タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく89

2012-07-27 09:17:36 | 幸せ
以前、テレビを見ていたら、
最近は、
積極的(せっきょくてき)に涙を流す男性が、
増(ふ)えているという話題を、
やっていました。


どういうことかというと、
涙(なみだ)を流すことによって、
日々のストレスを発散(はっさん)させたり、
涙を流すことによって、
心を、高揚(こうよう)させて、
仕事や生活の活力(かつりょく)にしていこう!
と、いうのである。

良い意味での、
「涙を流(なが)す」という行為(こうい)は、
科学的にも、肉体面でも、精神面でも、
良い効果(こうか)を、
もたらすようだ。

それで、一緒(いっしょ)に涙を流そうという
サークルがあって、
(世の中には、いろいろなサークルが、
あるものです・・・。)
涙の出てくる感動的な映画などを、
一緒に見て、
みんなで、涙を流すそうです。


それが、ある種(しゅ)のストレス発散と、
生活の活力になるということで、
けっこう、
盛(も)り上がっているようでした。


それで、思い出したけれど、
前に、
親が創価学会員(そうかがっかいいん)だけれど、
その息子で、
創価学会には、まったく興味(きょうみ)はなく、
創価学会の信仰も、
やっていなかったという人が、いました。

その、
創価学会に興味がなかった息子が、
あるとき、
なにか、悩みがあったのか、
創価学会に入り、
ご本尊(ごほんぞん)を、いただいたそうです。

ご本尊とは、
創価学会が、信じ、
祈(いの)る対象(たいしょう)としている、
文字で描かれた曼荼羅(まんだら)の本尊(ほんぞん)で、
仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、
自分の生命(せいめい)そのものを、あらわしたものでもあり、
その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、
自分自身の中にあることを、
あらわしたものが、
ご本尊(ほんぞん)です。


それで、その息子(むすこ)が、
ご本尊に、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえたら、
別に、悲しいわけでも、
感動しているわけでもないのに、
涙が、ぼろぼろ、流れてきて、
しょうがなかったそうです。


その話しを、息子が、
母親に話したら、

母親に、

「あんた、そうとう、
業(ごう)が、深いのね!」

と、言われたそうです。(笑・・)


こういう話しは、
ときどき、聞くけれど、
なぜ?、感動しているわけでも、
悲しいわけでもないのに、
ご本尊に、南無妙法蓮華経をとなえると、
涙が、出てきたりするのだろうか?


南無妙法蓮華経というのは、
仏法(ぶっぽう)の真髄(しんずい)で、
宇宙の法則(ほうそく)であり、
生命の法則を、あらわしたものです。


宇宙を動かしている力(ちから)、
生命を幸せに変化させていく力が、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)だと、
いうこともできます。


また、その、
宇宙の法則、生命を幸せに変革していく力である、
南無妙法蓮華経を、
具体的(ぐたいてき)な、
目に見える形にあらわしたものが、
『ご本尊』だと、
いうこともできます。


また、南無妙法蓮華経は、
仏(ほとけ)の生命そのものを、
あらわしたものでもあります。

だから、
その南無妙法蓮華経を書き表(あらわ)した、
「ご本尊」は、
仏(ほとけ)の生命(せいめい)そのものだと、
とらえることもでき、
その仏の生命は、

「実(じつ)は、自分自身の中にもある!」

ということを、あらわしたものが、
ご本尊でもあります。


仏法の真髄であり、
宇宙の法則であり、生命の法則である、
『南無妙法蓮華経』・・・。


その南無妙法蓮華経は、
仏の生命そのものでもあります。



実は、その南無妙法蓮華経という
究極(きゅうきょく)の法則であり力、

「仏(ほとけ)の生命とは何か?」

ということを、
伝えるためにあると、
とらえることのできるのが、
釈尊(しゃくそん/しゃか/ブッダ)の、
『法華経(ほけきょう)』なんです。


その法華経の如来壽量品(にょらいじゅりょうほん)の、
第16の最後に、

『毎自作是念(まいじさぜねん)
以何令衆生(いがりょうしゅじょう)
得入無上道(とくにゅうむじょうどう)
速成就佛身(そくじょうじゅうぶっしん)』

と、あります。


法華経(ほけきょう)は、
釈尊の仏法の真髄(しんずい)ですが、
その中でも、
もっとも大事なのが、
『壽量品(じゅりょうほん)第十六』です。

その最後の部分が、今、紹介(しょうかい)した、
『毎自・・・・~・・・佛身』
で終わるご文です。


どういう意味かと、いうと、

『仏(ほとけ)は、いつも、思い願っている!
どうしたら、すべての衆生(民衆)を、 
真実の幸せへと、みちびき、
できるだけ速く、
仏のような最高の幸せ、
人生における最高の勝利を、
つかませることが、できるだろうか!』

と、だいたい、
こんな意味だと思います。


これが、仏(ほとけ)の思いであり、
願(ねが)いなんです!!


前に、戻(もど)りますが、
ご本尊は、
仏の生命そのものだと、言う。

そして、その仏の生命は、
自分自身の中にも、ある!!!

仏法(ぶっぽう)の真髄が、
すべての人間に、
真実の幸せと、最高の勝利を、
つかませたい!という、
幸福への『思い』『願い』そのものであるとしたら、
実は、その願いを、
現実のものとする秘法(ひほう)が、

『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』

だと、言えます。


だから、南無妙法蓮華経は、
すべての人を幸せにしたい!という、
その仏(ほとけ)の思い、願い、そのものを、
現実に生きている人間の生命に伝える、
「強力な電流エネルギー」
と言えるかもしれない!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


なぜ?
悲しくも、なんともないのに、
ご本尊に、
南無妙法蓮華経をとなえた時、
涙を、流したりするのか?


ご本尊は、仏の生命そのものだと、言う。


その仏の生命は、
この人を、本当に幸せにしたい!
なにがなんでも、勝利者にしたい!
という、
「願いそのもの」だ言う。


その、仏(ほとけ)の思い、
仏の願いそのものだという「ご本尊」に、
南無妙法蓮華経を、となえる時、

南無妙法蓮華経は、
『この人を、本当に幸せにしたい!』
『なにがなんでも、勝利者にしたい!』
という、
仏(ほとけ)の思いを伝(つた)える
電流のような働きをして、
同じく、
絶対に、幸せになりたい!
必ず、勝利者になるんだ!という、
自分自身の中にある仏(ほとけ)の生命と、
ビリビリと、感電して、
無意識(むいしき)の内に、
涙を、流すのではないのだろうか?


