タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく35

2011-10-31 09:18:19 | 平和
先日、創価学会(そうかがっかい)の人が、
自分の悩みや、苦しみ、
困難(こんなん)をガソリンにして、
南無妙法連華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえる仏法(ぶっぽう)と、
創価学会の活動によって、
人生を、希望へ、幸せへと変革(へんかく)していき、
逆(ぎゃく)に、
そういう困難な時に、
ワンランク上の幸せを、つかんでいく!!
という、

『宿命転換(しゅくめいてんかん)』

の話しをしたんだけれど、
それで、以前(いぜん)、
幹部の人が話してくれたことを、
思い出しました。


創価学会は、世界中に広がる、
平和・文化活動をしているんですが、
それで、世界中の創価学会以外の、
ボランティアなので平和活動をしている人達と、
かかわっています。

その中で、世界のボランティアの世界では、
有名な平和活動をしている女性がいて、
みんなから尊敬(そんけい)されている、
素晴らしい人なんだけれど、
その女性が、創価学会の話しを聞いて、
ものすごく、
落ち込(こ)んでしまったそうです。


その女性は、
創価学会の平和活動の話しを聞いて、
自分が、間違(まちが)っていたことが、
わかったそうです。


ふつう、ボランティアをやっている人は、
自分が裕福(ゆうふく)で、
余裕(よゆう)があるから、
自分に時間がある時に、
ボランティアをやっている。

しかも、どこかに、
「やってあげているんだ!」という、
「ほどこし」のような気持ちが、
ある。


ところが、創価学会の人は、違(ちが)う!


自分が、
病気だったり、貧乏(びんぼう)だったり、
会社が倒産(とうさん)したり、
もっとも困難な時に、
人のため、世界の平和のために
活動する。

普通だったら、
自分が病気だったり、貧乏だったり、
自分が大変な時は、
自分のことで、いっぱいで、
とても、人のことなんか考えていられないはずなのに、
そういう中で、人の幸せのため、
地域の幸せのため、世界の平和のために、
一生懸命(いっしょうけんめい)、活動する!


その話しを聞いて、
そのボランティアの世界では有名な、
その女性は、
ほんとうに驚(おどろ)き、
自分を恥(は)ずかしく思い、
創価学会の素晴らしさに、
驚嘆(きょうたん)してしまったそうです。


「なんというパワーだろう!」

「なんという、生命のエネルギーだろう!」

「なんという、平和と正義(せいぎ)の行進だろう!」


と・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

仏法(ぶっぽう)は、
幸せを導(みちび)く
生命の法則(ほうそく)であるがゆえに、
仏法を根本にした平和活動、
一人の人を、幸せにしよう!という活動は、
人を、世界を、幸せにしていくと共(とも)に、
自分自身も、幸せにしていく。


自分自身を、蘇生(そせい)させていく!


それが、創価学会が行っている平和活動です。


仏法が、人を幸せにしていく、
根源(こんげん)の法則であるがゆえに、
その、人を幸せにしていく
根源の法則に基(もと)づいた、
平和活動、あるいは、人を幸せに導く活動、
わかりやすく言えば、
人の悩みや苦しみ、困難を解決するための、
『仏法に基づいた活動』、
あるいは、その幸せをもたらす、
『仏法(ぶっぽう)の法則に導く活動』は、
当然(とうぜん)、
人も幸せにしていくと共に、
自分自身も幸せにしていく!!


仏法が、人を幸せに導く、
究極(きゅうきょく)にして
唯一(ゆいいつ)の力であるために、
その「唯一の行動」をするので、
人を大きく幸せにしていくとともに、
自分自身も大きく、劇的(げきてき)に
幸せにしていく。

仏法が人を幸せに導く、
唯一の力(ちから)だということは、
仏法は、
人を根本から、本当に幸せにしていく、
『唯一の方法』だということです。


それが仏法(ぶっぽう)であり、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
なんですが、
そういう根本の、
幸せの『ギア(ギヤ)』を動かすのが、
創価学会の平和活動であり、
幸せ、幸福活動です。


創価学会の人は、
そのことを知っている!!
ということです。


だから、自分が、
病気や、貧乏などの困難なときに、
逆に、創価学会の活動を、
一生懸命、やっていく!

そのことによって、
自分の悩みが解決することを、
知っているからです!


