タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく143

2013-12-28 09:20:19 | 希望
統計(とうけい)によると、
人は、新しい場所、
知らない新しい天地に引っ越(こ)して、
成功する場合が、多いようです。

それは、なぜなのだろう・・・?

それは、その土地の、
どうにもならない風習や軋轢(あつれき)
その土地特有の、
にっちもさっちも、いかないような、
さまざまな困難(こんなん)な問題を、
まったく、知らない!!からです。

人々の成長を、はばむ、
「この地域は、こうだから、
 どうしようもないんだ・・・!」
というような、
固定観念(こていかんねん)が、まったく、ない!!からです。

そして、ただ、ひたすら、
希望と夢だけを、
大きく大きく、いだいて、
引っ越してくるからです。

だから、成功するんです!


仏法(ぶっぽう)では(創価学会では)
一念三千(いちねんさんぜん)という法則を、
説きます。
一念(いちねん/こころ)の違いによって、
三千の違う世界が、できあがるという、
法則(ほうそく)です。

こころが違(ちが)えば、
環境(かんきょう)も変わる。

その土地、その場所、その地域に、
さまざまな環境や状況(じょうきょう)があると思いますが、
元(もと)を正せば、すべては、
「こころ」から起こってくる・・!
ということです。

だから、人間の心によって、
その地域独特(ちいきとぐとく)の世界が、
できあがっていく!
と言えるかもしれません。

だから、
その地域独特の、
にっちもさっちも、いかない、
困難や問題は、
その地域に住む一人一人の心から、
発生(はっせい)していると、
考えることが、できます。

ところが、
新しく引っ越してきた人は、
そんなことは、まったく知らない。
希望と夢だけを、持って、
引っ越してくるわけです。

さきほどの一念三千の法則によれば、
その時点で、
その新しく引っ越してきた人にとっては、
その人の希望と夢の心によって、
その土地が、まさしく、
希望と夢の天地に、変わっていくのです!

その希望の心は、
やがて、まわりの人々にも、
伝(つた)わり、その地域、社会まで、
変えていくことに、つながっていきます。

これが、人が、新しい場所、
知らない新しい天地に引っ越して、
成功できる理由だと、思います。


けれど、
これは、引越しという手段(しゅだん)によって、
人間の中から、
希望と夢の力(ちから)を、引き出した、
ひとつの例でしか、ありません。

見落としてはいけないのは、
『希望と夢の力』が、
どれだけ!大きく、
人生と世界を、変えていけるか!!
と、いうことです。

そう考えると、
要(よう)は、
自分の心の中から、
希望と夢の力(ちから)を、
引き出せばいいわけです。

けれど、人は、
新しい場所で、成功する人が、
多いからといって、
そう何度も何度も、
引っ越すことは、できません!

ところが、
引っ越さなくても、
無限の希望、無限の夢を、
自分の中から、引き出すことのできる、
方法が、あります!

それが、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』
ということです。

南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、
未来を開く法則です。
なんのために、
南無妙法蓮華経を、となえるかというと、
未来を開くためです。
もっと言えば、
未来に、勝利と幸せを、つかむためです。

ご本尊(ほんぞん)に、南無妙法蓮華経を、
となえていると、
生命力が、強くわきあがってきて、
元気が出てきて、
未来に挑戦できる自分に、
変わっていきます。

生命力が出てくるので、
自分を、しっかりと、見つめることが、
できるようになっていきます。

自分は、これから、どうしたらいいのか?
何を、やったらいいのかが、見えてきて、
その、強い強い生命力は、
「なんとしても、希望を、かなえたい!」
「絶対に、夢を、かなえてみせる!」
という情熱と勇気に変わっていきます。

そして、夢や希望の実現に向かって、
しっかりと、挑戦できるようになっていくんです。


南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、
そのような、未来を、しっかりと見つめた、
希望と夢のエネルギーが、
湧(わ)き上がってくる・・!!

