タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく191

2016-08-26 08:49:52 | 希望
昔、
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が
結婚してからしばらくの間、
よく奥さんと
話していたそうです。

「団地(だんち)に住みたいな。
コンパクトで便利(べんり)じゃないか。」

「すべて、機能的(きのうてき)に
つくられていますね。」

「少し狭(せま)いかもしれないが、
部屋の数は、そんなになくても、
ご本尊様(ほんぞんさま)さえ、
きちんとご安置(あんち)して、
荘厳(そうごん)できればいいんだから。」

「そうですね。
ご本尊様には、
一切(いっさい)が、
含(ふく)まれていますからね。」


※ちなみに「ご本尊」とは、
創価学会(そうかがっかい)の人たちが
祈る対象としている本尊(ほんぞん)で、
仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、
それと同時に、自分の生命そのものを
あらわしたものでもあり、
その必ず幸せになっていける
仏(ほとけ)の生命が、
自分自身の中にあることをあらわしたものが、
「ご本尊(ほんぞん)」です。



奥さんは、言っていた。

『ご本尊様には
一切(いっさい)が
含(ふく)まれていますからね。』


どういうことだろうか・・・?


ご本尊には、一切が含(ふく)まれている。

その一切(いっさい)とは、なんだろうか・・・?


それはおそらく、
人間が幸せになっていくための、
あらゆるもの、
あらゆる宝(たから)、
あらゆる希望と力(ちから)が、
含まれていると、いうことだと思う。

それは、譬(たと)えるなら、
打ち出の小槌(こづち)のようなものだと思う。

打ち出(うちで)の小槌を振(ふ)ると、
宝が、どんどん出てくる。
無限に出てくる。

どんなに辛(つら)い時でも、
どんなに苦しい時でも、
どんなに悲しい時でも、
打ち出の小槌(こづち)を振れば、
幸せの宝が、どんどん出てくる。

当然です。

それが、打ち出の小槌だからです。

それと同じように、
生命における、打ち出の小槌が、
『ご本尊』なんだと思う。

だから、その、
打ち出の小槌(こづち)を、
振ればいい・・!

そして、その、
『打ち出の小槌を振る』ということが、
ご本尊に、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえる!』
ということに、
あたるんだと思う。



打ち出の小槌を振れば、
無限に宝がででくる。

だから、
「生命の打ち出の小槌」である、『ご本尊』に、
南無妙法蓮華経をとなえて祈る時、
幸せも、希望も、
勇気も、知恵も、
自分の中から、
生命の宝が、
無限に湧(わ)き上がってくる。

幸せを呼ぶ運も、
悩みを解決する力(ちから)も、
生命を蘇生(そせい)させるエネルギーも、
人々を愛していくエネルギーも、
平和と人間性も、
より良い人間になっていくためのパワーも、
夢をつかむ力も、
未来を生み出す力も、
より良い世界を生み出していく
すべてのエネルギーが、
自分の中から、
湧き上がってくる。


なぜなら、
ご本尊には、
すべてが!
含まれているから!

ご本尊は、
生命における、
『打ち出の小槌』だから・・!


実は、そういう、
自分の中にある、
生命のあらゆる、無限の宝が、
『ご本尊(ほんぞん)』
なんだと思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

ゆえに、
なにも恐(おそ)れることはない・・。
なにも落ち込むこともない・・。
なにも悲観(ひかん)する必要はない・・。


なぜなら、ご本尊に
南無妙法蓮華経を、となえていったなら、
自分の中から、
幸せや希望、
勇気や知恵が、
無限に引き出され、
湧(わ)き上がり、
そして、
悩みや問題を解決することができ、
夢や希望も、
かなえていくことができる。


『ご本尊には、一切が含(ふく)まれている。』


ご本尊には、すべてが
含まれているがゆえに、
べつに難(むずか)しいことは考えなくても、
自分が思ったとおり、
自分が祈りたいことを、
素直(すなお)に祈っていくことによって、
最高の解決策(かいけつさく)が見いだされ、
自分にとって、
最高の方向に
進んでいくことができる。


それが、『ご本尊』だと思う。


だから、創価学会のご本尊は、
世界中のどんな境遇(きょうぐう)の、
どんな状況(じょうきょう)の人であっても、
ご本尊に、
南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、
必ず幸せにしていくことが、できる!!