仏法(ぶっぽう)の法則ほど、
スゴイものはない。

さっきも言ったように、
根源の『幸せのギア(ギヤ)』
を劇的に動かすんです・・・!!!


だから、
幸せの歯車(はぐるま)が
完全に合致(がっち)して回転し、
やったことが、一点の無駄(むだ)なく、
自分に返ってくるのが、
仏法(ぶっぽう)の因果(いんが)であり
法則だということです。


ゆえに、
仏法の法則どおりの創価学会の活動は、
やったら、やっただけ、


必ず、『幸せという結果』


が、返(かえ)ってくる!!!
ということてす。


それが、創価学会が実践(じっせん)している、
必ず宿命転換を可能にする、
南無妙法連華経の仏法であり、
創価学会の平和活動です・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく34

2011-10-23 09:47:14 | 悩み
創価学会(そうかがっかい)の会合には、
大きな会合から、小さな会合まで、
いろいろ、あります。

会合の内容によりますが、
だいたいは、いろんな人が、
人それぞれの体験や、自分の活動のことなどを
話してくれることが、多いです。


その中で、特筆(とくひつ)すべきは、
みなさんの、『明るさ!』です。


みなさん、いろいろと、
大変だとは思うんだけれど、
ともかく、明るい!!

ほんとに、元気で、
こっちまで元気になってきます。


以前、ある会合(かいごう)で、
2人の婦人がコンビで、
話しをしてくれたことがあって、
その2人の話しが、
とても印象(いんしょう)に残りました。

ひとりは、親が、脳梗塞(のうこうそく)で、
倒(たお)れたんだけれど、
その婦人が、真剣に、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえることと、
創価学会の活動を、やりきることによって、
親の脳梗塞は、
完治(かんち)したそうです。


もう一人は、
親が、癌(がん)で入院してしまって、
重度の癌らしいんですが、
先に話した、親の脳梗塞を
南無妙法蓮華経をとなえることと、
創価学会の活動によって完治させた婦人に
みならって、
自分も、「南無妙法蓮華経」と、
創価学会の活動によって、
絶対!、治(なお)すんだ!と、
がんばってるという話しでした。

それで、一日、
3時間は、南無妙法蓮華経を
となえているという話しで、
最初に話した、親の脳梗塞を、
南無妙法蓮華経をとなえることと、
学会活動で治した婦人も、
ひとごとではなくて、
もうひとりの婦人の親の癌が治るように、
一日、3時間、南無妙法蓮華経を、
となえているということでした。


その2人の明るいこと!明るいこと!
普通、親とか家族が、癌になんかなったら、
落ち込(こ)んで、
暗~~く、なっていそうなんだけど、
まったく、逆(ぎゃく)!

ものすごい!エネルギーを出して、
病気の完治めざして、がんばっている!


すごいと思う・・・・。


南無妙法蓮華経は、人間を元気にする
生命力の源泉(げんせん)みたいなものなので、
南無妙法蓮華経をとなえると、
自分の中から生命力が湧(わ)き上がってきて、
元気になっていきます。

けれど、南無妙法蓮華経をとなえていけば、
元気になっていくのは、わかっていても、
普通は、なかなか、たくさんは、
となえられない。

ところが、
なにか悩み事や、大変な事があると、
必死(ひっし)になるから、
南無妙法蓮華経が、たくさん、たくさん、
となえられる!

だから、大変な時なんだけれど、
必死に南無妙法蓮華経をとなえるので、
逆に、ものすごく、
元気で、明るくなっていく!
逆に、輝(かがや)いていく!


この原理(げんり)は、
すごいし、素晴らしいと思う!

普通の生活の中では、なかなか、
ありえないことだと思う!
だって、悩みごとや、病気などの苦しみが、
襲(おそ)いかかってきたら、
それだけで、イヤになっちゃうし、
暗(くら)くなると思う!

ところが、
創価学会が実践している仏法(ぶっぽう)は、
自分の悩みや、苦しみ、困難(こんなん)を
ガソリンにして、
人生を、希望へ、幸せへと、
生命力のエンジンを、
フル回転して、
逆に、そういう時に、
ワンランク上の幸せを、つかんでいく!!


こういうのを、

「宿命転換(しゅくめいてんかん)」

と、言います。


自分に襲(おそ)いかかってきた宿命を、
南無妙法蓮華経を、真剣に、となえることと、
仏法の実践(じっせん)である、
創価学会の活動によって
転換(てんかん)して、
今まで以上に、幸せになっていく!
ということです。


逆説的(ぎゃくせつてき)で、
少し変(へん)な言い方をすれば、
創価学会員は、ある意味、
苦しい時ほど、元気になる!

