タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく189

2016-06-05 23:07:32 | 
「裸の王様」の物語は、
皆さん、
知っていると思います。

裸(はだか)の王様は、
アンデルセンの童話です。


ある、おしゃれ好きな王様に、
詐欺師(さぎし)の仕立(した)て屋が
「バカには見えない布地」で
服を作ります。

自分が馬鹿者(ばかもの)だと思われたくない
家来(けらい)や王様たちは、
あるはずもない服を
称賛(しょうさん)します。

王様は、その服を着て
パレードに出かけますが、
やはり、バカだとは思われたくないので、
誰一人(だれひとり)『見えない』とは
言えません。

そんな中、
子どもが

『王様は裸だ!』

と真実を言います。

これで我(われ)に返った観衆も
一転(いってん)して、

『そうだ、王様は裸だ。』

と言い出します。

そして、ついに一人残らず、
王様は裸だと、さけぶようになります。

王さまは大弱(おおよわ)り。
王さまだってみんなの言うことが
正しいと思ったからです。
でも、
「いまさら行進パレードを
やめるわけにはいかない。」
と思ったので、
そのまま、今まで以上に
もったいぶって、
パレードを続けたという話しです。



これは、人間がよく陥(おちい)りやすい、
感情の風刺(ふうし)だと思いますが、
探(さが)せは、似(に)たようなことが
世の中には、あると思います。


たとえば、
日本にはびこっている、
さまざまな宗教・・。

それは、葬式仏教(そうしきぶっきょう)や
観光宗教、神社信仰などですが、
それらは、だれも
本当に力や効力(こうりょく)、
ご利益(ごりやく)があるとは思っていないけれど、
かといって、
だれも言わない。

表面上は、いかにも、
ご利益や効力があるように、
もてはやす。

あそこは、何々にご利益(りやく)がある。
あそこはなんとかにご利益がある
とかいっても、
現実には、
確証的(かくしょうてき)なものは、
なにひとつない・・!


だれも「王様は裸だ!」
と言わないように、
ただ、なんとなく、
あがめたて、もてそやす。
そして、
「きっといい事があるに違(ちが)いない」
とか言って、 祈ったところで、
そんなことは、まず、起らない・・。

宗教の虚構(きょこう)が
通常(つうじょう)となり、
それこそ、王様が
裸で町をねり歩くような行為(こうい)が、
まかり通ってしまう。


それが、世間一般的な宗教だと思う。


ところが、子供が、
『王様は裸だ!』
と言ったように、
唯一(ゆいいつ)、真実を言ったのが、
創価学会(そうかがっかい)の人たちです。


「それらの宗教は、間違(まちが)っている。
そんな宗教に祈ったところで、
幸せになどならない。

返(かえ)って、でたらめな宗教に
祈るということは、
自分の生命と人生に害(がい)をもたらし、
不幸になる原因(げんいん)になってしまう!」


そう、はっきりと明言(めいげん)したのが、
創価学会の人たちだと言えます。

事実、その通りです。

それらの葬式仏教や神社信仰、
観光宗教などは、
明(あき)らかに間違っているがゆえに、
その間違った宗教に祈るということは、
自分の生命と人生を、
その間違ったデタラメの宗教に、
ささげることになる。

間違ったデタラメの宗教に
自分の生命と人生をささげていけば、
当然(とうぜん)、自分の生命と人生は、
間違ったデタラメなものになっていく。

自分の生命と人生が、
間違ったデタラメなものになっていったならば、
その結果として、
さまざまな不幸が、もたらされてしまう。

だから、真剣に祈れば祈るほど、
逆(ぎゃく)に、不幸になる原因がつくられていき、
その人の人生に、
大きな害をもたらしてしまう。


それが、真実だと言えます。



不幸の根源(こんげん)には、
間違った宗教がある!ということです。



・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

そして、それとは逆に、
間違いのない、
人々に幸せをもたらしていける、
真実の宗教が、
創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。

それが正しい証拠(しょうこ)として、
創価学会は、どんどん発展し、
世界192カ国に広がっている。
そして、その創価学会の
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
仏法(ぶっぽう)を実践した、
世界中の人たちを
現実に幸せにしている。

それは、
ひとりひとりの悩みを
解決した結果であり、
ひとりひとりの夢や希望を
実現(じつげん)していけた結果であり、
ひとりひとりが現実に
『幸せになった!』
という結果として、
創価学会は世界中に広まっている。