すべての一人一人に対応(たいおう)し、
あらゆる人の悩みに
完全にマッチして、
一人一人を蘇生(そせい)させ、
幸せにしきっていくことができる。


ゆえに、池田先生夫人が言うように、

『ご本尊には、一切が含(ふく)まれている。』


それが、
あらゆる人の悩みの解決が可能な、
あらゆる人の夢や希望を、
かなえていける力(ちから)のある、
創価学会の
『ご本尊』であり、
創価学会(そうかがっかい)の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰なんだと思う・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく175

2015-03-17 09:05:11 | 希望
以前、
ある創価学会(そうかがっかい)の
壮年の方が、
体験を話してくれました。

その壮年の方は、
知恵(ちえ)おくれの子として
生まれてきたそうです。

学校に行くことになり、
親は、その子を、
普通のクラスに入れるか、
特別クラスに入れるか、
悩んだそうです。

そして、普通のクラスに
入れることにしたそうです。

その子は、
当然、授業を受けても、
まったくわからない。

通信簿(つうしんぼ)は、
オール1だったそうです。

そんな親も創価学会員だったんですが、
創価学会の信心、創価学会の活動も、
熱心に取り組んだそうです。

そして、その親は、
その知恵おくれの子供に、
毎日
創価学会が行っている信仰の基本である、
『勤行(ごんぎょう)』だけは、
強制的(きょうせいてき)にやらせたそうです。

勤行(ごんぎょう)というのは、
釈尊(しゃくそん/しゃか/ブッダ)の
法華経(ほけきょう)の一部分を、音読します。
だいたい、3分から5分くらいかかりますが、
その後、好きなだけ
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
繰(く)り返し繰り返し、となえます。

それをまとめて「勤行」といいます。


その子供は、
いやだったけれど、
親に強制させられながら、
毎日、勤行を続けたそうです。

そうしていたら、
2年になったら、
通信簿が、
オール2になったそうです。

そして、3年になったら、
通信簿に、
3が並(なら)ぶようになり、
4年になったら、
4がとれるようになり、
6年の時は、
オール5になったそうです。


そして、なかなか入れない
創価大学に入学していった!
という話しでした。



自分も創価学会に入り、
創価学会が実践(じっせん)する、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法(ぶっぽう)のすごさは、
わかっているつもりですが、
こういう話しを聞くと、
一段(いちだん)と、
創価学会の、
南無妙法蓮華経の仏法のスゴサを、
改(あらた)めて
実感(じっかん)する思いがしました。

このようなドラマが、
世界中いたるところで、起(おこ)っているのが、
創価学会の
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法(ぶっぽう)の信仰なんだと思う。


そう思うと、
この創価学会の
南無妙法蓮華経の仏法が、
どれだけの人を
幸せにしてきたことか!
どれだけの人々の
不幸を救(すく)ってきたか・・!
どれだけの人々の
悩みを解決してきたか・・!
どれだけの人の夢や希望を
かなえる大きな力になってきたか・・!

それは、それこそ、
計(はか)り知れないと思う。

また、そのことによって、
地域や社会、世界を、
どけだけ、幸福にし、
平和に貢献(こうけん)してきたか、
計り知れないと思う。


別に、棚(たな)からぼた餅(もち)のようなことを
言うつもりは、ありませんが、
創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる
仏法の信仰には、
現実に、
人間の中から
無限の可能性を開く力(ちから)がある!
ということです。

日々、南無妙法蓮華経をとなえて、
自分の可能性に挑戦していった時、
時とともに、それは、
思いもよらない素晴(すば)らしい結果として、
花開いていくと、
いうことだと思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

人は、時として、
さまざまな境遇(きょうぐう)や環境(かんきょう)、
自分に降(ふ)りかかってきた、
さまざまな不幸や試練(しれん)、
困難に打ちのめされ、
絶望(ぜつぼう)したり、
あきらめてしまうようなことも、
あるかもしれない。

けれど、
人間の可能性は、
計り知れない。

そして、その可能性を開花していける力(ちから)が、
創価学会の
南無妙法蓮華経の仏法には、
ある!!

