タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく21

2011-08-30 08:26:31 | 日常
以前は、
いろんな週間雑誌が、よく、
創価学会(そうかがっかい)に関するデマ記事を
のせたりした。

なぜ?そんなに、
創価学会のデマ記事を、のせたかというと、
創価学会の記事を、のせると、
雑誌(ざっし)が、売れたからだそうです。

だから、根も葉もないデマを、
平気(へいき)で記事にして、のせた。

また、創価学会が、
どんなに正しいこと、
素晴らしいことを、やっていても、
心の、ひねくれた人間、
ねじまがった人間、
浅(あさ)はかで、心が狭(せま)い人間には、
どうしても、それを、
真っ直(まっす)ぐに
受け止めることができず、
ねじまげるだけ、ねじまげて、
正反対の、最悪の醜(みにく)い出来事に、
作り変え、
でっちあげたりする。

その醜(みにく)さ、愚(おろ)かさ、
あさましさ、浅はかさには、
あきれるばかりだけれど、
創価学会が、それだけ素晴らしく偉大だから、
多くの嫉妬(しっと)と中傷(ちゅうしょう)を、
あびると、考えることもできる。


世間の多くのデマや中傷は、
ある意味、創価学会の偉大(いだい)さ!
素晴らしさ!正しさに対する反動(はんどう)であり、
それは、創価学会の正しさ、素晴らしさ、
偉大さの証明になっていると、
考えることも、できる。


過去から現在にいたるまで、
偉人(いじん)や、偉大な事をやってきた人、
あるいは、正しき行動の人は、
いつも、非難と中傷(ちゅうしょう)のデマに、
さらされてきたし、
それが、歴史上の事実だからです。

ただし、創価学会は、
デマは、
絶対に許(ゆる)さない。
週刊誌とかが、デマを、のせたならば、
必ず、裁判に訴(うった)える。
そうすると、120%、
雑誌社側が、負ける。
(創価学会が、勝利する)

当然(とうぜん)だ!
だって、デマなんだから。

そのたびに、雑誌社側は、
罰金(ばっきん)を払わされるんだけれど、
日本の法律は、甘くて、
罰金の金額が安いので、
雑誌社側は、罰金を払(はら)っても、
雑誌を売るために、また、
創価学会のデマを、のせたりしました。

けれど、雑誌社側が悪質だということで、
だんだん、罰金の額の桁(けた)が、ちがってきて、
しかも、自分の雑誌で、
創価学会にたいする謝罪文(しゃざいぶん)を
のせないと、いけなくなったりしました。

そうなると、雑誌社側は、
こんな、みじめなことは、ない!

『私の雑誌は、うそしか言わない、
 デマ雑誌ですよーー!』

と、
自分の雑誌で、
宣言(せんげん)しているようなものだからだです。

それで、雑誌社側も、
だんだん、考えを変えるようになってきて、
こんどは、創価大学の出身者が、
何々省とか、超一流の企業とかに、
こんなに、たくさん就職している!とか、
そんな話しを、
記事にしたこともありました。
(創価大学出身の人が、優秀で、
実力があるということです。)


節操(せっそう)がないというか、
ともかく、雑誌が売れるのなら、
なんでも、する!ということだろう。

だから、こっちが気を許(ゆる)せば、
また、好き勝手、デマを書き散(ち)らすのは、
目に見えている!


それが、悪質なデマ雑誌の
本質(ほんしつ)なのだろう・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


時代は、動いている。
世界は、刻々(こくこく)と変化している。


創価学会の世界に広がる平和行動、
正義の行動を、
世界は、大きな賞賛と期待を持って、
絶賛(ぜっさん)している。

その真実の評価(ひょうか)は、
小さな島国根性の
悪(あ)しき三流のマスコミであろうとも、
認(みと)めなくてはならない時代に、
なってきていると思う。

だから、デマ週刊誌であっても、
創価学会のデマ記事が、
書きづらくなってきたのは、
確かだと思う。

けれどそれは、創価学会が、
デマ報道の悪を、徹底的に、
責(せ)め抜(ぬ)いたからだと、思う!

だまっていたら、なにも、変わらなかった!


