タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく159

2014-06-10 19:19:26 | 日常
ぼくの友だちで、
映画やドラマ、コマーシャルなどの、
エキストラのアルバイトを、している人が
いるんですが、
エキストラを、やっていると、
いろんな人に、会うそうです。

当然、有名人にも、会ったりして、
面白い話しを、聞かせてくれるんですが、
そのほか、
エキストラとして、出演してる人の中にも、
「いちお、女優なんですが・・・」
とかいう人も、出ているそうです。

その人たちを、見ていると、
ほんとに美人だったり、
ほんとに、かわいかったりも、するそうです。

じゃあ、なにが違(ちが)うかと、いうと、
その友だちが、言うには、
『目の輝(かがや)き』が、違うそうです。

どんなに美人や、かわいい人でも、
『目の輝き』がない人は、
売れない。
『目の輝き』が、ない人は、
人を、ひきつけ、
魅了(みりょう)していくことが、
できない。

「目の輝き」とは、
言い換(か)えれば、
その人間が放(はな)っているオーラ、
その人間が、持つ生命の輝きと、
言えるかもしれない。

たとえ、どんなに美人であっても、
どんなに、かわいくても、
その人間に、生命の輝きがなかったら、
芸能界では、
通用(つうよう)しないということだろうか・・?


創価学会(そうかがっかい)の人にも、
芸能界の人は、たくさん、いる。
お笑いでも、女優でも、
ミュージシャンでも、
トップで活躍しているような、
有名な人たちが、
創価学会員である場合も、多々(たた)ある。

たとえば、創価学会員で、
売れっ子の女優さんの話しを、
すれば、
ぼくが、考えるに、
その人たちが、
たしかに、かわいいし、
美人だったりするけど、
じゃあ、メチャメチャ、かわいいか?と、言えば、
それほどでも、ないように、
思うこともある。
世間一般の人と、そんなには、
変わらないような気がすることも、ある。

けれど、トップとして活躍し、
めちゃめちゃ、売れていたりする。


なぜだろう?


やはり、それは、『目の輝き』
『人間の輝き』が、きわだっている!
からでは、ないだろうか?

なぜ、『目の輝き』『人間の輝き』が、
ほかの人より、勝(まさ)り、
きわだっているのか?

それは、創価学会の、
南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)を、
実践しているから!としか、
言いようがない!!!!

『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、
 歓喜(かんき)の中の大歓喜なり!』
と、言って、
南無妙法蓮華経を、となえていると、
生命が、歓喜してくる。

南無妙法蓮華経は、
人間の生命を、最大に輝かせ、
最大に、その人間の能力を、
開花させる!

南無妙法蓮華経は、
人間の中にある無限の可能性、
その人が、人間であるところの、
最高のものを、その人の中から、
引き出し、幸せにしていく法則(ほうそく)だから、
南無妙法蓮華経を、となえている人間は、
最高に、自分と個性を、発揮することができ、
そして、自分の生命を、
最高に、輝かせていくことが、できる!


そういえば、
ぽくの知人が、
「創価学会の人は、個性が強い人が多い・・。」
と言っていたけれど、
それは、個性が強いのではなくて、
南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰を、
実践(じっせん)しているので、
おのおのが、
自分の個性を、最大限に発揮(はっき)できている!
ということです。

だから、現実の世界の中で、
良い意味で、個性が、きわだっていく・・!

ゆえに、芸能界という厳(きび)しい世界でも、
南無妙法蓮華経を、となえている、
創価学会員が、輝かないわけがなく、
同じ、かわいい人、美人のたくさん、いる、
芸能界でも、
その人は、きわだった輝きを、
発揮していく・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

もうひとつ、言えることは、
ぼくの友だちが、言った『目の輝き』だ!

『目の輝き』とは、
その人の心、もっと言うと、
その人の思想、信念(しんねん)を、
そのまま、表現していると思う。

そういうことから、考えると、
創価学会の仏法(ぶっぽう)の思想は、
人々を、幸せにし、平和にしていく、
世界最高の思想であり、哲学(てつがく)であるので、
その思想、哲学を持った、
人間の『目の輝き』は、
当然、世界最高の思想、哲学を、持っているのだから、
その信念が、もっとも出てくる『目の輝き』も、
最高の、素晴らしい輝きを放(はな)っていく!!!
と、考えることが、できる。