だから、
南無妙法蓮華経を、となえるんです。


一念三千(いちねんさんぜん)の法則から言うと、
こころ・一念の違いによって、
違う三千の世界ができあがっていく。
すなわち、人間の、自分のこころを変えていくことによって、
違う世界、違う環境が生まれていくと、
いうことです。

心を変化させていくことができれば、
環境や状況は、変わっていく!

その、心を、
大きく、急激(きゅうげき)に変えていく力が、
南無妙法蓮華経だということです。

だから、
南無妙法蓮華経を、となえると、
いままで、住んでいた、その土地が、
自分の希望と夢の力(ちから)によって、
いままで住んでいた土地とは、
『違(ちが)う土地』に、
生命の上では、
瞬間(しゅんかん)、瞬間、少しづく、
変わっていくんです!!


ここに、南無妙法蓮華経を、
となえることのスゴサがあります!!

また、それが、一念三千の法則(ほうそく)です。

そして、その一念三千の法則を、
現実の人間に、だれでも、
活用できるようにしたのが、
『創価学会(そうかがっかい)』であり、
それが、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』という、
仏法(ぶっぽう)の信仰の実践(じっせん)です。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

南無妙法蓮華経は、
現実の人間と、世界を、変えていくんです!
ここに、創価学会が、
着実に、世界の平和と、一人一人の幸せを、
どちらも、実現できる、
理由が、あります!!!

また、現実に、創価学会の人は、
世界を、希望や平和、幸せの世界に、
変えている!!と言い切って、
間違(まちが)えは、ありません。

それほど、
『南無妙法蓮華経』は、
スゴイということです。

また、そのスゴイ南無妙法蓮華経をとなえて、
仏法の実践活動である、
創価学会の活動をやっていくことによって、
その人は、現実に宿命(しゅくめい)を幸せに変え、
悩みを解決して、
夢や希望をかなえていけます。

そのことによって、
自身が変わり、
自身が変わることによって、
家族や職場、地域も変わり、
やがて、世界も、
幸福に変えていくことになります。

その根本(こんぽん)が、
『南無妙法蓮華経を、となえる』
ということなんです。


だから、
自分のためにも、人のためにも、
創価学会で、まじめに、
南無妙法蓮華経を、となえている人ほど、
偉大(いだい)で、
大切な人は、いないと言うことができます!

なぜなら、世界を、
現実に幸せに変えているのだから・・・。



今日も、
世界中の創価学会の人たちが、
その場所、その地域で、
南無妙法蓮華経を、となえている!

それは、その場所の、その地域にいる、
その人の心に、
希望と夢と、幸せを、湧(わ)き上がらせ、
瞬間、瞬間、
その場所、その地域、その世界を、
希望と幸せの天地に、
変革(へんかく)している・・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく142

2013-12-21 12:29:11 | エッセイ
醜い(みにくい)人間は、
醜いことしか、考えられない。
あさましい人間は、
あさましいことしか、考えられない。

創価学会二代会長の、
戸田城聖先生は、
「男の嫉妬(しっと)は、真っ黒け!」
と、言った。

創価学会を、
非難(ひなん)・中傷(ちゅうしょう)している人間の本質は、
この『嫉妬(しっと)』である。

創価学会が、邪魔(じゃま)で、
創価学会が、あまりにも素晴らしく、
偉大(いだい)であるから、
「そんなはずは、ない!」と、
自分の、あさましい心を、
なんとか、肯定(こうてい)しようと、
あがいている。

けれど、
私利私欲(しりしよく)に、かられ、
嫉妬(しっと)に狂った生命に、
安らぎは、ない!
焦燥(しょうそう)と焦り(あせり)に、かられ、
焼け付くような嫉妬にかられた生命は、
もはや、幸せや希望を、抱(いだ)くこともなく、
ひたすら、狂(くる)ったように、
創価学会を、非難・中傷(ちゅうしょう)しつづける。


ぼくの地域に、
創価学会を、脱会し、
ひたすら、ヒドイ創価学会批判と、中傷、
池田先生(創価学会インターナショナル会長)の、
批判(ひはん)・中傷を、しつづけた人がいた。

ある時、その人の家が、
火事になった。
なぜだか、まるまる、
その人の家だけが、
真っ黒こげに、全焼(ぜんしょう)した。

こういうことを、言うと、
創価学会を、非難・中傷している連中は、
創価学会が、放火(ほうか)した!と言う。
創価学会は、犯罪集団だと、言う。
自分が、あさましいから、
あさましい考えしか、出てこない!

