タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく159

2014-06-10 19:19:26 | 日常
ぼくの友だちで、
映画やドラマ、コマーシャルなどの、
エキストラのアルバイトを、している人が
いるんですが、
エキストラを、やっていると、
いろんな人に、会うそうです。

当然、有名人にも、会ったりして、
面白い話しを、聞かせてくれるんですが、
そのほか、
エキストラとして、出演してる人の中にも、
「いちお、女優なんですが・・・」
とかいう人も、出ているそうです。

その人たちを、見ていると、
ほんとに美人だったり、
ほんとに、かわいかったりも、するそうです。

じゃあ、なにが違(ちが)うかと、いうと、
その友だちが、言うには、
『目の輝(かがや)き』が、違うそうです。

どんなに美人や、かわいい人でも、
『目の輝き』がない人は、
売れない。
『目の輝き』が、ない人は、
人を、ひきつけ、
魅了(みりょう)していくことが、
できない。

「目の輝き」とは、
言い換(か)えれば、
その人間が放(はな)っているオーラ、
その人間が、持つ生命の輝きと、
言えるかもしれない。

たとえ、どんなに美人であっても、
どんなに、かわいくても、
その人間に、生命の輝きがなかったら、
芸能界では、
通用(つうよう)しないということだろうか・・?


創価学会(そうかがっかい)の人にも、
芸能界の人は、たくさん、いる。
お笑いでも、女優でも、
ミュージシャンでも、
トップで活躍しているような、
有名な人たちが、
創価学会員である場合も、多々(たた)ある。

たとえば、創価学会員で、
売れっ子の女優さんの話しを、
すれば、
ぼくが、考えるに、
その人たちが、
たしかに、かわいいし、
美人だったりするけど、
じゃあ、メチャメチャ、かわいいか?と、言えば、
それほどでも、ないように、
思うこともある。
世間一般の人と、そんなには、
変わらないような気がすることも、ある。

けれど、トップとして活躍し、
めちゃめちゃ、売れていたりする。


なぜだろう?


やはり、それは、『目の輝き』
『人間の輝き』が、きわだっている!
からでは、ないだろうか?

なぜ、『目の輝き』『人間の輝き』が、
ほかの人より、勝(まさ)り、
きわだっているのか?

それは、創価学会の、
南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)を、
実践しているから!としか、
言いようがない!!!!

『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、
 歓喜(かんき)の中の大歓喜なり!』
と、言って、
南無妙法蓮華経を、となえていると、
生命が、歓喜してくる。

南無妙法蓮華経は、
人間の生命を、最大に輝かせ、
最大に、その人間の能力を、
開花させる!

南無妙法蓮華経は、
人間の中にある無限の可能性、
その人が、人間であるところの、
最高のものを、その人の中から、
引き出し、幸せにしていく法則(ほうそく)だから、
南無妙法蓮華経を、となえている人間は、
最高に、自分と個性を、発揮することができ、
そして、自分の生命を、
最高に、輝かせていくことが、できる!


そういえば、
ぽくの知人が、
「創価学会の人は、個性が強い人が多い・・。」
と言っていたけれど、
それは、個性が強いのではなくて、
南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰を、
実践(じっせん)しているので、
おのおのが、
自分の個性を、最大限に発揮(はっき)できている!
ということです。

だから、現実の世界の中で、
良い意味で、個性が、きわだっていく・・!

ゆえに、芸能界という厳(きび)しい世界でも、
南無妙法蓮華経を、となえている、
創価学会員が、輝かないわけがなく、
同じ、かわいい人、美人のたくさん、いる、
芸能界でも、
その人は、きわだった輝きを、
発揮していく・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

もうひとつ、言えることは、
ぼくの友だちが、言った『目の輝き』だ!

