タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく67

2012-03-31 11:05:35 | 日常
まえに、
聖教(せいきょう)新聞の『わが友に贈(おく)る』に、

(「わが友に贈る」は、
池田創価学会インターナショナル会長が、
聖教新聞の一面に、毎日、のせてくれている、
4、5行の短いメッセージです)

「未来部の友は皆、
 
法華経(ほけきょう)の命を継(つ)ぐ人。

だからこそ

学会と共に生きる

素晴(すば)らしさを伝えよ!」

と、あった。


未来部とは、
創価学会員(そうかがっかいいん)の
夫婦の間に生まれた子供たちのことで、
創価学会員二世とか、三世、四世になると、
思う。


『法華経(ほけきょう)の命を継(つ)ぐ人・・・』


法華経とは、仏法の真髄(しんずい)で、
結論から言えば、
現代では、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』が、
法華経なんです。

だから、仏法(ぶっぽう)の真髄とは、
「南無妙法蓮華経」のことになり、
『南無妙法蓮華経の仏法』が、
仏法の真髄である、「法華経」だということです。

だから、法華経の命を継ぐ人とは、
その、
「南無妙法蓮華経の仏法の真髄を、伝える人」
という意味だと思う。


仏法(ぶっぽう)とは、
はっきり言えば、
世界を平和にする、
世界を幸せにする、
最高にして唯一(ゆいいつ)の法則(ほうそく)と
言っていいので、
その仏法の真髄を、世界に伝える人は、
本当に、大切となる。


『学会と共に生きる
素晴らしさを伝えよ!・・・・』


創価学会と共に、生きる素晴らしさって、
何だろう?


いろいろ、ありすぎて、困(こま)るけれど、
「生きる価値(かち)」と共に、
生きることができる!ということだろうか?

自分の存在を、
最高最大に認(みと)めることが
できる喜(よろこ)び!だろうか?


普通は、家庭にしろ、会社にしろ、
現実の社会の中に生きていると、

(創価学会が、現実の社会ではないと
いうことではない!
創価学会は、現実社会を、
より強く、楽しく、幸せに、
生きていくために、ある)

自分という存在(そんざい)は、
どんどん、小さくなっていくような気がする。


自分の存在が、はっきり、見えてこない!


なんのために、生きているか、
見えてこない。

目先(めさき)の、さまざまな小さなことに、
とらわれて、あくせく、
生きているという感じがする。


人間としての、目的感、
人間として、
自分は、本当に生きているんだという、
本当の意味での生命に感じる、
充実感(じゅうじつかん)!


これが、隠(かく)れてしまうのが、
「世間(せけん)」だと思う。


見栄(みえ)や、ていさいに、とらわれ、
それでも、その日、その日、
めまぐるしく、生きていくしかない。

時は、どんどん、過(す)ぎていく。


これが、普通の、
あえて、わかりやすく言い方を変えれば、
創価学会を知らない人たちの、
生き方だと、思う・・。


創価学会と共に生きるのと、
そうでない生き方との違(ちが)いはなんだろう?


と考えたとき、

一般的に・・、
創価学会でない人たちは、
あまり、
「歓喜(かんき)」という言葉を、使わない。

「歓喜」という言葉が、めずらしく思えてくる。

それは、日々の生活の中で、
自分の生命に、「歓喜」を感じることが、
ほとんど、ないからだと思う。

「歓喜」とは、生きる喜び、そのもの!
この「歓喜」が、なかったら、
人生は、むなしく、はかないかもしれない。


ところが、創価学会の人たちは、違う。
日々の生活の中で、
よく「歓喜」という言葉を使う。

それは、日々、自分の生命で、
歓喜を感じているからであり、
歓喜が湧(わ)き上がってくる実感(じっかん)を、
自分の生命で体験しているからであり、
また、その「歓喜」を
共に共有(きょうゆう)しているからだとも言える。

悩みを克服(こくふく)することのできた歓喜!

困難を乗り越(こ)えることのできた歓喜!

創価学会の仏法(ぶっぽう)の信仰によって、
夢や希望をつかむことのできた歓喜!

宿命(しゅくめい)を転換(てんかん)し、
より良く人間革命していけた歓喜!

家族や職場、環境や境遇(きょうぐう)を、
より良く変えていくことのできた歓喜!

