タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく150

2014-03-18 09:26:22 | 勝利
ぼくは昔、
広島カープ(プロ野球)のファンでした。

それで、テレビで広島カープの試合を見ていると、
よく、長谷川良平(はせがわりょうへい)という人が、
解説をやっていた。

以前、その長谷川良平氏が、
亡(な)くなったという記事が、
新聞に、のっていて、
切り取って、取っておきました。

長谷川良平氏は、プロ野球の広島カープの、
創設期(そうせつき)のエースとして活躍した人で、
肺炎(はいえん)のため、
76歳で、亡くなられたそうです。

長谷川氏は、
愛知・半田商工から、1950年、
市民球団として、発足したばかりの広島に入団。

身長1メートル67センチの小柄(こがら)な体ながら、
右横手の変則的(へんそくてき)なフォームから、
生み出されるシュートを武器に、
弱小時代の広島のエースとして、支(ささ)えた。

強気な投球が、持ち味で、
1年目から15勝を挙(あ)げるなど、
8年連続で、2ケタ勝利。
55年には、30勝で最多勝に輝き、
「小さな大投手」と呼ばれた。

63年の引退後は、
広島のコーチを経(へ)て、
65年のシーズン途中に監督就任。
67年まで指揮をとり、
その後は、中日のコーチも、務(つと)めた。

2001年、
野球殿堂(でんどう)入りを、
果(は)たした際には、

「弱小時代の広島は、
 私には、いい!環境(かんきょう)だった。
 それが、小さな私には、
 バネになった。」

と、話している。

弱小だから、だめなのでは、ない。
弱小だから、こんな環境では、
いい仕事が、できないのでは、ない。

弱小だからこそ!
闘魂(とうこん)を燃やして、
いい仕事が、できた!
弱小だからこそ、
自分の力を、最大限に発揮(はっき)して、
勝利することが、できた。


人は、時として、
さまざまな環境や、境遇(きょうぐう)などから、
こうだから、ダメなんだ。
こうだから、どうしようもない・・・
こうだから、自分は、もう・・・
とか、できない理由、
無理な理由を、並(なら)び立てることがある。

たしかに、それは、
だれだって、あるだろう。
けれど、それを並べていたら、
きりが、ないかもしれない。

創価学会(そうかがっかい)は、世界中に広がっているから、
いろんな国の人たちが、いる。
海外の人たちは、
ずこく、合理的(ごうりてき)な考え、
個人主義的な考えが、好きな人が、
多いようです。
だから、当然、創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を、
納得(なっとく)させるためには、
日本とは、説明の仕方が、
違ってきたりするそうです。

さきぼとも、話したように、
海外の創価学会の人たちも、いろいろと、
悩みを、抱(かか)えている。
人間だから、当然です。

その時に、
さまざまな環境や、境遇(きょうぐう)などから、
こうだから、ダメなんだ。
こうだから、どうしようもない・・・
こうだから、自分は、もう、できない・・・
ではなくて、
だからこそ!がんばるんだ!
こうだからこそ!戦うんだ!
こういう自分だからこそ、全力で挑戦するんだ!
という話しを、するそうです。

「こうだから」ではなくて、
『こうだからこそ!』がんばる!!

「だから」から、
『だからこそ!』への変換(へんかん)!!

一見(いっけん)、
「だから」に『こそ』を足(た)しただけだから、
あんまり変わらないように思うかもしれません。

けれど、「だから」と『だからこそ』では、
天国と地獄(じごく)くらい違ってくる!

「だから」は愚痴(ぐち)の命です。
こうだから、だめなんだ。
こうだから、もう・・・。
「だから」にはいつでも逃げ道があり、
後ろ向きの命が出てしまう。

けれど、『だからこそ』だと180度違(ちが)う!!
だからこそ、がんばろう!
だからこそ、戦うんだ!
『だからこそ』だと、どんな状況でも、
その状況を出発点として、
前向きに挑戦していく
清々(すがすが)しい希望がある!

