まえにも話しましたが、
創価学会には、座談会(ざだんかい)という
会合があります。
いつも、いろいろ学んだり、
励み(はげみ)になったりして、
勇気や希望をもらって、帰ってきます。
座談会とは、地域の創価学会員が、
人生を、勝利し、幸せになっていくために、
月に一度、集まって、いろいろ話したり、
催(もよお)し物を行ったり、仏法(ぶっぽう)を学んだりする、
日々を、勇気と希望を持って、
生活し、挑戦していくための、
毎月のリズムとなっている、
創価学会の原点(げんてん)と言いる会合です。
その座談会の中で、幹部の人が、
話してくれたんですが、
精神科医の大学の教授がいて、
その教授が、創価学会の座談会の良い点について、
話してくれたそうです。
それは、
『創価学会の座談会の、いちばん良いところは、
みんなが、自分にとって、いちばん大変なこと、
大変な悩みや苦境(くきょう)、病気などのことを、
平気で、話すところだ!』
と、言っていたそうです。
普通は、自分にとって、いちばん大変なこと、
病気やら借金やら、
さまざまな苦境(くきょう)については、
なかなか、人には、話さないものです。
ところが、創価学会の人は、違(ちが)う。
座談会とかで、
「ガンに、なっちゃいましたーー!」とか、
笑いながら、話したりする。
(少し、大げさな言い方かもしれない)
なぜ、そういう、自分にとって、
大変なことを、平気で話せるのか?というと、
それは、創価学会が実践(じっせん)している、
この仏法(ぶっぽう)で、
南無妙法蓮華経の仏法で、
『必ず、乗り越(こ)えられる!』という確信が、
あるからです!
必ず、乗り越えられるし、
乗り越える方法を、知っているから、
どんな大変なことでも、
おおらかに、大きな気持ちで、
人に話すことが、できる!!
ここが、創価学会のスゴイところです。
創価学会に入ったからといって、
自分に何も、大変なことが、
起こらなくなるということは、ありません。
もちろん、創価学会の信心を、
真面目にやっていくことによって、
あらゆる面で、守られたり、
さまざまなことが好転(こうてん)したりして、
日々、幸せを実感することは、
数え切れないほどあるけれど、
かといって、やはり、
大変なことが起こらなくなるということでは、
ありません。
日蓮大聖人の御書にも、
(御書とは、日蓮大聖人が、書かれた、
論文や手紙を、すべて、集めたものです)
この南無妙法蓮華経の信仰をやったら、
なにも起こらなくなるとは、
1行も、書いてない。
それは、創価学会員でなくても、
すべての人間にとっても、
同じことです。
人生だもの、大変なことは、あるだろう!
けれど、問題は、
この南無妙法蓮華経の仏法を実践すると、
その人生における大変なことを、
『必ず、乗り越えられる!!』ということです。
仏法(ぶっぽう)では、
宇宙は、慈悲(じひ)で、できていると、
説きます。
どういうことかと、いうと、
究極的には、宇宙の現象は、すべて、
慈悲(じひ)を、ともなったものであり、
無慈悲では、ないということです。
無慈悲では、ないとは、
簡単にいうと、
残酷(ざんこく)ではない!ということです。
だとしたら、
自分に、さまざまな困難(こんなん)が、
襲(おそ)いかかってきたとしても、
それは、無慈悲ではなく、慈悲であるがゆえに、
必ず、乗り越えられる!
ということです。
宇宙そのものが、慈悲であるがゆえに、
乗り越えられない困難は、
決して、自分には、降(ふ)りかかってこない!
乗り越えられるから、
自分に、降りかかってくる!
そして、その困難を、乗り越えた時、
宇宙そのものが、慈悲であるがゆえに、
困難を、乗り越える前よりも、
さらに、大きな幸せを、つかむことができる!
