タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく122

2013-04-30 08:35:54 | 日常
このまえ、
会社の年配(ねんぱい)の方が、
休日になると、
やることがなくて、
『何を、やろうか?』
迷(まよ)ってしまう!
と、言っていた。

人の生き方は、いろいろ、ある!
やることが、ありすぎて、
困(こま)ってしまう人も、いるかもしれない。
充実(じゅうじつ)している人も、いるかもしれない。
けれど、一般的に考えて、
『時間を、どう、使うか?』
というより、
『時間を、どう、つぶすか?』
という観点(かんてん)から、考え、
生きている人が、多いことも、
現実だと、思う。

『時間を、つぶす!』
ここには、価値(かち)はない!
「生きる価値」という概念(がいねん)すら、
ないかもしれない・・・。
ただ、単に、自分に何らかの快楽を、
味(あじ)あわせるために、
行動しているとも、言えます。

もちろん、
人間は、自分を楽しませ、遊ぶために、
生きているといっても、いいので、
それは、重要かもしれない。

けれど、どうしても!
『時間を、つぶす!』ために、
生きているという感じを、
ぬぐえないのは、どうしてだろうか?
一般的に考えて、
どんなに高尚(こうしょう)な趣味を持とうとも、
人々は、どうしても、
時間を、つぶすために、生きているという、
無価値の感覚を、ぬぐいさることが、
できない・・・。


それは、なぜなのだろう?


それは、『生きる本当の価値』を、
知らないからではないだろうか?
生きる価値!あるいは、価値のある生き方!
それが、わからないし、
わかろうとも、していない。

だから、一般的な人々の生き方には、
どうしても、空(むな)しさが、ある。
自分は、今まで、何のために、生きてきたのか?
その決定的な答えを、出せないまま、
ほとんどの人間が、生き、
そして、死んでいくのかもしれない・・。


それとは、正反対なのが、
創価学会員の生き方です!
創価学会員は、根源(こんげん)から、
『生きる価値』を、知ってる。
もっと、言うと、
『生きる価値』を、自分の生命すべてで、
感じ、味わい、表現している!
それが、創価学会員の生き方です。

なぜ、それが、できるかというと、
創価学会員が、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を、
知っているからです。
南無妙法蓮華経とは、
宇宙の価値そのものだからです。

すべてに価値を、生み出す法則(ほうそく)!
それが、南無妙法蓮華経です。
すなわち、生命に、根源的な価値を生み出し、
人間の生命すべてを、真実の価値に、
目覚(めざ)めさせ、自覚させ、
自分の生命と人生のすべてを、使って、
本当の価値を、味わい、楽しみ、
無限に開花させていく!

それが、できるのが、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です。

だから、創価学会の人たちは、
日々、南無妙法蓮華経を、となえることによって、
自分自身の本当の価値に、目覚(めざ)めていく。
そして、自分の中の価値が目覚めたならば、
自然に、自分の生命すべてで、
最高の価値を、表現できるようになってくる!

さらに、自分の生命は、
世界と、直結(ちょっけつ)し、
自分の生命そのものが、
自分の生きること、そのものが、
人々のために、世界のために、人類のために、
本当に、役に立つ最高の存在に、変わっていく!

不思議(ふしぎ)だけれど、
実際、南無妙法蓮華経を、となえていくと、
本当に、そうなっていく!!
すごいとしか、言えませんが、
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
あらゆる人が、価値を自覚し、
満喫(まんきつ)しながら、
最高に価値のある、素晴らしい人生を、
生きることが、できるようになっていく!!

時間を、つぶすのではなく、
価値を、つくれるようになっていく!
もっと言うと、生きること、そのものが、
価値創造(かちそうぞう)となって、
開花していく!

こんなに、楽しいことはない!!
だから、南無妙法蓮華経を、となえていくと、
自分の生命が、歓喜(かんき)してきて、
高揚(こうよう)してくる!!

この喜びは、はかりしれない。

だから、創価学会の人たちは、
根本から、考え方が違(ちが)うと言える。
創価学会の人は、
日々、南無妙法蓮華経を、となえることによって、
自分の中に、最高の価値を、自覚し、
価値を、自分で、感じているので、
「時間を、いかに、つぶすか?」ではなく、
考えることは、
『もともと価値ある時間を、
どうしたら、もっと価値を高めて、
効果的(こうかてき)に、使っていけるか?』
と、これ以上ない、前向きな、
楽観的(らっかんてき)な姿勢で、とらえ、
考えていく!

