まえに、テレビで、
「愛国心」ということを、テーマに、
右翼団体(うよくだんたい)に走る若者の、
特集みたいなことを、
やっていたのを見たことがあります。
右翼団体というと、
わけのわからない大きな文字が描かれた、
宣伝車で、
バカでかい音量で、
宣伝(せんでん)を、がなりたてる、
本当に、迷惑(めいわく)きわまりない存在としか、
ぼくには、思えませんが、
そんな、右翼団体に、
熱中する若者も、いるようだ。
思想の正邪(せいじゃ)は、さておき、
なにかの信念を持って、
生きる生き方に、
魅力(みりょく)を感じるのかもしれない。
右翼に傾倒(けいとう)する若者は、
一般的な生活の中にはない、
情熱を、かたむける対象(たいしょう)が、
ほしいのかもしれない。
ただ、その右翼活動を、やって、
幸せになれるか?といったら、
100%、なれないだろう。
それだけの思想も、哲学(てつがく)も、
現実性も、右翼活動の中には、
まず、ありえない。
だいたいにおいて、
「愛国心」を、
民衆に強要(きょうよう)するのは、
間違っていると思う。
それは、「愛国心」ではない。
単なる狂信的(きょうしんてき)な、
過激な人間を、きずくだけだ!
「愛国心」とは、ほんとうは、
逆(ぎゃく)だと思う。
民衆が、国を愛するのではなく、
『国が、民衆を、愛すること!!』
それが、本当の「愛国心」だと思う。
国が、民衆を、愛して、愛して、愛しぬく!
国が、民衆のために、
奉仕(ほうし)して、奉仕して、奉仕しぬく!
国が、国家の本当の王である、
民衆の僕(しもべ)となって、
ボロ雑巾(ぞうきん)のようになって、
働き、奉仕(ほうし)していく。
それが、本当の愛国心だと、思う。
また、そうなった時、
民衆は、国に感謝し、
愛国心を、抱(いだ)くようになるのでは、
ないだろうか?
そうでなかったら、
「愛国心」という言葉は、
国が、民衆を利用するための、
道具でしか、なくなってしまう。
国の王は、民衆だ!
だとしたら、愛国心とは、
民衆を、だれよりも、
最大に、愛することだからです。
国という漢字は、
「口」の中に、「玉(おう)」を、書いて、
「くに」と、読ませている。
ようするに、国の中心は、
王だと、いうのだ!
国は、王のためにある。
王を、栄(さか)えさせるために、国はあり、
民衆は、王の下僕(げぼく)となって、
王に、つかえなければならない。
これが、国という漢字の、
一般的な考え方だと、言える。
けれど、それは、間違(まちが)っている!
と言って、
「口」の中に、「民(たみ)」と書いて、
(口+民)で、『くに』と、
読ませた人間が、いる!!
それが、
『日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)』です。
ここには、日蓮大聖人の、
民衆を愛する、思想と、
民衆根本の深い哲学(てつがく)が、
にじみ出ていると、思う。
「かっこいい!」と思う。
日蓮大聖人の信仰の根本は、何なのか?
日蓮大聖人の哲学(てつがく)の根本は、何なのか?
それは、民衆を、幸せにすることだ!
民衆を国の王と、することだ!
そのために、真実の仏法(ぶっぽう)である、
南無妙法蓮華経の法門(ほうもん)を、
国家権力のためではなく、
すべての、名も無き庶民のために、
すべての、けなげなる民衆のために、
残された。
そのために、命に及(およ)ぶ大難に、
なんども、遭(あ)いながらも、
国家権力を、日本中の人間を、
敵(てき)に回しながらも、
ただ、ただ、
一人の人間を、幸福にし、
救(すく)いきることのできる、
すなわち、民衆を、
幸福の王者とすることのできる、
真実の仏法(ぶっぽう)である、
『南無妙法蓮華経』を、広められた!
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・
日蓮大聖人は、
「口」の中に、「民(たみ)」と書いて、
「くに」と読ませた。
小さなことのようだけれども、
この人間としての姿勢(しせい)から見ても、
日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の仏法が、
何のために、存在しているのかを、
明確に、物語っているような気がする。
日蓮大聖人の、
南無妙法蓮華経の仏法は、
一人の人間を、
人間の王者に、変える!
