京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

京の暮らし(9)小寒、大寒 

2021-01-15 17:13:46 | 美術・博物館


 散策自粛生活に入っていますが、今日は朝から良い天気に恵まれ、気温も上昇、最高気温は14.8度でした。
年明けの寒さがうそのような春の暖かい陽射しです。
絶好の散策日和でしたが残念です。
 日中、遅い初詣と健康維持にと近所の散歩に出かけました。
本来なら初詣は八坂神社ですが、今年は人出の多い八坂さんはやめにしました
元旦から2週間過ぎたせいか、お参りするのは私一人、健康祈願です。
 
 午前中はパン作りです。
パン作りは定年退職前から初めていました。
 毎朝の固めのフランスパンに加え、孫たちがくればあんパンや惣菜パン、ピザなど一通り作ってきました。
 しかし3,4年ほど前から散策に時間がかかり、手作りの時間なくなり、ホームベーカリーに頼るようになりました。
 毎日の朝食パンと私の昼のサンドイッチはいまでも私が作っています。
今日はみかんの缶詰が残っていたので、みかんの無塩食パンを作ってみました。
材料は強力粉、砂糖、塩なし、無塩バター、スキムミルク、卵、缶詰のみかん(シロップなし)、ドライイーストです。
 いつも通りふっくら、おれんじ色に膨らみましたが、味は少しみかんは感じるものの、甘味がもう少しあっても良かったです。少し改良が必要です。
 最近良く作るココアパンのほうが格段においしいです。
 明日は抹茶パンにチャレンジしてみます。
 抹茶の風味が出せるでしょうか。また報告します。


『京(みやこ)のくらし―二十四節気を愉しむ』

京都国立近代美術館 2020.07.23 thu. - 09.22 tue

 日本はくらしを彩る芸術の中に、巧みに自然を取り入れてきました。
京都もくらしと自然、芸術が密接な関係を築いてきた街として、人々を魅了してきました。
 美術館所蔵作品で綴る二十四節気の京都のくらしです。


小寒 SHOKAN 
1月5日〜1月19日ごろ
寒の入り。京の底冷えが身に沁みる候。
初ゑびす、小正月と続いて、新年の華やぎも幕を下ろす。
川鳥が鴨川を舞い飛び、東山がうっすらと雪化粧する。
九条ネギや餡かけ、蒸しもので、都人は冬の寒さを紛らす。


木村雨山 友禅着物 昭和40代





麻田辨自 『暮雪』 昭和55
明治時代から昭和時代にかけての日本画家、版画家(1900年- 1984年)。
長男は日本画家の麻田鷹司、次男は洋画家の麻田浩。
西村五雲に師事する。日本画のほか創作版画も手がけ、戦後は的確な表現により風景画に新境地を開いた。
日展理事・審査員。芸術院賞受賞。京都市文化功労者。京都府美術功労者。昭和59年(1984)歿、84才。









谷角日沙春 『葉ぼたんと現代少女』 昭和24
日本画家。兵庫県生。名は久治。別号に雪斎・日娑春等。はじめ立脇泰山に、のち京都へ出て菊池契月に師事。
遊女をモデルとしたかげりのある女性を描き注目を集め、さらに契月風の新古典主義的で端正な画風に転じ、帝展・文展に活躍する。
対象をデフォルメした構成画の様式を取り入れる一方、晩年は画壇を離れ、仏画に転じて大作を製作した。昭和46年(1971)歿、78才。









浜田庄司 海鼠釉黒流描大鉢 昭和37





大寒 DAIKAN 
1月20日〜2月3日ごろ
夜明け前が一番暗いのと同じく、立春前が一番寒い。
底冷えに身体を震わせながら、やがて訪れる春を待つ。
暦上の最後の行事が節分祭。
多くの都人は吉田神社を目指す。
一年の邪気を祓い、心新たに立春を迎える。


大寒 DAIKAN
吉田源十郎 南天棚 昭和11





荒川豊蔵 黄瀬戸花入 昭和42





河合卯之助 呉須赤繪南天水指 [不詳]





森田子龍 凍 昭和32





大西 茂 冬鏡 昭和30
大西 茂 凍結 昭和30





山口 薫 氷湖(小さい氷湖) 昭和37





千種掃雲 『つれづれの日』 明治42
1873-1944 明治-昭和時代前期の日本画家。
明治6年7月16日生まれ。竹内栖鳳(せいほう)に日本画を,浅井忠に洋画をまなぶ。
明治39年日本画の革新をめざして丙午画会を結成。文展にも出品。
大正4年より京都高等工芸でおしえた。昭和19年10月16日死去。72歳。京都出身。本名は顕男
。作品に「八丈島」「上賀茂の初夏」など。












京の暮らし(8)大雪、冬至

2021-01-14 18:07:47 | 美術・博物館


『京(みやこ)のくらし―二十四節気を愉しむ』

京都国立近代美術館 2020.07.23 thu. - 09.22 tue

 日本はくらしを彩る芸術の中に、巧みに自然を取り入れてきました。
京都もくらしと自然、芸術が密接な関係を築いてきた街として、人々を魅了してきました。
 美術館所蔵作品で綴る二十四節気の京都のくらしです。


大雪 TAISETSU 
12月7日〜12月21日ごろ
さすがに師走に入ると、冬到来を実感する。
比叡おろしが吹き、花街祗園では正月事始めが行われ、ひと足早く正月気分。
名残の紅葉を見おさめて、蕪蒸しで身体を中から温める。
京も冬本番。


小松均 『もや』 昭和5熱帯













堂本印象 『冬朝』 昭和7
京都市生れ(1891年 - 1975年)の日本画家。帝室技芸員。日本芸術院会員。
1910年(明治43年)、京都市立美術工芸学校卒業後西陣織の図案描きの仕事をしていたが、日本画家を志して京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)に入学。
1919年(大正8年)、帝展初出展作「深草」が入選した。帝展第3回展では「調鞠図」で特選、第6回展に出展した「華厳」は帝国美術院賞を受賞するなど第一級の日本画家として認められた。
1936年(昭和11年)京都市立絵画専門学校教授。1944年(昭和19年)7月1日帝室技芸員。1950年(昭和25年)日本芸術院会員。
1961年(昭和36年)文化勲章
戦後、抽象表現や障壁画の世界にも活躍の場を広げ、国際展覧会に多くの作品を出展するなど国際的にも活躍。
1963年(昭和38年)には大阪カテドラル聖マリア大聖堂 に壁画『栄光の聖母マリア』を描いた功績により当時のローマ教皇ヨハネス23世より聖シルベストロ文化第一勲章を受章した。









織田一磨 京都風景:清水寺 大正14|
1882年(明治15年) - 1956年(昭和31)、明治期から昭和期の芸術家、版画家。
著名な実績 石版画・木版画
代表作 『東京風景』・『大阪風景』
洋画を川村清雄、石版画をオットマン・スモリック、金子政次郎に学ぶ。
「自画石版の織田一磨」として知られる。
主な作品は東京国立近代美術館などに収められている。





十五代 樂吉左衞門 萩焼茶碗「看雪」 平成27





WN24野島康三 雪 昭和17





須田国太郎 『野菜』 昭和15頃
京都出身(1891年 - 1961年)の洋画家。
京都市立美術大学名誉教授。重厚な作風と東西技法の融合に特色。





小林古径 『蔬菜』 昭和18
1883年(明治16年) - 1957年(昭和32年)、大正~昭和期の日本画家。
代表作「髪」は、このような古径の線描の特色をいかんなく発揮した名作。
簡潔に力強く描かれた線と単純な色彩で、髪の毛一本一本や美しく縁取られた顔の輪郭、半裸の女性の体温や皮膚の柔らかい感触まで、繊細に描き出している。
「髪」は、裸体画として、日本で初めて切手のデザインとなった。
1935年(昭和10年)、帝国美術院会員。1944年(昭和19年)、東京美術学校教授に就任。同年7月1日帝室技芸員となる。
1950年(昭和25年)、文化勲章受章。









松風栄一 染付花瓶「風雪」 [不詳]





鈴木治 『雪の中の馬』 昭和48年





冬至 TOJI 10
12月22日〜1月4日ごろ
一年で最も夜が長くなる、陰の極み。
ここから陽に転じるので、一陽来復ともいう。
柚子湯に冬至かぼちゃ、冬至粥。いずれも厄払い。
冬の夜長に愉しみは多い。
年越しから正月。
このころの京都には独特の空気が流れる。


北大路魯山人 『染付花鳥花入』 昭和14頃
京都生まれ、1883年〈明治16年〉 - 1959年〈昭和34年〉)日本の芸術家。本名は北大路 房次郎。
晩年まで、篆刻家・画家・陶芸家・書道家・漆芸家・料理家・美食家などの様々な顔を持っていた。




安藤十兵衛 竹に雀図七宝花瓶 明治~大正時代





安藤緑山 『蜜柑』 牙彫置物 大正~昭和初
大正から昭和初期の彫刻家(1885年- 1959年)
本物と見紛うばかりのその造形のリアルさ、根元から生えた根の生き生きとした艶、隙間まで再現した極めて薄い皮の作りは圧巻です。
安藤緑山の作品における最大の特徴が「色付け」です。