家族や友を、幸せに導(みちび)くことのできた歓喜!

単純(たんじゅん)に言えば、
勝利の歓喜!
希望がわき上がる歓喜!
未来までつらぬく幸せの歓喜!

その、あらゆる歓喜をつかみ、
味(あじ)わえる場所が、
創価学会(そうかがっかい)だと思う。


だから、
創価学会の中で、生きるとは、
この「歓喜」の中で、生きるということだと、
思う。


日々の生活の中で、「歓喜」を、感じながら、
生きる。


創価学会と共に生きるとは、
自分の生命に、歓喜を感じ、
自分の生命に、生きる価値を感じ、
勝利と幸せの生きる充実感を、
感じながら生きる!
ということだと思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

以前、聖教新聞に、
ある落語家(らくごか)の師匠(ししょう)が、
毎日毎日、師匠と呼ばれながらも、
ものすごい、はかなさを、感じ、
妻がやっていた創価学会の信仰を、
はじめたと、書いてあった。

ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経を、となえていると、
虚飾(きょしょく)や、見栄(みえ)が、なくなってきて、
自分の欠点が、よく見えてきて、
弟子に、落語家としてではなく、
人間として、いろいろなことを、
教えることが、できるようになった!

と書いてあった。

そして、創価学会と共に生きる喜びを、
強く、語っていた。


創価学会と共に生きる素晴らしさとは、
何だろう?


南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)とは、
宇宙のリズムだ。

幸福を作る宇宙のリズムであり、法則だ。

創価学会は、その「南無妙法蓮華経の仏法」を、
日々、生活の中、人生の中で、
実践(じっせん)している団体なので、
創価学会と、共に生きるということは、
その南無妙法蓮華経の作る、
幸福のリズム、宇宙のリズムの中で、
生きるということになります。

それは、どんな時でも、
宇宙の幸せを作る波の上を、
サーフィンで、楽しく波乗(なみの)りして、
遊んでいるようなものかもしれない。


これが、幸せのリズムから、外れていたら、
どんなに、悲惨(ひさん)だろう!

宇宙のリズムである、
幸せを作る波に、のれなかったら、
どんなに、さみしく、つまらないだろう・・・!


池田先生が、

「創価学会は、
幸せの安全地帯(あんぜんちたい)なんだよ!」

と、言っていた。

だとしたら、
創価学会と共に、生きなかったら、
現実社会という危険に、さらされながら、
かすり傷(きず)で、すめばいいが、
人生の苦難(くなん)という、
さまざまな車に、衝突(しょうとつ)され、
大きな痛手(いたで)を負いながら、毎日、
それでも、生き続けなければならない。


それでは、あまりにも、つらいし、
悲しいと思う。


それは、歓喜を知らない人生、
創価学会と共に生きることを、
知らない生き方だと、思う。


結論(けつろん)から言うと、
創価学会と共に、生きるということは、
人生における、
すべてのものを、手に入れるのに、
等(ひと)しいと、思う・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく66

2012-03-27 06:49:26 | テレビ
昔、テレビで、
「クイズ!ヘキサゴン」
という番組がありました。

当時は人気があって、
ぼくも、たまに見ていました。

博識(はくしき)な頭の良い人たちが出る
クイズ番組ではなく、
芸能人たちの間抜(まぬ)けな答えを
楽しむ番組でした。

まあ、人のことは、言えないけれど、
おもしろかったです。

人って、驚(おどろ)くほど、
間抜けな部分もあったりして、
かといって、
その人が、ダメかというと、
そうではなく、
すごく魅力(みりょく)があったりする。

不思議(ふしぎ)です。

そうかと思うと、
まえに、他のテレビで見たけれど、
ルービック・キューブという、
小難(こむずか)しい立体パズルを、
ほんの何秒という時間で完成させてしまう、
すごい頭脳(ずのう)の人たちも、いる。

不思議です。


同じ人間なのに・・・・・・!


