タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく194

2016-11-05 11:15:18 | 悩み


人は花に学ばなければ・・・。


花はいつも

一生懸命(いっしょうけんめい)だからだ。

投げやりに咲いている花はない。

いやいや生きている花はない。

途中(とちゅう)で、へこたれる花はない。

笑うことを忘れた花はない。

過去にとらわれたり、

人のあらを探(さが)したりしている

花はない。



これは、
創価学会インターナショナル会長の、
池田先生が書かれた
詩の中にある一節(いっせつ)ですが、
確かに、そうだと思う。

花は、だから、
きれいなのかもしれない。

なにものでもない、
自分自身を咲(さ)かせることに、
なんの躊躇(ちゅうちょ)もなく
全力で立ち向かっていく。

その健気(けなげ)な姿に人は、
打たれるのかもしれない。

創価学会(そうかがっかい)二代会長の
戸田城聖先生が、
仏法(ぶっぽう)の真髄(しんずい)は、

『自分自身に生ききることだ!』

と言っていた。


あの人がこう、
この人がどうではない。

自分が自分自身に
生ききるかどうか・・・。

簡単なことのようで、
これがなかなかできないのも、
現実だと思う。

そして、ああだ、こうだと
文句(もんく)を言う。
愚痴(ぐち)を言う。
そして、世の中を恨(うら)んでしまう・・。


何かかが間違(まちが)っているんだと思う。
幸せというものの本質(ほんしつ)が
見えなくなっているのかもしれない。

何かが狂(くる)っている。
人間の生命に
なにかの間違った
思想や考えがこびりつき、
花のように、
健気(けなげ)に生きられなくしている。

仏法(ぶっぽう)では、
これを、
『宿業(しゅくごう)』
という。

『宿業(しゅくごう)』とは、
自分の生命に、
深く宿(やど)ってしまっている、
その人を苦しめている
根本原因(こんぽんげんいん)のようなもので、
避(さ)けたくても避けることのできない
苦しみや悲しみ、
自分はどうして、
こういう自分に生まれてしまったのか?
というような、
辛(つら)い境遇(きょうぐう)や環境、
なんで自分がと思うような
過酷(かこく)な病気や事故など、
その人がもって生まれた、
どうしようもないような運命などを
いいます。

その『宿業(しゅくごう)』が、
人を苦しめ、狂わせ、
花のように真っ直(まっす)ぐに生きることを、
妨(さまた)げている。

そして、
その人を不幸にしている。


不幸の根源(こんげん)には、
『宿業』がある!
と言えるかもしれない。


そして、その『宿業(しゅくごう)』が
どこから起こってくるかと言えば、
それは、
間違った思想(しそう)、
間違った宗教から起こってくる。

人は、自分の悩みや不幸について、
その原因(げんいん)に
たどり着くことはないけれど、
人間の不幸は、
間違った宗教によって、起こる!!
と言えます。

自分は、宗教なんかには、
かかわっていないと、
言うかもしれない。

けれど、
自分の先祖(せんぞ)をたどっていけば、
なにかしらの宗教をやっているし、
世の中は、
間違ったデタラメの宗教だらけなので、
日々、その、
間違った宗教に触(ふ)れている
と、言えます。


正月といえば、
初詣(はつもうで)だといって、
さまざまな神社やお寺に行くし、
観光(かんこう)でも
さまざまな神社、仏閣(ぶっかく)に
祈りをささげる。

また、葬式(そうしき)となれば、
ほとんど、それらの
葬式仏教などに
祈りをささげる。

そして、それらの
葬式仏教にしても、
神社信仰にしても、
観光宗教にしても、
デタラメな間違った、
人を不幸にしてしまう宗教です。

それらに、良いことだと思って、
祈りをささげる。


それらの、葬式仏教や神社信仰、
観光宗教に祈りをささげるということは、
デタラメなもの、間違ったものに、
祈りをささげることになり、
自分の生命に、
間違ったもの、デタラメなものが
投影(とうえい)され、
間違ったもの、デタラメなものが、
自分の生命に
植(う)え付けられることになっていく。

間違った宗教、デタラメな宗教が、
自分の生命に植え付けられたならば、
当然(とうぜん)、
自分の生命には、
間違ったもの、デタラメなものが、
宿(やど)っていく・・。