三谷十糸子 『露店』 昭和4年

















清水南山 獅子文小箱 昭和3






二十代 堆朱楊成 紅花緑葉獅子香盆 大正8





安藤緑山 『仏手柑 牙彫』 大正~昭和初
大正から昭和初期の彫刻家(1885年- 1959年)
本物と見紛うばかりのその造形のリアルさ、根元から生えた根の生き生きとした艶、隙間まで再現した極めて薄い皮の作りは圧巻です。
安藤緑山の作品における最大の特徴が「色付け」です。





池田満寿夫 『二重富士』 平成8
生没年1934年- 1997年。
日本の画家・版画家・挿絵画家・彫刻家・陶芸家・作家・映画監督などの従来の芸術の枠にとどまらず多彩に活躍した芸術家。
エロスの作家といわれるように、官能的な作風が多い。
しかし、多岐にわたる活動、多才がゆえに“池田芸術”は高い知名度のわりに現在でもなかなか正当に評価されていない。





森村泰昌 『フィンガー・シェトロン(ノジマ)』1ー4





今尾景年 『老松孔雀図』 大正5
京都生まれ(弘化2年 - 大正13年(1924年)の日本の明治から大正にかけて活躍した四条派の日本画家。
色彩豊かな花鳥画を得意とし、「綺麗濃褥」と評された。









長谷川一清 『孔雀置物』 明治時代
金工 (生没年不詳)
明治から大正期にかけて東京・浅草で活躍した金工家の長谷川一清(玉東斎)による置物。
1893年のシカゴ・コロンブス博覧会や1900年のパリ万国博覧会、1905年のリエージュ万国博覧会等に出品するなど日本を代表する金工家として世界での評価も高い。
本作は高い彫金技術による雌雄の孔雀が迫真的に表現された佳品である。





安藤緑山 『三茄子 牙彫置物』 大正~昭和初
大正から昭和初期の彫刻家(1885年- 1959年)
本物と見紛うばかりのその造形のリアルさ、根元から生えた根の生き生きとした艶、隙間まで再現した極めて薄い皮の作りは圧巻です。
安藤緑山の作品における最大の特徴が「色付け」です。





小倉建亮 訪問着「夢」 昭和39





稲垣稔次郎 型染壁掛『東寺の縁日』 昭和27年頃













水越松南 『一陽来復』 昭和23年










板谷波山 『朝陽磁鶴首花瓶』 昭和13年





安藤緑山 『三茄子』牙彫置物 大正~昭和初期









京の暮らし(7)立冬、小雪

2021-01-13 17:17:42 | 美術・博物館



『京(みやこ)のくらし―二十四節気を愉しむ』
  京都国立近代美術館 2020.07.23 thu. - 09.22 tue

 日本はくらしを彩る芸術の中に、巧みに自然を取り入れてきました。
京都もくらしと自然、芸術が密接な関係を築いてきた街として、人々を魅了してきました。
 美術館所蔵作品で綴る二十四節気の京都のくらしです。

立冬 RITTO 
11月7日〜11月21日ごろ
11月に入ったばかりというのは、感覚的には晩秋だが、暦の上では冬。火が恋しくなるころ。
お火焚祭が都大路のあちこちで行われる。
炉も開かれ、茶人正月とも呼ばれる候。
どの店の亥の子餅にするか。大いに迷う。


吹田草牧 『醍醐寺泉庭』 昭和3
1890-1983 大正-昭和時代の日本画家。
洋画から日本画に転向し、竹内栖鳳、土田麦僊にまなぶ。
大正7年文展で「山村に春近し」が初入選。
翌年からは国画創作協会展に,昭和4年から帝展に出品。





徳岡神泉 『蕪』 昭和33
京都生まれ(1896年 - 1972年)の京都市生まれの日本画家。
京都写生派の流れに立った写実を発展させ、神泉様式とも表現される幽玄かつ象徴的な独自の日本画は、戦後の日本画に大きな影響を与えた。
作品全体に深い印象を与える繊細な地塗りも有名。
1966年(昭和41年)文化勲章受章。






蕪 1958 昭和33
「唯ひとつの蕪が置かれてある。じっと見ていると何か不思議な力強さと息吹きさえ感じる。そしてこの物の中に宇宙のあらゆるものが凝集している。」自作を語る




川西 英 『栂尾紅葉』 昭和14
兵庫県生まれ(1894年 - 1965年 )の日本の版画家、画家。
1937年(昭和12年)に出版された『神戸百景』はエキゾチックな都市風景と風俗を描いた作品で、彼の代表作。
版画家の川西祐三郎(1923-)は、川西英の三男である。





都路華香 『白雲紅樹』 大正3頃
京都出身(明治3年12月23日(1871年) - 昭和6年(1931年)の日本の明治時代から昭和時代かけて活躍した日本画家。
幸野楳嶺の弟子で、菊池芳文、竹内栖鳳、谷口香嶠とともに楳嶺門下の四天王と呼ばれた。










北大路魯山人 『雲錦手大鉢』 昭和33
京都生まれ、1883年〈明治16年〉 - 1959年〈昭和34年〉)日本の芸術家。本名は北大路 房次郎。
晩年まで、篆刻家・画家・陶芸家・書道家・漆芸家・料理家・美食家などの様々な顔を持っていた。





石川光明 『蓮根に蛙 牙彫置物』 明治時代





芹沢銈介 型染立樹文着物 昭和43





堀内正和 エヴァからもらった大きなリンゴ 昭和41





坂本繁二郎 『林檎と馬鈴薯』 昭和15
福岡県生まれ(1882年 - 1969年)の明治後期~昭和期の洋画家。
第二次大戦後は梅原龍三郎、安井曾太郎と並ぶ洋画会の巨匠と見なされるようになる。
1954年毎日美術賞、1956年文化勲章を受章。
坂本は代表作『水より上がる馬』をはじめとして馬の絵をよくしたが、第二次大戦後の柿、栗などの静物や能面をモチーフにした作品、最晩年の月を題材にした作品もそれぞれ独自の境地を開いた。





小雪 SHOSETU 
11月22日〜12月6日ごろ
清明と同じく、京都の街が最も賑わう候。
お目当てはもちろん紅葉。
名所はどこも人であふれ、駅の中は大混雑。
寒さを感じるいとまもない。
街中の小さな隠れ古寺。
築地塀から顔を覗かせる紅葉が、凛として美しい。


織田一磨 京都風景:加茂川 大正14
1882年(明治15年) - 1956年(昭和31年)、明治期から昭和期の芸術家、版画家。
洋画を川村清雄、石版画をオットマン・スモリック、金子政次郎に学ぶ。
「自画石版の織田一磨」として知られる。主な作品は東京国立近代美術館などに収められている。






麻田辨自 曲水 昭和44
京都生まれ(1900年(明治33年) - 1984年(昭和59年))の明治時代から昭和時代にかけての日本画家、版画家。
長男は日本画家の麻田鷹司、次男は洋画家の麻田浩。





竹内栖鳳 枯野の狐 明治30
京都出身(1864年 - 1942年)の戦前の日本画家。
近代日本画の先駆者で画歴は半世紀に及び、戦前の京都画壇を代表する大家。
帝室技芸員。第1回文化勲章受章者。
動物を描けば、その匂いまで描くといわれた達人であった。










今井憲一 色葉 昭和16






加藤 鈔 花器「稜」 昭和39





バーナード・リーチ 楽焼大皿「兎」 大正9





加藤土師萌 碧釉木兎文鉢 昭和36










香取秀真 木菟香炉 昭和23





香取秀真 みみずく香炉 昭和28











京の暮らし (6)寒露、霜降

2021-01-12 20:17:12 | 美術・博物館


『京(みやこ)のくらし―二十四節気を愉しむ』
  京都国立近代美術館 2020.07.23 thu. - 09.22 tu

 日本はくらしを彩る芸術の中に、巧みに自然を取り入れてきました。
京都もくらしと自然、芸術が密接な関係を築いてきた街として、人々を魅了してきました。
 美術館所蔵作品で綴る二十四節気の京都のくらしです。


寒露 KANRO 
10月8日〜10月22日ごろ
10月に入ると、涼しい、は、寒い、に替わる。
草木に露が降り、空気が静まってゆく候。
稔りの秋の始まりでもあり、そろそろ稲刈りも終わる。
秋野菜も出回りはじめ、いよいよ食欲の秋到来。
燗酒が恋しくなるころでもある。


上野リチ・リックスプリント・デザイン(菊(白黒)) 昭和10-19
上野リチ・リックスプリント服地・スカーフ用布地デザイン(花畑) 昭和10-19





小林清親 『柘榴に葡萄』 [不詳]
1847年9月10日〈弘化4〉- 1915年〈大正4年〉)明治時代の浮世絵師。
「最後の浮世絵師」と呼ばれる。





近藤悠三 『柘榴染付壷』 昭和50頃
京都市清水寺下出身(1902年- 1985年)の陶芸家。
1977年に人間国宝に認定。本名は近藤雄三。染付の悠三で知られる。





