タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく197

2017-04-22 12:53:34 | 幸せ
二十世紀の天才ヴァイオリニストである
ユーディー・メニューイン氏は、
いつもマッサージを頼(たの)む、
知人の女性がいた。

ある時、メニューイン氏は、
そのマッサージを頼む女性に言った。

「あなたのマッサージは素晴らしい。
まるで指が話しかけているようだ。」

そして、マッサージの秘訣(ひけつ)を
尋(たず)ねると、
女性は答えた。

「私は仏教徒(ぶっきょうと)なんです。
マッサージをする時は、
心で、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
と唱(とな)えるんです。」

仏教徒というのは、
創価学会員(そうかがっかいいん)のことで、
イギリスの婦人部員だった。


「ナンミョウホウレンゲキョウ・・・・・、
素晴らしい音律(おんりつ)だ。」


以来(いらい)、
メニューイン氏は、
南無妙法蓮華経を口ずさむようになり、
池田SGI会長(創価学会インターナショナル会長)の
著作(ちょさく)を読破(どくは)していった。

そして、思った。

池田SGI会長に会いたい!!

そして、数年後、
メニューイン氏は、
池田SGI会長と会見することになる。


会見の中で、
メニューイン氏は、言っています。

『「南無妙法蓮華経」の「NAM」という音に、
強い印象(いんしょう)を受けます。

「M」とは命の源(みなもと)というか、
「マザー (MOTHER)」の音、
子どもが一番最初に覚(おぼ)える
「マー(お母さん)、マー」
という音に通じます。

この「M」の音が
重要な位置を占(し)めている。』

この言葉に対し、
池田先生は、言っている。

『日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)は、
「南無妙法蓮華経」を
「歓喜(かんき)の中の大歓喜」
「歓(よろこ)びの曲」である、
ともされました。

妙法(みょうほう/南無妙法蓮華経のこと)
の音律(おんりつ)は、
太陽が昇(のぽ)るような
躍動(やくどう)の音律です。

「永遠の創造(そうぞう)」であり
「永遠の出発」であり、
「永遠の戦い」である
宇宙の大生命力が、
こもっているのです。』


メニューイン氏が、
マッサージを頼(たの)む
知人の女性に感じたように、
『南無妙法蓮華経をとなえる』ことによって
もたらされるエネルギーは、
人に伝わる・・・!!

その『南無妙法蓮華経をとなえる』
エネルギーは、
真心(まごころ)となって伝わったり、
感動となって伝わったり、
また、具体的(ぐたいてき)に
病気などを蘇生(そせい)される
エネルギーとなって、
伝わることもある。

ある創価学会員の看護士の方が、
南無妙法蓮華経をとなえる祈りについて、

「手から、毛穴から、
祈りは、すべて、通じていく!」

と言っていた。

『南無妙法蓮華経をとなえる祈りは、通じる!』

単(たん)なる一時しのぎでも、
でまかせでもなく、
自分ひとりの問題でもなく、
南無妙法蓮華経をとなえる祈りは、
人々に通じていく!!


ここに、
『南無妙法蓮華経をとなえる』
スゴサがあるのかもしれない。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

また、
『南無妙法蓮華経をとなえる』ことによって
もたらされるエネルギーは、
人に伝わるだけではなく、
人に幸せをもたらしていく。

南無妙法蓮華経をとなえるエネルギーは、
幸せのエネルギーとなって、
人へ、未来へ、
世界へと、伝わっていく。

そしてその幸せのエネルギーは、
地域や社会、
職場や家庭に伝わり、
その環境(かんきょう)をより良く、
幸せに変えてくことなる。

だから、
創価学会の人たちがとなえている、
『南無妙法蓮華経』は、
世界を、
幸せに変えている!!
と言っても、
言い過(す)ぎではない・・・!


