2万4千歩き回ってやっと見つけた、
菊間字雲の境に 菊間藩庁 跡 があった。
正面に忠霊塔があり、 支那事変、大東亜戦争で戦死した兵士の例の名が
刻まれています。今も残っていることに驚いた。当時は本当に名誉の戦士
だったのだと思う。
資料によると沼津藩の水野忠敬は上総に国替えとなり、明治元年市原に
迎え菊間藩を設けた。翌年知事となり明治4年廃藩となる。
忠義等の奥に昭和6年正四位子爵水野忠亮建立の松翁稲荷神社跡と彫られ
た石碑があり、菊間藩転封の際鎮座している。何か残っていなきゃ
本当に地元の人も菊間藩があったこと聞いても知らないという人ばかり。
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