それが、
どんな困難(こんなん)な壁(かべ)であろうとも、
どんな宿命(しゅくめい)であろうとも、
その宿命すら、
打ち破っていく力が、
創価学会の
南無妙法蓮華経の仏法には、ある!

だから、世界中の創価学会の人たちが、
どんな困難な壁であろうと、
その宿命がどんなものであろうとも、
それを打ち破り、乗り越(こ)えて、
勝利と幸せを、
勝ち取っている。


それは、
現実に起った事実であり、
現実の明らかな証拠(しょうこ)です。


この証拠だけは、
だれ人も、くつがえすことができない。

だから、創価学会は、
広がり続け、
世界192カ国に広がっている。


今日、話した、
壮年の方のような体験を聞くと、
勇気がでる。
自分も、まだまだ、がんばれる!
まだまだ、
無限の可能性を、
開いていこう!と・・・。


その人間の持つ、
無限の可能性を、
どこまでも、どこまでも、
開いていける、
現実的で、
決定的な方法が、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと、いうことです・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく143

2013-12-28 09:20:19 | 希望
統計(とうけい)によると、
人は、新しい場所、
知らない新しい天地に引っ越(こ)して、
成功する場合が、多いようです。

それは、なぜなのだろう・・・?

それは、その土地の、
どうにもならない風習や軋轢(あつれき)
その土地特有の、
にっちもさっちも、いかないような、
さまざまな困難(こんなん)な問題を、
まったく、知らない!!からです。

人々の成長を、はばむ、
「この地域は、こうだから、
 どうしようもないんだ・・・!」
というような、
固定観念(こていかんねん)が、まったく、ない!!からです。

そして、ただ、ひたすら、
希望と夢だけを、
大きく大きく、いだいて、
引っ越してくるからです。

だから、成功するんです!


仏法(ぶっぽう)では(創価学会では)
一念三千(いちねんさんぜん)という法則を、
説きます。
一念(いちねん/こころ)の違いによって、
三千の違う世界が、できあがるという、
法則(ほうそく)です。

こころが違(ちが)えば、
環境(かんきょう)も変わる。

その土地、その場所、その地域に、
さまざまな環境や状況(じょうきょう)があると思いますが、
元(もと)を正せば、すべては、
「こころ」から起こってくる・・!
ということです。

だから、人間の心によって、
その地域独特(ちいきとぐとく)の世界が、
できあがっていく!
と言えるかもしれません。

だから、
その地域独特の、
にっちもさっちも、いかない、
困難や問題は、
その地域に住む一人一人の心から、
発生(はっせい)していると、
考えることが、できます。

ところが、
新しく引っ越してきた人は、
そんなことは、まったく知らない。
希望と夢だけを、持って、
引っ越してくるわけです。

さきほどの一念三千の法則によれば、
その時点で、
その新しく引っ越してきた人にとっては、
その人の希望と夢の心によって、
その土地が、まさしく、
希望と夢の天地に、変わっていくのです!

その希望の心は、
やがて、まわりの人々にも、
伝(つた)わり、その地域、社会まで、
変えていくことに、つながっていきます。

これが、人が、新しい場所、
知らない新しい天地に引っ越して、
成功できる理由だと、思います。


けれど、
これは、引越しという手段(しゅだん)によって、
人間の中から、
希望と夢の力(ちから)を、引き出した、
ひとつの例でしか、ありません。

見落としてはいけないのは、
『希望と夢の力』が、
どれだけ!大きく、
人生と世界を、変えていけるか!!
と、いうことです。

そう考えると、
要(よう)は、
自分の心の中から、
希望と夢の力(ちから)を、
引き出せばいいわけです。

けれど、人は、
新しい場所で、成功する人が、
多いからといって、
そう何度も何度も、
引っ越すことは、できません!

