タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく137

2013-10-29 08:57:30 | 希望
日蓮大聖人の御書(ごしょ)に、
(御書とは、日蓮大聖人が書かれた、
 手紙や論文を、すべて集めたものです)

『一念(いちねん)に億劫(おくごう)の
 辛労(しんろう)を尽(つ)くせば、
 本来、無作(むさ)の三身(さんじん)、
 念念(ねんねん)に起こるなり』

とあります。

無作(むさ)とは、
「つくろわず、はたらかさず、ありのまま」
という意味で、
三身(さんじん)とは、
仏(ほとけ)の生命と肉体と知恵の三つが、
すべて、備(そな)わっているという意味です。

だから、
『一念に億劫(おくごう)の
 辛労(しんろう)を尽(つ)くせば、
 本来、無作(むさ)の三身、
 念念に起こるなり』
とは、
一念(いちねん)、自分の心に、
億劫(おくごう)という、
ものすごい量の努力と集中力と情熱を、
かたむければ、
ほんらい、つくろわず、はたらかさず、
ありのままの、仏(ほとけ)のような、
偉大(いだい)で、スゴイ知恵や、何かを成し遂(と)げる、
強力な意思と行動力が、
無限に、湧(わ)き上がってくる!
という意味だと、思う・・。


まえに、陸上の世界選手権の
男子400mハードルで、
日本人初の銅メダルを獲得(かっとく)した、
為末大(ためすえ だい)が、
テレビで、話していたのを、
聞いたことがありました。

為末大は、
どうしたら、ハードルが早くなるか、
ひたすら、考えつづけたそうです。
ともかく、世界でトップになりたくて、
さまざまな工夫(くふう)をして、
それで、とうとう、
銅メダルを、とった!

それで、為末大は、
昔は、バカだ!バカだ!と言われていたのに、
今は、頭が、いい!!と、
言われるようになったと言っていました。

これなんか、
ある意味、
日蓮大聖人の言う、
『一念に億劫(おくごう)の
 辛労(しんろう)を尽くせば、
 本来、無作(むさ)の三身、
 念念に起こるなり』
に、似ているのではないか??
と、思いました。

バカだバカだと言われても、
ひたすら、ハードルが、早くなることを、
考えつづける。
これは、
『一念に億劫(おくごう)の
 辛労(しんろう)を尽くす』ことに、
相当(そうとう)し、
その結果として、
ハードルが早くなるための、
さまざまなアイデアや知恵が浮(う)かび、
世界で銅メダルを、とることができたのは、
『本来、無作(むさ)の三身、
 念念に起こるなり』
に、当たると思います。

すなわち、本気で考え悩み、
本気で、何かを求めていけば、
本来、その人に備(そな)わっている、
無限の知恵が、自然のうちに、
わきあがり、発揮(はっき)できる!
ということでは、ないだろうか?


確かに、それはわかる。

けれど、ここまでだと、
この理論は、たんなる理屈(りくつ)でしかなく、
なにか特別なものを求める、
アスリートのような人でないと、
なかなか、実現できないと思う。


人は、そんなこと、聞きたいとは思わない。


どんな人でも、すべての人が、
その無限の知恵、無限の行動力、
無限の希望を、引き出すことが、
できなかったら、
それは、希望とはならないし、
絵に描いた餅(もち)と同じで、
なんの意味もない!