また、それが、
強くて、あったかくて、やさしくて、
絶対に負けない、
もっとも幸せな、
最強の『仏(ほとけ)の生命』が、
自分の中にも、確実に、
存在(そんざい)していることの
証明(しょうめい)になるのかも、しれない。


だから、
ご本尊は、物語(ものがた)っている!


『すべての人間の中には、
仏(ほとけ)の生命が、ある!

だから、幸せになれない人なんて、
絶対(ぜったい)に、ひとりも、いない!!』


と・・・!


その、ご本尊のメッセージ、
仏(ほとけ)のメッセージが、
ぼくたちの生命に伝(つた)わったとき、
ぼくたちは、
涙を、流すのかもしれない・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく88

2012-07-20 09:34:07 | アニメ
先日、
攻殻機動隊(こうかくきどうたい )というアニメを
見た話しをしたんだけれど、
なかなか、おもしろいアニメでした。


どういう話しかというと、
未来の世界で、
人間の脳(のう)が、
ほとんど電脳化(でんのうか)され、
たとえば、
パソコンやスマートフォンで、
SNS(Social Networking Service )を使って、
連絡をとったり、話したり、
メールやチャットをしたりして、
インターネットで、つながっているように、
脳と脳が、直接(ちょくせつ)、
パソコンやスマホのように繋(つな)がっているという、
世界観(せかいかん)です。


ですから、
口から、声を出すことなく、
自分の脳から相手の脳へ、
直接、話しをしたり、
自分の記憶や映像を、
ネットから、ダウンロードするように、
自分の脳から、相手の脳に、
直接、送ったり、見たりできるという、
脳が、「無限(むげん)のネット」となって、
さまざまな情報を、
共有(きょうゆう)できるという、
設定(せってい)になっています。


その中で、
天才的ハッカーが、
電脳化された人間の脳に、
ウィルスを、送り込み、
そのウィルスに感染(かんせん)すると、
ウィルスに、
セッティングされた異変(いへん)を、きたし、
感染(かんせん)した人間が、
ことごとく、
同一的な、犯罪を起こしてしまう!


そして、その犯罪者を、
攻殻(こうかく)機動隊という、
脳以外は、
ほとんど、アンドロイド化された
秘密警察(ひみつけいさつ)が、
逮捕したり、退治(たいじ)していくという、
だいたい、
そんな話しだと、思います。


この話しだと、
たとえば、コンピューターに、
ウイルスが、送り込(こ)まれ、
感染してしまうと、
そのウイルスの特質(とくしつ)どおりに、
コンピューターは、動き出し、
壊(こわ)れたり、
トラブルを、起こしていく。


すなわち、
同じウイルスに感染(かんせん)したら、
必ず、同じトラブルを、起こす!

と、いうことです。


これは、現代の人間だったら、
わかると、思います。


ところが、
この攻殻機動隊というアニメでは、
人間も、また同じように、
一つの同一のウイルスに感染していまうと、
そのウイルス特有(とくゆう)の、
同一のトラブルを、起こしてしまうと、
いうことになっている。


人間も、パソコンと同じだと、いうのだ。


これも、わかるでしょうか。


すなわち、
人間の巻(ま)き起こす
トラブル、犯罪(はんざい)、異変を、
コンピューター的にとらえ、
同じ種類のトラブル、犯罪、異変は、
同じ、一つのウイルスに、
感染した結果による!

と、表現(ひょうげん)しています。


このアニメは、
犯罪を、
感情の起伏(きふく)ではなく、
コンピューター的に、
プログラミングされた結果だと
とらえているところに、
近未来(きんみらい)を感じ、
そこに、
面白味(おもしろみ)を、感じるのかもしれない。


たぶん、
AI(人工知能)の、
複雑(ふくざつ)きわまりない世界を、
かいま見る思いがするのでしょう・・。


ただし、
それだけではなく、
そうでない「何か?」、
人間的な「何か?」を
加味(かみ)することによって、
魅力的(みりょくてき)なアニメに
なっているんだと思います。



確かに、
AI(人工知能)と聞くと、
複雑きわまりないと思う。


けれど・・、
人間は、
コンピューターを、はるかに超(こ)えて、
複雑きわまりないと、
思う。


脳の解明も、まだ、
ほとんど、解明されていないようにも、
思われる。

しかも、
人間を、『生命(せいめい)』と、
置(お)き換(か)えたなら、
もっと、複雑きわまりなくなり、
未知(みち)の部分が、
あまりにも、多い。


なぜなら、
『生命』と、置き換えると、
『生命』を、一回の一生だけでは、
とうてい、説明できないからです!

生命には、もっともっと、深く、
永遠(えいえん)のような長い時間と空間(くうかん)が、
ともなってくる!

これを、解明することは、
不可能かも、しれない。


この、攻殻機動隊というアニメでは、
電脳化された脳に、
ウイルスを、送り込むことによって、
さまざまな障害(しょうがい)、
トラブル、犯罪、異変が、起こる!と、
ある種、
単純(たんじゅん)ではあるけれど、
とても、わかりやすく、
人間の異変、トラブル、犯罪を、
表現している。


たとえば、病気にしても、
ひとつの同じウイルスに感染したら、
同じような症状(しょうじょう)が起こる。

だから、
一般の人間としても、
それは、よく、わかる。


では、病気ではなく、
『不幸』ということにスポットを当てたならば、
どうだろう。


アニメ攻殻機動隊のように、
別に、電脳化されていない脳であっても、
ある種のウィルスに感染することによって、
さまざまなトラブル、不幸、不運が、
起こると、
断定(だんてい)することは、
できないだろうか?


だとしたら、
その不幸を、もたらすウイルスが、
何であるかを、解明し、
悪質なウイルスからの感染を、ふせぐ、
「ワクチン」を
注入(ちゅうにゅう)することによって、
不幸を防(ふせ)ぎ、
逆に、幸せを、もたらすように、
セッティングすることは、
できないだろうか?