『目の輝き』とは、
その人の心、もっと言うと、
その人の思想、信念(しんねん)を、
そのまま、表現していると思う。

そういうことから、考えると、
創価学会の仏法(ぶっぽう)の思想は、
人々を、幸せにし、平和にしていく、
世界最高の思想であり、哲学(てつがく)であるので、
その思想、哲学を持った、
人間の『目の輝き』は、
当然、世界最高の思想、哲学を、持っているのだから、
その信念が、もっとも出てくる『目の輝き』も、
最高の、素晴らしい輝きを放(はな)っていく!!!
と、考えることが、できる。

南無妙法蓮華経の仏法の、
平和思想、幸せの哲学(てつがく)は、
世界最高のものであるので、
その哲学を、もった人たちの目の輝きは、
当然、きわだって、輝いてくる。

また、理屈(りくつ)ではなく、
実際に南無妙法蓮華経を、となえていると、
自分の生命が、歓喜し、
輝いてくるので、
その人の個性も、
最大に発揮されることになり、
人間としても、芸能人としても、
とても、魅力的な存在になり、
芸能界という、きわだった世界の中でも、
創価学会員が、活躍できるのは、
当然のことと、言えるかもしれない・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく158

2014-06-01 11:49:40 | ドラマ
先日から、ビデオで、
「白夜行」というドラマを見た話しを、
しています。

このドラマは、
まだ、11才の子供だった、
亮(りょう)と雪穂(ゆきほ)が、
泥沼(どろぬま)のような生活の中、
自分たちの人生を、取り戻(もど)すために、
お互いが、自分の親を、殺すという、
交換殺人を、行い、
その後、その罪を隠(かく)すために、
罪(つみ)に罪を、重ね、
犯罪に犯罪を、かさねていくという、
物語だけれども、
冷静(れいせい)に考えてみたら、
こんな悪いやつらは、いないわけで、
同情の余地(よち)もないし、
強烈(きょうれつ)な非難を、受けて当然なんだけれど、
そこが、ドラマで、
ドラマを、見ていると、
この二人が、最終的には、
なんとか、幸せになってくれないものか・・・
ハッピーエンドで、終わってほしい!
などと、考えてしまう・・・。

これが、ニュースなどで、
その犯罪だけを、見聞きしたならば、
「なんて、ひどいやつらだ!
 死刑(しけい)にすべきだ!」
などと、当然のように、
考えるにちがいない。

ところが、ドラマだと、違(ちが)う。
なぜだろう・・・?

それは、そのドラマに、
人間性が、出ているからだと思う。
人間としての心情(しんじょう)が、
にじみ出ているがゆえに、
どうしても、かわいそうに思い、
ハッピーエンドで、終わってほしい!
などと、考えてしまう。

たとえば、大変な犯罪者であったとしても、
その犯罪者の親からしてみたら、
許(ゆる)されないのは、わかっていても、
子供のころは、
当然、かわいいところも、あったであろう。
親から見たら、
いいところも、きっと、
たんさん、見えていたに違いない。

だから、親からみたら、
どうしても、愛情の念(ねん)を、
捨てることが、できない場合も、
あると思う。


それは、なぜなのだろう?


それは、そこには、
やはり、
人間性が、あるからだ・・・!

どんな犯罪者であったとしても、
生まれたときから、
「こいつは、人間ではない!
 とんでもない悪魔(あくま)だ!」
なんて、思う親は、いないと思う。

どんな人間であろうと、
生まれてきたときは、
やはり・・・、『人間』だからです。

すなわち、
たとえ、どんな犯罪者であったとしても、
その人の中には、
人間性が、内在(ないざい)している!
ということです。

人間性を、内在していない人間なんて、
いない!!!!
すべての人の中には、
人間性が、内在(ないざい)している。

それは、そのまま、
どんな人であっても、
幸せになる可能性と権利を、
有(ゆう)しているということだと思う。

それなのに、なぜ?
人は、犯罪に走ったり、
大きな失敗をして、敗残者(はいざんしゃ)となったり、
絶望し、自殺してしまったり、
幸せとは、正反対の不幸に、
陥って(おちいって)しまうのだろうか?