この姿勢(しせい)は、スゴイと思う!
しかも、その素晴らしく楽観的な前向きな考え方を、
特別な教養もないような婦人や、おばあちゃん、
あるいは、学歴も、なにもないような、
名も無い庶民たちが、
みんな、当然のように、実践(じっせん)している!

こんなに、すごくて、偉大(いだい)で、
素晴らしいところは、
ほかでは、絶対にないと思う!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

創価学会の人は、
もう、すでに、自分の人生に、
最高の価値が、あることを、知っている。
また、価値を、生み出す方法も、知っている!
だから、かぎられた時間を、
さらに、もっと価値ある時間にしようとして、
全力を出して、生きている!

その充実感と、喜びと歓喜と幸せは、
計(はか)り知れず、はっきり言えば、
創価学会の人の生き方を、知らない人に比(くら)べると、
失礼ですが、
数十倍、数百倍、レベルが、上だと思う。
すなわち、それだけ、
充実感も、歓喜も、幸せも、大きい!!

それが、価値と共に、
生きる、生き方だと思う。

そして、それが、できるのが、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)であり、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』
と、いうことだと思う。

わかりやすく例(たと)えて言うと、
時間を、つぶす生き方が
南無妙法蓮華経を、
となえないで生きる生き方だとすれば、
価値を、最高最大に作り、
価値を無限に開花させていく生き方が、
南無妙法蓮華経を、となえる、
生き方だと、言える!!

南無妙法蓮華経を、となえると、となえないでは、
生命の充実感と、自分の人生に、
それだけ、大きな、
決定的な差(さ)が、出てきてしまう。

それが、生命の法則である、
『南無妙法蓮華経』であり、
それを、実践しているのが、
創価学会です・・・・・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく121

2013-04-24 08:28:17 | 人生
まえに、
サケが、自分の生まれた川に、
戻(もど)ってくる光景を見に、
北海道に行ってきた人がいて、
いろいろ、話してくれました。

サケが、川に戻(もど)ってくると、
川は、サケの群(む)れで、
縦(たて)に、四層にも五層にも、なるそうです。
それで、川に、棒(ぼう)を、立てても、
倒れないそうです。

サケは、およそ、稚魚(ちぎょ)の、
98%が、自分の生まれた川に、
戻ってくるそうです。

よく、テレビとかで、見たけど、
川が、段になっている場合、
その箇所(かしょ)は、
滝のような形状になる!

そんな滝(たき)のような場所があっても、
サケは、川を、のぼっていく。
見ていると、サケは、
その滝のような逆流(ぎゃくりゅう)を、
上ろうとしては、ハネ返されて、
また、もどり、しばらく、
流れのゆるやかなところで、
休んで、また、滝のような逆流を、
のぼろうとし、また、
ハネ返されて、
石や砂利(じゃり)に、傷(きず)つけられながらも、
また、逆流を、上ろうとする。

そんなことを、サケは、
なんども、なんども、
繰(く)り返している。
その光景を見た人が、
「サケは、なんて、無駄(むだ)なことを、
 しているんだろう!」と思い、
地元の漁師に、聞いたそうです。

「なんで、サケは、あんな無駄なことを、
 しているんですかね!」と。

すると、地元の漁師の人は、

「サケは、ああやって、逆流にハネ返され、
 石や砂利(じゃり)に、自分の腹を、
 ぶつけることによって、
 タマゴを包(つつ)んでいる袋を、
 自分で、破っているんだよ!」

と、答えてくれたそうです。

それを聞いた観光の人も、
なにごとも、無駄(むだ)なことなんて、
ないんだな!と、関心したそうです。


サケは、卵を産むために、
自分の生まれた川に、帰ってくる。
そして、タマゴを生んだら、
死んでいく。
それだけのために、
はたから見たら、大変な思いをして、
川を、上っていく。

死ぬために、川に戻ってくるようなものだから、
考えによっては、
とても、はかなく、哀(あわ)れにも思われる。
けれど、それも、無駄ではない。
死んだサケの体は、さまざまな動物の、
食料にもなるし、また、そのまま、残り、
腐食(ふしょく)していったサケの体は、
やがて、プランクトンにまで、
分解(ぶんかい)されていく。
そして、ちょうど、そのころ、
サケの卵は、孵化(ふか)し、
サケの体から、生まれたプランクトンは、
サケの稚魚(ちぎょ)の、エサになっていく。

プランクトンを食べたサケの稚魚は、
海に出て成長し、
また、生まれた川に帰ってくる。

そこには、無駄(むだ)はない。
すべてが、無駄なくスムーズに、
循環(じゅんかん)している!

