tokyoonsen(件の映画と日々のこと)

主に映画鑑賞の記録を書いています。

『スーパーノヴァ』…胸がつぶれた。

2023-02-11 00:17:53 | 映画-さ行

 『スーパーノヴァ』、ハリー・マックィーン監督、2020年、95分、イギリス。原題は、『Supernova』。

 コリン・ファース、スタンリー・トゥッチ。

 

 AmazonPrimeにて。

 人が人生を生きるとは、どういう事か。人が人を愛するとはどういう事か。人が人を必要とするとはどういう事か。「命」とは何か。とても考えさせられる映画だった。

 

 説明のための描写はほぼ見られず、二人の名優(そして実際の古い親友でもある)が日を繋いで行く様子を、淡々と観るだけである。

 それなのに、次第に気がついて行く。

 差し迫った状況とユーモア。絶望と愛情。思考と希望。エゴと宇宙の星々。ウィット。団欒。孤独。

 イギリス湖水地方の美しく雄大な景色も、何だか目に入らなくなって来る。

 

 病により、記憶と認識能力、身体能力をも失いつつあるタッカーは、「世界は驚異で満ちている。人がそれに気がつかないだけだ。だから質問をやめちゃいけない。」と少女に語りかける。

 スーパーノヴァ。超新星について、目を輝かせて少女に語るタッカーと、暗い芝生の上に一人横たわり、虚空を見つめるサム。

 

 人は死んで宇宙の塵になるのではなく、今この瞬間すでに宇宙の塵なのかもしれない。

 いやむしろ、そうだったらよいのに。ぎりぎりの決断を突きつけられて、泣きわめきたいのは観ている私だ。彼らはそんな事しないけれど。

 無言の余韻がいつまでも頭を離れなくて、思わず文句を言いたくなってしまう程だった。もっと何か言ってくれ、と映画に言いたくなってしまう程だった。

 

 

タッカーが好きな曲。↓(ピアニストのサムが)この曲を弾いてくれないと言う。

愛の挨拶(Elgar:Salut d'amour)名曲アルバムより

 

タッカー(トゥッチ)とサム(ファース)↓

古いキャンピングカーで旅に出る。↓行き先はサムの実家。

コピーは「世界で一番美しい、愛が終わる。」↓本当に美しかったけど、胸がつぶれた。

 

 


『バイオレント・ナイト』…奥ゆかしき、赦しのセンス

2023-02-08 23:20:08 | 映画-は行

 立春に世間も沸き立つこの2月に、クリスマス映画ってどういう事?

 半分いぶかしがり、半分わくわくして、観に行った。

 

 これが、面白かった!

 

 話の筋は、

 「腑抜け親父キャラのサンタクロースが、とある大富豪の家にプレゼントを配りに立ち寄ると、なんと家は極悪強盗団に占拠され、家族は人質となっていた!」

 そして始まる、バイオレンス・アクション。

 そこに至るまでの描写も、既に相当面白い。

 

 R15指定なので子供は見ちゃいけないんですが、よく分かりました。「大人の悪趣味」を理解しないお子様は見たらいけないんですね。(たぶん)

 

 いやー、でもねぇー、何と言うか。

 素晴らしい。これは中々出来る芸当ではないのでは。この絶妙なバランスというか、ギトギトの愚痴りに、思わず眉をひそめる「あ、イタタタ」シーンも、その疾走感と笑いで目を離せない。しかもこれが、いい話なんですよ…。(泣)

 こんなバカバカしい暴力、わざわざ映画にしなくってもよいんじゃないの?と思う人もいるかもしれないけど、多分仕方ないのだ。

 だってそうしなかったら、ただのめっちゃいい話になってしまうから。

 だって大人だから…。クリスマスもサンタクロースもこそばゆいから。

 

 

 サンタクロースの不思議、①袋、②煙突、③その誕生と死なないこと(長生き)。これらへの言及の仕方にもグッと来た。

 説教臭くないけどアホくさくもない。グロいけど、愛しさに溢れている。色んなものをブレンドして、「サンタなんて信じてねーよっ」と高らかに宣言する小学生を前に、「ホッホッホッホ」(うちら信じてるんすよ、の意)と笑ってもいいんだ、と思わせる赦しのセンスに脱帽である。

 