仏法(ぶっぽう)では、

『声、仏事(ぶつじ)を成(な)す!』

といって、
声を出すことを、重要視(じゅうようし)する!

悪は、悪だと、叫(さけ)びぬく!
マスコミのデマ報道は、絶対に許さない!


そう、叫びぬくことが、
創価学会だけでなく、
日本の、さまざまな環境(かんきょう)を、良くし、
世界を、良くしていくことに、
つながっていくんだと、思う・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく20

2011-08-24 07:40:18 | 勝利
よく、テレビなどを見ていると、
大きな成功を、おさめた人、
言い換(か)えれば『大金持ち』になった人の
特集みたいな番組を、やっていたりする。

逆に、どん底(ぞこ)を体験した人のストーリーなんかも、
よく、やっている。

どっちにしろ、大成功した人、
あるいは、女性でも、男性でも、
素晴らしい結婚をした人などを見ると、
確かに、うらやましいと思う。

よく、「勝ち組」とか「負け組」とかいう
言葉を使うけれど、
まあ、芸能人なんかは、
勝ち組にしろ、負け組にしろ、
なんか、トレンドとして、
一種の個性(こせい)として、
軽(かる)く、使っているようです。

けれど、「勝ち組」「負け組」という言葉は、
良い、悪いは、別にして、
まじめな人は、気に、さわることも
あるようです。

だれだって、勝ち組になりたいのは、
あたりまえだと思うけれど、
問題は、何を持って、勝ち負けを
決めているかだと、思う。

女性の場合で言えば、
昔は、結婚して、家庭に入ってしまうことのほうが、
負け組のように考えられていたようだ。
けれど、現代は、逆になったようです。

なにかとテレビとかで、話題になりやすい、
勝ち組、負け組は、
世間から見て、どう見えるかが、
基準(きじゅん)になっていると思う。

人から見て、

「みっとも良いか?」
「みっとも悪いか?」

これが、勝ち負けの判断(はんだん)のように思う。


けれど、
仏法(ぶっぽう)のとらえかたは、違(ちが)う!


人から見てではない。
自分から見て、
自分は、

本当に、幸せなのか? 違うのか?

それが、基準だ。

だから、創価学会(そうかがっかい)の世界では、
負け組は、いない!
すべての人が、勝利に向かって、
前進している自覚(じかく)がある。


仏法(ぶっぽう)では、すべての人に、
かけがえのない使命(しめい)がある!
と、説く。
無駄(むだ)な人なんて、絶対にいない!
ひとりひとりが、自分と、世界の幸せのために、
前進していく。

世界には、いろんな人がいるし、
いろんな立場(たちば)で、
いろんな境遇(きょうぐう)の人たちがいる。
同じ人は、ひとりも、いない!
世間から見て、
勝ち組だろうが、負け組だろうが、
そのすべての人が、希望を持って、
個性を発揮(はっき)して、
幸せになっていく空間(くうかん)が、
創価学会には、ある!

どんな境遇の人であろうと、
自分に最高の価値(かち)を見いだして、
自分の存在に、
最高の満足(まんぞく)を感じて生きていける場所が、
創価学会には、ある!


池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、

「創価学会は、幸せの安全地帯なんだよ」

と、言っていたけれど、
創価学会のひとりひとりが、
どんな苦難(くなん)の中であっても、
幸せの安全地帯を、感じることができる!


こんな、スゴイところは、
他には、絶対にないと思う。

単純(たんじゅん)な言い方だけれど、
創価学会は、
ほんとうに素晴らしいところだと、思う!!


だから、創価学会は、
世界192ヶ国に広がり、
どの国の人々にも、
受け入れられているのだろう。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


『仏法(ぶっぽう)は、勝負!』


と、よく言う。

なぜ?仏法は、勝負なのか?

仏法は、因果(いんが)の法則だ。
現在の行動、現在の一念(いちねん/こころ)が
原因となって、
必ず、結果として、
花開いていく!

ようするに、仏法は、
最高の勝利と幸せを、もたらす!
ということです。

たとえば、病気を克服(こくふく)できたり、
困難な悩みを解決していけたり、
夢や希望をかなえていけたりする。

それは、この仏法(ぶっぽう)が、
幸せを勝ち取る、
絶対にして最強の法則(ほうそく)であるからであり、
その仏法を、
真剣に実践(じっせん)していくならば、
当然の結果として、
必ず、勝利できる!!

