タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく198

2017-05-27 12:27:46 | 世界
1973年にノーベル平和賞を受賞し、
アメリカの国家安全保障担当補佐官や
国務長官を務めた、
ヘンリー・A・キッシンジャー博士は、
創価学会インターナショナル会長である
池田先生と、
8度にわたり、
対談している。

池田先生は、
キッシンジャー博士に質問している。

「人物評価(ひょうか)について、
どのような基準(きじゅん)を
お持ちでしょうか。」

アメリカの国務長官を務(つと)め、
世界各国のリーダーと
丁々発止(ちょうちょうはっし)の交渉(こうしょう)を
繰(く)り広げてきた、
世界を動かす立役者(たてやくしゃ)である。

答えは明快(めいかい)だった。

「私の変わらざる信念は、
交渉の相手を理解することが
きわめて重要(じゅうよう)だということです。

相手の知性ではなく
人格(じんかく)です。

知性の程度(ていど)を確かめることは
ごく簡単(かんたん)です。
しかし人生における
困難(こんなん)な問題はすべて、
賛否両論(さんぴりょうろん)が
知的レベルで真(ま)っ二つに
分かれた場合に起きるのです。

ですから、
いくつかの可能性の中から
一つを選択(せんたく)する場合に
『人格』がカギとなるのです。」


池田SGI(創価学会インターナショナル)会長と
キッシンジャー博士との出会いは、
小雪が舞(ま)うアメリカの
首都ワシントンだった。

国務長官の博士が、
国務省の執務室(しつむしつ)で
池田SGI会長を待っていた。

1975年1月13日である。

池田SGI会長が、73年1月に、
ベトナム戦争終結(しゅうけつ)を呼びかける
ニクソン大統領宛(だいとうりょうあて)の書簡(しょかん)を、
当時、大統領補佐官だった
キッシンジャー博士に託(たく)して以来、
博士と池田会長との
手紙のやりとりが続いていた。

訪米の際には立ち寄(よ)ってほしいとの、
博士からの歓迎の意が示されたことを
受けての訪問となったのである。

あいさつ、会談風景の撮影(さつえい)が終わると、
通訳(つうやく)一人だけを介(かい)して、
二人は向き合った。

キッシンジャー博士は、たずねた。

「率直(そっちょく)にお伺(うかが)いしますが、
あなたたちは、
世界のどこの勢力(せいりょく)を
支持(しじ)しようとお考えですか。」


博士が直球を投げてきた。


まさに、知識ではなく人格(じんかく)、
すなわち、どんな思想、
信念(しんねん)で動いているかを
見きわめようとする、
短いが鋭(するど)い問いである。

もちろん、池田SGI会長が、
前年にソ連、中国を相次(あいつ)いで訪問し、
コスイギン首相、周恩来(しゅうおんらい)総理らと
会った事実が前提(ぜんてい)にある。

即座(そくざ)にSGI会長が答えた。

「私たちは、
東西両陣営(りょうじんえい)のいずれかに
くみするものではありません。
中国に味方(みかた)するわけでも、
ソ連に味方するわけでも、
アメリカに味方するわけでもありません。

私たちは、平和勢力(せいりょく)です。

人類に味方します。」


キッシンジャー博士の顔に
微笑(びしょう)が浮(う)かんだ。


会見を終える時、
キッシンジャー博士は言った。

「また、友人としてお会いしたい。
これからも連携(れんけい)を取り合いましょう。」


「中国に味方(みかた)するわけでも、
ソ連に味方するわけでも、
アメリカに味方するわけでもない。

私たちは、平和勢力(せいりょく)です。

人類に味方します。」


人は、このことを、わかろうとしない。

なにか裏があるのではないか・・?
と邪(よこしま)なことを考えてしまう。

そして、創価学会に対して、
どうしようもないような
下劣(げれつ)なデマを流したりしてきた。

けれど、もしそれらの
下劣(げれつ)なデマが正しければ、
創価学会(そうかがっかい)は、
これほど世界に発展することはなかったでしょう。

また、創価学会の人たちが
喜々(きき)として、
創価学会の活動に取り組むこともないだろうし、
創価学会の信心を
真面目に実践(じっせん)することも
なかったでしょう。