南無妙法蓮華経の仏法の、
平和思想、幸せの哲学(てつがく)は、
世界最高のものであるので、
その哲学を、もった人たちの目の輝きは、
当然、きわだって、輝いてくる。

また、理屈(りくつ)ではなく、
実際に南無妙法蓮華経を、となえていると、
自分の生命が、歓喜し、
輝いてくるので、
その人の個性も、
最大に発揮されることになり、
人間としても、芸能人としても、
とても、魅力的な存在になり、
芸能界という、きわだった世界の中でも、
創価学会員が、活躍できるのは、
当然のことと、言えるかもしれない・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく155

2014-05-08 09:39:29 | 日常
よく、カルト宗教などでは、
世間が、つい、あこがれてしまうもの、
いわゆる、美人とか、金品とか、
まやかしの魔力(まりょく)とか、
まぬけな人が、
つい、引き付けられてしまうようなもので、
その宗教に、引っ張ってきて、
人をだまし、金儲け(かねもうけ)を、
しようとします。

まえにテレビで、
レースクイーンのような、
きれいどころの女性を、集めて、
宣伝に使っていたカルト宗教を、
見たことが、ありましたが、
ようするに、美女軍団を集めて、
世間一般的に見て、
「こんな美人で魅力的(みりょくてき)な女性が、
 いっぱい、いますよ~~~!」
みたいな勧誘(かんゆう)を、していたようだけれど、
だとしたら、こんな、
アホらしいことは、ない。

こういう宗教をやる人たちは、
そういうものが、宗教であり、
「金になるもの」「人をだますもの」が、
宗教であり、
それが、れっきとした、
宗教の役目(やくめ)だとでも、
思い込(こ)んでいるようでもあります。

あほらしくて、
開(あ)いた口が、ふさがりませんが、
世間的にも、
それが、宗教なんだと、
一般的に、考えられているようです。

こういう、人を、だまし、
また、だますつもりはなくても、
(それのほうが、やっかいですが・・・)
人を、不幸にする宗教を、
邪宗教(じゃしゅうきょう)といいます。


ところが、創価学会(そうかがっかい)は、
まったく、逆です!!!

創価学会が、実践している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、
本当に、人を幸福にし、
人々を、蘇生(そせい)させ、
現実の、ひとりひとりに、
希望と勇気を与(あた)え、
ひとりひとりの悩みを解決する、
真実の法則(ほうそく)であり、信仰だから、
今でこそ、その結果として、
創価学会の人たちは、
裕福(ゆうふく)になり、健康になり、
世界が、賛嘆するような、
素晴らしい人材が、
連(つら)なる創価学会になったけれども、
昔は、創価学会といえば、
貧乏人(びんぼうにん)と、病人の集まりでした!!

これは、どういうことかというと、
さまざまなカルト宗教が、
世間から見て、いかにも、魅力的な人たち、
いかにも、お金がありそうで、
裕福な人たちが、あつまり、
いわゆる、美人ぞろいの、
魅惑(みわく)の集団のように見えるのに対して、
(本当は、これが、悪の集団である証拠(しょうこ)ですが・・・)

創価学会は、まったく逆(ぎゃく)!!!
貧乏人と、世の中から、
見放(みはな)されたような病人ばかり!!!

つまり、どういうことかというと、
まったく、金には、ならない!!と、
いうことです。

世間から、見放されたような、
また、ばかにされるような人たちばかりが、
集まっていたわけですから、
当然、世間から見て、
魅力が、あるはずが、ありません!!

だから、世間は、
創価学会を、
「病人と貧乏人の集まりだ!」と言って、
バカにしました!


けれど、よく、考えてみてください!


どういうことかというと、
そこには、「まやかし」は、
存在(そんざい)しえない!!ということです。
金を、むしりとる団体でもなければ、
人を、だます団体とも、
なりえない!ということです。

当然です。
貧乏人と病人しか、いないんですから!

少し、冷静(れいせい)に考えてみると、
創価学会に集まった人たちは、
病人や、貧乏人ばかりでしたから、
何を求めているか?というと、
貧乏人は、経済革命して、
裕福(ゆうふく)になりたいし、
病人は、病気を、治(なお)して、
健康になりたい!!

そこには、切実(せつじつ)な願いがあり、
金めあてや、女めあての人など、
入っていく余地(よち)がない!!

はっきり、言ってしまえば、
これが、創価学会が、
真実の宗教である証(あかし)なんです!!