これが、宇宙そのものが、
慈悲(じひ)だ、ということだと思います。
ところが、人間は、
さまざまな間違った思想や、考え、
間違った宗教などによって、
生命が、ねじ曲(ま)がってしまい、
宇宙の慈悲の力(ちから)を、
発揮(はっき)できなくなってしまっている。
だから、さまざまな困難に打ちひしがれ、
敗北していったり、
病気に負けていったり、
あるいは、自殺してしまったりする。
それが、人間の生命のゆがみです。
この人間の生命の、ゆがみが、
不幸の原因だと言っても、
間違(まちが)いでは、ないと思います。
その人間の生命のゆがみを、取り除(のぞ)き、
「宇宙の慈悲」を、
人間の生命に、とりもどし、
すべての人間を、
幸せにする方法を、解明(かいめい)したのが、
日蓮大聖人であり、
その法則(ほうそく)が、『南無妙法蓮華経』です。
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・
宇宙が、慈悲(じひ)だとしたら、
南無妙法蓮華経は、
その宇宙の慈悲そのものを、表現しています。
宇宙の慈悲のリズム、
宇宙の慈悲の現象(げんしょう)、
それが、南無妙法蓮華経だと思います。
だから、
ぼくたちが、
南無妙法蓮華経を、となえるとき、
南無妙法蓮華経が、
宇宙の慈悲のリズムであるがゆえに、
自分の生命のなかに、
宇宙の慈悲のリズムが、復活(ふっかつ)し、
いままで、宇宙の慈悲(リズム)と、
ギアが噛(か)み合っていなかった
自分の生命が、
宇宙の慈悲(リズム)と、がっちりと、
ギアが噛(か)み合うようになり、
その結果として、宇宙の慈悲の力(ちから)を、
自分の生命から、発揮できるようになってくる。
そして、自分の生命の中から、
宇宙の慈悲の現象(げんしょう)が、あらわれてくる!
南無妙法蓮華経を、となえると、
南無妙法蓮華経が、
『宇宙の慈悲そのもの!』であるがゆえに、
自分の生命も、慈悲(じひ)になってゆく!
だから、どんな困難も、乗り越(こ)えられ、
どんな悩みも、解決してゆき、
幸せになっていける!
勝利していける!
それが、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)だと思う。
だから、
精神科医の教授が、話してくれたように、
創価学会の座談会では、
どんな困難な状況であろうとも、
笑いが、絶(た)えない。
希望に満(み)ちている。
それは、あたかも、
そこが、
幸せの楽園であるかのように・・・・!
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・
創価学会には、座談会(ざだんかい)という
会合があります。
いつも、いろいろ学んだり、
励み(はげみ)になったりして、
勇気や希望をもらって、帰ってきます。
座談会とは、地域の創価学会員が、
人生を、勝利し、幸せになっていくために、
月に一度、集まって、いろいろ話したり、
催(もよお)し物を行ったり、仏法(ぶっぽう)を学んだりする、
日々を、勇気と希望を持って、
生活し、挑戦していくための、
毎月のリズムとなっている、
創価学会の原点(げんてん)と言いる会合です。
その座談会の中で、幹部の人が、
話してくれたんですが、
精神科医の大学の教授がいて、
その教授が、創価学会の座談会の良い点について、
話してくれたそうです。
それは、
『創価学会の座談会の、いちばん良いところは、
みんなが、自分にとって、いちばん大変なこと、
大変な悩みや苦境(くきょう)、病気などのことを、
平気で、話すところだ!』
と、言っていたそうです。
普通は、自分にとって、いちばん大変なこと、
病気やら借金やら、
さまざまな苦境(くきょう)については、
なかなか、人には、話さないものです。
ところが、創価学会の人は、違(ちが)う。
座談会とかで、
「ガンに、なっちゃいましたーー!」とか、
笑いながら、話したりする。
(少し、大げさな言い方かもしれない)
なぜ、そういう、自分にとって、
大変なことを、平気で話せるのか?というと、
それは、創価学会が実践(じっせん)している、
この仏法(ぶっぽう)で、
南無妙法蓮華経の仏法で、
『必ず、乗り越(こ)えられる!』という確信が、
あるからです!
必ず、乗り越えられるし、
乗り越える方法を、知っているから、
どんな大変なことでも、
おおらかに、大きな気持ちで、
人に話すことが、できる!!