それに、創価学会の信心と活動を
実践することによって、
創価学会の人たちが、
悩みを解決したり、
夢や希望を実現したりして、
幸せになっていくこともなかったでしょう。

ところが実際は、
創価学会の人たちは、
その創価学会の信心と活動によって
悩みを解決し、
夢や希望を実現して、
大いなる幸せをつかんでいる。

それは、創価学会が
正しい証拠(しょうこ)であり、
世間のデマが間違(まちが)いであることの
証明になります。

そう考えていった時、
なにか裏があるのではないか・・?と、
創価学会に対して、
邪(よこしま)なデマを流している連中のほうが、
よっぽど、何か裏があり、
「邪(よこしま)」なことを企(たくら)んでいる
と考えるのが、
妥当(だとう)なはずです。


キッシンジャー博士の話しに戻ると、
博士は、米中接近(せっきん)、
米ソの緊張緩和(きんちょうかんわ)、
ベトナム戦争からの撤退(てったい)、
中東和平交渉(わへいこうしょう)など、
まさに、『歴史を書き換(か)えた』
その実績は、
枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がない。

博士は、池田SGI会長に語った。

「どんな偉大(いだい)な事業も、
はじめは、すべて「夢」にすぎなかったのです。
だから必要なのは勇気です。
前人未到(ぜんじんみとう)の道をひとりゆくには、
勇気が必要なのです。」

それを地(じ)でいったのが、
71年7月、
極秘裏(ごくひり)に訪中して、
中国の周総理と会見し、
ニクソン大統領の訪中、
米中国交正常化に道筋(みちすじ)を
付けたことである。


国務長官を退(しりぞ)いた後も、
博士は、
米外交に影響力(えいきょうりょく)を持つ
重鎮(じゅうちん)として、
注目を集め続ける。

2007年に発表した、
核兵器廃絶(かくへいきはいぜつ)を求める
共同提言(ていげん)は、
核抑止(よくし)戦略の当事者だった
人物の発言として
重大な意義(いぎ)をもつ。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

博士と池田SGI会長との8度目の会見は、
96年6月17日。

同月、SGI会長がキューバで
カストロ国家評議会長と会う予定を知ると、
ニューヨークの宿舎(しゅくしゃ)に
滞在中(たいざいちゅう)の池田会長を、
博士が訪(たず)ねてきた。
同年2月、キューバが
米民間機を撃墜(げきつい)し、
両国関係は悪化していた。

博士は関係の改善(かいぜん)を願い、
池田SGI会長のキューバ訪問に
強い期待を寄(よ)せていた。

そしてSGI会長は、
カストロ議長と会見した際、
キッシンジャー博士の真情(しんじょう)を
伝えたのである。


博士とSGI会長との初会見から40年。
創価学会は、世界192カ国に広がり、
博士と語り合った世界平和の道は、
大きく広がったと言える。

2015年には、米国とキューバの
国交正常化も実現した。


聞いた話しですが、
キッシンジャー博士は、
池田SGI会長と会見した後、
池田会長を評(ひょう)して、
こう、言ったそうです・・。


「グレイト・パーソナル(偉大なる個性・人格)」

・・と。


人格を最も重要視(じゅうようし)する
博士の言葉だけに、
重みがある・・。


「グレイト・パーソナル・・!!」


キッシンジャー博士の
池田SGI会長に対する期待と
その対応を見るとき、
その言葉はまさに真実であり
本当なんだ!と、
心から思う・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく193

2016-10-05 08:50:41 | 世界
創価学会員は
世界中にいますから、
どこでも、皆、
喜々(きき)として
がんばっています。

以前、聖教(せいきょう)新聞で、
ハリウッドで
がんばっている、
創価学会員の紹介をしていました。
(ハリウッドでがんばっているとは、
映画俳優ということではなく、
ハリウッドの地域に住んでいる
ということです。)