創価学会二代会長の、戸田城聖先生は、
言っている。

『病人と貧乏人を、救うのが、
 宗教の役目では、ないか!
 創価学会は、宗教界の王者である!』

と・・・。

そして、
世間が、
「病人と貧乏人の集まり!」と言って、
バカにした、創価学会の人たちは、
現実に、病人は、病気を、克服(こくふく)し、
健康になり、
貧乏人は、裕福(ゆうふく)になっていった!

これが、本当の宗教であり、
それが、創価学会の、
南無妙法蓮華経を、となえる、
仏法(ぶっぽう)のスゴサと真実です。


問題は、宗教の役目とは、何なのか?

どれだけ、貧乏人を、救ったか?
どれだけ、病人を、救ったか?
どれだけ、悩める人の悩みを、解決したか?
どれだけ、ひとりひとりの夢や希望を、
かなえる力(ちから)となり、
実際に、ひとりひとりの夢や希望を、
かなえてきたか?
そして、どれだけ現実に、ひとりひとりを、
幸せにしてきたか?


これ以外、宗教の価値(かち)は、ありえない!


そのことから考えると、
文字どうり、創価学会は、
『宗教界の王者』であり、
何十万、何百万、何千万の人たちを、
現実に幸せにしてきた、
真実の宗教であると、言える。

だから、実際に、
世界192ヶ国に広がり、
世界から、大変な尊敬を期待を、集めている。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

ところが、日本のマスコミは、
昔は、創価学会を、
貧乏人と病人の集まりだと言って、
バカにしてきたくせに、
みんなが、蘇生(そせい)し、
裕福になり、健康になり、
すばらしく大発展した、創価学会を見て、
こんどは、その姿に、嫉妬(しっと)して、
創価学会は、金を、ばらまいているとか、
権力の亡者(もうじゃ)だとか、日本乗っ取りだとか、
あまりにも、あほらしいことを、
言ったりし、また、
三流雑誌が、デマの記事を、
ながしたりしている。

それも、また、
大変、あさましいことですが、
創価学会を、非難中傷(ひなんちゅうしょう)する、
やからの考えることは、
カルト教団が、
信者から金を、むしりとろうとするのと、
ほとんど、変わらないと、
言っても、さしつかえない!と思う。

それくらい、
うすぎたなく、いやらしのが、
日本の三流雑誌の、創価学会のデマ記事を、
書いている連中であり、
それは、そのまま、
カルト教団が、
信者たちを、マインドコントロールして、
だましていたのと同じ手口で、
日本人を、だまし、
マインドコントロールして、
金を、もうけているのと、
そっくりであり、
カルト宗教よりも、ひどい!といっても、
いいかもしれない!

なぜならば、
自分たちは、それで、
マスコミずらして、平気に、
罪(つみ)も受けず、人々を、だましつづけて、
生きているからです。

ところが、こういう人間たちに、
だまされた人たちは、
もっと、不幸かも、しれない!

創価学会の実践する、仏法(ぶっぽう)の法則は、
宇宙の法則(ほうそく)であり
すべての生命の法則です。

それなのに、
三流雑誌や、デマ記事を見た人たちは、
その宇宙の法則であり、
生命の法則である、
創価学会が実践(じっせん)する仏法を、
バカにして、さげすんでしまうからです。

そのすべての生命の法則であり、
宇宙の法則である『仏法(ぶっぽう)』をバカにしていけば、
生命の法則、宇宙の法則をバカにすることになり、
それはそのまま、幸せになるための法則なので、
その、幸せになるための法則を、
バカにすることになります。

そして、その生命の法則であり宇宙の法則であり、
幸せの法則は、
どこか遠くにある、
自分とは関係ない法則ではなくて、
すべての人に当(あ)てはまる法則です。

つまり、それは、
『自分自身の法則』です。

その、自分自身の生命の法則をバカにしていけば、
それは、結局、
自分自身に刃(やいば)を向けることになり、
結果として、自分の生命を、
傷(きず)つけることになってしまい、
自分の生命から、
希望と幸せを、奪(うば)っていってしまう。


残念ながら、
仏法の法則、生命の法則は、きびしいです!
本当に、明確に結果が、出ます。


だから、三流雑誌のデマ記事に、
だまされては、いけない!
また、そんなデマ記事を、
うのみに、してはいけない。

自分が、損(そん)をし、
自分が、不幸になるからです!