岸田劉生 『童女と菊花』 大正9
東京生まれ(1891年 - 1929年1)の大正から昭和初期の洋画家。父親はジャーナリストの岸田吟香。
重要文化財として名高い「麗子像」を描いた。
肖像画や風景画、また静物画など、あくまで写実に基礎を置きながらも独自の美意識をもって数々の傑作を生み出した。
日本近代美術史を代表する屈指の天才画家としての評価を受ける。






浜口陽三 8つのくるみ 昭和52






香川勝廣 菊花図花瓶 明治時代





三代 田畑喜八 友禅菊華文振袖 大正末





池田洛中 『ダリア』 大正14頃
京都生の日本画家。堂本印象に師事し、文展で活躍。
花鳥画に優れた。昭和57年(1982)歿、78才。





竹内栖鳳 『海幸』 昭和14
京都出身(1864年 - 1942年)の戦前の日本画家。
近代日本画の先駆者で画歴は半世紀に及び、戦前の京都画壇を代表する大家。
帝室技芸員。第1回文化勲章受章者。
動物を描けば、その匂いまで描くといわれた達人であった。









冨田渓仙 『うづまさ牛祭』 大正9
明治から昭和初期に活躍した日本画家(1879年 - 1936年)
狩野派、四条派に学んだが、それに飽きたらず、仏画、禅画、南画、更には西洋の表現主義を取り入れ、デフォルメの効いた自在で奔放な作風を開いた。













森 寛斎 『鵞鳥』 明治時代
文化11年(1814年) - 明治27年(1894年)、日本の幕末から明治時代に京都を中心に活躍した絵師、日本画家。
森狙仙、森徹山、森一鳳・寛斎と続く森派の絵師。
若い頃は攘夷運動に熱中したのとは裏腹に、温和で情趣的な画風で、「明治の応挙」と評された。






安藤十兵衛 葉鶏頭図花瓶 明治~大正時代





並河靖之 『七宝菊文煙草入』 明治後期
弘化2年(1845年) - 昭和2年(1927年)、日本の七宝家。
明治期の日本を代表する七宝家の一人で、京都を中心に活躍。
近代七宝の原点である有線七宝にこだわり続けてこれを極め、東京で活動した無線七宝を得意とするライバルの濤川惣助と共に、二人のナミカワと評された。





呉藤友乗 朱菊盤 昭和38





白山松哉 菊文蒔絵棗 明治~大正時代





AT60六角紫水 蝶菊花文香合 [不詳]



霜降 SOKO 
10月23日〜11月6日ごろ
朝早く、鴨川堤を散歩すれば、お日さまを受けて、河原の芝生が白く輝いているのに気付く。
霜が降りれば、吐く息も白くなり、澄み渡った空気に身が引き締まる。
短い秋のはじまり。葉もそろそろと色付く。


北脇 昇 『秋の驚異』 昭和20頃
日本のシュルレアリスムの画家(1901年 - 1951年)






梅原龍三郎 『洛北八瀬の秋』 明治40
京都出身(1888年 - 1986年)の日本の洋画家。
1914年(大正3年)までは梅原 良三郎を名乗った。
ヨーロッパで学んだ油彩画に、桃山美術・琳派・南画といった日本の伝統的な美術を自由奔放に取り入れ、絢爛な色彩と豪放なタッチが織り成す装飾的な世界を展開。
昭和の一時代を通じて日本洋画界の重鎮として君臨した。





新井謹也 『等持院秋庭』 明治43
1884-1966 明治-昭和時代の洋画家,陶芸家。
浅井忠に師事し、聖護院洋画研究所,関西美術院に学ぶ。関西美術会展に出品。
明治43年土田麦僊らの黒猫会結成に参加。大正9年以降は作陶にはげみ,白磁に染付で模様をあらわしたものを好んだ。





加藤源之助 『三条大橋』 明治37
京都出身(1880年~1946年)
伊藤快彦の私塾鐘美会で洋画を学ぶ。翌年浅井忠の来京を機に師事する。
1903年聖護院洋画研究所が発足、ここに入り引き続き浅井に学1904年,1906年関西美術会の水彩画部門で一等賞を受ける。






久保田米僊 『蔦もみじ』 明治18
京都出身(嘉永5年2月25日(1852年) - 明治39年(1906年)、明治時代の日本画家、画報記者。
明治22年(1889年)私費でフランスに渡り、パリ万国博覧会に「水中遊漁」で金賞を受賞、ギメ東洋美術館に「年中行事絵巻」を寄贈してローヤル・アカデミー賞を贈与される。





冨田渓仙 『大原女図』 大正15
明治から昭和初期に活躍した日本画家(1879年 - 1936年)
狩野派、四条派に学んだが、それに飽きたらず、仏画、禅画、南画、更には西洋の表現主義を取り入れ、デフォルメの効いた自在で奔放な作風を開いた。





井上永悠 鶉 昭和30頃
明治30年(1897)~昭和53年(1978)京都府現宮津市生まれ。本名慎太郎。
大正6年(1917)京都市立美術工芸学校卒業、京都市立絵画専門学校に進み、戦後は個展を中心に細密描写を発表。








北原千鹿 鶉文金彩壺 昭和13





中野弘彦 『ある晩秋の日』 平成10年


















船越春眠 『龍眼柿香盒』 昭和11年






安藤緑山 『柿 牙彫置物』 大正~昭和初期





清水卯一 柿釉壺 昭和38





石黒宗麿 柿釉金彩鉢 昭和43






高村豊周 朱銅花瓶「晩秋」 昭和46










京の暮らし(5)白露、秋分、

2021-01-11 07:27:58 | 美術・博物館


『京(みやこ)のくらし―二十四節気を愉しむ』
  京都国立近代美術館 2020.07.23 thu. - 09.22 tue

 日本はくらしを彩る芸術の中に、巧みに自然を取り入れてきました。
京都もくらしと自然、芸術が密接な関係を築いてきた街として、人々を魅了してきました。
 美術館所蔵作品で綴る二十四節気の京都のくらしです。

白露 HAKURO 
9月7日〜9月22日ごろ
秋の気配が濃くなる候。
夏の風物詩ながら、鴨川の床店に行くなら、この時期がお奨め。
秋風を頬に受けながら、落ち鮎や名残鱧に舌鼓を打つ。
東山に月でも浮かべば何も言うことはない。
鴨川の流れもゆく夏を惜しむ。


五代 清水六兵衞 『色絵秋草手焙』 昭和15
4代の長男、のち清水六和。清水の読みを「きよみず」に改めました。





伊谷賢蔵 『南瓜などの静物』 昭和34
鳥取県鳥取市出身(1902年- 1970年)の洋画家。
黒田重太郎に師事、戦後向井潤吉らの画友とともに行動美術協会を創設して活躍する一方、京都学芸大学美術家主任教授、京都精華短大教授を歴任して後進の育成に当たった。





田中善之助 『萩と茶屋』 明治40頃
京都出身(1889-1946)の明治から昭和時代前期の洋画家。





上村松園 『虹を見る』 昭和7
明治の京都下京に生まれ育ち(1875年- 1949年)、女性の目を通して「美人画」を描いた。
1948年(昭和23年)女性として初めて文化勲章を受章。子の上村松篁、孫の上村淳之と3代続く日本画家である。













鏑木清方 菊花節 昭和17





山口華楊 『白露』 昭和49
京都出身(1899年 - 1984年)の日本画家。
写生中心の画風で、動物画を得意とした。本名は米次郎。画壇に貢献。
色鮮やかな背景に描く花鳥画は今でも人の目を引く。
1980年(昭和55年) - 文化功労者、1981年(昭和56年) - 文化勲章受章





藤井達吉 鶏頭文乱箱 [不詳]





増田三男 銀象嵌鉄鴫文箱 昭和42





岩田久利 焔 昭和55





秋分 SHUBUN 
9月23日〜10月7日ごろ
春分と同じく、昼と夜の長さが、ほぼ同じになる日。
ここから秋の夜長がはじまる。
秋の彼岸を彩るのは曼珠沙華。
舌を喜ばせるのは〈おはぎ〉。春は牡丹で〈ぼたもち〉。
秋は萩で〈おはぎ〉。素朴な菓子が秋を謳う。


長谷川 潔 『くりとかたつむり』 昭和25
神奈川県横浜市出身の版画家(1891年 - 1980年)
日本およびフランスの両国で活動した。
1918年(大正7年)にフランスへ渡り、様々な銅版画の技法を習熟。
特にメゾチント(マニエール・ノワールとも)と呼ばれる古い版画技法を復活させ、独自の様式として確立させたことで有名。
渡仏して以来、数々の勲章・賞を受けたが、一度も帰国せずにパリで没した。





六代 清水六兵衞 『古稀彩弦月壷』 昭和48
清水 六兵衛は江戸時代中期以来の清水焼陶工の名跡。
5代の長男(1901年 - 1980年)、名は清水正太郎。
1976年-文化功労者
1980年 日本橋髙島屋で開かれた「清水六兵衛歴代名陶展」の際に挨拶をしていたところ倒れ、死去。