あたかも、それは・・、
童話(どうわ)・裸の王様で、
子供が
『王様は裸だ!』
と叫(さけ)んだあと、
みんなが、
『そうだ、王様は裸だ!』
と言い、
最後は、すべての人が
『王様は裸だ!』
と言ったように、
ひとりの勇気の声が、
まわりに広がり、
世界に広がり、
その真実の証明(しょうめい)として、
これからも、創価学会は、
広がり続けていくことでしょう・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく168

2014-10-14 08:50:03 | 
20世紀の喜劇王である、
チャーリー・チャップリンの自伝を、
読んでいたら、
チャップリンの母の話しが、
出てきました。

チャップリンの母は、
若いころは、
小さな劇団の舞台女優として、
まあ、それなりに活躍(かつやく)もして、
女優である間は、
生活も、それなりに裕福(ゆうふく)だったようです。

けれど、病気によって、
声が出なくなり、
舞台を去(さ)らなくてはならなくなってからは、
夫(チャップリンの父)も亡(な)くなり、
なんとか、内職の針仕事で、
食をつなぐ、
それこそ、貧窮(ひんきゅう)のかぎりを、
つくしたそうです。

それでも、母は、
チャップリンが、遊びから帰ってくると、
いつも、大喜びで、
フライ・パンを肉のたれ汁に、
ひたしたものとか、
祖父から、もらった卵に紅茶だとか、
なにかを、つくってくれた。

そして、そのあと、
本を読んでくれたり、
一緒に窓ぎわに座って、
道行く人の批評(ひひょう)をしたりして、
チャップリンを喜ばせてくれた。
つまり、眺(なが)めながら、
いろんな話しを創作してくれた。

たとえば、元気そうな青年が、
浮(う)き浮きした足取りで、やってくると、
「ごらん、ホッパンスコッチさんが、やってくるよ!
 なにか、賭(か)け事を、しにゆくところなのよ。
 ね!もし、うまくいったらね、
 自分と好きな女の子に、きっと、
 古物の二人乗り自転車を買うつものなのよ!」

次は、なにやら、ふさぎこんだ男が、
とぼとぼと、やってくる。
「ははあ、あの人、家に帰ると、
 大嫌(だいきら)いなシチューとパースニップの
 夕食が、待ってるんだわ。」

また、肩で風でも切るような歩きつきの男が通ると、
「おやおや、カッコいい若者だけど、
 実はあの男、きっとズポンの、お尻(しり)の穴を、
 気にしているのよ!」

次は、ひどく、せかせかした足取りの男がくる。
「あの人ね、たった今、
 滋養強壮剤を飲んだばかりのところよ、きっと!」

といった調子で、まず、
いつ果(は)てるともなく、つづき、
子供のチャップリンは、
腹の皮(かわ)を、よじらせて笑ったそうです。

そんなチャップリンの母も、
あまりの貧困(ひんこん)による、
極度の栄養失調と、生活苦により、
とうとう、気が狂(くる)ってしまった。

いつも、子供のチャップリンは、
家に帰ると、
母が買ってきてくれる、お菓子の紙袋の中を、
もどかしげに、のぞきこむ癖(くせ)があった。

そして、母が気が狂ってしまった、
その日も、
家には、ちゃんと、紙袋の中に、
わずかばかりだが、
キャンディが、とってあったそうです・・・。


母親という生き物は、
なんて、偉大(いだい)な生き物なんだろう!!!
と、思ってしまいました。
現代では、そうでない母親も、
いるようだけれど、
基本的に、やはり、
母親という生き物は、
本当に、偉大で、尊(とうと)い存在だと思う。


創価学会(そうかがっかい)の二代会長である、
戸田城聖先生が、

「母が皆(みな)、
 幸せになった時に、
 本当の平和な世界となる」

と生命を震(ふる)わせて、叫(さけ)ばれた。

そして、
創価学会インターナショナル会長である、
池田先生も、言っている。

「すべての女性と子供たちが、
 笑いさざめく時代に!
 