自分の生命に、
間違ったもの、デタラメなものが、
宿ったならば、
それが、悪(あ)しき、
不幸なる宿業(しゅくごう)となり、
その宿業が、
時とともに噴出(ふんしゅつ)して、
その人を苦しめることになる。


また、
過去世(かこせ/過去に生きていた時代)に、
間違った、人を不幸にする宗教に
かかわってしまったために、
さまざまな不幸なる
宿命(しゅくめい)を持って、
生まれてきたとも
言えます。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


人間は、
花のように、生きるべきだと、
思います。

けれど、それをできなくしているのが、
『宿業』だと言えます。

そして、その宿業を打ち破(やぶ)る、
決定的で唯一(ゆいいつ)の方法と言えるのが、
創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰です。

南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえることは、
自分の中から、
花のように生きる力を
復活(ふっかつ)させる。

花のように生きようとする
生命力が復活し、
その人を、
真っ直(まっす)ぐに生きさせる。

太陽が昇(のぼ)れば、
草木についた、
つゆや水滴(すいてき)は、
あっという間に消えてしまうように、
南無妙法蓮華経をとなえることによって、
花のように真っ直ぐに生きることを
妨(さまた)げる宿業が、
打ち破られ、
幸せに向かって、
希望にむかって、
生きていけるようになっていく。


南無妙法蓮華経には、
宿業を打ち破る
大きな大きな力(ちから)がある!
ということです。


南無妙法蓮華経を真剣にとなえ、
仏法(ぶっぽう)の実践活動である、
創価学会の活動をやっていくことによって、
自身の宿命が転換(てんかん)され、
悩みや困難(こんなん)を乗り越(こ)え、
夢や希望をかなえて、
幸せを勝ち取っていくことが、
できるようになっていく。


それは、美しい花のように・・・。



『南無妙法蓮華経は
蘇生(そせい)の義(ぎ)なり』

というけれど、
南無妙法蓮華経をとなえると、
自分の生命が
蘇生(そせい)していく。

真剣に南無妙法蓮華経を
となえることによって、
自分の中から
生命力が湧(わ)き上がり、
勇気が出てきて、
元気と希望がでできて、
その人の生命は、
文字通り、
蘇生(そせい)していく。

その生命の力は、
自分の人生と未来を、
花のように
真っ直ぐに生きていくエネルギーとなって、
その人を動かす。


やがて、
種(たね)から花が咲くように、
その人の人生に、
勝利と幸せの花が
咲いていく。



人は、花のように、生きるべきだ・・!



そして、それを可能にする、
希望と勇気と
どんな困難(こんなん)も打ち破る
無限(むげん)の力が、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと、
いうことです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく190

2016-08-05 08:37:07 | 悩み
以前、
ブログのコメントで、

「創価学会(そうかがっかい)に入らなくても、
南無妙法蓮華経をとなえていれば、
大丈夫(だいじょうぶ)ですか・・?」

という質問をされたことがあります。

南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、
スゴイので、
となえないより、
となえたほうが、
全然、良いけれど、
かといって、
それで大丈夫かといったら、
そういうことでもありません。

南無妙法蓮華経の本当のスゴサは、
人生を、自分を、
世界や生命を、
幸せに変革していく「力(ちから)」に
あると思います。

宿命(しゅくめい)を転換(てんかん)していく力。
世界を変えていく力(ちから)が、
『南無妙法蓮華経』だと
思います。

けれど、
ほんとうに悩みや問題を解決し、
夢や希望をかなえていくには、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)に
直結(ちょっけつ)した実践活動が、
必要になっていきます。

いくら、南無妙法蓮華経をとなえても、
現実に南無妙法蓮華経の仏法に
直結した実践(じっせん)の行動がないと、
自分の宿命は、
変革され転換されていきません。

ようするに、
南無妙法蓮華経はスゴイけれど、
南無妙法蓮華経をとなえるだけでは、
自分の悩みや問題は、
解決していかないということです。

南無妙法蓮華経を真剣にとなえ、
仏法の実践活動を、
現実にしていった時、
その二つが合(あ)い重(かさ)なり、
幸せが、かけ算されるように、
さまざまな悩みや問題が解決し、
自分の宿命が転換され、
境涯(きょうがい)が変わり、
夢や希望も、
かなえていけるようになっていくんです。