『だからこそ』だと、
絶対に愚痴(ぐち)はないし、
後ろ向きにはならない!


それが、『だからこそ』なんです!


だから、『だからこそ』という発想(はっそう)は、
スゴイことだし、素晴らしいことなんです!

けれど、ここまでだと、
どこかのセミナーと、たいして変わらない。
いくら、『だからこそ』だと言ってみたところで、
現実の苦難(くなん)うずまく世界に生きていると、
『だからこそ』の方が良いことは、
わかっていても、
現実には、それができないで、
『だから・・』になってしまうことの方が、
多いからです。

これでは、だだの理屈(りくつ)にすぎません。

けれど、これが、
創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)だと、
ガラッと変わってくる!
創価学会の南無妙法蓮華経を
となえる仏法の信仰は、
現実に確実に、
『だからこそ』を可能にする、
ものすごいパワーであり
力(ちから)であり、
エネルギーだからです!!

南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰は、
現実に人間の生命を変革してしまうんです!
現実に人間の生命を、
絶望から希望へ。
あきらめから挑戦へ。
悲しみから歓喜へ。
宿命(しゅくめい)に打ちひしがれている自分から、
宿命を打ち破(やぶ)る自分へ。
夢をかなえていける強い自分へ。
自分の生命の中にある、
あらゆる不幸を、
幸せへと変革してしまうんです!

だから、南無妙法蓮華経を、となえていくと、
実際に、「だから」という、
あきらめと苦悩の生命から、
『だからこそ』という
希望と挑戦の幸せの生命に、
変革されていくんです!
だから、悩みや問題を、解決でき、
そして夢や希望も、
かなえていけるようになっていくんです!

日本的に言えば、
南無妙法蓮華経を、となえていくと
『負(ま)けじ魂(だましい)』が、
ふつふつと、湧(わ)き上がってくる!
だから、勝っていける。
そして、幸せになっていける。


ここに、
創価学会が、実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経の仏法の醍醐味(だいごみ)が、
あるんですが、
ようするに、
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
「こうだから、ダメなんだ」という、
あきらめの心から、
『こうだからこそ!』がんばるんだ!という、
挑戦し、戦う心に、変革される!

それが、
南無妙法蓮華経を、となえることの、
スゴサです・・・・!!!


海外の創価学会の人たちは、
こういう話しで、ほとんど、
納得(なっとく)するそうです。
そして、現実に、
そのとおり、真剣に、
南無妙法蓮華経を、となえ続けて、
ことごとく、その人その人の、
悩みや問題を、解決し、
幸せを、つかんでいます。

海外の人は、
合理的だから、結果が出なかったら、
やりはしません!
南無妙法蓮華経を、真剣に、となえて、
現実に、素晴らしい結果が、出るから、
創価学会は、世界192ヶ国に、
広がっているわけです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

こうだから、ダメなんだ・・というふうに、
悩みや問題を、自分ではなく、
自分の外にあるものの、せいにしてしまう。
また、悩みや問題を、
自分が原因だと認(みと)めたとしても、
それを、「だから、もう自分は・・・」というように、
無理な理由、できない理由、と決めつけ、
どうにもならないものとして、
あきらめてしまう・・・。

ところが、それでは、
一向(いっこう)に、悩みは、解決しないし、
問題も、解決しない。
一生、そのまま!ということです。

そうではなくて、
仏法(ぶっぽう)では、
一念三千(いちねんさんぜん)の法則を、
説いています。
一念三千とは、
一念(いちねん/こころ)の違いによって、
違う三千の世界が、できあがるということです。
ようするに、
自分の心を、変えることによって、
自分の環境、自分の人生、自分の世界を、
変えることが、できる!と、いうことです。

ただし、理屈では、わかっても、
人間、そう簡単に、心を変えるなんて、
できる話しでは、ありません!


だから、南無妙法蓮華経を、となえるんです!!