ウエスト・ハリウッド支部で
副支部長を務める、
グレゴリー・リンゴさんが語っています。

「支部の多くのメンバーが、
エンターテイメント産業で働いてます。
7割(わり)以上は
そうじゃないでしょうか。

生活リズムがバラバラで、
皆、苦労しています。
でも、みんな、
忙(いそが)しい中で、
学会活動(創価学会の活動)にも
頑張っていますよ。」

リンゴさんは、
レコーディングアーティストであり、
ジャズピアニスト。

彼が入会したのは
結婚する前。
妻の紹介だった。

「ある日、一緒に出かけようと
彼女の家に迎(むか)えに行ったら、

『夜の勤行(ごんぎょう)をしていない』

って言うんです。

※ちなみに、勤行とは、
釈尊(しゃくそん/しゃか/ブッダ)の
法華経(ほけきょう)の一部分を
音読(おんどく)します。
だいたい、3分から5分くらいかかりますが、
そのあと、好きなだけ、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
繰り返(くりかえ)し繰り返し、
となえます。
それを、まとめて、
『勤行(ごんぎょう)』といいます。

それで、リンゴさんは、
ソファに座(すわ)って
待つことにしたそうです。

彼女の南無妙法蓮華経をとなえる
声を聞いていたら、
なぜだかすごく感動して、

『僕も一緒(いっしょ)に、となえていい?』

と尋(たず)ねたそうです。

「今、思えば、
彼女は勇気を奮(ふる)い起こして、
私に信心(創価学会の信心)のことを
教えようとしてくれたんですね。
人生で一番忘れられない
『デート』の日に
なりました。」

と、リンゴさん・・。

リンゴさんは、その後、
大病(たいびょう)を患(わずら)い、
仕事を失(うしな)った時期もありましたが、
創価学会の信心のおかげで、
「どうして、こんなことに」
と受(う)け身に考えていた自分から、
『今こそ宿命(しゅくめい)を変える時だ!』
と思える自分に
変わることができたそうです。

「それが一番の功徳(くどく)です。」

と語っています。

※ちなみに、功徳(くどく)とは、
悩みが解決したり
希望がかなったりする
現実に現れる幸運のことを、
いいます。

そして、リンゴさんは、
創価学会の同志(どうし)の支(ささ)えの中、
病気を乗り越(こ)え、
新たな仕事も
勝ち取ることができた。


また、ウエスト・ハリウッド本部で、
創価学会(そうかがっかい)の
男子部本部長を務(つと)める
ベン・ジャコブさんは、
言っています。

「芸術家の世界では、
『こうすればうまくいく』といった
方程式(ほうていしき)はありません。

だからこそ、
信心(創価学会の信心)という
人生の指針(ししん)、
福運(ふくうん)の土台が
必要だと思うんです。

皆、最初の入会動機(どうき)は、
仕事での実証(じっしょう/実際に現れる証拠[しょうこ])
ですが、
創価学会の活動を通して、
人のために尽(つ)くす喜びを感じ、
仕事に対する
使命感そのものが変わるんです。」

ジャコブさんは、
ダンスのレッスンに通(かよ)いながら、
ダンスショーなどに出演し、
夜はバーテンダーとして
働いていた。

6年前に
創価学会に入会してから、
学校のダンス講師(こうし)など、
仕事が大幅(おおはば)に
増えたそうです。

彼は、語っています。

「この信心(創価学会の信心)を
勧(すす)めることが
大切な友人に対する、
最高のプレゼント!だと
思っています。

信心を勧める仏法(ぶっぽう)対話は、
『今生人界(こんじょうにんかい)の思い出』
です。

最も偉大(いだい)な、
歓喜(かんき)の中の大歓喜です。
仏法対話をしている時は、
『アイ・アム・アライブ(私は生きている!)』
っていう感じなんですよ!」


4年前に入会した、
ジョニン・バリスさんは、
言っています。

「ニューヨークのブロードウェーで
出演していましたが、
映画に挑戦するために
ハリウッドに来ました。

仕事が見つからずにいた時、
友人から
創価学会の信心の話を
聞いたのです。

入会後、仕事も増え、
経済的に安定するようになりました。

最近では「ラブ・アゲイン」という
映画にも出演しましたよ。

今は、プロデュースの仕事もしています。
私の大叔父(おおおじ)が
マリリン・モンローを撮影(さつえい)していた
写真家なので、
彼についてのドキュメンタリーを
制作しています。

