タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく42

2011-11-30 09:35:20 | こころ
昔、子供のころ、
学校に、
すごく魅力(みりょく)がある先生が、
いた。

なぜだか、
その先生がいるだけで、
楽しくなった。

子供との接(せっ)し方が、
すごく、うまくて、
その先生に話しかけられると、
うきうきしてきて、
とっても、楽しくなった。

子供心に、不思議(ふしぎ)に思って、
なんとなく、
その先生を、まねて、
その先生みたいな感じで、
友達と接するように
してみた記憶(きおく)がある。

そうしたら、なんだか、
調子(ちょうし)が良くなってきて、
楽しくなった記憶があります。

もっとも、子供だから、
長続きは、しませんでしたが・・。


今、考えてみると、
その先生は、
自分に対(たい)しても、人に対しても、
心の、持(も)っていきかたが、
すごく、
じょうずだったんだと思う。

その心の持っていきかたを、
まねしたから、
子供ながら、
自分も、
自分の中から、良(よ)い心を
引き出すことができて、
調子よく、楽しくなったんだと思う。


何を言いたいかというと、
人が、尊敬(そんけい)するような人物の、
素晴らしい心と、表現が、
他の人には、無(な)いということは、
決して、無い!ということです。

人が尊敬するような、
素晴(すば)らしい人が出す、
素晴らしい心と、パフォーマンスは、
すべての人間の中に、ある!
と、いうことです。

違(ちが)うのは、一方(いっぽう)は、
自分の中にある素晴らしい心を、
自然(しぜん)に出しているんだけれど、
もう一方は、その自分の中にある
素晴らしい心を、
出せない、出そうとしていない!
ということだと思う。


自分の中にある、
素晴らしい心を出すスイッチを、
幸せな人は、
いつも、押(お)している。


けれど、不幸な人は、
素晴らしい心を出すスイッチが、
あるにも、かかわらず、
そのスイッチを押していないし、
決して、押そうとはしない。


その違いだと思う。


すべての人間の中に、
すべての心を引(ひ)き出す
スイッチは、備(そな)わっている。


問題は、人生において、
どのスイッチを押すかということだ。


その押したスイッチの違いによって、
人生は、
大きく変わっていく!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

心のスイッチの、
ほとんどのスイッチは、
自分の努力次第(どりょくしだい)で、
押すことができる場合もあると思う。


けれど、
ひとつだけ・・・!


自分の努力だけでは、
どうしても押せないスイッチがある。


それが、

『仏界(ぶっかい)の心』

のスイッチだ。


仏界の心とは、
仏(ほとけ)のように、
強くて、あったかくて、やさしくて、
幸せに、あふれていて、
心が満(み)たされ、
それでいて、
何者にも負(ま)けない、
最強にして最高の心の領域(りょういき)です!

具体的に言えば、
自分に降(ふ)りかかってくる、
さまざまな運命の嵐(あらし)、
その、どうしても避(さ)けがたい、
困難(こんなん)の嵐、
普通だったら、どうしても
乗り越えることが、できないような、
宿命(しゅくめい)の嵐、

そのどんな困難な運命(うんめい)の嵐さへ、
乗り越(こ)え、
打ち勝つことができる、
最高にして最強の心が、
仏界(ぶっかい)の心です。

この『仏界の心』だけは、
現実世界の中で、
どんな努力をしても、
それだけでは、自分の中から、
引き出すことは、できない!

なぜかといえば、
その仏界の心を引き出すための、
スイッチが、わからないから、
引き出しようがない!
と、いうことです。


逆(ぎゃく)に言えば、
そのスイッチが、わかれば、
その仏界の心を、
引き出すことができる!


その仏界の心を引き出す、
スイッチが、

『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえる!』

と、いうことです。


残念(ざんねん)ながら、
南無妙法蓮華経を、となえる以外、
この仏界(ぶっかい)の心を引き出すことは、
できません!


