山の声を 風の詩を 

年間 季節のうつろい 言いたいことなど多方面の話を搭載

もう 春だった

2010年01月30日 21時52分29秒 | 写真
午前中に蝋梅を撮りにそして 午後は仕事もする気にならず
以前から気にしていた 自宅から歩いて30分以内の
意賀美(オガミ)神社に向かう

この意賀美神社は元は現在地から約100m南の旧伊加賀村字宮山にあったらしい。
開化天皇の時代に、饒速日命の五世の子孫で物部氏の遠祖である伊香色男の邸宅が
この地にあって、その敷地内に鎮座していたという。

高龗神は、水神であり、淀川の鎮守としたとも。
延喜式神名帳では小社になっている。旧伊加賀村の氏神として、
明治5年(1872年)に村社に列格した。

万年寺山に 地元の氏神の須加神社があって、
須加神社は元は牛頭天王社(祇園社)と言って、
貞観14年(872年)、流行していた悪疫の終息祈願のため造られた。
元の万年寺は、廃寺になって、須加神社のみな残った。

別に淀川の洪水で流れついた日吉大社の御神体を祀ったのに
始まるとも言われる日吉神社があって、最澄(伝教大師)が
平安京の裏鬼門に当たるこの地に阿弥陀仏と日吉大神を祀ったのに
始まるらしい。
この日吉神社は、応仁の乱で焼失したが、慶長5年に枚方城主・本多政康が再興し、
氏神として崇敬した。旧岡村の氏神として、明治5年に村社に列格した。

明治42年10月14日、須加神社と日吉神社は意賀美神社に合祀された。
境内が狭いため、翌10月15日、万年寺山の元の須加神社境内に遷座した。
同年12月、神饌幣帛料供進社に指定された。
昭和9年、大風害により社殿・社務所が大破し、翌昭和10年に再建された。

この神社の梅園が見ものと言われていて忘れていた。

梅園の北側は蕾だらけ 西側が風を受けやすいのに開花している。

梅園の北側は蕾だらけ 西側が風を受けやすいのに開花している。


西側の白梅は満開に 2本の木が真っ白に


残念ながらここも1つの森になっているが あまりにも川に近い
ワシ、カラスなどか弱きメジロを狙う鳥が多いこの場には
メジロは立ち寄っていなかった。


























山の上からの遠見1

2010年01月24日 16時48分14秒 | 写真
本日は生駒の北端に位置する交野山(647m)からの遠望
まずは西に


さらに拡大して
何とか梅田が そして海らしき物がうっすらと


そしてクローズアップレンズで
当然 三脚なしなのでブレるが 確かに六甲と神戸が
そして大阪湾に浮かぶものも見える ついに3年間で初めて
大阪湾を見た。

山を越えての 京

2010年01月23日 17時56分06秒 | 写真
少し早く着き過ぎた 三鈷寺 そして50mほどで善峯寺の北門


善峯寺の北門から見る寺院の庭
開門が8:00だったから助かった 9:00だったら即刻帰る予定でした
とは言え 30分以上待たないと






まだ雪が残るところを


本当はもっと雪深き所を撮りたかったが それなら来れなかったか?


三鈷寺と善峯寺北門


メジロが集団で移動






































山を越えて 京に

2010年01月23日 14時53分28秒 | 写真
まだ東の空が暗い時間帯に起きて 暗闇が
さらに一掃暗くなっているのを見て 寝るかな?と
思っている所に 家人が「今日も行くの?」の問いかけで
日の出を撮りに行く事に すでに時間は30分遅れの5:29
いつものザックを引っ掛けて夜道を走ると5:55に
本山寺の車が止っていない駐車場に到着
ヘッドランプの調子が悪く 軍手も忘れて
ここで三脚を置いて 6:30出発
日の出の7:02に目掛けて ひた走ると
前回よりも距離が短く感じて日の出前に到着
やはり雲があり 日の出は満足したものでないと判断

