tokyoonsen(件の映画と日々のこと)

主に映画鑑賞の記録を書いています。

『BLUE GIANT』…雑念よ、サヨウナラ。

2023-03-05 02:07:20 | 映画-は行

 立川譲監督、2023年、120分、日本。山田裕貴、間宮祥太朗、岡山天音。音楽、上原ひろみ。演奏、馬場智章(TS)、上原ひろみ(P)、石若駿(D)。

 原作は、石塚真一『BLUE GIANT』(小学館ビックコミック連載、第一部2013-2016)。

 

 立川監督は、『名探偵コナン/ゼロの執行人』(2018)、『名探偵コナン/黒鉄の魚影』(2023.4月公開予定)を手掛ける気鋭の監督。音楽は、ジャズピアノ界のトップを走る上原ひろみさん。

 基本的には2Dアニメだが、演奏シーンは、ミュージシャンの動きをモーションキャプチャーし、3DCGにした映像も採用。

 

“「映画」にこだわったのは原作者の石塚真一。実際のジャズのライブのように大音量で、熱く激しいプレイを体感してもらえる場所は映画館しかない、との考えに基づいたものだ。原作の各エピソードが魅力的なことから、当初は「TVシリーズのほうが向いているのではないか?」と考えていた立川監督も、その理由を聞いて納得したという。”

(公式サイト、プロダクション・ノートより)

 

 「ライブシーンの体感」を最重要に考えて製作されたという、この映画。よし、それならと、「サイオン(SAION)」なる、109シネマのプレミアムサウンドシアターで観て来ました。

 

 それでどうだったかと言うと。

 いや~感動した! 小泉元首相もびっくりくらいに(古)

 

 これはあくまで自分の場合なんだけど、ライブハウスで演奏を聴いている時、実はそんなに集中していないんじゃないかと思う。誰かのふとした動きが気になったり、壁の何かが目に入ったり、コーヒーの匂いを嗅いでみたり。はたまた途中で何かを飲んでみたり、食べてみたり、隣の人と話してみたり。自らの音楽的能力の未熟さが為せる技か、何だか分からないけど、どうも気が散ったり、雑念が多いのだ。

 けれど、この時は違った。

 

 映画館という環境、人物の背景を盛り上げるストーリー、演奏中のミッキー・ファンタジアばりの映像、そして映画館の音響・・。

 

 体はそんなに動かせないけど(少しは動かせる)、もう全脳細胞が食いつくように集中した。

 ぶっ込まれた、この気持ちよさ。

 

 これは体感するしかないので、あまり説明できることもないのだが、いやぁ凄かった。最初の一音、次の一音と、祈るように聴いた。四方八方からお膳立てされ、身を委ね、何なら新しいシナプスが完成したと思う(笑)

 

 バンド「JASS」のオリジナル曲を作曲したのは、上原ひろみさん。奏者のお三方は、人物に合わせて演じるように演奏したらしい。例えば、全くの初心者から成長する過程を表現しなければならなかったドラマーの石若さんは、普段とはスティックの持ち方を変えたりして、工夫したということだった。

 原作ファンの中には、原作に比べ大分シンプルにまとめられたストーリーに物足りなさを感じた人もいたようだ。けれど原作を知らない私は、ストーリーも十分に楽しかった。三人に感情移入して、それぞれのシーンで涙ぐんだんだから!

 

 

 原作はその後、第二部『BLUE GIANT SUPREME』(同誌2016-2020)、第三部『BLUE GIANT EXPLORER』(同誌2020-連載中)と、ヨーロッパ、アメリカに舞台を移して続いているそう。ということは・・、と勝手に期待。

 実写ではなく、MVでもなく、アニメ映画。ここまで熱く聴かせるとは、なかなか希有な作品じゃないかと思う。

 何だか情報が多くなったのは、一人でも観に行く人が増えたらいいなと思ったからだ。原作を知らない人でも、ジャズに興味がない人でも、きっと楽しめるから。

 

 

上原ひろみさん、公式YouTubeより↓熱い時間を思い出しながら聴けます。

FIRST NOTE

自己肯定感のやたらと高い宮本大↑それもまた気分を盛り上げる。

「ジャズは感情の音楽だ。」by宮本大↓なるほど!!

