以前、テレビで、
ブルース・ウェバーという、
有名な写真家の特集(とくしゅう)をやっていたのを、
見たことがありました。
若き日に、
ブルース・ウェバーに、
写真を撮(と)られたハリウッドスターは、
不思議(ふしぎ)と、みんな、
大スターになっているそうです。
ブルース・ウェバーに、そのことを聞くと、
「皆、強いオーラが出ていたから、
撮(と)りたくなっただけだ!」
と、言っています。
そのブルース・ウェバーが、
マドンナの写真を撮ったとき、
マドンナは、夫婦喧嘩(けんか)をしていて、
最悪の雰囲気(ふんいき)だったそうです。
それで、ブルース・ウェバーは、
一計(いっけい)を案(あん)じ、
マドンナが、鏡(かがみ)にキスしているところを、
写真に、撮る事にした。
マドンナは、大スター、
鏡を見るときは、いつも、
魅力的(みりょくてき)な自分、美しい自分、
より素晴らしい自分を、
鏡に、映(うつ)そうとします。
当然です。
そして、不機嫌(ふきげん)だったマドンナは、
鏡に映った自分に、キスをして、
思わず、
笑ってしまったそうです。
不機嫌だったマドンナは、
上機嫌(じょうきげん)となり、
素晴らしい写真が、撮れたようです。
不機嫌だったマドンナが、
なぜ?
上機嫌になったんだろう?
マドンナは、鏡に映(うつ)った自分に、
キスをするために、
美しい、キュートな自分、
魅力的な自分を、
鏡に映そうとした。
だから、
鏡(かがみ)には、美しく、キュートな、
魅力的な自分が、映し出される。
鏡に映し出された、
その美しく、キュートで魅力的な自分が、
こんどは、逆(ぎゃく)に、
鏡を見ている自分自身の心にまで反映(はんえい)して、
鏡に映った通りの、
魅力的な心に、
マドンナの心境(しんきょう)は、
変(か)わってしまった。
美しく、キュートで魅力的な自分は、
当然(とうぜん)、不機嫌な自分ではない。
さわやかで、ほがらかで、
安(やす)らいでいるはずだ。
その上機嫌な自分が、
鏡に映っているわけです。
その、安らかで、魅力的で、
ほがらかな自分自身を見たマドンナは、
本来の自分を、
思い出し、とりもどし、
現実の自分の心も、
上機嫌になってしまったと、
いうことです。
ようするに、
本来の自分を、鏡で見ることによって、
平静(へいせい)を失(うしな)っていた自分が、
本来の自分を、
取り戻(もど)したということだと思う。
どんな不機嫌な時でも、
どんなに、辛(つら)い時でも、
どんなに、苦しい時でも、
どんなに、悲しい時でも、
我(われ)を忘(わす)れている時でも、
本来の自分を、映し出す鏡があれは、
自分を、取り戻すことができ、
本来の自分、
素晴らしい魅力的な自分を、
引き出すことが、できるわけです。
鏡に映った自分が、
魅力的であればあるほど、
素晴らしければ、素晴らしいほど、
その鏡を見た自分の心も、
素晴らしく、魅力的になっていくと、
いうことです。
だから、
最高(さいこう)に魅力的で、最高に素晴らしく、
最高に強くて、最高にやさしくて、
最高に愛に満(み)ちて、
最高にほがらかな、
素晴らしい自分を映す鏡があれば、
その鏡を、見ることによって、
自分の中から、その通りの、
最高に魅力的で、最高に素晴らしく、
最高に強くて、最高にやさしくて、
最高に愛(あい)に満ちて、最高にほがらかな、
素晴らしい心を、
引き出すことができるわけです。
その人間の中にある、
最高の生命(せいめい)!
強くて、あったかくて、絶対に負(ま)けない、
やさしくて、ほがらかで、愛に満ちた、
最高最大の自分自身を、
映し出す鏡(かがみ)が、
実は、創価学会(そうかがっかい)が、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえる対象として、
祈っている、
『ご本尊(ごほんぞん)』
なんです。
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・
強くて、あったかくて、絶対に負けない、
やさしくて、ほがらかで、愛に満ちた、
最高最大の自分自身を映し出す鏡である、
『ご本尊(ごほんぞん)』に、
祈(いの)る時、
たとえ、どんなに辛(つら)いときでも、
どんなに苦しい時でも、
どんなに悲しい時でも、
我(われ)を忘れている時でも、
最高の生命を映し出す鏡である
『ご本尊』を、見(み)て、
自分の中から、
強くて、あったかくて、絶対に負けない、
やさしくて、ほがらかで、愛に満ちた、
素晴らしい心(最高の生命)を、
引き出すことができる!
これは、ほかでは、
絶対(ぜったい)に、できません。
現実の生活の中で、
強くて、あったかくて、絶対に負けない、
やさしくて、ほがらかで、愛に満ちた、
最高に素晴らしい自分を、映し出す鏡を、
見つけようとしても、
無理(むり)です。
日々の現実の生活の中では、
最高に素晴らしく、最高に魅力的な心を、
映し出す鏡は、
存在(そんざい)しないからです・・・。
そうなると結局(けっきょく)、
最高に素晴らしく、最高に魅力的な心(こころ)は、
自分の中から、
出てくることは、できなくなり、
結果(けっか)として、
最高の幸せも、つかむことが、
できなくなっていきます。
だから、創価学会が、
日々、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえ、祈ってる、
『ご本尊』が、
必要(ひつよう)なんです。
強くて、あったかくて、絶対に負けない、
やさしくて、ほがらかで、愛に満ちた、
最高の生命を写(うつ)し出すことのできる『鏡』!
その、自分の中の、
無限(むげん)の可能性ともいえる、
『最高の生命』を写す鏡である、
『ご本尊(ごほんぞん)』が、
どうしても、必要なんです!!
そして、その『ご本尊』に、
南無妙法蓮華経を、となえることによって、
いままで、出ることが、できなかった、
強くて、あったかくて、絶対に負けない、
やさしくて、ほがらかで、愛に満ちた、
素晴らしい心が、
『ご本尊』という鏡を見ることによって、
引き出され、
その、当然の結果として、
最高の幸せを、
つかむことに、なっていきます。
それは、
世界中の創価学会の人たちが、
体験(たいけん)していることであり、
そのことによって、
悩みを解決し、
夢や希望を実現(じつげん)して、
世界192ヶ国の創価学会の人たちに、
勝利と幸せを、もたらしています。
『ご本尊』は・・・、
幸せを、もたらす鏡なんです・・・!
それは、あたかも、
鏡にキスをしたマドンナが、
微笑んでしまったように・・・・・!
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・