タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく84

2012-06-23 13:40:29 | 日常
今日の朝、
いつもと同じ、出勤の道を歩きながら、
ふと、空を、見上げた。

毎日、通っている道だけれど、
視野(しや)が広がり、
いつもとは、違(ちが)った景色が、
見えた。

いつも、見ているはずのビルが、
とても、美しく、
芸術的(げいじゅつてき)にさえ、思えた。

「こんな芸術的な素晴(すば)らしいビルが、
あったのか!!」

と、感動した。


見るもの、すべてが、
新鮮(しんせん)に、思えた。


道路工事の誘導(ゆうどう)をするオジサンが、
なぜだか、輝(かがや)いて見えた。


世界は、こんなに美しいのか!

世界は、こんなに、素晴らしいのか!


と、自分で、
気持ちよく、出勤できた。


考えてみれば、些細(ささい)なことかもしれない。

だだ、ちょっと、空を、見上げ、
視点(してん)を変え、
視野を、変えてみただけだ。

けれど、
それだけで、
世界の見え方は、大きく変わる。

それは、そのまま、
人生の変化にも、つながる。


ほんのわずか、視点を変えただけで、
人生も、世界も、変(か)わって見える。


自分が、どんな視点で、
世界を、人生を、
ものごとを、見ているのか。

それによって、
人生は、大きく、左右される。


自分の視点が、
狭(せま)く、こり固まったものになっていると、
思ったことは、ないだろうか?

自分の世界を、人を見る視点が、
かたよった、小さなものになっていると、
思ったことは、ないだろうか?


自分の人生を見る視点が、
自分なんか、こんなものさと、
マンネリ化した、
同じ視点で、
見ていないだろうか?


すべては、変化(へんか)していく。
すべては、変化し続ける。


だとしたら、ほんのわずか、
視点を、変えるだけで、いいはずた。

それだけで、
どれだけ、世界が、変わって見えるか!
どれだけ、人生が、変わっていくか!


目は、人間の機能(きのう)の
一部分に過(す)ぎないけれど、
その一部分だけの視点を、変えただけで、
世界も、自分も、
大きく変わっていく!

だとしたら、
もっと、根本的な、
もっと、根源的(こんげんてき)な、
生命(せいめい)そのものの視点を、
変えることが、できたなら、
どけだけ、人生が、変わっていくか!
どれだけ、人生が、開けていくか!


そう、考えることは、
できないだろうか・・・・・!!


その最も根本的な、
「生命そのもの」を、
変化させる力(ちから)が、
創価学会(そうかがっかい)の人たちが、
日々、となえている、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
なんです!

だから、南無妙法蓮華経を、となえると、
自分自身の生命の視点が、
変わっていく!

今まで、ピンチだと思っていたものが、
これは、人生を切り開く、
大きなチャンスだ!
と、考えられるようになる。

どんな悲しみであっても、
その悲しみを乗り越(こ)え、
大きな幸せを、つかんでいく力に、
変えていくことが、できる。


それが、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』
と、いうことだと思う。


空を見上げると、
視野が、広がるように、
南無妙法蓮華経を、となえると、
生命そのものの、視野が広がり、
世界が、ひろがる。

その広々とした生命状態からは、
どんな困難(こんなん)も、困難ではなくなり、
大きな幸せを、
つかむチャンスに変わる。


それは、そのまま、
自(みずか)らが求めた幸せへと、
つながっていく・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、
生命そのものの視点を変える、
不思議(ふしぎ)なる法則(ほうそく)!

だから、世界中の、
どんな人間であろうとも、
南無妙法蓮華経を、となえると、
前向きな、新鮮な視線(しせん)で、
ものごとを、見て、
考えられるようになっていく。

そして、それは、
大きな充実(じゅうじつ)と、
幸せを、つかむことに、
つながっていく。


この現実的な、
生命の躍動(やくどう)と歓喜(かんき)があるから、
創価学会は、
世界中に、
広がり続けているんだと、思う。


創価学会が実践(じっせん)する、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)が、
世界中のすべての人間を
幸せにできる、
理由のひとつが、
ここに、あるんだと思う・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく83

2012-06-19 09:15:20 | 映画
●映画「コンスタンティン」を見て・その3●

先日から、
映画「コンスタンティン」の話しを
しているんですが、
この映画の中で、
コンスタンティンは、
過去に、
自殺未遂(じさつみすい)の経験があり、
2分間だけ、死んだ体験を
持っていることになっている。

映画の設定(せってい)では、
死ぬと、2分間だけ、
時間が止まり、
時間が止まった空間(くうかん)の中を、
動くことができるという
設定になっている。

そして、映画の最後の、
絶対絶命の瞬間(しゅんかん)に、
コンスタンティンは、
死ぬと、2分間だけ、
「時間が止まる」という現象(げんしょう)を
利用して、
最後の勝負に出る。

すなわち、
自分の命を、絶(た)ってしまう。

そして、魔王(まおう)を呼び出し、
時間が止まった、2分間を利用して、
一発逆転(いっぱつぎゃくてん)の勝利を、
つかむ!