そうではなくて、
仏法の因果(いんが)の法則(ほうそく)は、
それほど、きびしいということです。
お気の毒で、かわいそうだけれども、
この『仏法(ぶっぽう)の法則』から、
逃(のが)れられる人は、
世界中に、一人もいない!

創価学会が、実践している、
「仏法(ぶっぽう)の法則」は、
大宇宙の法則そのものだから、
その大宇宙の法則のままに、
行動している創価学会を、
非難・中傷すれば、
大宇宙の法則そのものに、
そむくことになり、
大きな罰(ばち)を、こうむり、
必ず、不幸に落ちていく!


ある衆議院議員が、いた。
その議員は、あろうことか、
国会の中で、
デマばかり言っている三流雑誌の、
なんの証拠(しょうこ)もない、
創価学会のデマ記事を、とりあげて、
創価学会批判を、繰(く)り広げた!

とうぜん、それは、
なんの根拠(こんきょ)もないデマ記事です。
創価学会は、それらのデマ記事には、
かならず、裁判に訴(うった)え、
すべて、創価学会が、勝訴(しょうそ)!
雑誌社側は、100%、敗訴している。

この衆議院議員は、
デマ記事を、私利私欲と、
票、ほしさに、
国会の場で、とりあげ、
創価学会を、落とし入れようとした。

その後、この議員は、
衆議院選挙に、落選!
なんども、挑戦したが、すべて、落選し、
よく、知らないが、
選挙に立候補する場合、
最低限の票が、とれないと、
そうとうの金額のお金を、
自分で、すべて、
出さなくては、ならなくなるそうです。

それで、この男は、
その最低限の票も取れず、
選挙に出馬するためのお金を、
すべて、自分で出さなくてはならなくなり、
大変な、窮乏(きゅうぼう)に、
陥(おちい)ったそうです。

その後、この元衆議院議員は、
市長選に、立候補するも、
みごとに、落選!
没落(ぼつらく)の一途(いっと)を、
たどっている。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

創価学会を、非難・中傷する人は、
しっかりと、腹(はら)を、すえて、
考えなければならない・・!!

その人は、創価学会(そうかがっかい)を、
非難・中傷しているつもりでいるが、
創価学会が、実践(じっせん)している仏法は、
宇宙の法則であると共に、
生命の法則であるが、ゆえに、
その確固(かっこ)たる幸せを、つかむための、
生命の法則を実践している、
創価学会を、非難・中傷するということは、
自分の法則でもある『生命の法則』を
非難・中傷することになり、
その矛先(ほこさき)は、
自分自身に向けられることになる。

すなわち・・、
自分の生命の、自分の中にある、
ありとあらゆる、すべての幸せと希望に、
刃(やいば)を、向けていることに、
なるからです!!!

だから、
創価学会を、非難・中傷することは、
自分の中にある幸せと希望を、
すべて!捨て去り、
暗黒の地獄(じごく)の底(そこ)に、
まっさかさまに、落ちていくことに等しい!


これが、仏法(ぶっぽう)の法則です。
この仏法の法則に、そむくことにできる人は、
世界中に、一人もいない!

だから、
創価学会を、非難・中傷する人は、
たとえ、どんな人であっても、
不幸のどん底に、
必ず!100%、落ちていく!!



創価学会を、非難・中傷する人は、
そのことを、よーく、考えなければならない!