すなわち、
南無妙法蓮華経を、となえることによって、
人間の中にある、
最高の生命、
人間の中にある、最も尊(とうと)い、
『王者』の生命を、引き出すことが、できる!
南無妙法蓮華経を、となえることは、
その人の生命の中にある、
最高の強さ、最高の魅力、最高の知恵を、
湧(わ)き上がらせ、引き出すことになり、
その人を、
人間の王者として、輝(かがや)かせてくれる。
当然、それは、
必ず、現実の結果を、ともない、
その人に、勝利と幸せを、もたらす。
悩みを解決し、乗り越(こ)えていく王者に!
夢や希望を必ず、つかんでいける王者に!
人々を幸福にしていける、人間性の王者に!
生きることに、最高の充実(じゅうじつ)をもたらす、
生活の王者に!
どんな時でも明るい太陽のような、
笑顔の王者に!
生きることに、最高の喜びを感じる、
歓喜(かんき)の王者に!
世界に平和と幸せをもたらしていける、
幸福の王者に!
そして、人生に勝っていく、
勝利の王者に!!
それが、南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です。
そして、その日蓮大聖人の、
南無妙法蓮華経の仏法を、
純粋無二に、継承(けいしょう)し、実践しているのが、
創価学会です。
日蓮大聖人の、
民衆を強く、賢(かしこ)く、幸せにする、
南無妙法蓮華経の仏法の哲学は、
創価学会に、受け継(つ)がれ、
創価学会は、世界192ヶ国に広がり、
世界中の民衆を、
賢(かしこ)く、強く、魅力的にし、
世界中の民衆に、
勝利と幸せを、もたらしている。
それは、あたかも、
「口」の中に「民(たみ)」と書いて、
「くに」と読ませたように、
ひとりの人間を、
苦しみの鎖(くさり)から解(と)き放(はな)ち、
運命の支配(しはい)を打ち破る、
『人生の王者』、
『人間の王者』、
『幸福の王者』へと
輝かせている・・・・・・!
まさに、それは、
勇敢(ゆうかん)な一国の王のように・・!!
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・
「愛国心」ということを、テーマに、
右翼団体(うよくだんたい)に走る若者の、
特集みたいなことを、
やっていたのを見たことがあります。
右翼団体というと、
わけのわからない大きな文字が描かれた、
宣伝車で、
バカでかい音量で、
宣伝(せんでん)を、がなりたてる、
本当に、迷惑(めいわく)きわまりない存在としか、
ぼくには、思えませんが、
そんな、右翼団体に、
熱中する若者も、いるようだ。
思想の正邪(せいじゃ)は、さておき、
なにかの信念を持って、
生きる生き方に、
魅力(みりょく)を感じるのかもしれない。
右翼に傾倒(けいとう)する若者は、
一般的な生活の中にはない、
情熱を、かたむける対象(たいしょう)が、
ほしいのかもしれない。
ただ、その右翼活動を、やって、
幸せになれるか?といったら、
100%、なれないだろう。
それだけの思想も、哲学(てつがく)も、
現実性も、右翼活動の中には、
まず、ありえない。
だいたいにおいて、
「愛国心」を、
民衆に強要(きょうよう)するのは、
間違っていると思う。
それは、「愛国心」ではない。
単なる狂信的(きょうしんてき)な、
過激な人間を、きずくだけだ!
「愛国心」とは、ほんとうは、
逆(ぎゃく)だと思う。
民衆が、国を愛するのではなく、
『国が、民衆を、愛すること!!』
それが、本当の「愛国心」だと思う。
国が、民衆を、愛して、愛して、愛しぬく!
国が、民衆のために、
奉仕(ほうし)して、奉仕して、奉仕しぬく!
国が、国家の本当の王である、
民衆の僕(しもべ)となって、
ボロ雑巾(ぞうきん)のようになって、
働き、奉仕(ほうし)していく。
それが、本当の愛国心だと、思う。
また、そうなった時、
民衆は、国に感謝し、
愛国心を、抱(いだ)くようになるのでは、
ないだろうか?
そうでなかったら、
「愛国心」という言葉は、
国が、民衆を利用するための、
道具でしか、なくなってしまう。
国の王は、民衆だ!
