山の声を 風の詩を 

年間 季節のうつろい 言いたいことなど多方面の話を搭載

源光庵の秋

2010年11月29日 23時53分58秒 | 写真
鷹峯と言ったら常照光寺、この源光庵、光悦寺、吟松寺、曙I成寺、しょうざんと500m範囲でそこそこの
名だたる紅葉の有名処がある。
その筆頭が血天井の源光庵 丸の飾り窓からの紅葉hは必見、ニュースステーションが悪いのか
 ほどほどの混みようが、目いっぱいの混みように変貌している。





































泉涌寺の御座所庭園の秋

2010年11月27日 20時13分08秒 | 写真
雲龍院から雨脚が強くなりだした、と言って来た道を引き返す事は
したくなく 次の泉涌寺の御座所庭園に移動する。

すでに6回目の御座所庭園 勝手知ったる所も多い


端を陣取り、人の多さから、順に写真を撮る


さすが色鮮やか 僅かな光の明るさで次々に撮る




















































泉涌寺 雲龍院の秋

2010年11月26日 20時28分26秒 | 写真
東福寺の勅使門を山側に上がって 
住宅地の中の仲恭天皇陵を過ぎ突き当りがT分岐で 
右が伏見稲荷に向かう山道 左が下り階段
その階段を下り、北上するように歩き 小山を上ると月輪陵
ここから右に折れると 雲龍院に到着する すでに泉涌寺境内に入っている。

すでに2つの天皇陵を通り越してきた通り この雲龍院の南にも別の2つの
後小松天皇陵、称光天皇陵がある。いわば天皇の菩提寺の扱いで
庭園も立派な紅葉が見れる。


入り口には襖絵を書かれた画家の龍の書が置かれている。


いざ奥の部屋から庭を見ると

楓に近ずいて

さらに近くに


部屋の入り口に座り 外を見ると 額縁の庭園




抹茶を頂ける 1つ手前の部屋から




外に出てみて


再び部屋の入り口からの額縁の庭















悟りの窓  少し疲れて座って撮ってしまい収まりきらず






















再び庭園の中








即宗院の秋

2010年11月25日 22時16分58秒 | 写真
東福寺で通天橋を渡る方が牛歩でしか歩けないほどに人が多いのに
即宗院まで来られる方はどれだけいるだろうか 方丈でも少ないのに
さらにそれよりも少ない なので思いのほか自由に写真が撮れる。
これは穴場と言うしかないね。



庭に入る


















































東福寺の秋

2010年11月23日 20時52分06秒 | 写真
凝り性にもまたまた 今年も東福寺

午後に到着したが 朝より当然多い 通天橋は寸送りの状態
昼間来たことがなかったのでこんなに酷いとは想像もせず
適当に撮って退散 適当すぎました 昨年より紅葉は良いが
曇天のなかで苦労しました。

























































東福寺 光明院の秋

2010年11月23日 00時45分05秒 | 写真
例年ここから始めないと秋でない様になってきた。
この光明院では、少しだけ早かったと思うでも
25日には、ピークを迎えるだろうか?
昨年は、手振れが多くて 今年は、雨のため時間がなくてセッティング不足
来年くらい鮮明に撮りたいところ


人は、空いているハズが、いろいろ情報が流れていっぱい
縁側にちらほらだったのが もう隙間もなく腰掛ておられて
こんなこと2年前からでは初めて
時間を費やす余裕がない中で、タイミングよくショットして










今回は、上の茶室まで上がることができて














鍬山神社の秋

2010年11月22日 08時34分15秒 | 写真
楓があるだけで絵になるとは言い難く 
と言いながら楓ばかりを撮っております。
安国寺への途中で丹波に3山あるのですが
時間なく 寄るのはここだけ
この 鍬山神社は、社伝によると和銅二年(709)の創祀。
古社で鍬山大明神とも矢田社とも呼ばれた神社。

往古、当地は大蛇の住む泥湖であった。
そこで祭神・大己貴命が、八神を黒柄山に集めて協議し、
みずから鍬を持って浮田峡(保津峡)を切り開き、肥沃な農地としたという。
里人は、その神徳を慕い、天岡山の麓に大己貴命を祀ったのが起源。

また、医王谷に住んでいた医王・丹波康頼が
医療の祖・大己貴命を祀ったとも伝えられ、
社田として、楽田・油田・華田・八日田・相撲田・馬場田・雑用田・奉射田の
八種の田を献上したことから、八田と呼ばれ、矢田となったという。

もとは医王谷付近に鎮座していたが
慶長十五年(あるいは寛正年間)、現在の地に遷座したらしい。
また、境内の八幡宮は、社伝によると永万元年(1165)四月八日
天岡山に降臨された神であるという。

そこで紅葉の名所と














ことしは落葉が多いとか