悩みが多い時ほど、輝いて生きていく!
そして、苦しみや、悩みが、
おそいかかってくる前よりも、
幸せになってしまう!!


それが、できる、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)と、
創価学会の活動は、
ほんとに素晴らしいと思う!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

創価学会員が、強いのは、
病気や悩み、困難が、自分に、
おそいかかってきた時に、
それを、解決する、乗り越(こ)える方法を、
ちゃんと、知っている!!
ということだと思う。

だから、迷(まよ)わない!
どんなことがあっても、
途方(とほう)にくれなくて、すむ!
だって、解決する方法を、知っているから、
途方にくれる必要はない!


どんな時でも、
生命の根本(こんぽん)からの解決方法を、
知っている。


それが、ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経を、となえることであり、
創価学会の活動なんだ!と、
深く思う・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく33

2011-10-19 08:35:46 | 世界


世界は、一流の人物を求めている。


平和を願う有能な識者や学者たちは、
本質(ほんしつ)を求め、本物の行動をする人間を、
鋭(するど)く!見抜(みぬ)いている。


その結果が、
池田先生(創価学会インターナショナル会長)へ贈られた、
『名誉学術称号(めいよがくじゅつしょうごう)』
なのだと思う。

名誉学術称号とかいうと、分(わ)かりづらいけれど、
世界のさまざまな大学から贈(おく)られた、
名誉博士、名誉教授、名誉学長などの称号(しょうごう)です。

このブログを読んでいる人の中に、
名誉博士号を、いただいた人はいないと思うけれど、
もし、いたとしたら、
これらの称号を、
たった一つでも、いただくことが、
『どれだけ大変か!』、
『どれだけスゴイことか!』
受章(じゅしょう)したことのある人だったら、
よく、わかると思います。


そんな名誉学術称号を、
池田先生は、『396』も
受章(じゅしょう)している。


すごすぎて、いったいどれくらいスゴイのか、
想像(そうぞう)がつきませんが、
ある創価学会員が、
中国に出張(しゅっちょう)で出かけたおり、
仕事関係の中国のある人物に、
その話しを、したそうです。

その中国の方は、
優秀な大学を出ているエリートなので、
博士号などが、どれだけ大変かを、
よく理解している人だったらしいけれど、
池田先生が、名誉学術称号を300以上も
いただいている話しをしたら、

「それは、ありえない!」 
「不可能だ!」

と、びっくりしたそうです。


そして、


「きみの師匠(ししょう)は、
 それほど偉大(いだい)な人なのか!」


と、言ったそうです。


その中国の人の言葉をかりれば、
池田先生は、それほど!
偉大な人間なんだと思います。

それは、ただ盲目的(もうもくてき)に、
師匠を、あがめたてるというのではなくて、
現実に、世界が認(みと)める事実だからです。

世界は、正しいものは正しい!
偉大なものは、偉大だ!と、
まっすぐに、ものごとを見てくれる!
ということです。

日本の場合は、独特(どくとく)の
島国気質(しまぐにきしつ)というか、
世間(せけん)を気にする風潮(ふうちょう)のせいか、
なかなか、素直に物事を
評価(ひょうか)できない部分があると思います。

やはり、日本では、
以前からあった悪質なデマや、
三流マスコミの、ひねくれた記事などの影響(えいきょう)か、
その日本人的な精神風土(ふうど)のせいなのか、
池田先生に対する評価、理解は、
まだまだ、
されていないように思われます。

そう言っている、ぼくも、
日本に住んでいますので、
はっきりいって、池田先生が、すごすぎて、
偉大すぎて、どれくらいスゴイか?
本当は、まだまだ、
認識(にんしき)が足(た)りないのかもしれませんが・・・・。


池田先生は、それだけでなく、
全世界の都市や市、町から贈られた
「名誉市民」の称号(しょうごう)も、
『800』も、いただいている。

こちらも、すごすぎて、
偉大すぎますが、
日本の三流のマスコミなどは、
嫉妬(しっと)して、
金を、ばらまいて、もらったんだとか、
あまりにもバカなことを、
言ったりしていました。


けれど、冷静(れいせい)に、
よく考えてみてほしいです・・・。


そうだとしたら、あまりにも、
世界の大学や都市を、バカにしています。

だいたい、池田先生が、
「名誉博士」の称号を、いただいた大学は、
世界の一流の大学だけれど、
そういう大学が、金で、名誉博士号を、
与(あた)えたりしたら、
それこそ、大学の権威(けんい)が、がた落ちで、
大学の権威も、価値(かち)も、
まっさかさまに落ちていってしまいます。


だから、そういうことは、絶対にしません!