また、当然(とうぜん)、
南無妙法蓮華経をとなえるエネルギーは、
自分自身に伝わっていく。

南無妙法蓮華経の幸せのエネルギーは、
自分自身に伝わり、
しみ入り、
自分自身を幸せに変えていく。

そしてその幸せのエネルギーは、
自分の悩みを解決したり、
夢や希望をかなえる力となっていく。

あらゆるものを、
あらゆる人を、
あらゆる環境を、
より良く、
幸せにしていくエネルギーが、
『南無妙法蓮華経』
だということです。

ゆえに、これほどスゴイことはなく、
これほどの解決策(かいけつさく)もない。


結論(けつろん)から言うと、
南無妙法蓮華経をとなえきった人が、
幸せになるとも言えます。



メニューイン氏が思ったように、
南無妙法蓮華経をとなえるエネルギーは、
人に伝わる。

伝わるだけではなく、
その人たちを幸せにしていく。

また、家族や職場、
地域や世界に伝わり、
その世界に幸せを満(み)たしていく。


その無限(むげん)に伝わる、
究極(きゅうきょく)の幸せのエネルギーが
『南無妙法蓮華経』であり、
その幸せを確実にもたらすのが、
創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく195

2016-12-10 13:29:28 | 幸せ
以前、ネコの視点(してん)から、
人間の世の中のことを語った歌詞(かし)の、
歌を聴(き)いたことがあります。

定(さだ)かでありませんが、
その歌によると、

人間界は大変だ・・・。

出世とか、ノルマとか、
人付き合いや、ひいては権力争い。

人間界は大変だ・・・。

化粧(けしょう)とか、エステとか、
上司や彼氏、
結婚とか、離婚とか。

人間界は大変だ・・・。

出会いとか、別れとか、
からまって、解(と)けない人間模様(もよう)。



確かに・・・、ネコから見れば、
人間の世界は大変かもしれない。

というか、人間から見ても、
人間の世界は大変です。

さまざまな思惑(おもわく)が、
ぶつかり合い、
複雑(ふくざつ)極(きわ)まりない
状況をつくっている。

自分がピンチに陥(おちい)ることもある。
罠(わな)にはめられたように、
苦境(くきょう)におちいることもある。


創価学会インターナショナル会長の、
池田先生が、言っています。

『時には、

「どうして自分ばかりが・・・・・」

とグチをこぼしたくなることも
あるかもしれない。

しかし、煩(わずら)わしい試練(しれん)と、
祈り戦うからこそ、
仏(ほとけ)の力が出せる。
泥(どろ)が深ければ深いほど、
やがて美事(みごと)な幸福勝利の
大輪(だいりん)を咲(さ)かせていけるのが、
『如蓮華在水(にょれんげざいすい)』
の妙法(みょうほう/南無妙法蓮華経のこと)
である。』


『如蓮華在水(にょれんげざいすい)』
というのが難(むずか)しいですが、
蓮(はす)の花が、
泥沼(どろぬま)の水の上に、
美しい花を咲かせるように、
苦悩・渦巻(うずま)く、
どんな泥沼のような
環境(かんきょう)や人生からも、
美しい、勝利と幸せの花を
咲かせることができる!
との譬(たと)えだと思います。



人の人生は、さまざまだ。

けれど確かに、
美しく澄(す)んだ水の上に、
優雅(ゆうが)に
浮(う)かんでいられるような人など、
ほとんどいないと思う。

また、表面的には、
優雅に見えたとしても、
内面的には、
どろどろの苦悩(くのう)と
戦っているような場合も多いと思う。

どっちにしろ、
そんじょそこらのことでは、
にっちもさっちもいかないのが、
人生だと思う。


皆、現実と人生の、
さまざまな苦難や苦悩、
現実と理想(りそう)のギャップに悩み、
その中で戦っていると思う。

そして、その中で、
泥沼に咲く蓮の花(はすのはな)のように、
花を咲かせ、
光り輝(かがや)いていかなければならない。


それが多くの人の人生だと、
言えると思います。


池田先生が言うように、
『どうして、自分ばかりが・・・』
と思いたくなるようなこともあるかもしれない。
グチをこぼしたくなることも
あるかもしれない。

けれど、それでは、花は咲かせていけない。

その泥沼の上に、
美しい花を咲かせなければならない。


実は、そのための、
絶対の力(ちから)、
無限の力、
どんな苦難も幸せに変えていける力が、
創価学会(そうかがっかい)の、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。


泥(どろ)が深ければ深いほど、
美しい花を咲かせていける。

それが、究極(きゅうきょく)の幸せの力、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
なんだと思う。


世の中が悪い。
環境(かんきょう)が悪い。
あの人が悪い・・。

確かにそうなのかもしれないけれど、
そう思っても、
どうにもなっていかない・・。

その世の中、
その厳(きび)しい環境の中でも、
幸せになっていかなければならない。

勝っていかなければならない。

まさに、泥沼(どろぬま)のような
環境や状況(じょうきょう)であっても、
それでも、
花を咲かせなければならない。

それは確かに、
至難の技(しなんのわざ)であり、
どうにも手がつけられない
難問でもあると思う。


いったい、どうしたらいいのか?