その、クイズ・ヘキサゴンで見た話しですが、
芸能人二世対決というのがあって、
芸能人の二世の人たちが、集まって、
ヘキサゴン・クイズバトルを
やりあっていました。

それで、最後に、
戦った二世の芸能人たちが、集まった時、
石田純一が、

「みんな、いいDNAを、持っているよ!」

と、皆を、たたえていた。


それで、思い出したけど、
だいぶ前だと思うけれど、
かなり前の新聞に、


「人間は、祈(いの)りによって、DNAさえ、
変えることが、できる」


ということが、
科学によって、判明(はんめい)された!
という話しが、のっていた。

ぼくが思うに、
祈りのよって、DNAが変わると言っても、
それは、きっと、ごく末端(まったん)の、
ほんのわずかな部分に、すぎないのではないか?
と思う。

だって、そんな、
DNAが、全部変わっちゃったら、
世話(せわ)はないからだ。

ただし、ほんの、ごく微小(びしょう)の、
ほんのわずかであっても、
祈りによって、DNAが変わるということが、
科学で判明されたのは、
大きいかもしれない!と思った。

なぜかというと、
自分が、優秀だと思っている人も、
優秀でないと思っている人も、
いろいろ、いると思うけれど、
基本的(きほんてき)に、

人間って、なかなか、変われない!

と思うからです。

表面的(ひょうめんてき)には、
変わったように見えていても、
実際(じっさい)の中身の部分では、
何にも、変わっていないということが、
ほとんどだと、思うからです。

DNAというのは、
よく知らないけれど、
人間の根本(こんぽん)の部分だと思う。

その根本の部分が、変われるということは、
人間には、それだけのエネルギーが、
あるということだと思う。


たとえ、それが、ほんのわずかであったとしても、
やはり、それは、大きい!


スポーツにしても、
勝負を決するのは、ほんのわずかの差(さ)です。

陸上アスリートたちは、
レイコンマ何秒というタイムを競(きそ)っている。


そのほんのわずかの差で、
勝利者と、敗北者が、分れる。


サッカーにしても、野球にしても、
ボールが、あと、1センチ、中に入っていたら、
勝っていた!
1センチ、違(ちが)っただけで、
負けてしまったというのが、
常識(じょうしき)だ。

ほんの1センチ、
ほんのわずかの差で、
天国と、地獄(じごく)が、わかれてしまう。

スポーツの世界でなくても、
現実の人生においても、
それは、同じだと思う。


あと、もうすこし、
ほんのわずか!何かがあったら、
人生を勝利できた。
ほんのわずか、何かが足りなかったために、
人生を、敗北した。


それが、現実の人生における、
勝負だと思う。


だとしたら、祈りによって、
ほんのわずかでも、DNAが変わるとしたら、
それは、大きい!

きっと、DNAは、
人間の根本の部分だから、
その部分が、少しでも変わったら、
人生は、すべてにわたって、
大きく変わってくる!

そう、言わざるをえない。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

ただ、ひとつ、言っておきたいのは、
祈りに力(ちから)があるとしても、
祈りなら、なんでも良いということではありません。

間違(まちが)った祈りは、間違っているがゆえに、
逆(ぎゃく)に間違った影響(えいきょう)を
およぼしてしまう。

すなわち、間違ったものに祈った結果として、
人生に、さまざまな形で、
「不幸」が出現してしまうということです。

それが、日本にはびこっている、
葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、神社信仰です。

それは、ちょっと考えればわかりますし、
仏法哲学(ぶっぽうてつがく)を、ひもとけば、
完全に間違った宗教であることが
わかります。

ゆえに、
それらの葬式仏教や観光宗教、神社信仰に、
どんなに真剣(しんけん)に祈ったとしても、
かりに、命がけで祈ったとしても、
その人に幸せをもたらすことはなく、
逆に、間違った宗教であるがゆえに、
真剣に祈れば祈るほど、
その人に、
さまざまな形で、
不幸が、もたらされてしまうと、
いうことです・・。


それにしても、
祈りには、DNAを変えるほどの力があるという。


実(じつ)は、
その人々に幸せをもたらすことのできる、
本当に力(ちから)ある祈りが、
創価学会の
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえる祈りなんです!!