だから、
創価学会のデマ記事を、のせる、
三流雑誌や、マスコミの罪(つみ)と、罰(ばち)は、
あまりにも、大きく、
それは、日本や、その影響を受けた、
さまざまな人々に、
返(かえ)ってきてしまう。


気を、つけなくては、いけない!!
だから、三流雑誌や、悪書を、
読んではいけない・・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく128

2013-08-11 12:42:15 | 日常
先日、会社で、
すごく、いやなことがあって、
ムシャクシャして、いらいらして、
心が、すごく、すさんでいました。

たまたま、
どうしても行かなければいけない
創価学会(そうかがっかい)の会合があって、
参加したんだけれど、
創価学会の心の、あったかい人間に、
接(せっ)していたら、
だんだん、すさんだ心が、落ち着いてきて、
会合から帰る時には、
スッキリした、気分の良い、
前向きな心になって、
帰ってきました。

これって、スゴイことだと思う。
こういう時こそ、
創価学会員で、良かったと思い、
感謝を、おぼえます。
人は、接していく人間に、
影響(えいきょう)を受けやすいということだと思う。

日蓮大聖人も、
「人間は、良い仲間に接していると、
 その良い香(かお)りに、そまっていき、
 自分も、良い人間になっていく。
 逆に、悪い仲間に接していると、
 その悪い臭(にお)いが、しみついてしまい、
 自分も、悪い人間になっていく。」
というようなことを、
言っていた。

現実の戦場のような世界に
生きていると、人生、
いろいろなことが、ある!
ムシャクシャするようなことが、
無いほうが、おかしいし、
そういうことの連続だと思う。
その中で、自分を、立て直(なお)していくことは、
なかなか、大変だと思う。

自分は、創価学会の良き仲間がいるから、
その良い香(おか)りに、ふれて、
自分を、見失わずに、すむ。
けれど、これが、
もし、創価学会員でなかったら、
さまざまなプレッシャーの中、
どれだけ、心が、すさんでしまっていたことか!
その蓄積(ちくせき)が、どれだけ、
自分を傷(きず)つけ、
人生を、台無(だいな)しにしていたことか!
そう、思うと、ゾッとする。

創価学会のある婦人が、言っていた。

「創価学会員でなかったら、
 どれだけ、殺伐(さつばつ)とした、
 寂(さみ)しい人生になっていたことか・・!」


世間一般的に、
人は、
さまざまやプレッシャーや、イライラ、
痛手を、解消(かいしょう)しようと、
お酒を飲んだり、レジャーに
熱中したり、
エステ・リラクゼーション系の趣味に、
熱中したりして、
何とか、その痛手を、解消しようとしている。
それが、悪いとは、言わないけれど、
そこには、自分の痛手を、根本から
解消する、方途(ほうと)と、価値(かち)が、
ほんとうは、無いように思われる。
おそらく、生命に、きざまれた、
痛手や、イライラは、蓄積(ちくせき)されて、
残ったままだと思う。
その中で生きるのが、
どれだけ、大変か!と思うと、
創価学会に入った自分としては、
正直、かわいそうに、思えてくる。

すでに、創価学会を知り、
創価学会の素晴らしさを、
実感(じっかん)している自分としては、
もう、上にあげたような生き方は、
したくないし、もう、
できないだろうと思う。
それを思っただけで、
その殺伐(さつばつ)とした心が、浮かんできて、
ゾッとするからです!

逆に言えば、
創価学会員であることが、
どれだけ、幸せか!
ということだと思う。
創価学会員であるということが、
どれだけ、満(み)ち足りたことか!
創価学会員であることが、
どれだけ、人生を、
輝(かがや)かしく、魅力的なものに、
していてくれるか!

それだけで、
創価学会員であることの価値は、
ありすぎるくらい、あると思う。

・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

創価学会の人に、触(ふ)れていると、
すさんだ心が、だんだん、消えて、
あったかい、すがすがしい心に変わっていく。
(当然、真面目に、創価学会の信仰と活動を、
 やっている人のことを、さします)

それは、なぜ?だろうか?

