て、正直僕は少しだけホッとした(笑)。

泊まる宿は予め調べていたので、タクシーの運転手にホテルの名を告げて連れて行ってもらったのだが・・・


ここで新たなトラブルが!


なんと!とんでもなく値上がりしていたのだ!

昨年のデータでは1人10ドルで泊まれるということだったのだが、この日行ってみたらなんとツインベッドの部屋で1人25ドル!バックパッカーの僕らとしては、これはかなりの予算オーバーだ。

しかも現地通貨の「マナト」では支払いできず、ドルで払えと言うではないか!んなアホか!国境でたっぷりドルからマナトに変えちまったんだぞ既に!しかも現地通貨が使えないなんてアホな話があるか、ボケ!


ということで困ってしまった僕たち日本人4人組。

「もしかしたら近くに何かホテルがあるかも・・・」と、僅かな希望を胸にホテルの前を探してみたのだが・・・。


※ホテル前は普通の団地といった感じ。子ども達が遊んでいました!



やはりホテルなどあるわけない・・・。地図もないし、もうどうしようもない。

「やはりあのホテルに泊まるしかないか・・・」と思っていた時、商店から出てきた1人のおばちゃんが僕らに話し掛けてきた。

宿を探していることを近くのおっちゃんと話していたのだが、そこにそのおばちゃんは割り込んできて、どうやら自宅に泊めてもいいという話をしているようだったのだ!

「おお、それはマジか!それはありがてぇ!これは天の助けかもしれん!」

そう思った僕は、とりあえず部屋を見てもらうことに。


「おお、悪くないじゃないか!」


「けっこう綺麗じゃないか!」



ということで、ホテルで待機していた他の日本人も連れてきて部屋を確認し、僕らはそこに泊まることに決めたのだ。

ここは「中央アジアの北朝鮮」トルクメニスタンこの国でこんな形でホームステイが出来てしまうなんて、それは逆に大チャンスじゃないか!


最初はちょっと感じの悪かったおばちゃんだったが、家に入ってみたら良い人だった(笑)!


夕飯もジュースも出してくれたし!



僕は思った。最初はマジで「血の通った人間」がいない国かと思ってしまったが、そんなことはなかった。あの「白亜の巨城」は確かに異様だけど、あれはきっと政府がそういうもんを造っているだけで、住人には関係ない。

子ども達だって外でサッカーをして遊んでいるし、このおばちゃんもメッチャ優しい。



そう、そこにはどの国でも見ることが出来る、極めて「普通の」光景が広がっていたのだ。


僕は何だか、すごく安心した。

そしてこのご縁に心から感謝した。


ありがとうおばちゃん!25ドルも払えない僕らにとって、このホームステイは経済的にも本当に助かったし(でも1人30マナト(約10ドル)は請求されたんですけどね・・・笑)、何より最高の経験になりました!マジで楽しかったよ!

※一緒にいたアキちゃんは、なんとドレスまでもらってしまいました~!


しかしこのトルクメニスタン、なんて「濃い」1日を最初から提供してくれたのだろう。

まだ1日しか経っていないんですよ!国境での「席取り合い合戦」に始まり、謎の「白亜の巨城」を通り過ぎ、そして最後は「温かいホームステイ」・・・。

この長い旅の中でも、マジで忘れられない1日になりました!


でもこのおばちゃんに出会えたことは本当によかった。国境でのやり取りから、正直トルクメニスタン人のイメージはとても悪かったのだ。

でも、実際はそんなことはなかった。この国の人も、至って「普通の」人たちだった。温かくて優しく、僕たちを助けてくれた。


やっぱりいいなぁ、人の優しさって。

本当にどうもありがとう!



ということで波乱万丈の1日が終わったのだが、いやいやいや!次の日からも「激動のトルクメニスタン」は続くのであった・・・!

※久しぶりに飲んだビールも美味かった~!

2014年6月8日。宿代が高くてちょっと困っている、ウズベキスタンのヌクスの宿にて。



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ふじもん世界一周「放学記」第7章アジア編 『中央アジアの北朝鮮』トルクメニスタン珍道中!Vol,1

2014-06-08 01:54:44 | 日記
2014年6月6日。


《通称『中央アジアの北朝鮮』トルクメニスタン・・・いやね、凄いですよこの国は!もうワラけてきますよ!あまりに色々あったので、今回から数回に渡って「トルクメニスタン珍道中」をお伝えしたいと思います~!》


中央アジアの国々と言えば「~スタン」と付く国が有名だ。しかしそれらの国の内情は、日本人にはほとんど知られていないだろう。

その中でも最も知られていない国の1つが「トルクメニスタン」ではないだろうか。この国にはこんなニックネームがある。「中央アジアの北朝鮮」であると・・・!