上にあげた言い方は、ぎこちないけれど、
言いたいことは、わかると思います。


実は、
この問題を、
今から、700年以上まえに、
解明した人間が、いる!!


それが、
『日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)』
です!!


不幸の根本を、
ウイルスに、たとえるならば、
日蓮大聖人は、
人間に不幸を、もたらす、
根本(こんぽん)のウイルスは、何か?

人間を、不幸に引きずりこむウイルスは、
いったい、どこにあるのか?


『それは、間違(まちが)った宗教にある!』


と、明確に解明(かいめい)し、
断言しきった!


詳しいことは、省(はぶ)きますが、
「念仏無間地獄(ねんぶつむげんじごく)」
「禅天魔(ぜんてんま)」
「真言亡国(しんごんぼうこく)」
「律国賊(りつこくぞく)」
と、いって、
それぞれの間違った宗教が、
どういう不幸を、もたらすか、
明確に、
論破(ろんぱ)されています。

また、現実に、
その通りに、なります。


それが、間違った宗教というものです。


間違った宗教に、かかわるということは、
そのウィルスに感染するのと、
同じです。

かならず、
そのウイルスどおりの、
トラブル、不幸が、もたらされる!


これは、迷信(めいしん)ではなくて、
ものすごく、
科学的な結果をともなう。

すなわち、
日蓮大聖人が言ったとおりの
不幸がもたらされると、いうことです。


そうすると、
さまざまな不幸の原因(げんいん)が、
わかってくる。

しかも、生命というのは、
永遠性(えいえんせい)の中にある。

永遠を、秘(ひ)めている。

また、
先祖(せんぞ)を、たどれば、
なんらかの宗教に、かかわっているはずです。

過去から現在にいたるまで、
長い長いスパンのなかで、
間違った宗教が、ウイルスとなって、
自分の生命に、さまざまな苦悩や不幸、
不運を、もたらしていると考えると、
納得(なっとく)が、
いかないだろうか・・?


いや、そうである!と、
断言しても、
さしつかえないと思う!!!


仏法(ぶっぽう)は、
真実であり、
日蓮大聖人が、解明したことは、
真実だからです!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

間違った宗教は、
不幸を、もたらす『ウイルス』である。

それは、なんとなく、わかると思う。

けれど、
それが、現実味(げんじつみ)を、もたないのは、
自分は、宗教なんかとは、
関係ないと、思っているからです。


けれど・・・、
いま、現在、自分は、
宗教なんかに、興味(きょうみ)はないし、
かかわっていない!と言っても、
永遠の生命の中では、
自分の生命は、かならず、
なんらかの宗教にかかわり、
「不幸をもたらすウイルス」に、
感染してしまっている!


そう、考えられないだろうか・・・?


自分には、悩みも、不幸も、不運も、
悲しむべき宿命(しゅくめい)も、
何一つない!
と、言うのならば、
別に、
何も言うことは、ありませんが、
ほんの少しでも、そうではないというのなら、
その人の生命は、
なんらかの、
不幸をもたらすウイルスに、
感染している!!
と考えるべきだと思う!


では、すでに、
自分の生命は、
不幸をもたらすウイルスに
感染してしまったと、します。

だとしたら、
感染してしまった自分の生命を、
正常(せいじょう)に戻し、
自分の生命を、人生を、
逆(ぎゃく)に『幸せ』にしていく、
プラスの強力なワクチンは、
存在(そんざい)しないのだろうか???


答えは、存在する!


それも、日蓮大聖人が、解明している。


実は、
それが、
創価学会(そうかがっかい)が実践している、
真実の仏法(ぶっぽう)である、

『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の仏法』

です。


ワクチンに、たとえるならば、
この南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
というワクチンは、
どんな悪質なウイルスに
感染した生命であっても、
正常に戻すことが、できる!

どんな不幸なウイルスに
感染してしまった生命であっても、
必ず、
幸せにすることが、できる!


それが、
いっさいの不幸の感染を、ふせぎ、
幸せへと、開放(かいほう)していく、
『南無妙法蓮華経』という
『幸せのワクチン』です!!



さまざまな病気を治(なお)す、
ワクチンや薬は、存在するでしょう。

また、
ウイルスに感染してしまったパソコンを、
治すソフトも、
存在するでしょう。

けれど、生命に宿(やど)った不幸という、
ウイルスを、退治し、
大きな幸せを、もたらす
『幸せのワクチン』は、
現在、世界に、
たった、一つしかない。


それが、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
です!


そして、
不幸なるウイルスを宿(やど)した生命から、
ウイルスを退治し、
逆に、
大きな幸せをもたらすために、
ワクチンを投与(とうよ)する行為(こうい)が、

『南無妙法蓮華経を、となえる!』

ということになります。


だから、
創価学会が実践(じっせん)している、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』
という実践は、
生命に宿(やど)ってしまい、
不幸を、もたらしてしまう、
あらゆるマイナスのウイルスを退治する、
唯一(ゆいいつ)の方法となる・・・・・!


また、それは、そのまま、
その人に、
幸せを、もたらす!!!!


ゆえに、創価学会の人たちは、
あらゆる悩みを解決していけ、
どんな不幸も乗り越えて、
夢や希望を、かなえ、
幸せになっていくことができる。


そして、その証拠(しょうこ)に、
創価学会は、
世界192ヶ国に、広がっている。



・・・
人は、
不幸の原因を、
明確にしようとしない。

運がよいとか悪いとか、
そんなものに甘(あま)んじている場合が、
多いかもしれない。


けれど、
不幸をもたらす原因は、ある!!


それを、ウイルスに、たとえるならば、
「不幸をもたらすウイルス」は、
「間違った宗教」にある・・!


