タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく187

2016-04-12 08:46:16 | 人生
ある夫婦(ふうふ)がいました。

その夫婦は、
奥(おく)さんが創価学会に入会していて、
その奥さんに勧(すす)められて、
ご主人も、
創価学会に入会したそうです。



それから、数十年が経(た)ち、
そのご主人は、
奥さんに言ったそうです。


「創価学会(そうかがっかい)という、

 こんなに素晴(すば)らしい世界があることを、

 ぼくに教えてくれて、

 ありがとう・・!」


その夫婦は、
その数十年の間、
経済的な悩みも、
病気の悩みも、
自分の子供の悩みも、
また孫(まご)の悩みも、
あらゆる困難(こんなん)、
試練(しれん)を、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法(ぶっぽう)の信仰と、
仏法の実践(じっせん)活動である
創価学会の活動によって、
ことごとく解決(かいけつ)し、
乗り越(こ)えてきたそうです・・!


その結論(けつろん)とも言える言葉が、
上にあげた言葉だと思う。


「創価学会という、

 こんなに素晴らしい世界があることを、

 ぼくに教えてくれて、

 ありがとう・・!」


重みのある、
真実のこもった言葉だと思う。



世間では、いろいろなことを言う。

知りもしないくせに、
適当(てきとう)なデマを、まき散(ち)らし、
創価学会が、まるで
悪そのもののようなデタラメを、
平気で言うやからもいる。

創価学会をバカにするような
風潮(ふうちょう)の流れも、
あったと思う・・。

そんなデマは、当然(とうぜん)、
創価学会の人たちの耳にも入り、
伝(つた)わるはずです。

にもかかわらず、創価学会は、
どんどん発展し、
世界192カ国にまで、広がっている。

それは、たとえ、
どんなデマが世間に広がろうと、
創価学会が、『素晴らしい!』からです。

創価学会に、
真実と正義(せいぎ)があるからです。

もっと言えば、創価学会が、
世界中の、どんな人の、
どんな困難な悩みでも解決し、
ひとりひとりの夢や希望をかなえる
大きな大きな力(ちから)となって、
その人たちを現実に、
幸せにしてきたからです。


真実の幸せ・・・!


その真実の幸せを、
もたらしていける場所が、
創価学会です。


だから、世界中の人たちが、
創価学会の、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえる仏法の信仰を、
やるんです!!。

そこには、ウソがないからです・・!!


理想(りそう)や希望を言うことは、
いくらでもできる。

けれど、現実の、
苦難渦巻(うずま)く悩み、
現実の苦しみを解決していくことは、
至難(しなん)の技(わざ)です。

一人一人に突(つ)き付(つ)けられた現実。

それは時として、
壮絶(そうぜつ)なものがある・・。

その壮絶なる現実の悩み、
苦しみを、
ことごとく解決していけるから、
創価学会の南無妙法蓮華経の
仏法(ぶっぽう)を、やるんです。

また、真剣にやればやるほど、
本当に悩みが解決し、
自分の宿命(しゅくめい)を転換(てんかん)して、
大きな幸せをつかんでいけるんです。


この現実を変えていける力ほど、
価値(かち)のあることはない・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


現実を変える・・・。


これは、全人類の夢であり、
全人類に共通する願いです。

この願いをかなえることができるから、
人々は、創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法(ぶっぽう)の信仰を、
やるんです。

そして、その創価学会の信仰を
やりきった結論として出た言葉が、


「創価学会という、

 こんなに素晴らしい世界があることを、

 ぼくに教えてくれて、

 ありがとう・・!」


だと思う。


また、創価学会には、
他では決してない、
人間と人間との絆(きずな)、
ほかでは、なかなか感じることのできない
人間愛に満(み)ちているもの事実です。


これほど、素晴らしい世界は、ないんです。


だから、
池田先生(創価学会インターナショナル会長)は、
言った。


『創価学会は、幸せの安全地帯だよ・・!』


それは、事実(じじつ)であり、
それは世界が認(みと)めることであり、
世界の有識者が、
こぞって創価学会を賞賛(しょうさん)し、
大きな期待を抱(いだ)いています。


