マクロ経済そして自然環境

経済的諸問題及び自然環境問題に感想、意見を書く事です。基本はどうしたら住みやすくなるかです。皆さんのご意見歓迎です。

路線バス運転手の過酷業務。

2012-05-03 12:08:55 | Weblog

 先般高速バスの重大事故が有る中、その規程の緩やかさが問題になっています。既にご存知のように今回の6百数十キロもの距離を夜間一人で運転する等考えただけで過酷な業務だと思いますが(其の背景に規制緩和がありバス業者が免許制から許可制になったというような事ですが)、昨今投稿者は路線バスに多く乗る中この路線バスの業務も問題ではないかと考えている所です。

 

一般的緯線バス運転手の業務は観察すると、

①停留所で(某大手Kバスの場合、”中乗り、前降り”で、乗る時に乗車券をとる)後方ドア開けスイッチを押す。

②お客の乗車を確認してから後ろ扉を閉める、また降りるお客の前扉をあけ、運賃支払の確認(何処で乗ったかを確認しながら)をし、降車が終わったら前扉を閉める。

③発車後、次の停留所のテープを流すボタンを押す。

④次の停留所に止まる。

 

 

⑤これが一連の操作であるようですが其の外に車椅子の方が停留所にいる場合は降りて乗降口から鉄板を出して乗車降車の手伝いをする。

 

⑥当然運転している以上は常にハンドル、ブレーキ、クラッチ等々運転操作をしなければならない。

 

 ⑦これも路線バスとしては重要な要素でありますが、ダッシュボードに時刻表が書いてあり其の時刻を守るよう運転しなければなりません。

 

しかし話はこれで終わりでは無く先般よりKバスでは発車声だし確認もするように”指導”を始めた模様である。それは何かと言うと、発車の時に”左後方よし、前よし、右後方よし”と声を出しながら”点呼”するわけであります。これを上記①~⑦をしながら行うと言うわけであり些か之を全部確認しながら行うと言う事になればそれはある種、人間の注意力の限界と言う物が何処にあるかということが解らない人間が”指導”しているのではと思うわけであり確かに”声だし確認”はそれだけを取ると良いようでありますが全体を見るならそれは注意力拡散であり、形式主義的安全確保としか言いようが無いのではと言う事であります。しかもそれを一日8時間行うと言う事でありましょう。

 

確か、昭和30年代半ば頃まではバスには車掌さんが付いており発車の時には”後車オーライ”と言うように確認もしていたと思います。上記のような過酷な形式主義的安全主義から次の事故を招くと言うように思うのは投稿者だけでありましょうか?

 

コメント (2)
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