タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく124

2013-05-23 08:00:27 | 世界
以前、
大百蓮華(だいびゃくれんげ)という、
創価学会の月刊誌の裏表紙に、
ひとつのエピソードが、
のっていました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「やー、会いたかった!」
・・・ロンドンを訪れた、
池田SGI会長(創価学会インターナショナル会長)は、
宿舎のホテルで、
一人の紳士の肩を、抱(だ)きしめた。

再会の喜びに、声を詰(つ)まらせる紳士。
彼の名は、ハートさん。
72年、73年の2回、
ロンドンを訪れた池田会長のドライバーを、
務(つと)めた人物である。

行く先々で、一人を、
全力で励(はげ)ます池田会長の姿を、
目の当たりにし、
その人柄(ひとがら)に、
すっかり、魅了(みりょう)された。
今回は、家族と連れ立って、
SGI会長のもとへ。

ハートさんは、語った。
「私は創価学会員では、ありませんが、
 世界中を回っていらっしゃる池田先生に、
 心から賛辞を、送りたいのです。
 私は、先生が困難(こんなん)を乗り越えて、
 平和を必ずや築(きず)いてくださると、
 信じています。
 その時、さらに多くの賞賛(しょうさん)が、
 多くの人から得られると、思います。」

名のなき庶民が予見(よけん)した通り、
今、池田SGI会長の人間主義の思想と行動に、
世界中から、喝采(かっさい)が、
鳴(な)り響(ひび)いている。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

池田先生の人間性が、
よく出ているエピソードだと思った。

人間の偉大(いだい)さは、
その人に会った印象を、
有名人や著名人よりも、
名も無い庶民(しょみん)のほうが、
直感で、
見抜(みぬ)くことができるかもしれない。

なぜなら、
庶民の中には、
変な見栄(みえ)や、おごり、がない。
ありのままの人間として、
ありのままの人間を、見ている。

その純朴(じゅんぼく)な、
体裁(ていさい)を、つくろわない、
裸の人間性から、直(じか)に感じる、
直感によって、
会った人の人間性を、見抜いていく!

そんな、名も無い庶民から、
心からの尊敬と共感、
期待と希望を、抱(いだ)かせる人間が、
池田先生だと、思う。

これは、今回紹介した、大百蓮華にのっていた
エピソードの中の人物だけでなく、
あらゆる人間が、
池田先生に、感じることです。

それは、裏返せば、
池田先生が、
あらゆる人間に、最大の尊敬と、
期待と希望を、いだき、
接(せっ)した人が、名も無き庶民であれ、
政治家であれ、学者であっても、
最大の誠意と情熱と真心を、こめて、
相対(あいたい)してきたことの、
現(あらわ)れだと思う。


それは、
創価学会が、実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)が、
どれだれ、偉大で、素晴らしく、
また、
この南無妙法蓮華経の仏法が、
人間性を、どこまでも開花していける、
真実の哲学(てつがく)であり、
最高の信仰であることの、
証明にも、なっていると思う。