時間が止(と)まった空間で動けるというのは、
「ジョジョの奇妙な冒険」という
マンガにも、あった・・。

スタンドという、
自分の分身(ぶんしん)のようなエネルギー体を、
あやつって戦うんだけれど、
そのスタンドの能力(のうりょく)に、
時間を、何秒か、止めて、
その空間の中で
動けるという能力があり、
その止まった時間を利用して、
すべてを、
やっつけてしまうという話しだ。

時間が、止まっているんだから、
相手は、動けない。

その中で、自分だけ、動ければ、
あきらかに、
相手を、たたきのめし、
勝利できるという寸法(すんぽう)です。

おもしろい話しでしたが、
知らない人には、
まったく、わからないですよね・・。


ひとつ、言えることは、
もし、時間を、止めることが、できたら、
そして、その中を、
自分だけ、動くことが、できたら、
どんな絶体絶命(ぜったいぜつめい)のピンチも、
逆転できる。

どんな逆境(ぎゃっきょう)も、
勝利に変えてしまうことが、
できる。


そんなことが、できたら、
当然(とうぜん)、スゴイですけどね・・・。


当然のことだけれど、
実際には、時間を止めることは、
できない。

少々、飛躍(ひやく)した考え方をすると、
時間を止めることに、
もっとも、近いもの、
時間を止めた中で動けるのに、
もっとも近いものは、

『一瞬(いっしゅん)』

という時間でしょう・・。


それは、そうだ。
時間的に考えれば、
0秒に、いちばん近いのは、
1秒とか、0.1秒とかいう、
一瞬の時間だからです。

仏法(ぶっぽう)では、
この一瞬の時間、
もっと言うと、一瞬の心、
一瞬の一念(いちねん)に、
実は、
大きな大きな力(ちから)がある!
と説く。


それが、
『一念三千(いちねんさんぜん)』
という、法則(ほうそく)です。


一念(いちねん)とは、一瞬の心です。
その一瞬の心の違いによって、
三千の違(ちが)う世界が、
できあがるという法則です。

すなわち、
一瞬ともいえる『心』を、
変革(へんかく)することによって、
その一瞬の一念によって、
人生が、世界が、
大きく変わっていくと
いうことになります。


前に、
創価学会(そうかがっかい)の先輩から、

「宿命転換(しゅくめいてんかん)は、
一瞬で、できるんだ。」

という話しを、聞いたことがある。

※宿命転換とは、
自分の持っている運命や宿命を、
変革することによって、
人生を、幸せの方向に、
大きく、切り開いていくことを、
言います。


きっと、それが、
『一瞬の心(一念)』の力(ちから)なんだと思う。


実は、いちばん、力がないようで、
『一瞬の心(こころ)』ほど、
すごい!力を秘(ひ)めたものは、
ないのかもしれない。

たとえば、なにかの事故や災難(さいなん)に、
おそわれた時も、
生き残(のこ)るのは、
「生きるんだ!」という一念(こころ)が、
強い人間であると言われている。

当然、
何かを成(な)し遂(と)げた人は、
強い強い一念を持っている。

一念(いちねん)が、
未来を作り、
環境を作り、
世界を創(つく)る。


これが、生命(せいめい)の、
一念三千の法則だと思う。


この最も短い、
究極(きゅうきょく)の一念から、
無限のパワーを引き出し、
無限のエネルギーを生み出すのが、

『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』

だと思う。


なぜ?
『南無妙法蓮華経を、となえるか』
というと、
自分の心(一念)から、
無限のパワーと知恵を、
生み出すためでもあると、
言えます。

南無妙法蓮華経の力は、無限大だから、
それだけではないけれど、
それが、
一念三千の究極(きゅうきょく)の法(ほう)、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
だと思う。

だから、事故や、災難があった時に、
突発的(とっぱつてき)に、
南無妙法蓮華経を、となえたら、
九死(きゅうし)に一生を得(え)たという例も、
あるようです。

すなわち、
南無妙法蓮華経を、となえると、
映画コンスタンティンに、なぞらえて話すならば、
時間を止めて、その中を、動き回るように、
(少々、大げさですが・・・)
一念(こころ)に込(こ)められた、
生命のエネルギーと知恵を、
無限に引(ひ)き出して、
危機を回避(かいひ)したり、
大勝利を、もたらしたりすることが、
究極的(きゅうきょくてき)には、
できる可能性が、
出てくるんだと思う。