柳下昌玕花籃 「秋風」 昭和42





結城素明 秋風 昭和初期





白山松哉棗 「稲」 [不詳]
神坂祐吉 月象之図 硯付手箱 [不詳]





神坂祐吉 『月象之図硯付手箱』 [不詳]





加藤宗厳 『しの田の森の秋宵』 昭和56年





小川千甕 『田人』 昭和3
京都出身(1882年 - 1971年)の仏画師・洋画家・漫画家・日本画家。
1913年(大正2年)から1914年(大正3年)にはヨーロッパに遊学し、帰国後は仁科展に油彩画を発表する。
日本画家の平福百穂の主催する日本画グループである珊瑚会に参加すると日本画へ移行、1921年(大正10年)には院展に日本画を出展している。
自由な表現できる日本画である「南画」を追求。
多くの作品を発表し、戦後にかけて文人への憧れから「詩書画」を多く手掛けるようになる。
















京の暮らし(4)立秋、処暑

2021-01-09 16:57:38 | 美術・博物館


『京(みやこ)のくらし―二十四節気を愉しむ』
   京都国立近代美術館 2020.07.23 thu. - 09.22 tue

 日本はくらしを彩る芸術の中に、巧みに自然を取り入れてきました。
京都もくらしと自然、芸術が密接な関係を築いてきた街として、人々を魅了してきました。
 美術館所蔵作品で綴る二十四節気の京都のくらしです。

立秋 RISSHU 
8月7日〜8月22日ごろ
暦の上では秋になるが、盆地特有の暑さはまだまだ続く。
盂蘭盆会の支度。
ご先祖さまを迎えるための迎え鐘を「六道珍皇寺」で撞くころが、京の暑さのピーク。
そして五山送り火が終わると、秋の気配が漂いはじめる。


林 司馬 『七夕』 昭和13
明治39年(1906)~昭和60年(1985)京都市に生まれる。
土田麦僊、入江波光に師事する。
京都市立芸術大学教授。嵯峨美術短期大学(現京都嵯峨芸術大学短期大学部)教授。









志村ふくみ 『着物「七夕」』 昭和35年





黒田辰秋 螺鈿瓜形棗 昭和24





川原林秀国 瓜形香炉 明治23





安井曾太郎 『桃』 昭和25
京都生まれ(1888年 - 1955年)の大正から昭和期の洋画家。
独自の日本的油彩画の様式を確立し、梅原龍三郎とともに第二次世界大戦前後を通じて昭和期を代表する洋画家と評されている。
1952年(昭和27年)には文化勲章を受章。





西村五雲 『閑日』 昭和6
京都出身の日本画家(1877年 - 1938年)
動物画を得意とし、動物の生態を生き生きと捉えるその描写は、師の竹内栖鳳を凌ぐとも評された。





十三代 今泉今右衛門 色鍋島笹輪文鉢 昭和42





河井寬次郎 鉄薬丸紋鉢(丸紋笹絵鉢) 昭和16





六代 清水六兵衞 『三彩向日葵飾皿』 昭和29
清水 六兵衛は江戸時代中期以来の清水焼陶工の名跡。
5代の長男(1901年 - 1980年)、名は清水正太郎。
1976年-文化功労者
1980年 日本橋髙島屋で開かれた「清水六兵衛歴代名陶展」の際に挨拶をしていたところ倒れ、死去。





ポール・カポニグロ 向日葵 昭和40





二代 田辺竹雲斎 秋立つ 昭和60





安藤緑山 『玉蜀黍 牙彫置物』 大正~昭和初
大正から昭和初期の彫刻家(1885年- 1959年)
本物と見紛うばかりのその造形のリアルさ、根元から生えた根の生き生きとした艶、隙間まで再現した極めて薄い皮の作りは圧巻です。
安藤緑山の作品における最大の特徴が「色付け」です。





処暑 SHOSHO 
8月23日〜9月6日ごろ
処暑の処は、おさまるという意。
ようやく暑さがおさまってくるころ。
昼間の暑さは相変わらずでも、朝晩はめっきり涼しくなり、虫のすだきも聞こえはじめる。京の街なかでは地蔵盆。
子どもながら夏の終わりを惜しむ候。


吉原治良 『朝顔等』 昭和3
1905年 - 1972年
日本の抽象画家、実業家。吉原製油社長。具体美術協会の創設者。





福田平八郎 『清晨』 昭和10
大分県出身の日本画家(1892年 - 1974年)
鋭い観察眼を基にした、対象がもつ雰囲気、美しさを抽出した表現が特徴とされる。





深見陶治 清晨 昭和59






楠部彌弌 葡萄文花瓶 昭和2





富本憲吉 色絵飾筥 昭和16





速水御舟 『秋茄子と黒茶碗』 大正10
東京生まれ(1894年 - 1935年)の大正・昭和初期の日本画家。
従来の日本画にはなかった徹底した写実、細密描写からやがて代表作『炎舞』のような象徴的・装飾的表現へと進んだ。
『名樹散椿』は昭和期の美術品として最初に重要文化財に指定された。





稲垣稔次郎 むくげと野草模様着物 昭和35





土田麦僊 『朝顔』 昭和3
新潟県生まれ( 1887年 - 1936年)の大正~昭和期の日本画家。
鈴木松年・竹内栖鳳に師事。
大正7年村上華岳・小野竹喬・榊原紫峰らと国画創作協会を結成し、同会解散後は官展で活躍。
西洋画と伝統画風を調和させた清新典雅な作品を発表し、近代日本画の好指標の一人となる。



















正阿弥勝義 『柘榴に蝉飾器』 明治時代
1832年 - 1908年、明治時代に活躍した金工家。
「超絶技巧」というべき高い技巧を誇り、精緻な彫金、高い写実力・質感表現、多様な金属による色数の多さ、光沢の美しさは、全体に技術レベルが高い明治期の彫金師の中でも一頭地を抜いている。





松田権六 蒔絵箱「赤とんぼ」 昭和44





音丸耕堂 朝顔の図彫宝石筥 昭和15










京の暮らし(3)小暑、大暑

2021-01-08 17:00:26 | 美術・博物館


 小暑から大暑の京都は大変な暑さですが、一方で7月いっぱい行われる祇園祭の時期です。
 京都の町衆が一番輝くときと言って良いでしょう。
 私の定年後生活は、毎年の祇園祭の山鉾めぐりでしたが、昨年はコロナで山鉾建ても巡行も中止になってしまいました。とても残念で心の一部がぽっかりと穴があいたような感覚です。
 今年は再開をしてほしいのですが、これもコロナ次第でしょうか。

 京都国立近代美術館 2020.07.23 thu. - 09.22 tue

『京(みやこ)のくらし―二十四節気を愉しむ』

 日本はくらしを彩る芸術の中に、巧みに自然を取り入れてきました。
京都もくらしと自然、芸術が密接な関係を築いてきた街として、人々を魅了してきました。
 美術館所蔵作品で綴る二十四節気の京都のくらしです。


小暑 
7月7日〜7月22日ごろ
言い得て妙。小さな暑さを感じる候。梅雨が明けるかどうか微妙な時期に、気をもんでいるのは祗園祭の関係者たち。七月いっぱい京都の街は祗園囃子で彩られ、夏本番を迎える。その始まりを告げるのが小暑。


北沢映月 『祇園会』 昭和11
京都生(1907 - 1990)日本画家。
名は嘉江、初号は桜園。上村松園・土田麦僊に師事する。
小倉遊亀に次いで二人目の女性の日本美術院同人となる。
現代女性風俗、歴史上の女性たちを題材に気品ある女性像を能くした。
総理大臣賞・文部大臣賞受賞。日本美術院評議員。平成2年(1990)歿、82才。













ハンナ・ヘーヒ 『日本の夏』 昭和41
ハンナ・ヘッヒ(Hannah Höch, 1889年11月1日 - 1978年5月31日)は、ドイツのベルリンで活躍したダダイストの芸術家。





榊原紫峰 『白蓮図』 昭和3頃
榊原 紫峰(1887年8月8日 - 1971年1月7日)は、京都市出身の日本画家。
1937年(昭和12年) - 京都市立絵画専門学校教授に就任。
1962年(昭和37年) - 日本芸術院恩賜賞を受賞。





堂本尚郎 『蓮池』 平成17
京都市出身(1928年 - 2013年)の洋画家、文化功労者。東京都在住。
日本画家堂本印象の甥。





不動立山 『夕立』 昭和5
兵庫県出身の明治〜昭和期の日本画家
生年明治19(1886)年、没年昭和50(1975)年









藤本能道 色絵銀彩合歓双雀図筥 昭和57





竹内碧外 黄楊浄香座 昭和25





安藤緑山 『胡瓜』 牙彫置物 大正~昭和初
大正から昭和初期の彫刻家(1885年- 1959年)
本物と見紛うばかりのその造形のリアルさ、根元から生えた根の生き生きとした艶、隙間まで再現した極めて薄い皮の作りは圧巻です。
安藤緑山の作品における最大の特徴が「色付け」です。