そして、不幸をもたらす間違った宗教に
感染(かんせん)してしまった生命を、
正常に戻(もど)し、
逆に大いなる幸せをもたらす
『幸せのワクチン』と言えるのが、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰です。


それは、
現実の結果であり、
世界中の創価学会の人たちが、
不幸を、打(う)ち破(やぶ)り、
幸せになっていった体験を通(とお)して、
それが明(あき)らかに真実であることを、
明確に、如実(にょじつ)に、
物語(ものがた)っている・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく87

2012-07-15 12:43:25 | 世界
このまえ、
攻殻機動隊(こうかくきどうたい )という
アニメを見ていたら、
過去の偉大(いだい)な指導者として、
「ガンジー」「キング」の名前が、
出ていた。


知っての通り、
ガンジーは、
インド独立(どくりつ)の父で、
非暴力運動によって、
インドの民衆を、開放した。

また、アメリカの、
マーチン・ルーサー・キングも、
ガンジーの非暴力運動に影響を受け、
非暴力(ひぼうりょく)による
公民権運動(こうみんけんうんどう )を展開して
黒人たちを、開放していった。

「わたしには、夢がある」

という演説(えんぜつ)は、
とても、有名なようだ。


アニメにも、
その名前が出てくるくらいだから、
日本でも、
「ガンジー」、「キング」が、
偉大な人間であることは、
広く、認(みと)められているようです。


けれど、世界では、
非暴力の、偉大なる人間指導者として、
ガンジー、キングに、
もう一人、
『池田大作(いけだだいさく)』の名前を、
並(なら)べて、あげている人が、多い!


池田大作は、
創価学会(そうかがっかい)の
インターナショナル会長ですが、
世界の、鋭(するど)い、
有能(ゆうのう)な、一流の人物たちは、
こぞって、
池田SGI会長の
(創価学会インターナショナル会長の)
行動と実績、哲学(てつがく)を、
最大の賛辞(さんじ)をもって、
絶賛している。


世界は、鋭い!
世界は、本物(ほんもの)しか、認めない!


その本物たちが、
心の底から、
尊敬し、たたえているのが、
創価学会のインターナショナル会長である、
池田先生です!


アメリカでは、
キリスト教のトップの人物が、
仏法(ぶっぽう)の指導者である
池田先生を絶賛(ぜっさん)して、
当然、創価学会員ではないけれど、
世界各地で、
「ガンジー、キング、池田大作展」という、
展示会(てんじかい)を、開催しました。

日本でも、いろいろなところで、
開催されました。


また、創価学会の初代会長は、
「牧口常三郎(まきぐちつねさぶろう)」
二代会長は、「戸田城聖(とだじょうせい)」
そして、三代会長が、
『池田大作』先生なんだけれど、
世界の各地には、
創価学会の三代会長の
行動と実績(じっせき)を、たたえて、
「牧口常三郎通り」とか、
「戸田城聖通り」とか、
「池田大作通り」「池田大作公園」とかの
名前が付いた公園や道路が、
不思議(ふしぎ)といえば、不思議だけれど、
世界各地に、できている!

こういうものは、
公的(こうてき)なものだから、
国や、市や町の議会とかで、
満場一致(まんじょういっち)の賛成を
得(え)ないかぎり、
名前をつけることが、できないので、
池田SGI会長、あるいは、
創価学会の三代の会長が、
人道的(じんどうてき)に、
どれだけ、尊敬され、認められ、
讃(たた)えられているかが、
よく、わかる。


世界のある有名な歴史書には、
すでに、「池田大作」の名前と実績が、
たからかに、のせられているようです。

また、中国の教科書には、
池田先生が書いた書物の一部分が、
のせられていたりします。

ほかにも、
池田先生の功績(こうせき)を、たたえ、
紹介している書物が、
世界には、たくさんあり、
増え続けている。


池田先生への関心と創価学会への期待が、
どれだけ大きいかが、
わかると思う。


中国といえば、
戦争とかで、
日本を、かなり強烈(きょうれつ)に
非難(ひなん)している国であるだけに、
池田先生に対する尊敬の度合(どあ)いが、
どれだれ、大きいかが、
うかがわれる。


2007年の、日本での、
池田先生と温家宝(おん かほう)総理の会見や、
2008年の、
胡錦濤(こ きんとう)国家主席との会見は、
中国首脳の池田先生への尊敬と信頼が、
どけだけ大きいかを、
明確(めいかく)に、物語っている。

また、
中国の、思慮(しりょ)深い
有識者の間では、
日中国交正常化(にっちゅうこっこうせいじょうか )を
実現した、
真実の功労者(こうろうしゃ)は、
池田先生だ!
と認められている。

また、それは、その通りであり、
正しいです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

世界の池田先生に対する評価(ひょうか)は、
あまりにも、高い!!

また、その池田先生が指導している、
創価学会の評価と期待も、
大きい。


それにたいして、
日本が、どれだけ、
池田先生を、評価しているか?


見る目のある、
優秀な人物もいるけれど、
日本の島国根性(しまぐにこんじょう)と、
もうけることしか考えていない、
心の小さなマスコミや、政治家、
真実が見えない、
また、見えていても、認めようとしない、
日本人の心の小ささや愚(おろ)かしさが、
身(み)にしみて、
わかる気がする・・。


旧(きゅう)ソ連(それん・ロシアの前身 )で、
ペレストロイカという改革(かいかく)を進め、
冷戦(れいせん)の終結(しゅうけつ)を実現した、
ソ連・元大統領のゴルバチョフ氏が、
日本の経済界の代表と懇談(こんだん)したとき、
ゴルバチョフ氏は、
日本の経済界の代表の方々に、
言っていた。


「私は、池田氏と対談集を出しているが、
読んだことがあるのか?
池田先生は、私の親友だ!!

日本人は池田氏を
過少評価(かしょうひょうか)している!

池田氏は、
大変、立派(りっぱ)な人物である。
偉大な世界の指導者である!