もし、それだけの人間性が、
まだ、その人に、残っているのならば・・・・。



・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく141

2013-12-13 09:06:22 | 希望
だいぶ前だけれど、インターネットを見ていて、
年収300万くらいの、
「下流化(かりゅうか)」が、進んでいるという記事を、
読んだことがありました。

その当時のことなので、
今は何というのか、わかりませんが、
インターネットに、のっていたので、
参考(さんこう)までに、この質問を、読んで、
あてはまる項目(こうもく)に、チェックを
入れてみるのも、いいかもしれない・・。

□年収が年齢の10倍未満だ
□その日その日を気楽に生きたいと思う
□自分らしく生きるのがよいと思う
□好きなことだけして生きたい
□面倒(めんど)くさがり、だらしない、出不精(でぶしょう)
□一人でいるのが好きだ
□地味(じみ)で目立たない性格だ
□ファッションは自分流である
□食べることが面倒くさいと思うことがある
□お菓子やファーストフードをよく食べる
□一日中家でテレビゲームやインターネットをして過ごすことがよくある
□未婚である(男性で33歳以上、女性で30歳以上の方)
(『下流社会』(三浦展/光文社新書)より抜粋)

上記のリスト内で
半分以上当てはまる項目があった人は、
かなりの「下流社会」にいる、
人間なんだそうです・・・。

下流社会とはマーケティング・アナリストである、
三浦展氏の造語(ぞうご)だそうです。

『下流社会』という本によれば、
下流とは、単に所得(しょとく)が低いということではなく、
コミュニケーション能力、生活能力、
働く意欲(いよく)、学ぶ意欲、消費意欲、
つまり総じて人生への意欲が低い人々のことを指(さ)し、
現在の30代前半を中心とする若い世代に、
多く見られる傾向なんだそうです。

『下流社会』という本によれば、
若者のニート化やフリーター化が進み、
今後は、中流が、上流と下流に分かれ、
さらなる社会的格差(かくさ)が、生まれてくるだろうと、
予想されているそうです。


ぼくが、思うに、
「下流社会」というのは、
今に始まったことではなく、
昔から、ある大きな問題であると思う。
けれど、コミュニケーション能力、
生活能力、働く意欲、
学ぶ意欲、消費意欲、
総(そう)じて人生への意欲が低くなっている!
というのは、
確かに、現代的な問題だと思う。

もっとも、創価学会は、
昔は下流社会という言葉は、なかったけれど、
最も、底辺(ていへん)にいるような、
人々に見捨てられたような人々を、
ことごとく、蘇生(そせい)させてきた。

創価学会は、昔は、
貧乏人(びんぼうにん)と病人の集まりだ!と、
言われていたわけだし、
その貧乏人と病人と言われた
どん底のような境遇(きょうぐう)の人たちが、
どうなったか?といえば、
裕福(ゆうふく)になり、健康になり、
イキイキと、希望を持って、
幸せに生きている。


これが、創価学会の、やってきたことです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

下流社会とは関係ないけれど、
創価学会の中では、
さまざまな人々の蘇生(そせい)のドラマ、
体験の話しを聞く。

まえに、創価学会の会合で、
聞いたんですが、
ある若い女性が、自分の体験を、
話してくれて、
その女性は、中学1年のときに、
「はしか」に、かかり、
その影響で、大変な難病(なんびょう)にかかり、
まっすく、歩くこともできず、
目も、よく見えなくなってしまったそうです。

病院でも、治療(ちりょう)しようがなく、見放(みはな)され、
創価学会員である母に、
「もう、あなたには、
 創価学会の信心しか、ないのよ!」
と、言われたそうです。

それ以来、つらかったけれど、
母と一緒に、ご本尊(ほんぞん)に、
必死で、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえつづけたそうです。

※ちなみに、ご本尊(ほんぞん)とは、
創価学会が信じ祈っている、
祈る対象(たいしょう)の本尊で
仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、
自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、
その自分自身の生命に、
必ず、幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、
そなわっていることを、あらわしたものが、
ご本尊(ほんぞん)です。