これが、本来の自然の摂理(せつり)なのかも、
しれない。

すべてに無駄がない生命の法則(ほうそく)、
もっと言えば、
すべてに無駄がない、宇宙の法則。
これが、本来の姿!

その本来の、宇宙のリズムの中では、
すべてが、スムーズに、
なんの無駄もなく、循環(じゅんかん)していく。

これが、
本来の生命の法則であり、
宇宙の法則なんだと思う。


ところが、
人間の人生には、
あるいは、人間の生き方には、
なんと、無駄が、多いのかと、
思うことがある。
生命のリズムに無駄がないということは、
それは、『幸せ』を意味しているんだと思う!
なにもかも、すがすがしく、心地(ここち)よい!
だから、幸せを感じる。
だから、無駄は、その逆(ぎゃく)で、
なにもかも、うまくいかない!
スムーズでない。気持ちよくない。
それは『不幸』を意味してるんだと思う。


この世には・・・、
ほんとは、あってはいけない・・・、
すなわち、人生にとって『無駄』であるはずの、
『不幸』が、なんと、たくさん、
存在(そんざい)しているんだろうか・・・・!


宇宙は、本来、無駄がなく、
スムーズに循環(じゅんかん)しているはずだ!
それは、すなわち、
宇宙には、本来、『不幸』はなく、
すべてが、幸せのために、
循環していくことを、意味する。

それなのに、
人間は、多くの『不幸』を、かかえている!
それは、なぜなんだろう?

それは、簡単に考えると、
人間が、宇宙のリズム、
宇宙の法則、生命の法則に、
反(はん)しているからだと思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

人間が、この宇宙のリズムに、
逆(さか)らい、
宇宙の法則に、逆らい続けるかぎり、
人間の不幸は、なくならないかもしれない・・。

人間の、ありとあらゆる不幸は、
根底(こんてい)から言うと、
宇宙の法則、宇宙のリズムに、反(はん)し、
宇宙の、生命のリズムに、逆らい続けているから、
起こると、いえる。

その生命の法則である、宇宙のリズム!
生命のリズムである、宇宙の法則が、
実は、創価学会の人たちが、
日々、となえている、
『南無妙法蓮華経』です!!

南無妙法蓮華経は、宇宙のリズムであり、
生命の法則なんです!

だから、宇宙のリズム、生命のリズムから、
外(はず)れてしまった人間、
宇宙のリズムと、完全に、ずれて、
歯車(はぐるま)が、
狂(くる)ってしまった人間。
そうなった人間のことを、
きっと、『不幸』というのだろうけれど、
宇宙のリズムから、はずれ、
生命のリズムが、狂ってしまった、
不幸なる人間も、
宇宙のリズムである、
『南無妙法蓮華経』を、となえていくと、
自分で、宇宙のリズムである、
『南無妙法蓮華経』を、となえているので、
自分の生命が、宇宙のリズムと、
合致(がっち)してくるようになる。
すなわち、宇宙のリズムと、
歯車が、かみ合うようになってくる!

本来、宇宙のリズムは、
幸せのリズムなのだから、
宇宙のリズムである『南無妙法蓮華経』を、となえて、
自分の生命が、宇宙のリズムに、
なっていけば、
「宇宙のリズム」イコール「幸せのリズム」なので、
当然、その人は、
幸せになっていける。

そうなれば、
当然、努力は、報(むく)われ、
夢や希望を、かなえて、
人生を、勝利できる!

それが、南無妙法蓮華経の法則だと思う。


だから、創価学会の人たちは、
どんな人であろうと、
どんなに、歯車が狂って、
不幸になってしまった人でも、
南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、
宇宙のリズム、幸せのリズムを、取り戻(もど)し、
蘇生(そせい)して、
幸せになっていける!