過去のさまざまな思想や宗教が、
すたれていったのは、
そのためだと思う。

それらは、『絵に描(か)いた餅』であり、
現実の希望にはならなかった。

生身(なまみ)の人間から、
現実に、無限の知恵と行動力、
無限の希望を引き出すことができるのか?
と問いただした時、
過去のさまざまな宗教や思想では、
理論(りろん)や理屈では、説いたとしても、
それを、現実の人間に置(お)き換(か)えた場合、
ほとんど無理(むり)であったり、
単なる机上(きじょう)の空論(くうろん)にしかならないことが、
ほとんどだと思う。

だから、それらの宗教は、
どんどん、人間から離(はな)れていき、
単(たん)なる、おすがり信仰になるしかなかった。

それが、
過去の宗教や思想の限界(げんかい)と、
言えるかも、しれない。


その、限界を打ち破(やぶ)り、
すべての人に、無限の知恵、
無限の行動力、無限の希望を、
引き出せるようにしたのが、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)であり、
その真実の仏法(ぶっぽう)が、
創価学会が、実践している、
『南無妙法蓮華経の仏法』です!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

創価学会の人たちは、
ご本尊(ほんぞん)に南無妙法蓮華経を、となえるとき、
自分のいちばん、願っていること、
自分の、いちばん、叶(かな)えたいこと、
悩み、夢、希望を、
ありのままに、全力で、
ご本尊に、ぶつけていきます。

それは、そのまま、
『一念に億劫(おくごう)の
 辛労(しんろう)を尽くす』
ことに、つながっていき、
南無妙法蓮華経を、となえていると、
実際、仏(ほとけ)のような強力な命、
仏のような偉大な心、知恵、勇気が、
なぜだか、不思議だけれど、
ドクン、ドクンと、湧(わ)き上がってきて、
まさしく、
『本来、無作(むさ)の三身、
 念念に起こるなり』
というような現象(げんしょう)が、
実際に起こってきます。

南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)には、
生命に内在(ないざい)する、
無限の知恵や勇気、希望、
無限のエネルギーを、引き出す力がある!
ということです。

だから、
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
悩みが解決したり、夢や希望が、かなったりして、
現実に、幸せになっていけます。


なぜ、そうなるのか?というと、
すべての人間の中には、
仏(ほとけ)のように強力な知恵と勇気と行動力、
幸せを、つかむ、すべてのエネルギーが、
もともと、自分の中に、
そなわっているからです。

けれど、普通は、
その仏(ほとけ)のような強力なエネルギーは、
自分の中から、出てきません。

何にもしなくても、
その仏のようなエネルギーが出てくるのだったら、
人は、もっと幸せになるし、
悩んだり、苦しんだりしません。

その、普通は出てこない、
仏のようなスゴイ!エネルギーが、
『南無妙法蓮華経を、となえる』ことによって、
現実に、実際(じっさい)に、引き出され、
そして、
『一念に億劫(おくごう)の
 辛労(しんろう)を尽くす』という結果を生み、
その結果、
さまざまな願いや夢が、かなっていく。

そう言えると、思います。


あえて、
世間一般的に、当(あ)てはめたとしても、
これは、ごく一部のアスリートのような、
成功者でなければ、普通は、できないことです。

それを、どんな人でも、
あらゆる人間にできるようにしたのが、
南無妙法蓮華経の仏法だと言えます。

また、
ご本尊(ほんぞん)に、南無妙法蓮華経を、となえるという
行動によって起こる成功は、
世間一般的に考えられている成功とは、
はるかに違う、次元(じげん)の高い、
勝利と幸せと、充実感(じゅうじつかん)を、
その人に、味(あじ)あわせてくれます。

それは、
南無妙法蓮華経を、となえることによって、
その人が本来、持っている才能とか使命が、
大きく開花していくと、いうことです。
富(とみ)や名声とか、
表面的、物質的な、次元(じげん)ではなくて、
人間として、最高の歓喜(かんき)と喜びをともなった、
本当の自分が目を覚(さ)まし、
世界に躍(おど)り出ていくような、
感激(かんげき)と満足感だと思います。

それが、
南無妙法蓮華経を、となえる!
ということだと思う。


こんなスゴイことは、
ほかでは、絶対にありません。
南無妙法蓮華経を、となえることでしか、
不可能でしょう。


それが、
世界192ヶ国の人たちが、
実践(じっせん)し、その素晴らしさを実感している、
創価学会の、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)であり、
『一念に億劫(おくごう)の
 辛労(しんろう)を尽くせば、
 本来、無作(むさ)の三身、
 念念に起こるなり』
という、仏法の真髄(しんずい)に、つながる、
南無妙法蓮華経の信仰だと思う・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく136

