tokyoonsen(件の映画と日々のこと)

主に映画鑑賞の記録を書いています。

一足早い夏休み・その2~車山山頂

2023-07-31 14:25:00 | 日記

 夏休みの記録その2。

 

 奥蓼科・御射鹿池の次に目指すのは、霧ヶ峰・車山の山頂。

 

 朝の予定に入れたのは、「車山山頂 SKY terrace」という展望台から雲海を見下ろしたかったから。

 2020年に出来たばかりの(3年前はついこないだ)ブランニューなこの展望台は、‘天空のテラス’と呼ばれている。運が良ければ雲海が見下ろせて、正に天空にたたずんでいるような心地が味わえる。その雲海に出会う為には、朝が良いらしいのです。

 というわけで、ビーナスラインをぐんぐん車を走らせ、車山へ。

↑雲海?

 車山は、諏訪湖の北東に位置する日本百名山・霧ヶ峰の最高峰。標高1925m。

 長野県茅野市です。

 辺りは国定公園となっていて、“日本一登りやすい”百名山。

 というのは、リフトを二つ乗り継ぐとほぼ山頂まで行けるという親切設計。でもリフトは使わず、トレッキングも楽しみたいので少しだけ歩きました。リフトと反対側の山小屋、コロボックルヒュッテ辺りから、山頂まで40分くらいです。

↑割となだらかな道が続きます。ただゴロゴロ石の道なので、案外足首や膝を使うかも。足元を見ないと歩けないので、時々立ち止まって景色を楽しみます。

↑振り返ると出発した駐車場とサービスエリアが見える。写真中央の道が車で通って来たビーナスライン。

 しばらく登ると、目印の気象レーダーが見えてきました。あそこが山頂です。

 7月4日の朝8時半くらいです。

 梅雨時の平日だからか人は少なめ。私達以外にもちらほら登っている人はいました。

↓‘天空のテラス’が見えて来ました。誰もいません。

 雲海~?と思いきや、違いました。

 でもやっぱり山々の稜線と沸き立つ雲は迫力あり。どんどん雲が動いて、緑のなだらかな山が見えて来ます。

 こんなところで昼寝をしたら、気持ち良さそうだなぁ。雲の中で昼寝。日焼け付き。

 ちなみに日差しはかなり暑くて、何だか太陽と近い気がしました。空気がきれいで湿気が少ないからでしょうか。しかしジリジリと日差しの感触を頬に感じながらも、風は涼しい。冷たい風が時折吹いて、暑さと冷たさの同居は気持ちの良いものでした。

↑展望テラスの先に、‘天空の社’、車山神社が見えます。

↑鳥居も御柱も白く塗られて、雲に染まったようです。

 天に近いので願い事が叶いやすいらしいですよ。絵馬も水色で、周りが海なら地中海の雰囲気?

↑神社の先を見下ろすと、リフト乗り場が見えました。リフトで山頂まで来た場合は、あそこで降りることになります。

↑リフトは山肌を下りて行きます。向こうに小さく白樺湖。

↓また戻って、神社から見た気象レーダー。本日は晴天なり。私レーダーは超アバウト。

 さようなら。元来た道を戻ります。

 

つづく。


一足早い夏休み・その1~御射鹿池

2023-07-11 01:32:55 | 日記

 先週は、一足早い夏休みをいただきました。そこで向かったのは、長野県の霧ヶ峰。

 少しずつ旅の記録を付けたいなと思います。

 

 最初に向かったのは、茅野市にある御射鹿池(みしゃかいけ)。

 ここは東山魁夷画伯の「緑響く」という絵で有名なのです。白い鹿がいる静かな絵です。実際に鹿は見なかったのですが、本当に白い鹿がいてもおかしくないような雰囲気でした。 

 幻想的な、木々の映る澄んだ水面を見る為には早朝に着かなくてはいけないということで、午前4時に自宅を出発。

 夫が運転してくれたので、途中から私は爆睡。途中で寄ったサービスエリアも朦朧として良く覚えていません(汗)ちなみにこちら↓

八ヶ岳SA。到着時間は午前5時半頃。ほぼ覚えてない…(´。`)

 