人間の『一念の力』を説明するために、
映画コンスタンティンの、
時間を止めた中を動ける話しを、
利用(りよう)しましたが、
それくらい大きな価値(かち)と、
無限の勝利と幸せを、もららすエネルギーが、
人間の一念(いちねん/こころ)には、
ある!ということを、
伝(つた)えたかったんです・・。


そして、
人間のこころから、
それだけの無限(むげん)のエネルギーを引き出す力が、
南無妙法蓮華経には、あり、
だから、南無妙法蓮華経を、となえていくと、
幸せになっていけるんだと思います・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

いくら、心の力(ちから)、
一念の力が、スゴイと言っても、
一念から、無限の力を引き出して、
活用(かつよう)するなんてことは、
普通は、とても、
できた話しでは、ない。

そう言うまえに、
自分の心に、
振(ふ)り回されてしまうことのほうが、
多いと思う。

だから、さまざまなセミナーで、
心の持ち方の大切さを話しても、
理屈(りくつ)では、わかっても、
ほとんど、
活用(かつよう)できないということのほうが、
多いと思う。


ところが、
『南無妙法蓮華経』は、違う!


どんな環境(かんきょう)の、
どんか人間であっても、
南無妙法蓮華経は、

「ただ、その人が、となえれば、いい!!」

理屈を、つべこべ、言うのではなく、
ともかく、現実に、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』

そうすることによって、
パッと、
心(一念)が、変わっていく。

どんな人でも、同じです!

南無妙法蓮華経が、
一念(こころ)を、変革する、
無限の力(ちから)であるがゆえに、
ともかく、
南無妙法蓮華経を、となえるだけで、
心が、一念が、変わっていく!

それは、
南無妙法蓮華経を、となるえることによって、
人生が、世界が、
変わっていくと、いうことです。

そして、南無妙法蓮華経を、
毎日、毎年、どんどん、たくさん、
となえ続けることによって、
その人の人生は、
勝利へ、幸せへと、
どんどん、変わっていく!


南無妙法蓮華経は、
理屈では、わからなくても、
現実の人間を、変えてくれる!
現実の人間を、幸せに、できる!


創価学会は、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を、
世界に、広めることによって、
理屈でなく、
一念三千の、すごい法則を、
現実の人間の手に、
取り戻(もど)してくれたんだと思う。


映画コンスタンティンに、たとえるならば、
おおげさですが、
一念(一瞬のこころ)という、
まるで、時間を止めた空間の中で、
動けるような、
最高最強の力を、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、
現実の人間に、
つかませてくれるんだと思う。


それが、
創価学会が、広まり続け、
この南無妙法蓮華経をとなえる
仏法(ぶっぽう)の信仰(しんこう)によって、
ひとりひとりが、自分の人生を
勝利していける理由の、
ひとつではないかと、
思う・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく82

2012-06-15 09:21:05 | 映画
●映画「コンスタンティン」を見て・その2●

先日、
映画「コンスタンティン」を
見た話しをしたんだけれど、
この映画の後半で、
コンスタンティンは、
女性を、救(すく)うために、
命を落とす。

その時、
魔王(まおう)が、あらわれ、
コンスタンティンは、
地獄(じこく)へ、連れて行かれそうになる。

しかし、
コンスタンティンは、
女性を救おうとして命を落としたという、
自己犠牲(じこぎせい)の精神を
働かせたということで、
魔王が、どんなにコンスタンティンを
地獄に連れて行こうとしても、
連(つ)れて行けず、
天国へと、のぼっていく。

それを見た魔王は、怒(いか)り、

「そんなことは、絶対に、させない!」

と、
コンスタンティンの肺ガンを治(なお)し、
コンスタンティンを、
生き返(かえ)らしてしまう。


なんと、魔王が、
コンスタンティンの命を、
救った形になったわけです。

映画らしい、おもしろい展開(てんかい)だと思った。


それで思い出したけれど、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の
御書に、
梵音声御書(ぼんのんじょうごしょ)という
御書があります。

※御書(ごしょ)とは、日蓮大聖人が書かれた、
論文や手紙を、すべて集めたものです。
そのひとつひとつの論文や手紙に、
内容に合った名前が付(つ)いています。

その梵音声御書(ぼんのんじょうごしょ)の中には、

「どんな国の人々も、
その国の王に、従(したが)わなければ、
生きていけない。

これが、人間の定(さだ)めだ!」

という話しが出てくる。


それは、確かに当然(とうぜん)だと思う。


なぜなら、
その国の規則(きそく)に背(そむ)いたら、
生活できなくなるし、
結局(けっきょく)、
生きていけないからだ。


けれど、
いまいち、腑(ふ)に落ちない!