 それが、われらの大目的だ!!」

と。

創価学会は、『母』を、大切にする。
なかんずく、婦人を、大切にする。
もっと言えば、女性を、大切にする。

なぜならば、
創価学会を、支(ささ)えているのは、
名もない『母』たちであり、
婦人だからです。

それは、まぎれもない事実です。
そして、その創価学会の母たちを、
ことごとく、幸せにしてきたのも、
創価学会です。

逆に言えば、
創価学会が実践する、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)には、
もっとも、根幹的(こんかんてき)な『母』たちを、
どんなことがあったとしても、
本当に、確実に、
幸せにしていける哲学(てつがく)と、法則(ほうそく)があり、
現実の人生を、幸せに変えていける、
真実の力(ちから)がある!!
ということだと、思う。

母たちを、幸せにした分だけ、
世界の平和は、広がる。
それが、創価学会が目指す、
平和だと、思う。

もっとも確実で、もっとも身近な平和、
それが、母たちを、
幸せにしていくことだと思う。


それが、創価学会が、
やってきたことです。


『環境(かんきょう)の母』と言われ、
ノーベル平和賞を受賞した、
マータイ博士が、
「グラフSGI」という、
創価学会の写真雑誌のページを、
めくりながら、
創価学会の女性たちが写っている写真を、
指差(ゆびさ)しながら、言っています。

「見て!
 この笑顔!
 世界中のどこに行っても、
 創価の人たちが、一番、
 幸せそうね!
 ほんとうに、びっくりするほどです!!

 どうしたら、
 こんなに素晴らしい笑顔になるのですか?」

と・・・。


「どうしたら、
 こんなに素晴らしい笑顔になるのですか?」


その答えは、
当然、
『ご本尊(ほんぞん)に、南無妙法蓮華経を、となえる!』
仏法の信仰であり、
その南無妙法蓮華経の仏法を、
誠実に、正確に実践(じっせん)している、
創価学会の活動です。


すべての母たち、婦人たちを、
世界で、いちばん、最高の笑顔にする方法!

それが、創価学会が実践する、
南無妙法蓮華経を、となえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰です。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

最後に、
池田先生が、作詞した『母』という曲の、
詩を、紹介して、終わりたいと思います。


 母よ あなたは
 なんと不思議(ふしぎ)な 豊かな力を
 もっているのか
 もしも この世に
 あなたがいなければ
 還(かえ)るべき大地を失い
 かれらは永遠に さすらう

 母よ わが母
 風雪に耐(た)え 悲しみの祈りを
 繰(く)り返した 母よ
 あなたの願いが翼(つばさ)となって
 おおぞらに舞(ま)いくる日まで
 達者にと祈る

 母よ あなたの
 思想と、かしこさで 春を願う
 地球の上に
 平安(へいあん)のしらべを 奏(かな)でてほしい
 その時 あなたは
 人間世紀の母として 生きる


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく127

2013-08-04 11:30:25 | 
近年、本を読まない人が、
増えているようで、
1ヶ月に読んだ本が、
ゼロ冊だったという高校生は、
5割を超えているそうです。

文字というものは、
不思議な力(ちから)が、あって、
活字を読まない人は、
想像力(そうぞうりょく)が、育たないそうです。

テレビなどの映像メディアにばかり、
頼(たよ)っていると、
主体性や創造的な精神が、奪(うば)われて、
既成(きせい)の概念(がいねん)や権威・権力に、
とらわれやすくなり、
他者への想像力が失(うしな)われていくそうです。


確かに、文字というものは、
不思議(ふしぎ)だ。
創価学会の第二代会長の、
戸田城聖先生が、
若いころ、学習塾をやっていて、
大変、独創的(どくそうてき)な授業だったそうです。

子供たちに、
「これから、犬を出してあげよう!」
と言い、子供たちは、喜ぶ。
そうすると、戸田先生は、
黒板に、「犬」という文字を書く。
子供たちは、
「なーーんだ!文字か!」
と言って、がっかりする。

でも、犬という文字は、
確かに、「いぬ」なんです。
ここに、文字のもつ不思議な力、
文字の概念(がいねん)があり、
子供たちに、文字の概念を、
身(み)につけさせていく。

「犬」という文字から、
一人一人が、思い浮(う)かべる犬は、
それぞれ、違っている。
けれど、そのだれが創造(そうぞう)した犬も、
間違えでは無い。
すべての人が、自分の中で、
自分だけの犬の概念を、
創造しながら、心の中で、
描(えが)いている。
また、たった「犬」という、
一文字だけなのに、その中に、
膨大(ぼうだい)な量の情報と、
思い出、想像力を、
発揮(はっき)できる人も、いるだろう!