ゆえに、この創価学会のご主人は、言った。


「創価学会という、

 こんなに素晴らしい世界があることを、

 ぼくに教えてくれて、

 ありがとう・・!」


と・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく185

2016-02-07 13:04:57 | 人生
創価学会(そうかがっかい)の人たちの、
決定的な強みは、

『祈ることが、できる!』

ということです。

たとえば、
家族にしろ身近な大切な人たちが、
病気や事故にあったとする。

そういう時に、一般的には、
いろいろと手はずをとり、
手を尽(つ)くすことはできるけれども、
その事故や病気にあった人に、
直接的に影響(えいきょう)させることは、
できない。

正直、見守るしかない・・。

容態(ようだい)や回復に
影響させることができず、
見守るしか方法はない・・・。


けれど、
創価学会の人たちは、
違(ちが)う。


現実に病気や事故にあった人の
容態(ようだい)と回復に、
直接的に影響させることができる。


それが、
創価学会の人たちの
祈りなんです・・!


病気や事故にあった人とは、
直接的には関係しないにしても、
その人を知り、回復(かいふく)を願う
創価学会の人たちの祈りによって、
病気や事故の容態をより良く回復させて、
治(なお)っていったことは、
山ほどあると思う。

しかも、それが、
大変な病気や事故だった場合、
なおさら、創価学会の
みんなの祈りが強くなり、
現実に影響力を持ち、
病気や事故にあった人を
回復させていった例は、
それこそ、数えきれないと思う。

もちろん、徹底的な治療(ちりょう)を
ほどこしてもらうのは、
当然(とうぜん)として、
それらの治療などの環境も含(ふく)め、
あらゆるものをより良く
プラスにもっていく力(ちから)が、
創価学会の『祈り』には、
現実にあるんです。


創価学会の人たちの『祈り』が
不可能を可能にした例も、
数えきれないと思う。


それが、本物の祈りなんです。


だからといって、
祈りに効果(こうか)があるのならば、
葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、
神社信仰などで、
真剣に祈ればいいじゃないかと思って、
祈ってみたところで、
祈りに効果がもたらされることは、
ありません。

それらの祈りは、
間違(まちが)った祈りであり、
葬式仏教や観光宗教、
神社信仰自体が、
間違ったデタラメな宗教なので、
どんなに真剣に祈ったとしても、
なんの効果もありません。

たとえ、命がけで祈ったとしても、
なんの効果もなく、
返(かえ)って、間違った宗教なので、
その間違った結果として、
さまざまな形で
不幸が出現してしまいます。

間違ったデタラメの宗教に祈るということは、
間違ったデタラメの宗教に、
自分の生命と人生を、ささげることになります。

間違ったデタラメの宗教に、
自分の生命と人生をささげていけば、
当然、自分の生命と人生は、
間違ったデタラメのものになっていく。

自分の生命と人生が、
間違ったデタラメのものになっていったならば、
その当たり前の結果として、
さまざまな不幸が、
もらたされてしまう!ということです。


それが、世間一般的な祈りです。


だから、そんなものは、やるべきではない・・!



けれど、さきほども言いましたが、
本物の祈りは違う!

創価学会の、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえる祈りは、
現実に、人生に、
世界に、未来に、
決定的な大きな影響力を
与(あた)えていくんです!

現実を動かすことのできる力(ちから)!

・・それが、創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえて祈るという、
『祈り』なんです。

現実に夢や希望をかなえ、
現実に未来を切り開いていく力!

現実に生命を蘇生(そせい)させ、
生命力を湧(わ)き上がらせ、
立ち上がらせていく力!

現実に悩みを打ち破り、
困難(こんなん)を乗り越え、
人生に、幸せという結果を
もたらす力が、
『南無妙法蓮華経』なんです。


これほど、スゴイことはないんです。
こけほどの武器(ぶき)も、なんいんです。


あらゆるものを幸せに変革(へんかく)していける!
あらゆるものを蘇生(そせい)させていける!