だとしたら、愛国心とは、
民衆を、だれよりも、
最大に、愛することだからです。
国という漢字は、
「口」の中に、「玉(おう)」を、書いて、
「くに」と、読ませている。
ようするに、国の中心は、
王だと、いうのだ!
国は、王のためにある。
王を、栄(さか)えさせるために、国はあり、
民衆は、王の下僕(げぼく)となって、
王に、つかえなければならない。
これが、国という漢字の、
一般的な考え方だと、言える。
けれど、それは、間違(まちが)っている!
と言って、
「口」の中に、「民(たみ)」と書いて、
(口+民)で、『くに』と、
読ませた人間が、いる!!
それが、
『日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)』です。
ここには、日蓮大聖人の、
民衆を愛する、思想と、
民衆根本の深い哲学(てつがく)が、
にじみ出ていると、思う。
「かっこいい!」と思う。
日蓮大聖人の信仰の根本は、何なのか?
日蓮大聖人の哲学(てつがく)の根本は、何なのか?
それは、民衆を、幸せにすることだ!
民衆を国の王と、することだ!
そのために、真実の仏法(ぶっぽう)である、
南無妙法蓮華経の法門(ほうもん)を、
国家権力のためではなく、
すべての、名も無き庶民のために、
すべての、けなげなる民衆のために、
残された。
そのために、命に及(およ)ぶ大難に、
なんども、遭(あ)いながらも、
国家権力を、日本中の人間を、
敵(てき)に回しながらも、
ただ、ただ、
一人の人間を、幸福にし、
救(すく)いきることのできる、
すなわち、民衆を、
幸福の王者とすることのできる、
真実の仏法(ぶっぽう)である、
『南無妙法蓮華経』を、広められた!
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・
日蓮大聖人は、
「口」の中に、「民(たみ)」と書いて、
「くに」と読ませた。
小さなことのようだけれども、
この人間としての姿勢(しせい)から見ても、
日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の仏法が、
何のために、存在しているのかを、
明確に、物語っているような気がする。
日蓮大聖人の、
南無妙法蓮華経の仏法は、
一人の人間を、
人間の王者に、変える!
すなわち、
南無妙法蓮華経を、となえることによって、
人間の中にある、
最高の生命、
人間の中にある、最も尊(とうと)い、
『王者』の生命を、引き出すことが、できる!
南無妙法蓮華経を、となえることは、
その人の生命の中にある、
最高の強さ、最高の魅力、最高の知恵を、
湧(わ)き上がらせ、引き出すことになり、
その人を、
人間の王者として、輝(かがや)かせてくれる。
当然、それは、
必ず、現実の結果を、ともない、
その人に、勝利と幸せを、もたらす。
悩みを解決し、乗り越(こ)えていく王者に!
夢や希望を必ず、つかんでいける王者に!
人々を幸福にしていける、人間性の王者に!
生きることに、最高の充実(じゅうじつ)をもたらす、
生活の王者に!
どんな時でも明るい太陽のような、
笑顔の王者に!
生きることに、最高の喜びを感じる、
歓喜(かんき)の王者に!
世界に平和と幸せをもたらしていける、
幸福の王者に!
そして、人生に勝っていく、
勝利の王者に!!
それが、南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です。
そして、その日蓮大聖人の、
南無妙法蓮華経の仏法を、
純粋無二に、継承(けいしょう)し、実践しているのが、
創価学会です。
日蓮大聖人の、
民衆を強く、賢(かしこ)く、幸せにする、
南無妙法蓮華経の仏法の哲学は、
創価学会に、受け継(つ)がれ、
創価学会は、世界192ヶ国に広がり、
世界中の民衆を、
賢(かしこ)く、強く、魅力的にし、
世界中の民衆に、
勝利と幸せを、もたらしている。
それは、あたかも、
「口」の中に「民(たみ)」と書いて、
「くに」と読ませたように、
ひとりの人間を、
苦しみの鎖(くさり)から解(と)き放(はな)ち、
運命の支配(しはい)を打ち破る、
『人生の王者』、
『人間の王者』、
『幸福の王者』へと
輝かせている・・・・・・!
まさに、それは、
勇敢(ゆうかん)な一国の王のように・・!!
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・