ところが、
引っ越さなくても、
無限の希望、無限の夢を、
自分の中から、引き出すことのできる、
方法が、あります!

それが、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』
ということです。

南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、
未来を開く法則です。
なんのために、
南無妙法蓮華経を、となえるかというと、
未来を開くためです。
もっと言えば、
未来に、勝利と幸せを、つかむためです。

ご本尊(ほんぞん)に、南無妙法蓮華経を、
となえていると、
生命力が、強くわきあがってきて、
元気が出てきて、
未来に挑戦できる自分に、
変わっていきます。

生命力が出てくるので、
自分を、しっかりと、見つめることが、
できるようになっていきます。

自分は、これから、どうしたらいいのか?
何を、やったらいいのかが、見えてきて、
その、強い強い生命力は、
「なんとしても、希望を、かなえたい!」
「絶対に、夢を、かなえてみせる!」
という情熱と勇気に変わっていきます。

そして、夢や希望の実現に向かって、
しっかりと、挑戦できるようになっていくんです。


南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、
そのような、未来を、しっかりと見つめた、
希望と夢のエネルギーが、
湧(わ)き上がってくる・・!!

だから、
南無妙法蓮華経を、となえるんです。


一念三千(いちねんさんぜん)の法則から言うと、
こころ・一念の違いによって、
違う三千の世界ができあがっていく。
すなわち、人間の、自分のこころを変えていくことによって、
違う世界、違う環境が生まれていくと、
いうことです。

心を変化させていくことができれば、
環境や状況は、変わっていく!

その、心を、
大きく、急激(きゅうげき)に変えていく力が、
南無妙法蓮華経だということです。

だから、
南無妙法蓮華経を、となえると、
いままで、住んでいた、その土地が、
自分の希望と夢の力(ちから)によって、
いままで住んでいた土地とは、
『違(ちが)う土地』に、
生命の上では、
瞬間(しゅんかん)、瞬間、少しづく、
変わっていくんです!!


ここに、南無妙法蓮華経を、
となえることのスゴサがあります!!

また、それが、一念三千の法則(ほうそく)です。

そして、その一念三千の法則を、
現実の人間に、だれでも、
活用できるようにしたのが、
『創価学会(そうかがっかい)』であり、
それが、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』という、
仏法(ぶっぽう)の信仰の実践(じっせん)です。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

南無妙法蓮華経は、
現実の人間と、世界を、変えていくんです!
ここに、創価学会が、
着実に、世界の平和と、一人一人の幸せを、
どちらも、実現できる、
理由が、あります!!!

また、現実に、創価学会の人は、
世界を、希望や平和、幸せの世界に、
変えている!!と言い切って、
間違(まちが)えは、ありません。

それほど、
『南無妙法蓮華経』は、
スゴイということです。

また、そのスゴイ南無妙法蓮華経をとなえて、
仏法の実践活動である、
創価学会の活動をやっていくことによって、
その人は、現実に宿命(しゅくめい)を幸せに変え、
悩みを解決して、
夢や希望をかなえていけます。

そのことによって、
自身が変わり、
自身が変わることによって、
家族や職場、地域も変わり、
やがて、世界も、
幸福に変えていくことになります。

その根本(こんぽん)が、
『南無妙法蓮華経を、となえる』
ということなんです。


だから、
自分のためにも、人のためにも、
創価学会で、まじめに、
南無妙法蓮華経を、となえている人ほど、
偉大(いだい)で、
大切な人は、いないと言うことができます!

なぜなら、世界を、
現実に幸せに変えているのだから・・・。



今日も、
世界中の創価学会の人たちが、
その場所、その地域で、
南無妙法蓮華経を、となえている!