理屈(りくつ)で、ああだ、こうだ
言うことはできる。
けれど、
はたして、
それができるのか?

蜘蛛(くも)の網(あみ)のように
絡(から)まった
人間模様(にんげんもよう)や
さまざまな状況・・・。

それを、プラスの方向、
幸せの方向、
勝利の方向にもっていくことが、
どれだけ困難であり、
奇跡(きせき)といっていいくらい
難(むずか)しいことであることは
わかっている。

あらゆるものが、
微妙(びみょう)に絡(から)み合い、
複雑極(ふくざつきわ)まりない
状況を作っている。

その中で、
「あみだくじ」のように道をたどり、
幸せをつかんでいかなければならない・・・。


確かに、困難な道だといえる。


けれど、その困難な道を
実現できる方法がある・・・!

蜘蛛(くも)のからまった糸のような
複雑な人間関係と状況、
環境、人生・・。

その、蜘蛛の糸のように
複雑な編み目(あみめ)の中でも、
そこを完璧(かんぺき)にくぐり抜け、
誤(あやま)りなく、
勝利と幸せをつかんでいける秘宝(ひほう)・・!

その秘宝が、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと言えます。


この創価学会の、
南無妙法蓮華経の仏法が、
どけだけスゴイか・・・!

あらゆるものを幸せに結(むす)びつけ、
あらゆるものを、
あらゆる人々を幸せに向かわせ、
たどり着かせる。
確かに、普通、考えたら、
不可思議(ふかしぎ)としか思えない
幸せの奇跡(きせき)を、
もたらしていけるのが、
この南無妙法蓮華経の仏法です。

にっちもさっちもいかないような人間関係、
またその環境や状況、
それを完璧に調和(ちょうわ)させ
幸せに導(みちび)いていってしまう力(ちから)が、
創価学会の
南無妙法蓮華経の仏法にはある・・!

それは不思議(ふしぎ)だけれど、
なんというか・・、
宇宙の力、生命の力、
宇宙の本源的な法則(ほうそく)に
導(みちび)かれているとしか
表現できないけれども、
そういう、
とてもできない芸当(げいとう)を
やってのけてしまう力が、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法の信仰には、
ある!ということです。


ゆえに、蓮(はす)が、
泥沼の中から
美しい花を咲かせるように、
人生を勝利していける。
幸せになっていける。


もろもろの悩みも
困難(こんなん)も、
さまざまな人間関係や状況も、
すべて乗り越え、
勝利していける。


そういう生き方が、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと、
いうことです・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

ネコではないけれど、
確かに、人間の世界は大変だ。

そして池田先生が言うように、
『どうして、自分ばかりが・・・』
と思いたくなるようなことも
あるかもしれない。


では、どうしたらいいのか?


結論(けつろん)から言うと、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法(ぶっぽう)の信仰は、
あらゆるものを、
あらゆる事象(じしょう)を、
あらゆる人々を、
幸せへと引(ひ)っぱり導(みちび)いてくれる。

それは、自分だけではなく、
家族や自分のかかわる
人々にまで影響(えいきょう)を及(およ)ぼし、
その人たちに
最善(さいぜん)の幸せを、
もたらしてくれる。

時には、悲しいこと、
辛(つら)いこともあるかもしれない。
けれど、時とともに、
自分が、家族が、
最善の方向に進み、
最良(さいりょう)の幸せを
もたらしていたことが、
わかってくる。


それが、実感(じっかん)として言えます。



これほどの力(ちから)があるだろうか・・・?


現実に、これほどの
幸せをもたらす力は、
あるだろうか?


はっきり言って、他にはない・・!!


この、創価学会の、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)でしか、
この現実の中で、
確実に、
幸せと歓喜(かんき)を
もたらす方法は、ない!!!