ロシアには
『預言者(よげんしゃ)は、
祖国には容(い)れられない』
という諺(ことわざ)があるが、
偉大な人は誰(だれ)でも
国内では理解されない・・・。」


たしかに、そうかもしれない・・・。


けれど、
世界主導型(せかいしゅどうがた)ではあるけれど、
日本も、
世界を、みならって、
池田先生を、
心から、認め、
賞賛(しょうさん)できるようになる時代も、
いずれは、来るのではないかと、
思っている。

また、徐々(じょじょ)に、
そうなってきていると思う。


それは、当然(とうぜん)なのだろう。


なぜなら、
真実は、だれにも、
かくせないからです・・・・!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく86

2012-07-07 17:15:58 | 幸せ
先日も、話しましたが、
創価学会には興味(きょうみ)はないし、
仏法(ぶっぽう)にも興味はないし、
宗教なんかには、興味はない。

・・・そう、言われる場合がある。

創価学会(そうかがっかい)は、
仏法を実践する宗教団体だから、
仏法(ぶっぽう)を、具体的に実践するために、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が
残された曼荼羅(まんだら)の
『ご本尊(ほんぞん)』に、
日々、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえています。

どういうことかというと、
ご本尊というのは、
仏(ほとけ)の生命(せいめい)そのものを、
あらわしています。

仏(ほとけ)の生命というのは、
強くて、やさしくて、
歓喜(かんき)していて、
幸せで、なにものにも負けない、
どんな困難も乗り越(こ)えていける、
無限の創造力とエネルギーを有(ゆう)した、
幸せと勝利をもたらし、
つかんでいける、
最強無敵(さいきょうむてき)の生命だと、
表現できます。

そして、その仏の生命を引き出していけたなら、
どんな悩みも解決でき、
どんな困難(こんなん)も乗り越えて、
幸せになっていけるわけです。


それは、だれもが望(のぞ)んでいることです。

だれもが、求(もと)め、
必要としているものです。


人は、そのような生き方を望み、
恋い焦(こ)がれ、生きているといっても、
間違(まちが)えではないと思う・・。


では、その、
歓喜していて、幸せで、なにものにも負けない、
どんな困難も乗り越えていける、
無限の創造力(そうぞうりょく)とエネルギーを有した、
幸せをもたらし勝利していける、
最強無敵(むてき)の生命は、
いったい、どこにあるのだろうか・・・?


実(じつ)は、それは、
どこでもない・・、
自分自身の中にある・・!


だから、本当は、
歓喜していて、幸せで、
どんな困難も乗り越えていける、
無限の創造力とエネルギーを有(ゆう)した、
最強無敵の生命とは、
自分自身のことなんです・・!


さきほども言ったように、
その、最強無敵の生命のことを、
『仏(ほとけ)の生命』と言います。

そして、その「仏の生命」は、
自分自身の中にあり、
自分自身の中から、その仏の生命を引き出していけば、
幸せになるわけです。

外になにかを求めるのではなく、
自分の中から、幸せの宝(たから)、
勝利と幸せの源泉(げんせん)を、
湧(わ)き上がらせていけばいいわけです。


そんなこと言ったって、
そんな難(むずか)しいこと、できた話しではない・・。


仏(ほとけ)の生命を引き出すと言ったって、
方法がわからないし、どうしようもない・・。


幸せを開くドアが、どこにあるのか、
パスワードも鍵(かぎ)もわからない。


だから、途方(とほう)にくれてしまう。

だから、人は、悩み、苦しむ結果となる。


結論(けつろん)から言うと、
すべての人の中に、仏(ほとけ)の生命はある。

けれど、その仏の生命を開くドアがわからないし、
パスワードも鍵もない・・。

だから、人生に不幸がつきない。


実は、
そのドアと鍵の役割(やくわり)をはたすのが、
ご本尊(ほんぞん)と、南無妙法蓮華経なんです。


ご本尊は、幸せを開くドアのようなものです。

そして、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、
幸せのドアを開くパスワードであり、鍵です。

その幸せを開くドアである「ご本尊」に、
幸せのパスワードである、
「南無妙法蓮華経」を、となえることによって、
ドアが開き、
悩みを解決できたり、
夢や希望をかなえたりして、
幸せをつかんでいけるわけです。

的(まと)を得(え)ているか、わかりませんが、
これが、創価学会の人たちが、
ご本尊に、南無妙法蓮華経をとなえて祈る理由だと、
イメージしてください。


はじめのテーマに戻(もど)ると、
よく、言われる、
私は、創価学会にも、宗教にも、
興味はない!
だから、創価学会も、ご本尊も、
そんなものは、必要ない!ということだけれど、

それでは、はたして、
創価学会が、実践している、
南無妙法蓮華経をとなえるという、
仏法の信仰(しんこう)も、
また、祈(いの)る対象として具現化(ぐげんか)した、
ご本尊も、必要がない人間は、
いるのだろうか?


答えは、「ノー」です。


南無妙法蓮華経というのは、
一宗派(いちしゅうは)だけにしか通用しない、
狭(せま)い範囲(はんい)だけに通用するような、
かたよった思想ではない。

すべての人に共通する法則(ほうそく)が、
南無妙法蓮華経です。

たとえば、宇宙は動いている。
なぜ、動くのか?なぜ、誕生(たんじょう)するのか?
なぜ、滅(ほろ)んでいくのか?
それは、わからないかもしれないけれど、
そこに宇宙の法則は、
存在(そんざい)している。


その宇宙の法則が、南無妙法蓮華経なんです。


生命は、生まれ、成長し、
やがて年老(としお)い死んでいく。

なぜ、そうなるのか、わからない。

けれど、生命の法則が、
確実(かくじつ)に存在している。


その生命の法則が、南無妙法蓮華経なんです。


生命も宇宙も、
すべてを動かし、変化させている、
その、おおもとのエネルギー、
おおもとの力(ちから)であり法則が、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)です。


だから、南無妙法蓮華経は、
人間の生命の法則そのものだと、
言うことができます。


南無妙法蓮華経は、
人間の生命の法則そのものなんだから、
その南無妙法蓮華経の法則に逆(さか)らえる人は、
当然(とうぜん)、
いないことになります。

また、南無妙法蓮華経は、
生命を動かし変化させる、
おおもとのエネルギーであり力なんだから、
その「南無妙法蓮華経」を必要としない人も、
いないことになる。


だから、創価学会が実践する、
南無妙法蓮華経の仏法を必要としない人は、
本当は、世界に、
ひとりも、いないことになる。


そして、必然的(ひつぜんてき)に、
具体的な祈る対象として、
ご本尊(ほんぞん)も、必要となっていきます。


それを必要ない!と言っているのは、
知らないだけであり、
また、知ろうとしていないだけであり、
さまざまな我見(がけん)やポリシーに
執着(しゅうちゃく)するあまり、
本当に必要なものが、
見えないし、わからない・・・。

また、体験していないから、
実感(じっかん)として、理解できないだけだと思う。

だから、おそらく、
過去の偉大(いだい)な精神を持った偉人たちが、
この創価学会が実践する、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を、
もし、知ったならば、
飛(と)びついて、実践したことでしょう・・。



だいたいにおいて、
宗教(しゅうきょう)というと、
そんなものは、うざいし、
必要ない!と考えやすいですが、
では?