創価学会(そうかがっかい)の人たちが実践する、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)には、

『宿命転換(しゅくめいてんかん)』、
あるいは『人間革命』

という法則がある。

南無妙法蓮華経を、となえることと、
創価学会の、
仏法を基調(きちょう)とした活動によって、
自分という人間を、
根本から、変革することができる!
と説く、
仏法(ぶっぽう)の法則(ほうそく)です。

池田先生(創価学会インターナショナル会長)も、

『一人における偉大(いだい)なる人間革命は、
やがて、一国の宿命の転換をも、成し遂(と)げ、
さらに、全人類の宿命(しゅくめい)の転換をも、
可能にする!』

と、言っています。


南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、
生命の変革(へんかく)の法則だと、
いう。

だいたい、優秀な人、幸せな人が、
幸せになるのは、当たり前だ。

だけど、創価学会の人たちは、
昔は、世の中から見放(みはな)されたような、
貧乏人(びんぼうにん)と病人の集まりだった。

その人たちが、
南無妙法蓮華経を、となえることによって、
また、創価学会の仏法を基調とする活動によって、
ことごとく、病気を克服(こくふく)したり、
貧乏を克服したりして、
幸せの、勝利の姿を、見せている!


これは、DNAでも、
変わったのではないか?と、
思わずには、いられない!


人間には、それだけのエネルギーがある!
ということの証明だと思う。

また、その人間の最高のエネルギーを、
引き出す力(ちから)が、
創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)には、
あるんだと思う!


ひとつ、言えることは、
別にDNAが変わろうが、変わらまいが、
創価学会の中で、
南無妙法蓮華経を、となえぬき、
創価学会の活動を、やりきっていくと、
必ず、『幸せになる!』と、
いうことです・・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく65

2012-03-22 06:47:12 | 
ユネスコが編纂(へんさん)した、
『語録(ごろく)  人間の権利』
という書物があります。

この「語録  人間の権利」は、
紀元前(きげんぜん)6、7世紀から
21世紀にいたるまでの、
名だたる偉人たちの
人間の権利(けんり)に関する
名言(めいげん)を集めたものです。


その書物の中に、

『権力の限界の章(しょう)』

という項目(こうもく)があります。


その中で、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の言葉が、
引用されているそうです。

それは、こうです。

『王地(おうち)に生まれたれば、
身をば随(したが)えられ たてまつるやうなりとも、
心をば、随(したが)えられ たてまつるべからず!』

その国に生まれた以上、
身は、その国の権力に、
したがえらているようだけれど、
心までは、
したがえることは、できない!!

という意味です。


これは、当時(とうじ)、
日蓮大聖人が、
鎌倉幕府の最高権力者であった
平左衛門尉(へいのさえもんのじょう)に呼び出され、
対峙(たいじ)したときに、
日蓮大聖人が、言った言葉です。


当時、日蓮大聖人は、
権力と結託(けったく)した、
民衆を奴隷(どれい)にするような宗教に、
真っ向から、対決し、
民衆を、真に自立させ、
民衆に、真に幸せを、もたらす、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
の仏法(ぶっぽう)を、広めていた。

そのため、権力の崩壊(ほうかい)を恐れる、
エセ宗教家たちが、
権力者と結託(けったく)して、
日蓮大聖人を、亡(な)き者にしようと、
命に及(およ)ぶ、
さまざまな迫害(はくがい)を、加えてきた。

そして、日蓮大聖人は、
無実の罪で、
佐渡の地に流罪(るざい)された。

けれど、
日蓮大聖人の予言(よげん)したとおりに、
「北条時輔(ほうじょうときすけ)の乱」
という内乱が起こり、
これも、日蓮大聖人の予言どおり、
蒙古(もうこ)が襲来(しゅうらい)して、
海外から、
日本は、攻(せ)められた。

日蓮大聖人の予言が、
見事に的中(てきちゅう)したため、
時の権力者、平左衛門尉は、
恐(こわ)くなって、
流罪の地、佐渡から、
日蓮大聖人を鎌倉に連れ戻(もど)し、
日蓮大聖人は、
平左衛門尉と対面(たいめん)することになる。

その時に、
日蓮大聖人が、
言い放(はな)った言葉が、
上にあげた、

『王地(おうち)に生まれたれば、
身をば随(したが)えられ たてまつるやうなりとも、
心をば、随(したが)えられ たてまつるべからず!』

です。


烈々(れつれつ)たる気迫(きはく)が、
心に伝(つた)わってくるような言葉です。

スゴイと思う。


まさに、人間としての、
真骨頂(しんこっちょう)を、感じる。


すなわち、これが、
権力の限界(げんかい)だということだと思う。



権力には、限界がある・・・。

それは、人間が、
権力では抑(おさ)えることのできない、
とてつもない『何か』を、
持っている!!
ことを意味します。


人間には、
権力を、はるかに超(こ)えた力が、ある!