日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)は、
その仏界のスイッチを、
すべての人間が
押すことができるように、
南無妙法蓮華経を、残(のこ)されたんだと思う。


そして、仏界のスイッチを押す、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を、
一点の曇(くも)りもなく、
まっすぐに実践しているのが、
創価学会(そうかがっかい)なんだと思う。


それは、
悩みの解決や夢の実現など、
南無妙法蓮華経を、となえることによって、
世界中の創価学会の人たちに起こった、
あまりにも沢山(たくさん)の
幸せのドラマが、
明確(めいかく)に、ありありと、
物語っている・・・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく41

2011-11-26 12:26:21 | 幸せ
この前、
ちょっと用事があって、
創価学会員(そうかがっかいいん)の
80才くらいのおじいさんに、
会いに行きました。

そのおじいさんに会うと、
いろんな話しを、してくれるんですが、
お孫(まご)さんの話しを、
よく、してくれます。


おじいさんには、
お孫(まご)さんが、
たくさん、いて、
みんな、すごく、優秀で、
おじいさんの自慢(じまん)です。

その、お孫さんの一人は、
女の子なんだけれど、
やはり、すごく優秀(ゆうしゅう)で、
大学で科学者めざして、
がんばっているそうです。

その女の子は、
創価学会の信心と活動も、
熱心(ねっしん)で、
教授に、堂々と聖教(せいきょう)新聞を見せたり、
この前は、大学のキャンパス内で、
池田先生(創価学会インターナショナル会長)
の写真展をやって、
その責任者として
活躍(かつやく)したそうです。

彼女は、雄弁(ゆうべん)で、
しかも人間的に、
すごく魅力(みりょく)があるそうで、
どうしても、うちの子供の家庭教師になってくれ!
とか、よく言われて、
家庭教師も、たいへんだそうです。

大学の友達からも人気があって、
友達が、学校の売店で、
ぜひとも、アルバイトに来てほしいとか言って、
きかないそうです。


そういう、優秀な孫たちが、
たくさん、いて、
おじいさんの、
生きがいになっています。


それで、思ったけど、
この創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
仏法(ぶっぽう)は、
自分を幸せにするだけでなく、
自分の子供、
孫までも、
幸せにしていく!

幸せが自分だけで途切(とぎ)れず、
家族や子孫までも、
伝(つた)わっていくということです。


ほんとうの幸せというものは、
そういうものだと思う。


南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)と、
創価学会の活動によって、
自分の生命に、
『福運(ふくうん)』が、
きざまれていく。

福運とは、生命に、たくわえられた、
幸せの元(もと)みたいなもので、
これが、たくさん、あると幸せになります。

その「幸せの元」である福運が、
自分だけでなく、周(まわ)りの人たち、
子供、孫、
そして、子孫代々(しそんだいだい)までも
広がっていき、
みんなを幸せにしていく。


それが、仏法の力(ちから)であり、
南無妙法蓮華経を
となえぬいた福運のスゴサであり、
南無妙法蓮華経が、
その、人間を生命の底(そこ)から幸せにする、
スゴイ!エネルギーだと思う。


よく、
この創価学会の仏法の信仰(しんこう)をやりきると、

『絶対的(ぜったいてき)な幸せ』、
『永遠(えいえん)の幸せ』を、つかめる!

というけれど、
それは、ほんとうなんだと思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の
御書(ごしょ)に、

(御書とは、日蓮大聖人が書かれた、
論文や手紙を、すべて集めたものです。)


『かれ草が広がる草原(そうげん)に、
たった一点の火を、つけただけで、
その火は、どんどんと広がり、
やがて、草原いっぱいに、
広がっていく!

それと、同じように、
自分の信心(しんじん)で
つちかった福運も、
子供へ、子孫(しそん)へ、
そして、全世界へと、ひろがっていく。』


という話しが、書いてあった。



「創価学会員が、なぜ、幸せか?」


というと、

自分が、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の信仰と
創価学会の活動によって、
つちかってきた福運は、
消えない!!!


美人の奥さんがいようが、いまいが、
病気だろうが、健康だろうが、
財産(ざいさん)があろうが、なかろうが、
そんなことは関係なく、
自分が刻(きざ)んだ福運の火は、
当然(とうぜん)のごとく、
野原いっぱいに広がり、
そして、
全世界、全宇宙に、
広がっていく!

自分の灯(とも)した福運の火は、
自分が、死んでも、

自分が、


『今まで、生きてきた!』


という証(あかし)として、
永遠に広がり続ける!

まるで、自分の存在の価値(かち)を、
全宇宙が賞賛し、
祝福(しゅくふく)しているかのように!