2013-10-20 14:28:14 | エッセイ
だいぶ前の話しだけれど、
毎月、行われている、
創価学会の本部幹部会の録画放送を見に、
外部の友達を、
創価学会の会館に、連れて行ったことが、
ありました。

その当時、
創価学会を、落とし入れようとする、
デマと中傷(ちゅうしょう)が横行(おうこう)していたため、
その本部幹部会でも、
創価学会の幹部の人たちが、
創価学会を、落とし入れようとした悪人を、
あるいは、創価学会のデマ・中傷ばかり流す、
マスコミを、徹底的に、追求(ついきゅう)し、
糾弾(きゅうだん)していった。

その、創価学会の幹部が、
創価学会の中傷ばかり流す、
マスコミと悪人を糾弾(きゅうだん)する姿を見て、
外部の友達が、
「なにも、あそこまで、言わなくても・・」
「自分を正当化するために、
 人を、非難中傷(ひなんちゅうしょう)するのは、
 おかしいのではないか?」

と、言っていた。

その友達が、言うことは、
本当は、明らかに、おかどちがいの、
間違った見方(みかた)、
あるいは、誤解(ごかい)なのだけれど、
外部の人には、それが、
わからないことが、多いようだ。

だいたい、何の根拠(こんきょ)もなく、
非難中傷されたのは、
創価学会の方であり、
私利私欲のために、創価学会を利用し、
落とし入れようとした悪人に対しては、
徹底的(てっていてき)に、その悪を、
追求していくのが、
当然(とうぜん)なことです。

ところが、
ピントが、ズレている人には、
それが、わからない。
悪を悪だと、訴(うった)えることを、
人を、あんなに非難するなんて、
みっともない。
と、言う。

とんでもない!!!

だいたい、悪人だからって、つべこべ、言わず、
みっともないから、黙(だま)っていればいいんだ!
と、いうのだったら、
世の中は、悪人が、大喜びする、
悪人が、望むとおりの、悪人天国になってしまう。

実際、悪人というものは、そういうものです。
善人が、みっともないからと、だまっていたら、
悪人というものは、際限(さいげん)なく、
悪事の限(かぎ)りを、つくしていく。
名も無い庶民や善人から、
しぼるだけ、しぼりとって、
したい放題(ほうだい)の悪事を、つくしていく。

それが、悪人です。

だから、悪人が、望むこと・・
それは、
善人が、黙(だま)っていてくれることです。
みっともないから!といって、
善人が、いい人ぶって、黙っていたら、
悪人は、いい気になって、
今以上に、悪の限りを、つくします。
そうなると、善人、あるいは、一般の庶民は、
どんどん、苦しみ、
損(そん)をするということです。

これが、いままで、
特に、日本を形成(けいせい)してきた、
悪の仕組みであり、
善人が、損(そん)をする、
不幸の仕組みだと、思います。


要(よう)するに、
善人が、だまること、
善人が、黙認(もくにん)し、
おしとやかでいること。
これが、悪を作る、
最大の原因です。
だから、本当は、
悪を訴(うった)えず、だまることは、
悪を助け、
悪の見方になることです。

それは、実際、
自分を悪に導(みちび)き、
すなわち、不幸という結果を、
自分自身に、もたらすことに、
多々、なります。

創価学会は、いわば、
清浄(せいじょう)な、
平和と幸せの安全地帯だと、言えます。
だから、そこから、利益(りえき)を得ようと、くわだてる、
悪人も、たくさん、います。
創価学会が、清浄であればあるほど、
絶対に、悪に利用されたり、
悪に、食い破(やぶ)られてはいけない!