 次に気がついた時には、御射鹿池に到着していました。大体6時過ぎくらいだったかな。

 御射鹿池は予想に反して、県道沿いにありました。向かいに駐車場があるので車を停め、ドアを閉めて、振り返るとすぐに池が。神秘的な池は神秘的な場所にある(鬱蒼とした森の奥とか)という単細胞的決めつけをあっさり鮮やかに超えて来るところは、やはり神秘と言うべきでしょうか。。

 上下対称に、木々を映す池の水面。

 杉の木の真っ直ぐに伸びる直線がまた、崇高な静けさを感じさせます。

 

 しかし残念ながら上の写真は、良く見るとさざ波が立っているのが分かります。完璧ではありませんでした。空気も、水も、全てが静寂に包まれる瞬間のみ、鏡の国が現れるんですね。

 しかも・・・

 しばらくすると、池の主、鴨さんが現れました。おはようございます!(^^;)

 

 池の主というには理由があって、この池には魚が住めないそうです。酸性が強くて魚は住めず、水の透明度の高さはその為だそうです。魅惑的でありながら、何だかちょっと寂しい気もしますね。

 しかし主は酸性だろうと気にしません。スーッときれいな航跡を残しながら自由に進む、鴨3羽。今来たばかりで、カメラの三脚を立てていた向こうのお兄さんの事をちょっと考えてしまいました。

 いや、それもきっと自然撮影の醍醐味。千載一遇のチャンスを掴むべくファインダーを覗くお兄さん。水面を滑らかに裂きつつ進む鴨さん達も、きっと彼には想定内でしょう。

 

 何て勝手な事を考えながら、お先に私達は御射鹿池にさようなら。

後ろに引いて映すとこんな感じ。

 

 県道191号線をぐんぐん行きますよ!すっかり目は覚めました(笑)

 つづく。


お久しぶりブログ

2023-06-13 02:35:49 | 日記

 最近フィルマークス(Filmarks)という映画アプリを始めて、こちらのブログにはすっかりご無沙汰となってしまった。

 

 映画鑑賞のメモ代わりにと、1~5行くらいの備忘録のつもりだったけど、書き始めると自然と長くなり、するとそれで満足してしまって、ブログに書かなくなったという次第。

 でも時々もっとだらだらと感じたこととか、作品の感想から派生した自分の日記的なものとか、ブログに書きたいなという思いがふっと沸いてくる。

 

 やっぱりブログは好きなことを好きに書けるので、いいですね。

 映画アプリも書けない訳ではないけどね。目的もなくだらだら書くもんでもないしね。

 

 写真は、茅ヶ崎サザンビーチ。「サザン」はサザンオールスターズのことみたい。同じ神奈川県下というだけで全然地元ではないけれど、たまに行くところ。やっぱり海の近くはいいなあ。

 見出しの写真はビーチ近くの交差点で、好きすぎて、毎回写真を撮ってしまうのです(笑)

 

扇状の葉の椰子と、ココナツと同じ羽状の葉の椰子。↓夏だな~。

波打ち際に小さく、ウェディングドレス姿の新婦さんと新郎さん。モニュメントも結婚記念の撮影スポットのようです。↓

円の途切れたところに二人で立ち、円を完成させるんですよ。


『行き止まりの世界に生まれて』…僕らが出来ることは、ジャッジを減らし愛することを増やすこと。

2023-04-29 23:59:37 | 映画-あ行

 『行き止まりの世界に生まれて』、ビン・リュー監督、2018年、93分、アメリカ。原題は、『Minding the Gap』。

 第91回アカデミー賞/長編ドキュメンタリー部門、第71回エミー賞/ドキュメンタリー&ノンフィクション特別番組賞、ノミネート。オバマ元大統領が2018年の年間ベストムービーに選出。

 

 

 アメリカ、イリノイ州ロックフォード。

 ラストベルト(錆びついた工業地帯)に位置するこの町で生まれ育った青年、キアーとザック。二人を追うビン・リュー監督もロックフォード育ち。三人の共通点はスケートボードだ。

 自由そのもののようなスケートビデオから始まるこのドキュメンタリーは、キアーへのインタヴューと、ザックへの視線を通して、彼ら自身を取り囲む問題、主に家庭内暴力とその連鎖をあぶり出す。