それは、その場所の、その地域にいる、
その人の心に、
希望と夢と、幸せを、湧(わ)き上がらせ、
瞬間、瞬間、
その場所、その地域、その世界を、
希望と幸せの天地に、
変革(へんかく)している・・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく141

2013-12-13 09:06:22 | 希望
だいぶ前だけれど、インターネットを見ていて、
年収300万くらいの、
「下流化(かりゅうか)」が、進んでいるという記事を、
読んだことがありました。

その当時のことなので、
今は何というのか、わかりませんが、
インターネットに、のっていたので、
参考(さんこう)までに、この質問を、読んで、
あてはまる項目(こうもく)に、チェックを
入れてみるのも、いいかもしれない・・。

□年収が年齢の10倍未満だ
□その日その日を気楽に生きたいと思う
□自分らしく生きるのがよいと思う
□好きなことだけして生きたい
□面倒(めんど)くさがり、だらしない、出不精(でぶしょう)
□一人でいるのが好きだ
□地味(じみ)で目立たない性格だ
□ファッションは自分流である
□食べることが面倒くさいと思うことがある
□お菓子やファーストフードをよく食べる
□一日中家でテレビゲームやインターネットをして過ごすことがよくある
□未婚である(男性で33歳以上、女性で30歳以上の方)
(『下流社会』(三浦展/光文社新書)より抜粋)

上記のリスト内で
半分以上当てはまる項目があった人は、
かなりの「下流社会」にいる、
人間なんだそうです・・・。

下流社会とはマーケティング・アナリストである、
三浦展氏の造語(ぞうご)だそうです。

『下流社会』という本によれば、
下流とは、単に所得(しょとく)が低いということではなく、
コミュニケーション能力、生活能力、
働く意欲(いよく)、学ぶ意欲、消費意欲、
つまり総じて人生への意欲が低い人々のことを指(さ)し、
現在の30代前半を中心とする若い世代に、
多く見られる傾向なんだそうです。

『下流社会』という本によれば、
若者のニート化やフリーター化が進み、
今後は、中流が、上流と下流に分かれ、
さらなる社会的格差(かくさ)が、生まれてくるだろうと、
予想されているそうです。


ぼくが、思うに、
「下流社会」というのは、
今に始まったことではなく、
昔から、ある大きな問題であると思う。
けれど、コミュニケーション能力、
生活能力、働く意欲、
学ぶ意欲、消費意欲、
総(そう)じて人生への意欲が低くなっている!
というのは、
確かに、現代的な問題だと思う。

もっとも、創価学会は、
昔は下流社会という言葉は、なかったけれど、
最も、底辺(ていへん)にいるような、
人々に見捨てられたような人々を、
ことごとく、蘇生(そせい)させてきた。

創価学会は、昔は、
貧乏人(びんぼうにん)と病人の集まりだ!と、
言われていたわけだし、
その貧乏人と病人と言われた
どん底のような境遇(きょうぐう)の人たちが、
どうなったか?といえば、
裕福(ゆうふく)になり、健康になり、
イキイキと、希望を持って、
幸せに生きている。


これが、創価学会の、やってきたことです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

下流社会とは関係ないけれど、
創価学会の中では、
さまざまな人々の蘇生(そせい)のドラマ、
体験の話しを聞く。

まえに、創価学会の会合で、
聞いたんですが、
ある若い女性が、自分の体験を、
話してくれて、
その女性は、中学1年のときに、
「はしか」に、かかり、
その影響で、大変な難病(なんびょう)にかかり、
まっすく、歩くこともできず、
目も、よく見えなくなってしまったそうです。

病院でも、治療(ちりょう)しようがなく、見放(みはな)され、
創価学会員である母に、
「もう、あなたには、
 創価学会の信心しか、ないのよ!」
と、言われたそうです。

それ以来、つらかったけれど、
母と一緒に、ご本尊(ほんぞん)に、
必死で、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえつづけたそうです。