それは、当然、
南無妙法蓮華経を、となえているからだと、
思う。
『妙(みょう)とは、蘇生(そせい)の義(ぎ)なり』
と言って、
南無妙法蓮華経を、となえていると、
自分の生命が、蘇生(そせい)していく。
心が、きれいになり、元気になり、
すがすがしく、さわやかになっていき、
生きるのが、気持ちよくなっていく。

また、南無妙法蓮華経とは、
宇宙の法則(ほうそく)でもあり、
生命の法則でもある。
南無妙法蓮華経を、日々となえているということは、
その宇宙の法則、生命の法則にのっとって、
生きていることになる。
だから、宇宙の法則、生命の法則にかなった、
生き方、生活を、していることになるので、
当然、サーフィンを楽しむように、
気持ちよく、スムーズに、
幸せを感じながら生きることになる。

創価学会は、その南無妙法蓮華経という、
宇宙の法則、生命の法則に
がっちりとギアが噛(か)み合い、
その宇宙の法則に最高にかなった活動と行動を
している団体であり、場所だということもできます。

だから、創価学会そのものが、
南無妙法蓮華経という宇宙の法則であり生命の法則であり、
また幸せの法則のなかに、
存在していると、いうこともできます。

だから、その創価学会の活動の中に、
身を置(お)くことによって、
自分の生命も浄化(じょうか)され、蘇生(そせい)して、
元気になってくる。
輝いてくる。
それは、宇宙と生命の法則にかなっているからです。

だから、それは、
日々の痛手やストレス、
傷ついた生命を、蘇生(そせい)させることになり、
その繰(く)り返しの中で、
悩みや問題を解決できたり、
自分の幸せに向かって、
夢や希望も、かなえていける方向に、
進んでいける。

それが、創価学会という場所であり、
創価学会が、やっていることだと思う。

そして、それは、
当然、日々の生活の中に、
現(あらわ)れてくる。
創価学会の中で、南無妙法蓮華経を、となえている、
その生命の香(かお)りは、
自分だけでなく、職場を、地域を、
世界を、良い香(かお)りに、変えていく!

単純に言うと、
世界を、幸せに変えている!ということです。
その力(ちから)は、スゴイ!

だから、創価学会の人たちは、
ほんとうは、職場の中でも、
地域の中でも、世界の中でも、
決して、欠(か)かせない、貴重(きちょう)な、
かけがえのない存在なんだと思う。

けれど、それを、世間の人たちは、
なかなか、気づかない。
それを、気づくのは、
創価学会員の、その人が、
いなくなった時だろう・・。

けれど、ほんとうは、
それでは、もう、
遅(おそ)すぎる・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく122

2013-04-30 08:35:54 | 日常
このまえ、
会社の年配(ねんぱい)の方が、
休日になると、
やることがなくて、
『何を、やろうか?』
迷(まよ)ってしまう!
と、言っていた。

人の生き方は、いろいろ、ある!
やることが、ありすぎて、
困(こま)ってしまう人も、いるかもしれない。
充実(じゅうじつ)している人も、いるかもしれない。
けれど、一般的に考えて、
『時間を、どう、使うか?』
というより、
『時間を、どう、つぶすか?』
という観点(かんてん)から、考え、
生きている人が、多いことも、
現実だと、思う。

『時間を、つぶす!』
ここには、価値(かち)はない!
「生きる価値」という概念(がいねん)すら、
ないかもしれない・・・。
ただ、単に、自分に何らかの快楽を、
味(あじ)あわせるために、
行動しているとも、言えます。

もちろん、
人間は、自分を楽しませ、遊ぶために、
生きているといっても、いいので、
それは、重要かもしれない。

けれど、どうしても!
『時間を、つぶす!』ために、
生きているという感じを、
ぬぐえないのは、どうしてだろうか?
一般的に考えて、
どんなに高尚(こうしょう)な趣味を持とうとも、
人々は、どうしても、
時間を、つぶすために、生きているという、
無価値の感覚を、ぬぐいさることが、
できない・・・。


それは、なぜなのだろう?


それは、『生きる本当の価値』を、
知らないからではないだろうか?
生きる価値!あるいは、価値のある生き方!
それが、わからないし、
わかろうとも、していない。

だから、一般的な人々の生き方には、
どうしても、空(むな)しさが、ある。
自分は、今まで、何のために、生きてきたのか?
その決定的な答えを、出せないまま、
ほとんどの人間が、生き、
そして、死んでいくのかもしれない・・。


それとは、正反対なのが、
創価学会員の生き方です!
創価学会員は、根源(こんげん)から、
『生きる価値』を、知ってる。
もっと、言うと、
『生きる価値』を、自分の生命すべてで、
感じ、味わい、表現している!
それが、創価学会員の生き方です。

なぜ、それが、できるかというと、
創価学会員が、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を、
知っているからです。
南無妙法蓮華経とは、
宇宙の価値そのものだからです。

すべてに価値を、生み出す法則(ほうそく)!
それが、南無妙法蓮華経です。
すなわち、生命に、根源的な価値を生み出し、
人間の生命すべてを、真実の価値に、
目覚(めざ)めさせ、自覚させ、
自分の生命と人生のすべてを、使って、
本当の価値を、味わい、楽しみ、
無限に開花させていく!