 「初めて撮ったのは14歳の時」という仲間達のスケートビデオに始まり、12年の歳月が、約1時間半の作品に収められている。

 

 カメラの前で青年達は打ち解けている。「この撮影をどう思う?」と尋ねられたキアーは、笑って「無料セラピーだ」と答える。

 対して、中々本心を見せなかったザックは、完成した作品を見て、涙したという。

 「ザックは、人生で生まれて初めて自分自身をしっかり`見てもらえた’と感じたと思う」と監督は言う。

 

 自分自身や、自分の好きなことを、受け入れられたと感じる経験を持たなかったザックだが、撮影を通して、また完成した作品に、その孤独を共有する他者を見た。それは、自分に向けられたカメラであり、同じような孤独を語る友人の姿であり、そしてまた作品を観る自分自身だったかもしれない。

 

 自らも継父の気まぐれな暴力にさらされ、「世界を因果関係に欠けるものとして認識していた」と語る監督は、仲間の青年達が(年齢的に)大人になる段階において、つまづき、薬物の犠牲になり、刑務所行きになり、または「それ以上のひどいこと」になってしまう現実を、無視できなかったと語る。

 

 物言わず、仲間に寄り添っていたカメラは、後半、ザックの暴力問題から動揺を見せ始める。監督自身を捉え、家族を捉え、これまで語られることのなかった自らの家族内の暴力について、切り込んで行く。

 このドキュメンタリーは、監督を含めた三人の青年の、心の歪みを解きほぐす作業そのものである。

 それはまた観る者の心を解きほぐす。身体的、心理的な暴力とその負の連鎖は、ロックフォードという町だけで起きるわけではない。

 

 (暴力をなくすために)「個人レベルでは、暴力が起きた時に、それをきっちりと指摘するということ。全体としては、ただ暴力を罰するのではなく、暴力が起きる前に止める方法を見つけていかなければいけないと思います。その唯一の方法は、そもそも社会の中で暴力が生まれるきっかけが何なのかを見つめていくこと。(略)」

 (リュー監督インタヴューより抜粋)

 

 少なくともこの作品は、蒙昧な世界に風穴を空け、世界が「行き止まり」ではないことを証明した。仲間を撮った個人的なドキュメンタリーであると共に、社会の問題、人間の心理に深く光を差し込んだドキュメンタリーだった。

 

****

 生き生きとしたスケートビデオでもあり、また幾つもの社会問題、課題を内包する本作。リュー監督の明晰で柔らかい言葉で、様々な問題についての考察から、本作制作のきっかけや、撮影方法、編集、ご自身について等、興味深く読ませてもらいました。

 映画配給会社ビターズ・エンドさんの「note」より、オンライントーク全文のリンクを自分への備忘録として。

https://note.com/bittersend/n/ne2ad829654b0?magazine_key=mfae213ec899e

(2020.9.6 新宿シネマカリテ)

https://note.com/bittersend/n/nc44e51ea6a84?magazine_key=mfae213ec899e

(2020.9.12 ヒューマントラストシネマ渋谷)

 

 

左から、キアー、リュー監督、ザック↓「スケーター仲間は僕にとっての家族だった。」

This device cures heartache.(このデバイスは心の傷を癒やしてくれる。)↓キアーがボードの裏に書いた言葉。

米中西部。古くから製造業、重工業の中心的役割を担うが、1970年代以降主要産業が衰退。町には廃墟となった建物も。

 

 

 

 


『幻滅』…密度、密度、密度、もはや爽快。

2023-04-23 02:45:09 | 映画-か行

 『幻滅』、グザヴィエ・ジャノリ監督、2021年、149分、フランス。原題は、『Illusions perdues』。

 バンジャマン・ボワザン、セシル・ドゥ・フランス、バンサン・ラコスト、グザヴィエ・ドラン。

 原作は、19世紀の文豪バルザックの小説。小説群「人間喜劇」のうち『幻滅_メディア戦記』(1843年)の映画化。

 

 

 爽快。そして降参、ひれ伏すのだった(笑) 観たのは少し前だけど、その密度を思い出すだけでワクワクする。

 