南無妙法蓮華経には、自分の心を、
劇的(げきてき)に、変革させる、
スゴイ力(ちから)が、ある!
ということてす。

だから、南無妙法蓮華経を、となえていくと、
こうだから、ダメなんだ!という、
理由を、探す、「あきらめ」の心から、
『こうだからこそ!』
かんばるんだ!挑戦するんだ!
という、何ものにも負けない、
強い強い、自己を変革する心(こころ)に、
変わっていきます!


ここに、
南無妙法蓮華経を、となえる、
スゴサと、素晴らしさが、あります。
だから、創価学会の人たちは、
さまざまな困難や悩みを、克服(こくふく)して、
幸せになり、
人生を、勝利することが、できるんです。


広島カープの長谷川良平氏のように、

「弱小時代の広島は、
 私には、いい!環境だった。
 それが、小さな私には、
 バネになった。」

と、言えたら、
人生、勝ったも同然(どうぜん)かもしれない。
また、そうなるために、
ぼくたちは、南無妙法蓮華経を、となえる。


そして、必ず、勝利できる・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく58

2012-02-15 09:04:34 | 勝利
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の
御書(ごしょ)の中に、
(御書とは、日蓮大聖人が書かれた
論文や手紙を、すべて集めたものです)


『苦(く)を苦と、悟(さと)り、
楽を楽と開き、
苦楽(くらく)ともに思い合わせて、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)と、
となえきっていきなさい!

これこそ、自受法楽(じじゅほうらく)
ではないですか。』
 

という一節(いっせつ)が、あります。


自受法楽(じじゅほうらく)という言葉が
難(むずか)しいですが、
この「自受(じじゅ)」とは、
「みずから受(う)ける」という意味で、
人ではない、自分自身で決まるということだそうです。

その次の「法楽」は、
「法(ほう)の楽しみ」と読めるから、
法、法則(ほうそく)、
宇宙の法則、宇宙のリズム、
生命(せいめい)の法則を、
楽しむということだろうか?

だから、「自受法楽(じじゅほうらく)」は、
みずからの生命を、
ありのままに、楽しむということだろうか?


創価学会(そうかがっかい)インターナショナル会長の
池田先生が、
人に何かをしてもらったり、
他から与(あた)えられるような、
ちゃちな幸せではなく、
自分が自分で、幸福をつくり、
自分で、幸福を味(あじ)わっていく。

どんな苦楽も、
悠然(ゆうぜん)と楽しんでいける、
強く大きな自分になっていく。


それが、
『自受法楽(じじゅほうらく)』だと、
言っていた!


また、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえていくと、
必ず、そうなっていく!とも、
言っていました。


けれど、
苦しい時も、楽しい時も、
「南無妙法蓮華経と、となえる」とは、
どういうことだろうか?


苦と楽では、
まったく、正反対です。

その、どちらの状況(じょうきょう)の時にも、
「南無妙法蓮華経と、となえていく」と、
『自受法楽(じじゅほうらく)』になっていく?


なぜだろうか?


南無妙法蓮華経は、
原因(げんいん)と結果(けっか)が、
同時に含(ふく)まれた、
宇宙の法則だという。

南無妙法蓮華経は、いわば、
瞬間(しゅんかん)、瞬間を、
幸せに変化させていく法則です。

過去(かこ)は、関係(かんけい)ない。
苦しかろうが、楽しかろうが、
南無妙法蓮華経は、
その瞬間を出発点(しゅっぱつてん)として、
未来を、必ず幸せに変化させていく。


その強力なエネルギーが、
南無妙法蓮華経なんだろうか・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

世界は、宇宙は、生命は、
たえず、変化(へんか)していく!

問題は、

「良(よ)く変(か)えるか!」

「悪く変えるか!」

だ。


ものごとが、うまくいき、
楽しくてしょうがない時でも、
いい気になって、図(ず)に乗っていると、
かえって、それが原因になって、
大きな不幸を、もたらすことも、
多々(たた)、ある。

だからといって、
すべてが、うまく、いがず、
不幸が、降(ふ)りかかっているような時は、
自暴自棄(じぼうじき)になって、
人生を、あきらめてしまう場合も、多い。


上にあげた二つの例(れい)は、
「悪(わる)く変わる」一例(いちれい)です。


悪く変わるのは、たやすい。

悪く変わるのには、何の努力も、いらない!