その、ご本尊(ほんぞん)に、
必死で、南無妙法蓮華経を、
となえつづけた結果、
彼女は、
医者も見放した病気を、みごとに克服(こくふく)し、
創価大学を、卒業し、
創価学会の本部で、働いているとのことでした。

その会合では、もう一人、
男性の方が、自分の体験を、
話してくれたんですが、
彼の子供が、小さいころから、
自閉症(じへいしょう)で、医者からも、
一生、治(なお)らないと言われたそうです。

もう、そのショックと絶望(ぜつぼう)は、
はかりしれなかったそうですが、
夫婦で、真剣に、
創価学会の信仰と活動に、はげみ、
東京大学に、
自閉症などの病気の権威(けんい)の人がいて、
その先生に診(み)てもらうのに、
1年、かかったそうですが、
とうとう、その自閉症の子供を、
見てもらうことが、できたそうです。

その東京大学の自閉症の権威の先生に
みてもらった結果・・・、
その自閉症だった子供は、
もう、自閉症は、完全に治(なお)っている!
と、診断されたそうです。
親であるその男性は、大喜びし、
「創価学会の信仰は、最高だ!!!」
と、話していました。


創価学会の人たちの体験は、
その人の数だけあり、
上に、あげたのは、
わずかな例(れい)かもしれません。

けれど・・、
『これが、創価学会の信仰です。』
これが、ご本尊に、
『南無妙法蓮華経を、となえつづけた』結果です。

そして、このようなことが、
どんな人間にも起こるのが、
南無妙法蓮華経を、となえる、
創価学会(そうかがっかい)の信仰なんです。

だから、貧乏人と病人の集まりだと、
いわれた創価学会は、
現在では、192ヶ国にひろがり、
世界中の人たちに、幸せと希望を、
もたらしている。


これは、過去においても、現代においても、
そうです・・・!

どういうことかというと、
下流社会に、なぞらえて、
当(あ)てはめて、話すならば、
たとえば、
コミュニケーション能力、
生活能力、働く意欲、
学ぶ意欲、消費意欲など、
さまざまな人生への意欲が、
なくなってしまったような人たちを、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰によって、
ことごとく、みごとに、
蘇生(そせい)させ、
元気で、希望あふれる、
幸せに満(み)ちた人間に、変えてきた!!
と、いうことです。

そして、ひとりひとり違(ちが)う、
さまざまな悩みを解決し、
夢や希望をかなえさせ、
人生を勝利させてきた!
ということてす。


こんなスゴイことができるのは、
創価学会だけです。
また、これからも、そうでしょう。


だから、社会的問題や、政治的問題は、
いろいろ、あると思いますが、
『下流社会』のように、
かりに、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、
総じて人生への意欲が
低くなってしまった人々であったとしても、
本当に、確実に、蘇生(そせい)させ、
希望あふれる人間に変えていけるのが、
創価学会だと、
断言(だんげん)できると、思います。

また、べつに、
下流社会とは、関係なく、
だれでも、悩みがあるし、苦しみがある。
だれでも、夢や希望を持っている。

その、さまざまな悩み、病気や苦しみ、
人生における、
壁(かべ)や困難を乗り越(こ)えて、
自分の夢や希望をかなえて、
必ず、幸せと勝利を、
勝ち取っていけるのが、
創価学会の、南無妙法蓮華経を、となえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。


ここに、創価学会のスゴサがあり、
また、創価学会でしか、できないでしょう・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく140

2013-12-05 09:09:02 | 幸せ
「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)」
って、何だろう?

どうして、南無妙法蓮華経を、
となえるんだろう?