その祈りは、
自分を幸せにするのは当然として、
自分が祈る、その相手も、
その人が家族であろうと、他人であろうと、
真剣に、真心こめて祈ることによって、
その相手の生命を、
現実に蘇生させ、
より良く、幸せにしていけるんです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

人生、いろいろありますが、
結論(けつろん)から言うと、
創価学会の人たちの、
『南無妙法蓮華経をとなえる』
という祈りほど、
スゴイものは、ないんです。

それは、
棚(たな)からぼたもちのようなことではなく、
さままな勇気や知恵、
最高の努力や行動をもたらし、
あらゆるものを幸せへと動かし、
蘇生(そせい)させ、
最高の結果を生むことになります。

だから、結局(けっきょく)、
南無妙法蓮華経を、となえて祈りきった人が、
勝利していける。
幸せになっていける!

それが、どんな状況(じょうきょう)であれ、
どんな環境(かんきょう)であれ、
どんな苦難や悩みであれ、
それがかりに自分でなくても、
影響を及(およ)ぼし、
蘇生(そせい)させ、
幸せにしていける!


それが、人生と未来を
勝ち取っていける、
決定的で、最強の力と言える、
創価学会の人たちの、
『南無妙法蓮華経をとなえる』、
『祈り』なんです・・。



だから、
人生の、
幸福と勝利を考えるとき、
実は・・、
真実(しんじつ)の祈りを持った人ほど、
強い人は、いない・・。

真実の祈りを持った人ほど、
幸せな人も、いない・・。

真実の祈りを持った人ほど、
人生を謳歌(おうか)し、
幸せを味わっていける人もまた、
いない・・。


なぜなら、真実の祈りは、
人生を切り開く、
幸せを勝ち取る、
そして、最高の歓喜(かんき)を味わっていける、
最大にして、
最強の、
『武器』だからです・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく121

2013-04-24 08:28:17 | 人生
まえに、
サケが、自分の生まれた川に、
戻(もど)ってくる光景を見に、
北海道に行ってきた人がいて、
いろいろ、話してくれました。

サケが、川に戻(もど)ってくると、
川は、サケの群(む)れで、
縦(たて)に、四層にも五層にも、なるそうです。
それで、川に、棒(ぼう)を、立てても、
倒れないそうです。

サケは、およそ、稚魚(ちぎょ)の、
98%が、自分の生まれた川に、
戻ってくるそうです。

よく、テレビとかで、見たけど、
川が、段になっている場合、
その箇所(かしょ)は、
滝のような形状になる!

そんな滝(たき)のような場所があっても、
サケは、川を、のぼっていく。
見ていると、サケは、
その滝のような逆流(ぎゃくりゅう)を、
上ろうとしては、ハネ返されて、
また、もどり、しばらく、
流れのゆるやかなところで、
休んで、また、滝のような逆流を、
のぼろうとし、また、
ハネ返されて、
石や砂利(じゃり)に、傷(きず)つけられながらも、
また、逆流を、上ろうとする。

そんなことを、サケは、
なんども、なんども、
繰(く)り返している。
その光景を見た人が、
「サケは、なんて、無駄(むだ)なことを、
 しているんだろう!」と思い、
地元の漁師に、聞いたそうです。

「なんで、サケは、あんな無駄なことを、
 しているんですかね!」と。

すると、地元の漁師の人は、

「サケは、ああやって、逆流にハネ返され、
 石や砂利(じゃり)に、自分の腹を、
 ぶつけることによって、
 タマゴを包(つつ)んでいる袋を、
 自分で、破っているんだよ!」

と、答えてくれたそうです。

それを聞いた観光の人も、
なにごとも、無駄(むだ)なことなんて、
ないんだな!と、関心したそうです。


サケは、卵を産むために、
自分の生まれた川に、帰ってくる。
そして、タマゴを生んだら、
死んでいく。
それだけのために、
はたから見たら、大変な思いをして、
川を、上っていく。

