タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく6

2011-06-27 06:43:12 | 映画
このまえ、
『アレキサンダー』という映画を見ました。

オリバー・ストーン監督の映画で、
アレキサンダーの影(かげ)の部分を、題材に、
描いている感じが、しました。

歴史上の人物を題材にした映画の場合、
監督によって、とらえかたが、
まったく、違(ちが)うので、
おもしろいと思いました。


大遠征(だいえんせい)に出発する前に、
自分の財産を、すべて、
部下に与(あた)えてしまい、
部下から、

「大王、では、あなたは、
何を持って、戦いに向かうのですか?」

と聞かれ、
アレキサンダーが、

『私は、ただひとつ!、希望だ!!』

と言ったという有名なエピソードは、
映画には、出ていなかったけれど、
アレキサンダーの胸には、
青年らしい、まっすぐな、
大いなる希望が、
輝(かがや)いていたんだろう!
と思う。


希望があれば、何もいらない!
すがすがしい気がする!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

もし、希望が、ゼロだったら、
それこそ、何も無い!

けれど、希望が、ほんの、わずかでも、
あったならば、
その希望は、
無限に大きくなっていく可能性を、
秘(ひ)めている!

ミュージシャンの、スティービー・ワンダーは、
目が、見えませんが、
彼が、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえた時、
かすかでは、あるけれど、
光が、見えたそうです。

それで、スティービー・ワンダーは、
創価学会(そうかがっかい)に入ったということですが、
これは、べつに、
スティービー・ワンダーでなくても、
すべての人に、言えることです!!!

南無妙法蓮華経を、となえると、
自分の中から、希望が見えてくる!
夜から朝に変わるときのように、
南無妙法蓮華経を、となえると、
自分の生命から、太陽があがるからだと思う。


それが、南無妙法蓮華経という希望の法(ほう)です!


暗(あん)から明(めい)へ!
絶望から、希望へ!
あきらめは、くじけない心に!
憎しみは、感謝と愛情に!
弱き心は、強い勇気に!

一念(いちねん/こころ)の変革だろうか?

それが、できるのが、南無妙法蓮華経であり、
『南無妙法蓮華経を、となえる』
と、いうことだと思う。


そして、
胸中(きょうちゅう)に、
希望を、大きく、大きく、
輝かせて生きる生き方が、
仏法(ぶっぽう)であり、
創価学会の生き方なんだと、
思う・・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく5

2011-06-23 19:02:18 | 願い
前に、
創価学会(そうかがっかい)の会合で、 
幹部の人が、 
『祈(いの)れば、かなう!』
ということについて、 
話してくれたことが、あります。 

『祈れば、かなう!』
というと、 
そんなバカなこと、あるか!!って、思うけど、 
これは、
「あたりまえのこと」なんだそうです。

祈るということは、 
自分が、願いを、かなえたいと思っていることに、 
一念(いちねん/こころ)が、
定(さだ)まるということです。 

ようするに、祈ると、 
一念(いちねん/こころ)が、変わっていく。
一念が、願いを、かなえたいことに集中するので、
こころが、願いを、かなえるほうへ、 
かなえるほうへ、向いていく! 
自分の全生命が、願いをかなえる方向へ、 
方向へと、活動を、開始する。 
だから、結果として、 
祈りが、かなってくる!


これは、生命としての、 
あたりまえの道理(どうり)だという話しでした。

確かに、そうだ! 
世の中には、 
祈りを、バカにするような人間もいるけれど、 
それは、本当は、浅(あさ)はかなんだと、思う。 


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、 
言っていた。
 
「祈りは、人間にしか、できない。 
そして、祈りは、人間として、 
もっとも、尊(とうと)い、尊極(そんごく)の行動だ!」

・・と。 

科学だけでは、人間は、傲慢(ごうまん)になる。 
逆に、単なる、神や悪魔を恐れるような、 
なにかを、崇拝(すうはい)する祈りは、 
人を、愚(おろ)かにしてしまう。

