以前、テレビで、
癌(がん)で亡(な)くなった、
プロサーファーの闘病記録の映像を、
見たことがあります。
闘病(とうびょう)記録を、
パソコンのホームページにつづった日誌も、
本になって出ているようです。
映画にもなったので、
知っているひとも、いるかもしれない。
限(かぎ)られた生を、
精一杯(せいいっぱい)、生きようとする姿に、
人は、感動を、
おさえることができない!
けれど、ぼくが、
心に残ったのは、
その中で、彼の妻が、
夫(おっと)が余命(よめい)何年、何ヶ月と
宣告(せんこく)されても、
この人が、生きている間は、
『もしかしたら、この人は、ずっと、
生きていてくれるんじゃないか?』
と思っていたと、言っていたことです。
その妻の思いを考えると、
ほんとうに、彼が、
死ななくて、すむ方法は
なかったんだろうか?
生きる可能性は、なかったんだろうか?と、
思ってしまいます。
もし、彼が、
創価学会の仏法(ぶっぽう)を知っていたならば・・、
もし、彼が、
不可能を可能にする
『ご本尊(ほんぞん)』と、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の仏法を、
知っていたならば、
病気を克服(こくふく)する可能性が、
あったのでは、ないか?
と、いうことです。
もちろん、絶対、治(なお)るとは言いません!
人間は、いつかは死ぬし、
創価学会(そうかがっかい)の人も、
当然、
病気にかかって死ぬ人は、
いっぱい、います。
けれど、それにも、かかわらず、
創価学会の人が、癌(がん)や、さまざまな病気で、
余命何ヶ月と、宣告されながらも、
南無妙法蓮華経を、真剣に、となえぬき、
不可能を可能にする必死の信心によって、
医学では、不可能と言われた病気を
克服して、元気に生き切っている人が、
現実に、
たくさん、たくさん、いるからです!
少なくとも、この創価学会が
実践(じっせん)している仏法には、
医学で、不可能と言われた病気さえも、
治す可能性がある!ということだと、
思います。
だから、もし、このプロサーファーの彼が、
創価学会の仏法(ぶっぽう)を知っていたなら、
『この仏法に、賭(か)けてみよう!』
と、思ったかもしれない!と、
思ってしまうんです・・。
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の
御書(ごしょ)に、
(御書とは、日蓮大聖人が書かれた、
論文とか手紙を、すべて、まとめたものです)
『南無妙法蓮華経は、師子吼(ししく)のごとし。
いかなる病(やまい)さはりを、なすべきや!』
と、あります!
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえることは、
ライオンが、ほえるようなものだ。
だから、どんな病気も、
南無妙法蓮華経をとなえぬく人を、
わずらわすことは、できない!
ということだと、思う。
ようするに、南無妙法蓮華経には、
人間の中にある、
最高に充実(じゅうじつ)した、
ほとばしるような、すざまじい生命力を、
湧(わ)き上がらせる力(ちから)が、ある!
ということだと、思う!
生きようとする、
全宇宙を爆発(ばくはつ)させるような、
最大にして、最強の、最も尊(とうと)い生命力を、
自分の中から、爆発させる可能性が、
南無妙法蓮華経には、
あるんだと思う。
その南無妙法蓮華経の可能性は、
時として、奇跡(きせき)とも思えるような
結果さえも、
生み出すことが、ある・・・・!!
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・