死ぬために、川に戻ってくるようなものだから、
考えによっては、
とても、はかなく、哀(あわ)れにも思われる。
けれど、それも、無駄ではない。
死んだサケの体は、さまざまな動物の、
食料にもなるし、また、そのまま、残り、
腐食(ふしょく)していったサケの体は、
やがて、プランクトンにまで、
分解(ぶんかい)されていく。
そして、ちょうど、そのころ、
サケの卵は、孵化(ふか)し、
サケの体から、生まれたプランクトンは、
サケの稚魚(ちぎょ)の、エサになっていく。

プランクトンを食べたサケの稚魚は、
海に出て成長し、
また、生まれた川に帰ってくる。

そこには、無駄(むだ)はない。
すべてが、無駄なくスムーズに、
循環(じゅんかん)している!

これが、本来の自然の摂理(せつり)なのかも、
しれない。

すべてに無駄がない生命の法則(ほうそく)、
もっと言えば、
すべてに無駄がない、宇宙の法則。
これが、本来の姿!

その本来の、宇宙のリズムの中では、
すべてが、スムーズに、
なんの無駄もなく、循環(じゅんかん)していく。

これが、
本来の生命の法則であり、
宇宙の法則なんだと思う。


ところが、
人間の人生には、
あるいは、人間の生き方には、
なんと、無駄が、多いのかと、
思うことがある。
生命のリズムに無駄がないということは、
それは、『幸せ』を意味しているんだと思う!
なにもかも、すがすがしく、心地(ここち)よい!
だから、幸せを感じる。
だから、無駄は、その逆(ぎゃく)で、
なにもかも、うまくいかない!
スムーズでない。気持ちよくない。
それは『不幸』を意味してるんだと思う。


この世には・・・、
ほんとは、あってはいけない・・・、
すなわち、人生にとって『無駄』であるはずの、
『不幸』が、なんと、たくさん、
存在(そんざい)しているんだろうか・・・・!


宇宙は、本来、無駄がなく、
スムーズに循環(じゅんかん)しているはずだ!
それは、すなわち、
宇宙には、本来、『不幸』はなく、
すべてが、幸せのために、
循環していくことを、意味する。

それなのに、
人間は、多くの『不幸』を、かかえている!
それは、なぜなんだろう?

それは、簡単に考えると、
人間が、宇宙のリズム、
宇宙の法則、生命の法則に、
反(はん)しているからだと思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

人間が、この宇宙のリズムに、
逆(さか)らい、
宇宙の法則に、逆らい続けるかぎり、
人間の不幸は、なくならないかもしれない・・。

人間の、ありとあらゆる不幸は、
根底(こんてい)から言うと、
宇宙の法則、宇宙のリズムに、反(はん)し、
宇宙の、生命のリズムに、逆らい続けているから、
起こると、いえる。

その生命の法則である、宇宙のリズム!
生命のリズムである、宇宙の法則が、
実は、創価学会の人たちが、
日々、となえている、
『南無妙法蓮華経』です!!

南無妙法蓮華経は、宇宙のリズムであり、
生命の法則なんです!

だから、宇宙のリズム、生命のリズムから、
外(はず)れてしまった人間、
宇宙のリズムと、完全に、ずれて、
歯車(はぐるま)が、
狂(くる)ってしまった人間。
そうなった人間のことを、
きっと、『不幸』というのだろうけれど、
宇宙のリズムから、はずれ、
生命のリズムが、狂ってしまった、
不幸なる人間も、
宇宙のリズムである、
『南無妙法蓮華経』を、となえていくと、
自分で、宇宙のリズムである、
『南無妙法蓮華経』を、となえているので、
自分の生命が、宇宙のリズムと、
合致(がっち)してくるようになる。
すなわち、宇宙のリズムと、
歯車が、かみ合うようになってくる!