※ちなみに、ご本尊(ほんぞん)とは、
創価学会が信じ祈っている、
祈る対象(たいしょう)の本尊で
仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、
自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、
その自分自身の生命に、
必ず、幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、
そなわっていることを、あらわしたものが、
ご本尊(ほんぞん)です。


その、ご本尊(ほんぞん)に、
必死で、南無妙法蓮華経を、
となえつづけた結果、
彼女は、
医者も見放した病気を、みごとに克服(こくふく)し、
創価大学を、卒業し、
創価学会の本部で、働いているとのことでした。

その会合では、もう一人、
男性の方が、自分の体験を、
話してくれたんですが、
彼の子供が、小さいころから、
自閉症(じへいしょう)で、医者からも、
一生、治(なお)らないと言われたそうです。

もう、そのショックと絶望(ぜつぼう)は、
はかりしれなかったそうですが、
夫婦で、真剣に、
創価学会の信仰と活動に、はげみ、
東京大学に、
自閉症などの病気の権威(けんい)の人がいて、
その先生に診(み)てもらうのに、
1年、かかったそうですが、
とうとう、その自閉症の子供を、
見てもらうことが、できたそうです。

その東京大学の自閉症の権威の先生に
みてもらった結果・・・、
その自閉症だった子供は、
もう、自閉症は、完全に治(なお)っている!
と、診断されたそうです。
親であるその男性は、大喜びし、
「創価学会の信仰は、最高だ!!!」
と、話していました。


創価学会の人たちの体験は、
その人の数だけあり、
上に、あげたのは、
わずかな例(れい)かもしれません。

けれど・・、
『これが、創価学会の信仰です。』
これが、ご本尊に、
『南無妙法蓮華経を、となえつづけた』結果です。

そして、このようなことが、
どんな人間にも起こるのが、
南無妙法蓮華経を、となえる、
創価学会(そうかがっかい)の信仰なんです。

だから、貧乏人と病人の集まりだと、
いわれた創価学会は、
現在では、192ヶ国にひろがり、
世界中の人たちに、幸せと希望を、
もたらしている。


これは、過去においても、現代においても、
そうです・・・!

どういうことかというと、
下流社会に、なぞらえて、
当(あ)てはめて、話すならば、
たとえば、
コミュニケーション能力、
生活能力、働く意欲、
学ぶ意欲、消費意欲など、
さまざまな人生への意欲が、
なくなってしまったような人たちを、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰によって、
ことごとく、みごとに、
蘇生(そせい)させ、
元気で、希望あふれる、
幸せに満(み)ちた人間に、変えてきた!!
と、いうことです。

そして、ひとりひとり違(ちが)う、
さまざまな悩みを解決し、
夢や希望をかなえさせ、
人生を勝利させてきた!
ということてす。


こんなスゴイことができるのは、
創価学会だけです。
また、これからも、そうでしょう。


だから、社会的問題や、政治的問題は、
いろいろ、あると思いますが、
『下流社会』のように、
かりに、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、
総じて人生への意欲が
低くなってしまった人々であったとしても、
本当に、確実に、蘇生(そせい)させ、
希望あふれる人間に変えていけるのが、
創価学会だと、
断言(だんげん)できると、思います。

また、べつに、
下流社会とは、関係なく、
だれでも、悩みがあるし、苦しみがある。
だれでも、夢や希望を持っている。

その、さまざまな悩み、病気や苦しみ、
人生における、
壁(かべ)や困難を乗り越(こ)えて、
自分の夢や希望をかなえて、
必ず、幸せと勝利を、
勝ち取っていけるのが、
創価学会の、南無妙法蓮華経を、となえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。


ここに、創価学会のスゴサがあり、
また、創価学会でしか、できないでしょう・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく137

2013-10-29 08:57:30 | 希望
日蓮大聖人の御書(ごしょ)に、
(御書とは、日蓮大聖人が書かれた、
 手紙や論文を、すべて集めたものです)