それは、
あらゆるものが積(つ)み重なり、
関係し合い、
ひとつひとつの事象(じしょう)からは
わからないかもしれないけれど、
それが重(かさ)なり合い、
素晴らしい錬金術(れんきんじゅつ)のように、
すべてが、微妙(びみょう)に、
しかも完璧(かんぺき)に結(むす)びつき、
結果として、
最高の幸せをもたらしている。

それは、
目には見えない奇跡と言えるかもしれない。

あたかも、蜘蛛の糸のような
複雑な編み目(あみめ)を、
誤(あやま)りなく、みごとに、
完璧(かんぺき)にくぐり抜けていくように、

よくもこんな素晴らしいものが!!
と思うような、
錬金術(れんきんじゅつ)のように、

その人に、
勝利と幸せをもたらしてくれる。

そういう目には見えない
幸せの芸術(げいじゅつ)を
もたらしていく力が、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰にはある!
ということです。

そして、その幸せの芸術が、
どれだけ多くの人を、
幸せにしてきたか!!
どれだけ多くの人の
悩みを解決(かいけつ)し、
夢や希望をかなえてきたか!!。

それこそ計り知れない。


その積み重ねが創価学会であり、
世界192カ国に広がる
創価学会の、
平和と幸福のスクラムなんだと、
思う・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく186

2016-03-11 08:35:55 | 幸せ
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の
御書(ごしょ)に、
こう、あります。


『一度(ひとたび)、
妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)と
唱(とな)うれば、
一切(いっさい)の仏(ほとけ)・
一切の菩薩(ぼさつ)・
一切の声聞(しょうもん)・
一切の梵王(ぼんのう)・帝釈(たいしゃく)・
閻魔(えんま)・法王(ほうおう)・
日月・衆星(しゅうせい)・
天神(てんじん)・地神(ちじん)・
乃至(ないし)地獄(じごく)・
餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・
修羅(しゅら)・人天(にんてん)・
一切衆生(いっさいしゅじょう)の
心中(しんちゅう)の仏性(ぶっしょう)を
唯(ただ)一音(いちおん)に
喚(よ)び顕(あらわ)し
奉(たてまつ)る功徳(くどく)・
無量無辺(むりょうむへん)なり。』


ちなみに、御書(ごしょ)とは、
日蓮大聖人が書かれた論文や手紙を、
すべて集めたものをいいます。


池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、
言っています。

『妙法(みょうほう/南無妙法蓮華経のこと)は、
ありとあらゆる人びとから、
そして、ありとあらゆる環境(かんきょう)から、
仏性(ぶっしょう)を呼び起こし、
一切を蘇生(そせい)せしめていく
音律(おんりつ)である。』


上にあげた日蓮大聖人のご文の中の、
菩薩(ぼさつ)・声聞(しょうもん)・
梵王(ぼんのう)・帝釈(たいしゃく)・
閻魔(えんま)・法王(ほうおう)・・・や、
地獄・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・
修羅(しゅら)・人天(にんてん)などは、
生命と宇宙の働(はたら)きと力(ちから)、
さまざまな可能性や影響力(えいきょうりょく)、
また、生命に内在(ないざい)する
特性(とくせい)や性質、
人それぞれの境涯(きょうがい)や心の変化を、
言葉で表現したものですが、
それらを動かし、
無限の幸せをもたらしていける、
『仏性(ぶっしょう)』という
仏(ほとけ)の生命を、
一言(ひとこと)で呼び覚(さ)まし、
動かしていけるのが、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
だということです。


仏(ほとけ)の生命を呼び起こす!
といっても、
よくわからないと思いますが、
自分の中にある、
あるいは生命や宇宙の中にある、
幸せをもたらす力(ちから)、
希望の力、
さまざまな悩みを解決し、
夢をかなえていける無限のエネルギーを、
引き出し、
呼び起こしていく!と、
いうことです。

その、あらゆる幸せの力を
呼び覚(さ)ましていける力が、
たった一言の
『南無妙法蓮華経』
にはある!!