自分にとって、
自分は、必要だろうか?

それは、
人から見て、
自分が必要な存在かとか、
自分の、世間の評価や評判(ひょうばん)は、
関係ありません。

自分が生きていることを、
感じるために、
自分が必要か?ということです。


そうなれば、普通は、
「必要だ!」と答えると思う。


それは、そうです。
なぜなら、自分の存在という、
自分の生命が、なかったら、
楽しむことも、喜ぶことも、
遊ぶことも、命を賭(か)けることも、
挑戦(ちょうせん)することも、笑うことも、
泣くことも、できない!


どういうことかというと・・・、

自分の生命から、避(さ)けることのできる人は、
ひとりも、いない!

ということです。



さきほど、仏(ほとけ)の生命は、
自分自身の中にあると言いましたが、
その「仏の生命」とは何かと言ったら、
それが、「南無妙法蓮華経」なんです。

仏の生命の名前が、
「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)」
だということです。

だから、仏の生命が自分自身の中にあるということは、
自分の中に、
「南無妙法蓮華経」がある!
ということです。

自分の生命の、
最高に尊(とうと)くて、素晴らしい、
核(かく)となるものが、
南無妙法蓮華経だと思っていいと思います。

そして、さきほど、
南無妙法蓮華経とは、
宇宙の法則であり生命の法則だと、
言いました。

ということは、
南無妙法蓮華経は、自分の中にあり、
しかも、それが生命の法則だということは、
南無妙法蓮華経とは、
「自分の中にある生命の法則」だ!ということです。

言い換(か)えれば、
南無妙法蓮華経とは、
『自分自身の法則』だと、いうことです。



自分の中に、
南無妙法蓮華経があり、
自分の中に、
南無妙法蓮華経という法則がある。



たとえば、かりに・・・、
自分の生命が、
宇宙(うちゅう)にフワフワ、浮(う)いているとします。
その自分の生命の真ん中に、
『ドーン!』とあって、
まるで、太陽のように輝(かがや)いてるもの、
それが、『南無妙法蓮華経』だと、
思っていいと思う。

自分の生命の本質(ほんしつ)にあって、
最も大切なもの!

それが、『南無妙法蓮華経』です。

だから、『南無妙法蓮華経』は、
自分の外にあるのではなく、
自分の生命の中に、確実に、しっかりと!
存在しているんです・・。

しかも、この『南無妙法蓮華経』は全宇宙にもあり、
全宇宙を表現したものが、
『南無妙法蓮華経』でもあるんです。

小宇宙である自分の生命も、
南無妙法蓮華経であり、
無限の大宇宙も、その本質の生命は、
南無妙法蓮華経なんです。


さきほど言ったように、
自分の生命から、避(さ)けることのできる人は、
ひとりも、いない!

その自分自身の生命の本質が、
『南無妙法蓮華経』なんだから、
その自分の生命そのものと言える、
『南無妙法蓮華経』から、
避けることのできる人は、
ひとりも、いないことになります・・。

いわば、自分にとって、
絶対に避けられないものが、
自分の生命の本質である『南無妙法蓮華経』であり、
おのずから、その本質の法則である、
『南無妙法蓮華経の法則』なんです。

普通に考えて、
自分自身の生命の法則から、
のがれることのできる人は、いないでしょう・・。

その『自分自身の生命の法則』が、
『南無妙法蓮華経』です。


単純(たんじゅん)に考えれば、
自分の生命を、ひとことで、
言い表(あら)わしたものが、
『南無妙法蓮華経』だと、思っていいと思う。

そして、『ご本尊』は、
自分の生命を、具体的に、わかり、
認識(にんしき)するために、
具現化した、自分の生命の鏡(かがみ)だと、
言っていいと思います。

それが、『ご本尊』!!


だから、『ご本尊』も、
『南無妙法蓮華経』という生命の法則も、
あきらかに!
自分と、関係ないものではない!


しかも、この『南無妙法蓮華経』の法則こそが、
自分の生命の、自分の人生の、
幸不幸を決定づける、
決定的な法則であり、力(ちから)なんです!


だから、本当は、
自分の人生にとって、最も大切で、
最も重要な行動が、
『ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえる』
ということなんです。


最初のテーマにもどれば、
創価学会が実践する、
南無妙法蓮華経の仏法も、ご本尊も、
決して必要ないものではない!!

逆(ぎゃく)に、もっとも、
自分に関係あるのも!

最も、自分と、密接(みっせつ)なもの!

宇宙と自分を、
直結的(ちょっけつてき)に結(むす)び、
感じることができる、
大切な大切な、自分の生命であり、
幸福を決定づける決定的なもの!

その、
自分の未来の、
勝利と幸福を決定づける、
決定的な存在(そんざい)が、
『南無妙法蓮華経』であり、
『ご本尊』だと思う。


もっと、遊びたいし、
もっと、楽しみたいし、
もっと、幸せになりたいし、
もっと、輝(かがや)きたいし、
もっと、もっと、希望や夢を、かなえたい!


その本来(ほんらい)の自分自身の生命が、
『南無妙法蓮華経』なんです。


だから南無妙法蓮華経は、実は、
大切な大切な、もっとも、輝かしい、
自分自身だと、思っていいと思う。

そして、本来の自分の生命そのものを、
表現したものが、『ご本尊』!


この本来の自分の生命である、
『南無妙法蓮華経』が、
自分と関係ないし、興味がないなんてことは、
本当は、ありえない!!


また、人は、鏡(かがみ)がないと、
自分を見ることが、できない。

鏡が、ないと、
自分が、わからないし、
化粧(けしょう)も、オシャレも、できない!


それと、同じように、
自分の生命は、ほんとうは、
こんなに、素晴(すば)らしく、すごいんだ!!
と、自分で、自分に、わからせるために、
自分の生命の鏡である
『ご本尊(ほんぞん)』も、
生きていく上で、
必要不可欠(ひつようふかけつ)となっていく!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

自分が、持っている、
めくるめく想(おも)い!