それが、できるのが、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です。

だから、創価学会の人たちは、
日々、南無妙法蓮華経を、となえることによって、
自分自身の本当の価値に、目覚(めざ)めていく。
そして、自分の中の価値が目覚めたならば、
自然に、自分の生命すべてで、
最高の価値を、表現できるようになってくる!

さらに、自分の生命は、
世界と、直結(ちょっけつ)し、
自分の生命そのものが、
自分の生きること、そのものが、
人々のために、世界のために、人類のために、
本当に、役に立つ最高の存在に、変わっていく!

不思議(ふしぎ)だけれど、
実際、南無妙法蓮華経を、となえていくと、
本当に、そうなっていく!!
すごいとしか、言えませんが、
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
あらゆる人が、価値を自覚し、
満喫(まんきつ)しながら、
最高に価値のある、素晴らしい人生を、
生きることが、できるようになっていく!!

時間を、つぶすのではなく、
価値を、つくれるようになっていく!
もっと言うと、生きること、そのものが、
価値創造(かちそうぞう)となって、
開花していく!

こんなに、楽しいことはない!!
だから、南無妙法蓮華経を、となえていくと、
自分の生命が、歓喜(かんき)してきて、
高揚(こうよう)してくる!!

この喜びは、はかりしれない。

だから、創価学会の人たちは、
根本から、考え方が違(ちが)うと言える。
創価学会の人は、
日々、南無妙法蓮華経を、となえることによって、
自分の中に、最高の価値を、自覚し、
価値を、自分で、感じているので、
「時間を、いかに、つぶすか?」ではなく、
考えることは、
『もともと価値ある時間を、
どうしたら、もっと価値を高めて、
効果的(こうかてき)に、使っていけるか?』
と、これ以上ない、前向きな、
楽観的(らっかんてき)な姿勢で、とらえ、
考えていく!

この姿勢(しせい)は、スゴイと思う!
しかも、その素晴らしく楽観的な前向きな考え方を、
特別な教養もないような婦人や、おばあちゃん、
あるいは、学歴も、なにもないような、
名も無い庶民たちが、
みんな、当然のように、実践(じっせん)している!

こんなに、すごくて、偉大(いだい)で、
素晴らしいところは、
ほかでは、絶対にないと思う!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

創価学会の人は、
もう、すでに、自分の人生に、
最高の価値が、あることを、知っている。
また、価値を、生み出す方法も、知っている!
だから、かぎられた時間を、
さらに、もっと価値ある時間にしようとして、
全力を出して、生きている!

その充実感と、喜びと歓喜と幸せは、
計(はか)り知れず、はっきり言えば、
創価学会の人の生き方を、知らない人に比(くら)べると、
失礼ですが、
数十倍、数百倍、レベルが、上だと思う。
すなわち、それだけ、
充実感も、歓喜も、幸せも、大きい!!

それが、価値と共に、
生きる、生き方だと思う。

そして、それが、できるのが、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)であり、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』
と、いうことだと思う。

わかりやすく例(たと)えて言うと、
時間を、つぶす生き方が
南無妙法蓮華経を、
となえないで生きる生き方だとすれば、
価値を、最高最大に作り、
価値を無限に開花させていく生き方が、
南無妙法蓮華経を、となえる、
生き方だと、言える!!

南無妙法蓮華経を、となえると、となえないでは、
生命の充実感と、自分の人生に、
それだけ、大きな、
決定的な差(さ)が、出てきてしまう。

それが、生命の法則である、
『南無妙法蓮華経』であり、
それを、実践しているのが、
創価学会です・・・・・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく117

2013-03-28 07:57:11 | 日常
●テーマ●
『ご本尊(ほんぞん)の魅力について』

ご本尊(ほんぞん)とは、
創価学会が、
南無妙法蓮華経を、となえる対象として、
祈り、信じている、
文字で、描かれた曼荼羅(まんだら)の
本尊(ほんぞん)です。

具体的に、ご本尊が、
何を、あらわしているかというと、
ご本尊は、仏(ほとけ)の生命そのものを、
あらわしたものであり、
また、自分の生命そのものを、
あらわしたものでもあります。

