タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく165

2014-08-28 09:12:12 | 映画
このまえ、ビデオで、
『四日間の奇跡(きせき)』という映画を、
見ました。

新進ピアニストとして、
期待されていた如月(きさらぎ)は、
海外でのコンサートを終えた直後、
テロ的事件に、巻(ま)き込まれる。

そのテロ的事件によって、
ある夫婦が殺され、その子供である、
一人の少女を、如月は、助ける。
しかし、少女を助ようとした時に、
ピアニストの生命線である指を、
ピストルで撃(う)たれ、
指の神経を断裂(だんれつ)してしまう。

如月(きさらぎ)は、失意の底に沈(しず)むが、
それでも、父母を失い、
身寄(みよ)りをなくしてしまった
少女・千織(ちおり)を、
やしなうことを、決意する。

千織は、脳に障害(しょうがい)があり、
話すことも、ままならなかった。
けれど、一度聴いた旋律(せんりつ)を、
一音違(たが)わず再生できる、
特異な能力を持っていることが、わかった。
それは、ピアニストの如月だから、
発見できたと言えるが、
如月の手ほどきによって、
千織は、信じられないピアノ演奏の才能を、
発揮(はっき)していく。

如月は、各地の施設を慰問(いもん)しながら、
千織の演奏を披露(ひろう)する日々をおくり、
そこに心のやすらぎを、おぼえていく。

そんななか、
慰問先の小さな島の療養(りょうよう)センターで、
如月は、彼を「初恋の人」として
ひそかに慕(した)っていた岩村真理子と出会う。
真理子は、センター職員として
周囲の人々に親しまれ明るく働いていた。
しかし彼女も、心に深い傷(きず)を負っていた。
そして、悩んでいた。

演奏会を終えた午後、
中庭で真理子と千織は、
姉妹のように戯(たわむ)れていた。
と、その時、思いもかけぬ落雷が襲(おそ)ってきた。 
真理子は、千織をかばって大怪我(おおけが)を負い、
意識不明のままICU(集中治療室)に収容された。
彼女の命の期限はあと4日だという。

真理子に助けられた千織は、
ショック状態から覚(さ)め、意識を取り戻す。

その時、千織は、如月に告(つ)げた!

「私、真理子です。
 私は私のまま、
 千織ちゃんの身体の中にいるんです。」

真理子の心が、千織の中に!?
逆に意識不明の真理子の中には千織がいて、
真理子の命を、支(ささ)えているという。
けれど、支えるのにも限界がある。
それが、4日間だということです。

これが、映画「四日間の奇跡」の、
大まかな、あらすじですが、
その千織の体によって真理子に与(あた)えられた、
『残りの命』、四日間の奇跡を、
あたたかく切ないドラマとして、
描き出しています。


如月は、指が動かなくなり、
ピアニスト生命が絶たれ、
絶望していた。

けれど、この映画の後半で、
千織の体の中にいる真理子は、
自分の初恋の人であり、
今も愛している如月に、言います。

「自分に価値(かち)を、みとめないのは、
 もう、やめにして!」

「わたしも、ぜんぜん、気づいていなかったの!
 今日の今日まで・・・
 でも、千織ちゃんが、くれた、
 四日間の奇跡のおかげて、
 私は、間に合った!!

やっと気づけたのよ!
自分の価値に!!!

 わたし、父と母に言うの!(二人とも亡くなっている)
 『生んでくれてありがとう!』 
 そこまで、思えたの!
 だから、もう、こわくない。」

真理子は、最後の四日間、
千織の体を借(か)りて、
自分と自分の周(まわ)りの人たちを、
客観的(きゃっかんてき)に見ることが、できた。
そして、自分の価値に気づき、
『ありがとう』と言って死んでいく。


生きていく自分の価値・・・。


人間の、さまさまな悩みも、
根底には、
この『自分の価値』があるのか?どうなのか?
その『自分の価値』に対する疑問・・!
これが、必ず、あると思う。

自分には、
生きていく価値があるのか?
・・・ないのか?