なぜかというと、
日蓮大聖人の、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
仏法(ぶっぽう)は、
あらゆる民衆のための、
庶民(しょみん)のための、
全世界のひとりひとりの人間を救うための、
生命の法則(ほうそく)のはずだからです。

それなのに、
その国の王(おう)に従(したが)わなければ、
生きていけないなんて、
確かにそうかもしれないけど、
それでは、
ひどい言い方をすれば、
民衆は、王の奴隷(どれい)みたいな
存在(そんざい)に感じてしまうからです。


けれど、この梵音声御書を、
読み進めていくと、
そうではないことが、わかってくる。


確かに、その国にいる以上、
その国の王、あるいはその国の法律(ほうりつ)、
規則(きそく)にそむくことはできない。

そのことわりを利用して、
日蓮大聖人は、

『仏法も、それと同じなんだよ!』

ということを、
わからせようとしている!!


単純に言うと、
仏法(ぶっぽう)とは、生命の法則であり、
宇宙の法則なんです。

どんな生命(せいめい)も、
生命の法則、宇宙の法則には、
さからうことは、できない。

これは、わかると思う。

まず、すぐ上にあげた話しの内容を
認(みと)めるとします。

するとこんどは、
この「生命の法則」「宇宙の法則」を、
絶対に逆(さか)らうことのできない力(ちから)であり、
最高、最上(さいじょう)の法則という意味で、
『生命の王』と、とらえてみる。

すると、
「宇宙の法則」である、
『生命の王』に、
逆(さか)らうことのできる生命は、
ないことになります。


どんな生命も、
あるいは、どんな魔民(まみん)も、
悪魔や、悪鬼(あっき)や鬼神(きじん)であっても、
生命の法則の上での『王』に、
従(したが)わないわけには、いかない!


なぜなら、
どんな悪魔や、悪鬼、魔人であろうと、
その生命の法則の上での『王』に
したがわなかったら、
自分が、朽(く)ち果(は)て、
滅(ほろ)んでしまうからです。


問題は、宇宙の法則の上での『王』
生命の法則の上での『王』とは、
何か?
ということだと思う。


その生命の法則の上での『王』、
どんな悪鬼や、魔物(まもの)、鬼神でさえも、
したがわざるえない、
生命の法則の『王』が、
実は、
創価学会(そうかがっかい)の人たちが、
日々、となえている、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
なんです!

だから、どんな悪い、
悪魔や、魔物、鬼神でさえも、
どうしても!
従(したが)わなければならないのが、
『南無妙法蓮華経』なんです。

この『南無妙法蓮華経』に従わなかったら、
悪鬼や、魔物であろうとも、
自分が、朽(く)ち果て、
死んでしまうからです。


では、ぼくたちが、
生命の上での『王』になるには、
どうしたら、いいのか?


それは、『南無妙法蓮華経』が、
生命の法則の『王』なのだから、
ぼくたちは、

『南無妙法蓮華経を、となえれば、いい!!』

ぼくたちが、
南無妙法蓮華経を、となえた時から、
ぼくたちは『生命の王』になる!

だから、ぼくたちが、
南無妙法蓮華経を、となえると、
どんな悪魔や、鬼神であっても、
その人を、
助け、守(まも)るしか、なくなる!

なぜなら、悪魔や鬼神であっても、
生命の王に従わなかったら、
自分が、滅(ほろ)ぼされてしまうからだ。


現実的な話しをすると、
ぼくたちが、
真剣に、南無妙法蓮華経を、
となえていくと、
自分の周(まわ)りの、
敵(てき)であったり、悪人であっても、
その人に、
危害(きがい)を加えることが、
できなくなってくる。

逆(ぎゃく)に、
なぜだか、
敵や、悪人であっても、
南無妙法蓮華経をとなえている、その人を、
助(たす)ける存在に、なってしまう。

まるで、コンスタンティンを、
魔王が助けたように、
なぜだか、
南無妙法蓮華経を、となえれば、となえるほど、
悪人や、敵であっても、
自分の周(まわ)りの人たちが、
自分を、助ける働きを、してくれる!


南無妙法蓮華経を、となえると、
生命の位(くらい)では、
その人は、王となる!


だから、不思議(ふしぎ)にも、
周りのひとたちは、どうしても、
その人に、従い、
助けざるえなくなってくる!