女優の仲間に、
仏法対話(ぶっぽうたいわ)をすると、
すごく共感(きょうかん)してくれるんです。

一番大きな功徳(くどく)だと感じるのは、
女性として生きるための、
『生命の根(ね)っこ』を
得(え)られたことです。

自分の内面に、
何ものにも壊(こわ)されない
価値(かち)がある、
幸福になる力があると
学べたことです。

特に、ハリウッドの女性は
周囲(しゅうい)の評価(ひょうか)に
左右される世界にいるので、
どうしても、
精神的に不安定になりやすい。

表面的なことに
幸福を求めてしまうのです。


私は、創価学会の信心を通して、
『人のため』
『社会のため』という
芸術家としての
真の使命を
知ることができたと思っています。」


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

確かに、人は、
表面的なことを気にする。

表面的なことや、
世間の評判(ひょうばん)、
それらも確かに大切だけれど、
それに振(ふ)り回されてしまうと、
自分が見えなくなっていく。
本当の幸せが見えなくなっていく。

世間の評判や評価、
それは人間にとって
モチベーションにはなる。


けれど、本当の幸せは違(ちが)う!


幸せは、どこにあるのでもなく、
自分の中にある!

そして、自分の中にある幸せを
確立(かくりつ)していった時、
はじめて本当の幸せが見えてくる。

その自分の中にある
幸せを確立し、
本当の意味での
幸せをつかんでいけるのが、
「創価学会」であり、
創価学会の、
「南無妙法蓮華経をとなえる
仏法(ぶっぽう)の信仰」だと、
いえます。

また、自分の中の
確固(かっこ)たる幸せが
確立していったとき、
おのずから、
表面的な幸運や幸せ、ラッキーが、
磁石(じしゃく)のように、
ついてくる!とも言えます。


ジョニン・バリスさんが言うように、
自分の内面に、
何ものにも壊(こわ)されない
価値(かち)がある!

その『生命の根っこ』にある
幸せをつかみ、
どこまでも開花していけるのが、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく188

2016-04-28 08:40:41 | 世界
創価学会(そうかがっかい)は、
世界192カ国に広がっているので、
世界中に創価学会の人たちがいる。

世界の創価学会の人たちの話しも
聖教(せいきょう)新聞にのっているけれど、
海外の人の話しは、わかりやすいので、
紹介したいと思います。


以前、
スペインの創価学会員の話しが
のっていました。

その中で、
スペインの創価学会員である、
エステファニアさんは、言っています。

「信心(創価学会の信心)は、
私の人生を完全に変えました。

入会する前、
私の人生は、
ジェットコースターのように
不安定でした。
私の否定的(ひていてき)な考え方が、
人生を楽しめず、
幸せを感じさせないようにしていたんです。

信心のおかげで、
今は、
「幸福とは何か」が、
分(わ)かります。

苦難(くなん)は乗り越(こ)えるためにあり、
価値(かち)は生み出すためにあること。
自分が変わる時に、
周囲(しゅうい)も変わること。
そして、仏法(ぶっぽう)の実践(じっせん)を通して、
周りの人々をも
励(はげ)ましていくことを
学びました。」


また、創価学会の
女子部の部長を務(つと)める
アルムデナ・ソラナさんは、
言っています。

「スペインの若者は、
宗教は自分を強くするもの、
前進させるものでなくてはならない!
と思っています。
だからこそ、創価学会の、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を
弘(ひろ)める私たちの使命は
大きいと感じています。

女子部にとって仏法の魅力(みりょく)とは、
自分と向(む)き合い、
自分の人生の意味を知り、
自分を変革(へんかく)できることです。

幸福になるために、
何か自分の外にあるものに
依存(いぞん)するのではありません。

重要なのは内(うち)なる力(ちから)を
どう引き出すかであり、
勝利は自分にかかっている。

そこが仏法の魅力なのだと思います。」

ソラナさんは現在、
公務員として働いてるそうですが、
彼女が、
信心で変わっていく友人の姿に
触(ふ)れて入会したのは
2004年だそうです。

彼女は美容サロンで働いていましたが、
2007年に転職(てんしょく)を決意。
唱題(南無妙法蓮華経をとなえること)と
勉強に励(はげ)む中で
難関(なんかん)を突破(とっぱ)して
勝ち取ったそうです。