けれど、良く変わるのは、
容易(ようい)ではない!

それこそ、達人(たつじん)でもないと、
良く変わることは、
尋常(じんじょう)ではない。


自分は良く変わっていると、
自信(じしん)をもって言える人は、いるだろうか・・。


自分は、これからもずっと、
良く変わっていけると、
自信をもって、
言い切(き)れる人がいるだろうか。


この『変わる』ということに関(かん)しては、
人は、
表面的(ひょうめんてき)には、
いろいろなことをする場合もあると思う。

けれど、
本質的(ほんしつてき)には、
なかなか、変われないというのが、
正直(しょうじき)なところだと思う。

だから、
人は、悩み、
壁(かべ)を感じ、
人生を、なんとなく、
なおざりに生きるしかない場合もある。


調子(ちょうし)の良い時は、いいでしょう・・。

けれど、調子の悪い時は・・、

また、自分に、
さまざまな困難(こんなん)が襲(おそ)ってきた時は、
どうするだろうか・・・。

それこそ、
変わるしかない!
乗り越(こ)えるしかない!ことは、
わかっていても、
それができず、
大変な苦しみの中、
自分が追(お)い込(こ)まれていくことも、
あると思う。


ようするに、
根本的(こんぽんてき)に、変わる方法を知らない。

本源的(ほんげんてき)に、
自分を変えていくことが、できない・・。


そこに不幸が生まれ、
苦しみが生まれ、
人生を、あきらめてしまう人たちも、
多々、いる・・。


けれど、
人々は、あまり知(し)らないけれど、
だれでも、良く変わる、
宇宙の法則が、ある!

だれでも、良く変わる、
生命の法則が、ある!

だれでも、簡単(かんたん)にできる、
良く変わるための、
絶対的な、
生命の法則が、ある!


それが、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
です!


南無妙法蓮華経は、
自分の生命のリズムを、
苦しい時は、無理(むり)やりにでも、
幸せになる『良いリズム』に、変える!

楽しい時は、反動(はんどう)がこないように、
幸せのリズムを、
絶対に、はずさず、
なお一層(いっそう)、
幸せになる『良いリズム』に、
変えていく!


それが、南無妙法蓮華経の力だと思う。


だから、どんな時でも、
苦楽、ともに、
南無妙法蓮華経を、となえるんだと
思う!


結論から言うと、
南無妙法蓮華経は、勝利のリズムです。
勝利者のリズムです。

だから、日々、南無妙法蓮華経を、となえ、
となえきっている人に、
かなう人は、いない!

そして、南無妙法蓮華経は、
自分自身で感じることのできる幸せを、
おそらく、
最高最大に、高めてくれる!!

正直、ぼくも、
「南無妙法蓮華経を、となえる」
ということを、
知っているから良いけれど、

もし、
「南無妙法蓮華経を、となえる」
ことを知らなかったら、

それは、地獄(じごく)であっただろう・・!
と、心から思う・・・!


南無妙法蓮華経を、となえて生きるのと、
南無妙法蓮華経を、となえないで生きるのとは、
確(たし)かに、
天国と地獄くらい差(さ)があり、
人生と未来に、
決定的な違(ちが)いが出てきてしまうからです。


南無妙法蓮華経は、人々を勝利に導(みちび)く。

南無妙法蓮華経は、人々に、
幸せの道を切り開いてくれる。

南無妙法蓮華経は、人々のどんな悩みであっても、
解決していく力(ちから)となり、
どんな困難の壁(かべ)も
乗り越(こ)えるエネルギーとなる。

そして、その人の夢や希望に向(む)かって、
最高の幸せを、つかませてくれる!