これが、南無妙法蓮華経をとなえる人の、
『生命の位』だと思う。


また、不思議だけれど、
ほんとうに、
そうなってくる!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

よく、創価学会では、
南無妙法蓮華経を、となえることを、
「ライオンが、ほえる」ことに譬(たと)える。

ライオンは、
百獣(ひゃくじゅう)の王(おう)と言われるように、
王者のイメージがあり、
「野生動物の王」のイメージと、
「生命の王」、「宇宙の王」、
「人生の王」、「幸せの王」、
「勝利の王」というイメージを、
重(かさ)ね合わせているわけです。

伝(つた)えたいイメージとしては、
どんな獣(けもの)も、
ひとたび、ライオンがほえたなら、
恐(おそ)れおののく。

あるいは、
どんな獣(けだもの)も、
ライオンが、ほえたならば、
百獣(ひゃくじゅう)の王であるライオンに、
したがわざるえなくなる。

ということだと思います。

その威力(いりょく)は、
あらゆるものを一変(いっぺん)させ、
あらゆるものを、
従(したが)えさせることができる。


それが、

「南無妙法蓮華経を、となえる」

ということであり、
「ライオンがほえる」ことに譬(たと)えられる、
『南無妙法蓮華経』です。

すなわち、
南無妙法蓮華経を、となえた時から、
何かに、従(したが)わされている、
従順(じゅうじゅん)な存在から、
自分が、すべてを変えていく、
王に変わり、
主体(しゅたい)と、なっていく!


ここに、南無妙法蓮華経の、
すごい変革(へんかく)のエネルギーが、
あると思う。


環境(かんきょう)に左右されている自分から、
環境を変える自分に!

運命に、振(ふ)り回されている自分から、
運命を、切り開く自分に!

悩みに、振り回されている自分から、
悩みを、打ち破(やぶ)る自分に!

こうなったら、いいのに、という、
はなかい願望(がんぼう)から、
絶対に、こうしてみせる!という、
強い意志(いし)に!


自分が、
自分の人生における『王』になれるのが、
創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経の仏法の信仰(しんこう)であり、
それが、南無妙法蓮華経を、
となえるということだと、思う。


そして、
王者のごとく、悩みを解決でき、
王者のごとく、困難(こんなん)を乗り越(こ)え、
王者のごとく、夢や希望をかなえて、
人生の勝利者となり、
幸せを、つかむことが、できる!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく81

2012-06-10 12:23:20 | 映画
このまえ、
「コンスタンティン」という映画を、
見ました。

なかなか、楽しめる映画でした。

コンスタンティンは、
天国と地獄(じごく)の使者を
見分ける能力を持って生まれ、
普通、見えないものが、
見えてしまうという設定(せってい)です。

その特殊(とくしゅ)な能力のために、
自殺未遂(じさつみすい)により、
2分間だけ、死んで、
また、生き返ったという経験があり、
「自殺を、犯(おか)した」ということで、
彼は、地獄行きが、
決まっているそうだ。

おまけに、ヘビースモーカーで、
肺(はい)ガンの末期(まっき)、
もって、一年という、
設定になっている。


おもしろいと思ったのは、
コンスタンティンは、
いわゆる、
世界を救うために戦うんだみたいな、
救世主的(きゅうせいしゅてき)な人間では、ない。

癖(くせ)の、せりふが、

「くそったれ!」

という、
自己中心的な男だ。

その自己中男が、
自己中だからこそ、
地獄に行くのは、いやだ。

肺ガンも、なんとか治(なお)して、
生き延(の)びたい!

そのために、自分の能力を駆使(くし)して、
悪魔どもを退治し、
天使に、取り入って、
天国行きと、延命(えんめい)を、
アピールしている!

という設定です。


だから、自己中心的に、
自分のために、
一生懸命(いっしょうけんめい)、
戦っているんだけれど、
それは、結局(けっきょく)、
世界を救うという結果に
つながっていく。

そして、コンスタンティンは、
肺ガンも、治り、
地獄行きも、
逃(のが)れたようだ。


この設定が、なぜ?
おもしろいかと、いうと、
これは、
創価学会(そうかがっかい)が実践している
仏法(ぶっぽう)の、
『宿命転換(しゅくめいてんかん)』の法則に、
似ているからです。