ソラナさんは言います。

「私のきょうだいも失業中です。
多くの人の不満(ふまん)は、
いつも政治家に集中しています。
スペインでは雇用(こよう)がなく、
青年が成長するための
可能性がないと言っています。

でも青年部(創価学会青年部)は、
この状況(じょうきょう)を、
信心の実証(じっしょう)を示(しめ)す
チャンスだと、
捉(とら)えていくべきだと思うんです。

私たちは「祈り」と「希望」、
そしてすべてを
変えていけるとの「確信」を
一切の根本(こんぽん)にして
前進します。」


また、創価学会の男子地区リーダーの
ビクトル・パストルさんは、
失業中だった昨年秋に、
就職を勝ち取ろうと決意。
10月29日に予定されていた
池田SGI(創価学会インターナショナル)会長の
スペイン訪問50周年記念の総会までに
結果を出そうと決めた。

しかし、失業率の高さは
尋常(じんじょう)ではない。
客観的(きゃっかんてき)には、
再就職など「不可能」な状況だった。

その中で、
SGIの友の激励(げきれい)を胸に、
創価学会の活動に
全力を注(そそ)ぎながら、
就職活動に取り組んだ。

「総会前日の10月28日の朝、
就職を希望していた会社から
電話がかかってきました。
面接を受けて、
11月から採用(さいよう)が決まったんです!」

とパステルさん。


信心を始めてから今年で5年。

「かつては不平(ふへい)ばかり
言っていましたが、
私の人生は180度、変わりました。」

と喜(よろこ)びを語る。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

スペインは、歴史的には
仏教と関(かか)わりの薄(うす)い国です。
そうした中で、
仏法(ぶっぽう)を弘(ひろ)めるのは
大変だったのではないでしょうかとの質問に、
婦人部本部長のチェロ・パスクアルさんは
答えています。

「確かにスペインの人々は、
一般的に、
仏法は自分たちと
縁遠(えんどお)い宗教だと見ています。

でも、人間の尊厳(そんげん)に根(ね)ざした
平和の精神に引かれて、
仏法に興味(きょうみ)を持つ人が
増えています。
また、一人一人の生命に
仏界(ぶっかい/仏[ほとけ]の生命)という
偉大(いだい)な可能性があるとの教えに、
人々は、
大きな自由を感じるのです。」


最後の
「自由を感じる」
というのは、
象徴的(しょうちょうてき)だと思う。

過去の宗教というのは、
規律(きりつ)が多くあったり、
儀式(ぎしき)ばかりの宗教だったり、
人間のための宗教というより、
儀式のための宗教、
宗教のために人間が縮小(しゅくしょう)し、
人間的に、
狭(せば)められていく感(かん)が強い。

そうではなく、
逆に人間を自由にしていく!
それは、ただ単に
自由ということではなく、
本当の意味での自由です。

幸せをつかむ自由、
夢をかなえる自由、
人生を切り開く自由、
悩みや苦難(くなん)を乗り越(こ)える自由、
成長していける自由、
さまざまな壁(かべ)を打ち破(やぶ)る自由、
人間的に境涯(きょうがい)を高め、
広げる自由、
どんなことがあっても負けない自由・・。

その本当の意味での
『自由』をつかむ力(ちから)が、
創価学会の
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
の仏法には
あるんです。

だから、創価学会は
世界に認められ、
世界中の人が、
喜々(きき)として実践している。


スペインの方が、
「私の人生は180度、変わった!」
と言うように、
人生をより良く変革(へんかく)し、
夢や希望をかなえ、
本当の意味での自由と幸せを
勝ち取っていけるのが、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく183

2015-09-04 08:45:58 | 世界
中国では、
大変な尊敬(そんけい)を集めている、
大指導者、
周恩来(しゅうおんらい)総理の名前は、
歴史などで、知っている人も
多いと思う。