本来、宇宙のリズムは、
幸せのリズムなのだから、
宇宙のリズムである『南無妙法蓮華経』を、となえて、
自分の生命が、宇宙のリズムに、
なっていけば、
「宇宙のリズム」イコール「幸せのリズム」なので、
当然、その人は、
幸せになっていける。

そうなれば、
当然、努力は、報(むく)われ、
夢や希望を、かなえて、
人生を、勝利できる!

それが、南無妙法蓮華経の法則だと思う。


だから、創価学会の人たちは、
どんな人であろうと、
どんなに、歯車が狂って、
不幸になってしまった人でも、
南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、
宇宙のリズム、幸せのリズムを、取り戻(もど)し、
蘇生(そせい)して、
幸せになっていける!

そしてその、証明(しょうめい)として、
創価学会は、
世界192ヶ国に、広がり、
あらゆる人々に、希望と勇気、
勝利と幸せを、もたらしている・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく110

2013-01-21 07:48:18 | 人生
まえにも話しましたが、
創価学会には、座談会(ざだんかい)という
会合があります。
いつも、いろいろ学んだり、
励み(はげみ)になったりして、
勇気や希望をもらって、帰ってきます。

座談会とは、地域の創価学会員が、
人生を、勝利し、幸せになっていくために、
月に一度、集まって、いろいろ話したり、
催(もよお)し物を行ったり、仏法(ぶっぽう)を学んだりする、
日々を、勇気と希望を持って、
生活し、挑戦していくための、
毎月のリズムとなっている、
創価学会の原点(げんてん)と言いる会合です。

その座談会の中で、幹部の人が、
話してくれたんですが、
精神科医の大学の教授がいて、
その教授が、創価学会の座談会の良い点について、
話してくれたそうです。

それは、

『創価学会の座談会の、いちばん良いところは、
 みんなが、自分にとって、いちばん大変なこと、
 大変な悩みや苦境(くきょう)、病気などのことを、
 平気で、話すところだ!』

と、言っていたそうです。


普通は、自分にとって、いちばん大変なこと、
病気やら借金やら、
さまざまな苦境(くきょう)については、
なかなか、人には、話さないものです。

ところが、創価学会の人は、違(ちが)う。
座談会とかで、
「ガンに、なっちゃいましたーー!」とか、
笑いながら、話したりする。
(少し、大げさな言い方かもしれない)

なぜ、そういう、自分にとって、
大変なことを、平気で話せるのか?というと、
それは、創価学会が実践(じっせん)している、
この仏法(ぶっぽう)で、
南無妙法蓮華経の仏法で、
『必ず、乗り越(こ)えられる!』という確信が、
あるからです!
必ず、乗り越えられるし、
乗り越える方法を、知っているから、
どんな大変なことでも、
おおらかに、大きな気持ちで、
人に話すことが、できる!!

ここが、創価学会のスゴイところです。

創価学会に入ったからといって、
自分に何も、大変なことが、
起こらなくなるということは、ありません。

もちろん、創価学会の信心を、
真面目にやっていくことによって、
あらゆる面で、守られたり、
さまざまなことが好転(こうてん)したりして、
日々、幸せを実感することは、
数え切れないほどあるけれど、
かといって、やはり、
大変なことが起こらなくなるということでは、
ありません。

日蓮大聖人の御書にも、
(御書とは、日蓮大聖人が、書かれた、
 論文や手紙を、すべて、集めたものです)
この南無妙法蓮華経の信仰をやったら、
なにも起こらなくなるとは、
1行も、書いてない。
それは、創価学会員でなくても、
すべての人間にとっても、
同じことです。

人生だもの、大変なことは、あるだろう!