それは、
まぎれもない事実(じじつ)であり、
世界192ヵ国に広がる創価学会の人々が、
現実に体験し、
実感(じっかん)していることだと、思う・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく37

2011-11-10 09:20:51 | 勝利

勝(か)つことは、楽しい。

勝つことは、幸せだ。


逆(ぎゃく)に、負けることは辛(つら)い。

負けることは、悲しい・・。


だから、人生という戦場の中で、
勝つことは、重要視(じゅうようし)される。


以前(いぜん)、学習しましたが、
『勝つ!』ためには、
三つの条件が、あるそうです。

その三つとは、

『責任感(せきにんかん)』
『忍耐力(にんたいりょく)』
『包容力(ほうようりょく)』

です。


『責任感』
必ず、勝ってみせる!
必ず、みんなを、幸せにしてみせる!
必ず、幸せになるんだ!
という、強い一念(いちねん/こころ)

『忍耐力』
結局(けっきょく)、勝つ人は、
勝つまで、努力し、忍耐(にんたい)した人だ。
いちばん、忍耐力がある人が、勝利する。

『包容力(ほうようりょく)』
かたくなな、小さな心ではなく、
さまざまな、かたちを認(みと)めることができる、
大きな、あったかい心。


この三つが、勝利の条件(じょうけん)だそうです。


それで、思い出したけれど、
最近は、芸能界でも、
創価学会(そうかがっかい)の人が、
目立(めだ)つようになってきた。

いつだったか、
テレビの画面に並(なら)んでいるのが、
ほとんど、創価学会員だったことも、
あった。

芸能界での創価学会員の活躍(かつやく)は、
同じ学会員として、
うれしいものがある。

芸能界は、目立つので、
良い刺激(しげき)にもなり、
この創価学会の信心(しんじん)が、
正しいことの証明にもなる。


やはり、そこには、
『勝つ』ための、何かがある!!!


ということだと思う。



創価学会は、世界192ヶ国に広がっているので、
世界のさまざまな分野(ぶんや)で、
創価学会員は活躍している。

営業の分野でも、
いつもトップの方(かた)が、
創価学会員であることも、多々(たた)ある。

世界に目を向(む)ければ、
こんなスゴイ人が、
創価学会員だったのかと思うことも、
多々、ある。

どの分野でも、
創価学会員の活躍は、
めざましいと思う・・・。


けれど、冷静(れいせい)に考えてみれば、
それも、当然だと言えるかもしれない。


なぜかといえば、
創価学会の人は、
勝利する方法を知っているし、
しかも、それを、
実践(じっせん)しているからです。

だから、芸能界にしろ、
どんな分野にしろ、
勝利できて、当然(とうぜん)かもしれない!


では、創価学会の人が、
どうして、成功できるのか・・?
考えてみたいと思います。


(1)「あきらめない」

最近の若い人は、忍耐力が少(すく)なくて、
簡単(かんたん)に、あきらめる人が多いようだ。

けれど、創価学会の人は、あきらめない。

南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえていると、
自分の中から強い強い生命力(せいめいりょく)、
勇気や希望が、わきあがってくるので、

『絶対、勝利するんだ!』

という、
強い一念(いちねん/こころ)を、
自分の中から、
無限(むげん)に、引き出していくことが
できるからです。

また、苦境(くきょう)の時でも、
創価学会の人が、

『絶対、あきらめるな!』

と、励(はげ)ましてくれる。

その創価学会の人たちの
信念と確信のこもった励(はげ)ましの力も、
大変、大きい!


(2)「輝(かがや)いてる」

『南無妙法蓮華経は歓喜(かんき)の中の大歓喜なり』

と言って、
南無妙法連華経を、となえるということは、
自分の生命力を、
強くし、輝かせていくことだから、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえていくと、
生命力が、ふつふつと
湧(わ)き上がってきて、
勇気や希望、
幸せに向かうプラスのエネルギーが、
自分の中から、あふれ出てくる。

自分の生命が歓喜し、
生きることが楽しくなってきて、
すべてを前向きに力強く、
希望をもって生きることができる。


それは、当然、自分自身を輝かせていく!