表面的な、ありとあらゆる、
さまざまな悩みも、
この『自分の価値』に対する疑問から、
きていると言っても、
言いすぎでは、ないと思う。

それくらい、この、
『自分の価値』に対する命題(めいだい)は、
重要だということです。

ようするに、
この『自分の価値』が、わかり、
『自分の価値』に気づけたならば、
大半の悩みや問題は、
根本的には、ほとんど、
解決されると言っても、
過言(かごん)では、ないと思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

『自分の価値』が、わかったならば・・・
『自分の価値』に、ほんとうに、
目覚(めざ)めることが、できたならば・・・・

この『自分の価値』に対する命題に、
みごとに!明確に!答え、
あらゆる、すべての人々に、
納得(なっとく)させ、感じさせ、
現実の中で、実感できるようにしたのが、
創価学会(そうかがっかい)が実践する、
『南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)』です。

南無妙法蓮華経は、
あまりにも深く、スゴイので、
説明するのは困難(こんなん)ですが、
自分の価値に目覚め、
自分の価値を、開花させ、
現実に感じていける法則(ほうそく)が、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
だと、言えます。

だから、
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
真実の自分が、見えてくる。
たとえ、それが、大げさな言い方だとしても、
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
生きていく価値が、無意識のうちに、
感じられるようになり、
無意識のうちにも、『自分の価値』が、
自分の実感として、わかってくるので、
生きるのが、楽しくなっていきます。

そして、やがて、
自分の生きていく価値、
すなわち、『使命』を、感じるようになり、
その「生きがい」である『使命感(しめいかん)』は、
自分が生きていることに、
大きな喜びと歓喜と幸せを、もたらします。

ようするに、なぜだか、わからないけど、
ウキウキして、楽しくなってくる。
希望に満(み)ち、前向きになり、
「ようし!今日も、やったるでーー!」
と言えるような、
最高の生き方が、できるようになってきます。

だから、
南無妙法蓮華経を、となえることによって、
根本の「自分の価値」に対する悩みが、
解決したとき、
表面的な小さな悩みや問題は、自然と解決し、
不思議(ふしぎ)と、夢や希望が、
かなうようになってゆき、
その結果、
当然、幸せになっていきます。

それが、
南無妙法蓮華経を、となえる
ということだと、
思います。


だから、創価学会は、
世間のデマや中傷(ちゅうしょう)などでは、
びくともせず、
世界192ヶ国に、ひろがり、
その「自分の価値」に目覚めた、
ひとりひとりが、
幸せと、平和の花を、
世界中に、咲(さ)かせています。


それは、あたかも、
映画「四日間の奇跡」で、
真理子が、

 「やっと気づけたのよ!
 自分の価値に!!!

  わたし、父と母に言うの!
 『生んでくれてありがとう!』 
  そこまで、思えたの!」

と言ったように、
その人に、最高のすがすがしさと、
歓喜と、充実(じゅうじつ)と、幸せを、
もたらしてくれる・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく164

2014-08-20 09:20:29 | 勇気
20世紀を代表する、
天才オペラ歌手の「マリア・カラス」は、
若いころ、
母親の故郷であるギリシャで、
オペラ歌手になるべく、
専門の音楽学校に行き、訓練を受け、
大きく成長していくが、
その後、自分が生まれ、
父親の住んでいる、
アメリカに旅立つことを、
決意する。

その時の心情(しんじょう)を、
マリア・カラスは、こう語っています。

「何年もたったいまになって、ようやく、
 実感できるのですが、
 ずいぶん危険な冒険をしたものだし、
 21才の文無(もんな)しの女性が、
 戦後まもなく、たった一人で、
 父親にも旧友たちにも会えないという、
 最悪の状態を想像(そうぞう)しながら、
 アメリカに帰るのは、
 本当に大変なことでした。
 