六代 清水六兵衞 『睡蓮置物』 昭和9
清水 六兵衛は江戸時代中期以来の清水焼陶工の名跡。
5代の長男(1901年 - 1980年)、名は清水正太郎。
1976年-文化功労者
1980年 日本橋髙島屋で開かれた「清水六兵衛歴代名陶展」の際に挨拶をしていたところ倒れ、死去。





大須賀 喬 『仙人掌文香盆』 昭和11|赤銅、鍛造・





三浦景生 布象嵌『末摘花』 昭和47年





大暑 TAISHO 
7月23日〜8月6日ごろ
いよいよ夏真っ盛り。
子どもたちは夏休みに入り、鴨川の飛び石には歓声が飛び交う。
一方で、おとなたちは、梅雨の雨をたっぷり吸った鱧に舌鼓を打つ。祗園祭の別名は鱧祭り。
京の大暑を乗り切るには鰻と鱧が欠かせない。


丸岡比呂史 『金魚』 大正末
1892 - 1966





池田洛中 『公園夏日』 昭和8
京都生の日本画家。堂本印象に師事し、文展で活躍。
花鳥画に優れた。昭和57年(1982)歿、78才。














太田喜二郎 『洛北の農家』 大正13
明治16年 京都市に生る。日展参事。
京都の山水や田園風物を多く描いた。













三輪良平 『八朔』 平成15
京都生まれ(1929年)の日本画家。
山口華楊に師事し、晨鳥社に学ぶ。
日展入選を重ね、昭和36年第四回新日展で特選・白寿賞受賞、また翌年第五回展で菊華賞受賞。
裸婦や大原女・舞妓を題材に清麗な女性美を描き出している。





磯田又一郎 『夏座敷』 昭和11
京都生まれの日本画家。
菊池契月・宇田荻邨に師事し、日展を中心に活躍。花鳥・人物画を得意とする。
都をどりのポスターの原画も手掛けた。平成10年(1998)歿、90才。









八木一艸 均窯金魚置物 昭和35頃
1894-1973 大正-昭和時代の陶芸家。





徳力牧之助 京かぼちゃ組皿 昭和50





高瀬好山 『兜虫』 大正~昭和初
明治から大正にかけて作られた自在置物とよばれるもので、銀製。
本物の鯉と同じように開く口。胸ヒレや腹ヒレも動きます。
驚くべきは鱗に覆われた胴体。まるで生きた魚のように身をくねらせるのです。
自在物の由来として、自在に各部所が精巧に動くことが挙げられる。超絶技巧と呼ばれる金属工芸。






富田幸七 水貝蒔絵内朱七寸重箱 明治時代






三代 宮永東山(宮永理吉)『海』 昭和48
京都生 1935-
 緻密に計算された造形手法で、独自の作風を確立してきた日本の現代陶芸を代表する作家のひとり。





朝倉芳太郎 『紅型上布文夏長着』 昭和43年







京の暮らし(2)芒種、夏至

2021-01-07 17:32:34 | 美術・博物館


 京都国立近代美術館 2020.07.23 thu. - 09.22 tue

『京(みやこ)のくらし―二十四節気を愉しむ』

 日本はくらしを彩る芸術の中に、巧みに自然を取り入れてきました。
京都もくらしと自然、芸術が密接な関係を築いてきた街として、人々を魅了してきました。
 美術館所蔵作品で綴る二十四節気の京都のくらしです。

芒種  BOSHU 
6月5日〜6月20日ごろ
稲でいうなら籾殻。
先端にある、とげのような突起を芒という。
つまりは稲をはじめとする、穀物の種を蒔く時期とされる。
曇り空の下、あちこちの田んぼで田植えが行われ、そろそろ梅雨に入るころ。


浜口陽三 『さくらんぼと青い鉢』 昭和51
和歌山県出身の版画家(1909年4- 2000年)
銅版画の一種であるメゾチントを復興し、カラーメゾチント技法の開拓者となった。





岩倉 壽 『雨季』 昭和61
香川県出身(1936年 - 2018年)の日本画家。
元日本藝術院会員。元日展常務理事。京都市立芸術大学名誉教授。






関根勢之助 『六月の声(声)』 昭和39
東京出身(1929年(昭和4)- 2003年(平成15))
京都市立美術大学教授。京都工芸繊維大学、立命館大学国際関係学部など京都の他大学でも教鞭。
京展審査、京都アートセンター検討委員、京展委員。
1≪不安な扉≫(1962)、≪六月の声(声)≫(1964)、≪彼方へ≫(1964)などを所蔵。





野島康三 [題名不詳] 昭和5
野島康三 『枇杷』 昭和5
埼玉県出身(1889年 - 1964年)、日本の戦前期を代表する写真家のひとり。
特にポートレイトやヌード写真に長け、初期のピクトリアリスムの重厚な絵画的な作品から、のちにストレートな表現に移行。





林 司馬 猫 大正末
京都出身(1906~1985)
京都市立美術専門学校・同美術大学・同芸術大学の教員、同47年(1972)教授を退任。
同51年(1976)から嵯峨美術短期大学(現京都嵯峨芸術大学短期大学部)教授をつとめた。









河合卯之助 京鹿の子画瓶 昭和15
明治22年(1889)3月3日、陶工初代瑞豊の次男として京都五条坂に生まれ、日本画を学び明治44年京都絵画専門学校を卒業した。大正5年自刻木版画集『伊羅保』を出版、大正11年陶芸研究のため朝鮮に旅行した。大正15年『河合卯之助陶画集』を出版、昭和3年に向日窯を築いて作陶、同8年には「押葉陶器」の特許をうけた。昭和12年、パリの芸術と技術万国博に出品、同13年ニューヨーク・サンフランシスコ博に出品、同18年9月『窯辺陶語』を出版した。戦後、昭和22年8月、向日窯を再建して作陶を続け、昭和32年5月には、神戸白鶴美術館において、同年11月には東京三越において陶歴50年記念展を開催した。昭和35年、随筆集『あまどう』を出版、同41年東京三越において喜寿記念展を開催した。生涯のあいだ、いっさい団体展覧会に参加せず、在野にあって独自の道をすすみ、戦前においては正倉院御物唐三彩の研究、李朝窯の発掘で功績をあげ、独自の作風から「赤絵の卯之助」とも呼ばれた。主要作品に、「紅蜀葵海塩彩壺」「孔雀歯朶染付瓶」「野芥子櫛彫瓶」「孔雀朶赤絵盛鉢」「秋海棠群虫赤絵瓶」「杉虫草文様壺」「金彩文花瓶」などがある。





高瀬好山 『蟷螂』 大正~昭和初
明治から大正にかけて作られた自在置物とよばれるもので、銀製。
本物の鯉と同じように開く口。胸ヒレや腹ヒレも動きます。
驚くべきは鱗に覆われた胴体。まるで生きた魚のように身をくねらせるのです。
自在物の由来として、自在に各部所が精巧に動くことが挙げられる。超絶技巧と呼ばれる金属工芸。





平石晃祥 八仙花 昭和59
1910年生まれの京都の作家。
大正期に白い漆が、開発され、大勢の作家が、新しい色漆を使う。





福本潮子 夏着尺『ともしび』 平成16年





夏至 GESHI 
6月21日〜7月6日ごろ
夏に至るころ。
ではあるが、京の街はたいてい梅雨まっただ中。
雨に煙る東山三十六峰を見上げ、雲に隠れたお日さまを探す。
一年で最も昼間が長い時期ながら、陽がささないので実感は薄い。
蒸し暑さだけが夏を謳う。


加藤源之助 『糺の祠』 明治40
京都出身(1880年~1946年)
伊藤快彦の私塾鐘美会で洋画を学ぶ。翌年浅井忠の来京を機に師事する。1903年聖護院洋画研究所が発足、ここに入り引き続き浅井に学1904年,1906年関西美術会の水彩画部門で一等賞を受ける。









須田国太郎 『動物園』 昭和28
京都出身(1891年 - 1961年)の洋画家。
京都市立美術大学名誉教授。重厚な作風と東西技法の融合に特色。






千種掃雲 『下鴨神社夏越神事』 [不詳]
京都出身(1873~1944)
明治28年(1895)竹内栖鳳に師事して掃雲と号する。
明治36年(1903)聖護院洋画研究所に入り浅井忠に洋画を学ぶ。
明治41年(1908)京都府立第2高等女学校(現朱雀高校)美術教師となる。









安田靫彦 『菖蒲』 昭和6
東京出身(1884年 - 1978年)の大正~昭和期の日本画家、能書家。
東京美術学校教授。東京府出身。芸術院会員。文化勲章受章。文化功労者。
朝日文化賞『黄瀬川の陣』(1940年)、文化勲章(1948年)、文化功労者(1951年)
靫彦は前田青邨と並ぶ歴史画の大家で、青邨とともに焼損した法隆寺金堂壁画の模写にも携わった。
「飛鳥の春の額田王」「黎明富士」「窓」はそれぞれ1981年、1986年、1996年に切手に用いられた。
良寛の書の研究家としても知られ、良寛の生地新潟県出雲崎町に良寛堂を設計した。
また靫彦自らも皇居新宮殿千草の間に書、『万葉の秀歌』を揮毫した。