その周恩来総理は、
1972年、日中国交正常化を
実現させた。

日中国交正常化というと、
日本では、表面上は、
その時の総理だった、
田中角栄氏が実現させたように
言われているけれど、
実情(じつじょう)は違っている。

田中角栄総理は、
お膳立(おぜんだて)が、
すべて整(ととの)えられて、
最後に調印(ちょういん)にサインしたと
いうことだけで、
実際(じっさい)は、
日中国交正常化のために
努力してきた人たちが、別にいる。


その日中国交正常化に尽力(じんりょく)した、
大功労者(だいこうろうしゃ)が、
創価学会インターナショナル会長である、
池田大作先生だと、言える。



当時、中国の周恩来総理は、
民間交流の着実(ちゃくじつ)な
積(つ)み重(かさ)ねの上に、
国家関係の改善(かいぜん)を
図(はか)ろうとしていた。

『民(たみ)を似(もっ)て、
官(かん)を促(うなが)す。』

それが、周恩来総理の
外交哲学(がいこうてつがく)であった。

そして、その哲学は、
対日政策(たいにちせいさく)にも
適用(てきよう)された。

周総理は、
「大衆の中に基盤(きばん)を持つ団体」として、
「創価学会(そうかがっかい)」に
早くから注目していた。

1960年代前半のことである。
それは、池田先生が、
創価学会第3代会長に就任(しゅうにん)し、
日本を左右する社会的勢力(せいりょく)へ、
大発展する時期である。

周総理は、対日政策(せいさく)の関係者に、
創価学会の研究を指示(しじ)した。

また、そのころ、
相次(あいつ)いで訪中(ほうちゅう)した、
中国との友好を志(こころざ)す、
松村謙三氏、高崎達之助氏が、
周総理に、
創価学会を好意的に紹介した。

一方、SGI(創価学会インターナショナル)会長の
池田先生は、1961年、
東京・両国支部の結成大会で、
中国の国連復帰(こくれんふっき)を提唱(ていしょう)。

1964年の11月、
公明党結党にあたっては、
「創立者からの唯一(ゆいいつ)のお願い」として、
日中国交正常化への
努力を促(うなが)した。

1966年5月には、
作家の有吉佐和子氏を介(かい)して、
『中国にご招待(しょうたい)します。』
との周恩来総理の伝言が、
SGI池田会長に伝えられる。


そして、周総理の信頼を
決定づける出来事が起った。


1968年9月8日、
東京・日大講堂で、
池田先生は、
1万数千人の青年を前に、
『日中国交正常化提言』を行った。

当時、反対勢力(はんたいせいりょく)もあり、
日本と中国の関係は、
厳(きび)しいものがあった。

そういう意味で、
国交正常化を提言(ていげん)することは、
自分の身に危険がおよぶ
可能性もあった。

その中での提言である。

日中国交正常化を望む、
友好の先達(せんだつ)である
松村謙三氏は、
『百万力の力を得た!』
と語っています。

そして、1972年、
日中国交正常化は、実現していく。


そして、後に、
1974年、
池田先生と周恩来総理は、
会見する。

その当時、
周恩来総理の病状は、
大変悪化していて、
きびしい状態にあった。

1974年12月5日、
場所は北京(ぺきん)の305病院。
周総理の入院先は
機密事項(きみつじこう)で、
池田SGI会長は後に、
そこが病院だったことを知る。

その日の午前、
池田SGI会長は、
トウ小平(とうしょうへい)副総理に会っている。

中国側が
池田SGI会長を最大に
遇(ぐう)した表(あらわ)れだが、
同時にそれは、
総理自身には会えないことを
意味していた。

しかし、12月5日夜の
答礼宴(とうれいえん)の席上、

中日友好協会の廖承志(りょうしょうし)会長が、
そっと告(つ)げた。

「池田会長、
周恩来総理が、待っておられます。」

それは、周総理自身の
強い意向(いこう)であることは、
明らかであった。

SGI池田会長は、
総理の健康を心配し、
いったんは固辞(こじ)するが、

「それでは2、3分だけ。
ひと目お会いしたら、失礼をさせてください」

と、車上(しゃじょう)の人となった。


実は、その時、
周総理は、
『会見するなら命の保証(ほしょう)はできない!』
と医師団に、
猛(もう)反対されていた。

だか、総理は、
『どんなことがあっても会わねばならない!!』
と譲(ゆず)らない。

「周恩来同志(どうし)がそこまで言うのなら・・!」
というトウ頴超婦人(とうえいちょう/周総理夫人)の
進言(しんげん)によって、
『5分だけ』
との条件付きで、
認められたのである。