そしてその、証明(しょうめい)として、
創価学会は、
世界192ヶ国に、広がり、
あらゆる人々に、希望と勇気、
勝利と幸せを、もたらしている・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく120

2013-04-17 09:18:43 | 幸せ
●テーマ●
『師匠を持つことの魅力について』

一般的には、
師匠(ししょう)というと、
芸術とか、芸能、
あるいは、スポーツの世界の話しのような、
気がする。
特殊(とくしゅ)な技能や技術、
あるいは、特別な分野での活躍(かつやく)を、
目指す場合に、
それを、教えていただく先生、
もっと、踏(ふ)み込むと、
『師匠(ししょう)』という存在が、
必要になってくるんだと、思う。

それら、特別な分野での、
師匠という存在は、
たしかに、その特別な分野での成長を、
めざす人にとっては、
大切な、かけがいのない存在に、
なるんだと思う。

師匠が、いると、なぜ、いいのか?
ある意味、手本(てほん)となる存在がいるということは、
目的を、達(たっ)するのに、
最短距離で、進むことが、できると思う。
もちろん、それだけではないと思うけれど、
自分が目指(めざ)すものの、手本として、
ナビゲートして(導いて)くれる存在が、
いれば、険(けわ)しい道であっても、
安心して、進んでいけるのかも、
しれない。

また、分野においては、
師匠につかないと、未来が開けない場合もある。
また、師匠を持たず、
独学で、大成(たいせい)していく人も、いる。
それはそれとして、
実は、師匠を持つということは、
技能や技術面での成長より、
人間としての成長が、大きいように、
思われる。
親でも、友達でもない、師匠、
この微妙(びみょう)な関係だけが、成(な)しうる、
人間関係!
師匠と弟子でなかったら、
けっして、生まれることのない人間関係。
ここに、人間として、
大きく開花していく、鍵(かぎ)と、
秘密(ひみつ)が、かくされているのかもしれない。


創価学会では、
師弟(してい)の概念(がいねん)を、
とても大切にします。
師匠と弟子!
創価学会が、実践している仏法(ぷっぽう)は、
人間に、最高峰(さいこうほう)の希望と幸せを、もたらす
最高の法則であるがゆえに、
ある意味、きびしい道のりかも、しれない。
仏法は、いまだ、科学で、解明(かいめい)されていないし、
世間的にも、理解できなかったり、
理解されていない部分が、多いかもしれない。

だから、この最高の幸せと勝利を、
つかむために、仏法(ぶっぽう)を、
真に実践(じっせん)している師匠の存在が、
とても大切になっていく!
同じ人間として、最高最大の仏法の法則(ほうそく)を、
現実の人間として、開花させ、
現実に行動し、
その素晴らしさを、自(みずか)らの姿をもって、
表現しきっている存在!
その存在(そんざい)を、目の当たりに見て、
初めて、弟子は、
仏法のすごさ、素晴らしさ!
仏法の偉大(いだい)さを、理解し、
感じ、自分も、実践してみようと、
思うのかもしれない。



普通、師匠というと、
芸能、芸術、など、かぎられた、
狭(せま)い分野での
特定の人だけの存在に、
思われる。

けれど、創価学会の師匠は、
あらゆる人間にとっての師匠です。

創価学会の師匠は、
当然、創価学会インターナショナル会長の、
池田大作先生だけれども、
池田先生は、創価学会の、
あらゆる分野のひとたちの師匠です。
芸術家であろうと、
主婦であろうと、
とび職人であろうと、
船乗りであろうと、
医者であろうと、
科学者であろうと、
保母さんであろうと、
学生であろうと、
看護士であろうと、
サラリーマンであろうと、
社長であろうと、
飲み屋の姉さんであろうと、
その、すべての師匠が、
池田先生です!

それは、なぜか?
池田先生は、人間のための師匠だからです!
人間として、勝利し、
幸せをつかむための、師匠(ししょう)!
それが、池田先生です。
だから、池田先生は、すべての人の師匠と、なりうる。

また、世界でも、
優秀であればあるほど、
池田先生の価値(かち)と偉大さが、
わかるという。
その最優秀の人たちは、
別に、創価学会員でなくても、
自分の師匠は、
『池田大作先生だ!』といって、
はばからない人たちが、
たくさん、いる!
それほど、池田先生という師匠は、
偉大だということです。

師匠が、大きく、偉大であればあるほど、
その弟子たちは、
自由に、希望を持って、
自分の夢と幸せのために、
まっすくに、人生の道を、進んでいける!