そして、それは、
そのまま、自分の子供、子孫、世界に、
伝(つた)わっていく。

自分の生きてきた世界に、
自分の生きてきた宇宙に、
自分が生きた証(あかし)として、
自分が、刻(きざ)んだ福運が、
永遠に残り、広がり続ける。

そのことが、そのまま、
「自分の幸せ」となって開花(かいか)していき、
また、そのことを、
自分の生命(せいめい)で、
感じることが、できる!!


自分が、生きてきたという価値を、
全宇宙が、すべての生命が、
最高最大に認(みと)めてくれ、
絶賛(ぜっさん)してくれ、
心から、尊敬(そんけい)してくれる!


そのことを、
心から感じることのできる生き方が、
創価学会の生き方であり、
南無妙法蓮華経を、となえて生きる、
生き方だと思う。



おそらく、こんな幸せなことは、
他には、絶対に無いと思う!



それが、できるのが、
南無妙法蓮華経の仏法であり、
創価学会の活動なんだと思うと、
こころから、
感謝(かんしゃ)を、おぼえる・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく40

2011-11-22 09:26:56 | 希望

希望は、光る

わが胸(むね)の中に!

無限(むげん)の希望を

生み出して

力強く進みゆけ!



これは、池田先生が、
「わが友に贈(おく)る」として、
聖教(せいきょう)新聞の一面に、
毎日、掲載(けいさい)していてくれる
4、5行のメッセージです。


大変、気に入ったらしく、
ノートに残(のこ)してありました!


ぼくは、正直(しょうじき)、
聖教新聞を、
すみから、すみまで読むわけでは
ありませんが、
毎日、聖教新聞を手にした時に、
この「わが友に贈る」だけは、
必ず、読みます。

だって、読むのに、
10秒も、かからないし、
たったの、それだけのことなんだけれど、
毎日、すごく、
励(はげ)みになります。


それを考えると、つくづく、
池田先生(創価学会インターナショナル会長)は、
すごいと思う。

池田先生は、聖教新聞に、
長いメッセージとか、
随筆(ずいひつ)、長編詩(ちょうへんし)とかも、
のせてくれるけれど、
読むのが大変で、
なかなか、読めない場合もあると思う。


けれど、この、たった五行の、
「わが友に贈る」は、
だれでも、読める!


しかも、いつも、確信(かくしん)をついている!
こころに残る!


池田先生が、
どれだけ、きめ細やかに、
創価学会員(そうかがっかいいん)の
ひとりひとりのことを考えているかが、
よく、わかると思います。



人間の心というのは不思議(ふしぎ)で、
気持ちの、ほんの、
わずかな違(ちが)いで、
天国と地獄(じごく)を、
わけてしまうようなことが、
よく、ある!


「なぜ、あの時、こう考えなかったんだろう!」


「なぜ、あの時、あんなバカなことを、
考えてしまったんだろう!」


と、後悔(こうかい)することも、
あるかもしれない。


それも、それらの心の機微(きび)は、
ほんのわずかな違いだ!


光は、ほんのわずか角度(かくど)が違っただけで、
長い年月の間に、
膨大(ぼうだい)な距離の違いが、
出てきてしまう!


心も、同じだと思う。


あと、もう少し、希望を持って生きていれば・・、
あと、ほんのちょっと、気を引き締(し)めて、
生きていれば・・、

その一日は、素晴らしい一日になったかも、
しれない。

まして、それが、積(つ)み重なり、
一生の間には、取り返しのつかない、
大きな差(さ)が、できてしまう。


それが、現実だと思う。


この、池田先生が、毎日、
聖教新聞に、のせていてくれる、
「わが友に贈る」にしても、
ほんの小さなことかもしれない。

でも、
この「わが友に贈る」を読んで、


「よし!今日も、がんばろう」

「今日も、気合(きあい)を入れていくぞ!」

「気持ちを、しっかり、持たなくちゃ!」


と、
どけだけ、沢山(たくさん)のひとたちが、
その、たった一言に励まされ、
一日を、惰性(だせい)に流されず、
勇気を持って、過ごすことが
できたことか!


そう考えると、
すごいと思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

池田先生が、前に、

「信心(しんじん)とは、泡(あわ)のようなものだ!」

と、言っていた。


あるようでもあり、ないようでもある!

仏法(ぶっぽう)は、心の法則(ほうそく)だから、
自分の中に、無限の希望があるといえば、
自分の中に、無限の希望が、生まれる。

希望なんか無い!と言えば、
希望は、なくなり、絶望と地獄の心で、
真っ暗(まっくら)になっていく!