すべての人の中に、
素晴らしい人間性が、
内在してるにもかかわらず・・・!


冷静に考えてみると、
確かに、すべての人の中には、
素晴らしい人間性が、内在している。
言い換(か)えれば、
すべての人間の中には、
『幸せになろうとする生命』
『幸せの息吹(いぶき)』
『幸せになろうとする無限のエネルギー』
が、内在していると言える。

にもかかわらず、
それらを、出すことができず、
不幸になってしまうということは、
その人の生命に、
「大きな、ゆがみ」
「おおきな、狂(くる)い」
「大きな、ひずみ」が、
あるということだと、思う。

そして、その自分の生命に、
出来てしまった、生命のゆがみ、狂いが、
本来、人間が持っている、
『幸せになろうとする生命の息吹(いぶき)』
『幸せになろうとする無限のエネルギー』
を、閉(と)じ込め、
見えなくし、
消し去っているのかも、しれない・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

本来、人間には、
幸せになろうとする、
素晴らしい素晴らしいエネルギーがある!

ところが、
自分の中に、できてしまった、
生命のゆがみ、狂いが、
自分の中にある、
幸せになれる
無限の素晴らしい可能性とエネルギーを、
見えなくしてしまい、
その生命のゆがみと狂いは、
自分に幸せになる可能性など、
あるとは、とえも思えなくしているのかも、
しれない。

けれど、
だれがなんと言おうと、
すべての人間の中には、
幸せになれる、
無限の可能性と、エネルギーがある!

その、幸せになれる、
無限の可能性を秘(ひ)めた、
最高のエネルギーのことを、
仏法(ぶっぽう)では、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』という。

言い換えれば、
幸せになる無限の可能性とエネルギーを、
内在した生命!
それが、『南無妙法蓮華経』だと思う。


すべての人の中に、
幸せになる無限の可能性とエネルギーは、
内在している。

そして、その幸せになる無限の可能性とエネルギーを、
内在した生命のことを、
『南無妙法蓮華経』と言うんだから・・、
その、幸せになる無限の可能性とエネルギーを、
内在した生命である、
『南無妙法蓮華経』は、
すべての人間の中に存在する!
と、いうことです!!

存在するんだから、
引(ひ)き出せばいい!!

その、自分の中にある、
幸せになる無限の可能性とエネルギーを、
引き出す方法であり、行為(こうい)が、
「南無妙法蓮華経を、となえる!」
ということです。


南無妙法蓮華経を、となえることは、
自分の生命を、蘇生(そせい)される。
そして、幸せになるための、
無限の可能性とエネルギーを、
湧(わ)き上がらせ、引き出していく。

ゆえに、ぼくたちが、
南無妙法蓮華経を、となえる時、
たとえ、自分の生命に出来てしまった、
「ひずみ」や「狂い」が、
どんなに大きかったとしても、
真剣に南無妙法蓮華経を、
となえ続けることによって、
その人の生命のゆがみや狂いを、
消し去り、直(なお)すことができる!

幸せの可能性とエネルギーを閉ざした壁(かべ)が、
どんなに、厚(あつ)かったとしても、
その壁を、打ち破(やぶ)り、
幸せのエネルギーと可能性を、
開花させることが、できる!


だから、創価学会の人たちは、
さまざまな苦しく辛(つら)い境遇(きょうぐう)にあろうとも、
その苦境を、打ち破り、
幸せのエネルギーを、開花させて、
現実に、幸せになっていける。
夢や希望を、かなえていくことができる。
悩みや困難(こんなん)を
乗り越えていくことができる・・!!


それが、
世界192ヶ国に広がる、
創価学会(そうかがっかい)の人たちが、
体験し、実感している、
南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の、
まぎれもない素晴らしさだと、思う・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・