その大切な、海のように、空のように、
広く、自分自身の希望を、
すべて、持ち合わせた、
無限(むげん)のエネルギー体!

その無限のエネルギー体が、
自分だとしたら、
そのエネルギー体の、
本来の姿(すがた)が、南無妙法蓮華経だと、思う。

すなわち、
南無妙法蓮華経は、
最高に強くて、最高に、あたたかくて、
最高に楽しく、幸せな、
『自分自身そのもの』だと、思う。

その最高に強くて、最高に、あたたかく、
最高に楽しく、幸せな、
『自分自身そのもの』を、
引き出す方法が、

『南無妙法蓮華経を、となえる』

ということなんです!!

だから、南無妙法蓮華経を、
となえることを、必要としない人は、
世界に、ひとりも、いない!

なぜなら、最高の自分を、欲(ほっ)しない人は、
世界に、ひとりも、いないからです。


その最高の自分が、
『南無妙法蓮華経』です。


だから、南無妙法蓮華経を、となえると、
自分の本当の姿、
最高の自分が、
さまざまな形や、現象(げんしょう)となって、
自分自身の中から、
出現(しゅつげん)してくる!

だから、
自分が生きていることを、感じるために、
自分を必要としない人は、いないように、
南無妙法蓮華経を、となえるということを、
必要としない人は、
世界に、ひとりも、いない!!!

ゆえに、真(しん)に、
南無妙法蓮華経の仏法を実践する、
創価学会を、必要としない人も、
また、『ご本尊』を、必要としない人も、
ほんとうは、世界に、ひとりも、いない!!!


それほど、
仏法(ぶっぽう)は、スゴイし、
それほど、南無妙法蓮華経の仏法は、
理(り)にかなっていて、
すべての人に、結果と幸せを、もたらす!


インドのガンジーも、
最終的には、そのことが、
わかって、
南無妙法蓮華経を、となえていた!
そうです。

また、世界192ヶ国の人たちが、
創価学会員として、
南無妙法蓮華経を、となえている!


絶対に、うらぎらないし、
絶対に、ウソがなく、
絶対に、幸せを、もたらす法則。


それが、自分自身の生命の法則であり、
もっとも、自分にとって、
かかわりが、深(ふか)い、
本当は、自分が、もっとも、
興味を、抱(いだ)かなければならない、
南無妙法蓮華経の仏法だと、思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく85

2012-07-01 13:01:08 | 幸せ
友達とかに、
創価学会(そうかがっかい)の話しをすると、

「創価学会にも、宗教にも、
興味(きょうみ)はないし、
自分にとって、価値(かち)も必要もないものだ!!」

とか、言われたりする場合がある。

「敬(うやま)うのは自分の先祖(せんぞ)であり、
大切にしたいのは家族であり、
友達であり自然であるから、
創価学会も、宗教も、必要(ひつよう)ない!」

みたいなことを、
言われたりしたこともあった。


確(たし)かに、そうです。


普通(ふつう)に考えて、
宗教(しゅうきょう)に興味がある人なんて、
まず、いない。


興味があるのは、
自分に、密接(みっせつ)に、
かかわりのあるものです。


自分の大切な家族、
大切な友達、
大好きな、自然、

自分が好きで興味があるもの、すべて。


そして、
もっと言えば、自分の幸せ!


ようするに、
自分の幸せと、宗教とは、
まったく、関係ないもので、
自分の幸せと、宗教とは、
いっさい、結(むす)びつかない、
かけ離(はな)れた、くだらないものが、
宗教だと、言いたいんだと思う。


確かに、それは、
よく、わかる!


なぜなら、
何十万とある宗教の、
99.9%、ほとんどが、
自分の幸せとは、まったく、結びつかない、
くだらない宗教だからです。

自分の知っている宗教が、
ほとんど、くだらない、
エセ宗教だから、
そう思うのも、
理(り)に、かなっている。


けれど、ほんとうは、
そういう宗教は、宗教とは、言わない。

そういうものを、
『邪宗教(じゃしゅうきょう)』
と、いう。

ただし、くだらないと言っても、
その邪宗教は、
人に、
さまざまな、悪影響を及(およ)ぼす。

詳(くわ)しいことは、はぶくけれど、
たとえば、
先祖を敬(うやま)うというけれど、
それも、宗教です!

そこには、必ず、
その人が嫌(きら)っているはずの宗教、
もっと言うと、
『邪宗教(じゃしゅうきょう)』が、
かかわっていたりする。


邪宗教というのは、
人を、不幸にする。


これは、一般的(いっぱんてき)に考えても、
だいたいの人が、
よく、わかると思う。

ようするに、
邪宗教は、その人の人間らしさ、
人間性を破壊(はかい)し、
かたよった、おかしな人間にしてしまう。

これも、よくわかると思う。


だが、
邪宗教の悪影響(あくえいきょう)は、
それだけではない。


邪宗教の影響(えいきょう)で、
自分の心や生命が、かたよった、
おかしなものになってしまった結果として、
自分の人生を破壊し、
また、病気など、
自分の生命そのものを、
破壊する結果になってしまうからです!


結論(けつろん)からいうと、
人生における、
さまざなな不幸、
病気や災難(さいなん)、絶望などは、
間違った邪宗教から起こるといっても、
間違(まちが)いではない!


不幸の根源(こんげん)には、
必ず、邪宗教がある。


さて、宗教に興味がないと言っている人たちも、
先祖を、うやまったりはしています。

ところが、
そこには、かならず、
宗教が、からんでくる。


その宗教が、
邪宗教だったら、どうだろう?


正直に話せば、日本にはびこっている、
葬式仏教(そうしきぶっきょう)、
神社信仰(じんじゃしんこう)、観光宗教などは、
でたらめの間違ったことをやっていますから、
人を不幸にする邪宗教だと言えます。


話しをもどすと、
いくら先祖をうやまうと言っても、
その宗教が、邪宗教であったならば、
先祖を、敬(うやま)うどころか、
先祖も、自分も、
不幸に、引きずり込(こ)んでいる!
というのが、
本当のところです。


わからないようで、
ほんとうに厳密(げんみつ)で、きびしく、
科学(かがく)のように、
はっきりと、結果が出てくるのが、
宗教だからです。


実(じつ)は、宗教は、
知らず知らず、
自分の人生に、影響を与(あた)えている!