だから、創価学会は、
絶対に、悪に対する追撃(ついげき)を、
やめないんです。
「みっともない・・?」
創価学会は、そんな問題より、
はるかに高い次元(じげん)で、戦っています。
堂々と、悪を見下ろして、
しかも、徹底的に、悪を、追求します。
だから、悪人は、創価学会を、恐(おそ)れる!

だまっていたほうが、利口(りこう)に見えるなどというのは、
二流の考え方です。
沈黙(ちんもく)は、銀。雄弁(ゆうべん)は金!です。
世界でも、一流の人は、
決して、だまってはいません!
叫(さけ)んで叫んで、叫びぬく!
それが、一流の人間の生き方です。

なぜならば、
悪を悪だと、叫(さけ)びぬくこと!
悪がなくなるまで、その罪を、訴え続けること、
これ以外、世界から、
悪を、なくし、善人が、得(とく)をし、
善人が、幸せになれる世界を、つくる方法は、
まず、絶対に、ないからです。


ドイツ人が、
ナチスの人たちを、
徹底的に、地の果(は)てまでも、
追い続け、その罪を、追求しつづけたのは、
そのためです。

これは、人間としての、
正しい行為(こうい)です。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

たんなる自己を守るための、
非難中傷と、悪を悪と、叫びぬくことは、
本当は、根底から、違(ちが)います。
たんなる非難中傷は、結局、
自分自身を、傷(きず)つけることになりますが、
悪を悪だと、叫びぬくことは、
自分自身を、善(ぜん)へと、導(みちび)き、
自分自身の中から、悪を追放し、
自分自身を、あるいは人生を、
幸せにしていきます。
また、実際、そうなります。

だから、創価学会は、
これからも、悪を悪だと叫びぬくことを、
やめないでしょう。
かりに、はたからみたら、
みっともないように見えたとしても、
それ以外、正義を栄(さか)えさせ、
善人が幸せになる世界を、
つくる方法は、ないからです。

また、実際
創価学会が、歴史上、
戦時下の中でさえ、
一歩も引かず、その戦争の悪を
糾弾(きゅうだん)しつづけた。
その結果、創価学会初代会長は、
牢獄(ろうごく)で、獄死し、
二代会長も、投獄されながらも、
決して、悪(あ)しき軍国主義に、
迎合(げいごう)することは、なかった。

この、悪を悪だと、
徹底的に叫びぬいた事実があるから、
創価学会は、世界中から、
大きな信頼(しんらい)を受け、最大の期待と尊敬を、
寄(よ)せられています。

それが、世界の良識ある人たちの見方です。
それが、正しき見識を持った人間の、
創価学会に対する評価(ひょうか)です。

その創価学会に対する、
最大の敬意と賛嘆(さんたん)が、
創価学会インターナショナル会長である、
池田大作先生への、
さまざまな大学からの、
名誉学位(名誉博士や名誉教授)や、
さまざまな都市からの、
名誉市民の称号(しょうごう)として、
あらわれているんです。


それは、人間として、
どれだけ、正しい行動をしてきたか、
創価学会が、どれだけ、
正義を、平和を、守る団体であるかを、
如実(にょじつ)に、
あらわしていると思う・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく135

2013-10-12 14:08:38 | 幸せ
以前、
格闘系(かくとうけい)のスポーツの、
大きなイベントを見ていたら、
アナウンサーが、
「歴史が、動いた!」と、
大きなことを、口にしていた・・。

イベントを盛(も)り上げるためには、
たしかに、確固(かっこ)とした、
大げさくらいな言葉が、必要なんだと思う。
また、ひとつのスポーツの中では、
確かに、歴史が動いたかもしれませんが、
けれど、実際(じっさい)は、
あんまり、歴史は、動いていないとも、
思いました・・・。


本当に、歴史が動くのは、
ほんとうは・・・、
名も無い一人の不幸なる人間が、
幸せになった時だと思う。

一人の人間の不幸を、
根本(こんぽん)から解決し、
根本から、幸せに変えていく。
それが、できたとき、
歴史は、根底(こんてい)から動く!