 勇敢(ゆうかん)だったなどと言うつもりはありませんが、
 若さからくる無垢(むく)な心が、
 自分の歌で何ごとかを、なしとげようとする、
 勇気と野心を与(あた)えてくれたのです。

 私たちが、ふだん、
 勇気と呼んでいるものの陰(かげ)に、
 もっと深い何かが、ありました。
 
 それは、本能であり、
 私を見捨てることのない、
 神への絶対的な信頼(しんらい)でした。」


と、言っています。


『勇気』と呼んでいるものの陰(かげ)には、
深い何かがある!

確かに、「勇気」には、
えたいの知れない何かが、ある!
それは、一切(いっさい)を変える力であり、
強力なエネルギーでも、ある。

そして、勇気の陰には、
もっともっと深い何かが、ある!!

それは、本能的とも言える、
自分の中で、決して捨てることのできない、
神への絶対的な信頼だという。

勇気に内包(ないほう)しているもの、
それは、絶対的な信念!
純粋にして誠実な、
けっして、裏切(うらぎ)ることのできない
生命の叫(さけ)び。
その無限のエネルギーが、
『勇気』なのかもしれない。


創価学会(そうかがっかい)の二代会長である、
戸田城聖先生が、
「勇気は、慈悲(じひ)に通じる」
と、言っていた。

慈悲という偉大な命(こころ)は、
ぼくたち普通の人間には、
なかなか、理解できないし、
自分の中から、
出していくのは、困難(こんなん)かもしれない。

けれど、
慈悲(じひ)に通じるものが、勇気だと、いう。
すなわち、勇気には、
慈悲という、はかりがたい無限のエネルギーが、
内在(ないざい)していると、いうことだと思う。

慈悲は、理解しずらいし、
その偉大なエネルギーが、
どういうものか?
はかりかねないかも、しれない。
けれど、勇気を出すとき、
勇気に内包(ないほう)した慈悲が、
自然のうちに、自分の生命から、ふきだし、
信じられない力を、発揮(はっき)する。

だから、マリア・カラスが言うように、
勇気を出すとき、
自分の中から、神的なもの、
すなわち、自分の中にありながらも、
自分を超(こ)えた何かが、
出現し、発揮されていく。

それが、『勇気』なのかも、しれない。


では、
もっとも『勇気』を必要とするもの、
もっとも、『勇気』を内在しているものとは、
何だろうか?

それは、「信仰」です。
いいかげんな宗教心や、
よこしまな宗教心ではなく、
真実の信仰は、『勇気』と直結(ちょっけつ)しています。

すなわち、真実の信仰、
正しき信仰は、『勇気』なしでは、
けっして、できないからです。

その究極(きゅうきょく)の勇気、
究極の勇気の信仰が、
創価学会が、実践している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)だと
言っていい!

だから、
南無妙法蓮華経を、となえるのには、
『勇気』がいる。
勇気を出せないような弱虫には、
となえられないのが、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
であるのも、事実です。


よく、創価学会をバカにして、
「宗教なんかに、すがっているのは、
 弱虫のやることだ」
とか、言うけれど、
とんでもない!!!逆(ぎゃく)です!!!

たとえば、あなたは、
自分自身を真正面から、見つめ、
真正面から、立ち向かうことが、
できるでしょうか?
そして、自分自身の生命を、
根本から変革(へんかく)しようと思い、
現実に変革していくことが、
できるでしょうか?

これは、難事中(なんじちゅう)の難事なんです。
人は、いくら、偉(えら)そうなことを言っていても、
真正面から自分に立ち向かうことが、
なかかな、できない。
だから、ずるずると、
これでは、いけないと思っていながら、
人生を、無駄(むだ)に過ごしてしまうことも、多い。

こんどは、かりに、
自分自身に立ち向かうことが、できたとしましょう。
かりに、自分自身を真正面から見つめて、
立ち向かうことが、できたとしても、
その自分を、現実に変革していくことが、
できるかというと、
その可能性は、もっと少なくなり、
あきらめるか、現実逃避(とうひ)するかしか、
なくなったりしてきます。

ところが、
創価学会の仏法(ぶっぽう)の信仰は、違うんです!