頂上に若者のカップル2組 ワイワイと騒いでいるので
足早に京に下る。頂上滞在時間 1分
下山の坂の上部で日の出を

道は雪薄く積もり 

下りの快適な道を下ると舗装道路に三鈷寺への道を下り 右手は善峯寺の寺地

三鈷寺の庭は京の街

思わず 境内に入って撮影  お金を払わずに激写





少しタイミング悪かった 目白のウインク


少しばかりの冬  雪が水に変わろうとしている
 善峯寺の開門8:00まで40分間 気分次第で写真を

寒さを越えて

2010年01月19日 22時02分49秒 | 写真
凍て付く世界に踏み入れたのは今年初めて
いや昨年からの2年間で初めて
太陽の出てからの数時間の世界
一人で味合うことの言うに言えない世界
白い花が咲いている

日の出に伴って オレンジの世界に



白い花の世界

1月の日の出 京の朝日

2010年01月17日 14時55分09秒 | 写真
初日の出からずっと 朝日が撮れてなかった
先週の本山寺の上がポンポン山 そこでの日の出をと
朝4時起きた 星が出ておらず 少し様子見して
5時に星が見えたので いざ高槻に
本山寺の駐車場に5:45到着 7時の日の出に
4.7キロの道を小走りで三脚持っていざポンポン山
LEDランプで苦もなく暗闇を分け進む 1個所迷える所があったが
予定通り到着  既に薄明でもうすぐ日の出

ポンポン山の頂上はマイナス5℃ 凍て付いて木にも霜がついて真っ白



見回していると日の出が始まった 良く見ると以前登っていた交野山から
日が出てくる。







ベンチも凍って



木も凍って




掲示板に


日差しが入って 高槻方面と生駒山が見える。



伏見 京セラビルと比叡山

真北に雲海に沈む亀岡の町 奥に雪を被る京北の山を見る。



愛宕山

気温が低かったが あれやこれやと撮っていると気にならなくなっていた。



北摂の山2  本山寺(霊雲院)

2010年01月11日 19時00分35秒 | 写真
日本初の毘沙門天の寺 神峯山寺から標高300m上がって
本山寺(霊雲院)実際にパンフを見ると
神峯山寺は本山寺を奥院と紹介し 本山寺は最初の毘沙門堂と言うし
どちらが正しいか分からないが 別には

神峰山寺の縁起では役行者が得た霊木で、地主神金毘羅童子が
4体の毘沙門天を刻み、1体は神峰山寺に、残り3体は飛び去り、
それぞれが鞍馬寺、信貴寺(朝護孫寺)、本山寺の本尊となったらしい。

日本三毘沙門天は 本山寺、信貴山、鞍馬寺
または 神峯山寺、信貴山、鞍馬寺とか
さらには信貴山、鞍馬寺は確定で足利市 最勝寺
横浜 蓮勝寺とか 大月市 普明禅寺 碧南市 妙福寺とか
あるらしい。車でとにかく上に走らせ
実は道は東海自然歩道  セメント道なのに自然歩道とは
とここには住職が住んでおられるからしょうがないのかとも
思う


駐車場から200m(水平900m)上がるとやっと門に到着
やっと朝日が入り始めてまぶしい
この寺の裏からポンポン山への道が続くポンポン山から
昨年 晩秋に訪れた善峯寺につながる


























北摂の山1 神峯山寺

2010年01月11日 17時13分57秒 | 写真
北摂に歴史と言われて語れるものが少ないのでしょうが
その中で光るものがないかと探した
高槻の奥 原盆地にある 神峯山寺(かぶさんじ) 1300年前
日本の神仏でよく名前が出る 役小角、通称役行者(えんのぎょうじゃ)が
奈良・葛城山より神峯山寺の九頭龍滝の水しぶきが光るのを見て、
この地にやって来たとさ(見える訳がないのですがね)。

そして開山されたと言われる。
また毘沙門天の最初の寺らしい
8:30に門前に着くとポンポン山に行かれる方と鳥の撮影の方で20台の駐車場は
6台止っていた。

はやいので誰もいない。

門の手前 裏もモミジの木 秋はとてもよさそう















十三重の塔







地層の隙間からの湧水



龍光院の庭