それが、文字のもつ、可能性です。

文字は、人間に、
固定観念(こていかんねん)を、与えるのではなく、
その人の中の、その人だけの、
無限の想像力を、かきたて、
無限の知恵となって、
その人を、はぐくんでいく。

それが、文字だと思う。


それで、思い出したのが、
創価学会員が、毎日、
南無妙法蓮華経を、となえて、
祈っている、『ご本尊(ほんぞん)』です。

創価学会が、祈っている「ご本尊」は、
すべて、文字で、描(えが)かれている。
真ん中に、『南無妙法蓮華経』と、
仏(ほとけ)の根源的な生命の、
象徴(しょうちょう)の名前が、書かれている。
この『南無妙法蓮華経』とは、
宇宙の法則(ほうそく)でもあり、
生命の法則でもある。

真ん中に書かれた『南無妙法蓮華経』の回りには、
人間の生命のさまざまな性質、特性、
人間の生命の中にある、心の働きと力(ちから)、
あるいは、可能性と影響力(えいきょうりょく)が、
すべて文字で書かれ、みごとに表現されている。

だから、ご本尊は、
生命の縮図(しゅくず)であり、
宇宙の縮図だとも言える。
また、自分の中の無限の可能性を表現したものが、
『ご本尊(ほんぞん)』だとも言えます。

もし、これが、
仏像(ぶつぞう)や絵であったら、
仏(ほとけ)の生命は、
ひとつの、固定された形になってしまい、
そこから、想像力や知恵、あるいは、
人間の中にある無限のエネルギーを、
発揮することは、不可能となってしまう。

いわゆる、そうなったら、
ひとつの、ありきたりの仏様(ほとけさま)ということになり、
「ありがたやー、ありがたやー」
という、単なる、仏を崇拝(すうはい)するだけの、
おすがり信仰になってしまう。


ところが、『ご本尊(ほんぞん)』は、ちがう!

ご本尊に、書き描(えが)かれている文字は、
仏の生命そのものを、表現していますが、
それは、そのまま、
『自分自身』の生命を、表現しています。

どういうことかというと、
仏の生命は、同時に自分の生命でもある!
ということです。

仏の生命という光り輝(かがや)く、
最高の幸せをつかむことのできる生命は、
どこか遠くにあるのではなく、
今、ここに!、
自分の中にある!ということです。

いわば、ご本尊は、
どんな苦難(くなん)も乗り越(こ)えて、
幸せをつかむことのできる、
最高の自分自身を表現したものだと、言えます。

最も強く、偉大で、やさしくて、
最高に魅力(みりょく)があって、絶対に負けない・・。
それが「仏(ほとけ)の生命」だと表現できますが、

その・・、「仏の生命」が・・、
自分の中にあるから、
どんな悩みも解決でき、
どんな困難(こんなん)も乗り越え、
夢や希望をかなえて、
幸せを勝ち取っていけると、
いうことです。

ご本尊は、
無限の自分自身、
最高の自分自身を
具現化(ぐげんか)したものだとも、
言えます。


文字の話しに戻(もど)ると、
ただ「犬」という一文字だけでも、
その文字から、人々は、
無限の想像力を発揮でき、
一人一人が、違(ちが)う個性ある「犬」を、
創造(そうぞう)でき、思い描くことが、できる!

これが、『ご本尊』という、
最高の自分を、表現しきった文字だったら、
どうだろうか?・・・・

「犬」という文字から、
さまざまな想像力やストーリーを、
創造し展開(てんかい)できるように、
「仏(ほとけ)の生命」「最高の自分自身の生命」を、
表現しきった『ご本尊』から、
自分だけの、自分らしい、
最高に素晴らしい自分を、創造し、
無限の知恵と、無限の勇気、
無限の希望を、創造しながら、
自分自身を、どこまでも、
際限(さいげん)なく、開花していける!

それが、『ご本尊』です。


そして重要なことは、
ぼくたちが、ご本尊に、
『南無妙法蓮華経を、となえる』
ということです。

ご本尊の中心に、描かれているのも、
『南無妙法蓮華経』ですが、
この南無妙法蓮華経という宇宙の法則には、
自分の中の無限の可能性を、
現実に、開花していく、
大きな大きな力(ちから)とエネルギーが、
あるということです。

だから、ぼくたちが、
『ご本尊』を見て、南無妙法蓮華経を、
となえるとき、
『ご本尊の無限の可能性』が、
すなわち『南無妙法蓮華経』の、
無限の可能性、無限の希望、無限の夢、
無限の知恵、無限の幸せが、
『犬』というたった一文字からも、
無限の想像(そうぞう)が湧(わ)き上がるように、
南無妙法蓮華経をとなえる、その人の中から、
創造され、
開花していくんです・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