生まれた時から創価学会員の人は、
別(べつ)として、
だいたい、
創価学会に入る時は、
自分に、
大きな悩みを抱(かか)えている場合が多い。

人を救(すく)おうとか、
世界を平和にしよう!
なんて、
まず、考えていないと思う。

コンスタンティンのように、
癌(がん)の末期であったり、
大変な借金を抱(かか)えていたり、
家族に、大きなトラブルが、あったりして、
もう、藁(わら)をも、つかむつもりで、
創価学会に入会し、
人のためではなく、
自分のために、
自分の悩みを解決するために、
真剣に、ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえ、
創価学会の活動を実践(じっせん)している。

別に、人のために、
やっているのではないのだけれど、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、
一人の人間を、
必ず幸福にしきることができると同時に、
周(まわ)りの人々や世界を、
幸福にする。

あるいは、
世界に平和と幸せを築(きず)く、
究極(きゅうきょく)にして
最高の法則(ほうそく)であり、力(ちから)なので、
知らず知らずにでも、
南無妙法蓮華経の仏法を実践していくと、
それは、結局、
人を救い、
人を幸せにする結果となり、
世界を、幸せにすることに、
つながっていく!


自分のために、一生懸命になることが、
世界を、幸せにすることと、
まったく、矛盾(むじゅん)しない!

自分のために、一生懸命、
活動すれば、するほど、
じつは、世界を、幸せにし、
人を、幸せにすることに、
つながっている。


自分と、周(まわ)りの人々、
自分と世界が、
まったく、矛盾(むじゅん)せず、
真剣に
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえれば、となえるほど、
創価学会の活動を、すれば、するほど、
自分の周りの人たちは、
幸せになり、
世界も、幸せになっていく。


そして、結果として、
冗談ではなく、
コンスタンティンのように、
癌(がん)が、治ったり、
借金苦を、克服(こくふく)できたり、
家庭不和が、解決したり、
自分の、さまざまな悩みが解決し、
夢や、願いが、かなっていく!!


別に、映画の世界ではなく、
ほんとうに、そうなっていくのが、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)であり、
仏法で説く、
『宿命転換』の法則(ほうそく)だと思う。


だから、南無妙法蓮華経を、となえ、
真面目に、創価学会の活動をやっていると、
自分の欲望(願望)と、世界の幸せが、
反比例(はんぴれい)することなく、
同じように調和(ちょうわ)しながら、
大きくなっていける!

欲望や希望が、大きい分、
そのまま、ご本尊(ほんぞん)に、
真剣に、南無妙法蓮華経を、となえていくと、
それは、そのまま、
世界や、まわりの人々を、
幸せにする結果となり、
人々を、幸せにした分、
自分の願いも、大きく、かなっていく!


だから、
創価学会の仏法の信仰(しんこう)は、
現実の、欲望・うずまく人間を、
絶対に否定(ひてい)しない!


その、すべての人間を、受け入れ、
すべての人間が、
なんの矛盾も、抵抗(ていこう)もなく、
幸せになっていける!!


不思議(ふしぎ)といえば、不思議。

スゴイといえば、スゴイと思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

少し補足(ほそく)させていただくと、
もともと、世界を平和にしたい!とか、
人々のために、尽(つ)くしたい!という人は、
別に、それでいいです!
(そのほうが、いいに決まっている!)

そういう気持ちで、
南無妙法蓮華経を、となえ、
創価学会の活動をしていけば、
もっともっと、その人は、
素晴らしくなるし、
世界も、周りの人々も、
幸せになっていく。

ほんとうは、そういう人こそ、
南無妙法蓮華経の仏法のスゴサを、
実感(じっかん)できるはずです!!!


けれど、やっぱり、
最初から、そういう人は、
なかなか、いないと、思う。

普通は、コンスタンティンのように、
自分が、大切だ。

それが、現実の人間だと思う。

自分が、大切だからこそ、
真剣に、南無妙法蓮華経を、となえ、
一生懸命、創価学会の活動をしていく。

ところが、南無妙法蓮華経の仏法は、
世界を幸せにし、
人々を幸せにする、
最強の法則であるがゆえに、
自分のために、やっていても、
自然(しぜん)のうちに、
世界と、まわりの人々を、
幸せにしていってしまう。


ヘンな言い方だけれど、
南無妙法蓮華経の仏法は、
おそろしい!くらい合理的(ごうりてき)な、
素晴らしい法則であり、
一切(いっさい)の矛盾がない、
スゴイ!力(ちから)だと、
思う。


だからこそ、
すべての人が、実践できる!

世界中の人が、満足できる!