南無妙法蓮華経をとなえることと、
仏法の実践活動の
両輪(りょうりん)があってこそ、
夢や希望がかない、
幸せになっていけるんです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

南無妙法蓮華経は、
蘇生(そせい)の力だし、
南無妙法蓮華経をとなえることは、
スゴイことなので、
病気などの時は、
真剣に南無妙法蓮華経をとなえていくだけでも、
病気が良くなり、
治(なお)ったりすることも
多々(たた)ありますが、
やはり、
南無妙法蓮華経をとなえるだけでは、
不十分だと言えると思います。

どうしても、
南無妙法蓮華経の仏法に直結した、
真実の実践活動が
必要となっていきます。


その仏法(ぶっぽう)に直結した、
実践活動ができる場所が、
『創価学会』なんです。


創価学会は、
南無妙法蓮華経の仏法を、
純粋(じゅんすい)に、
一点の狂(くる)いもなく、
真に正しく実践している、
唯一(ゆいいつ)の団体だと
言えます。

だから、
本当に幸せになりたいのならば、
悩みを解決したいのならば、
また、夢や希望を
かなえていきたいのならば、
どうしても、
創価学会という存在が
必要になっていきます。

南無妙法蓮華経を、となえていくだけでも、
時として、その人を
窮地(きゅうち)から救い、
助けてくれるけれども、
やはり、それだけでは、
本当に幸せになっていくことはできません。

自分の宿命を転換していくためには、
どうしても、
創価学会の中で
南無妙法蓮華経をとなえ、
創価学会の中で、
仏法の実践活動をしていく
必要があります。

その時、
宿命が転換され、
悩みや問題が解決でき、
やがて夢や希望も
かなえていけるようになっていくんです。


だから、創価学会とは、
『幸せを創造(そうぞう)する場所』であり、
創価学会の中で、
南無妙法蓮華経をとなえていった時、
はじめて、
南無妙法蓮華経のスゴサ、
偉大(いだい)さ、
その無限大の力を
発揮(はっき)していくことが、
可能になっていく!

と結論(けつろん)することが
できると思います・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく177

2015-04-29 14:59:33 | 悩み
時々、芸能界で、
覚醒剤(かくせいざい)の話題を聞く。

芸能界も、なにかと大変だと
思ってしまう。

悪いとわかっているのに、
何がいいんだろうと思ってしまう。

テンションを上げるためなのか、
生活の中で、
覚醒剤に頼(たよ)らなければならない状態に
なってしまうんだから、
やはり、
覚醒剤は恐(こわ)いと思う。

覚醒剤を使用していけば、
自分の身体(からだ)もボロボロになるし、
不幸になっていくのは、
わかりきったことなのに、
それでもなお、
マイナスの力(ちから)によって、
心のやすらぎや、
よりどころを、
求めようとするのだろうか?

ようするに、
そうしないといられないような
日々のプレッシャーやイライラ、
心の痛みや辛(つら)さがあるのだろうか?

覚醒剤に頼らざるえないほど、
人生に希望と幸せを、
見いだせないのだろうか?


人生からの逃避(とうひ)、
快楽(かいらく)、


やはり、覚醒剤に、
よりどころと、やすらぎを
求めてしまうのだろうか?



今は知らないけれど、
以前は、ジャズの音楽家たちの間でも、
覚醒剤が、多々、
使用されていたようだ。

詳(くわ)しいわけではないけれど、
ジャズという音楽は、
アドリブの部分が多く、
インスピレーションや高揚感(こうようかん)が、
求められるようだ。

そのインスピレーションや高揚感を得るために、
覚醒剤を多用した人も、
多いようだ。


けれど、そのジャスの世界で、
現代では、
『創価学会(そうかがっかい)』に入っている人が、
多い・・!!

それは、創価学会が、
麻薬(まやく)や覚醒剤のようだということでは、
まったく、ない!!

逆(ぎゃく)です。

覚醒剤が、精神におよぼす、
『マイナスの力』だとすると、
その数百倍、数千倍、数万倍の、
『プラスの力』が、
創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経を、となえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。


南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、
『歓喜(かんき)の中の大歓喜』
だという。

それは、
南無妙法蓮華経を、となえることによって、
自分の生命を歓喜させる!
ということです。

人間が持っている、
本源的(ほんげんてき)な生命の力、
その『プラスの力』を、
無限に呼び覚(さ)まし、
創造力(そうぞうりょく)を湧(わ)き上がらせ、
生命を高揚(こうよう)させていく・・!!