『一念(いちねん)に億劫(おくごう)の
 辛労(しんろう)を尽(つ)くせば、
 本来、無作(むさ)の三身(さんじん)、
 念念(ねんねん)に起こるなり』

とあります。

無作(むさ)とは、
「つくろわず、はたらかさず、ありのまま」
という意味で、
三身(さんじん)とは、
仏(ほとけ)の生命と肉体と知恵の三つが、
すべて、備(そな)わっているという意味です。

だから、
『一念に億劫(おくごう)の
 辛労(しんろう)を尽(つ)くせば、
 本来、無作(むさ)の三身、
 念念に起こるなり』
とは、
一念(いちねん)、自分の心に、
億劫(おくごう)という、
ものすごい量の努力と集中力と情熱を、
かたむければ、
ほんらい、つくろわず、はたらかさず、
ありのままの、仏(ほとけ)のような、
偉大(いだい)で、スゴイ知恵や、何かを成し遂(と)げる、
強力な意思と行動力が、
無限に、湧(わ)き上がってくる!
という意味だと、思う・・。


まえに、陸上の世界選手権の
男子400mハードルで、
日本人初の銅メダルを獲得(かっとく)した、
為末大(ためすえ だい)が、
テレビで、話していたのを、
聞いたことがありました。

為末大は、
どうしたら、ハードルが早くなるか、
ひたすら、考えつづけたそうです。
ともかく、世界でトップになりたくて、
さまざまな工夫(くふう)をして、
それで、とうとう、
銅メダルを、とった!

それで、為末大は、
昔は、バカだ!バカだ!と言われていたのに、
今は、頭が、いい!!と、
言われるようになったと言っていました。

これなんか、
ある意味、
日蓮大聖人の言う、
『一念に億劫(おくごう)の
 辛労(しんろう)を尽くせば、
 本来、無作(むさ)の三身、
 念念に起こるなり』
に、似ているのではないか??
と、思いました。

バカだバカだと言われても、
ひたすら、ハードルが、早くなることを、
考えつづける。
これは、
『一念に億劫(おくごう)の
 辛労(しんろう)を尽くす』ことに、
相当(そうとう)し、
その結果として、
ハードルが早くなるための、
さまざまなアイデアや知恵が浮(う)かび、
世界で銅メダルを、とることができたのは、
『本来、無作(むさ)の三身、
 念念に起こるなり』
に、当たると思います。

すなわち、本気で考え悩み、
本気で、何かを求めていけば、
本来、その人に備(そな)わっている、
無限の知恵が、自然のうちに、
わきあがり、発揮(はっき)できる!
ということでは、ないだろうか?


確かに、それはわかる。

けれど、ここまでだと、
この理論は、たんなる理屈(りくつ)でしかなく、
なにか特別なものを求める、
アスリートのような人でないと、
なかなか、実現できないと思う。


人は、そんなこと、聞きたいとは思わない。


どんな人でも、すべての人が、
その無限の知恵、無限の行動力、
無限の希望を、引き出すことが、
できなかったら、
それは、希望とはならないし、
絵に描いた餅(もち)と同じで、
なんの意味もない!

過去のさまざまな思想や宗教が、
すたれていったのは、
そのためだと思う。

それらは、『絵に描(か)いた餅』であり、
現実の希望にはならなかった。

生身(なまみ)の人間から、
現実に、無限の知恵と行動力、
無限の希望を引き出すことができるのか?
と問いただした時、
過去のさまざまな宗教や思想では、
理論(りろん)や理屈では、説いたとしても、
それを、現実の人間に置(お)き換(か)えた場合、
ほとんど無理(むり)であったり、
単なる机上(きじょう)の空論(くうろん)にしかならないことが、
ほとんどだと思う。