また、実際に、192ヶ国に広かる、
世界中の創価学会員が、
満足と幸せを、
実感していると思う。


自分と世界、
自分と人との間に、
一切(いっさい)の矛盾をつくらず、
おたがいが、強く結(むす)びつき、
おたがいが、世界が、
自分と同じように幸せになっていけるのが、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)だと思う・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく80

2012-06-04 19:20:33 | 幸せ
ぼくは、今でも、
プラズマテレビを愛用(あいよう)しています。

今は、液晶(えきしょう)テレビも、
性能(せいのう)が良くなっていると思うけれど、
液晶テレビは、どうも、
私の目に合わず、
目が疲(つか)れて、
見ているのが、しんどくなりました。

以前、ネットで調べたところ、
液晶テレビが合わず、
目が疲れる人も、
プラズマテレビなら、
目が疲れづらいという記事を読んで、
プラズマテレビを購入(こうにゅう)したのですが、
期待(きたい)した通り、
私には合っていて、
目が疲れず、
今でも満足(まんぞく)して使用しています。


プラズマテレビは、
今では販売(はんばい)していませんが、
反応速度(はんのうそくど)が速いため、
激しい動きをより滑(すべ)らかに
映(うつ)し出すことができるので、
ゲームをプレイしたり、
スポーツ観戦する場合には、
オススメだそうです。

ただ、
画素(がそ)が1つずつ光るため、
消費電力が大きく、
電気代がかかる傾向(けいこう)があるそうです。

けれど、
私にとっては、宝物なので、
大切に使って、
長持ちさせたいと思っています。


テレビで思い出しましたが、
以前、池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、
創価学会(そうかがっかい)が実践している
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえる仏法(ぶっぽう)の信仰について、
このようなことを言っています。


「極端(きょくたん)な話しになるかもしれませんが、
釈尊(しゃくそん/しゃか/ブッダ)の
仏法並(なら)びに天台(てんだい)の法門(ほうもん)を、
テレビに譬(たと)えて言うならば、
法華経(ほけきょう)以前の釈尊(しゃくそん)の仏法は、
テレビを構成(こうせい)する
一つ一つの部品といえます。

そして、
テレビの組み立て方を示(しめ)し、
全体像を明(あき)らかにしたのが、
『法華経(ほけきょう)』です。

さらにテレビがどんなものかを、
理論的(りろんてき)に体系づけたのが、
天台(てんだい)の法門(ほうもん)と
いえます。


それに対して、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)は、
テレビ自体を、
残(のこ)されたことになる。


それが『ご本尊(ほんぞん)』に当たります。


もったいない譬(たと)えですが、
私どもが、
ご本尊を持(たも)ったということは、
既(すで)に完成した
立派(りっぱ)なテレビを、
手に入れたことになります。


部品を組み立てたりしなくとも、
理論はわからなくとも、
すぐに見ることができる!


しかし、テレビを見るためには、
チャンネルを合わせなければならない。

それが、
ご本尊への信心(しんじん)であり、
仏道修行(ぶつどうしゅぎょう)です。」



創価学会が実践(じっせん)している
仏法(ぶっぽう)の信仰は、

『ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経を、となえて祈(いの)る信仰』

です。

その、
「ご本尊に、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえて祈る信仰」
を、

『テレビを見る』

ことに譬(たと)えているわけですが、

ここで『テレビを見る』と言っているのは、

「幸せになっていく」のを見る。

「悩みが解決(かいけつ)していく」のを見る。

「夢や希望をつかんでいく」のを見る
ということで、
希望が叶(かな)い、
実現(じつげん)していくことを、

『テレビを見る』ことに、
譬(たと)えているわけです。

いわば、
自分が幸せになっていくドラマ、
悩みを解決していくドラマ、
夢や希望をつかんでいくドラマを、
現実のなかで、リアルとして、
見ることができる!という
感覚(かんかく)でしょうか・・。

だから、ここで言う
『テレビを見る』という譬(たと)えは、
「悩みや問題を解決していく」
「幸せになっていく」
「夢や希望をかなえていく」
「人生を勝利していく」ことを、
意味しています。


そのためのテレビのような機械が、
創価学会の
『ご本尊(ほんぞん)』
だと言うことです。


池田先生が言っていますが、
法華経(ほけきょう)以前の釈尊の仏教は、
テレビを構成(こうせい)する、
一つ一つの部品です。

だから、いくら部品があっても、
テレビを見ることは、できません。

また、釈尊の法華経自体(ほけきょうじたい)も、
説明書のようなものなので、
いくら説明書があったとしても、
テレビがなかったら、
番組を見ることは、できません!