そして、その、
生命のプラスの力は、
自分だけでなく、
まわりの人々、
世界にも、伝わっていく。


それは、多くの音楽家が、
欲(ほ)しくて欲しくて、しょうがないものであり、
まさに、望んでいるものだと、思います。

南無妙法蓮華経をとなえることによって、
自分の生命を歓喜させ、
無限の創造力を駆(か)り立てていく。
そして、人々を幸せにしていける。

そういう力が湧(わ)き上がってくるのが、
『南無妙法蓮華経を、となえる』
ことだとも、言えます。


だから、ジャズの世界でも、
創価学会の人は多い。


世界的に有名なジャズ・ピアニストの
ハービー・ハンコック氏が、
創価学会に入会するきっかけになった話しは、
よく、知られていますので、
紹介したいと思います。

ハービー・ハンコック氏は、語っています。

『私に信心を教え、
SGI(創価学会インターナショナル)に
縁(えん)させてくれていたのは、
私のバンドでベースを弾(ひ)いていた、
バスター・ ウィリアムスさんでした。

ある公演で、
彼は驚(おどろ)くべき
ソロ演奏を披露(ひろう)し、
私たちを高揚(こうよう)させたのです。

演奏が終わると
大勢(おおぜい)の聴衆(ちょうしゅう)が
ステージに走り寄(よ)ってきました。

感動のあまり
泣(な)いている人もいました。

その衝撃(しょうげき)の公演が終わった後、
私は思わず
彼を楽屋(がくや)に連(つ)れていき、
尋(たず)ねたのです。


「君が、何か新しい哲学(てつがく)か
宗教を実践していると聞いている。

もし、それが、
こんな演奏を可能にするのなら、
それが何かを知りたいんだ。」

と。

バスターは、それについて
私に話す機会(きかい)が訪(おとず)れることを
祈っていたと言って、
『南無妙法蓮華経』の題目(だいもく)について
話し始めました。

彼は、それが『法(ほう)』であり、
宇宙の法則(ほうそく)であると
話してくれました。

私は彼の話しに
多くの希望が含(ふく)まれていることに
好感(こうかん)をもちました。

『南無妙法蓮華経』が何かは
分かりませんでしたが、
バスターは、
私が信じようが信じまいが、
南無妙法蓮華経には力(ちから)があり、
効果(こうか)があると
力説しました。

それで私は

「まだ信じてはいないが、
試(ため)すだけなら、
失(うしな)うものは何もない!」

と始めてみたのです。』

・・・
そして、現在にいたり、
何度もグラミー賞を受賞するなど、
大活躍(だいかつやく)しているわけです。


また、
同じく有名なジャズ・奏者である
ウェイン・ショーターさんも、
語っています。

ショーターさんは、
亡(な)き奥様のアナ・マリアさんから
創価学会の信心を教わったそうです。

ショーターさんは、語っています。

『彼女(ショーターの奥さん)は、
ハービー(ハービー・ハンコック)から、
この信心を紹介されました。

私は、彼女がどう行動するのかを
見ていました。

創価学会の
南無妙法蓮華経をとなえる信心を
実践して、しばらくすると、
彼女は別人のように変わりました。

私は非常に驚(おどろ)きました。
その時の気持ちは、
言葉では表(あらわ)せません。

そこで、私にも教えてほしいと
頼(たの)んだのです。』


ひとことで言うと、
これが創価学会の
南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の
『プラスの力』だと思います。

だれもが、口にはしないけれど、
望んでいるもの。
生命の幸せへの変革(へんかく)、
人間性の開花、
幸せへと向かう生命の喜び、
心に感じる高揚感(こうようかん)と感動・・。

それらの
人間が本質的(ほんしつてき)に求めている
幸せへの欲求(よっきゅう)、
幸せでありたいとする人間性の開花が、
創価学会の
南無妙法蓮華経の仏法には、
ある!ということです。


そして、もうひとつ、
言いたいことは、
この創価学会の
南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰が、
ただ単(たん)に、
生命を歓喜させ、高揚(こうよう)されると
いうことではなくて、
現実の人間を取り巻(ま)く、
さまざまな悩みや問題を解決でき、
人それぞれの夢や希望をかなえていく
大きな力(ちから)となっていく!
ということです。