しかも、その勝利は、
世間的な、ありきたりな勝利ではない!

死ぬ時に、
『自分は、勝った!』と、
心の底(そこ)から、ニッコリ、ほほえんで
死んでいける、
生命の底からの完全勝利だ。


それが、仏法(ぶっぽう)でいう勝利だと思う。


よく、この創価学会の仏法の信仰をつらぬいていくと、

『生きていること自体(じたい)が、幸せ』

という、絶対的幸せをつかめる!という。

人から見て、どうだとか、いうのではない。
もう、生きていること自体が、幸せなのだ。


きっと、これが、
ほんとうの、
『勝ち組』なんだと、思う・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく19

2011-08-20 11:30:54 | 病気
以前、テレビで、
癌(がん)で亡(な)くなった、
プロサーファーの闘病記録の映像を、
見たことがあります。

闘病(とうびょう)記録を、
パソコンのホームページにつづった日誌も、
本になって出ているようです。
映画にもなったので、
知っているひとも、いるかもしれない。

限(かぎ)られた生を、
精一杯(せいいっぱい)、生きようとする姿に、
人は、感動を、
おさえることができない!


けれど、ぼくが、
心に残ったのは、
その中で、彼の妻が、
夫(おっと)が余命(よめい)何年、何ヶ月と
宣告(せんこく)されても、

この人が、生きている間は、


『もしかしたら、この人は、ずっと、
生きていてくれるんじゃないか?』


と思っていたと、言っていたことです。


その妻の思いを考えると、
ほんとうに、彼が、
死ななくて、すむ方法は
なかったんだろうか?
生きる可能性は、なかったんだろうか?と、
思ってしまいます。


もし、彼が、
創価学会の仏法(ぶっぽう)を知っていたならば・・、

もし、彼が、
不可能を可能にする
『ご本尊(ほんぞん)』と、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の仏法を、
知っていたならば、
病気を克服(こくふく)する可能性が、
あったのでは、ないか?

と、いうことです。


もちろん、絶対、治(なお)るとは言いません!
人間は、いつかは死ぬし、
創価学会(そうかがっかい)の人も、
当然、
病気にかかって死ぬ人は、
いっぱい、います。

けれど、それにも、かかわらず、
創価学会の人が、癌(がん)や、さまざまな病気で、
余命何ヶ月と、宣告されながらも、
南無妙法蓮華経を、真剣に、となえぬき、
不可能を可能にする必死の信心によって、
医学では、不可能と言われた病気を
克服して、元気に生き切っている人が、
現実に、
たくさん、たくさん、いるからです!


少なくとも、この創価学会が
実践(じっせん)している仏法には、
医学で、不可能と言われた病気さえも、
治す可能性がある!ということだと、
思います。


だから、もし、このプロサーファーの彼が、
創価学会の仏法(ぶっぽう)を知っていたなら、

『この仏法に、賭(か)けてみよう!』

と、思ったかもしれない!と、
思ってしまうんです・・。



・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の
御書(ごしょ)に、
(御書とは、日蓮大聖人が書かれた、
論文とか手紙を、すべて、まとめたものです)

『南無妙法蓮華経は、師子吼(ししく)のごとし。
いかなる病(やまい)さはりを、なすべきや!』

と、あります!

南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえることは、
ライオンが、ほえるようなものだ。
だから、どんな病気も、
南無妙法蓮華経をとなえぬく人を、
わずらわすことは、できない!
ということだと、思う。

ようするに、南無妙法蓮華経には、
人間の中にある、
最高に充実(じゅうじつ)した、
ほとばしるような、すざまじい生命力を、
湧(わ)き上がらせる力(ちから)が、ある!
ということだと、思う!