タイムマシンによろしく123

2013-05-16 07:41:51 | 
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

ごうごうと遥(はる)かな虚空(こくう)で、

風が、鳴(な)っている。

風の歌は、世界と共振(きょうしん)しているのだ。

地球の生き物は、すべて風と共振して、

自(みずか)らの音を、出している。

私は、かつて、風の歌を歌っていた。

気流の鳴(な)る音、

それは、地球の響(ひび)きだ。

私は、それを知っている。

いつだったか思い出せないくらい昔、

私は、とてもたくさんの人たちのために、

風の歌を歌っていたような気がする。

繰(く)り返し、繰り返し、

この歌を歌うのが、

私の仕事だったような気がする。

風が吹くのは、

風が大地を、鎮(しず)めているからだ。

風こそが世界を鎮(しず)めているのだ。

風は世界を、めぐり、

すべてのものの震(ふる)えを運ぶ。

風は、雲を生み、

そして、雨を降(ふ)らせる。

風と水が、世界を精妙(せいみょう)に震(ふる)わせる。

震(ふる)えこそが、命の源(みなもと)なのだ。

ああ、思い出した。

そうだった。

風が吹き、雲が生まれ、雨が降るのは、

それが、この世の祈りだからだ。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


これは、田口ランディという人の、
『コンセント』という小説の中にある、
一節(いっせつ)です。

この「コンセント」という小説は、
ある精神病院に入っている、
分裂症(ぶんれつしょう)の少年のエピソードを、もとに、
描かれているようです。

ふだんは、まるで人形のように、
微動(びどう)だにしない少年。
魂(たましい)の抜(ぬ)けたように、
何も見ていない虚(うつ)ろな目、
枯(か)れ木の穴のような目、
少年の手には、いつも、
細いヒモ(コンセント)が、握(にぎ)られて、
だらんと床に、垂(た)れている。

そして、看護士が、
少年の持っているコンセントに、
電源を入れた時だけ、
少年は、突然、反応(はんのう)し、周囲を見回し、
のろのろと、生きることを、
始める。
(実話では、ありません)

このエピソードから、
『コンセント』という小説は、
いわゆる、精神的に、
イッてしまっている人間、
精神分裂的な、思考、
もっと変なことを言うと、
有体離脱(ゆうたいりだつ)のような、
肉体を離(はな)れてしまった精神みたいなことを、
題材に、描かれているようです。
(作者でないので、本当のことは、わかりません)

だから、最初にあげた、
魅力的(みりょくてき)な一節も、
イッてしまった人間の、
精神分裂的な思考を、表現しているのかも、
しれない。


けれど、ぼくは、
別のものを、感じました。

それは、『宇宙を感じること!』です。
宇宙旅行に、行ったことのある人でもなければ、
そんなものは、なかなか、
感じることは、できないかもしれない。

けれど、上に上げた文章は、
それを、すごく、良く、
表現していると思う。

『風の歌は、世界と共振(きょうしん)しているのだ。

 地球の生き物は、すべて風と共振して、

 自(みずか)らの音を、出している。』

とは、すべての生命の
息吹(いぶく)、波動(はどう)を、
意味するように、思われる。

『私は、かつて、風の歌を歌っていた。

 気流の鳴(な)る音、

 それは、地球の響(ひび)きだ。

 私は、それを知っている。』

とは、人間の生命の持っている、根源的なもの、
自分の生命の、本源的な、営(いとな)み、
はるか昔、何億兆年という昔から、
存在する、本来の自分という、
生命の、営(いとな)みを、
表現しているように、思われる。

『いつだったか思い出せないくらい昔、

 私は、とてもたくさんの人たちのために、

 風の歌を歌っていたような気がする。

 繰(く)り返し、繰り返し、

 この歌を歌うのが、

 私の仕事だったような気がする。』

とは、本来、自分は、何をするために、
生まれてきたのか?
自分の存在(そんざい)する意味とは、何なのか?
自分の持っている、
本源的(ほんげんてき)な『使命』とは、
なんなのか?
ほんとうは、はるかかなたの昔から、
大切な大切な、使命(しめい)があって、
生まれてきた。
そして、その使命を、果(は)たすために、
今、自分は、ここに、生きててる!!

・・・・・・・この文章は、
そんなことを、
伝えたいのでは、なかろうか?

『風は世界を、めぐり、

すべてのものの震(ふる)えを運ぶ。

震(ふる)えこそが、命の源(みなもと)なのだ。』

とある。

震(ふる)え、振動、リズム、
宇宙には、本源的なリズムが、ある!
ということでは、ないだろうか?

そして、

『ああ、思い出した。

 そうだった。

 風が吹き、雲が生まれ、雨が降るのは、

 それが、この世の祈りだからだ。』

とは、宇宙の本源的なリズムは、
『祈り』そのもの、
すなわち、宇宙のリズムは、
『宇宙を、世界を、あらゆる生命を、
幸福にしたい!!』という、
「願いそのもの!」だと、
言いたいのでは、なかろうか?

宇宙は、慈悲(じひ)に、満(み)ちている!
あらゆるものを、幸福にしたい!
あらゆる生命から、苦しみと、悲しみを、
無くしたい!
そして、喜びに満(み)ちた、歓喜の生命に、
変えていきたい!!