さて、そんなトルクメニスタンなのだが、何が大変ってまずはビザを取るのが大変!簡単に入国許可をしてくれないのだ。


一般の観光ビザを取るためには、トルクメニスタン国内からのインビテーション(招待状)が必要な上に、滞在期間中の全ての旅程を提出しなければならない。日本からのツアー旅行ならともかく、僕らのバックパッカー軍団にはそんなのまず無理だ。明日泊まるところも決まってないっつーのに。

じゃあどのように入国するのかというと、トランジット(通過)ビザを取るという手がある。これなら比較的簡単にビザを取得できるのだが、それでもやはり手続きは面倒だ。


トランジット、つまりは「その国を通過して第3国に抜けるためのビザ」なので、滞在できる期間は非常に短い。トルクメニスタンの場合、なんとたったの5日しか滞在できない。そしてその5日をうっかり越えてしまおうものなら、出頭して裁判所に行かなければならない上に、多額の罰金が科せられる。これはシャレにならない。

さらにこのビアを申請するためには、トルクメニスタンから先のビザを取得していなければいけないのだ。僕の場合はトルクメニスタンの次はウズベキスタンに入る予定だったので、まず最初にウズベキスタンのビザを取り、それからトルクメニスタンのビザを申請するという煩雑さだ。しかも両国とも共に1週間程度の申請期間を要するので、その間は足止め状態となる。まったくも~!である。


などなど、そんな面倒な手続きをこなしてようやくトルクメニスタンのビザをゲット!そして6月4日早朝、意気揚々と僕はイランとトルクメニスタンの国境に向かったのであった!


途中には綺麗な花が咲き乱れ・・・(これはまだイラン側)


なかなかに雄大な景色の中を走り・・・(これもまだイラン側)


そしてようやくイランとトルクメニスタンの国境へ!(国境付近は写真撮影は禁止なので、その手前のバスの写真を1枚)



国境越えはまーまー順調だった。少々時間はかかったが、そんなのは想定の範囲内。この日僕はあと3人の日本人と行動していたのだが、3人とも大きなトラブルなくトルクメニスタン側に入ることが出来た。


そう、そこまではよかったのだ。そこまでは・・・。


問題は、国境を越えてからだったのだ!

トルクメニスタンとイランの国境線には「緩衝地帯」なるものがあるらしく、国境から街中の手前のポイントまで専用のミニバスが走っている。公共の交通機関でやって来た旅人はこのバスに乗るしかないのだが、ここで謎のトラブルが発生!


そう、まさに「トルクメニスタンの驚愕Vol,1」である!(国境なので写真は撮れませんでした・・・。)


それはとっても簡単な話。バスが来ない、来ない、来ない!

待てでも暮らせどもバスが来ないのだ。

いや、正確に言うとバスはやっては来るのだが、何故か全然人を乗せないで帰っていくだけ。もう意味不明だ。

そしてたまに人を乗せるのかと思いきや、バスを待っているトルクメニスタン人のおばちゃん達の「超スーパー押し合いへし合いバスの座席取り合い合戦」が始まるのである!国境なので写真を撮ることが出来なかったのが本当に残念だが、もうルールもマナーも順番もクソもない。他人への気遣いなんてまるでない。まさに「戦場」のようだった!


初めてそれを見たとき、僕たちは一同唖然とした。そして正直思った。

「この国の国民はアホなのか・・・?」

そして危機感も感じた。

「いかん、このままではマジで国境を離れられないぞ。これはマズイ!」


国境を抜けてから、時間はすでに2時間を経過していたと思う。全然来ないバスに、ようやく来ては引き返すだけの謎のバス。そんなことを繰り返しているうちに、時間だけが経っていく。

国境の職員や軍人に話してみるが、英語は基本まったく通じないので無意味。しかもみんな不愛想!マジでムカつくぜこいつら!あ~写真撮ってやりたかった!

たまに話が通じたかと思えば、結局みんな答えは「バスを待て」。だからずっと待ってんだよ!もう何時間経ってると思ってんだ!このクソが!

車で国境を越えている人もいるので、ヒッチハイクを試みようともした。しかし車が走るゾーンに行こうとすると、マシンガンを持った兵士が止めてくる。事情を話してもまったく通じず。こりゃもうお手上げですわ・・・。


※翌日に撮ったトルクメニスタンの軍人とのツーショット!これは貴重かも?



そんな絶望的な状況の中、ようやくバスがやって来た!