少し、説明すると、
創価学会が、祈っている、
『ご本尊(ほんぞん)』は、
自分の生命そのものを、表現したものですが、
もう一歩、深く立ち寄(よ)れば、
自分自身の中にある、もっとも強くて偉大な生命
『仏(ほとけ)の生命』を、表現しています。

その強くて偉大な生命である、
『仏(ほとけ)の生命』は、
実は、すべての人の中にあり、
その「仏の生命」という生命の宝(たから)が、
すべての人の中に、
秘(ひ)められている!
ということです。

そして、秘められた、
『仏(ほとけ)の生命』という生命の宝を、
引き出すことができたなら、
その人は
幸せになっていけます。

すなわち、自分自身の中にある、
『仏(ほとけ)の生命』を、
開花させていくことによって、
どんな困難も乗り越え、悩みを解決し、
夢や希望を、かなえて、
幸せを勝ち取っていける!
ということです。

そして、その『仏の生命』を開く、
鍵(かぎ)となるもの、
仏の生命を開く扉(とびら)となるものが、
『ご本尊(ほんぞん)』なんです!!


最初に言ったように、
もっとも強くて偉大(いだい)な、
本当の意味での、
自分自身の生命を、あらわしたものが、
『ご本尊』です。

そして、間違(まちが)ってはいけないことは、
ご本尊は、どこか自分とは、かけ離(はな)れた、
神様とか仏様とかいうものではない。

ご本尊は、
『自分自身の生命』なんです!!
実は、自分自身の中にあるものを、
あらわしたものが、
『ご本尊』なんです・・!!

だから、
ご本尊に祈るとき、
ご本尊は、自分の生命そのものなので、
まず、自分の生命に、
立ち向かわなければならない!
だから、勇気が、いります。
そして、南無妙法蓮華経を、となえるとき、
南無妙法蓮華経は、一切の生命を、
変革する法則(ほうそく)であり、力(ちから)でもあるので、
自分自身の生命の扉(とびら)が開き、
自分自身を、
大きく変革していくことになります!


自分自身に立ち向かう勇気。
自分自身を、変革する勇気。

それが、『ご本尊に祈る』ということなんです。


これが、どれだけ、大変か、わかるでしょうか?
どれだけ、偉大か、わかるでしょうか?


ただし、その勇気を出すから、
確実(かくじつ)に、必ず、
幸せになっていけるわけです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

だから、この創価学会の、
南無妙法蓮華経の仏法の信仰は、
もっとも勇気のある、
人間の王者でなければ、
祈り、実践(じっせん)することのできない信仰だと、
言っても、さしつかえない!

といっても、これは、
ある意味、逆説(ぎゃくせつ)です。

どういうことか?というと、
南無妙法蓮華経を、となえるから、
勇気が、出てくるんです。
南無妙法蓮華経を、となえていくから、
強く、たくましい、
人間の王者と、輝(かがや)いていくんです。

明と暗、
人間は、
表裏一体(ひょうりいったい)だということです。
同じ人間であっても、
勇気のない弱虫にもなれば、
強い強い王者にも、なる。

同じ人間なんです。
その同じ人間の中から、
最大に強くて、たくましい、
あったかくて、やさしく、愛に満(み)ちた、
最強の王者のような生命を、
引き出していけるのが、
創価学会が、実践している、
南無妙法蓮華経を、となえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。


結論から言うと、
勇気は、幸せと直結していると思う。
勇気を出せば出すほど、
幸せになっていく!ということです。

そして、その、
勇気を最大限に出すことのできる力(ちから)が、
『南無妙法蓮華経』であり、
『南無妙法蓮華経をとなえる』ことです。


だから、創価学会の、
ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰は、
人生を、
勇気へ!勇気へ!と導(みちび)く・・!

