あふさきるさの日常

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市原市ちはら台菊間は菊間藩として栄えていた!

2021年01月29日 | 史跡探索

驚いた!この耕されてない広い土地の多い菊間がと今までと違う思いを込めて歩く。

菊間は市原市北方面にあり村田川を跨いで古市場、東では草刈の場所にある。又菊間古墳などがあり、その昔菊間藩の中心地として栄えていたとのこと。

菊間藩は、明治維新期の短期間、上総の国に存在していた藩で明治4年、
廃藩置県で無くなった。
藩主は水野 忠敬

資料によると

歌人・子爵。忠明の次男 忠誠の養子。駿河沼津藩主、御歌所参候となる。明治40年(1907)歿、57才。

菊間藩(きくまはん)は、明治維新期の短期間、上総国に存在した藩。1868年に駿河沼図藩の
水野家が移封され、1871年の廃藩置県まで存続した。菊間陣屋。

明治元年、徳川家達が駿府藩(70万石)に移ったことにより、それまで「沼津藩主」だった「水野忠敬」の所領5万石のうち2万3700石が上知となった。その代わりとして上総国市原郡菊間において2万3700石が与えられたことから「菊間藩」が立藩された。忠敬は新たな藩庁の建設や藩校の創設に尽力している。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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