ということです。


『仏(ほとけ)の生命』の力とは、
そのように、
無限の幸せと希望をもたらす
生命の力だということです。

その、宇宙や世界、
人間や生命の中から、
無限の幸せと希望をもたらす、
『キーワード』となる音律(おんりつ)が、
『南無妙法蓮華経』だということです。


たとえば、公園に、
山田さんが100人、
いたとします。

そうすると、その公園で、

「山田さーーん!」

と呼ぶと、
100人の山田さんが、

「はーい!」

と答える。

それと同じように、
南無妙法蓮華経を、となえる時、
南無妙法蓮華経とは、
「仏の生命の名前」「仏性(ぶっしょう)の名前」
なので、
呼ばれて、
全宇宙の仏性(ぶっしょう)が、

「はーい」

と返事をする。

また、自分の中の仏性も、
呼ばれて、返事をする。

あらゆる環境(かんきょう)、
あらゆる世界、
また自分の中にある仏性も、
呼ばれて、

「はーい!」

と返事をして、
引き出されていく。

そうすると、南無妙法蓮華経とは、
仏性(ぶっしょう)とは、
幸せをもたらす無限の力なので、
自分の中から、
幸せになるための力が引き出され、
また、環境や世界からも、
幸せをもたらす力が
引き出されていく。

その結果、
さまざまなことが好転(こうてん)し、
幸せをもたらし、
また、自分自身の中から
引き出された仏性によって、
自分も幸せに変わっていく。


それが、『南無妙法蓮華経』だということです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

だから、ぼくたちが、
南無妙法蓮華経をとなえる時、
全宇宙の、
あるいは世界や環境から、
幸せをもたらす無限の力である
『仏性(ぶっしょう)』が
呼ばれて、
引き出される。

また、自分で
南無妙法蓮華経をとなえることによって、
その自分自身の中から、
仏性、すなわち、
幸せをもたらす無限の力が、
呼ばれて引き出されていく。

自分の中からも、
環境や世界からも、
幸せをもたらす無限の力が、
呼ばれて、
引き出されていくわけです。

自分の中から引き出された
幸せの力と、
環境や世界から引き出された
幸せの力が、
かみ合い、重(かさ)なり合い、
かけ算のように、
より一層(いっそう)の
プラスの結果となって、
もたらされる。

その幸せをもたらす、
無限の相乗効果(そうじょうこうか)が、
創価学会の人たちが、
日々、となえるている、
『南無妙法蓮華経』
だということです。


だから、
創価学会(そうかがっかい)の人たちが、
幸せにならないはずがないんです・・!!

また、だから、
創価学会は世界192カ国に広がり、
人々を現実に幸せにしている!!

だから、どんな困難(こんなん)があったとしても、
南無妙法蓮華経を
真剣にとなえていくことによって、
困難を乗り越(こ)え、
幸せになっていける。

どんな悩みがあったとしても、
真剣に南無妙法蓮華経をとなえることによって、
自身の生命から幸せの力を引き出し、
変革(へんかく)し、
悩みを解決していける。

また、日々、
南無妙法蓮華経をとなえて、
仏法(ぶっぽう)の実践(じっせん)活動である、
創価学会の活動をやっていくことによって、
自身の境涯(きょうがい)を変え、
人間革命していくことができる。

やがてそれは、
夢や希望をかなえ、
幸せと勝利につながっていく!


あらゆるものを動かし、
あらゆるものを変革(へんかく)していく。

あらゆる幸せを引きつけ、
勝利させていく。
また、自分自身が、
本源的(ほんげんてき)に、
幸せに変わっていく!!


それができる、
決定的で、
唯一(ゆいいつ)の法則(ほうそく)であり、
力であり、
エネルギーが、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと
いうことです・・・!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく181

2015-07-29 08:46:43 | 幸せ
ぼくは、創価学会員だから、
普通に、聖教(せいきょう)新聞を
読んでいる。

創価学会員がみんな、
必ず聖教新聞を読んでいるわけでは
ないけれど、
一般的に、真面目に
創価学会(そうかがっかい)の信心を
やっている人は、
聖教新聞を読んでいる。


なぜ、聖教新聞を読むのかと、
自分に問いかけてみると、

それは、自分が、


「幸せを求めている!」


からだと思う。


もし、ぼくが、
幸せを求めていなかったら、
聖教新聞は、読まないでしょう・・・。


そう考えてみると、
聖教新聞は、
「幸せ」にポイントと重点を置いた
新聞であることが、わかる。



普通、新聞というと、
その時々にあった
事件や出来事や話題などが、
のっている。

また、それだけではなく、
その新聞独特(どくとく)の解釈(かいしゃく)というか、
それぞれの新聞に思想性(しそうせい)があり、
傾向性(けいこうせい)がある。

この新聞は
あっちよりの傾向があり、
あの新聞は
そっちよりの傾向があったりする。

よく言うように、
思想的に、
右よりだとか、左よりだとかと
表現することもできる。

こっちの新聞は反対だと言い、
あっちの新聞は賛成だ
という場合もある。

同じ物事にも、
さまざまな考え方があり、
それはそれで当然(とうぜん)だと思う。


細かい部分から言えば、
新聞には
思想の対決のような部分も
あるかもしれない。

一方は反対、
もう一方は賛成。
それは当然、
それが良いと判断(はんだん)して
書いてあるのだけれど、
その賛成と反対の狭間(はざま)で、
時として、
置(お)き去(ざ)りにされてしまうものがある。