四代 清水六兵衞 『萱艸模様螺鈿応用花瓶』 明治後期
嘉永元年(1848年) - 大正9年(1920年)
3代の長男。のち清水六居。東京国立博物館蔵大灯籠を制作。号は祥鱗。
三代目J Soul Brothersのパフォーマー山下健二郎は、玄孫にあたる。





叶 光夫 天藍釉壷「流」 昭和39





各務鑛三 硝子鉢 昭和15





佐藤潤四郎 クリスタル花器 昭和22





福田平八郎 『鮎』 昭和25
大分県出身の日本画家(1892年 - 1974年)。
鋭い観察眼を基にした、対象がもつ雰囲気、美しさを抽出した表現が特徴とされる。
生涯「水」の動き、感覚を追究していたとされ、「漣」は池面に映る水面の模様を描写した作品。
1961年(昭和36年) - 文化勲章受章、文化功労者。






鈴田照次 木版摺更紗着物「芹花文」 昭和52





川端龍子 『佳人好在』 大正14
和歌山県出身(1885年- 1966年)、戦前の日本画家。
1959年(昭和34年)、文化勲章受章。
激しく流れる水の流れとほとばしる波しぶきによる龍子の描いた水は、巨大なエネルギーで観る者を圧倒。
昭和の動乱期、画壇を飛び出し、独自の芸術を切り開いた日本画家。
けたはずれの大画面、龍子は躍動する水の世界を描き続けた。










京の暮らし(1)立夏、小満 

2021-01-06 17:07:55 | 美術・博物館


 コロナ以降美術館めぐりは控えていましたが、人出の少ない日時を選び行っていました。
画像整理して遅ればせながらの投稿開始といたします。
 コロナで京都の二十四節気のくらしは大きく変わりました。
葵祭、祇園祭、時代祭が中止となり、祭以外の行事も多かれ少なかれ中止ないし縮小されました。
 残念な年でしたが、早い再開を願います。

 京都国立近代美術館 2020.07.23 thu. - 09.22 tue

『京(みやこ)のくらし―二十四節気を愉しむ』

 日本はくらしを彩る芸術の中に、巧みに自然を取り入れてきました。
京都もくらしと自然、芸術が密接な関係を築いてきた街として、人々を魅了してきました。
 美術館所蔵作品で綴る二十四節気の京都のくらしです。

立夏 RIKKA 
5月5日〜5月20日ごろ
暦の上では、この日から夏が始まり、立秋まで続く。
肌の実感としてはまだ晩春だが、空の青、木々の緑が夏を予感させる候。
京都三大祭の先陣を切って、葵祭が行われる。王朝絵巻さながらの祭礼は新緑によく似合う。

福田平八郎 『竹』 昭和17
大分県出身の日本画家(1892年 - 1974年)
鋭い観察眼を基にした、対象がもつ雰囲気、美しさを抽出した表現が特徴とされる。





伊藤仁三郎 『葵祭①』『葵祭②』













大下雪香 『朴の花文庫』 昭和10





飯塚琅玕斎 花籃「富貴」 昭和元頃
1890-1958 大正-昭和時代の竹工芸家。
明治23年3月15日生まれ。父に竹工技術をまなんで上京。大正14年のパリ万国装飾美術工芸博覧会で銅賞。
昭和7年,9年に帝展で特選。竹細工を芸術の域にたかめた。日展の審査員・参事,日本工芸会理事。
昭和33年12月17日死去。68歳。栃木県出身。代表作に「花籃(かご)・あんこう」「花籃・富貴」など。





安藤緑山 『竹の子に梅 』 牙彫置物 大正~昭和初期
大正から昭和初期の彫刻家(1885年- 1959年)
『竹の子と梅』は安藤緑山の最高傑作とされる、本物の竹の子とほぼ同じ大きさの、“牙彫”と呼ばれる象牙彫刻です。
本物と見紛うばかりのその造形のリアルさ、根元から生えた根の生き生きとした艶、隙間まで再現した極めて薄い皮の作りは圧巻です。
安藤緑山の作品における最大の特徴が「色付け」です。






五代 清水六兵衞 『青華蘭四方花瓶』 大正13
4代の長男、のち清水六和。清水の読みを「きよみず」に改めました。





岩淵重哉 『塩釉紅瓷蘭文皿』 昭和56頃





正阿弥勝義 『蓮葉に蛙皿』 明治時代
1832年 - 1908年、明治時代に活躍した金工家。
「超絶技巧」というべき高い技巧を誇り、精緻な彫金、高い写実力・質感表現、多様な金属による色数の多さ、光沢の美しさは、全体に技術レベルが高い明治期の彫金師の中でも一頭地を抜いている。





高瀬好山 『鯉』  自在置物 明治~大正時代
明治から大正にかけて作られた自在置物とよばれるもので、銀製。
本物の鯉と同じように開く口。胸ヒレや腹ヒレも動きます。
驚くべきは鱗に覆われた胴体。まるで生きた魚のように身をくねらせるのです。
自在物の由来として、自在に各部所が精巧に動くことが挙げられる。超絶技巧と呼ばれる金属工芸。





冨田渓仙 『浦嶋子図』 昭和6
明治から昭和初期に活躍した日本画家(1879年 - 1936年)
狩野派、四条派に学んだが、それに飽きたらず、仏画、禅画、南画、更には西洋の表現主義を取り入れ、デフォルメの効いた自在で奔放な作風を開いた。













濤川惣助 藤図花瓶 明治時代





錦雲軒稲葉 花鳥図香炉明治~大正時代





[不詳] 藤に孔雀図刺繍壁掛 明治38頃





小満 SHOMAN 11
5月21日〜6月4日ごろ
一年で最も過ごしやすいのがこのころ。
湿度も低く、吹く風も爽やか。
暑くなく、寒くなく、身体に気がみなぎってくる。
田植えの準備が始まる候は、秋に蒔いた麦の穂が付くころで、少しばかり安心するので、小満と呼ぶ。


宇田萩邨 水神貴船奥宮 昭和44
明治29年ー昭和55年
「祇園の雨」「夕涼」「清水寺」など京洛の四季折々の風物を主題に、繊細で情趣豊かな作品を残す。









近藤浩一路 三条大橋 大正4
日本の水墨画家・漫画家(1884年 - 1962年)
日本画家。山梨県生。東美校卒。和田英作に師事する。
読売新聞社で漫画の筆をとり、のち水墨画に転じる。
日本美術院同人となり、脱退後日展会員となる。昭和37年(1962)歿、78才。





西村五雲 『山の幸川の幸』 昭和13
京都出身の日本画家(1877年 - 1938年)
動物画を得意とし、動物の生態を生き生きと捉えるその描写は、師の竹内栖鳳を凌ぐとも評された。





伊藤久三郎 『雨或いは感傷』 昭和12
京都に生まれた伊藤久三郎(1906~1977)は、当時の前衛的傾向であるシュルレアリスムの画家として活躍。
戦後に京都に戻ったのち、美術団体「行動美術協会」での活動を中心に変化を恐れず新たな作風に挑戦し続けた。





村上華岳 田植の頃 明治45
1888―1939。日本画家。大阪生。京都絵専卒。
文展に入選をかさね、大正5年には特選となるが、やがて文展の理想主義に対する不満から、大正7年自ら土田麦僊・小野竹喬・榊原紫峰らと国画創作協会を結成する。
のち健康を害し、芦屋・神戸に居を移して、画壇から離れた作画生活を送り、仏教や六甲の山を題材に宗教的・瞑想的な雰囲気を湛えた精神性の高い絵画世界を形象した。昭和14年(1939)歿、51才。





清水卯一 青瓷大鉢 昭和48
1926年 - 2004年、日本の陶芸家。京都府京都市東山区五条生まれ。1985年人間国宝に認定。





正阿弥勝義 瓢箪に天道虫花瓶 明治33
1832年 - 1908年、明治時代に活躍した金工家。
「超絶技巧」というべき高い技巧を誇り、精緻な彫金、高い写実力・質感表現、多様な金属による色数の多さ、光沢の美しさは、全体に技術レベルが高い明治期の彫金師の中でも一頭地を抜いている。





大須賀 喬 昆虫文小筥 昭和22
昭和期の彫金家 日展参事。
生年明治34(1901)年8月24日
没年昭和62(1987)年7月14日
出生地香川県高松市
学歴〔年〕東京美校金工科〔大正14年〕卒
主な受賞名〔年〕日本芸術院賞〔昭和33年〕
経歴昭和4年「壁面用花挿」で帝展に初入選し、8年「彫金花瓶」で特選。33年日展評議員。