そう、思った・・・。


創価学会インターナショナル会長の、
池田先生が、

「一人における偉大(いだい)なる人間革命は、
 やがて、
一国の宿命(しゅくめい)の転換(てんかん)も可能にし、
 全世界の宿命の転換をも、可能にしていく。」

と、言っています。

歴史は、一部の英雄(えいゆう)や、
著名人のものなのだろうか?
「違(ちが)う!」
歴史は、一人一人の民衆のものだ!
すなわち、
名も無い一人一人の民衆の不幸、悩み、苦しみ、
それらを解決し、
根本から幸せにできなかったら、
ほんとうの意味での歴史は、動かない!


その、
本当の意味での歴史を、
動かしてきたのが、
創価学会(そうかがっかい)です!


創価学会は、昔、
病人と貧乏人(びんぼうにん)の集まりだと言って、
バカにされた。
実際、そうだったようです。

けれど、創価学会二代会長の、
戸田城聖先生は、叫(さけ)びました。

「貧乏人と病人を、救(すく)うのが、
 宗教の役目では、ないか!
 創価学会は、宗教界の王者である!」

その通り、病人と貧乏人ばかりだった、
創価学会の人たちは、
創価学会の、南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)と、
仏法を基調(きちょう)にした活動によって、
ことごとく、貧乏人は、裕福(ゆうふく)になり、
病人は、病気を克服(こくふく)して、健康になり、
勝利と幸せの姿となって、
この南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の正しさを、
証明している。

本当に、歴史が動くとは、
こういうことだと思う。
一人の人間を救う!
一人の人間の悩み、苦しみ、不幸を、解決し、
その人の希望、願いを実現させ、
心の底から、幸せにしていく。

それを、現実の世界で、
やってきたのが、創価学会です。
また、それは、
創価学会でなかったら、できなかったでしょう。

すなわち、創価学会は、
人間が持っている本源的(ほんげんてき)な不幸を打ち破り、
宿命的ともいえる不幸を乗り越(こ)えて、
一人一人を、幸せにしてきた!

これは、人類史上、
だれも、なしえなかった偉業(いぎょう)です。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

一人の人間の不幸を解決し、
一人の人間を、幸せにしていくということは、
その一人を、とりまく人々、
環境(かんきょう)、世界をも、変えていくことにつながり、
やがて、地域、社会、世界を変えていく。
それが、仏法の(宇宙の)、
あるいは、生命における、法則(ほうそく)です。

実際、日本においていも、
戦後、創価学会の発展とともに、
日本も、発展してきたと、言われています。
また、慢心(まんしん)になった日本が、
創価学会を非難・中傷(ひなん・ちゅうしょう)すればするほど、
日本は、不況(ふきょう)におちいったとも、
言われています。

仏法(ぶっぽう)というのは、
生命における、あるいは宇宙における、
法則なので、
その仏法の正しき法則にもとづいて、
活動している創価学会を、非難すれは、
それは、宇宙の法則、生命の法則に
背(そむ)くことになり、
そうなれば、その世の中は、
暗(くら)く、希望のない世の中になっていく。

それが、道理(どうり)だと言えます。

逆に、宇宙の法則であり、生命の法則である、
南無妙法蓮華経の仏法を、
正しく、実践(じっせん)していった時、
大きな希望と幸せが、もたらされるのも、
事実(じじつ)です。


だから、
創価学会は、世界に発展し続けている!