ぼくは、創価学会員だから、
日々、南無妙法蓮華経を、
となえている。
創価学会(そうかがっかい)は、
世界192ヶ国に、広がっているけれど、
日本語が、わからない外国の人も、
すべて、南無妙法蓮華経と、となえる。

世界中どこでも、南無妙法蓮華経!
共通の音律(おんりつ)、共通の音源(おんげん)、
きっと、そうでないといけない、
何かが?あるのかもしれない・・。

ぼくは、創価学会員だから、
このブログでも、
南無妙法蓮華経の素晴らしさを、
さまざまな角度から、視点(してん)を変えて、
話してきました。

けれど、ひとつ、ネックになるのが、
南無妙法蓮華経を、となえているのは、
創価学会だけでは、ないということです。

けれど、本当は、創価学会の中で、
創価学会に入会して、
『南無妙法蓮華経を、となえる』ということが、
南無妙法蓮華経の素晴らしさ、
南無妙法蓮華経のスゴサ、
南無妙法蓮華経の力(ちから)を、
最大限に発揮(はっき)させ、
南無妙法蓮華経の変革の力によって、
夢や幸せを、つかむ、
もっとも、大切で、
重要なポイントと、なってきます!

それは、なぜか?

南無妙法蓮華経を、いくら、となえても、
考え方が違(ちが)うと、決して、
幸せにはなれず、
かえって、不幸になってしまうからです。

すなわち、
金儲(かねもう)けや、私利私欲(しりしよく)のために、
南無妙法蓮華経を、
となえている教団や、宗教には、
けっして、南無妙法蓮華経の力は、
発揮されず、
なんも効力(こうりょく)も、現(あら)われない。

当然、祈る対象である本尊(ほんぞん)が、
間違っていれば、
絶対に、南無妙法蓮華経の変革(へんかく)の力は、
発揮されず、
祈る対象(たいしょう)が間違っているゆえに、
逆に大きな不幸を、被(こうむ)ることになる。

南無妙法蓮華経は、
偉大(いだい)な法則であるがゆえに、
その偉大な生命の法則(ほうそく)、
「南無妙法蓮華経」を、かたって、
金儲(もう)けや、ペテン、
私利私欲に走ったならば、
最高の真理の法(ほう)を、使って、
その真理(しんり)に、もっとも近いところで、
悪を働くわけだから、
その罰(ばつ)と害毒(がいどく)は、
あまりにも、大きく、深い!!

意識(いしき)する、しないは別として、
間違った考えや思想の元(もと)で、
南無妙法蓮華経を、となえていったとしたら、
南無妙法蓮華経の
本当の正しい思想、哲学(てつがく)とは、
明(あき)らかに違(ちが)い、
『間違(まちが)っている』がゆえに、
その間違った結果として、
逆に、どんどん、不幸になっていってしまうと、
いうことです・・・。

それが、創価学会以外の
南無妙法蓮華経を、となえる宗教、
教団が、やっていることです。
だから、ほかの、
南無妙法蓮華経を、となえない宗教よりも、
南無妙法蓮華経を使って、
まやかし、ごまかし、金儲けを、おこなう、
これらの宗教は、
はるかに罪(つみ)が重く、
その分、大きな不幸を、味(あじ)わうことになる。


日蓮大聖人が、なぜ?
南無妙法蓮華経を、残されたのか?

それは、世界の全民衆を、救(すく)い、
幸せにするためです。
世界中の人たちに、希望と喜び、
さまざまな夢や幸せを、つかませるためです。

その日蓮大聖人の思いそのものが、
南無妙法蓮華経だと考えることも、できます。

だから、その日蓮大聖人の思いに反(はん)して、
南無妙法蓮華経を、となえても、
南無妙法蓮華経は、けっして、
力(ちから)を発揮せず、
南無妙法蓮華経が、
日蓮大聖人の思いそのものだから、
南無妙法蓮華経を利用して、
金儲けを、おこなう宗教、教団には、
南無妙法蓮華経は、怒(いか)りをこめて、
大きな不幸と害毒(がいどく)を、もたらす!!