それが、宇宙のリズムであり、
宇宙の慈悲(じひ)なんだと、思う。


その・・・、
本源的な・・・、
宇宙のリズム・・・!
宇宙の振動・・・!
宇宙の慈悲(じひ)そのものが、
実は、
創価学会の人たちが、日々、となえている、
『南無妙法蓮華経』のリズムです。


南無妙法蓮華経の振動(しんどう)は、
宇宙のリズムそのものであり、
宇宙の慈悲そのものの、リズムです。

あらゆるものを、幸福にしたい!
あらゆる生命から、苦しみと、悲しみを、
無くしたい!
そして、喜びに満ちた、歓喜(かんき)の生命に、
変えていきたい!!
それが、南無妙法蓮華経のリズムであり、
南無妙法蓮華経の慈悲(じひ)だと思う。

だから、宇宙の慈悲そのものである、
南無妙法蓮華経を、
自(みずか)ら、となえる時、
自分の生命の中から、
慈悲のリズムが、発動(はつどう)する!


『あらゆるものを、幸福にしたい!
 あらゆる生命から、苦しみと、悲しみを、
 無くしたい!
 そして、喜びに満ちた、歓喜の生命に、
 変えていきたい!!』


というリズムが、
自らの生命から、動き出す・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

ぼくたちが、
南無妙法蓮華経を、となえる時、
その南無妙法蓮華経という、宇宙のリズムが、
バイブレーションとなって、
自(みずか)らの生命を、震(ふる)わせる!

それは、すなわち・・、
南無妙法蓮華経が、
あらゆるものを、幸福にしたい!
あらゆる生命から、苦しみと、悲しみを、
無くしたい!
そして、喜びに満ちた、歓喜の生命に、
変えていきたい!
という慈悲(じひ)のリズムそのものだから、
そのバイブレーションの働きによって、
自(みずか)らの生命も、
あらゆるものを、幸福にしたい!
あらゆる生命から、苦しみと、悲しみを、
無くしたい!
そして、喜びに満ちた、歓喜の生命に、
変えていきたい!という、
同じリズム、同じ振動(しんどう)を、
みずからの生命に刻(きざ)み、
そのことによって、
本来の働きと使命を、思い出し、
その使命を果(は)たすために、
自分の生命が、自然のうちに、
動き出し、その使命を、果たそうとします。

自分の生命が、
本来の使命を果たそうとしていった時、
なぜだか、自分のなかの、
苦しみや、悲しみが、取り除(のぞ)かれ、
悩みが解決してゆき、
願いを、かなえていける、
夢や希望を、つかんでいける自分へと、
変わっていく。

そして、その、
幸福のバイブレーションは、
まわりの人々、世界にも、
波動(はどう)を広げ、影響を与(あた)え、
人々を、世界を、幸せにしていく結果へと、
つながっていく!


それが、
南無妙法蓮華経のリズムであり、
南無妙法蓮華経というバイブレーションだと思う。


だから、
創価学会の人たちは、
南無妙法蓮華経を、となえることによって、
どんな困難(こんなん)や悩みも、乗り越(こ)えることができ、
さまざまな願いも、成就(じょうじゅ)でき、
その幸せのリズムとバイブレーションによって、
世界を、人々を、幸せにしていくことが、
できるようになっていくんだ!と思う。


南無妙法蓮華経は、
宇宙と、人間を結(むす)ぶ、
『コンセント』なのかもしれない。

だから、創価学会の人たちが、
南無妙法蓮華経を、となえるとき、
宇宙と人間の生命を、つなぐコンセントが、
つながり、
自分が、本来、持っている、
本当の使命、本当の生きがいを、
はたすために、行動することが、
できるようになってくる。

それは、南無妙法蓮華経という、
宇宙の慈悲(じひ)のバイブレーションを、
感じながら、生きることになり、
現実に、最高の歓喜と、最高の幸せを、
その人に、もたらす。


幸せと勝利のリズムの中で、生きる・・!


それが、南無妙法蓮華経を、
となえて生きる、生き方であり、
創価学会の中で、生きる、
生き方だと、思う・・・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・