そして、人生における、
どなん試練(しれん)や困難も
乗り越(こ)えていける、
大きな大きな力であり、
エネルギーでありパワーとなっていくと、
いうことです。

ゆえに、世界192ヶ国の、
創価学会の人たちが、
この南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰によって、
現実に悩みを解決し、
夢や希望をかなえて、
大いなる喜びと感動をもって、
人生に挑戦している。

ウェイン・ショーターさんが、
妻が別人のように変わっていく姿に、
言葉では表せないほど驚いたように、
ハービー・ハンコックが、
強烈(きょうれつ)な衝撃(しょうげき)をおぼえたように、
人々をより良く変革し、
歓喜させ、
幸せにしていく。


それが、
人生も、人間性も、
未来も、生命も、
幸せに変革していける、
創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法の信仰だということです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

不幸になるとわかりきっている、
麻薬や覚醒剤・・・。

そんなマイナスの力に頼らなくても、
心を、やすらがせ、
心を高揚(こうよう)させ、
すがすがしく歓喜させ、
世の中のどんな荒波(あらなみ)にも
負けない生命力を、わき上がらせて、
生き生きと生きていく方法がある!

どんな苦難も、悩みも、
障壁(しょうへき)もストレスも、
乗り越え、
勝っていける方法がある!!


それが、南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぷっぽう)の信仰です。


生命を蘇生(そせい)させる力!
生命を歓喜させる力!
傷(きず)ついた精神や生命を復活させる力!
日々の生活を、清々(すがすが)しく、
前向きに挑戦していける力!!

覚醒剤(かくせいざい)が、マイナスの力ならば、
南無妙法蓮華経の仏法は、
究極のプラスの力です。

その無限のプラスの力によって 、
生命を元気にし、
歓喜させ、
幸せになっていくんです!!

当然、それは、違法(いほう)でもなんでもない。
『南無妙法蓮華経を、となえる』という
日々の行動によって、
自分の中から最高の生命力を、わき上がらせ、
生命と心を蘇生(そせい)させ、歓喜させ、
輝(かがや)かせる。


その、
究極の、
無限の、
『プラスの力』が、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと、
いうことです・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく174

2015-03-03 09:00:57 | 悩み
唐突(とうとつ)だけれど、
日本の一般的な宗教においては、
純粋(じゅんすい)な人ほど、
不幸になると、
言うことができます。

一般的な日本の宗教とは、
葬式仏教(そうしきぶっきょう)や神社信仰、
観光宗教などですが、
どういうことかというと、
それらの葬式仏教や神社信仰、
観光宗教は、
あきらかに間違(まちが)った宗教であり、
デタラメな宗教だということです。

それは、ちょっと考えれば、
わかりますし、
仏法哲学(ぶっぽうてつがく)をひもとけば、
完全に間違った宗教であることがわかります。

間違った宗教というと、
ピンときませんが、
はっきり言えば、
人を不幸にしてしまう宗教だということです。

間違った宗教に祈るということは、
自分の生命と人生を、
その間違った宗教に、ゆだね、
ささげていくことになります。

間違ったデタラメな宗教に、
自分の生命と人生をささげていけば、
自分の生命と人生は、
当然(とうぜん)、
間違ったデタラメなものになっていく。

自分の生命と人生が、
間違ったデタラメのものになっていったなら、
その間違った、でたらめの結果として、
それは、
さまざまな形で、
自分の人生と生命に、
不幸をもたらしてしまう!
ということです。


それが、
日本の葬式仏教や神社信仰、
観光宗教だということです。


だから、それらの宗教は、
数字であらわすとしたら、
すべて、マイナスの宗教であり、
-1とか-10、-100、
-1000、-10000などという、
必ず、『マイナス』がつく
存在(そんざい)だということです。