また、ご本尊は、全宇宙の生命を、
あらわしたものでもあり、
宇宙を変革しゆく
生命の力(ちから)、
宇宙の力(ちから)そのものを、
あらわしたものでもあります。


ともかく、
創価学会に入会している人は、
基本的に、
自分の家(部屋)に、
仏壇(ぶつだん)を置いて、その仏壇の中に、
『ご本尊』を、ご安置(あんち)してあります。

知らない人は、
仏壇が、ご本尊だと思っている人もいるみたいですが、
仏壇は、関係ありません。
仏壇が、大きかろうが、小さかろうが、
関係なくて、
大切なのは、その中に、納(おさ)められている、
紙に描かれている、『ご本尊』です。

また、若い人などで、
部屋に仏壇を、置くのは、ちょっと・・・と、
抵抗(ていこう)がある人のためには、
手の中に入っちゃうような、小さな、
『お守りご本尊』というのもあります。
これだと、ご本尊に、祈るときだけ、
ご本尊を、とりだして、
南無妙法蓮華経を、となえることが、
できるからです。

どちらにしろ、大切なのは、
祈る姿勢(しせい)であり、
自分が、ご本尊に、
南無妙法蓮華経を、となえようという、
気持ちです。


ご本尊が、あって、良いことは、
いつでも、ご本尊という話し相手が、
いるということかも、しれない・・・。
たとえ、一人で住んでいたとしても、
家に帰ると、
ご本尊を、擬人化(ぎじんか)して、
「ご本尊様、ただいま、帰りました!」 
とか、
家を出るときは、
「ご本尊様、行ってまいります!」
とか、
「ご本尊様、戦ってきます!」とか、
「ご本尊様、必ず、勝ってきます!」とか、
いつも、いつでも、
ご本尊と、対話が、できます!

くだらないことのようですが、
これは、本当は、素晴らしいことです。

まえに聞いた話しで、
社長の秘書(ひしょ)を、やっている女性がいた。
けれど、社長は、ほとんど、
出かけてしまって、
会社にいることは、あまりなかった。

そうすると、秘書の女性は、
いろいろな面で、大変、困(こま)ったりした。
社長に、いろいろ、聞きたいけれど、
社長が、いない!
そこで、その秘書の女性は、
良いアイデアを、考えた。

なんと彼女は、秘書室に、
社長の等身大の写真を、貼(は)り付けた。
そして、なにか困ったことや、
問題ごとがあると、
いつも、その社長の写真に、
「社長、どうしたら、いいですか?」
と、質問し、
あたかも、社長がいるように、思考して、
対策(たいさく)を考え、自分にできる手を、
打っていくようにした!

社長が、その等身大の写真を見たとき、
秘書に、聞いた。
「この私の写真は、大きすぎると思うんだが、
 どうだい?」
すると、秘書は、答えた。
「私には、いつも、問いかけに答えるくれる、
 等身大の社長が、必要なんです!」
と。

実際には、社長は、いないのに、
等身大の社長の写真が、貼(は)ってあるおかげて、
いつでも、社長がいるように、
秘書の女性は、振舞(ふるま)うことが、できた!

自分の行動を、吟味(ぎんみ)し、
選択し、最善の行動、最善の策(さく)を、
行うためには、
最高の対策を、うながしてくれる、
ナビゲーター的な存在が、必要となる!

それを、社長の等身大の写真が、
果(は)たしてくれたと、いうことです。

これは、すべての人に言えることです。
人生、悩みは、尽(つ)きない。
問題も、尽きない。
悲しい時も、苦しい時もある。
さまざまな困難が、降(ふ)りかかってきた時、
自分で、判断し、
自分で、対処(たいしょ)していかなくては、
ならない場合が多い。

この対応(たいおう)を、間違うと、
人生は、失敗してしまう。
しかも、あまりにも、悲しい時は、
あるいは、とてつもない困難(こんなん)が、
降りかかってきてしまうと、
自分を、支(ささ)えきれなくなって、
最善の対策、最善の行動が、できず、
最善の心構(こころがま)えで、いることが
困難なことは、多々ある!
また、それが、
人間なのかも、しれない。

そんな時・・・、
決して、間違(まちが)わない、
最善の対策と、最善の心構(こころがま)えと、
最高のアドバイスを、してくれる人が、
いつも、自分のそばに、いてくれたら、
どんなに、いいだろう!!
そんな素晴らしい人が、いつも、
自分のそばに、ついていてくれたら、
その人は、
決して、間違わないし、
勝利者になるだろう!