音丸耕堂 彫漆延齢草水指 昭和41





二代 三木表悦 薔薇と人物 昭和7頃





真野紀太郎 薔薇 昭和36
日本水彩画会名誉会員真野紀太郎は、1月20日東京都大田区で老衰のため没した。享年87才。号柱淵。明治4年5月8日名古屋市に生れた。明治12年上京、東京英語学校に普通学を修めたのち中丸精十郎並びに原田直次郎に就て油絵と水彩画を学んだ。のち専ら水彩画をえがき、明治40年大下藤次郎、丸山晩霞等と日本水彩画会研究所を設立、大正2年石井柏亭、南薫造等と日本水彩画会を結成し、以来その展覧会に毎回出品した。その間、大正10年から11年にわたり英、仏、独、伊等を巡遊、同12年には海軍練習艦隊に便乗して南洋諸島、濠州等を旅行、昭和7年には印度、ビルマ等を巡歴して制作した。その他台湾、上海、朝鮮、満州等には屡々赴いた。帰国の都度その作品を個展で発表した。昭和20年戦時中一時十和田湖に疎開したが同年帰京し、同23年画業60年記念展を、同26年80才記念展を開き、なお老を養いながら制作していた。はやくから私立日本中学校(現日本学園)の図画教師となり、のち理事をつとめた。その水彩画は所謂透明水彩画で、バラ花を最も得意とした。
















屏風祭(2) 平山郁夫、富岡鉄斎、西村五雲、前田青邨、堂本印象、下保昭

2020-12-19 16:55:58 | 美術・博物館


 昨日の屏風祭の続きます。

 京都近代美術館2020年度 第2回コレクション展(2020.07.22 wed. - 10.04 sun)

 今年は、新型コロナウイルス感染防止のため山鉾巡行が中止となりました。
京都近代美術館で所蔵する屏風作品から六曲一双等大画面のものばかりを展示しています。

平山郁夫 1930ー2009 『画禅院青邨先生生還浄図』 1978
広島県に生まれる。
東京美術学校卒業後、前田青邨に師事。昭和28年、院展に初入選を果たし、以後同展を舞台に活躍。
平成元年には東京藝術大学長に就任、10年には文化勲章を受章した。
仏教をテーマに多くの名作を描き、さらには中近東から中国までのシルクロードを旅しながら取材し、幻想的な画風の中に壮大な歴史の流れを描き出した。









































富岡鉄斎 1836ー1924 『富士遠望・寒霞渓図』 1905
南画家。京都生。
幼少より国学・漢学・詩学等を学び、また歌人大田垣蓮月の学僕となって多大な人格的影響を受ける。
幕末期には勤王志士らと盛んに交流し、国事に奔走した。
維新後は大和石上神社・和泉大鳥神宮等の宮司となるが、のち辞し隠棲。
田能村直入・谷口藹山らと日本南画協会を発足、学者としての姿勢を貫きながら自由な作画活動を展開し、その学識と画技により文人画壇の重鎮となった。帝室技芸員・帝国美術院会員。大正13年(1924)歿、89才。





























西村五雲 1877ー1948  『鶴図』 明治末
京都出身の日本画家。
動物画を得意とし、動物の生態を生き生きと捉えるその描写は、師の竹内栖鳳を凌ぐとも評された。


























前田青邨 1885ー1977 『竹取物語図屏風』 大正初期
岐阜県に生まれる。
梶田半古の画塾にて、小林古径とともに有職故実や絵巻物の模写に励み、また國學院の聴講生として古典文学を学ぶ明治40年には靫彦らの紅児会に参加。一躍新進作家として脚光を浴びた。
大正3年より院展を舞台に活躍。巧みな空間構成と、流麗な線描、鮮やかな色彩を活かした歴史画の名作を生み出した。


























堂本印象 1891ー1975 『江上の鵜舟』 1923
大正ー昭和時代の日本画家。
西山翠嶂にまなぶ。大正10年帝展で「調鞠図」が特選,15年「華厳」が帝国美術院賞。
昭和11年母校京都市立絵画専門学校(現京都市立芸大)の教授。
寺院の障壁画などを数おおく制作したが,戦後は抽象画も手がけた。
芸術院会員。36年文化勲章。昭和50年9月5日死去。83歳。京都出身。































下保昭 1927ー2018 『岩漿吐焔』 2002
昭和後期-平成時代の日本画家。
昭和2年3月3日生まれ。西山翠嶂に師事。
昭和25年日展に初入選,以後同展で活躍,42年「遥」で文部大臣賞,44年日展評議員。
60年「水墨黄山」のシリーズで芸術選奨文部大臣賞。63年日展を脱退して無所属。
平成3年京都市文化功労者。富山県出身。











屏風祭(1) 小松均、土田麦僊、木島桜谷、加山又造、冨田溪仙、都路華香

2020-12-18 17:03:05 | 美術・博物館


 コロナ以降美術館めぐりは控えていましたが、人出の少ない日時を選び行っていました。
京都の紅葉が終わったので、画像整理して遅ればせながらの投稿開始といたします。

 2020年度 第2回コレクション(2020.07.22 wed. - 10.04 sun.)

 今年は、新型コロナウイルス感染防止のため山鉾巡行が中止となりました。
京都近代美術館で所蔵する屏風作品から六曲一双等大画面のものばかりを展示していました。
前期(8月23日まで)と後期(8月25日から)
 小松 均、土田麦僊、木島桜谷、加山又造、冨田溪仙、都路華香

小松 均 1902 - 1989  『花菖蒲』  1947
山形県北村山郡大石田町出身の日本画家。文化功労者(1986年)。
1928年(昭和2年)から京都近郊の大原に住み、大原の風景を題材にした作品を多数残して「大原の画仙」と称せられた。
1969年(昭和44年)からは故郷の最上川を題材とした作品を数多く残した。













土田麦僊 1887 - 1936  『海女』  1913
新潟県生まれの大正~昭和期の日本画家。
鈴木松年・竹内栖鳳に師事。
大正7年村上華岳・小野竹喬・榊原紫峰らと国画創作協会を結成し、同会解散後は官展で活躍。
西洋画と伝統画風を調和させた清新典雅な作品を発表し、近代日本画の好指標の一人となる。













木島桜谷 1877 - 1938  『遊鹿図』  大正中期
明治から昭和初期にかけて活動した四条派の日本画家。
四条派の伝統を受け継いだ技巧的な写生力と情趣ある画風で、「大正の呉春」「最後の四条派」と称された画家。
京都市北区等持院東町の財団法人櫻谷文庫は、木島桜谷の遺作・習作やスケッチ帖、櫻谷の収集した絵画・書・漢学・典籍・儒学などの書籍1万点以上を収蔵、それらの整理研究ならびに美術・芸術・文化振興のために桜谷が逝去した2年後の昭和15年に設立された。
桜谷が当地に転居したのが契機となり、土田麦僊、金島桂華、山口華楊、村上華岳、菊池芳文、堂本印象、西村五雲、小野竹喬、宇田荻邨、福田平八郎、徳岡神泉などの日本画家が移り住み、「衣笠絵描き村」と呼ばれた。他にも、洋画家の黒田重太郎、映画監督の牧野省三も近くに住んでいた。













加山又造 1927 - 2004  『黄山霖雨・黄山湧雲』  1982
日本画家、版画家。1966年多摩美術大学教授、1988年東京芸術大学教授に就任。東京芸術大学名誉教授。
日本画の伝統的な様式美を現代的な感覚で表現し、「現代の琳派」と呼ばれた。
1970年代末からは水墨画にも取り組んだ。
1997年文化功労者に選ばれ、2003年文化勲章を受章。














冨田溪仙 1879 - 1936  『万葉春秋』  1936
明治から昭和初期に活躍した日本画家(1879年 - 1936年)
狩野派、四条派に学んだが、それに飽きたらず、仏画、禅画、南画、更には西洋の表現主義を取り入れ、デフォルメの効いた自在で奔放な作風を開いた。

























都路華香 1871 - 1931  『松図屏風』  c. 1909
京都出身(明治3年12月23日(1871年) - 昭和6年(1931年)の日本の明治時代から昭和時代かけて活躍した日本画家。
幸野楳嶺の弟子で、菊池芳文、竹内栖鳳、谷口香嶠とともに楳嶺門下の四天王と呼ばれた。
















第67回 日本伝統工芸展

2020-10-16 18:29:27 | 美術・博物館


 今年はコロナウィルス感染対策で多くのイベントが中止になっています。
そんななかですが、京都では昨年まで高島屋だったのですが、今年から四条烏丸に新しく建て替えられた京都産業会館ホールで、『第67回日本伝統工芸展』が開催(10/14ー10/16)されました。
日本伝統工芸展は,昭和25年に施行された文化財保護法の趣旨に基づき,歴史上又は芸術上特に価値の高い伝統工芸技術を国として保護育成するため,昭和29年以来,毎年開催しており,全国の伝統工芸作品を広く紹介しています。
重要無形文化財保持者、受賞作家の作品を中心に、陶芸・染織・漆芸・金工・木竹工・人形・諸工芸の作品197点が展示されました。
 来場にはマスクの着用、会場入口で氏名・連絡先の記入及び体温チェックが行われます。
また混雑具合によっては,入場制限もあります。