それは、
創価学会が実践する、『仏法(ぶっぽう)』が、
宇宙の法則にもとづき、
生命の法則に、もとづき、
本当に正しく、
本当に一人の人間を幸せにし、
悩みや苦悩を解決し、
夢や希望を実現する、
強力な大きな力(ちから)となってきたからです。

すなわち、
一人一人の不幸を幸せに変え、
本当の意味で、『歴史を動かしてきた!』
からです。

それが、創価学会の、
『南無妙法蓮華経を、となえる』
ことを、根本とした、
仏法の活動です。


今日も、世界の、あらゆる場所で、
ひとりの人間が、
南無妙法蓮華経を、となえることによって、
静かに、確実に、
歴史が、動いている・・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく134

2013-10-02 09:08:33 | 平和

「深い川は、静かに流れる」

という、言葉が、あります。
本当に思慮(しりょ)深い人は、
むやみに、騒(さわ)ぎ立てず、
悠然(ゆうぜん)と、行動することの、
たとえだそうです。

いい言葉だと、思う。


「深い川は、静かに流れる」


創価学会(そうかがっかい)は、深い川だと思う。
創価学会の活動、平和活動は、
最も、深いところ、
底辺(ていへん)から、始まっている。
すなわち、最も、苦しんでいる人、
最も、悩んでいる人、
最も、辛酸(しんさん)をなめてきたような、
最も、目立たない、底辺の庶民から、
始まっている。

けれど、それが、本当の宗教だと思う。
よく、金持ちばかりの宗教、
有名人ばかりの宗教がある。
けれど、そんなものは、
真実の宗教であるはずがない。

真実の宗教とは、
最も、苦しんでいる人、
最も、悩んでいる人、
最も、辛(つら)い思いをし、悲しんだ人を、
まず、第一に救い、幸せにする義務(ぎむ)があり、
また、最も、苦しんでいる人を、
幸せにできなかったら、
本当の力(ちから)ある宗教とは、
いえない!からです。

だから、創価学会は、「深い川」です。
最も、苦しんでいる人から、救っていく。
最も、悲しんでいる人から、幸せにしていく!
そこには、見た目の派手(はで)さなんか、
まったくなく、本当に目に見えないような、
「静かな流れ」かも、しれない。


昔、創価学会のことを、
世間は、
「貧乏人(びんぼうにん)と病人の、集まりだ!」
といって、バカにした。

創価学会二代会長の戸田城聖先生は、言った。

「貧乏人と病人を、救うのが、
 宗教の役目では、ないか!
 創価学会は、宗教界の王者である!!」

そのとうりだ!
最も、不幸な人、
最も、絶望(ぜつぼう)している人を、幸せにできないで、
何が、宗教だ!
そして、創価学会は、
その貧乏人と、病人たちを、
ことごとく、蘇生(そせい)させ、
幸せにしてきた!

今では、創価学会の信仰を、
貫(つらぬ)き通してきた
人たちの境涯(きょうがい)は、
人も、うらやむような、
素晴らしい境遇(きょうぐう)になっている。

こんどは、その裕福(ゆうふく)になった姿を見て、
三流雑誌は、嫉妬(しっと)して、
創価学会の悪口を、書き立てる。

そんなに、うらやましいなら、
自分で、創価学会の仏法(ぶっぽう)の信仰を、
やってみればいい。
自分で、ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経を、となえればいい!
そうすれば、嫉妬(しっと)は消え、
自分の生命が、歓喜の心に、
包(つつ)まれることを、知るだろう。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

創価学会の静かなる流れは、
もっとも、深いところから、
流れているから、目立たなくても、
決して、崩(くず)れない!
その幸せと喜びが、深いがゆえに、
必ず、世界に根付(ねづ)き、
広がっていく。

今では、
創価学会の、幸せと歓喜の平和活動が、
世界に大きく認(みと)められ、
ますます、世界に浸透(しんとう)している。
世界中の有識者が、創価学会を、
賛嘆し、最大の期待を、抱(いだ)いている。


そして、創価学会の「深い川」の流れは、
世界192ヶ国にまで、広がり、
静かに、おおらかに、
真実と幸福の流れを、続けている・・・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・