また、神頼(かみだの)みのような、おすがり信仰も、
棚(たな)ぼた的な希望、
宝くじのような希望を持たせるだけで、
その人を幸せにすることは、できない。

逆に、おすがり信仰は、その人の中から、
弱き命(いのち)、
悪(あ)しき生命を引き出す結果となり、
その人を不幸にしてしまう。

そうではなく、
人間を、より、人間らしくするための祈り! 
人間を、もっともっと、 
強く、偉大(いだい)にしていくための祈り! 
そういう祈りが、必要なんだと思う。


おそらく、人間を、強く、偉大に、 
人間らしくしていくための『祈り』が、 
仏法(ぶっぽう)には、あるのだろう。 

だから、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえると、 
より、人間らしく、より、おおらかに、 
その人が持つ、個性と、人間性が、開花していく。 

だから、創価学会は、 
人材が、全世界で活躍(かつやく)し、 
世界192ヶ国に、 
広がっているんだと思う・・・。 


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく4

2011-06-18 21:12:21 | 
創価学会(そうかがっかい)では、 
御書(ごしょ)学習会というのが、
あります。 

御書とは、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が書かれた、 
論文とか手紙をすべて集めたものを、 
いいます。

「御書(ごしょ)」というのは、
めちゃめちゃ、分厚(ぶあつ)い書物で、 
しかも、文字が細かくて、 
しかも、文章は、古文(こぶん)です。 
だから、普通に読んでも、なかなかわからない! 

だから、普通は、
御書を、直接、持ってきて学ぶというより、 
創価学会の雑誌や新聞で、
一部分をとりあげて、
その部分を、現代文に通解(つうかい)して、 
少しの部分を、そのつど、そのつど、 
学んでいきます。 

確かに、難(むずか)しいけれど、 
御書は、日蓮大聖人が、 
未来のすべての民衆を、幸せにするために
残されたものなので、
学んでいくと、 ものすごく深くて、
人生の上でも、 
信仰の上でも、
大切な糧(かて)になることが、 
たくさん!たくさん!、つまっています。 

ようするに、
仏法(ぶっぽう)の真髄(しんずい)が、
つまっています。 

だから、御書は、 
ほんの数行だけ、学んだだけでも、 
講義(こうぎ)する人は、それだけでも、 
長い講義を、ついやすことにもなるし、 
また、それだけの価値(かち)があります。 

だから、 
幸せになっていくために、
人生を、勝利するために、
信心を、強く、深くしていくために、 
御書を、学んでいきます。 


ある時の御書講義で、 
講義してくれた人が、 
南無妙法蓮華経を、となえないと、 
「宿命転換(しゅくめいてんかん)」できない!って、
言っていました。

宿命転換とは、自分のさまざまな宿命、 
自分の存在そのものが持っている、 
喜びとか、悲しみとか、
運命とか、境遇(きょうぐう)など、 
自分の生きていること、そのものを形成している、 
どうにもならない生命のゆがみや癖(くせ)など、 
そして、それによって人生に引き起こる、 
さまざまな出来事や、そのことによって、 
できあがってくる環境(かんきょう)などを、
自分の生命の根本から変革(へんかく)することによって、 
自分自身も、
その世界も、幸せにしていくことだと、 
思います。


説明が長くなったけれど、
御書を、講義してくれた人が、 
南無妙法蓮華経を、となえないと、 
『宿命転換(しゅくめいてんかん)できない!』って、 
言った・・・。


これは、決定的なことだと思う!!
今、幸せの人も、いるだろうし、 
幸せでない人もいる。 
順調(じゅんちょう)な楽しい人生を、
おくっている人もいれば、 
それこそ、悲嘆(ひたん)にくれ、 
地獄(じごく)のような苦しい思いを
している人もいる。 

けれど、どっちにしろ、
南無妙法蓮華経を、となえないと、
宿命転換は、できない!
ようするに、南無妙法蓮華経を、となえないと、 
いくら、表面的なことを、いろいろ、やってみても、 
根本的(こんぽんてき)に解決することは、できない! 
ということだと思う。 


たぶん、南無妙法蓮華経とは、 
人生を開く鍵(カギ)なんだと思う! 