マイナスの度合(どあ)いを、
最も低く見積(みつ)もって、
それらの葬式仏教や神社信仰、
観光宗教を、
かりに、数字で
「-1」としたとします。

そして、それらの宗教に祈ることを、
かけ算で表現(ひょうげん)してみます。

そうすると、
「-1」に「1」をかけただけなら、
それでも
「-1」で済(す)みます。

けれど、「-1」に「10」をかけたら、
マイナス10倍の
「-10」になってしまいます。

そして、「-1」に
「100」や「1000」をかけていったら、
逆(ぎゃく)に大きなマイナスである、
「-100」や「-1000」に
なってしまいます。


それが、
世間一般的な葬式仏教や神社信仰、
観光宗教だと、いうことです。

かける倍数(ばいすう)を増やすというのは、
強く純粋に、
真剣に祈っていくことを、
あらわしています。

だから、それらの宗教に
真剣に強く、純粋に祈れば祈るほど、
マイナスにかける倍数が増えていき、
祈れば祈るほど、
「マイナス」の数が増えていく!
ということです。

マイナスの数が増えていくということは、
不幸を被(こうむ)る量(りょう)が
増えていく!
と、いうことです。

だから、それらの
葬式仏教や神社信仰、
観光宗教に、
純粋に、
真剣に祈れば祈るほど、
不幸になっていく!
ということです。

だから、それらの葬式仏教や神社信仰、
観光宗教などでは、
純粋な人ほど、
不幸になってしまう!
という結論(けつろん)になってしまいます。


不条理(ふじょうり)というか、
よくドラマや映画などで、
なんで、あんないい子が・・・
とかいうことがありますが、
そういう結果にもなりかねない!
ということです。


だから、宗教なんだから、
純粋に真剣に祈ったら、
いいことがありそうだ・・
と考えるのは、
間違えです。

宗教には、正邪(せいじゃ)があり、
間違ったものに祈っていけば、
不幸になります。


それが真実であり、
法則(ほうそく)です。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

けれど、素直(すなお)に純粋に祈ったほうが
不幸になるなんて、
こんな、かわいそうなことはありません。

そうではなく、
素直に純粋に祈っていけば、
幸せになっていける、
本当の宗教は、ないものだろうか?と、
考えたくなります。


実は、その、
素直に、純粋に、
真剣に祈れば祈るほど、
幸せになっていける宗教が、
創価学会(そうかがっかい)の
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰です。

この創価学会の、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
の仏法は、
世間の間違った宗教とは逆に、
真剣に祈り、実践(じっせん)すればするほど、
幸せになっていきます。

必ず、プラスの結果が出る!
ということです。
だから、創価学会は、
世界192カ国に広がっている。

もちろん、純粋なだけではだめですが、
真剣に祈り、
勇気をもって、実践していった時、
計(はか)り知れない力と可能性を
発揮(はっき)する。

それが、創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰です。


だから、
創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、
他の宗教と違い、
文字通り、
『プラス』の宗教なんです。

数字であらわせば、
プラスの1000にも、10000にも
百万にも、一億(いちおく)にもなるのが、
創価学会の信心です。

いわば、創価学会の信心には、
無限の可能性がある!
ということです。

そのプラスの信心に、
祈りという「かけ算」をしていったとしたら、
その数字は、
何百億にも、何兆(なんちょう)にも、
なっていく可能性があります。


それが、
創価学会の南無妙法蓮華経の仏法です。


だから、無駄(むだ)がない。
祈れば祈るほど、
幸せになっていける。



葬式仏教や神社信仰、
観光宗教などのように、
純粋に祈れば祈るほど、
不幸になるようなことは、
あってはいけない。

純粋に、真剣に祈れば祈るほど、
幸せになっていける、
また、祈りや願いを現実にかなえていける、
真実の宗教が求められます。


そして、その、
本当に祈りからプラスの結果がでる、
どこまでも無限に、
幸せをもたらしていける、
また、悩みや問題を解決でき、
夢や希望をかなえていける力(ちから)のある、
真実の宗教が、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。


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タイムマシンによろしく169

2014-11-13 09:39:25 | 悩み
創価学会(そうかがっかい)の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰を
やってみるきっかけは、いろいろ、あると思うけれど、
何かの悩みや問題があって、
その解決(かいけつ)のために
創価学会の信仰をやりだした場合が、
多いかもしれない。

そして、その悩みや問題が、
ことごとく解決していくから、
創価学会は広がり、
世界192カ国にまで、発展(はってん)している。

それは、現実に、
創価学会の、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
をとなえる仏法の信仰に、
悩みや問題を解決していく、
大きな大きな力(ちから)と
無限の可能性があるからだけれども、
別の観点(かんてん)から、
悩みや問題が解決できる理由を
考えることもできる。