 

 

 


『少女は卒業しない』…柔らかなドライブ感

2023-03-03 17:34:08 | 映画-さ行

 中川駿監督/脚本、120分、2023年、日本。河合優実、小野莉奈、小宮山莉渚、中井友望。窪塚愛流、佐藤緋美、宇佐卓真、藤原季節。

 原作は、朝井リョウ『少女は卒業しない』(2012)。第35回東京国際映画祭アジアの未来部門にてワールド・プレミア上映。

 

 『エゴイスト』、『Blue Giant』、そして本作。

 と、最近立て続けに、心を揺さぶられ、余韻の残る邦画を観てしまった。どれも記録(ならびに記憶)に残したいけど、まずはこちらから。卒業を控えた高校三年生の話である。

 

 原作は、卒業式当日の話。7つのエピソードを、時間軸に沿って直列に並べた短編小説集らしい。本作では、監督により改変されている。

 舞台は式の前日、当日の二日間。4つのエピソードが並列におかれ進んで行く。

 廃校が決まった高校での、最後の卒業式である。

 

 

 監督自身が仰るように、現役の高校生のみならず、かつて卒業生だったことがある者、既に卒業した人にも向けた映画のようだ。終わるものと終わらないものの対比が生きている。

 私自身は、高校の卒業式には出なかった。とは言え諸事情で生徒の半数くらいは出席していないんじゃないかな。だから、特別ではない。学校自体も、随分前に無くなってしまった。

 だからという訳でもないけれど、「卒業おめでとう」と言われた覚えはないし、そんな気分になった覚えもない。なし崩し的に過ぎて行った季節、という感じがある。そもそも卒業って、めでたいんだろうか。

 作中の登場人物達は、「卒業したくない」、「このままが続いたら、ずっと楽しいままなのに」とも言う。

 

 

 解決し切れない何かを残したまま、それでも(トコロテンのように)否応なく出て行く第一歩。

 しかし、その`解決し切れない何か’は、今でもどこかに生きているらしい。もう覚えてもいないけれど、この映画を観ると、「少女は卒業しない」に何故か納得するのである。勿論「少年は卒業しない」も、本作を観るかぎり、成立している。

 

 各エピソードの役者さん達がとても素晴らしくて、本当に引き込まれた。主人公も、エピソードの相手役もとても良かった。

 台詞の数はそう多くないと思うが、表情や仕草がこちらに語りかける。十代らしいと言えばそうなのかもしれない。

 

 

 ネタバレになるので多くは書かないけれど、今起きている出来事の中に、一点だけ、回想シーンが混じる。

 その回想が、生の止まることのない疾走感をさらに強めるのである。

 そして少しざらついた映像と、背景の満開の桜。彼らのあてどない心の動きの柔らかさが、春の気配を先取りする。

 そういう意味では、2月23日という公開日も申し分ないのだろう。

 

 準備は済んだ。君達は皆一人一人素晴らしく輝いている。各々異なりながら、各々にとてつもない価値がある。自分を信じて、自分の人生を懸命に、そして思い切り楽しんでほしい。

 卒業おめでとう。

 

 なんだか今さらになって、校長先生にでもなったつもりで、あの頃の自分に、改めてそんな風に語りかけてみたいと思った。今さらだけど、自分に自分でおめでとうと言うのも悪くはないよね。

 

 

 

みゆな - 夢でも【Lyric Video】映画「少女は卒業しない」主題歌

↑予告動画のようなクリップ。どこか懐かしいメロディと、肉体感覚と幻想風景が同居するような歌詞。

 

中川監督、初の商業長編映画だそうです。↓↑

原作本↓同作者の『桐島、部活やめるってよ』はデビュー作で映画化され(2012)、大ヒット。

 

 

 

 


『イニシェリン島の精霊』…仮面の下

2023-02-21 22:27:36 | 映画-あ行

 楽しみにしていたのに、何故かタイミングが合わず、昨日ようやく観ることが出来た。

 

 いや~面白かった。終始スリリングで、人間劇としてもとても面白かった。

 

 舞台も良かった。

 1923年、アイルランド本島の西側、アラン諸島のとある島(架空の島)。

 荒涼とした、何もない土地。海があるけれど、すぐ向こうに本島があり、内戦の音が聞こえ煙が見える。それくらいの海。

 しかしそこは近くて遠い、最果ての島。古代の匂いさえ感じさせる。うごめく人間以外は、古代ケルト人の頃から何も変わっていないんじゃないかとも思わせる。

 

 空々漠々とした景色の中、繰り広げられる人間模様は、まるで密室劇だ。

 ドミニクの言う通り、小学生のようでもある。でもそれが哀しくて、切なくて、ユーモラスで目が離せない。

(以下、ネタバレします。)

 

 前半は、どちらかと言うと絶縁を告げたコルムの方に、共感をしていた。指を切るなんて頭どうかしてるんじゃないの、と思いつつ、「お前に時間を奪われるのは、バイオリン弾きにとって大切な、指を失う事と同じくらい、苦痛なのだ。」と、その痛みを可視化して見せているのかなと解釈していた。