外に大きな世界が、広がっていたとしても、 
ドアを開けるカギが、なかったら、 
外に出ることは、できない! 
その、決定的な存在が、 
『南無妙法蓮華経』なんだと思う。 


『南無妙法蓮華経を、となえないと、 
宿命転換は、できない!』 


確かに、そうだとは、思うけれど、 
わかってはいるけど、 
南無妙法蓮華経って、 
なかなか、となえられない!

だいたい、日々、仕事で、 
疲れ果(は)ててるし、その中で、 
南無妙法蓮華経を、 
たくさん、となえるのは、 
大変だ! 


でも、
『南無妙法蓮華経を、
となえないと、宿命転換できない!』の、 
ひとことが、こころに、ささったので、 
それからは、仕事をしている時でも、 
頭が、空(あ)いている時は、 
こころの中で、南無妙法蓮華経を、 
となえるように、しています。 


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

宿命って、なんだろう? 
生まれた時から、背負(せお)わされて、 
持っているもの? 
それが、良い宿命だったら、いいけれど、 
「なんで、自分が、こんな目に!」みたいな、 
悪い宿命は、たしかに、きつい!! 
確かに、そういう宿命は、 
超(こ)えたり、打ち破るのは、困難だと思う! 


じゃあ、南無妙法蓮華経を、となえると、 
どうして、宿命を、打ち破(やぶ)ることが
できるんだろう? 


南無妙法蓮華経は、
仏(ほとけ)の生命そのものだと、いう。 
そして、その仏の生命は、 
すべての人間の中に、
もともと、 
そなわっている!ものだと、いう! 

そして、もともと、そなわっている 
仏(ほとけ)の強く、素晴らしい生命が、 
南無妙法蓮華経を、となえることによって、 
自分の中から引き出され、 
自分の、かたよった宿命や、 
偏屈(へんくつ)になった自分の生命の壁(かべ)を、 
打ち破ってくれると、
いうことだろうか・・・? 


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく3

2011-06-12 20:23:19 | 願い
前に、電車の中で、 
友人と立ち話しをしていた時、 
聞いた話しなんだけれど、 
その友人は、頭が良くて、優秀な人なんだけど、 
その人の知り合いに、科学者の人がいて、 
その科学者が、 
『どうしたら、願いが、かなうか?』
について、 
研究しているそうです。

その科学者の研究によると、 
なんか、アタマの前に、
スクリーンみたいなものを浮(う)かべて、
自分の願いを映像化すると、 
願いが、かなうことが、
わかったそうです! 

でも、それで、その科学者が、
悩んでしまったそうです。 

それは、
それで、願いが、かなうとしたら、 
ひとりで、願いがかなうことは、ありえないので、 
人にしろ、世界にしろ、すべてが、 
どこかで、つながっていることになってしまう! 
もし、それを、認(みと)めてしまったら、 
それは、もう、科学ではなく、 
宗教になってしまう・・!

それで、深刻(しんこく)に悩んでいるそうです・・。 

別に、それで、願いがかなうんだったら、 
悩むことは、ないと思うんだけど、 
ぼくが思うに、アタマの前に、
スクリーンを、浮かべるなんて、
そうとう、訓練(くんれん)しないと、 
できそうもない。 

願いを、かなえる前に、
スクリーンを浮かべる段階で、
挫折(ざせつ)してしまいそうです・・・。

それだったら、ぼくは、創価学会員らしく、 
『祈りとして、かなわざるなし!』
と言われている、 
ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法連華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえるほうが、ぜんぜん、いい!! 

(※ご本尊とは、創価学会が、 
南無妙法蓮華経をとなえ、祈る対象としている、 
文字で表現された曼荼羅(まんだら)の本尊で、 
仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、
自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、
その自分自身の生命に、
必ず、幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、
そなわっていることを、あらわしたものが、
ご本尊(ほんぞん)です。)

それのほうが、てっとり早いし、 
ご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえるということは、 
どんな人にでも、だれにでも、できる。 
しかも、そこには、生命の真髄(しんずい)と、 
核心的(かくしんてき)な法則があるので、 
本当に、その人の願いや祈りが、
かなっていく!! 

ここに、創価学会が実践(じっせん)する、 
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の
スゴサがあるんですが、 
行為(こうい)が、あまりにも単純で簡単なことなので、 
なかなか、人は信じることが、できない! 