それは、創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰が、
間違いのない、
人々を幸せにできる、
本当に正しい、正義(せいぎ)とプラスの
信仰だと言うことですが、
それとは逆(ぎゃく)に、
葬式仏教(そうしきぶっきょう)にしても、
神社信仰にしても、観光宗教にしても、
日本にはびこっている、それらの宗教が、
あきらかに間違(まちが)った、
でたらめな宗教であり、
人々を不幸にする宗教だということです。

それらの葬式仏教や神社信仰、
観光宗教が、間違った宗教であることは、
ちょっと考えれば、わかりますし、
仏法哲学(ぶっぽうてつがく)をひもとけば、
完全に間違った宗教であることが、
わかります。

間違った宗教に祈るということは、
その間違った、でたらめな宗教に、
自分の生命と人生を、ゆだね、
ささげていくことになります。
間違ったでたらめな宗教に、
自分の生命と人生を、
ゆだね、ささげていけば、
当然(とうぜん)、
自分の生命と人生は、
間違った、デタラメなものになっていく。

自分の生命と人生が、
間違ったデタラメなものになっていったなら、
その当(あ)たり前の結果として、
さまざまな不幸が、
もたらされてしまいます。


それが、葬式仏教や神社信仰、
観光宗教などの間違った宗教です。


だから、そのような宗教にかかわってきたということは、
当然、その間違った宗教の
悪影響(あくえいきょう)と害毒(がいどく)を、
自分の人生に受けていくことになります。

だから、先祖代々、受け継(つ)がれている宗教が、
さっきも言ったように、
間違った、人を不幸にする宗教である場合、
その悪い影響、弊害(へいがい)を、
自分の人生と生命に
受けてしまうということが、できます。

また、自分が過去世(かこせ/過去に生きていた時代)に
かかわった宗教が、
間違った悪(あ)しき宗教であったがゆえに、
その間違った影響、
さまざまな不幸を背負(せお)って、
自分が生まれてしまったと、
考えることもできます。


人は、悩みの根本原因までは、
考えがおよびませんが、
さまざまな悩みや苦しみ、不幸は、
間違った宗教から起ってくると、
断言(だんげん)することができます。

ところが、
創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の
信仰につくということは、
逆に、その、自分が今までかかわってきた
間違った宗教を捨てて、
断(た)ち切ることを意味しています。

不幸の根源(こんげん)には、
その間違った宗教があるわけですから、
悩みや苦しみ、
不幸の根本的な原因は、
その間違った宗教にあるわけです。

そして、その、間違った宗教を捨てるということは、
その不幸や悩みの根本原因を、
捨てることになります。

不幸の根本の原因を捨てたんだから、
それは、結果として、
不幸や悩みを
消(け)し去(さ)ることになります。

原因がなくなれば、
それは結局(けっきょく)、
悩みや問題を、
解決することになっていきます。


そう考えると、
この創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる
仏法の信仰をやっていったとき、
ことごとく悩みや問題を解決していけ、
それがかりに、大変な悩みや問題であっても、
創価学会の信仰を、
真剣にやっていくことによって、
解決していけるのも、
納得(なっとく)いくかもしれません。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

問題は、
宗教には、正邪(せいじゃ)がある!
ということです。

間違った宗教をやっていけば、
不幸になるし、
正しき宗教をやっていけば、
幸せになります。

その間違った、
人を不幸にしてしまう宗教が、
日本にはびこっている
葬式仏教や神社信仰、観光宗教などです。


人は、正月などになると、
初詣(はつもうで)だと言って、
さまざまな神社や仏閣(ぶっかく)に行きますが、
実際は、いいことなどありません。

不幸になる原因を、
つくりに行っているにすぎません・・。

そして、それは、
自分の生命と人生に、
積(つ)み重(かさ)なり、
時と共に、
その人を苦しめることになるでしょう・・。


人は、このことに、
早く!気づくべきでしょう。


そして・・、
それとは逆(ぎゃく)に、
どんな不幸も、悩みも打ち破(やぶ)り、
夢や希望をかなえて、
太陽のような幸せを勝ち取っていける、
唯一(ゆいいつ)、真実に正しい宗教と言えるのが、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・