以前は、
いろんな週間雑誌が、よく、
創価学会(そうかがっかい)に関するデマ記事を
のせたりした。
なぜ?そんなに、
創価学会のデマ記事を、のせたかというと、
創価学会の記事を、のせると、
雑誌(ざっし)が、売れたからだそうです。
だから、根も葉もないデマを、
平気(へいき)で記事にして、のせた。
また、創価学会が、
どんなに正しいこと、
素晴らしいことを、やっていても、
心の、ひねくれた人間、
ねじまがった人間、
浅(あさ)はかで、心が狭(せま)い人間には、
どうしても、それを、
真っ直(まっす)ぐに
受け止めることができず、
ねじまげるだけ、ねじまげて、
正反対の、最悪の醜(みにく)い出来事に、
作り変え、
でっちあげたりする。
その醜(みにく)さ、愚(おろ)かさ、
あさましさ、浅はかさには、
あきれるばかりだけれど、
創価学会が、それだけ素晴らしく偉大だから、
多くの嫉妬(しっと)と中傷(ちゅうしょう)を、
あびると、考えることもできる。
世間の多くのデマや中傷は、
ある意味、創価学会の偉大(いだい)さ!
素晴らしさ!正しさに対する反動(はんどう)であり、
それは、創価学会の正しさ、素晴らしさ、
偉大さの証明になっていると、
考えることも、できる。
過去から現在にいたるまで、
偉人(いじん)や、偉大な事をやってきた人、
あるいは、正しき行動の人は、
いつも、非難と中傷(ちゅうしょう)のデマに、
さらされてきたし、
それが、歴史上の事実だからです。
ただし、創価学会は、
デマは、
絶対に許(ゆる)さない。
週刊誌とかが、デマを、のせたならば、
必ず、裁判に訴(うった)える。
そうすると、120%、
雑誌社側が、負ける。
(創価学会が、勝利する)
当然(とうぜん)だ!
だって、デマなんだから。
そのたびに、雑誌社側は、
罰金(ばっきん)を払わされるんだけれど、
日本の法律は、甘くて、
罰金の金額が安いので、
雑誌社側は、罰金を払(はら)っても、
雑誌を売るために、また、
創価学会のデマを、のせたりしました。
けれど、雑誌社側が悪質だということで、
だんだん、罰金の額の桁(けた)が、ちがってきて、
しかも、自分の雑誌で、
創価学会にたいする謝罪文(しゃざいぶん)を
のせないと、いけなくなったりしました。
そうなると、雑誌社側は、
こんな、みじめなことは、ない!
『私の雑誌は、うそしか言わない、
デマ雑誌ですよーー!』
と、
自分の雑誌で、
宣言(せんげん)しているようなものだからだです。
それで、雑誌社側も、
だんだん、考えを変えるようになってきて、
こんどは、創価大学の出身者が、
何々省とか、超一流の企業とかに、
こんなに、たくさん就職している!とか、
そんな話しを、
記事にしたこともありました。
(創価大学出身の人が、優秀で、
実力があるということです。)
節操(せっそう)がないというか、
ともかく、雑誌が売れるのなら、
なんでも、する!ということだろう。
だから、こっちが気を許(ゆる)せば、
また、好き勝手、デマを書き散(ち)らすのは、
目に見えている!
それが、悪質なデマ雑誌の
本質(ほんしつ)なのだろう・・・。
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・
時代は、動いている。
世界は、刻々(こくこく)と変化している。
創価学会の世界に広がる平和行動、
正義の行動を、
世界は、大きな賞賛と期待を持って、
絶賛(ぜっさん)している。
その真実の評価(ひょうか)は、
小さな島国根性の
悪(あ)しき三流のマスコミであろうとも、
認(みと)めなくてはならない時代に、
なってきていると思う。
だから、デマ週刊誌であっても、
創価学会のデマ記事が、
書きづらくなってきたのは、
確かだと思う。
けれどそれは、創価学会が、
デマ報道の悪を、徹底的に、
責(せ)め抜(ぬ)いたからだと、思う!
だまっていたら、なにも、変わらなかった!
仏法(ぶっぽう)では、
『声、仏事(ぶつじ)を成(な)す!』
といって、
声を出すことを、重要視(じゅうようし)する!
悪は、悪だと、叫(さけ)びぬく!
マスコミのデマ報道は、絶対に許さない!
そう、叫びぬくことが、
創価学会だけでなく、
日本の、さまざまな環境(かんきょう)を、良くし、
世界を、良くしていくことに、
つながっていくんだと、思う・・・・!
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・