名誉博士号を与(あた)える場合は、
その人のことを徹底的(てっていてき)に調べ上げ、
本当に、価値のある、
世界に貢献(こうけん)している、
素晴らしい人物にしか与えません!

しかも、一人でも、反対する人がいたら、
与えることはなく、
満場一致(まんじょういっち)でないと、
名誉博士号は、いただくことはできません!

名誉市民の称号も同じです。
本当に尊敬し、
偉大な功績(こうせき)のある人物にしか、
あたえることはないでしょう。

なぜならば、それは、
その都市の名誉(めいよ)に、
かかわってくるからです。


昔の資料(しりょう)ですが、
池田先生の名誉市民の称号が、
400を超えた時、
ボリビア・アキーノ大学総長の、
ホセ・アントニオ・デチャサール氏が、
400の名誉市民の称号をたたえて、
メッセージを送られています。

その時のメッセージが、
とても、わかりやすく、
池田先生のことを表現していますので、
それを、そのまま、
紹介(しょうかい)したいと、思います。


世界の一流の人物が、池田先生を、
どう見ているか、
どう考えているのか、
とても良く!わかるので、
すこし、かたくなりますが、
読んでくださったら、幸(さいわ)いです・・!!!


////////////////////////////

名誉市民の称号は、ラテンアメリカでは、
特別な意味を持ちます。
決して、普通のことではありません。
社会的に特別な地位にある人で、
その市の歴史に、つづるべき事業(じぎょう)・・・
すなわち、我々のコミュニティーに
特別な恩恵(おんけい)を与える事業を、
行った人に対して贈られるものです。

だからこそ、東洋の偉大なる哲学者(てつがくしゃ)であり、
私の親愛(しんあい)なる池田大作博士に
ボリビア・サンタクスル州のラ・グアルディア市政府が、
「最高賓客(ひんきゃく)賞」を贈ったのです。

これで、池田博士への名誉市民称号は、
世界で、「400」になったと、
うかがいました。

現代史において、このような世界的に高い評価を得(え)、
世界平和のために戦っておられる卓越(たくえつ)した人物は、
池田博士をおいて他に例を見ないでしょう。

「400」の名誉市民という一例が意味するのは、
人類にとって最も重要な問題解決に向かって
行動されている人物への最高の賞賛の証(あかし)であり、
他人への非常に、こまやかな配慮(はいりょ)、
気遣(きづか)いをし、
より高い人間性へ導くという
非凡(ひぼん)な人格(じんかく)を、
想起(そうき)させるものです。

池田博士が、同志(どうし)である
SGI(創価学会インターナショナル)メンバーと
世界中で進めている社会貢献(こうけん)の行動は、
世界平和実現に向けて、
地道(じみち)な行動です。

皆様は、人権の尊重(そんちょう)や憲法の保障(ほしょう)など、
この地球上のすべての差異(さい)を有する
コミュニティーを構成(こうせい)する人が、
平和的に共生(きょうせい)できるように
努力しておられます。

私は、このSGIの行動に
地球上の全文明が感謝する義務(ぎむ)を
有(ゆう)すると確信しています。

そして、各市が名誉市民という形で表す「感謝」は、
多数の市民の思いが集まった
「ひとつの証書(しょうしょ)」という形には、
とどまりません。

あらゆる社会の生活状況の改革(かいかく)を
模索(もさく)する池田博士とSGIの皆さまの、
他者への献身的(けんしんてき)な行動こそ、
市民の模範(もはん)であり、
目指すべき方向は同じであるとの、
共感のメッセージを全世界に発信しているのです。

技術開発によって急速に変化する先進的な現代世界にあって、
池田博士は、一人の弟子として、
師匠(ししょう)である牧口先生、戸田先生の唱(とな)えた、
「人間の総合的な開発」「価値(かち)の創造(そうぞう)」
「市民性」「教育」「保健」「平和」
「正義による民衆の解放(かいほう)」
などの教えに従(したが)い、
一途(いちず)に行動し、世界中から賞賛を受けられています。