けれど、問題は、
この南無妙法蓮華経の仏法を実践すると、
その人生における大変なことを、
『必ず、乗り越えられる!!』ということです。

仏法(ぶっぽう)では、
宇宙は、慈悲(じひ)で、できていると、
説きます。
どういうことかと、いうと、
究極的には、宇宙の現象は、すべて、
慈悲(じひ)を、ともなったものであり、
無慈悲では、ないということです。
無慈悲では、ないとは、
簡単にいうと、
残酷(ざんこく)ではない!ということです。

だとしたら、
自分に、さまざまな困難(こんなん)が、
襲(おそ)いかかってきたとしても、
それは、無慈悲ではなく、慈悲であるがゆえに、
必ず、乗り越えられる!
ということです。

宇宙そのものが、慈悲であるがゆえに、
乗り越えられない困難は、
決して、自分には、降(ふ)りかかってこない!
乗り越えられるから、
自分に、降りかかってくる!
そして、その困難を、乗り越えた時、
宇宙そのものが、慈悲であるがゆえに、
困難を、乗り越える前よりも、
さらに、大きな幸せを、つかむことができる!

これが、宇宙そのものが、
慈悲(じひ)だ、ということだと思います。

ところが、人間は、
さまざまな間違った思想や、考え、
間違った宗教などによって、
生命が、ねじ曲(ま)がってしまい、
宇宙の慈悲の力(ちから)を、
発揮(はっき)できなくなってしまっている。

だから、さまざまな困難に打ちひしがれ、
敗北していったり、
病気に負けていったり、
あるいは、自殺してしまったりする。

それが、人間の生命のゆがみです。
この人間の生命の、ゆがみが、
不幸の原因だと言っても、
間違(まちが)いでは、ないと思います。

その人間の生命のゆがみを、取り除(のぞ)き、
「宇宙の慈悲」を、
人間の生命に、とりもどし、
すべての人間を、
幸せにする方法を、解明(かいめい)したのが、
日蓮大聖人であり、
その法則(ほうそく)が、『南無妙法蓮華経』です。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

宇宙が、慈悲(じひ)だとしたら、
南無妙法蓮華経は、
その宇宙の慈悲そのものを、表現しています。
宇宙の慈悲のリズム、
宇宙の慈悲の現象(げんしょう)、
それが、南無妙法蓮華経だと思います。

だから、
ぼくたちが、
南無妙法蓮華経を、となえるとき、
南無妙法蓮華経が、
宇宙の慈悲のリズムであるがゆえに、
自分の生命のなかに、
宇宙の慈悲のリズムが、復活(ふっかつ)し、
いままで、宇宙の慈悲(リズム)と、
ギアが噛(か)み合っていなかった
自分の生命が、
宇宙の慈悲(リズム)と、がっちりと、
ギアが噛(か)み合うようになり、
その結果として、宇宙の慈悲の力(ちから)を、
自分の生命から、発揮できるようになってくる。
そして、自分の生命の中から、
宇宙の慈悲の現象(げんしょう)が、あらわれてくる!

南無妙法蓮華経を、となえると、
南無妙法蓮華経が、
『宇宙の慈悲そのもの!』であるがゆえに、
自分の生命も、慈悲(じひ)になってゆく!

だから、どんな困難も、乗り越(こ)えられ、
どんな悩みも、解決してゆき、
幸せになっていける!
勝利していける!

それが、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)だと思う。
だから、
精神科医の教授が、話してくれたように、
創価学会の座談会では、
どんな困難な状況であろうとも、
笑いが、絶(た)えない。
希望に満(み)ちている。


それは、あたかも、
そこが、
幸せの楽園であるかのように・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく13

2011-07-27 06:57:49 | 人生
宗教は、好きですか?
と聞かれたら、
宗教は、好きではありません!

じゃあ、何が、好きか?というと、
「自分が、幸せになることが、好きです!」

別に、宗教には、興味(きょうみ)ありませんが、
自分が、幸せになることが好きだから、
創価学会に入って、
ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえているわけです。

悩みの解決にしても、
夢や希望の実現にしても、
いままでの体験(たいけん)から、
『これしか、ない!!』ということが、
わかっているからです。

その現実に幸せになったという『体験』と、
生命の底(そこ)から感じる確信があるから、
世界中の人たちが、
創価学会(そうかがっかい)の、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法(ぶっぽう)の信仰を、
やっているわけです。


世間一般的には、宗教というと、
とくに、日本人は、
なんか、困(こま)ったことがあった時だけ、
どこかの坊(ぼう)さんなどに頼(たの)んで、
おがんでもらう。
何々宗の偉(えら)い方だからとか言って、
高い!お金を払(はら)って、
自分のことを、他人に、おがんでもらう。

それが、宗教というものだと、
一般的に、思っている方が、多い。

それのほうが、確(たし)かに、楽かもしれない。
だって、自分は、なんにも!しなくていいんだから!
それで、悩みや問題が、解決するんだったら、
こんな楽なことは、ない!