だから、それらの宗教は、
どんどん、人間から離(はな)れていき、
単(たん)なる、おすがり信仰になるしかなかった。

それが、
過去の宗教や思想の限界(げんかい)と、
言えるかも、しれない。


その、限界を打ち破(やぶ)り、
すべての人に、無限の知恵、
無限の行動力、無限の希望を、
引き出せるようにしたのが、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)であり、
その真実の仏法(ぶっぽう)が、
創価学会が、実践している、
『南無妙法蓮華経の仏法』です!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

創価学会の人たちは、
ご本尊(ほんぞん)に南無妙法蓮華経を、となえるとき、
自分のいちばん、願っていること、
自分の、いちばん、叶(かな)えたいこと、
悩み、夢、希望を、
ありのままに、全力で、
ご本尊に、ぶつけていきます。

それは、そのまま、
『一念に億劫(おくごう)の
 辛労(しんろう)を尽くす』
ことに、つながっていき、
南無妙法蓮華経を、となえていると、
実際、仏(ほとけ)のような強力な命、
仏のような偉大な心、知恵、勇気が、
なぜだか、不思議だけれど、
ドクン、ドクンと、湧(わ)き上がってきて、
まさしく、
『本来、無作(むさ)の三身、
 念念に起こるなり』
というような現象(げんしょう)が、
実際に起こってきます。

南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)には、
生命に内在(ないざい)する、
無限の知恵や勇気、希望、
無限のエネルギーを、引き出す力がある!
ということです。

だから、
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
悩みが解決したり、夢や希望が、かなったりして、
現実に、幸せになっていけます。


なぜ、そうなるのか?というと、
すべての人間の中には、
仏(ほとけ)のように強力な知恵と勇気と行動力、
幸せを、つかむ、すべてのエネルギーが、
もともと、自分の中に、
そなわっているからです。

けれど、普通は、
その仏(ほとけ)のような強力なエネルギーは、
自分の中から、出てきません。

何にもしなくても、
その仏のようなエネルギーが出てくるのだったら、
人は、もっと幸せになるし、
悩んだり、苦しんだりしません。

その、普通は出てこない、
仏のようなスゴイ!エネルギーが、
『南無妙法蓮華経を、となえる』ことによって、
現実に、実際(じっさい)に、引き出され、
そして、
『一念に億劫(おくごう)の
 辛労(しんろう)を尽くす』という結果を生み、
その結果、
さまざまな願いや夢が、かなっていく。

そう言えると、思います。


あえて、
世間一般的に、当(あ)てはめたとしても、
これは、ごく一部のアスリートのような、
成功者でなければ、普通は、できないことです。

それを、どんな人でも、
あらゆる人間にできるようにしたのが、
南無妙法蓮華経の仏法だと言えます。

また、
ご本尊(ほんぞん)に、南無妙法蓮華経を、となえるという
行動によって起こる成功は、
世間一般的に考えられている成功とは、
はるかに違う、次元(じげん)の高い、
勝利と幸せと、充実感(じゅうじつかん)を、
その人に、味(あじ)あわせてくれます。

それは、
南無妙法蓮華経を、となえることによって、
その人が本来、持っている才能とか使命が、
大きく開花していくと、いうことです。
富(とみ)や名声とか、
表面的、物質的な、次元(じげん)ではなくて、
人間として、最高の歓喜(かんき)と喜びをともなった、
本当の自分が目を覚(さ)まし、
世界に躍(おど)り出ていくような、
感激(かんげき)と満足感だと思います。

それが、
南無妙法蓮華経を、となえる!
ということだと思う。


こんなスゴイことは、
ほかでは、絶対にありません。
南無妙法蓮華経を、となえることでしか、
不可能でしょう。


それが、
世界192ヶ国の人たちが、
実践(じっせん)し、その素晴らしさを実感している、
創価学会の、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)であり、
『一念に億劫(おくごう)の
 辛労(しんろう)を尽くせば、
 本来、無作(むさ)の三身、
 念念に起こるなり』
という、仏法の真髄(しんずい)に、つながる、
南無妙法蓮華経の信仰だと思う・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・