自己に挑戦しながら、
その無限の可能性を、開花していける!


人生を、勇気を持って挑戦する。
悩みを、勇気を持って打ち破る。
困難を、勇気を持って乗り越える。
勇気を持って、幸せをつかむ!!

それができる、
究極にして、唯一(ゆいいつ)の方法といっていいのが、
創価学会が、実践する、
南無妙法蓮華経の仏法です・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく163

2014-08-07 09:20:39 | ドラマ
まえに
「野ブタを、プロデュース」
というドラマを、見たことがあります。

その中で、
女子高生のノブタ(信子)は、
ひょんなことから、
巫女(みこ)さんのアルバイトを、
することになる。

それで、その巫女さんのアルバイト中、
ノブタ(信子)は、
神主(かんぬし)さんが、
大切にしていた木の枝を、折(お)ってしまう。

神主は、言う。
「あ~あ!この木の枝を折ると、
 一番大切な人に、災い(わざわい)が、
 起こるんだよ!」

「それを防(ふせ)ぐためには、
 一番大切な人に、この神札(かみふだ)を、
 あげるといい!」

そう言って、
ノブタに神札を、渡(わた)す。

ノブタは、あわてて、駆(か)け出し、
ノブタを、人気者にプロデュースしようとしている、
二人の男子高校生、
修二と彰(あきら)に、
神札を、渡しにいく。

けれど、神札は、ひとつしかなく、
二人に会ったものの、
どちらに渡したらいいか、わからず、
悩む・・・。

結局、神札は、渡せず、
そのまま、神札を、海に放(ほう)り出してしまう。
それを見ていた修二と彰は、
あきれる。

そして、ノブタは、言う。
「みんなで、バチに当たろう!!」
(笑・・・)


さて、ノブタは、
神札を、だれにも渡さず、
海に放り出してしまったわけだけれど、
これは、正しいと思いますか?
間違(まちが)っていると思いますか?

答えは、正しい!
逆に、そんなものを、持っていたほうが、
災(わざわ)いのもとに、なります。

よく、そういうものが好きな人は、
神札やお札、お守りなど、
たくさん、持っているけれど、
そんなもの、集めれば、集めるほど、
それらは、災(わざわ)いや病気、
さまざまな不幸の元(もと)となります。

なぜ、そうなるか?
というと、
宗教には、正邪(せいじゃ)がある!
ということです。
世間一般の人は、
このことが、わからない!!
宗教は、なんでもいいものだみたいな、
だから、お守りも、神札も、
持ってて、いいものだ!と思っている。

ところが、違う!
宗教には、明確な理論(りろん)があり、
正しいものと、間違っているもの、
とくに、仏法(ぶっぽう)においては、
教義や理論における、正邪が、
明確に証明されていて、
正しいものに、祈った場合は、
幸せになるけれど、
間違ったものに祈った場合は、
逆の結果、すなわち、
不幸が、かならず、現れてくる。

それが、宗教です。

ようするに、
間違った宗教が作った、
お守りや神札、お札などは、
もともと、間違った、
言い換(か)えれば、
マイナスの宗教であるがゆえに、
お守りや、神札は、
人を守るどころか、
その逆で、
持っている人にマイナスの働きを、およぼし、
かえって、さまざまな不幸を、
その人に、もたらしてしまいます。


生命とは、不思議なもので、
間違った宗教が、
人間の生命におよぼす影響力(えいきょうりょく)は、
バカにできたものではなく、
必ず、その人の人生に、
マイナスの結果として、
現(あらわ)れてしまう。


それが、間違った宗教です。


日本の観光宗教、神社信仰、
葬式仏教(そうしきぶっきょう)などの宗教が、
なんと足(た)しにもならない、
たんなる金儲(もう)けの宗教であることは、
仏法(ぶっぽう)の理論から言っても、
明白に証明されていて、
それらが、確実に、間違った宗教であることは、
間違いありません。