その、決して、間違わない、
最善の対策と、最善の心構えと、
最高のアドバイスを、
どんな時でも、与(あた)えてくれる、
自分自身の最高最大のパートナーが、
実は、『ご本尊(ほんぞん)』なんです!

『ご本尊』は、自分自身の鏡(かがみ)だと、いう。
しかも、ただの鏡では、なく、
最高の自分、最高に魅力(みりょく)のある自分、
最高の知恵と、最高の勇気と、
最高の愛情と、最高のやさしさと、
最大の強さを、有(ゆう)した、
最高最大の自分、
その分身(ぶんしん)が、実は、『ご本尊』です!

だから、『ご本尊』が、あると、
どんな時でも、
最高の知恵と勇気と愛情と強さをもった、
絶対に間違わない、
最強のパートナーを、
持ったことに、等(ひと)しくなる!

しかも、どんな時でも、
どんな状況(じょうきょう)でも、
その最強のパートナーと、
いつでも、心の中で、
対話できる!
だから、決して、間違わないし、
自暴自棄(じぼうじき)になったり、
我(われ)を忘れて、気持ちが動転(どうてん)してしまって、
とんでもない行動をしたり、
目の前が、真っ暗になり、
意気消沈(いきしょうちん)するようなことも、
なくなってくる。

だから、それだけでも、
『ご本尊』の価値(かち)は、
あまりにも、大きい!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

『ご本尊』があると、
いつでも、
最高に素晴らしい自分の分身(ぶんしん)である、
『ご本尊』に、問いかけることによって、
本来の自分を、思い出し、
本当の自分だったら、どうするか?、
今、何をやったらいいのか?
冷静に見極(みきわ)め、
最善の行動、最善の対策を、
打っていくことが、できるようになっていく!

これは、スゴイと思う!!

それは、なぜか?

最高の自分、最高に魅力のある自分、
最高の知恵と、最高の勇気と、
最高の愛情と、最高のやさしさと、
最大の強さを、有(ゆう)した、
最高に素晴らしい自分を、
『ご本尊』という自分の分身の鏡を、通して、
いつでも、見ることができ、
最高に素晴らしい本当の自分を、
『ご本尊』を通して、たえず確認し、
自覚(じかく)し、絶えず、引き出し、
奮(ふる)い立たせることが、できるからです!

だから、間違わない!
だから、必ず、勝利できる!
だから、たとえ、
どんな悲しみ、どんな困難が、
降(ふ)りかかってきたとしても、
乗り越え、幸せになっていける!


一般的な現実の生活の中では、
この最高に素晴らしい自分と、
対話することは、不可能です。
それが、現実の生活のなかでは、
存在(そんざい)しないからです!

けれど、『ご本尊』があると、
自分自身の分身として、
最高に素晴らしい自分は、いつも、
存在している!

だから、いつでも、対話できる!
いつでも、相談できる!
いつでも、最高の自分から、
励(はげ)ましを、受けることが、できる!!

これは、確かに、スゴイことです!!
この人は、必ず、勝利できる!!
さきほどの、等身大の社長の写真を貼った、
秘書の話しからしても、
それは、うなずける!!

だから、『ご本尊が、ある!』ということは、
人生において、
最高最大の武器(ぶき)と、なりうる!!



ご本尊は、『幸せ製造器(せいぞうき)』とも、
『祈りとして叶(かな)わざるなし』
とも言う。

その、ご本尊の力(ちから)と可能性は、
あまりにも大きく、無限だから、
とても、計(はか)りしれたものでは、ありません。

だから、ご本尊の魅力を語りつくすことは、
不可能だけれど、
この、いつでも、最高の自分である、
『ご本尊』と対話できるということは、
人生に上で、
また、人間としても、
強力な支(ささ)えであり、
強力な武器であり、
幸せを、つかむ、
最高最大のパートナーを、得(え)たことになり、
こんなに、心強いことは、ない。

だから、
どんな時でも、
どんな状況でも、
『ご本尊』と、対話できる!!ということは、
『ご本尊』の素晴らしい魅力の一つであると、
言うことができる。

また、それが、
創価学会の人が、幸せになり、
勝利していける要因(よういん)の一つであることは、
間違いない・・・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・