しかも、これは、
釈尊(しゃくそん)が言っているのですが、
それらの釈尊の仏教は、
釈尊死後、2千年以上たつと、
なんの効力(こうりょく)もなくなり、
かえって害(がい)になり、
人々を不幸にする原因になってしまいます・・。


現代という時代は、
その釈尊死後、
2千年以上たった時代であり、
釈尊の仏教に、なんの効力もなく、
かえって釈尊の仏教が、
人々を不幸にしてしまう時代です。

それは、たとえて言うなら、
すでに使い物にならなくなった部品と同じで、
なんの役(やく)にも立ちません。

それらは不良品(ふりょうひん)と同じであり、
逆(ぎゃく)に害(がい)になり、
不幸を作る原因になっていきます。


それが、現在、
日本中に、はびこっている
葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光仏教です。


だから、それらの葬式仏教や観光仏教を、
いくら、やってみたところで、
なんの足(た)しにもならず、
返(かえ)って害になり、
現実に、
さまざまな不幸を、
引き起こす結果となってしまいます。

また、神社信仰にしても同じで、
間違(まちが)ったデタラメな宗教ですから、
害になり、
不幸を引き起こす原因(げんいん)にしかなりません。


それに対して、
創価学会が信じ、
祈ってる『ご本尊(ほんぞん)』は、
最新式のテレビのようなものです。

幸せになるための、
あらゆる機能(きのう)が整(ととの)っている。

どんな悩みにも対応(たいおう)でき、
どんな世界の、
どんな境遇(きょうぐう)の人の願いも、
かなえていく力(ちから)があり、
世界中のあらゆる人を
幸せにしていくことのできる、
ほかでは絶対に手に入らない
最高級のテレビです。


それが、創価学会が信じ、祈っている
『ご本尊(ほんぞん)』です。


けれど、いくらテレビがあっても、
スイッチを入れなければ、
テレビのどんな面白(おもしろ)い番組も、
見ることはできません。

また、電源(でんげん)が入っていなかったら、
スイッチを押(お)しても
テレビは、つかない・・。

それと同じように、
創価学会のご本尊が、
どんなに素晴(すば)らしくても、
その素晴らしさ、すごさ、
無限(むげん)の可能性(かのうせい)を引き出す
『スイッチ』を押さないかぎり、
ご本尊という幸せを引き出す機械から、

悩みを解決する力、
幸せになっていくアイデア、
夢や希望をつかむためのラッキーや運、
人生を勝利していくために
自身が成長し人間革命(にんげんかくめい)していく力、
・・など、

幸せになるための
さまざまな力(ちから)やエネルギー、
可能性を引き出すことは、できません・・・。


そのご本尊にスイッチを入れる行為(こうい)。
また、
ご本尊という機械に電源を入れる行為が、

「ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえる」

ということであり、
また、
仏法(ぶっぽう)の実践活動である、
創価学会の活動です。

そして、
ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえぬき、
また、
創価学会の活動を真剣にやっていった時、
ご本尊という機械が動きだし、
悩みや問題の解決、
幸せになっていくための自身の成長、
人間革命、夢や希望の実現(じつげん)といった、
素晴らしいテレビの番組のような内容を、
自分の人生において、
現実の中で見ることが、
できるようになっていきます。


それが、ご本尊です・・・!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

ご本尊を、
幸せが映(うつ)るテレビとするならば、
その幸せのテレビの内容を、
自分の人生において、
現実に、
見れるようにするための行為(こうい)が、
ご本尊に、

『南無妙法蓮華経を、となえる』

ということであり、
それと、同時進行のかたちで、
ご本尊という機械を、
幸せに向かって、
強力に動かしていく具体的な行動となるのが、
「創価学会の活動」ということになります。

そして、
ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえることと、
創価学会の活動が、
合い重(かさ)なっていった時、
「ご本尊」という幸せを創(つく)る機械が、
大きく、強力に動き出し、
そのことによって、
自分自身の生命が、
幸せに変革(へんかく)され、
人間革命がなされ、
やがて、
さまざまな悩みを解決できたり、
夢や希望を、かなえていけたりして、
幸せになっていけるわけです。


創価学会二代会長の戸田城聖先生が、

「ご本尊は、幸せ製造機(せいぞうき)だ。」

と言いました。

べつに何にもわからなくても、
機械の仕組(しく)みや説明書がなくても、
テレビのスイッチを入れれば、
番組を見ることができるのと同じように、
創価学会のご本尊は、
「ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえていく」
ことによって、
さまざまな悩みや問題を解決していけ、
夢や希望も、
かなえていけるようになっていく。


それが、
「幸せを見ることのできるテレビ」と言える、
あるいは、
「悩みや問題を解決していく」
「夢や希望をかなえていく」
「人生を勝利していく」、
それらの自分の人生における、
最高のドラマを見ることができるテレビのような
『ご本尊(ほんぞん)』であり、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと、
いうことです・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・