ご本尊の文字は、
ただの文字ではなくて、
無限の希望、
無限の勇気、
無限の知恵、
無限の幸せ、
無限の勝利を、
あらわしている。

だから、そのご本尊を見て、
ぼくたちは、
自分の中から、
無限の希望、
無限の勇気、
無限の知恵、
無限の幸せ、
無限の勝利を、
創造(そうぞう)していく。

そして、それを、
たんなる空想や想像(そうぞう)ではなく、
現実の形にするために、
南無妙法蓮華経を、となえる!。

南無妙法蓮華経には、
自分の中にある、
希望と勇気、知恵と幸せ、
そして、勝利を、
現実のものとしていく『力(ちから)』が、
ある!ということです。

だから、
『ご本尊』という
想像力の宝庫(ほうこ)のような本尊に、
南無妙法蓮華経を、となえると、
自分の中の、無限の力(ちから)と知恵、
無限の希望とエネルギーが、
現実に発動(はつどう)して、開花し、
現実のなかで、夢を、かなえ、
幸せになっていくことが、できる!!


『ご本尊』と、『南無妙法蓮華経』は、
幸せをつかんでいくための、
完璧(かんぺき)なシステムだと言えるかもしれない。
そして、そのシステムには、
一点の狂(くる)いもなく、
一点の無駄(むだ)も、ない。

だから、創価学会の人たちは、
真面目に、ご本尊に、
南無妙法蓮華経を、となえて、
信仰を、していくことによって、
必ず、だれでも、
自分らしく、幸せになっていけるわけです。


これは、理屈(りくつ)ではなく、
現実の結果として、そうなります。


だから、創価学会は、
世界192ヶ国に広がり、
夢や希望をかなえて、
勝利と幸せを、もたらしている。


犬という、たった一文字から、
人々が、膨大(ぼうだい)な量の
創造力を発揮できるように、
ご本尊から、人々は、
無限の希望と勇気、
無限の知恵と幸せを創造し、
そして、
南無妙法蓮華経をとなえることによって、
現実に勝利と幸せを、
勝ち取っている。


その人の、
その人でしかできない、
自分だけの最高の幸せの形を創造し、
開花し続けている・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく123

2013-05-16 07:41:51 | 
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

ごうごうと遥(はる)かな虚空(こくう)で、

風が、鳴(な)っている。

風の歌は、世界と共振(きょうしん)しているのだ。

地球の生き物は、すべて風と共振して、

自(みずか)らの音を、出している。

私は、かつて、風の歌を歌っていた。

気流の鳴(な)る音、

それは、地球の響(ひび)きだ。

私は、それを知っている。

いつだったか思い出せないくらい昔、

私は、とてもたくさんの人たちのために、

風の歌を歌っていたような気がする。

繰(く)り返し、繰り返し、

この歌を歌うのが、

私の仕事だったような気がする。

風が吹くのは、

風が大地を、鎮(しず)めているからだ。

風こそが世界を鎮(しず)めているのだ。

風は世界を、めぐり、

すべてのものの震(ふる)えを運ぶ。

風は、雲を生み、

そして、雨を降(ふ)らせる。

風と水が、世界を精妙(せいみょう)に震(ふる)わせる。

震(ふる)えこそが、命の源(みなもと)なのだ。

ああ、思い出した。

そうだった。

風が吹き、雲が生まれ、雨が降るのは、

それが、この世の祈りだからだ。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


これは、田口ランディという人の、
『コンセント』という小説の中にある、
一節(いっせつ)です。

この「コンセント」という小説は、
ある精神病院に入っている、
分裂症(ぶんれつしょう)の少年のエピソードを、もとに、
描かれているようです。

ふだんは、まるで人形のように、
微動(びどう)だにしない少年。
魂(たましい)の抜(ぬ)けたように、
何も見ていない虚(うつ)ろな目、
枯(か)れ木の穴のような目、
少年の手には、いつも、
細いヒモ(コンセント)が、握(にぎ)られて、
だらんと床に、垂(た)れている。

そして、看護士が、
少年の持っているコンセントに、
電源を入れた時だけ、
少年は、突然、反応(はんのう)し、周囲を見回し、
のろのろと、生きることを、
始める。
(実話では、ありません)