 ところが後半、ロバのジェニーが死んでから、様子が一変する。

 ナイスなだけでつまらない男のパードリックが、突如目覚めた。

 

 パードリックは、おそらくとても満足していたのだ。自分の人生と自分の生活に。なのに、妹が家を出て行き、コルムの指のせいで、可愛がっていたロバが死んだ。

 愛すべき平穏な日々を壊したのは、親友のはずだったコルム。お前だ!と言わんばかりに。

 

 そうなってくると今度は、「残りの人生を音楽に捧げたい。お前のくだらない話に付き合っている暇などない。」などと言っていた、コルムの生ぬるさが際立ってくる。

 いや、指を切っているから生ぬるくはないか。

 しかしシボーンのように、知らない土地へ、ドンパチ内戦をしている本島へと出て行く勇気もない。ナイスな男の仮面の裏も、見抜いていなかった。もしくは予測出来なかった。

 自分の指を切るなんて、言っちゃ悪いけど、何てロマンチックで、めめしいこと。

 

 

 マクドナー監督は、この映画の本意、観客へ伝えたかったことは絶対に言わない、と言っているそうだが、一つだけ、「恋愛の別れがテーマ」みたいな事を言ったそう。

 

 作品中でも、神父がコルムに尋ねている。「男を好きになったことはあるか?」コルムは険しい顔で否定した。

 でももし、そうだとしたら。コルムが「パードリックを思慕の対象として好きかもしれない」とふと思い、それを否定したかったのだとしたら。

 呑気で何も考えていないナイスなパードリックを遠ざけようとする理由の一つに、恋愛感情があるのだとしたら。

 

 それは、めめしくても仕方がないかな。仮面を付けていたのはコルムの方か。とは言え、やり過ぎだよね。メンヘラだわ。

 

 メンヘラ男とは別に、キーパーソンとして、精霊(バンシー)役とおぼしき、老婆が出て来る。

 ミセス・マコーミック。

 私は、要所要所に何故か出没するこの老婆が手招きをして、ドミニクを川に招き込んだんじゃないかと、踏んでいる(笑)

 

 ああ、もう一回観たいな。

 

 

 マーティン・マクドナー監督、2022年、イギリス。114分。原題は、『The Banshees of Inisherin』。

 コリン・ファレル、ブレンダン・グリーソン、ケリー・コンドン、バリー・コーガン。

 第80回ゴールデングローブ賞、最優秀作品賞(ミュージカル/コメディ部門)、最優秀男優賞(ミュージカル/コメディ部門、ファレル)、最優秀脚本賞(マクドナー)受賞。第79回ベネチア国際映画祭、最優秀男優賞(ファレル)、最優秀脚本賞(マクドナー)受賞。

 第95回アカデミー賞、9部門ノミネート。

 

 

潮風と生ぬるいエールビールを呑む二人↓(美味しそう。)

懐いてくるドミニクは、バリー・コーガン↓名役者揃いの本作。

妹のシボーン↓兄も呼び寄せようとするけれど。

劇作家でもある監督の本領発揮?↓二人には仲直りして欲しい・・。

 

 

 

 


『mid90s ミッドナインティーズ』…不自由から自由へ

2023-02-17 01:34:17 | 映画-ま行

 『mid90s ミッドナインティーズ』、ジョナ・ヒル監督、製作、脚本。2018年、85分、アメリカ。原題は、『Mid90s』。サニー・スリッチ、キャサリン・ウォーターストン、ルーカス・ヘッジズ。

 

 「君と出会って、僕は僕になった」「たちあがれ、何度でも」

 ポスターの、この二つのコピーが、この映画のことをよく表しているように思う。

 

 俳優として活躍するジョナ・ヒルによる、初の監督作品。舞台は1990年代半ばのロサンゼルス。

 

 13歳のスティービーが、自分の新しい世界を見つけ、仲間に触発され成長して行く。

 1983年、ロサンゼルス生まれのヒル監督の、自伝的ストーリーかと思えば、そうでもないらしい。とは言え「あの頃」に向ける(少し距離を置いた)温かい眼差しと、生き生きとした描写が感じられらる。

 

 誰にでもある「あの頃」だが、作品の中の彼らはどうだろう?