 今回の入賞作品です。
































































































全国巡回展示です。









コレクション展 『冬の日本画 』 京都近代美術館臨時休館

2020-05-01 17:04:34 | 美術・博物館


京都近代美術館2019年度 第6回コレクション展( 2020.01.04 - 03.01 )です。
現在京都近代美術館臨時休館中です。

『冬の日本画 』 

以下美術館HPより
『日本には四季があり、古来日本人はそれぞれの季節の美を愛で、詠い、書き、描いてきました。
今回のコレクション展日本画コーナーでは、冬の風物を描いた作品をご紹介いたします。  
冬と言えば「冬枯れの木立」。朝靄の中に浮かぶ川沿いの柳を描いた竹内栖鳳の《蕭条》は、太い幹と細い枝が作り出すシルエットの面白さを描くとともに、寄り添う二羽のふくら雀によって寒さを、凛として枝にとまる一羽の鶺鴒によって冴え冴えとした空気感を表現しています。
一方、小松均《雪の最上川》に描かれる雪をかぶった冬枯れの木立とそれを映す最上川の流れは、冷たいはずなのに、独特の膠の強い墨で粘り強く細部に至るまで描きこまれ、不思議な熱気に溢れています。山形出身で、京都の中でも雪深い大原に活動の拠点を置き続けた作者ならではの空気感です。
そして「お正月」に関わる風物詩も忘れてはいけません。令和になって初めてのお正月をお祝いして、七福神のうちの寿老人と大黒天を描いた作品を展示しています。大黒さんの足下には今年の干支である鼠さんも。また、お正月にはお着物を召された方も多いのではないでしょうか。紅白梅の華やかなお着物で初詣、羽根つき、凧揚げ、手毬つき。あるいは、あまりの寒さにチャンチャンコを羽織ったり、お着物の中にセーターを着込んでお家で双六や歌留多に興じる。日本の伝統的な装いも、遊びも、お正月だけのものとなって久しいですが、大切に残していきたいものです。』

小松 均 1902‒1989 雪の最上川 1979
















森 寛斎 1814‒1894 枯木寒鴉之図 1874




竹内栖鳳 1864‒1942 蕭条 c. 1904

















谷口香嶠 1864‒1915 詩意長生殿不老門 明治期  





谷角日沙春 1893‒1971 魁童子 1947




谷角日沙春 1893‒1971 吉祥福女 1949





谷角日沙春 1893‒1971 二美人 1937





谷角日沙春 1893‒1971 葉ぼたんと現代少女 1949





谷角日沙春 1893‒1971 手毬つき 1934





以下撮影不可でした。
上村松園 1875‒1949 初春  c. 1940   
鏑木清方 1878‒1972 双六のあそび 1956  
中村大三郎 1898‒1947 歌留多 1922   
橋本関雪 1883‒1945 寿星図 制作年不詳 
橋本関雪 1883‒1945 大黒図 1902  


川端龍子 1885‒1966 曲水図
















浅井 忠 1856‒1907 編みもの





八木一夫 1918‒1979 距離





河井寬次郎 1890‒1966 打薬扁壺





フェリーツェ・“リチ”・上野=リックス 1893‒1967 壁紙「そらまめ」 1928以前





つづく。













日本近代洋画『建造物描く』 京都近代美術館

2020-04-25 19:20:02 | 美術・博物館


以下の投稿は京都近代美術館2019年度 第6回コレクション展( 2020.01.04 - 03.01 )で撮影したものです。
いずれも撮影可能作品です。
現在京都近代美術館はコロナで臨時休館中です。

『建造物描く』

以下美術館HPより
『ニーノ・カルーソの陶芸には古代の建造物を想起させる形象がありますが、一般に、建築は人間のあらゆる活動に不可欠であり、ゆえにそれを絵画や工芸に表すことも古来よく行われてきました。  
日本でも、縄文時代には既に家形の石製品があったようです。
弥生時代には土器や銅鐸に建築の文様が刻まれ、古墳時代には家形の埴輪が作られました。以後、古代から近世まで仏画や物語絵、山水図、都市景観図等、様々な画題に建造物が表現されてきました。  
近代以降の絵画、特に洋画(油彩画、水彩画)においては、風俗画としての要素を排して建造物そのものを描くことが多くなりました。
それはもともとは外国人観光客のための土産物として名所の景色を描くところから始まったようですが、やがて、まるで静物画や肖像画を制作するかのように、建物や街並を見詰め直して表現しようとする画家たちが出てきたわけです。
駅や工場、ダム、高架、鉄橋のような近代の技術による新たな景観の出現も、画家たちの意欲をかき立てました。  
ここでは当館所蔵の日本近代洋画の中から、いろいろな建造物を表現した様々な作品を展示しています。
物語絵のような要素をもった作品から、建物そのものを見詰めた作品、さらには建物を通して空間と時間の奥行を象徴させようとした作品、異国の建物や街並を描いた作品、そして近代の新たな景観を捉えた作品まで、多彩な表現があるところをご覧いただけることでしょう。』


伊藤快彦 1867‒1942 護良親王之図c. 1898-99





浅井 忠 1856‒1907 堂内 1879





神阪松涛 1882‒1954 南禅寺門前 明治末





須田国太郎 1891‒1961 唐招提寺礼堂  1933





須田国太郎 1891‒1961 校倉(乙)1943





須田国太郎 1891‒1961 アーヴィラ 1920





安井曽太郎 1888‒1955 田舎の寺 1909





梅原龍三郎 1888‒1986 雲中天壇 1939





岡 鹿之助 1898‒1978 山麓 1914





三井文二 1893‒1958 京都疏水ダム 1929





川端弥之助 1893‒1981 京都駅





牛島憲之 1900‒1997 街 1956





牛島憲之 1900‒1997 晩春 1954





野田英夫 1908‒1939 風景 1937





松本竣介 1912‒1948 Y市の橋 1946










コレクション展 『イタリアの現代陶芸』 京都近代美術館

2020-04-24 19:07:48 | 美術・博物館


イタリアもコロナ感染拡大で大変なことになっています。
以下の投稿は京都近代美術館2019年度 第6回コレクション展( 2020.01.04 - 03.01 )で撮影したもんです。いずれも撮影可能作品です。
現在京都近代美術館はコロナで臨時休館中です。

『イタリアの現代陶芸』

以下美術館HPより
『ニーノ・カルーソ展の開催にあわせて、イタリアの現代陶芸を特集いたします。
当館所蔵のイタリア現代陶芸の多くは、当館で開催した1964年の「現代国際陶芸展」、1970年の「現代の陶芸―ヨーロッパと日本」の出品作になります。
これらの展覧会は1971年の「現代の陶芸―アメリカ・カナダ・メキシコと日本」とあわせて、海外の陶芸を日本に一堂に紹介したという点で、日本の現代陶芸の展開にも大きな影響を与えたものです。  
ここで紹介する作品からは、その当時の熱気を窺うことはできないかもしれませんが、イタリアという文化的土壌から生まれた表現は、今なお、日本陶芸を相対化するうえで重要な魅力を有しています。
例えば、陶芸表現の出発点ともなる「土」。
東洋と西洋とでは、地質の違いから「土」が異なり、イタリアでは伝統的に低火度焼成によるテラコッタやマヨリカが主流となってきました。
彫刻家として高い評価を得たレオンチッロ・レオナルディや画家としても活躍したルーチョ・フォンタナの作品はテラコッタによるものです。
これらの伝統に対し、高温焼成による陶器制作を試みて独自の「白」を得たのがカルロ・ザウリであり、窯変をも含む色彩世界を確立したのがグエリーノ・トラモンティでした。
また、夭逝したアルフォンソ・レオーニは構成的な彫刻作品をマヨリカで制作し、ニーノ・カルーソとカルロ・ザウリというイタリア現代陶芸の巨匠2人に師事した平井智は、地中海の明るさに日本的な装飾的感性を加味することで、現代的なマヨリカの表現を探求しています。
さらにフェデリコ・ボナルディは、土俗的なモチーフをコミカルに表現することでイタリア現代陶芸を代表する作家の一人となりました。』

エドガルド・アボッツォ 1937‒2004 c. 1970





カルロ・ストリンガ 1919‒1990 c. 1968





フェデリコ・ボナルディ 1933‒2012レヴィアタン 1983





ポンペオ・ピアネッツォーラ 1925‒2012  c. 1968




 

カルロ・ザウリ 1926‒2002 c. 1968





カルロ・ザウリ 1926‒2002  1971





ガエターノ・バリエリ 1939ー c. 1969





ロメオ・ロッリ 1920ー 1969





アルフォンソ・レオーニ 1941ー1980 c. 1969





ウベルト・ザノーニ 1926ー2012  1959




ゴッフレード・ガエダ 1937ー   c. 1969




グイド・ガンボーネ 1909ー1969  1963





マルチェッロ・ファントーニ 1915ー2011  1963





平井 智 1947ー  1990





平井 智 1947ー  1985





レオンチッロ・レオナルディ 1915ー1968  1963





ルーチョ・フォンタナ 1899ー1968  1963





カルロ・ザウリ 1926ー2003  1954-55





グェッリーノ・トラモンティ 1915ー1992  c.1968





グェッリーノ・トラモンティ 1915ー1992  1963