その力(ちから)が、
日蓮大聖人の生命には、
脈々(みゃくみゃく)と、みなぎり、
あふれんばかりに、
湧(わ)き上がっていた!

また、それは、
日蓮大聖人だけでなく、
すべての人間に共通のものであり、
共通の欲求(よっきゅう)であり、
すべての人が欲(ほっ)し、望んでいる、
抑えることのできない、
人間としての誇(ほこ)りであり、
「生命の欲求」だと思う。


だから、言うことができる。


「権力を超えた、生命の力は、
ぼくたち、すべての人間の中に、
脈(みゃく)打っている!」


・・と。


問題は、

その、権力を超えた、生命の力とは、
何か?

ということです。


実(じつ)は、その、
権力をも超えた、最強の生命、
どんな圧力(あつりょく)をも、
乗り越えることができる、
最強にして最高の生命のことを、

『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』

と、言うんです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


この『南無妙法蓮華経』の生命は、
すべての人間の中にある。


仮(かり)に、
「私には、そんな生命はない」
と言う人がいたとしても、
その人の中にも、
必ず!!
その「南無妙法蓮華経」という生命が、
あります。

その「南無妙法蓮華経」という
生命があるということは、
すべての人が、
権力をも超えた最強の生命を、
持っている!
ということです。

だから、ぼくたち、
創価学会(そうかがっかい)の人々が、
南無妙法蓮華経を、となえる時、
自分の中から、
どんな困難(こんなん)、
どんな圧力にも屈(くっ)しない、
その、最強の生命が、
ドクンドクンと、脈を打って、
湧(わ)き上がってくる!

それは、人間が、最も恐れる、
『不幸』という運命の力(ちから)さえも、
みごとに、打ち破り、
すなわち、『幸せ』という勝利の姿を、
現実に、
示(しめ)すことになっていく!


それが、
権力(けんりょく)をも、
運命をも超えた、
最強の生命の力だと思う。


ここに、創価学会の素晴(すば)らしさ、
また、南無妙法蓮華経を、となえて生きる
素晴らしさが、あり、
創価学会の人々が、
どんな困難、
どんな不幸にも屈(くっ)せず、
幸せを勝ち取っていける理由がある。


すなわち、
南無妙法蓮華経は、
南無妙法蓮華経を、となえることは、
宿命(しゅくめい)を転換(てんかん)する力となり、
悩みを克服(こくふく)する力となり、
夢や希望を、かなえていく力(ちから)となって、
世界中の創価学会の人々に、
勝利と、幸せを、
もたらしている・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく64

2012-03-17 11:47:51 | 
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の、
有名な御書(ごしょ)の中のひとつに、
(御書とは、日蓮大聖人が書かれた、
論文や手紙を、すべて集めたものです)
『立正安国論(りっしょうあんこくろん)』
という、御書が、あります。


『旅客、来たりて嘆(なげ)いて曰く(いわく)。

近年より近日に至るまで、
天変地夭(てんぺんちよう)・飢饉疫癘(ききんえきよう)
・あまねく天下に満(み)ち広く地上に、はびこる。

牛馬、ちまたに、たおれ、
骸骨(がいこつ)、路(みち)に充(み)てり、
死を招(まね)くの輩(ともがら)
すでに大半を超(こ)えて、悲しまざるのやから、
あえて、一人も無し。』


という書き出しで始まる立正安国論ですが、
当時の日本の状況(じょうきょう)が、
どれだけ、ひどかったか、
よく、伝わってくると思います。


時代は変わっても、
現代でも、
似(に)たようなことは、あると思います。


そして、その結論(けつろん)として、
日蓮大聖人が、言っていることは、


この世の中に、はびこる不幸の根源(こんげん)は、
『間違(まちが)った宗教・思想にある!』


と、断言(だんげん)しています。


現代で言えば、
いろいろ、あると思いますが、
自分に関係あること以外は、
興味を示(しめ)さない、
「無関心主義(むかんしんしゅぎ)」

これも、一種の「無関心教」という、
宗教と、いえると思う。


宗教とは、人間が生きていく上で、
信じているもの、
よりどころとしているものです。


何も、信じないで、
生きている人は、いません。


たとえば、水、
水が、飲んでも大丈夫(だいじょうぶ)だと、
信じているから、
飲むわけで、それを、信じていなかったら、
飲みません!