偉大な法則(ほうそく)、偉大な宗教ほど、 
人や、能力を、選ばす、 
すべての人を、幸せにしていける!
ということです。 


だだし、南無妙法蓮華経が、
単純だということでは、ないです。 
南無妙法蓮華経が、
あまりにも、複雑でスゴイから、 
人は、理解できないし、
納得(なっとく)することが、できない! 

でも、信じて、南無妙法蓮華経をとなえれば、 
納得し、解決もする。 
それが、南無妙法蓮華経という
不思議な法則だと思う。 


ちなみに、祈りとして、かなわざるなし!
といっても、 
努力を、ともなわない無謀(むぼう)な願いは、
あんまり、 かなわないようです。 
にもかかわらず、 
真剣に、南無妙法蓮華経をとなえていくと、 
意思に反して、(自分の祈りとは違うのに・・)
幸せになっていくから、
不思議です・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

戸田二代創価学会会長が、 
「科学が、仏法(ぶっぽう)に追いつくには、 
あと、200年かかる。」
と、言っていましたが、 
仏法の正しさが、だんだん、 
証明されてゆく時代が来たんだと思う! 


けれど、科学で、
仏法が証明されるのを待(ま)っていたら、
命が、いくつ、あっても足りないので、 
ぼくは、仏法を信じて、 
ご本尊に、南無妙法連華経を、 
となえることにしようと思う!! 


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく2

2011-06-08 19:55:51 | 日常
創価学会(そうかがっかい)の会合にいくと、 
よく、何人かの人が、 
自分がやってきた、創価学会の活動と、
それにともなう体験を話してくれます。

創価学会は、
平和と幸福をめざす、
世界192ヶ国に広がる平和団体なので、
世界中で活動しているわけです。

その活動体験を、
会合で話してくれる人は、
はっきり言って、
信心のやりようも、
学会活動のやりようも、 
ハンパではない! 

それと同時に、 
その結果としての、
現実の社会に示(しめ)した、 
実証もハンパではない・・!!

実証(じっしょう)というのは、
自分の願いが、かなったり、 
自分の悩みが解決したり、 
信心をやった結果として、
あらわれる現実の証明(現証・げんしょう)のことで、
創価学会の活動は、
当然、ただ、やっているのではなく、
それをやったことによって、
必ず、自分の人生において、
現実に、幸せという結果が出る!
ということです。

そして、その姿(すがた)を見て、 
「すごいなー!」と思い、 
「オレも、がんばろう!」と思い、 
信心のスゴサを、再確認して、 
会合から、帰ってゆきます。 


信心というのは、 
仏法(ぶっぽう)というのは、やればやるほど、 
それだけ、現実の生活の中で、 
結果が、出てくる法則(ほうそく)だということを、 
他の人の体験を通して、
感じ、認識(にんしき)することが、できます。 


そして、とくに、注目すべきは、 
会合が、終わってから帰っていく、 
みんなの笑顔です! 

会合から帰ってくる、みんなの、
はればれとした笑顔を、見れば、 
創価学会が、どれだけ素晴らしいかが、 
よく、わかります!! 


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が、

『仏法を実践(じっせん)していくためには、 
善き友、善き仲間ほど、 
大切なものは、ない!』

と言っています。
 
現代的に言えば、 
幸せに向かって、希望を持って生きていくためには、 
善き友、善き仲間ほど、 
大切で価値のあるものは、ないということだと、思う。 

それが、創価学会なんだと思う。 

悪人は、結託(けったく)しやすいけれど、 
善人は、孤立(こりつ)しがちです。 

「善人の強く団結した組織を、つくるんだ!」
と、 戸田二代会長が、
創価学会を、つくりあげたと、 
聞いています。 

だから、戸田先生は、 
「戸田の命よりも、大切な学会の組織」
と、 言い切った! 

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、 
言っていた。 

「創価学会は、幸せの安全地帯なんだよ!」

と・・・・ 


会合が終わって帰る人々の、 
晴れやかな、太陽のよすな笑顔を見ると、 
それは、まさしく、本当なんだ!
と、心から思う・・・。 


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・