ここが、創価学会のスゴイところです。
創価学会に入ったからといって、
自分に何も、大変なことが、
起こらなくなるということは、ありません。
もちろん、創価学会の信心を、
真面目にやっていくことによって、
あらゆる面で、守られたり、
さまざまなことが好転(こうてん)したりして、
日々、幸せを実感することは、
数え切れないほどあるけれど、
かといって、やはり、
大変なことが起こらなくなるということでは、
ありません。
日蓮大聖人の御書にも、
(御書とは、日蓮大聖人が、書かれた、
論文や手紙を、すべて、集めたものです)
この南無妙法蓮華経の信仰をやったら、
なにも起こらなくなるとは、
1行も、書いてない。
それは、創価学会員でなくても、
すべての人間にとっても、
同じことです。
人生だもの、大変なことは、あるだろう!
けれど、問題は、
この南無妙法蓮華経の仏法を実践すると、
その人生における大変なことを、
『必ず、乗り越えられる!!』ということです。
仏法(ぶっぽう)では、
宇宙は、慈悲(じひ)で、できていると、
説きます。
どういうことかと、いうと、
究極的には、宇宙の現象は、すべて、
慈悲(じひ)を、ともなったものであり、
無慈悲では、ないということです。
無慈悲では、ないとは、
簡単にいうと、
残酷(ざんこく)ではない!ということです。
だとしたら、
自分に、さまざまな困難(こんなん)が、
襲(おそ)いかかってきたとしても、
それは、無慈悲ではなく、慈悲であるがゆえに、
必ず、乗り越えられる!
ということです。
宇宙そのものが、慈悲であるがゆえに、
乗り越えられない困難は、
決して、自分には、降(ふ)りかかってこない!
乗り越えられるから、
自分に、降りかかってくる!
そして、その困難を、乗り越えた時、
宇宙そのものが、慈悲であるがゆえに、
困難を、乗り越える前よりも、
さらに、大きな幸せを、つかむことができる!
これが、宇宙そのものが、
慈悲(じひ)だ、ということだと思います。
ところが、人間は、
さまざまな間違った思想や、考え、
間違った宗教などによって、
生命が、ねじ曲(ま)がってしまい、
宇宙の慈悲の力(ちから)を、
発揮(はっき)できなくなってしまっている。
だから、さまざまな困難に打ちひしがれ、
敗北していったり、
病気に負けていったり、
あるいは、自殺してしまったりする。
それが、人間の生命のゆがみです。
この人間の生命の、ゆがみが、
不幸の原因だと言っても、
間違(まちが)いでは、ないと思います。
その人間の生命のゆがみを、取り除(のぞ)き、
「宇宙の慈悲」を、
人間の生命に、とりもどし、
すべての人間を、
幸せにする方法を、解明(かいめい)したのが、
日蓮大聖人であり、
その法則(ほうそく)が、『南無妙法蓮華経』です。
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・
宇宙が、慈悲(じひ)だとしたら、
南無妙法蓮華経は、
その宇宙の慈悲そのものを、表現しています。
宇宙の慈悲のリズム、
宇宙の慈悲の現象(げんしょう)、
それが、南無妙法蓮華経だと思います。
だから、
ぼくたちが、
南無妙法蓮華経を、となえるとき、
南無妙法蓮華経が、
宇宙の慈悲のリズムであるがゆえに、
自分の生命のなかに、
宇宙の慈悲のリズムが、復活(ふっかつ)し、
いままで、宇宙の慈悲(リズム)と、
ギアが噛(か)み合っていなかった
自分の生命が、
宇宙の慈悲(リズム)と、がっちりと、
ギアが噛(か)み合うようになり、
その結果として、宇宙の慈悲の力(ちから)を、
自分の生命から、発揮できるようになってくる。
そして、自分の生命の中から、
宇宙の慈悲の現象(げんしょう)が、あらわれてくる!
南無妙法蓮華経を、となえると、
南無妙法蓮華経が、
『宇宙の慈悲そのもの!』であるがゆえに、
自分の生命も、慈悲(じひ)になってゆく!
だから、どんな困難も、乗り越(こ)えられ、
どんな悩みも、解決してゆき、
幸せになっていける!
勝利していける!
それが、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)だと思う。
だから、
精神科医の教授が、話してくれたように、
創価学会の座談会では、
どんな困難な状況であろうとも、
笑いが、絶(た)えない。
希望に満(み)ちている。
それは、あたかも、
そこが、
幸せの楽園であるかのように・・・・!
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・