このエピソードから、
『コンセント』という小説は、
いわゆる、精神的に、
イッてしまっている人間、
精神分裂的な、思考、
もっと変なことを言うと、
有体離脱(ゆうたいりだつ)のような、
肉体を離(はな)れてしまった精神みたいなことを、
題材に、描かれているようです。
(作者でないので、本当のことは、わかりません)

だから、最初にあげた、
魅力的(みりょくてき)な一節も、
イッてしまった人間の、
精神分裂的な思考を、表現しているのかも、
しれない。


けれど、ぼくは、
別のものを、感じました。

それは、『宇宙を感じること!』です。
宇宙旅行に、行ったことのある人でもなければ、
そんなものは、なかなか、
感じることは、できないかもしれない。

けれど、上に上げた文章は、
それを、すごく、良く、
表現していると思う。

『風の歌は、世界と共振(きょうしん)しているのだ。

 地球の生き物は、すべて風と共振して、

 自(みずか)らの音を、出している。』

とは、すべての生命の
息吹(いぶく)、波動(はどう)を、
意味するように、思われる。

『私は、かつて、風の歌を歌っていた。

 気流の鳴(な)る音、

 それは、地球の響(ひび)きだ。

 私は、それを知っている。』

とは、人間の生命の持っている、根源的なもの、
自分の生命の、本源的な、営(いとな)み、
はるか昔、何億兆年という昔から、
存在する、本来の自分という、
生命の、営(いとな)みを、
表現しているように、思われる。

『いつだったか思い出せないくらい昔、

 私は、とてもたくさんの人たちのために、

 風の歌を歌っていたような気がする。

 繰(く)り返し、繰り返し、

 この歌を歌うのが、

 私の仕事だったような気がする。』

とは、本来、自分は、何をするために、
生まれてきたのか?
自分の存在(そんざい)する意味とは、何なのか?
自分の持っている、
本源的(ほんげんてき)な『使命』とは、
なんなのか?
ほんとうは、はるかかなたの昔から、
大切な大切な、使命(しめい)があって、
生まれてきた。
そして、その使命を、果(は)たすために、
今、自分は、ここに、生きててる!!

・・・・・・・この文章は、
そんなことを、
伝えたいのでは、なかろうか?

『風は世界を、めぐり、

すべてのものの震(ふる)えを運ぶ。

震(ふる)えこそが、命の源(みなもと)なのだ。』

とある。

震(ふる)え、振動、リズム、
宇宙には、本源的なリズムが、ある!
ということでは、ないだろうか?

そして、

『ああ、思い出した。

 そうだった。

 風が吹き、雲が生まれ、雨が降るのは、

 それが、この世の祈りだからだ。』

とは、宇宙の本源的なリズムは、
『祈り』そのもの、
すなわち、宇宙のリズムは、
『宇宙を、世界を、あらゆる生命を、
幸福にしたい!!』という、
「願いそのもの!」だと、
言いたいのでは、なかろうか?

宇宙は、慈悲(じひ)に、満(み)ちている!
あらゆるものを、幸福にしたい!
あらゆる生命から、苦しみと、悲しみを、
無くしたい!
そして、喜びに満(み)ちた、歓喜の生命に、
変えていきたい!!

それが、宇宙のリズムであり、
宇宙の慈悲(じひ)なんだと、思う。


その・・・、
本源的な・・・、
宇宙のリズム・・・!
宇宙の振動・・・!
宇宙の慈悲(じひ)そのものが、
実は、
創価学会の人たちが、日々、となえている、
『南無妙法蓮華経』のリズムです。


南無妙法蓮華経の振動(しんどう)は、
宇宙のリズムそのものであり、
宇宙の慈悲そのものの、リズムです。

あらゆるものを、幸福にしたい!
あらゆる生命から、苦しみと、悲しみを、
無くしたい!
そして、喜びに満ちた、歓喜(かんき)の生命に、
変えていきたい!!
それが、南無妙法蓮華経のリズムであり、
南無妙法蓮華経の慈悲(じひ)だと思う。

だから、宇宙の慈悲そのものである、
南無妙法蓮華経を、
自(みずか)ら、となえる時、
自分の生命の中から、
慈悲のリズムが、発動(はつどう)する!


『あらゆるものを、幸福にしたい!
 あらゆる生命から、苦しみと、悲しみを、
 無くしたい!
 そして、喜びに満ちた、歓喜の生命に、
 変えていきたい!!』


というリズムが、
自らの生命から、動き出す・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

ぼくたちが、
南無妙法蓮華経を、となえる時、
その南無妙法蓮華経という、宇宙のリズムが、
バイブレーションとなって、
自(みずか)らの生命を、震(ふる)わせる!