生きようとする、
全宇宙を爆発(ばくはつ)させるような、
最大にして、最強の、最も尊(とうと)い生命力を、
自分の中から、爆発させる可能性が、
南無妙法蓮華経には、
あるんだと思う。


その南無妙法蓮華経の可能性は、
時として、奇跡(きせき)とも思えるような
結果さえも、
生み出すことが、ある・・・・!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく18

2011-08-16 15:11:46 | テレビ
先日、ルネサンス時代の詩人、
ダンテが、最愛の女性の死、
祖国からの不当な追放(ついほう)という、
二つの大きな失望を味(あじ)わいながらも、
有名な古典『神曲(しんきょく)』を
つくりだしたという話しを、
しました。

ダンテの話しを通して、
苦難(くなん)や、悲しみを乗り越(こ)えて、
希望を持って、
生き切っていく!という内容の話しを
したんだけれど、
それで、思い出したんですが、

前に、
テレビで、大変な苦難や悲しみを
乗り越えて、
がんばって生きている家族の
特集みたいな番組を、やっていました。

確か、四組か、五組の家族の、
涙を、そそるような体験を、
過去から現在にいたるまで、
ドキュメンタリー仕立(した)てで、
放映(ほうえい)していました。

その中で、一組だけ、
創価学会員の家族がいて、
その創価学会(そうかがっかい)の家族は、
娘を急病で亡(な)くし、
また、その後、
父も、癌(がん)で亡くなり、
その中で、
母と、残された二人の兄弟が、
悲しみに負けず、
兄弟のひとりは、弁護士として、
もうひとりは、プロボクサーとして、
社会で、勝利を、
おさめていく!とい内容だった。


それで、思ったんですが、
その創価学会の家族以外の、
他の四組の話しも、涙を誘(さそ)うんだけれど、
他の四組の人たちの話しは、
なにか、じめじめして、
暗(くら)い感じがしました!

それに比(くら)べると、
その創価学会の家族の場合、
確かに、他の四組と同じように、
つらく、悲しいはずなのに、

何かが?明るい!!
希望が、光っている!!

絶対に負けない!という強いエネルギーを、
感じました!


その違(ちが)いは、何なんだろう?
と考えたとき、
やはり、生命のパワーが違う!
生きていく上での、信念(しんねん)が違う!
後ろ向きでない!
必ず、幸せになるんだ!という、
確信(かくしん)を、
強く、強く、感じました!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

この家族の確信が、
何であるのかと言えば、
それは、当然(とうぜん)、
創価学会の仏法(ぶっぽう)の信仰です。

『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、
歓喜(かんき)の中の大歓喜なり』
という、生命から、無限の希望を引き出す、
『南無妙法蓮華経』の信仰です!

この南無妙法蓮華経を、となえて生きる信仰が、
どんな苦難(くなん)にあったとしても、

「絶対に負けない!」
「絶対に、勝ってみせる!」

という、
強い、強い、生命力を、
この家族の中に、
湧(わ)き上がらせているんだと、
思います!


よく、南無妙法蓮華経を、となえることは、
ライオンが、ほえることに、
たとえられます。

百獣(ひゃくじゅう)の王、ライオンがほえたら、
どんな苦難や悲しみの悪魔も、
恐(おそ)れおののいて、
逃げていってしまう!

南無妙法蓮華経を、となえることによって、
ライオンが、ほえるように、
自分の生命の中から、
王者の生命を引き出して、
自分の中にある、
悲しみや、失望(しつぼう)、苦しみといった、
暗い命を追っ払(おっぱら)い、
みずからの心に、
希望と幸せの太陽を、サンサンと、
輝(かがや)かせていく!!


いわば、南無妙法蓮華経をとなえることは、
希望と勇気と幸せの叫(さけ)びなんです。


南無妙法蓮華経を、となえることによって、
自分の中にあるマイナスの命(いのち)を打ち破り、
自(みずか)らの生命を、
蘇生(そせい)させ、輝かせ、
人生と未来を、幸せに変革していく。


それができる、
究極(きゅうきょく)の力が、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。


だから、テレビで紹介された、
創価学会の家族にしても、
大変な苦難に、遭(あ)いながらも、
『明るい!』
『輝いている!』


それは、
現実に、苦難を乗り越えて、
夢や希望を、
かなえていける生き方でもある・・!