きっかけは、いつも、
ほんの少しのことだ!

たった一言の励(はげ)ましかもしれない!


そのたった一言の努力を、
決して、怠(おこた)らない人!


その人は、真実に、
誠意(せいい)と真心の人であり、
人間の王者であり、
こころから、
尊敬(そんけい)すべき人間だと思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく39

2011-11-18 09:30:38 | 幸せ
まえに、
創価学会(そうかがっかい)の友達に誘(さそ)われて、
「ダカーポ」という
グループのコンサートに、
行ったことがありました。


ダカーポと言っても、知らないと思いますが、
かなり昔のグループです。

「野に咲(さ)く花のように」
という歌が有名なようで、
聖教(せいきょう)新聞で、
池田先生(創価学会インターナショナル会長)の
随筆(ずいひつ)に、
その「野に咲く花のように」の歌の話しが出ていて、
池田先生は、そこから、
いろいろと話しを展開(てんかい)されていました。


野に咲く花は、庶民(しょみん)の花、

野に咲く花は、たくましい。

どんな目立(めだ)たないところでも、
また、踏(ふ)まれても、
たくましく、美しく咲いていく。

その花たちを、
創価学会の女性たちのようだと、
讃(たた)えていた。


その随筆の中に、


『静(しず)かなる革命』


という言葉が、出てきた。


すごく清らかで、芯(しん)が強くて、
魅力(みりょく)のある言葉だと思った。


創価学会の革命(かくめい)は、

『静かなる革命』

だと思う。

けっして、目立たないし、
大げさなことでは、ない!

一人一人を、励(はげ)ましていく。
一人一人に、希望を与(あた)えていく。
おのおのが、幸せになっていくために、
希望の、勇気の、団結を、
ひとりひとりと、結(むす)んでいく!


すべては、一人から始まる!


ひとりを、幸せにすることに、
全力を、尽(つ)くす!


なぜならば、
一人を、幸せにすることができたなら、
幸せの、希望の波動(はどう)は、
一人から2人、2人から3人と広がり、
やがて、その幸せの波動は、
地域へ、世界へと、
広がっていくからだ。


最も、地味(じみ)だけれども、
最も価値(かち)のある、
あたたかい、幸せの革命。

それが、創価学会の

『静かなる革命』

だと、思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

いくら、たくさんの聴衆(ちょうしゅう)の前で、
偉(えら)そうなことを言っても、
ひとりの人を幸せにできないのなら、
なんの価値もない。


ほんとうに、一人の人を、
幸せにすることが、できるか、どうか?


それが、真実の信仰(しんこう)か、
そうでないかの、
違(ちが)いだと思う。


南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
の仏法(ぶっぽう)は、
ひとりの人を、
確実に幸せにすることのできる
法則(ほうそく)だと思う。

それを、創価学会のひとりひとりが、
証明してきた。

だから、世界192ヵ国に広がる
素晴らしい創価学会が、
あるんだと思う。


現代という時代は、
ひとりの人間を、
無力(むりょく)だと考えがちであり、
自分なんか!と、
卑下(ひげ)する傾向(けいこう)があるようだ。


けれど、ほんとうは、
一人の人間ほど、
偉大(いだい)なものは、ない!

一人の人間の中に、世界を変える、
無限(むげん)の可能性(かのうせい)が、
秘(ひ)められている!


その一人の人間の価値を、
最高に高め、
一人の人間の可能性を、
最高に開花させているのが、
創価学会が実践(じっせん)している、

『南無妙法蓮華経を、となえて生きる!』

仏法(ぶっぽう)の信仰なんだと、
こころから思う・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく38

2011-11-13 15:07:27 | ドラマ
以前、
「救命病棟(きゅうめいびょうとう)24時」
というドラマが好きで、
見ていました。

その中で、
水道菅(すいどうかん)の工事をする人が、
怪我(けが)で入院してくる。

そのドラマは、
東京に大地震が起こったという設定(せってい)だから、
その水道菅の工事をする人が、
そこらじゅう、水道菅が破裂(はれつ)して、
めちゃめちゃ、大変だった・・
という話しを、する。