この一事(いちじ)に、私は、
最大限の賛辞と共感(きょうかん)を贈りたいのです。

東洋の大哲学者である池田博士の友人であるという、
栄誉(えいよ)について、
感動を隠(かく)し切れません。


池田博士とは、数年前に東京で、
お会いすることができました。

私の人生の中で最も、すばらしい瞬間でした。
その卓越(たくえつ)したリーダーシップ、
その例を見ない人間性を、
彩(いろど)る聡明(そうめい)さ、
池田博士その人すべてに、深く感動しました。

創価大学での荘厳(そうごん)なセレモニーを終え、
池田博士との、会見に向かった私たちを迎(むか)えたのは、
池田博士の、あたたかく広げられた両腕でした。

大感動を禁(きん)じえない出来事であり、
いまだに自分自身の精神の記念碑(きねんひ)として、
その時の場面は消え去ることは、ありません。


日本訪問は、私自身の人生の中で最も大きな体験でした。
池田博士が指揮(しき)をとられ、
この世界が、正義と自由によって、
より人間的であるよう尽力(じんりょく)されている、
SGIの、すばらしさにも感動しました。

師匠である池田博士との出会いによって、
私は、
本当に幸福な時に池田博士の支(ささ)えを感じ、
また困難(こんなん)な時には
博士の激励(げきれい)を感じ取り、
その生命の言葉に希望の地平(ちへい)が開くのです。

池田博士と地理的な距離はありますが、
ボリビアSGIのメンバーと接(せっ)することで、
人間対人間の交流、
また、心と心の触(ふ)れ合いを感じ、
より良い人生の展望(てんぽう)を
描(えが)けていることに感謝しています。


あらためて池田博士に「400」の名誉市民の受章への、
祝福の言葉を申し上げます。

この一大慶事(けいじ)は、
池田博士だからこそ、値(あたい)するものです。

数多くの市が、その行動を高く評価し、
名誉市民、最高賓客(ひんきゃく)賞という
顕彰(けんしょう)を行っていますが、
これらの市は、池田博士を、
その一名誉市民として迎(むか)えることに
栄誉(えいよ)を感じていることでしょう。


池田博士は私たち人類すべての模範(もはん)であり、
世界的な指導者です。

人類は歴史という本に、
「池田博士の章(しょう)」を、
あけて待っていることを確信します。


////////////////////////////

・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

池田先生は、
この池田先生が、いただいた、
「名誉博士称号」や「名誉教授称号」の、
396の名誉学術称号も、
800の「名誉市民」の称号も、
すべて、創価学会(そうかがっかい)の
会員の皆さまの代表として、
いただいたんだ!と、
よく話します!

創価学会の会員のひとりひとり、みんなが、
「名誉博士」も「名誉市民」も、
いただいたんだと!


『だから、誇(ほこ)りを持て!!』と。


これは、お世辞(せじ)でもなんでもなく、
池田先生の、本当の、
こころだと思う。


そして、弟子である創価学会の一人一人を思う、
決意と真心(まごころ)の言葉なんだと思う・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく32

2011-10-15 11:53:31 | 映画
先日、
映画、「ロング・エンゲージメント」を
見た話しをしました。

先日、話したような
ラブ・ストーリーであると同時に、
この映画は、戦争の悲惨(ひさん)さを、
ありありと、表現している映画でもあると、
思った。


戦争から逃れようと、
わざと怪我(けが)をした5人の兵士は、
処刑(しょけい)を宣告される。

よく考えてみると、
どちらが、正気(しょうき)か、わからないけれど、
その5人の中のひとりが、
映画の主人公・マチルダの恋人、マネクです。

そのマネクを中心に、
処刑を宣告(せんこく)された5人が、
なぜ?わざと怪我をし、
戦争から逃(のが)れようとしたのか?
5人それぞれの、
さまざまな人生の悲哀(ひあい)と苦悩が、
描かれていきます。

その5人の物語から、
マチルダは、マネクの消息(しょうそく)を、
からまった糸を、解(と)きほぐすように、
探していきます。

見ていて、映画とはいえ、
やはり、想像を絶(ぜっ)する戦争の悲惨さを、
感じました・・・・!