今までは遠慮していた、僕たちは外国人だし、僕たちより先に待っている人もいたし。

でももう関係ねぇ!もう俺らの順番だ!良い人を演じていたら、いつまで経ってもこの場所を離れることが出来ねぇ!

りくるおばちゃん達のプレッシャーを押しのけ、僕ともう1人の身体のデカい日本人で入り口をブロックし、まず席を確保する。そして強引に席に座る!


相手がお年寄り?外国人なのに?知るかそんなの!そんな悠長なことを言っていたら、今日は国境でテント泊だわ!

そんな状況だった。国境では次々と別のトルクメニスタン人のおばちゃん達がイランからやって来るし、良い人を演じていられる状況ではなかったのだ。


何時間奮闘しただろうか・・・ようやく、ようやく!僕たちはバスの席を確保できたのだった!

国境を越えてから3時間近く経っていたと思う。これまでいくつもの国境を越えて来た僕であるが、こんなに長く足止めを食らったのは初めてだ。

さすがは「中央アジアの北朝鮮」トルクメニスタン。一筋縄ではいかせてくれねぇみてぇだな、このやろーめ!そんならそれで上等だ!こっちだって苦労してビザを取ったんだ、とことん楽しんでやるぜ!


ちなみにこのバス、地元民は無料なのに、外国人からはしっかりお金を取るんですよね。こーゆーところがムカつく!僕らは1人10マナト(約370円)だったのですが、他の人のブログによると30マナト請求された人もいるそうだし、まぁラッキーとするしかないのだが・・・。


そして緩衝地帯を抜け、首都のアシガバードに程近い謎のポイント(バスターミナルというかタクシースタンドというか?)に辿り着いた。そこで別のタクシーを見つけていよいよ市内へ向かったのだが、そこでも「トルクメニスタンの驚愕」が待ち受けていたのだった・・・!


※相変わらず写真が好きな人々!なんでかな?



2014年6月7日。テラスからの景色がハンパなく気持ちがいい、ウズベキスタン南部の街ヒバの安宿にて。



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ふじもん世界一周「放学記」第7章アジア編 『中央アジアの北朝鮮』トルクメニスタン珍道中!Vol,1

2014-06-07 03:34:50 | 日記
2014年6月6日。


《通称『中央アジアの北朝鮮』トルクメニスタン・・・いやね、凄いですよこの国は!もうワラけてきますよ!あまりに色々あったので、今回から数回に渡って「トルクメニスタン珍道中」をお伝えしたいと思います~!》


中央アジアの国々と言えば「~スタン」と付く国が有名だ。しかしそれらの国の内情は、日本人にはほとんど知られていないだろう。

その中でも最も知られていない国の1つが「トルクメニスタン」ではないだろうか。この国にはこんなニックネームがある。「中央アジアの北朝鮮」であると・・・!


さて、そんなトルクメニスタンなのだが、何が大変ってまずはビザを取るのが大変!簡単に入国許可をしてくれないのだ。


一般の観光ビザを取るためには、トルクメニスタン国内からのインビテーション(招待状)が必要な上に、滞在期間中の全ての旅程を提出しなければならない。日本からのツアー旅行ならともかく、僕らのバックパッカー軍団にはそんなのまず無理だ。明日泊まるところも決まってないっつーのに。

じゃあどのように入国するのかというと、トランジット(通過)ビザを取るという手がある。これなら比較的簡単にビザを取得できるのだが、それでもやはり手続きは面倒だ。


トランジット、つまりは「その国を通過して第3国に抜けるためのビザ」なので、滞在できる期間は非常に短い。トルクメニスタンの場合、なんとたったの5日しか滞在できない。そしてその5日をうっかり越えてしまおうものなら、出頭して裁判所に行かなければならない上に、多額の罰金が科せられる。これはシャレにならない。

さらにこのビアを申請するためには、トルクメニスタンから先のビザを取得していなければいけないのだ。僕の場合はトルクメニスタンの次はウズベキスタンに入る予定だったので、まず最初にウズベキスタンのビザを取り、それからトルクメニスタンのビザを申請するという煩雑さだ。しかも両国とも共に1週間程度の申請期間を要するので、その間は足止め状態となる。まったくも~!である。


などなど、そんな面倒な手続きをこなしてようやくトルクメニスタンのビザをゲット!そして6月4日早朝、意気揚々と僕はイランとトルクメニスタンの国境に向かったのであった!