 ストーリー自体は、爽快という言葉はあまり相応しくない。

 田舎の詩を志す文学青年が、支持者であり不倫関係にあった伯爵夫人と共にパリへ上京。花の都パリで揉まれに揉まれる。ジェットコースターばりのスピード感は、脚色の勝利だ。

 貴族階級の虚飾に、言論の欺瞞、大衆の空虚。19世紀前半、フランス復古王政の頃の若干戯画的な話ではあるが、200年経った今に通じる普遍的なリアリティは笑うに笑えない。

 

 印象的なのは、印刷技術の発展と共に現れた、新興新聞社の描写だ。それまで王室はじめ貴族階級が独占していた「言論・マスメディア」という力が、庶民の手に渡ることにより、良く言えば躍動感を得、率直に言えば、金にまみれた謀略の手段として使われて行く。その小悪党の仲間となる主人公リュシアンだが、文才のあったリュシアンはみるみる間に、批評欄筆者として名を上げる。

 リュシアンという人物も興味深い。

 そう特別には思えない。野心や自負心があるとは言え、普通の若者の範疇だろう。しかし貴族階級への反発と憧憬が彼を駆り立てる。また稼がないと食べては行けない。文学への理想を忘れ、欲望に踊らされ、世間のコマとなって行く様子は、そう遠い出来事ではなく胸に刺さる。

 

 社会風刺のストーリーだが、そこには思いつく限りの人間の感情が、総出で埋め込まれていた。

 物語が見事な織物のように広がって行く。いや、もう、びっくり。社会・世間に向ける観察眼と共に、人間への深い洞察は、普遍性をもって心に染みる。ストーリーテラーであるのは勿論のこと。密度、密度、密度。

 

 幻滅とは__「幻想からさめること。美しく心に描いていた事が、現実には幻に過ぎないと悟らされること。」(Google:Oxford Languages)

 

 文豪バルザックはやはり天才なのか。ただの酒飲みで大食いのおっさんではなかった(失礼)。私は目の前のリュシアンの運命よりも、繰り広げられる物語のダイナミックさと緻密さにすっかり心を奪われてしまった。

 149分の長尺だが、後味はもはや爽快、かつ見事な「幻滅」。

 

 

 ちなみに終始ナレーションが付いており、時代背景や激しい状況変化に混乱することはなかった。ナレーションは構造上必要で(ラストに明かされる)、温かく、しかし距離を保ってリュシアンとパリを見つめる目を観客に与える効果があった。

 バルザック先生にすっかり敬服しながらも、原作は未読。読みたい気もするけど腰の引けてる自分がここにいる。すみません…。

 

 余談だが、私の好きなジャン=フランソワ・ステヴナンが結構重要な役で出ていて、パンフレットにもクレジットされており、お元気で活躍されていることも嬉しい。(追記※)

 グザヴィエ・ジャノリ監督は、文学部の学生だった時に、この小説の映画化を夢見たそう。約30年の歳月とその思いは、複雑さをとても分かりやすい形で見せることに成功した。私を、私達を楽しませてくれたことに深く感謝したい!

 セザール賞(2022年)で最優秀作品賞、最優秀助演男優賞(ヴァンサン・ラコスト)、有望新人男優賞(バンジャマン・ボワザン)など7部門を受賞。

 第78回ベネチア国際映画祭(2021年)、コンペティション部門出品作。

 

 

※追記・・ステヴナン氏は、2021年7月27日に享年77歳で亡くなっていました。この『幻滅』が遺作となってしまいました。全く知りませんでした。私達を大らかに啓発し刺激し、楽しませてくれたステヴナン氏に感謝します!どうぞ安らかに。

同年11月12月に行われた追悼特集上映とステヴナン氏について書かれた「NOBODY」誌のエッセイ(坂本安美氏)を貼っておきます。

https://www.nobodymag.com/report/n/abi/2021/11/post-10.html

 

 

ギラギラと活気のある野党系新聞社。批評は金で買われ、大衆は追随する↓

衣装、美術も素晴らしく見応えがありました↓セシル・ドゥ・フランスとグザヴィエ・ドラン。気品ある貴族役。

↓「このパリでは、悪質な人間ほど高い席に座る。」by 文豪バルザック

 

 面白かった!