さっきも言いましたが、
ほんとうは、
不幸の根源は、間違った宗教にある!

と、言い切(き)ることが、できる。


こんどは、逆(ぎゃく)に、
真実の宗教(正しい宗教)の必要性について、
考えてみたいと思います。

問題は、
先祖を、本当に敬(うやま)うには、
どうしたらいいのか?

家族を、本当に幸せにするには、
どうしたらいいのか?

友達を、自然を愛(あい)し、
大切にするには、
本当は、どうしたらいいのか?

ということです。


そのすべてを実現する、
真実の行動、生き方、方法が、
仏法(ぶっぽう)には、
説かれている。


なにも、葬式仏教みたいに、
説教(せっきょう)めいたことを言うのが、
仏法ではない。

そんなものは、エセ仏教です。

ようするに、
もっともっと、
先祖を大切にしたいし、
家族を大切にしたいし、幸せにしたい。

もっと、もっと、
友達を大切にしたいし、
自然を、大切にしたい!


そのためには、どうしたら、いいのか?


現実の自分と、
最も、密接(みっせつ)に、かかわっているもの!
それらを、もっと幸せにしたいし、
幸せを、感じたい!!

そのことを、確実に、100%、
実現してくれるもの!

それが、実は、
仏法(ぶっぽう)であり、

『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえる』

ということであり、
創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経の仏法の信仰です。


宗教に興味あるから、
ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経を、となえるんではないんです。

『ご本尊(ほんぞん)』とは、
仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたもだけれど、
それは、そのまま、
自分の生命そのものを、あらわしてもいる。

自分自身の生命(せいめい)の中に、
その、必ず幸せになっていける、
仏(ほとけ)の生命が、そなわっていることを、
あらわしたものが、
ご本尊(ほんぞん)です。

どういうことかというと、
自分自身の生命に、
必ず、幸せになっていける、
仏(ほとけ)の生命が、そなわっているので、
そのことを表(あらわ)したご本尊に、
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
その仏(ほとけ)の生命が、
自分の中から、引き出され、
その結果、
必ず、幸せになっていく!
ということです。


それが、ご本尊です。


だから、ご本尊は、
自分の生命の鏡(かがみ)のようなものなんです。


ご本尊は、自分の生命をうつす鏡だから、
そのご本尊に対(たい)した時、
自分の中にある無限(むげん)の可能性、
勇気、希望、
幸せになる、あらゆる力が、写(うつ)し出され、
それを、無意識(むいしき)のうちに、
認識(にんしき)できるようになってくる。

そして、そのご本尊に
「南無妙法蓮華経を、となえていく」ことによって、
自分の中から、勇気や希望、
幸せになる、あらゆる可能性と力が、
湧(わ)き上がり、
引き出されていくんです。


そして、それは結局(けっきょく)、
最高の幸せを、
もたらす結果となります。


だから、ご本尊に、
南無妙法蓮華経を、となえるのは、
自分に、家族に、友達に、
世界に、自然に、
最大の興味が、あるからであり、
最大の興味である『幸せ』に、
最も、直結(ちょっけつ)しているから、
ご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえるんです!

そして、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』は、
だれもが望み大切にしたいと思っている、
人間として尊(とうと)ぶべき心と、
人間らしい生命を、
自分の中から、
最大に引き出し、輝(かがや)かせ、
もっとも、人間らしく素晴(すば)らしい、

『自分が、最も大好きな自分』

を、引き出してくれるんです。


ほんとうは、人間として、
最高の人間であろう!とすること、
そのものが、
『南無妙法蓮華経を、となえる』
と、いうことだと思います。


だから、
宗教嫌(ぎら)いの人が、よく言う、
『自分を、信じる』とは、
どういうことかと言えば、
本当(ほんとう)は、
自分自身の生命の鏡(かがみ)である、
『ご本尊』に、
『南無妙法蓮華経を、となえること』そのものが、
自分を、本当に信じることに、
ほかならない!
と、言い切れる。

自分を、信じると言っても、
ご本尊を否定(ひてい)し、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を、否定すれば、
それは、結局、
自分否定になり、
自分を、信じないことに、
なってしまうからです。


だから、自分を信じたいのならば、
また、家族や友達、
自然や世界を、大切にしたいならば、
本当は、創価学会が実践する、
真実(しんじつ)の仏法が、必要であり、
『南無妙法蓮華経を、となえる』ということが、
なによりも大切になっていきます・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

「敬(うやま)うのは自分の先祖であり、
大切にしたいのは家族であり、
友達であり自然である」

と、言うのなら、
即座(そくざ)に、
この創価学会の、ご本尊に向(む)かい、
南無妙法蓮華経を、となえるべきです!!


仏法は、宇宙の法則(ほうそく)であり、
生命の法則なんです。

だから、
きびしく、厳密(げんみつ)に言えば、
それが、できないということは、
宇宙(うちゅう)の法則、生命の法則に
逆(さか)らうことになってしまうから、
それは・・・、

「先祖は大切にしない、
家族も、大切にしない!
友達も、自然も、大切にしない!
幸せにはならない!」

ということに、
本当は・・・、
深(ふか)い意味では、
なってきてしまいます・・・。

また、現実に、そういう結果が、
将来(しょうらい)、でてきてしまう可能性が、
多々(たた)ある・・・!


それが、
宇宙の法則であり、生命の法則である、
仏法の、南無妙法蓮華経の原理(げんり)です。


この原理に、ウソはない!


また、この仏法(ぶっぽう)の原理に逆らえる人は、
世界に一人もいない・・。


だから、ある意味、こわい・・・!


宗教に興味がある人なんて、
まず、いない!


けれど、
自分の幸せに興味が無(な)い人も、いない!


自分や、家族、友達や世界、
それらへの興味と愛情が、
強ければ、強いほど、
南無妙法蓮華経の仏法、
自分自身の生命の鏡(かがみ)である、
ご本尊(ほんぞん)への信仰、
創価学会が実践する、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』ことを、
根本(こんぽん)とした仏法の信仰は、
どうしても、
必要不可欠(ひつようふかけつ)となり、
これからも、時代とともに、
その必要性が、
証明(しょうめい)されていくことでしょう。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・