それが、「人間の幸せ」だと思う。


特に、庶民(しょみん)の幸せ。
決して、新聞にはのることのないような、
名もない民衆たちの幸せ・・。

この名もない民衆たちの幸せが、
置き去りにされてしまう場合がある。

逆に言えば、
どうしようもないからだと
言うこともできる。

世の中に埋(う)もれているような、
庶民たちを幸せにできる
方法や手段(しゅだん)が
見当(みあ)たらないし、
またそれらの人々の
悩みや苦しみを解決する、
確実で具体的な方法もない。

だから、
それらの名もない民衆たちの幸せが、
新聞にのることは、あまりない・・・。


また、有名人や著名人(ちょめいじん)の死や、
それにかかわる病気について、
新聞にのることはあっても、
その大変な病気や障害(しょうがい)を
乗り越(こ)え、
蘇生(そせい)していった話しも、
あまり新聞にのる事がない。

それは、当然であり、
どんなに有名であろうと、
財力(ざいりょく)があろうと、
困難な病気を乗り越え、
勝利した話しなど、
ほとんど無いからです。


だから、そういう、
蘇生(そせい)のドラマが
新聞にのることも、あまりない。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

ところが、聖教新聞には、
いま、上げたような、
普通、新聞にのることのない、
物語、ストーリー、ドラマが、
ことごとく、のっている。

それは、大変な病気を乗り越え、
勝利していった物語であり、
経済的にも大変な苦境(くきょう)を勝ち越え、
幸せを勝ち取った物語であり、
また障害(しょうがい)を乗り越え、
蘇生(そせい)していった物語でもある。

また、他の新聞では
決して、のることのないような、
名もない庶民たちの
勝利と幸せの凱歌(がいか)が
高らかに歌われているのが、
聖教新聞だと言える。

それは、まぎれなもない
現実の結果であり、
元(もと)を正せば、
歴史の上でも、だれも、
どうしようもなかった、
民衆の幸せ、
名もない庶民を、
現実に幸せにしていける
法則(ほうそく)と哲学(てつがく)が、
創価学会の、
南無妙法蓮華経を、となえる
仏法(ぶっぽう)の信仰にはある!!
ということです。

ゆえに、
現実の科学的な証拠(しょうこ)として、
数えきれない多くの民衆の幸せを、
新聞にのせることができる。
また、それだけの
希望を生み出す力(ちから)が、
聖教新聞にはある!
ということもできます。


普通だったら、
決して新聞にのるようなことはなかった、
名もない民衆の勝利と幸せ・・!


その民衆の
壮大(そうだい)な叙事詩(じょじし)。

その民衆の勝利の歌が、
聖教新聞なのかもしれない。


だから、聖教新聞は、
『幸せを求める人』が
読む新聞だと思う。

そして、『幸せになる答え』が
必ずある!のが、
聖教新聞だと思う。

また、これほど、
人間に、
ひとりの人間に、
民衆に、
希望を贈(おく)ることのできる
新聞もない!と思う。


だれも、表立(おもてだ)って
言ったりしないかもしれないけれど、
探し求めている『幸せの本質(ほんしつ)』

そして、幸せという現実の結果・・!


その『幸せの本質』と
『幸せという結果』に、
真(しん)に、
具体的に、
現実的に、
直結(ちょっけつ)している新聞が、
聖教新聞だと思う・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく172

2015-01-16 09:05:06 | 幸せ
すべての人は、
『仏法(ぶっぽう)』を、求(もと)めている。

けれど、仏法(ぶっぽう)というと、わからない。

人が望むもの・・ 、
人が、求めるもの・・。

それは、幸せであり、
希望であり、
安らぎであり、
調和(ちょうわ)である。

音楽にしても、映画にしても、
文学にしても、
さまざまな文化にしても、
人は、自分が感動し、気持ちよくなり、
心が安(やす)らかになるものを、
求めて、
それらの音楽や映画や、
スポーツや趣味によって、
それらの自分の人生にとって
プラスとなるもの・・。
すなわち、希望や調和、
勇気や挑戦する心を、高めようとする。

すなわち、それらは、
すべて生きる喜び、
幸せに向かうものであり、
それらの生きる喜びを求めて、
さまざまなことを、やっている。


では、音楽にしても、映画にしても、
文学にしても、さまざまな文化にしても、
それらは、いったい、
何を求めているんだろうか・・・?