重要(じゅうよう)なことは、
かりに、意識していないにしても、
間違った思想や哲学(てつがく)のもとで、
あるいは、間違った対象(たいしょう)に、
南無妙法蓮華経を、となえていったとしたら、
かりに、善意でやっているとしても、
その人たちを、不幸にしてしまうと、いうことです。

ようするに、
どんなに善意(ぜんい)を持って、やっていたとしても、
間違った思想や哲学、
間違った対象(たいしょう)のもとで、
南無妙法蓮華経を、となえていったならば、
その人の人生に、さまざまな形で、
不幸という結果が、
現実に、現(あらわ)れてしまう!
ということです。
間違っているがゆえに、
どんなに、南無妙法蓮華経を、となえたとしても、
逆に、どんどん、不幸になってしまう!
ということです。

だから、それらの宗教は、
現実に人々を、不幸にしてしまうのだから、
意識する、しないは別として、
あまりにも、罪(つみ)が重いと、
言えます。

それが、身延の日蓮宗にしろ、
日顕宗にしろ、
立正佼成会にしろ、
霊友会にしろ、
顕正会にしろ、
誤(あやま)った方向で、南無妙法蓮華経を、
となえている宗教や教団の、やっていることです。
また、教義(きょうぎ)を、ちょっと調べれば、
それらが、どれだけ、おそまつで、
メチャクチャであるかは、すぐに、わかります。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

では、創価学会は、なぜ?
正しいと言えるのか?

単刀直入(たんとうちょくにゅう)に考えると、
創価学会に、入会して、
南無妙法蓮華経を、となえると、
ほんとうに、幸せになれる。
創価学会に入会して、
南無妙法蓮華経を、となえると、
本当に、南無妙法蓮華経の力(ちから)を、実感でき、
さまざまな困難(こんなん)を、乗り越(こ)えることができ、
夢や幸せを、
現実に、実現していくことが、できる!

これこそ、
創価学会が、正しい証拠(しょうこ)と、いえる。
正しいから、結果が出る!
正しいから、幸せになれる!

もし、創価学会が、間違っていたならば、
いくら、南無妙法蓮華経を、となえても、
けっして、結果は出ず、
幸せにも、なれないでしょう。


南無妙法蓮華経は、
日蓮大聖人が、世界のすべての民衆を、救い、
幸せにするために、残された法則です。
だから、世界中の人々を、
本当に幸せにしようとしないと、
南無妙法蓮華経の力は、発揮されない。

逆(ぎゃく)に言えば、
創価学会が、本当に、
世界中の人々を、幸せにしようとしているから、
南無妙法蓮華経の大きな力(ちから)が、
発揮される!

それが、南無妙法蓮華経の、
不思議なる法(ほう)です。


創価学会は、
本気で、世界を平和にしようとしている。
本気で、世界中の人々を、幸せにしようとしている。
だから、創価学会の中で、
南無妙法蓮華経を、となえると、
願いが、かない、悩みが解決し、
大きく境涯(きょうがい)革命して、幸せになっていける!


これが、創価学会の真実であり、
南無妙法蓮華経の真実です。


南無妙法蓮華経は、
正しいものにしか、幸せを与(あた)えない!
南無妙法蓮華経は、
日蓮大聖人の思いのままに、
世界の平和、あるいは、一人一人の幸せのために、
行動する人々にしか、
力を発揮されず、その物凄(ものすご)い可能性と、
変革のエネルギーを、利用することが、できない!

ここに、
南無妙法蓮華経の不思議(ふしぎ)がある!


以上のことから、考えても、
南無妙法蓮華経を、となえて、
夢が、かない、悩みが解決し、
幸せになっていけるのは、
創価学会の中で、活動し、
創価学会の中で、
南無妙法蓮華経を、となえているからだ!
と、断言(だんげん)できます。


だから、創価学会は、
南無妙法蓮華経の素晴らしさ、
南無妙法蓮華経のスゴサ、
南無妙法蓮華経の無限の力(ちから)を、
発揮できる、
唯一(ゆいいつ)の団体であると、
言い切ることが、できます・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・