現代でも、戦争は、無くなってはいない。


なんて、愚(おろ)かで、
なんて悲惨なんだろうと、
思うけれど、
そう思っている自分も人間であるが、
戦争を起(お)こしているのも人間です。

宗教が、戦争に利用されていることも、ある。
戦争を起こす宗教も、良いとは思わないが、
宗教を、戦争に利用している権力者(けんりょくしゃ)は、
最も、悪いと思う。


池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、

「戦争を起こすことは、宗教の自殺行為だ!」

と言っていた!


ほんとうに、そうだと思う!


「憎しみ」、「怒り」、「復讐(ふくしゅう)」

この悲惨なる悲しみの心に、
打ち勝つ力(ちから)が、人間には、あるのだろうか?


答えは、『ある!』だ!


人間には、憎しみや怒りを超(こ)えた、
強くて、あったかくて、やさしくて、
自分も幸せにし、人も世界も、幸せにできる、
満(み)たされた最高に幸せな生命がある!

その強くて、あったかくて、
自分も世界も、幸せにできる、
最高に充実(じゅうじつ)した生命のことを、
仏法(ぶっぽう)では、
『仏界(ぶっかい)』の生命という。

仏(ほとけ)のように、現代的に言えば、
人間の王者のように、堂々とした、
すべてを、包(つつ)み込むような強靭(きょうじん)な、
しかも、あったかい生命!

それが、仏(ほとけ・仏界)の生命だと思う!


その仏(ほとけ)の生命は、
だれでも、なんの違(ちが)いもなく、
すべての人間の中に、そなわっている!


それが、人間の生命であり、
人間である以上、必然的(ひつぜんてき)に、
仏(ほとけ)の生命が、
そなわっている!ということです。


池田先生が、

「世界のすべての人たちが、
自分の中に、この仏の生命(仏界の生命)が
あることが、わかったら、
戦争は、無くなる!!」

と、言っていた!


たしかに、そうだと思う!


自分に、自分も、まわりの人たちも、世界も、
幸せにする力があるとこを
知っていたら、
戦争を起こす必要が、ないからです!

なぜならば、
その仏(ほとけ)の生命を、自分の中から、
引き出すことによって、
自分も、世界も、変えていくことが、
できるからです。

その充実感と、満たされた心からは、
戦争を起こそうとする心は、
起こってはこない!


なにもできない絶望感(ぜつぼうかん)から、
戦争は、起こってくるのだと思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえているということは、
世界を、変えていることに、等しい。

なぜならば、
南無妙法蓮華経を、となえるという行為(こうい)は、
自分の中から、仏の生命(仏界の生命)を
引き出す、唯一(ゆいいつ)の方法だからです。

これ以外に、自分の中から、
仏の生命(仏界の生命)を引き出す方法も、
また、仏の生命を実感し、
認(みと)め、

「自分の中にも、素晴(すば)らしい仏の生命が、
あるんだ!!」

と、確信する方法も、ない!


だから、それは、そのまま、
自分の周(まわ)りの人たち、環境(かんきょう)、世界から、
仏界(ぶっかい)の心、すなわち、
平和の心、幸せの心を、引き出すことに、つながり、
世界を、幸せの方向に
変えていくことに、つながっていく。

だから、ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経を、となえるという
信仰を根本とした、
創価学会(そうかがっかい)の活動は、
世界最高の平和活動なんだと、思う!


それを、客観的(きゃっかんてき)に見た、
世界の有識者たちは、
創価学会の活動を、絶賛(ぜっさん)し、
最高の尊敬と期待と希望をもって、
最大級の賞賛を、
創価学会に、あたえている・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく31

2011-10-10 12:49:03 | 映画
このまえ、
「ロング・エンゲージメント」
という映画を見ました。

とても、いい映画でした。
戦争のシーンは、
あまりにも残酷(ざんこく)で悲惨(ひさん)でしたが、
戦争後のシーンに戻ると、
ウイットやユーモアも、のぞかせ、
それでいて、
ひたむきな純(じゅん)な魅力(みりょく)が、
良く出ていました。


戦争で、マチルダの恋人、マネクは、
死んだと報告(ほうこく)されるが、
マチルダは、それを、信じない!
ただただ、

「マネクは、生きている!」

という、
自分の直感(ちょっかん)だけを信じ、
からまった糸のような小さな手がかりを頼(たよ)りに、
愛するマネクの消息(しょうそく)を
追っていく!