だから、
人生と幸せを、考えた時、
師匠を持つ意義(いぎ)は、あまりにも大きい!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

師匠がいるから、勝てた。

師匠がいるから、悩みや困難(こんなん)を、
乗り越(こ)えることができた。

師匠がいるから、夢や希望を、
かなえることができた。

どんな状況でも、どんな環境(かんきょう)でも、
どんなに悲しい時でも、
師匠がいるから、負けないで戦い、
幸せを勝ち取ることができた。

創価学会では、
そのような声が、その、人の数だけあると、
言ってもいいと思う。

『師匠』対『多数の人々』ではなく、
一対一の関係で、
ひとりひとりが、『師匠』を持っている。

それが、どれだけの、
強さと勇気と、
希望と幸せを、もたらすか、
それこそ、計(はか)り知れない・・!!


創価学会が実践している仏法(ぶっぽう)は、
人間に、最高峰(さいこうほう)の希望と幸せを、
もたらします。

仏法(ぶっぽう)とは、
世界最高の人間哲学(てつがく)、
生命哲学、
あるいは最高の勝利の哲学であり
幸せの哲学(てつがく)です。

だから、
その創価学会の南無妙法蓮華経の仏法とは、
必ず、人々に勝利と幸せをもたらす、
無限にして最大の法則であり力(ちから)だと、
言えます。

その、仏法における師匠を持ち、
師弟(してい)を、つらぬくことは、
その人々に必ず勝利と幸せをもたらす、
無限にしてい最大の法則であり力(ちから)を、
つらぬくことになっていきます。

創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、
世界最高の人間哲学(てつがく)であり
生命哲学であり、
また、世界最高の勝利と幸せの哲学なんだから、
それを、つらぬこうとする師弟(してい)は、
当然、世界最高の勝利と幸せを、
つかむことになっていきます。

最高にして最大の勝利と幸せを、
つかむためにあるのが、『仏法(ぶっぽう』。

仏法は、人間としての、
最高峰(さいこうほう)の『幸せの法則』!!

だから、
その最高峰の幸せの法則を持った、
最高の師匠は、
哲学的(てつがくてき)にも、生命的にも、
現実的にも、生活的にも、
人間的にも、その弟子を、
最高の幸せへと、導(みちび)くことができます!

だから、創価学会の、
池田先生は、
文字通り、世界最高の師匠となる!
何の師匠かというと、
人間に勝利と幸せを、もたらすための、
世界最高の師匠ということです。

すなわち、その師匠を持つということは、
師匠と同じ、世界最高の勝利と幸せを、
めざす道を、進み、
その結果、
必ず、勝利と幸せを、つかめる!
ということです。
同じ道を、進んでいるんだもの!
たとえ、足の遅(おそ)い、早いは、あったとしても、
最終的には、
必ず、『幸せ』という到達点に、達(たっ)するはずです!



師匠がいなくても、
人生は、人生だし、
時は、過(す)ぎていく・・。

けれど・・、
だれでも、幸せになりたいし、
人生に勝利したい・・。

それに、人生、
幸せと勝利につながる道を、探すのは、
大変です!

路頭(ろとう)に迷(まよ)い、
途方(とほう)に暮(く)れることも、あるかもしれない。

そんな時、もし、幸せと勝利の道を、
明確(めいかく)に知っている人が、いれば、
その人の歩んだ道を、
進めば、必ず、幸せを、つかめる!


仏法における「師匠」とは、
『人生における勝利』
『人間としての勝利』をもたらす、
『幸せ』という、すべての人に共通する、
大目的を果(は)たすための『師匠』です。

その、幸せをつかむための師匠が、
必要でない人は、
ひとりも、いないはずです。
仏法の眼(まなこ)から、見れば、
それを必要としないというのは、
おごりであり、一人よがりであり、
心の狭(せま)い、みじめな人間だと、言えます。

仏法でいう師匠は、
結局(けっきょく)、人間を、最高の幸せへと、
導くからです!!!

言葉では、言い表(あらわ)せないけれど、
偉大な『師匠』が、いるということ!
これほど幸せなことは、
おそらく、ないと思う。
また、逆に、
師匠の必要性(ひつようせい)を、
理解しないことほど、
かわいそうなことは、ないのかもしれない。

それほど、
師匠というものは、大切であり、
人生を、左右する。


師匠と弟子の関係は、
人間として、最高の輝(かがや)き、
最高の勝利、最高の幸せを、生み出す!

本当は、『師匠』は、
人生においても、『生命』においても、
幸不幸を左右する決定的な部分を、しめている。

幸福になりたいのならば、
人生を勝利したいのならば、
あまりにも大切なのが、
『師匠』である!と言い切ることができる!!