それは、すなわち・・、
南無妙法蓮華経が、
あらゆるものを、幸福にしたい!
あらゆる生命から、苦しみと、悲しみを、
無くしたい!
そして、喜びに満ちた、歓喜の生命に、
変えていきたい!
という慈悲(じひ)のリズムそのものだから、
そのバイブレーションの働きによって、
自(みずか)らの生命も、
あらゆるものを、幸福にしたい!
あらゆる生命から、苦しみと、悲しみを、
無くしたい!
そして、喜びに満ちた、歓喜の生命に、
変えていきたい!という、
同じリズム、同じ振動(しんどう)を、
みずからの生命に刻(きざ)み、
そのことによって、
本来の働きと使命を、思い出し、
その使命を果(は)たすために、
自分の生命が、自然のうちに、
動き出し、その使命を、果たそうとします。

自分の生命が、
本来の使命を果たそうとしていった時、
なぜだか、自分のなかの、
苦しみや、悲しみが、取り除(のぞ)かれ、
悩みが解決してゆき、
願いを、かなえていける、
夢や希望を、つかんでいける自分へと、
変わっていく。

そして、その、
幸福のバイブレーションは、
まわりの人々、世界にも、
波動(はどう)を広げ、影響を与(あた)え、
人々を、世界を、幸せにしていく結果へと、
つながっていく!


それが、
南無妙法蓮華経のリズムであり、
南無妙法蓮華経というバイブレーションだと思う。


だから、
創価学会の人たちは、
南無妙法蓮華経を、となえることによって、
どんな困難(こんなん)や悩みも、乗り越(こ)えることができ、
さまざまな願いも、成就(じょうじゅ)でき、
その幸せのリズムとバイブレーションによって、
世界を、人々を、幸せにしていくことが、
できるようになっていくんだ!と思う。


南無妙法蓮華経は、
宇宙と、人間を結(むす)ぶ、
『コンセント』なのかもしれない。

だから、創価学会の人たちが、
南無妙法蓮華経を、となえるとき、
宇宙と人間の生命を、つなぐコンセントが、
つながり、
自分が、本来、持っている、
本当の使命、本当の生きがいを、
はたすために、行動することが、
できるようになってくる。

それは、南無妙法蓮華経という、
宇宙の慈悲(じひ)のバイブレーションを、
感じながら、生きることになり、
現実に、最高の歓喜と、最高の幸せを、
その人に、もたらす。


幸せと勝利のリズムの中で、生きる・・!


それが、南無妙法蓮華経を、
となえて生きる、生き方であり、
創価学会の中で、生きる、
生き方だと、思う・・・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく116

2013-03-19 09:04:19 | 
この前、
ナポレオンの伝記を、読んでいたら、
こういう話しが、でていた。

ナポレオンが、ワーテルローの会戦に敗れ、
とうとう、イギリス軍に、とらわれ、
捕虜(ほりょ)として、船で、イギリスに向かう。

イギリスのプリマスの港(みなと)に、着いた時、
港には、20年間、世界を震撼(しんかん)させ、
イギリスに悪夢の苦しみを、味あわせた、
対敵『ナポレオン』を、見ようと、
群集で、あふれかえっていた。

ナポレオンは、見せ物になることを、
好まなかった。
船室の中で、じっとしていたが、
新鮮(しんせん)な空気を吸うために、
とうとう、船室を出て、
船尾の最高甲板(かんぱん)に、上る。

何千人の群集は、目を凝(こ)らした。
その有名な黒萌黄(くろもえぎ)の上着、
三角帽、短身、蒼白(そうはく)な顔、
全世界を、20年にわたって、
震撼(しんかん)させた巨人が、
翼(つばさ)を、もがれ、
爪(つめ)を、抜(ぬ)かれ、
単身、一個の武装なき人間として、
眼前に、立っている。

その姿の、リンとして、
敗戦失意の人に、
なんと、似ていないことか!!!

その瞬間に、説明しがたい事件が、起こった。
見渡すかぎりのイギリス人が、
船の上、陸の上、
一人も残らず、脱帽(だつぼう)したのだ。
だれの指図(さしず)ともなく、
いっせいに、脱帽したのだ。

それは、イギリスの民衆が、
この世界的天才児に、はらった、
本能的な敬意(けいい)で、あった!