また、それが、
南無妙法蓮華経を、となえて生きる、
創価学会の生き方なんだと、
思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく17

2011-08-12 07:46:58 | 
前に、
ルネサンス時代の詩人である、
ダンテの古典、
『神曲(しんきょく)』を、読んだ。

聖教(せいきょう)新聞に、ダンテの話しがのっていて、
それで、興味(きょうみ)をもって、
読んだんだけれど、
地獄篇(へん)、煉獄篇(れんごくへん)、天国篇の三部からなっていて、
地獄篇、煉獄篇(れんごくへん)は、
映画みたいなイメージがあって、おもしろいんだけれど、
天国篇(へん)は、まったく、わけがわからなくて、
難(むずか)しかったです。

ダンテ自身も、天国篇の前書きで、
「天国篇は、地獄篇、煉獄篇とは違(ちが)い、
難解(なんかい)きわまりないので、
その難解さに、ついていけない人は、
読むのを、やめたほうがいい!」
と、自分で、言っていたので、
よく、わからなくて当然(とうぜん)かもしれない。

天国篇となると、まったく、
空想に頼(たよ)らざるえないので、
きっと、ダンテも、よく、
わかっていなかったのではなかろうか・・・・?
(ダンテ先生、失礼いたしました・・・!)


それは、ともかく、
ダンテは、
ルネサンス時代の偉大(いだい)な詩人だった。

ダンテは、最愛の女性の死、
そして、祖国からの不当な追放(ついほう)という、
二つの大きな失望を、味(あじ)わいながらも、
その中から、この有名な古典『神曲』を、
つくりだしていったと、いうことだ。

まえに、聖教新聞に書いてあったけれど、
ダンテは、自(みずか)らの私的な不幸を、
世界の多くの人々の希望へと、
転換(てんかん)していったと、いう。

失(うしな)うことは、
あまりにも、つらいし、
残酷(ざんこく)だ!

けれど、


『失うことは、ゼロではない!』


たとえ、あまりにも大切なものを失ったとしても、
人間は、そのマイナスをプラスに転換する力を、
持っているということだと、
思う。


人間が本来、持っているエネルギーというのは、
スゴイんだと、思う!

けれど、ダンテのような精神の持ち主なら
ともかく、普通は、失ったマイナスを
プラスに転換してゆくのは、
なかなか、難しいし、
それには、物凄(ものすご)いパワーが、
必要だと思う・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

仏法(ぶっぽう)では、
『変毒為薬(へんどくいやく)』という法則が、
説かれています。

読み下(くだ)すと、
「毒を変じて、薬となす」と読むんですが、
人生における、さまざまな苦難、災難、苦悩を、
逆(ぎゃく)に、薬に変えていくという意味です。

さっきも言いましたが、
苦難や災難、苦悩は、
それはそれは、辛(つら)いし、悲しいし、
それを乗り越(こ)えていくには、
物凄いエネルギーが必要です。

どう考えても、
『辛すぎる!!』
と、言っていい。

けれど、仏法(ぶっぽう)では、
その苦難を、
乗り越えていく法則(ほうそく)が、
説かれている!

ということは、仏法には・・・、
創価学会(そうかがっかい)が実践している
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえる仏法には、
どんな苦難も、乗り越えられる、
ものすごいパワーとエネルギーが、
ある!と、いうことだ。


人間には、苦難を乗り越える、
素晴(すば)らしい生命力が、ある!!


たしかに、それは、あるんだけれど、
その素晴らしい生命力を、
どうやって?出したらいいのか?
そのことが、わからないし、
知らない人が、多いと思う。

実は、その方法を、
だれでも、簡単にできるようにしたのが、
仏法(ぶっぽう)であり、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の
「南無妙法蓮華経」の信仰なんです。


人間には、どんな苦難も、乗り越(こ)えられる、
すごいパワーと、エネルギー!生命力が、ある!


その根本の生命力!
どんな苦難や悲しみ、悩みも、乗り越えていける、
強力なエネルギー、強い強い生命力!

その強力なエネルギー、
あらゆる苦難を乗り越えていける生命力のことを、
『南無妙法蓮華経』と言うんだと思う。

そして、
その強力なエネルギー、生命力を、引き出す方法が、

『南無妙法蓮華経を、となえる!』

と、いうことです。


単純に言うと、
創価学会の人たちは、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』ということを、
知っているし、実践(じっせん)している!!

だから、創価学会の人たちは、
さまざまな苦難にも負けないで、変毒為薬して、
幸せを、つかんでいけるんだと思う・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・