途中には綺麗な花が咲き乱れ・・・(これはまだイラン側)


なかなかに雄大な景色の中を走り・・・(これもまだイラン側)


そしてようやくイランとトルクメニスタンの国境へ!(国境付近は写真撮影は禁止なので、その手前のバスの写真を1枚)



国境越えはまーまー順調だった。少々時間はかかったが、そんなのは想定の範囲内。この日僕はあと3人の日本人と行動していたのだが、3人とも大きなトラブルなくトルクメニスタン側に入ることが出来た。


そう、そこまではよかったのだ。そこまでは・・・。


問題は、国境を越えてからだったのだ!

トルクメニスタンとイランの国境線には「緩衝地帯」なるものがあるらしく、国境から街中の手前のポイントまで専用のミニバスが走っている。公共の交通機関でやって来た旅人はこのバスに乗るしかないのだが、ここで謎のトラブルが発生!


そう、まさに「トルクメニスタンの驚愕Vol,1」である!(国境なので写真は撮れませんでした・・・。)


それはとっても簡単な話。バスが来ない、来ない、来ない!

待てでも暮らせどもバスが来ないのだ。

いや、正確に言うとバスはやっては来るのだが、何故か全然人を乗せないで帰っていくだけ。もう意味不明だ。

そしてたまに人を乗せるのかと思いきや、バスを待っているトルクメニスタン人のおばちゃん達の「超スーパー押し合いへし合いバスの座席取り合い合戦」が始まるのである!国境なので写真を撮ることが出来なかったのが本当に残念だが、もうルールもマナーも順番もクソもない。他人への気遣いなんてまるでない。まさに「戦場」のようだった!


初めてそれを見たとき、僕たちは一同唖然とした。そして正直思った。

「この国の国民はアホなのか・・・?」

そして危機感も感じた。

「いかん、このままではマジで国境を離れられないぞ。これはマズイ!」


国境を抜けてから、時間はすでに2時間を経過していたと思う。全然来ないバスに、ようやく来ては引き返すだけの謎のバス。そんなことを繰り返しているうちに、時間だけが経っていく。

国境の職員や軍人に話してみるが、英語は基本まったく通じないので無意味。しかもみんな不愛想!マジでムカつくぜこいつら!あ~写真撮ってやりたかった!

たまに話が通じたかと思えば、結局みんな答えは「バスを待て」。だからずっと待ってんだよ!もう何時間経ってると思ってんだ!このクソが!

車で国境を越えている人もいるので、ヒッチハイクを試みようともした。しかし車が走るゾーンに行こうとすると、マシンガンを持った兵士が止めてくる。事情を話してもまったく通じず。こりゃもうお手上げですわ・・・。


※翌日に撮ったトルクメニスタンの軍人とのツーショット!これは貴重かも?



そんな絶望的な状況の中、ようやくバスがやって来た!

今までは遠慮していた、僕たちは外国人だし、僕たちより先に待っている人もいたし。

でももう関係ねぇ!もう俺らの順番だ!良い人を演じていたら、いつまで経ってもこの場所を離れることが出来ねぇ!

りくるおばちゃん達のプレッシャーを押しのけ、僕ともう1人の身体のデカい日本人で入り口をブロックし、まず席を確保する。そして強引に席に座る!


相手がお年寄り?外国人なのに?知るかそんなの!そんな悠長なことを言っていたら、今日は国境でテント泊だわ!

そんな状況だった。国境では次々と別のトルクメニスタン人のおばちゃん達がイランからやって来るし、良い人を演じていられる状況ではなかったのだ。


何時間奮闘しただろうか・・・ようやく、ようやく!僕たちはバスの席を確保できたのだった!

国境を越えてから3時間近く経っていたと思う。これまでいくつもの国境を越えて来た僕であるが、こんなに長く足止めを食らったのは初めてだ。

さすがは「中央アジアの北朝鮮」トルクメニスタン。一筋縄ではいかせてくれねぇみてぇだな、このやろーめ!そんならそれで上等だ!こっちだって苦労してビザを取ったんだ、とことん楽しんでやるぜ!


ちなみにこのバス、地元民は無料なのに、外国人からはしっかりお金を取るんですよね。こーゆーところがムカつく!僕らは1人10マナト(約370円)だったのですが、他の人のブログによると30マナト請求された人もいるそうだし、まぁラッキーとするしかないのだが・・・。


そして緩衝地帯を抜け、首都のアシガバードに程近い謎のポイント(バスターミナルというかタクシースタンドというか?)に辿り着いた。そこで別のタクシーを見つけていよいよ市内へ向かったのだが、そこでも「トルクメニスタンの驚愕」が待ち受けていたのだった・・・!


※相変わらず写真が好きな人々!なんでかな?



2014年6月7日。テラスからの景色がハンパなく気持ちがいい、ウズベキスタン南部の街ヒバの安宿にて。



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