また、それが、師匠を持つ魅力(みりょく)だと思う・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく119

2013-04-10 07:29:43 | 幸せ
●テーマ●
『創価学会(そうかがっかい)の魅力について』

ある学者が、
創価学会は、校舎(こうしゃ)なき人間大学だ!
と話していたので、
創価学会の魅力(みりょく)を、
そんな一回のブログくらいで、
言い表(あらわ)すことが、
できないのは、わかっています。

けれど、
なにごとも、話さないと伝(つた)わらないので、
思いつくままに、
話していきたいと、思います。

創価学会の魅力、
それは、人生においても、
人間としても、
最高の価値(かち)を
共有(きょうゆう)できる仲間たちと、
ともに、前進して、
生きていける喜びでは、
ないだろうか!

しかも、その最高の価値は、
人を選ばない。
子供であろうと、おばあちゃんであろうと、
大工であろうと、
科学者であろうと、
芸能人であろうと、
漁師であろうと、
とび職人であろうと、
大学の教授であろうと、
飲み屋の女性であろうと、
美容師だろうと、
看護士だろうと、
芸術家であろうと、
スポーツ選手であろうと、
すべての人間が、
その生きる価値を、共有している!

それを、感じて生きる喜びは、
おそらく、計(はか)り知れない!!
すべての人から、学び、
すべての人から、励(はげ)ましのエネルギーを受けて、
喜び勇(いさ)んで、歓喜して、生きる!

これが、
現実の中で、できるのが、
創価学会だと思う。

ほかでは、
絶対に無い世界が、
創価学会には、存在(そんざい)している。

たとえば、普通、一般的に、
子供は、同じ学年の人としか、
あまり、つながりや、会話がない。

ところが、創価学会では、
老若男女、入り乱(みだ)れているから、
その中で、子供たちは、
いろんな年齢の人たちと、
話しをしたり、触(ふ)れ合っていける!

これは、
子供の教育にとって、
大変に良い結果を、もたらす。
子供は、大きな視野(しや)を、もてるようになり、
心が、おおらかになり、
柔軟性(じゅうなんせい)のある、心やさしい人間へと、
成長していける。

その、なんの、かきねのない、
人間教育の場が、
創価学会だと思う。

ほんとうは、創価学会は、
幸せと希望と、勇気と勝利の、
あらゆるものを、もたらす、
生命のオアシスのようなところだけれど、
人間教育という観点(かんてん)からも、
人々に大きな効果(こうか)と成長をもたらす。


大げさに聞こえるかもしれませんが、
こんな素晴(すば)らしい世界は、
創価学会でしか、ない!
あんまり、素晴らしいので、
世間の人たちは、嫉妬(しっと)して、
悪口や、批判(ひはん)、デマを、並び立てる。

そのデマの根源は、嫉妬(しっと)です。
嫉妬する人間の話しを、信じては、
損(そん)を、します。

けれど、世間が、
どんなに、嫉妬し、
創価学会を、非難(ひなん)したとしても、
創価学会は、びくともせず、
どんどん、広がっている!

だって、
創価学会は、素晴らしいからだ!(笑・・)


池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、

「創価学会は、
 幸せの安全地帯だよ!」

と、言っていましたが、
それは、まさしく、
その通りなんだと思う。


だから、創価学会は、
世界に、広がり続ける。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

ある創価学会の地区の幹部の人が、
「私は、中学しか出ていなくて、
文字を書くのが、苦手だったが、
地区部長を、やっていく中で、
文字を書くことも、だいぶ、
できるようになってきた!
創価学会の中で、
大きく、境涯(きょうがい)革命が、できた。」
と、言っていた。

創価学会には、
いろんな人がいる。
その一人一人が、
無限の価値を持って、
誇(ほこ)り高く、
存在していける場所が
創価学会には、ある。

一人一人が、
自分らしく、
自分の使命を自覚して、
輝(かがや)き、
境涯(きょうがい)を、開き、
幸せになっていける場所が、
必ず、ある!
その、幸せの安全地帯が、
創価学会です。

だから、
その創価学会の安全地帯を、
壊(こわ)そうとする人は、
絶対に、許さない!
どんな幹部であろうと、
ひとたび、創価学会を利用したり、
自分の私腹(しふく)を、こやすために、
学会を、使おうとしたら、
絶対に許(ゆる)さない!
そういう人は、
創価学会から、脱会させ、
永久に許さない!

それが、創価学会の、
幸せの安全地帯を、
守る方法だからです。


創価学会は、
生命においても、
人生においても、
太陽の当たる場所だと、思っていい!