人間は、人間を、知る。

イギリスの民衆は、
国籍を、超越(ちょうえつ)して、
闘争(とうそう)を、脱却(だっきゃく)して、
ただ、粛然(しゅくぜん)と、
稀世(きせい)の英雄児の、
魂(たましい)に向かって、
敬礼(けいれい)した。


スゴイと思う。
人間とは、ここまで、
偉大(いだい)になれるものかと、思う。
ナポレオンは、戦争で、敗れても、
『負けていなかった!』
そして、勝った。
武器もない。兵隊もいない。
ただ一つの誇(ほこ)り、
それは、『自分が、人間であること!』
そのことによって、
ナポレオンは、勝った。
運命に敗れたとしても、
ナポレオンは、
人間であることに、勝利していた。

『われ、人間なり!』
その生命の、ほとばしりが、
イギリスの民衆を、
敬礼(けいれい)させたんだと思う。


創価学会では、
「仏法(ぶっぽう)は、勝負」と、よく言う。
それは、人間としての勝負だ。
人生には、時として、
形勢(けいせい)が不利(ふり)なときも、ある。
風向きが、自分に向いていない時もある。
けれど、
それは、負けではない。
なぜなら、
本当の勝負は、『人間』だからだ!

だから、
創価学会では、
勝つということも、大切だけれど、
『負けない!』ことを、重視(じゅうし)する。
どんなことが、あっても負けない!
それは、人間としての、
不屈(ふくつ)の魂(たましい)だからです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

イギリスの民衆を、敬礼(けいれい)させた、
ナポレオンの魂(たましい)・・。

それは・・・、
ぼくたちの中にも、あると思う。
人間として、もっとも、気高(けだか)く、
おおらかで、堂々とした、
最高の魂(たましい)。

それは、ナポレオンだけでなく、
すべての人間の中にある!

その人間の中で、
最も気高(けだか)く、偉大で、
素晴らしい、最高の生命。
人間として、最も強く、おおらかで、
なにものにも負けない、
どんな困難(こんなん)も打ち破(やぶ)っていける、
最強の生命・・・!

その生命のことを、
仏法(ぶっぽう)では、
『仏界(ぶっかい)』の生命という。
あるいは、仏(ほとけ)の生命という。

この仏界(ぶっかい)の生命は、
あなたの中にも、
ぼくの中にも、
すべての人の中にある!

実は、その『仏界の生命』を引き出すために、
どうしても、必要となってくるのが、
創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法の信仰なんです。

この仏界の生命を引き出す、
唯一(ゆいいつ)の方法が、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰なんです。

残念ながら、
これだけは、
他の何をやってもダメです。
創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰しかありません。

それが、
創価学会の南無妙法蓮華経の仏法です。

どういうことかというと、
その最も気高く、最も偉大で、
もっとも強く、素晴らしい、最高の生命。
その生命を、
『仏界の生命』と呼ぶのならば、
その仏界(ぶっかい)の生命の名前が、
実は、
創価学会の人たちが、日々、となえている、
『南無妙法蓮華経』なんです・・!

だから、ぼくたちが、
南無妙法蓮華経を、となえる時、
『南無妙法蓮華経』は、
最も気高く、最も偉大で、
もっとも強く素晴らしい、最高の生命の名前なので、
その生命の名前を呼ぶことによって、
本来、自分がもっている、
気高くて、偉大で、
もっとも素晴らしい最高の生命が、
目を覚(さ)まし、引き出される!

南無妙法蓮華経を、となえることによって、
自分の中から、
気高くて、偉大で、最高に素晴らしい生命が、
引き出されたならば、
当然(とうぜん)、その人は、負けない!!
ナポレオンのように!

その自分の中にある、
生命の力(ちから)によって、
どんな悩みも解決していけるし、
どんな困難も、乗り越(こ)えて、
夢や希望を、かなえていける・・!

そして、人生の中で、
必ず、勝利していける!!



創価学会の、南無妙法蓮華経を、
となえる仏法の信仰は、
ひとりひとりの心と生命に、
ナポレオンのような、『王者の心』を、
呼び覚(さ)まし、確立していくんです。

だから、負けない・・・!
だから、勝っていける・・・!

そして、その『王者の心』は、
やがて、あらゆる幸せを
引き寄(よ)せる結果となり、
その人に、勝利と幸せを、もたらし、
人間の王者として、輝(かがや)かせていく。


それは、あたかも・・、
イギリスの民衆が、
ナポレオンを見たときに、
人間として心から、彼に、
最敬礼を、したように・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・