そして、自分の生命が輝いていれば、
当然、人より、引(ひ)き立って見えるし、
魅力的(みりょくてき)に、見える。


(3)「福運(ふくうん)が、ある」

芸能界にしろ、
どんな分野でも、
『運(うん)、不運』によって、
大きく左右される。

南無妙法連華経を、となえることと、
仏法(ぶっぽう)の実践活動である
創価学会の活動は、
その運(福運)をつける、
『唯一(ゆいいつ)の方法』と言っていい。


この『福運(ふくうん)』だけは、
他の何をやっても、つけようがない。


幸せを生む運(うん)。
幸せを引っ張(ぱ)ってくる強力なエネルギー。
それを、もたらすのが、
『福運』だけれど、
この福運がないと、どんなに努力をしても、
報(むく)われることはない。

福運がないと、
どんなに才能(さいのう)や能力があっても、
なぜだか、落(お)ちぶれていく。
すなわち、不幸になっていく。


実(じつ)は、福運がなくなることほど、
みじめなことは、ない・・。


逆に福運があると、自分が努力したことが、
すべて報(むく)われ、
どんどん幸せになっていける。

それが福運だと思うけれど、
普通はそれは、つけようがない・・。

だから、困(こま)る。
努力が報われないで、
途方(とほう)にくれる場合もある。


けれど、福運をつける決定的な方法がある!


それが、
『南無妙法連華経を、となえる』ことと、
仏法(ぶっぽう)の実践である
『創価学会の活動』です。


これ以外に福運をつける方法は、ありません。


それゆえに、その二つを
実践している創価学会員は、
「ラッキー」に、めぐまれて、
当然と、言えるでしょう。


(4)「個性(こせい)を、発揮(はっき)している」

仏法(ぶっぽう)というのは、
『桜梅桃李(おうばいとうり)』といって、
桜は桜らしく、梅は梅らしく、
桃(もも)は桃らしく、
すもも(李)は、すもも(李)らしく、
それぞれが、その人らしい、
最高の個性を発揮していく
法則(ほうそく)なので、
南無妙法連華経を、となえ、
創価学会の活動をしていると、
自分の個性を、最大限に発揮することが
できるようになってくる。

すなわち、自分が自分らしく
幸せになっていける生き方、
自分が最高に輝く、
自分らしい味(あじ)のある生き方が、
自然に、できるようになっていく。

それは、当然、
自分を最高に輝かせ、
自分の個性と味を、
最高に発揮する結果と、
なっていきます。


以上、四つのことから考えていくと、
たとえば、
芸能界という、きわだった世界だったとしても、
南無妙法連華経を、となえ、
創価学会の活動をしているということは、
大きな武器(ぶき)となると、
考えていいと、思う・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

勝利の条件である、
『責任感』
『忍耐力』
『包容力』

口で、言うのは簡単だけれど、
実際に、これを実践しろと言われても、
どうしていいか、わからないし、
なかなか、難(むずか)しいのが、
現実だと、思う。


けれど、この勝利の三つの条件を、
自然(しぜん)のうちに、身に付け、
実践していけるのが、
創価学会の実践している
『仏法(ぶっぽう)』だと思う。


南無妙法連華経を、となえる!ということと、
創価学会の活動によって、
知らず知らず、
自然のうちに、勝利の三つの条件が、
そなわっていく!

と、いうことです。


不思議(ふしぎ)としか言えないけれど、
南無妙法連華経には、
『勝利』の、すべての要素(ようそ)が、
含(ふく)まれている・・・・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく20

2011-08-24 07:40:18 | 勝利
よく、テレビなどを見ていると、
大きな成功を、おさめた人、
言い換(か)えれば『大金持ち』になった人の
特集みたいな番組を、やっていたりする。

逆に、どん底(ぞこ)を体験した人のストーリーなんかも、
よく、やっている。

どっちにしろ、大成功した人、
あるいは、女性でも、男性でも、
素晴らしい結婚をした人などを見ると、
確かに、うらやましいと思う。

よく、「勝ち組」とか「負け組」とかいう
言葉を使うけれど、
まあ、芸能人なんかは、
勝ち組にしろ、負け組にしろ、
なんか、トレンドとして、
一種の個性(こせい)として、
軽(かる)く、使っているようです。