けれど、これが、
悪(あ)しき宗教が、うじゃうじゃと、
はびこる原因になっている。
祈ったり、おがんだり、
お経(きょう)を、あげたりするのは、
宗教家が、やるもので、
普通の人には、できないものだと
考えさせられている。

坊主(ぼうず)が祈らないと、
成仏(じょうぶつ)しないとか、
何々宗の偉い方でないと、
この問題は、解決できないとか、
ある種、異常(いじょう)な、特権的な権力が、
坊主や、宗教家に、与(あた)えられている!

それに、おすがりしないと、幸せになれない!とか、
それこそ、とんでもない理屈(りくつ)が、
通ってしまうのが、悪(あ)しき宗教の、
はびこる理由です!


そして、
それとは逆(ぎゃく)なのが、
創価学会です。

特別な人なんて、いない!
坊主だけに与えられた特権(とっけん)なんて、
ありえない!
坊主に祈ってもらわなければ、
幸せになれないなんて、
そんな、ナンセンスなことは、ありえない。

創価学会では、
自分で、祈っている人が、偉大(いだい)!
自分で、戦っている人が、偉大!
上も下もない!
人間が、人間を、引っ張(ぱ)っていく!
人間と、人間の、まごころの対話、
人間が、人間を、こころから、思うことによって、
つながっているのが、創価学会!!

結論から言うと、
自分で、祈っている人が、仏(ほとけ)
自分で、戦っている人が、仏(ほとけ)
仏と言っても、死んでる人のことではない。
仏とは、『人間の王者!』という意味です。
それが、本当の仏法(ぶっぽう)!

けれど、その本当のことを、言っちゃうと、
ヘンな坊主や、宗教家は、困る!
宗教家や、坊主でないと、できない!という、
まやかしの権威(けんい)が、ないと、
お金もうけが、できないから!
だから、決して、本当のことは
言わないし、また、知らないかもしれない。
宗教家は、自分の権威が、はがれては困る!

だから、創価学会の人が、
本当のことを言うのを、恐(おそ)れて、
デマや、いろいろな手を使って、
創価学会を、迫害(はくがい)してきた!

でも、迫害されれば、されるほど、
創価学会は、発展してきた!
なぜならば、
創価学会の実践している仏法(ぶっぽう)は、
本当だから!
真実の実践(じっせん)を、しているから!
だから、ひとりひとりの生命の歓喜(かんき)は、
だれびとも、おさえることは、できなかった。


ある意味、良い意味で、
創価学会は、
世間の風潮(ふうちょう)に、流されない!
正しいことは、正しい!
間違(まちが)ってることは、間違ってると、
言い切ってきた!

それと同時に、
創造性(そうぞうせい)、豊(ゆた)かで、
決して、固(かた)まった形に、とらわれないで、
時代、時代に、マッチした活動をしてきた!

それが、創価学会が、
発展してきた理由のひとつだと、思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、

『人間が、人間を、
人間以上のものに
見せようとした時から、
宗教は、邪教(じゃきょう)!となる』

というようなことを、言っていた。

確かに、そうだと思う。
もし、人間を、人間以上のものに
みせようとしている宗教があったなら、
はっきりと、邪教だ!と、
見破(みやぶ)っていかなければならない!


なぜならば、
人間の不幸の中で、
邪教は、人間を、不幸にする、
もっとも、根源的(こんげんてき)なものだからだ・・・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・