このように、人間の行動は、
信じるということなしには、成(な)り立ちません。


同じように、
「哲学(てつがく)を持たない」
生きていく上での、確固(かっこ)たる信念を持たない、
「哲学を持たない」という宗教は、
「哲学無し教」「信念(しんねん)無し教」
と、言えるかも、しれない。


あるいは、権力(けんりょく)やお金、物質にしか、
興味(きょうみ)を持たないのは、
「お金・権力・物質主義教」
と、言えるかも、しれない。


あるいは、生命(せいめい)を軽視(けいし)するのは、
「生命軽視教」
と、言えるかもしれない。


なぜならば、
そういうことを、生きる、よりどころと
しているということは、
そういうことを、信じているからだと、
言えるからです。


このように、日蓮大聖人は、
間違った宗教・思想が、
世界に、はびこる不幸の根源だと、
断言しています。


では、どうしたら、
その不幸を、打ち破(やぶ)り、
幸せになっていくことが、できるのか?


日蓮大聖人は、それには、
「本当に正しい宗教」
本当に、力(ちから)のある、
現実の人間と世界を、変えることのできる、

『真実の仏法(ぶっぽう)』によるほか、ない!

と、言っています。


「真実の仏法」とは、
日蓮大聖人の
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
の仏法(ぶっぽう)のことですが、
ようするに、
創価学会(そうかがっかい)の人たちが、
日々、ご本尊(ほんぞん)に
南無妙法蓮華経をとなえていますが、
その、
「南無妙法蓮華経をとなえて祈る信仰(しんこう)」が、
『真実の仏法』だということです。

だから、
その創価学会の人たちが実践(じっせん)する、
南無妙法蓮華経を、となえて祈る
仏法(ぶっぽう)の信仰以外、
さまざまな不幸・・、
あらゆる不幸を、
「本当の意味」で、打ち破り、
幸せになっていく道は、ない!!
ということです。


それが、日蓮大聖人の結論であり、
メッセージです。


創価学会の初代会長である、
牧口常三郎先生は、
戦時中、間違った宗教である
国家神道(こっかしんとう)の「神札」を
受けることを、拒否しました。

そのため、軍部権力によって、
投獄(とうごく)されます。

牧口初代会長は、
獄中での訊問(じんもん)でも、
立正安国論の経文(きょうもん)を引いて、

「この法(日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の仏法)が、
国内から衰亡(すいぼう)するのを見捨て置(お)いたならば、
やがて、国には、
内乱・飢饉(ききん)・疫病(えきびょう)等の、
災禍(さいか)が起きて、
滅亡(めつぼう)するに、いたるであろう。」

と、訴(うった)えています。

また、

「法華経(ほけきょう/南無妙法蓮華経のこと)の法(ほう)は、
宇宙根本の大法(たいほう)でありまして、
過去・現在・未来の三世を通じて
絶対不変万古不易(ぜったいふへんばんこふえき)の
大法であります。・・・・・・・・

ゆえに、この大法に反(はん)する事は、
人類としても、
また、国家としても、
許(ゆる)されない事で、
反すれば、
直ちに法罰(ほうばつ)を受けるのであります。」

と、述(の)べています。


軍部権力の訊問(じんもん)に対しても、
これだけ、堂々(どうどう)と、
言い切るのもスゴイと思いますが、
仏法の法則(ほうそく)というのは、
実は、宇宙の法則なので、
それだけ、厳格(げんかく)で、
間違いがない!
と、いうことです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

国家神道という間違った宗教を、
国民に強要(きょうよう)し、
精神的支柱(しちゅう)に置いた
日本の軍部権力は、
結局(けっきょく)、
牧口先生を投獄し、獄死させた。

そして、戦争によって、
国民に、塗炭(とたん)の苦しみを、なめさせ、
日本は、敗北しました。

また、牧口先生を獄死させた軍国日本は、
文化の大恩(だいおん)ある
中国、韓・朝鮮半島を侵略(しんりゃく)し、
アジアの民(たみ)を
不幸の、どん底に、落とし入れた!


間違った思想、宗教が、
どれだけ、恐(おそ)ろしいか!!