そして、
マチルダの直感は、
現実となり、
感動的なラストへと向かっていく。


その姿を、へんにドラマチックにはせず、
等身大(とうしんだい)の人間として、
表現しているところが、
すごく、良いと思った。



直感というものは、信念(しんねん)に似ている!


へたな願望のような、
浅(あさ)はかな勘(かん)は、
あまり、当たることはないし、
また、そういう勘(かん)が、
人を幸せに導(みちび)くことは、
少ない。

けれど、信念をともなった直感は、
時として、人を幸せに、みちびく。


人は、だいたいは、
常識(じょうしき)や理屈(りくつ)で動くものだ。
けれど、時として、
常識や理屈では違(ちが)っていても、
どうしても、こうするべきだ!という、
直感に従(したが)う時もある。

また、常識や理屈では、
そうすべきではないのに、
感情が、どうしてもこうしたい!という
強い信念を、ともなうこともある。

そういう時は、その直感に従ったほうが、
成功する場合もある。

なぜ?そうしたか?と聞かれて、


「どうしても、そうしたかったからだ!」


と、答えるしかない時もある。


理屈を、とるべきか?
直感を、とるべきか?

その見極(みきわ)めが、
たいへん難(むずか)しいと思う。


仏法(ぶっぽう)では、
その信念を、ともなった直感のことを、
「仏智(ぶっち)」と言う。

「仏(ほとけ)の知恵」という意味だ。

この仏智(ぶっち)は、ヒラメキに似(に)ていて、
理屈はともあれ、
仏智(ぶっち)として、
ひらめいたとおりに行動すると、
成功する。

成功するから、仏智なんだけれども・・。


ぼくが知っている創価学会(そうかがっかい)の婦人に、
理屈は、すごく苦手だけれど、
直感が、すごく!鋭(するど)い人がいる。

その人は、こころに、ご本尊(ほんぞん)を、
いつも、抱(だ)きしめているような人だ。

(ご本尊とは、創価学会で、
南無妙法蓮華経を、となえる対象[たいしょう]として、
信じている、祈りの対象です。)

彼女は、理屈は、わからなくても、

「だって、私は、そうしたいんだもの!」
「だって、私は、そうしたほうが、いいと思うんだもの!」

と、よく言う!

それで、常識から考えて、
無理(むり)ではないかと思われるようなことも、
成功させている!

だから、ぼくは、
「そうして、良かったですね!」
としか、言えない。

すごい人だと、思う。


問題は、この仏智が、
どうやったら出てくるかだと思う。

はっきり言うと、
『仏智(ぶっち)』は、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえないと、
出てこない!


南無妙法蓮華経は、自分の生命の中にある、
最高に素晴らしい、仏(ほとけ)の生命を
ひきだす、鍵(かぎ)に、似ている!

だから、南無妙法蓮華経を、となえることによって、
自分の中にある、
仏(ほとけ)の知恵を開くドアが開(あ)き、
ヒラメキが、出てくる!


創価学会員で、創造的(そうぞうてき)な仕事をしている人が、
創造上の壁(かべ)にぶつかった時に、
南無妙法蓮華経を、何時間も、となえて、
仏智であるヒラメキを、ひきだして、
何度も、何度も、
壁を、乗り越(こ)えてきたという話しは、
よく、聞く。


ぼくも、どうしたらいいか、悩むときなどは、
南無妙法蓮華経を、たくさん、たくさん、
となえると、
理屈ではなく、
絶対に、こうするべきだ!という、
直感と確信が、わいてきて、
はっきりと、進む道を選ぶことができたことが、
たくさん、あった!

また、これからも、
そうしていくだろうと思う。


南無妙法蓮華経を、となえると、
未来の見えない道を、ある意味、
仏智として、
自分に見えるようにしてくれる!

幸せになる道を、わからせてくれる!
それが、仏智(ぶっち)だと、思う。

すごいことだと思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

南無妙法蓮華経を、理屈で、
理解できる人は、いないと思う。

今日、話した仏智にしても、
南無妙法蓮華経の力の、
ほんのわずかな力(ちから)に、すぎないと思う。

南無妙法蓮華経の力は、
ほんとうに、すごすぎて、
とうてい、わからないと思う。


だから、結論(けつろん)として言えることは、


『南無妙法蓮華経は、信じるしかない!』


ということだ・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・