京都国立近代美術館で開催中(8/9ー10/22)の企画展示です。
コレクション展のため撮影可能です。
秦 テルヲ
明治〜昭和期の洋画家 生年明治20(1887)年、没年昭和20(1945)年1
広島県で生まれる。
京都市立美術工芸学校図案科〔明治37年〕卒。
経歴明治末期の京都における新美術運動「黒猫会」「仮面会」に津田青楓、土田麦僊、小野竹喬らと関与。
酒と女に溺れながらも「血の池」「吉原の女」「淵に佇めば」などの名作を描く。
のち結婚して生活も落ち着き、大正10年からは京都南部の山奥の村で仏画研究に携わり、多くの仏画を描いた。
「当世風俗二題」(夜警、工事現場) 明治44年
「煙突」 明治44年
「夜勤の帰り」 明治44年
「工事場」 明治44年
「黄昏」 明治44年
「女郎(花骨牌)」 大正2年
「戦中絵日記」 昭和20年
「釈迦三尊図」 昭和11年
「三尊仏」 昭和10年
「眠れる児」 大正12年
「瑠璃光」 大正12年
「吉原の夜(仮)」 大正5年
「吉原」 大正5年
千種掃雲 1873-1944 明治-昭和時代前期の日本画家。
京都生まれ。神戸で茨木翠岳の弟子となり、明治28年(1895)竹内栖鳳に師事して掃雲と号する。
全国絵画共進会、後素青年会や内国勧業博覧会などで受賞多数。
明治36年(1903)聖護院洋画研究所に入り浅井忠に洋画を学ぶ。
明治39年(1906)丙午画会を結成。聖護院洋画研究所が関西美術院となる中で同院の幹事となる。
明治41年(1908)京都府立第2高等女学校(現朱雀高校)美術教師、大正4年(1915)京都高等工芸学校講師となる。
「海女」 明治41年
「鰻とり」 明治45年
「浪華の春(港の風景) 明治43年