ということだと、思う。


仏法というのは、
ひとつの宗派(しゅうは)や、
かたよった、ひとつの考え方では、
決してない!

人間としての、
当然(とうぜん)の道理(どうり)、
宇宙のリズムであり、
生命の当然の法則、
それが、仏法(ぶっぽう)です。

だから、この仏法の法則に、
逆(さか)らった生き方は、
必ず、不幸になります。

これは、
一人の人間としても、
国家としても、
世界としても、
宇宙としても、
同じです。

仏法の法則というのは、
それだけ、広大(こうだい)であり、
また、逆(ぎゃく)に、
どんな小さなことにも、かかわっている、
大切な法則であり、
生きていく上でも、宇宙から見ても、
大切なリズムです。


だから、この仏法の法則に反して、
幸せになることは、
絶対に、ありえません。


そのことを、ありのままに話し、
ありのままに、実践しているのが、
創価学会の人たちです。

ようするに、人間として当然のことを、
だれよりも、一生懸命(いっしょうけんめい)、
やっているのが、
創価学会の人たちです。

だから、幸せになるんです。

宇宙の法則から見ても、
生命の法則から見ても、
当然(とうぜん)正しいことを、
創価学会の人たちは、
ありのままに、
真っ直(まっす)ぐに実践している。

それゆえに、当然、
幸せになるわけです。

もっとも、
それを可能にするのは、
宇宙のリズムであり、
宇宙の法則である、
『南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の信仰』
が、あるからです。

南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
の仏法の信仰とは、
当然のごとく、
必ず幸せになる法則です。

宇宙のリズム、法則通りに、
必ず、当然のごとく、
勝利していける法則です。


それが、
『南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰』です。


だから、当然、
南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、
あらゆる悩みを解決していけ、
無限の生命力を湧(わ)き上がらせながら、
困難(こんなん)を乗り越え、
夢や希望に向かって、
進むべき、
最高の道を進んでいけるようになります。


それが、
宇宙の法則であり、生命の法則だからです。


だから、南無妙法蓮華経を、となえていくと、
生命のリズムにも、宇宙のリズムにも、
完全に合致(がっち)した生き方、行動が、
なぜだか、
できるようになっていくんです。

そして、それは、
その人に、
人間としての最高の行動を、もたらすことになり、
人間として最高の行動が、もたらされたならば、
当然、人間として、
最高の幸せを、つかめる!
と、いうことです。


それが、
『南無妙法蓮華経を、となえる』
と、いうことだと思い、
また、創価学会が、世界192ヶ国に、
広がっている理由のひとつではないか、と思う・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく63

2012-03-11 12:35:56 | 希望
前に、テレビで、
ゴルフの中継(ちゅうけい)を見ていたら、
解説をしていた青木功が、
あるゴルファーを見ていて、

「人の期待(きたい)に答えようとか、
みんなの期待に、そう、ゴルフをしようとか、
そんなこと、考えてたら、
絶対、勝てない!

勝つためには、
自分が、
やりたいゴルフをしないと、
ダメだ。

なぜなら、
自分が、自分に期待を、かけなかったら、
希望は、
絶対、かなわない!!」


と、言っていた。


やっぱり、
一流(いちりゅう)の人の言うことは、
違(ちが)う!と思って、
感動してしまいました・・。


自分で、自分に期待をかけなければ、
希望は、かなわない!


あの人は、いい。
あの人は、素晴らしい。
あの人は、めぐまれている。
あの人は、幸せだと、言ったところで、
自分は、幸せには、なってこない!

仏法では、
内道(ないどう)、外道(げどう)
という、言い方を、する。

内道とは、
自分の中に、道を求める。

自分の中から、希望を燃やし、
自分のなかから、
幸せになっていくということです。


一方、外道(げどう)とは、
自分の外に、幸せを求める。

環境(かんきょう)が変われば幸せになれるとか、
あの人が変われば、幸せになれるとか、
幸せを、自分の外の環境や、物質(ぶしつ)、
金銭や、権力(けんりょく)などに、
求めていくということです。

もう少し、宗教的(しゅうきょうてき)に言うと、
自分には幸せになる力は無いから、
自分とは、かけ離(はな)れた、
神様に、おすがりする。

こういう生き方を、
「外道」と、いいます。


それに対して、
自分の中に、幸せを求める!
仏法(ぶっぽう)的に言えば、
自分の中に、
仏(ほとけ)の命(いのち)が、あるんだ!
自分の中に、仏のような、
素晴らしい力がある!
自分の中から、
その素晴(すば)らしい力を出して、
幸せに、なるんだ!