創価学会の中で、
真面目に活動し、活躍(かつやく)する人には、
必ず、サンサンと輝く太陽が、
その人を、照(て)らしている。
すなわち、その人の生命は、
太陽の光を浴(あ)びて、輝き、
その人の生命は、幸せに、つつまれる。

すなわち、
その人は、
人間としても、
人生においても、
必ず、勝利し、
幸せになっていける!


『幸せになる・・・!』

これほどの魅力があるだろうか・・!

どんな人でも、
どんな悩みがあろうとも、
どんな夢や希望も持っている人でも、
どんな境遇(きょうぐう)にあろうとも、
必ず幸せになっていける。
必ず、悩みや困難を乗り越(こ)えて、
人生を勝利していける・・!


それが、
創価学会という場所であり、
創価学会の魅力だと、思う・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく118

2013-04-03 07:50:25 | 幸せ
●テーマ●
『南無妙法蓮華経の魅力について』

創価学会の人は、
仏法(ぶっぽう)の実践として、
日々、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえます。
自宅にいるときは、
ご本尊(ほんぞん)に、南無妙法蓮華経を、となえるし、
どこにいたとしても、
心の中や、さしつかえなければ、
小さな声で、南無妙法蓮華経を、
となえる場合も、あります。

創価学会の人が、
なぜ、南無妙法蓮華経を、となえるかというと、
南無妙法蓮華経に、
それだけの魅力(みりょく)が、あるからです!
ほんとうは、
魅力以上のスゴイ価値と力(ちから)が、
あるんだけれど、
それも、魅力として、考えていきたいと思います。

南無妙法蓮華経の魅力・・・!

南無妙法蓮華経は、
あまりにも、すごすぎて、
その魅力を、語るのは、
あまりにも、困難(こんなん)であることは、わかっています。

けれど、
語ってみる価値(かち)は、大いにあると思う。

南無妙法蓮華経の魅力は、
まず、『変わることが、できる!』
ということだろうか。
自分は、変わることができる!
いつ、どんな状況(じょうきょう)においても、
南無妙法蓮華経を、となえることによって、
必ず、変わることが、できる。

それは、どんな困難も、
乗り越(こ)えていくことが、できる!
ということであり、
また、努力しだいで、
どんな夢も、かなえていくことが、できる!
ということでもある。

一言で、いうと、
それが、南無妙法蓮華経だと、思う。
南無妙法蓮華経は、
宇宙を、動かしている大元(おおもと)のエネルギー、
生命を変化させる根本にあるもの、
宇宙の慈悲(じひ)そのものとも、言えようか・・。

難(むずか)しいことは、さておき、
南無妙法蓮華経は、
どんな時に、となえても、
どんな状況で、となえても、
どんな人が、となえても、
どんな環境(かんきょう)に住む人が、となえても、
すべての人に、大きな価値を、もたらす!

病気で苦しんでいる人には、
強い強い生命力となって、
病気を克服(こくふく)し、
蘇生(そせい)させるエネルギーとなる。
絶望に、覆(おお)い尽(つ)くされた心には、
希望と勇気を、もたらす。
人間関係で、悩んでいる人には、
人間を思いやる心、
人間性の開花を、その人に、もたらす。
貧乏(びんぽう)で、苦しんでいる人には、
南無妙法蓮華経は、
貧乏を克服(こくふく)する、強い生活エネルギーとなって、
現(あらわ)れてくる。
芸術家などが、アイデアに苦しんでいる時は、
南無妙法蓮華経は、
知恵となって、その人を、救っていく!

南無妙法蓮華経は、
生命を、変革するエネルギー!
生命を、幸せの方向に、根底から、
動かしていくエネルギーであり、法則(ほうそく)!
それが、
『南無妙法蓮華経』

だから、あらゆる人を、
幸せに変革(へんかく)してゆく結果となる。


科学にしろ、
哲学(てつがく)にしろ、
幸せに関して、難(むずか)しいことを、言う。
それが、実際、正しいとしても、
その理論を、認識(にんしき)できる人は、少ない。
また、科学や哲学が、正しくても、
それを、自分が幸せになるように、
実際(じっさい)に行える人は、少ない。
哲学などに関しては、
それを正しく行える人など、
ほとんど、いないかもしれない・・。

