このまえ、
「がんばって、いきまっしょい!」という、
ドラマを見ました。
岩井俊二監督の『花とアリス』という映画を見て、
その映画で主演(しゅえん)していた鈴木杏が、
ドラマ「がんばって、いきまっしょい!」
にも、でていたので見たくなったのですが、
その「がんばって、いきまっしょい!」の、
ドラマの登場人物が、
「自分にウソついたら、負(ま)ける!」
って、言っていた。
自分にウソついたら、負ける!
この負けは、確(たし)かに、
表面上(ひょうめんじょう)は、
人に、どう見えようと、
自分の心の中では、
絶対に、消(け)すことが、できない、
『負け』かもしれない。
昨今(さっこん)は、
「勝ち組」とか「負け組」とか、
言うけれど、
それは、一般的(いっぱんてき)に、
表面的な部分で、
判断(はんだん)されている。
それは、だれでも望(のぞ)むものであり、
だいたい、親(おや)にしても、
子供には、
社会的にも、経済的にも、
恵(めぐ)まれた人生であってほしいと、
願う。
それにプラスして、
自分のやりたいこと、
自分の好き嫌い、
人のためになることをしたいとか、
世界の平和に貢献(こうけん)したいとか、
世界と人々の幸せになることをしたいとか、
さまざま要素(ようそ)が相(あい)まって、
自分の人生が、
形成(けいせい)されていく。
サステナブルな社会(持続可能な社会)とか、
SDGsなど、
環境(かんきょう)や人道(じんどう)に
基(もと)づいているかも、
重要になってくる。
けれで、やはり、
表面的な勝ち負けは、
避(さ)けることは、できない。
生きなければならないからだ。
そして、
表面的な勝利だけを、
求(もと)めてしまう場合も、
あるかもしれない。
確かに、表面的な部分も、大切(たいせつ)だ!
けれど、表面的には、
人に、うらやましく思われている、
勝ち組の人でも、
ほんとうに、心の中で、
「自分は、勝ったと思っているか?」
は、疑問(ぎもん)だと思う・・。
ただ、単(たん)に、
表面的な、
「勝ち組」というブランドを、
追(お)い求めていただけかも、
しれない・・。
そして、
「自分は、自分にウソを、ついていないのか?」
と、自分の心に聞いたとき、
心の中には、
荒廃(こうはい)たる荒野(こうや)しか、
残(のこ)っていない場合も、
あるかもしれない・・。
本当の勝利、
それは、
死(し)ぬ時に、
『自分は勝った!!』
と、こころから言って、
ニッコリと微笑(ほほえ)んで
死んでいけるような、
生きざまかもしれない。
そこには、
自分に対して、
ウソを、つくような生き方は、
決(けっ)して、無(な)いからだ。
自分にウソを、つかない生き方、
それは、心からの勝利を、生む。
けれど、
自分にウソを、つかない生き方って、
いったい、どうしたら、できるんだろうか?
創価学会二代会長の、
戸田城聖(とだじょうせい)先生が、
仏法(ぶっぽう)の真髄(しんずい)は、
「自分自身に、生ききることだ!」
と、言っている。
これは、単に、
自分本位(ほんい)に、
わがまま放題(ほうだい)、生きるということでは、
けっして、ないと思う。
自分自身、
それは、どんなに、もがいたって、
他(ほか)の人とは、違(ちが)う。
自分という存在(さんざい)は、
他には、
絶対に、ありえない!
だから、人と比(くら)べても、
どうしようもない。
ありのままの自分を、
ありのままの一つしかない個性(こせい)を、
人のためにも、自分のためにも、
全力で、開花(かいか)させていく生き方!
それが、
「自分自身(じぶんじしん)に生ききる!」
という、
生き方かも、しれない。
では、そういう生きかたを、
実際(じっさい)に、やるには、
どうしたらいいのか?
それには、はっきり言って、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえるしかない!』
ご本尊(ほんぞん)に、日々、
南無妙法蓮華経を、となえて、となえて、
となえぬいて、生きるしかない!
ご本尊(ほんぞん)とは、
創価学会(そうかがっかい)の人たちが、
信じ、祈っている対象の本尊で、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が、
未来のすべての民衆のために書き表した、
紙などに描かれた曼荼羅(まんだら)で、
仏(ほとけ)の生命(せいめい)そのものを、あらわしたものであり、
自分の生命そのものを表現(ひょうげん)したものでもあり、
その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、
自分自身の中にあることを、
あらわしたものが、
ご本尊(ほんぞん)です。
その、ご本尊に向(む)かい、
南無妙法蓮華経を、となえる時、
不思議(ふしぎ)と自分の中の
悪しき惰性(だせい)や怠惰(たいだ)が消え去(さ)り、
真実の自分、
ウソのない自分と立ち向かわないわけには、
いかなくなってくる!
そして、
自分自身に挑戦しようとする、
勇気が、
湧(わ)き上がってくる!
そして、
自分にウソをつかない生き方へと、
立ち戻(もど)ることが、
できるようになっていく。
それは確かに、
勇気(ゆうき)のいることかもしれない!
けれど、そうであるからこそ、
最高に素晴らしく、尊(とうと)く、
魅力的(みりょくてき)な行為(こうい)であることは、
間違いない!!
なぜなら、それは、
「自分にウソをついたら負ける」
とは、正反対の結果(けっか)、
すなわち『勝利』を、
必ず、生(う)むからです!!
だから、
「自分にウソをつかない生き方」をしたいなら、
『南無妙法蓮華経を、となえぬくしかない!』と
言い切(き)ることが、
可能(かのう)となる!!
なぜならば、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、
世界に、
たった一つしかない自分の中から、
真実の自分を、
本当の自分を、
無限(むげん)に開花させゆく、
唯一(ゆいいつ)の法則だからです!
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・
この生命の法則(ほうそく)に、ウソはない!
だから、創価学会員は、
南無妙法蓮華経の信仰(しんこう)を、
最後まで、貫(つらぬ)いていったときに、
『自分は、本当に勝った!!!』
という、
心の底(そこ)からの、
一点のウソもない、
喜びと歓喜(かんき)と、幸せと満足(まんぞく)を、
世界中のどんなセレブよりも、
深く!強く!
感じ、味(あじ)わうことが、できる!
本当の勝利者とは、
そういう人を、言うのではないのだろうか。
逆(ぎゃく)に、
どんなセレブであろうと、
どんな成功者であろうと、
この南無妙法蓮華経の生命の法則に背(そむ)くかぎり、
本当の幸せ、
本当の勝利感、
本当の歓喜と満足は、
けっして、感(かん)じ、
味わうことは、できない!
なぜなら、
南無妙法蓮華経は、
生命の法則であると共(とも)に、
「究極(きゅうきょく)の自分」の法則であるがゆえに、
南無妙法蓮華経の法則に背(そむ)くことは、
『自分の法則』に背くことになり、
自分自身にウソを、つき、
自分自身に背くことに、なってしまう。
それは、まさしく、
「自分にウソを、ついたら負ける!」
という現象(げんしょう)を起こし、
生命の上では、
その人は、
「負け組」になってしまうからです・・・・!
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・