けれど、「勝ち組」「負け組」という言葉は、
良い、悪いは、別にして、
まじめな人は、気に、さわることも
あるようです。

だれだって、勝ち組になりたいのは、
あたりまえだと思うけれど、
問題は、何を持って、勝ち負けを
決めているかだと、思う。

女性の場合で言えば、
昔は、結婚して、家庭に入ってしまうことのほうが、
負け組のように考えられていたようだ。
けれど、現代は、逆になったようです。

なにかとテレビとかで、話題になりやすい、
勝ち組、負け組は、
世間から見て、どう見えるかが、
基準(きじゅん)になっていると思う。

人から見て、

「みっとも良いか?」
「みっとも悪いか?」

これが、勝ち負けの判断(はんだん)のように思う。


けれど、
仏法(ぶっぽう)のとらえかたは、違(ちが)う!


人から見てではない。
自分から見て、
自分は、

本当に、幸せなのか? 違うのか?

それが、基準だ。

だから、創価学会(そうかがっかい)の世界では、
負け組は、いない!
すべての人が、勝利に向かって、
前進している自覚(じかく)がある。


仏法(ぶっぽう)では、すべての人に、
かけがえのない使命(しめい)がある!
と、説く。
無駄(むだ)な人なんて、絶対にいない!
ひとりひとりが、自分と、世界の幸せのために、
前進していく。

世界には、いろんな人がいるし、
いろんな立場(たちば)で、
いろんな境遇(きょうぐう)の人たちがいる。
同じ人は、ひとりも、いない!
世間から見て、
勝ち組だろうが、負け組だろうが、
そのすべての人が、希望を持って、
個性を発揮(はっき)して、
幸せになっていく空間(くうかん)が、
創価学会には、ある!

どんな境遇の人であろうと、
自分に最高の価値(かち)を見いだして、
自分の存在に、
最高の満足(まんぞく)を感じて生きていける場所が、
創価学会には、ある!


池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、

「創価学会は、幸せの安全地帯なんだよ」

と、言っていたけれど、
創価学会のひとりひとりが、
どんな苦難(くなん)の中であっても、
幸せの安全地帯を、感じることができる!


こんな、スゴイところは、
他には、絶対にないと思う。

単純(たんじゅん)な言い方だけれど、
創価学会は、
ほんとうに素晴らしいところだと、思う!!


だから、創価学会は、
世界192ヶ国に広がり、
どの国の人々にも、
受け入れられているのだろう。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


『仏法(ぶっぽう)は、勝負!』


と、よく言う。

なぜ?仏法は、勝負なのか?

仏法は、因果(いんが)の法則だ。
現在の行動、現在の一念(いちねん/こころ)が
原因となって、
必ず、結果として、
花開いていく!

ようするに、仏法は、
最高の勝利と幸せを、もたらす!
ということです。

たとえば、病気を克服(こくふく)できたり、
困難な悩みを解決していけたり、
夢や希望をかなえていけたりする。

それは、この仏法(ぶっぽう)が、
幸せを勝ち取る、
絶対にして最強の法則(ほうそく)であるからであり、
その仏法を、
真剣に実践(じっせん)していくならば、
当然の結果として、
必ず、勝利できる!!

しかも、その勝利は、
世間的な、ありきたりな勝利ではない!

死ぬ時に、
『自分は、勝った!』と、
心の底(そこ)から、ニッコリ、ほほえんで
死んでいける、
生命の底からの完全勝利だ。


それが、仏法(ぶっぽう)でいう勝利だと思う。


よく、この創価学会の仏法の信仰をつらぬいていくと、

『生きていること自体(じたい)が、幸せ』

という、絶対的幸せをつかめる!という。

人から見て、どうだとか、いうのではない。
もう、生きていること自体が、幸せなのだ。


きっと、これが、
ほんとうの、
『勝ち組』なんだと、思う・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・