それは、当然、幸せを求めている。

その表現の結果が、
感動であったり、
勇気であったり、
安らぎであったり
調和であったりする。

実は、それらの人々が求めている、
感動や安らぎ、希望や勇気、
調和とかいうものは、
『仏法のエッセンス』の一分(いちぶん)であり、
生きる喜びのすべてが、
『仏法(ぶっぽう)』の中にあるんです。

仏法とは、
生きる喜び、
幸せそのもののようなものです。

それを、無限に内包(ないほう)したもの、
喜びと幸せの、
大元(おおもと)の無限のエネルギーが、
『仏法(ぶっぽう)』です。

だから、さまざまな音楽にしても、
映画にしても、
文学や、さまざまな文化にしても、
生きる喜びという、
『仏法のエッセンス』の一部分(いちぶぶん)を求めて、
ちまなこになっている!
と言うこともできます。

それら、感動や勇気、
希望や調和、
安らぎなどの、
人間が幸せになるために、
欲(ほ)しくて欲しくて、しょうがないもの・・・。

実は、その、
人間が、本源的(ほんげんてき)に求めているものの、
本当の姿(すがた)であり、
究極(きゅうきょく)の幸せの姿が、
創価学会(そうかがっかい)が実践する
『南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)』なんです。

だから、本当は、
音楽にしても映画にしても
文学にしても、
あらゆる文化が、
究極的に求めているのは、
『仏法(ぶっぽう)』なんです。

はっきり言えば、
人間は、
仏法を求め、仏法に向かって、
模索(もさく)し、
それを、つかもうとしているんです。


ところが、『仏法(ぶっぽう)』と聞くと、
そっぽを向く。


まさか・・仏法が、
自分が求めているものだとは、
考えもつかないからです。


だから、人々は、必死で仏法を求め、
仏法を、つかもうとしているのに、
自分がつかもうとして模索(もさく)している幸せが、
まさか、仏法にあるとは、
考えられず、
結局、自分が欲(ほ)しがっている幸せを、
つかめず、
人生を終わってしまう。


それが、多くの人たちの、
人生だと言うことも、できます。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

だから、その『仏法』に対する
偏見(へんけん)を打ち破(やぶ)り、
創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を求め、
実践(じっせん)していったとき、
自分のあらゆる悩みや問題が、
解決でき、
さまざまや希望や夢も、
かなえていけるようになっていく。

そして最終的に、
これ以上ない!と言える
幸せと勝利の、
最高に満足のいく人生を、
おくることができる!!


それが、すべての人が求めている、
創価学会の
南無妙法蓮華経をとなえる、
『仏法』です。


だから、ほんとうは、
すべての人が、
『仏法』を、求めている。

音楽にしろ、
映画にしろ、
文学にしろ、
さまざまな芸術にしろ文化にしても、
すべては『仏法』を目指(めざ)し、
仏法に近づこうと進んでいる。

人間のいとなみの、
すべては、
仏法に近づこう!仏法に近づこう!として
模索(もさく)している。


人間は、『仏法(ぶっぽう)』が、ほしいんです!!!

『仏法』を求(もと)めて求めて求め抜(ぬ)いているんです。


けれど、自分が求めている幸せが、
『仏法』であるとは、
まさか、気づかない・・・。


だから、自分が望む本当の幸せを、
つかめないまま、
人生を、終わってしまう。



だから、勇気を出してほしいと思う。



仏法は、そこにある・・!


過去の時代から、
あらゆる人が、求めて求めて、
欲(ほ)しがっていた最高の幸せは、
実は、創価学会の
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
『仏法』の中に、
あるんです!


だから、この創価学会の
南無妙法蓮華経の仏法を、
つかんでほしい!!


なぜなら、
そこに、
すべての人が望む、
あなたが望む、
すべての幸せが、
あるからです・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・