こういう生き方を、
「内道」と、いいます。


アメリカで、なぜ、
創価学会(そうかがっかい)が受け入れられたかというと、
(いろいろ、理由は、あると思いますが)
アメリカでは、
キリスト教の人が、多(おお)い。

キリスト教は、
自分とは、かけ離れた、
神(かみ)に対する信仰(しんこう)です。

仏法(ぶっぽう)から見ると、外道の宗教です。

人間は、罪(つみ)深い生き物だから、
「神に、懺悔(ざんげ)しなさい! 
懺悔しなさい!」
と、説きます。

自分は、低い低い所にいて、
天上の神を、いつも、仰(あお)ぎ見て、
あがめていなければならない。

良いことがあれば、神の力だと言い、
悪いことが、あっても、
神の御慈悲(ごじひ)だと言う。

すべては、まったく、
自分とは、かけ離れた
「神(かみ)の、ちから」だと説く。

神を、あがめれば、あがめるほど、
自分は、卑小(ひしょう)になっていく。
人間が、どんどん、小さくなっていく。

そして、神と、自分との距離は、
一生、永遠に、
縮(ちぢ)まることは、ない!

人間は、罪深い生き物で、
神には、なれない!
と説くからです。

だから、天上の神を仰(あお)ぎ見て、
低い低いところで、
神の慈悲(じひ)を、祈るしかない・・・。


その絶望的なドグマから、
一生、逃(のが)れることは、できない!


ここに、
キリスト教に対する疑問が生じ、
キリスト教に対する不信(ふしん)も、高まる。


それに対して、
仏法(ぶっぽう)は、違う!

仏法では、
「ほんとうは、あなたが、仏(ほとけ)なんだ!」
と説く。

あなたの中に、
仏(ほとけ)と、まったく同じ、
命(いのち/生命)が、あるんだよ!
と説く。

自分の中から、
仏の生命(せいめい)を引き出すことによって、
仏(ほとけ)のように、
勝利でき、幸せになれる!

そう、説いているのが、仏法です。

この仏法の原理(げんり)を、
世界中の、すべての民衆が、
現実に実践できるようにしたのが、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)であり、
それが、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
の仏法です。

また、
この南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を、
世界で、唯一(ゆいいつ)、
正確に、正しく、
実践(じっせん)しているのが、
創価学会です。


キリスト教に、不信を、いだいた、
アメリカの人たちは、
自分の中から変革(へんかく)し、
自分の中から幸せになっていく、
この原理に、賛同(さんどう)し、
アメリカでも、
創価学会は、発展しつづけています。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

青木功が、

「自分が、自分に期待を、かけなかったら、
希望は、絶対、かなわない!」

と、言いましたが、

本当は、
自分に、期待をかける、
最高峰(さいこうほう)の行動が、

『ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえる!』

と、いうことです。

ご本尊(ほんぞん)とは、
仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、
自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、
その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、
自分自身の中にあることを、あらわしたものが、
ご本尊です。

その、ご本尊に、
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
自分の中から、期待が、希望が、
フツフツと、わき上がって来る!

そして、自分の中から、
湧(わ)き上がってきた希望は、
そのまま、現実の人生を切り開く、
大きな大きな力となって、
自分自身を、蘇生(そせい)させ、
輝(かがや)かせてくれる。

それは、
あらゆる悩みを解決する結果となり、
人生における、どんな困難(こんなん)も、
乗り越(こ)える力(ちから)となり、
やがて、それは、
夢や希望を、
かなえていく結果となっていく。

だから、創価学会は、
世界192ヵ国に広がり、
世界中の人たちを、幸せにしてきている。

それは、
外から、何かをもらい受(う)けるのではなく、
自分の中から、勇気や希望を、
わきあがらせ、
自分の中から、無限(むげん)の可能性と力を、
引(ひ)き出していけるからです。


その、自分自身の中から、
可能性(かのうせい)と力(ちから)と希望を、
無限に引き出し、
開花させていく法則(ほうそく)!

それが、創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)だと、
思う・・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・