会見上には、
池田SGI会長と香峯子婦人(かねこ/池田会長夫人)
だけが入った。

総理を疲(つか)れさせないよう、
SGI会長が、
そう希望したのである。

「池田会長とは、
どうしてもお会いしたいと
思っていました。
お会いできて本当にうれしい。」

「池田会長は、
中日両国人民の友好関係の発展は、
どんなことをしても必要である
ということを、
何度も提唱(ていしょう)されている。

そのことが私にはとてもうれしい。」

池田会長は、答える。

「中日友好が今日まで発展できたのは、
私たち双方(そうほう)の
努力の成果(せいか)であり、
そして、私たちは、
その努力をこれからも
続けて行くことを希望します。」

時に総理76歳、
SGI池田会長46歳。

「あなたが若いからこそ、
大事に付き合いたいのです。」

総理は言った。

語らいは終始、
和(なご)やかに進んだ。

「そろそろお休みください。」

と書かれた医師団からの
メモが総理に渡された。

総理は、メモを制(せい)して
話しを続けた。

「ご出身はどちらですか」

「東京です」
とSGI会長。

香峯子夫人も
「東京です」

SGI会長が
「二人で一人前です」
と付け加えると、
呵々大笑(かかたいしょう)する総理であった。

だか、中日の未来について語る時、
その目は鋭(するど)かった。

「中日平和友好条約の
早期締結(ていけつ)を希望します。」

「20世紀の最後の25年間は、
世界にとって最も大事な時期です。
お互(たが)いに平等な立場で、
助け合い、
努力しましょう。」


池田SGI会長は、それを
総理の『遺言(ゆいごん)』
と受け止めた。


医師団が、5分だけと
条件をつけて認められて会見は、
周総理の意向(いこう)によって、
30分に及(およ)んだ。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

会見の後、池田SGI会長が、
日中のために
最も心血(しんけつ)を注(そそ)いだのは、
青年交流だった。

創価大学に、
国交正常化後初の国費留学生を受け入れ、
その後、
創大に学んだ留学生の中から、
友好を担(にな)う
多くの指導者が育った。

創大と中国の各大学との
教員・留学生の交換(こうかん)、
全青連(中華全国青年連合会)と
創価学会青年部の相互交流(そうごこうりゅう)。


・・・その池田会長が築(きず)いた
『金の橋』を渡(わた)って、
無数の若い友情が生まれた。


思えば周総理も、
日本に遊学(ゆうがく)し、
青雲(せいうん)の志(こころざし)を
燃やした一人である。

「五十数年前、私は、
桜の咲(さ)くころに
日本を発(た)ちました・・・」

会見で総理は、日本留学の日々を、
懐(なつ)かしそうに振(ふ)り返った。

周総理の来日は大正年代。
中国人への強い差別(さべつ)にさらせれ、
抗日(こうにち)運動にも
関(かか)わっている。

だが、その後の総理の
日本へのまなざしには、
鋭(するど)い分析(ぶんせき)の一方で、
温かいものが通(かよ)っている。

その感情の源(みなもと)には、
日本の庶民(しょみん)との
触(ふ)れ合いがあった。

異国(いこく)から来た
貧(まず)しい周青年に、
何かと世話(せわ)を焼いてくれる
下宿(げしゅく)のおばちゃんがいた。

「お腹(はら)がすいてるでしょう?」

と、いつも、
ご飯(はん)をごちそうしてくれた。

「とくに、その中の
豆腐(とうふ)を使った料理が、
じつにおいしかった。」

「下宿に帰って、
そのあばちゃんと話すとホッとした。」

周総理が、日本の友人に
語ったエピソードである。


人間と人間との、
温かな触(ふ)れ合いのひとしずくが集まって、
やがて国と国の
友好の大海へと注(そそ)ぐ。

凪(なぎ)の時も、
嵐(あらし)の時も、
そのひとしずくに思いをはせたい。


大衆の中で、大衆とともに - - -


周総理が残し、
池田SGI会長が受け継(つ)ぎ、
広げてきた、
友好の、
永遠の基盤(きばん)である・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく182