ところが、
世間一般の人は、
そんなことは、どうでもいいじゃないか!
神札とか、お守りとか、
名前が付いているんだから、
良いものに、決まっているじゃないか!
と、安易(あんい)に考えてしまう。


わからないと思いますが、
不幸の根源(こんげん)には、
この間違った宗教が、必ずあり、

『不幸の元凶(げんきょう)は、
間違った宗教にある!』

と、言い切ることが、できます。

それが、
日本人が好きな、
お守りとか、神札やお札だと、
言っているんです。

実際に、
なんらかの病気の人が、
それらの間違った宗教が作った、
お守りとか、神札などを、
すべて、捨てただけで、
それらの病気が、良くなったという例も、
多々、あるようです。


不思議(ふしぎ)といえば、不思議ですが、
それが、人間の生命であり、
生命と宗教とは、密接(みっせつ)な関係があり、
知らないところで、
さまざまな影響を、およぼしています。

だから、
ノブタが、神札を、
だれにも渡さず、海に捨てたのは、
正しい行動だと、言え、
ぼくたちも、その行動には、
見習(みなら)うべきなんです。


たとえば、
友だちや、親戚(しんせき)などから、
神社、仏閣(ぶっかく)など、
観光旅行のお土産(みやげ)だといって、
お守りや、神札を、もらうことが、
あると思います。

せっかく、もらったのに、
もうしわけないと思うかもしれませんが、
そんなものは、すぐに捨てる!べきです!!

自分の大切な人生です。
間違った宗教の、
そんな、お守りや神札などのために、
たとえ、ほんのわずかであっても、
自分に、さまざまな不幸、不運が、
もたらされただけでも、
その人は、耐(た)えられないはずです。

ところが、長い人生から考えると、
その悪(あ)しき影響は、
ほんのわずかどころの話しでは、
おそらく、なくなっていくでしょう。

なぜ?自分が、こんな目に!!
と思いたくなるようなことが、
起こるとも、がぎりません!!

そうなったら、
だれだって、いやです。


だから、
間違っている!とわかっているもの。
悪(あ)しきマイナスの宗教である!と、
わかっているものの、お守りや神札は、
絶対に、躊躇(ちゅうちょ)せず、
ノブタのように、捨てるべきです!!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

さきほど、
宗教には、正邪(せいじゃ)がある!と、
言いました。

そして、間違った宗教が、
その人の人生に、
さまざまなマイナスの影響を、
もたらすことを、話しました。

マイナスの宗教が、
それだけ、自分の生命と人生に、
影響を、およぼすんだから、
こんどは、
プラスの宗教、
正しき宗教は、逆に、
自分の生命、人生に、
大きなプラス、
幸せの影響を、もたらすことも、
容易(ようい)に、
想像が、つくと思います。

その宗教の正邪を、
徹底的に研究し、究明(きゅうめい)しきったのが、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)であり、
その結果、最も正しく、
ほんとうに、人を幸せにできる宗教、
人を幸せにする、
真実の大きな力(ちから)がある宗教が、
「究極(きゅうきょく)の法(ほう)」、
『南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)』なんです。

そして、
その日蓮大聖人の、
南無妙法蓮華経の仏法を、
真っ直(まっす)ぐに、
一点の狂(くる)いもなく、
正確に実践しているのが、
創価学会です。


この正しき仏法である、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
信仰の力は、
間違った宗教のマイナスの影響力など、
比(くら)べようがないほど、大きく、
数百倍、数千倍、
数万倍の大きなプラスの力を持つといって、
間違いないでしょう。


その結果が、今の、
世界192ヶ国に広がる、
創価学会(そうかがっかい)の発展であり、
それは、悩みの解決や夢の実現、
創価学会員ひとりひとりの幸せとなって、
世界各地に、花開いています・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・