それに、科学にしろ、哲学にしろ、
政治にしろ、
優秀なエリートであるはずの人たちが、
ハレンチ事件を、起こしたり、
犯罪に走ったり、
国民や民衆を、見下(みくだ)し、だまし、
民衆に、大変な損害(そんがい)を、およぼすことも、
多すぎるくらい、ある。

すなわち、それらは、
人間を、本当には、幸せにしていない!
ということが、わかると思う。
もっと言うと、どんなに、優秀であったり、
権力や富(とみ)が、あったとしても、
彼らは、自分自身さえ、
コントロールし、変えることが、
できなかった!ということだと思う。

どんなに、
優秀であろうと、富が、あろうと、
自分が、なにかしらの困難に直面した時に、
それを、打開(だかい)する方法を、しらない。
自分自身、自分の生命の、悪(あく)や弱さに、
打ち勝つことが、できない!
ということてす。

だから、不幸は、起こる!

どんな人であっても、
不幸は、
『自分自身を、変えることが、できない!』
ことから、起こる!

だから、優秀な人であろうと、
富裕(ふゆう)な人であろうと、
権力が、どんなに、あろうと、
必ず、不幸は、つきまとう。

なぜなら、
自分を、自分の生命を、
変える方法を、しらないからだ!
ここに、人間が持つ、
真っ黒な暗黒(あんこく)が、存在する!

その暗黒に、光を、ともし、
太陽のように、サンサンと輝(かがや)かせるのが、
『南無妙法蓮華経』です!

南無妙法蓮華経は、
すべての人の中の暗黒を消す!
南無妙法蓮華経は、
すべての人の中の不幸という絶望を、
消し去る!

だから、創価学会は、
国籍(こくせき)も、環境も、学歴も、
まったく、関係なく、
小さな子供でも、
おばあちゃんや、おじいちゃんでも、
すべての人に幸せを、もたらす。
それは、すべての人の生命を、
どんな人であっても、
根底(こんてい)から、変えることが、できる!
と言うことです!

それを、ただ『南無妙法蓮華経を、となえる』
ということによって、
子供であっても、なんの学歴もない、
おばあちゃんであっても、
自分の生命で、感じ、
納得(なっとく)し、理解することが、
できるからです!

ひとことで、言うと、
どんな人でも、
『南無妙法蓮華経って、すごいんだよーーー!』
と、ただ、自分で、
『南無妙法蓮華経を、となえる』ことによって、
わかってしまう!

ここに、南無妙法蓮華経のスゴサが、ある!
これは、どんな優秀なエリートであろうと、
科学者であろうと、哲学者であろうと、
政治家であろうと、
決して、成(な)しとげることのできない偉業(いぎょう)です!

なぜなら、
すべての人間の生命を、変革し、
実際に、幸せにしてしまうのだから!

だから、子供であろうと、
おばあちゃんであろうと、
『南無妙法蓮華経って、スゴイんだよーー!』
と、言うことが、できる。
現実に、すべての人の生命に、
歓喜(かんき)と幸せを、もたらしてしまう!


ここに、南無妙法蓮華経のスゴサもあり、
創価学会のスゴサもある。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

南無妙法蓮華経は、すべての人の生命に、
歓喜と、幸せを、もたらす!

これは、科学者も、哲学者も、政治家も、
絶対に、できません!!!
生命の根底から、
これが、できるのは、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』
ただ、これだけです!!

必ず、変われる!という希望、
必ず、変われる!という確信、
必ず、変われる!という幸せ、

だから、
『南無妙法蓮華経を、となえる』ということは、
他では、絶対に、手に入らない、
人生においても、自分の生命においても、
かけがいのない宝物と、なります。

だから、創価学会は、かけねなしに、
世界192ヶ国に、広がっている。
それは、どんな国の、どんな人であっても、
南無妙法蓮華経を、となえることによって、
生命が、変革してくるのが、
自分で、わかるからです。
南無妙法蓮華経を、となえれば、
南無妙法蓮華経の価値が、どんな人でも、
わかってしまうからです。

だから、日本と違(ちが)って、
宗教にうるさい、世界の人々にも、
創価学会は、受け入れられ、
南無妙法蓮華経は、
広がっている!


南無妙法蓮華経の魅力、

それは、南無妙法蓮華経が、
人間の生命を、変革できる、
生命の根底から、その人を、幸せにできる、
あるいは、人間を、
勝利に、幸せへと導(みちび)くことができる、
生命における、
唯一(ゆいいつ)の法則であることに、
ほかならないと思う・・・・!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・