 スティービーが「自由でかっこいい」と憧れる年上の少年達にも、それぞれ色々な事情があることが、次第に明かされて行く。

 スティービー自身もさんざんだ。思えば理不尽なその世界を懸命に生き、愛そうとするスティービーだが、世界はもっと広くバリエーションに富んでいるという事に気がつく。

 

 不自由から自由へ。

 不自由だったのは、スティービー自身の頭の中だった。成長するというのは、そういう事かも知れない。不自由から自由へ。不自由から自由へ。人生とはその繰り返しなのかも知れない。

 みっともない「あの頃」を、それでも愛し、楽しさを見つけ出し、それを原動力にして、次へ、次へと進んで行く。

 そのうち、不自由と感じていた世界も変わって行く。

 

 幼さは、十分に不自由の原因たり得る。体の成長も伴い、誰にでも訪れる一番の冒険という意味で、青春映画はやっぱり面白い。もしかしたら、好きな青春映画のベストワンかも。

 

 「お前が一番ひどい目に遭ってるな。」

 「そんな必要ないのに。」

 

 全編16mmフィルムで撮影。90年代の文化がふんだんに盛り込まれた。心が締め付けられるような感覚と、過ぎた時代への憧憬が入り交じる。

 

 

主演のサニー・スリッチ。↓撮影時は11歳だったとのこと。

スリッチ含め主な出演者は皆プロスケーター。↓初めての演技だった人も。

全米4館公開から、最終的に1200館まで広がったらしい。↓

 

 


『あさがくるまえに』…均等性と対比

2023-02-13 01:07:24 | 映画-あ行

 『あさがくるまえに』、カテル・キレヴェレ監督、2016年、104分。フランス・ベルギー合作。

 原題は、『Reparer les vivants』(生きている人々を癒やす、の意。英題は『Heal the Living』)。

 

 17歳の青年の脳死と、家族による臓器提供の決断。関わる医師チーム、移植コーディネーター、そして移植を受ける女性とその家族と恋人を描いた物語。

 

 どのシーンに登場する人も、皆主役に思えてくる。

 関わる者一人一人の心象が描かれる事で、複雑で込み入った「人生」(というもの)に光が当てられる。たった一日の、ある夜明けから次の夜明けまで。複雑で多様な人生ストーリーが、画面に即物的に映し出される、一つの心臓に集約されて行く。

 (動悸を打つ心臓とはこういうものか。比喩ではなく。)

 

 複雑な人生と、シンプルな命。それぞれの事情、心と対比するように、心臓は淡々と運ばれ移植される。冒頭のサーフィンのシーンは、シンプルさに含まれるんだろう。ただ夢中になって、ただ生きていることの美しさ。ラストシーンは、複雑さの味わいかな。切なさと、喜び。

 監督インタヴューによると、原作ではシモン青年のストーリーに重心が置かれているそうだが、この映画では、シモンとクレール(被移植者の女性)を同じ分量で扱いたかった、ということだった。

 この作品の語り口、淡々としていて、それが故に余計胸にせまる余韻の理由は、そうした均等性にもあるのかもしれない。

 何かを声高に語らないように。だって本当はシンプルだから。

 

 

 分子生物学者福岡伸一さんの、「動的平衡」を思い出した。

 先生は仰る。「生命現象とは、動的平衡だ。動きながら平衡を保つ現象。生命は、変わらないために、変わり続けている。(エネルギーは循環しているが故に)私たちの細胞は、この風に揺れる葉っぱだったかもしれないし、死んだ後この葉っぱになる可能性もある。」

 うろ覚えなのでもしかしたら、ちょっと違うかもしれない。そしたら、ごめんなさい。

 私が理解出来るかどうかは置いておいて、福岡先生の文章は、とても明快で、かつ詩的でもある。「動的平衡」論はもちろん科学なのだけど、そのイメージは、詩情にあふれる。分子がふるふる震えているだなんて!(理解出来てないだろう感。)

 ともかく、その詩情をストーリーにし映像にすると、この『あさがくるまえに』になるんじゃないかと、ふと思った。

 

190107 動的平衡ロゴmovie

 

 

 

 ちなみにキレヴェレ監督は、ガス・ヴァン・サント監督が好きらしい。

 確かに。

 ガス・ヴァン・サントの名前を覚えるのと同じくらいのポテンシャルで、カテル・キレヴェレ監督の名前を覚えよう。次作が楽しみ。そうそう、エンドロールのデヴィッド・ボウイ「Five years」も最高だった。

 

 原作は、メイリス・ド・ケランガル『Reparer les vivants(映画と同題)』(2014年、英題は『The Heart』)。

 

映画『あさがくるまえに』本編映像(オープニングシーン)

↑話題となった美しい冒頭シーン。映画を見終った後はさらに、生と死を繋ぐ一つの詩のようにも感じる。

 

秦 基博/朝が来る前に-Avant l’aube- (Réparer les vivants Ver.) 映画『あさがくるまえに』オフィシャルイメージソング

↑同タイトルという事から監督の希望によりイメージソングとなった、秦さんの「朝が来る前に」(2010年)。歌詞が映画の内容に不思議とシンクロしているのは何故。

 

よく分からないけど「ありがとう」と言いたくなった。↓