それで、医者の人が、


「やめたいと思いませんでしたか?」


と、聞く。


その入院してきた水道菅の工事の人は、
やめようと思ったけど、
あるとき、
銭湯(せんとう)を無料で開放するということで、
銭湯の水道菅の修理(しゅうり)をしたそうです。

それで、修理ができて、
お湯が出た時、
子供も、大人も、
ほんとうに喜(よろこ)んで、
その姿を見て、
その人は思ったそうです。


「だれも、知らなくても、いい。
だれも、感謝してくれなくても、いい。
だれも、認(みと)めてくれなくても、いい。
やってやろうじゃないか!」


って、そう思ったと言っていました。



ちょっと、くさくて、
ドラマでなかったら、
とても、言えそうにない言葉ですが、
そういうことは、
だれでも、思っていることだと、
思う。


だれもが、認めてくれて、
感謝(かんしゃ)してくれる。

それが、いつも自覚(じかく)できるような仕事だったら、
人は、仕事を、やる気になる。

けれど、そんな恵(めぐ)まれた仕事をしている人は、
それほど、いないと思う。

だから、つらい。

あまり、気付(きづ)かれない、
また、見えてこない、
影(かげ)の仕事、

それが、ほとんどの仕事だと思う。


見えない努力、見えない真心(まごころ)、
それを、ひとことでも、
認めてくれて、感謝してくれたら、
その人は、どんなに、
喜ぶか、しれない。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

仏法(ぶっぽう)では、

『冥(みょう)の照覧(しょうらん)』

という言葉がある。

人には、見えない努力、
人には、見えない真心、
人には、見えない誠意(せいい)の行動、

それは、今は、見えなくても、
やがて、大きな花を咲(さ)かせ、
みんなから賞賛される、
素晴らしい結果(けっか)として、
結実(けつじつ)していく!
というような意味です。

仏法は、
因果(いんが)の法則(ほうそく)だから、
うそを、つかない!

やったら、必ず、結果が出るのが、
仏法(ぶっぽう)です!

だから、創価学会(そうかがっかい)が実践している、
仏法を根本にした行動は、
ひとつも、無駄(むだ)がない。

すべてが、報(むく)われていく。

必ず、そうなるのが、仏法(ぶっぽう)だからです。


けれど、世間は、違(ちが)う。


どんなに努力しても、報(むく)われないで、
沈(しず)んでいってしまう人たちが、
どれだけ、たくさん、いることか!

かえって、努力が報われないことの方が、
普通のようにも、思える!


それでは、あまりにも、かわいそうだ。


そうならないために、
創価学会の人たちは、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえる!


南無妙法蓮華経は、
努力が、必ず、
むくわれる法則(ほうそく)だからです。


南無妙法蓮華経の、蓮華(れんげ)は、
ハスの花を意味しているようで、
ハスの花は、泥(どろ)の中からでも、
花を、咲かせる!

すなわち、どんな苛酷(かこく)な運命にあろうとも、
どんなに暗(くら)い泥のような人生のなかにあっても、
必ず、素晴らしい幸せの花を
咲かせることができることを意味しています。

また、ハスの花は、
花と実(み)を、同時につけることから、
原因(げんいん)と結果が、
同時に現(あらわ)れるという、
意味も、あるようです。

それは、「努力」という「原因」によって、
かならず、『結果』がついてくる!
幸せになるために努力したということは、
同時に、『幸せの結果』が含(ふく)まれているので、
必ず、幸せになっていけることを、
意味しています。


その法則が、南無妙法蓮華経です。


南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)とは、
宇宙の、幸せの、勝利の、リズムです。

そのリズムを、自分で、となえて、
自分の生命に、きざむことによって、
自分の中に、勝利の、幸せのリズムが、
復活(ふっかつ)する。


自分の中から、勝利の、幸せのリズムが、
湧(わ)き上がってくる!!


そうなることによって、
花と実が同時にあらわれるように、
努力という原因によって、
勝利、幸せという結果が、
必ず、現れてくるようになる!


これが、
南無妙法蓮華経をとなえると、
いうことだと思う・・・・。


だから、
南無妙法蓮華経を、となえていると、
現実の生活のなかで、
必ず、幸せという結果の花が、咲いていく!

それが、『南無妙法蓮華経』という、
必ず、勝利を生むリズムだからです。


そう考えると、
南無妙法蓮華経を、となえるということほど、
幸せなことは、
決して、ない・・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・