2015-08-18 09:02:21 | 世界
映画『名もなく貧(まず)しく美しく』などの
数々の傑作(けっさく)を残した、
映画監督で作家としても高名(こうめい)な
松山善三氏は、

『なぜ、仏法(ぶっぽう)とは
まったく関係ない、
「アフリカ」という天地で、
創価学会が実践する、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
仏法が、広がったか?』

という疑問(ぎもん)の
答えを見つけるために、
自(みずか)ら、
アフリカの現地へ足を運び、
民衆の輪(わ)に飛び込んで
取材(しゅざい)を重(かさ)ねたそうです。


1980年代の半(なか)ばのことだそうです。

松山善三氏が、アフリカのガーナで
創価学会のメンバーを取材していると、
そこへ突然、
隣国(りんこく)トーゴから車でやって来たという
三人の若者が現(あらわ)れた。

その一人の女性は、
「西アフリカの名医」として名高い
イダ・アジェビさんで、
79年フランス留学中に、
創価学会(そうかがっかい)に入会。

三年後、母国のトーゴに戻(もど)り、
たった一人で活動を開始。
その後、アメリカから来た
創価学会員の女性と一緒に活動し、
メンバーは、その時、
68人まで広がっていた。

その名簿(めいぼ)を手に、
「創価学会の座談会の開き方や、
仏法のことを教えてもらいたい」と、
国境封鎖(こっきょうふうさ)が解(と)けるのを待って、
ガーナまで尋(たず)ねてきた。

松山善三氏はもちろん、
居合(いあ)わせた創価学会メンバーも
驚嘆(きょうたん)した。

だれも知らないところで、
創価学会の、
南無妙法蓮華経の仏法の『種(たね)』は、
しっかりと大地に、
根(ね)を張(は)っていたからです。


今やそのトーゴの創価学会も
飛躍的(ひやくてき)に拡大(かくだい)し、
千人規模(きぼ)の大総会も
開催(かいさい)しているそうです。


松山善三氏が、言っています。

『誰が、その地に、
題目(だいもく/南無妙法蓮華経のこと)を、
伝(つた)えたか。

誰がそれだけの信徒(しんと)を集めたか。

寺や僧侶(そうりょ)ではない。

名もなき学会員(創価学会員)の一人ひとりが、
自分の足を運(はこ)んで、
その功徳(くどく)を、わかち合いたい
という願いによってである。』


ちなみに、功徳とは、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法の信仰を実践(じっせん)した結果として
あらわれる、
さまざまな幸せの結果です。

たとえば、悩みや問題が解決したり、
病気を克服(こくふく)できたり、
夢や希望を、
かなえることができたりすることが、
功徳(くどく)と言うことが、できます。



だれから言われたのでもない。
自(みずか)らの生命に
わき出てくる歓喜(かんき)を、
一人でも多くの人と、
分(わ)かち合(あ)いたい。

その思いを抱(いだ)いた一人が、
身近な一人と対話を交(か)わし、
また一人、
また一人へと、
広がった・・!


これが、創価学会が実践する、
南無妙法蓮華経をとなえる仏法が、
人々を、
本当に幸せにできる、
真実の宗教であることの証明になっています。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

たとえば、
美味しいラーメン屋があれば、
人に話したくなるんです。
それが、かりに世界一おいしいラーメンだったら、
きっと、世界中の人に、話したくなるでしょう。

それと同じように、
創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる
仏法の信仰が、
世界一、人を幸せにできるとしたら、
世界中の人に、そのことを、伝えたくなるでしょう。


だから、創価学会が広がっているんです。

だから、創価学会は、
世界192カ国にまで広まったんです。

また、これからも、広まっていくでしょう。


それは、創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰が、
あらゆる、どんな人の、
悩みや問題でも解決でき、
夢や希望をかなえる大きな力(ちから)となり、
世界中のどんな人でも、
最高の幸せを、つかませてくれることの
証拠(しょうこ)であり、
証明になっています・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・