 まじグッと来た。グッと来たので、毎年クリスマス・イヴには是非この映画を見て、ゲラゲラ笑い、そして心を垢を洗われたい。

 2月公開っていうのも、こうなって来ると、奥ゆかしさという美徳のように感じられてくるのだ。(本国アメリカでは12月公開だそう)

 

 

 そうそう、主演のデビッド・ハーバーが本当にはまり役で良かったけど、もう二十年前だったら、ブルース・ウィリスがやっていたかもしれないなあ。

 あと『ホームアローン』ね。大分痛さ増しだけども(汗)

 もう一つ。「クリスマス映画」じゃなくて、「サンタクロース映画」だったね。

 

 

 『バイオレント・ナイト』、トミー・ウィルコラ監督、2022年、112分、米。原題は、『Violent Night』。デビッド・ハーバー、ジョン・レグイザモ。

※なんと続編製作が決定したそう。これは楽しみ!

 

サンタの存在を信じていたのは、前列右の二人だけ。↓(うち一人は本人)

「子供なんてみなジャンキー」と嘯きながら、Amazonに負けじとプレゼントを配るリアルサンタ↓(闘いの後)

ちなみに、英エンパイア紙が選んだ「クリスマス映画の中の最高のサンタを演じた俳優10人」の第四位に、デビッド・ハーバーが今作で選ばれています。なんと!

10人はこちら↓(映画.com)

https://eiga.com/news/20221224/13/

 

 


愛着という呼び名と解決

2023-02-04 17:23:40 | 物に悩まされない生活

 先日ふと思い立ち、小さなお片付けを始めた。

 家の中の細々としたもの、何となく気になっていたもの。そのうちやろう、片付けようと思っていて、しかしそのままでも特に困らないくらいのもの。

 

 例えば、登録しようと思ってしていない、新聞のビューワー(スマホで紙面を見られるらしい)。壊れたり使わないので処分しようと思っていた小型家電幾つか(具体的には体重計、毛玉取り器、洗濯機の風呂水ポンプ)。昔自分で編んだニット帽とマフラー(もう使わないので何年も処分待ち)。後でチェックしようと思っていて高度を増す紙の山。穴が空いたので繕おうと思っていたポケット。実家から持って来たまま開けていない思い出の段ボール。4枚だけ残ってしまった2円切手(これは姉に手紙を書くことで解決)。何故そこに置いているのかよく分からないまま、毎日そこに戻してしまう洗濯干し用具(これは置き場所の問題)。何年も使っていない、大きめの食器(微妙にかさばる)。籠に入れっぱなしの裾上げ待ちズボン。ある日壊れたノートパソコン(予兆はあった)。読みかけの本。全然読んでいない本。

 新しく買おうと思っていた毛玉取り器(これはアマゾンで注文済)。

 この感想を書きたい!と思って、書いていないブログ。

 映画館からつい持ち帰り、保存するでもなく保存された映画チラシの束。

 電池の切れた電卓。

 5個あるホチキス(壊れていない)。

 部屋の隅の夏用の帽子。

 捨ててよいか旦那に訊こうと思っていた、使っていないマスクケース。

 

 思えばどうしてそのままなのか。そのままを嫌がりながら、いざとなると実は居心地の良さも感じる。何となく愛着のある、あれこれの物、あれこれの状態に、よく見たら囲まれている。「これは何?」。

 そうこうしていたら、全部特に意味の無い、どうであってもどうでもよいような気がしてきて、ぐるっと一周回って、全て完璧とくつろごうとしている今日。

 

 とは言え、幾つか変化、解決出来た物事もあり、小さな満足も感じている。

 

 実は新しく、簡単な棚を一つ買おうかとまで考えている。模様替えをしたくなっている。細々としたことを愛着という呼び名で解決とし、大きな楽しみに方向転換しつつある自分を、夕闇に包まれつつある部屋に見出している。

 今日はちょっと暖かいな。

 

 ※写真は二十年前位に自分で編んだ帽子とマフラー。写真を撮ることで処分に成功。


『コーダ あいのうた』…世界の絡み合いかた

2023-01-30 22:20:01 | 映画-か行

 『コーダ あいのうた』、シアン・ヘダー監督、2021年、112分、米・仏・カナダ合作。原題は、『CODA』。

 エミリア・ジョーンズ、トロイ・コッツァー、マーリー・マトリン、ダニエル・デュラント。

 2021年サンダンス映画祭、グランプリ(ドラマ部門)、観客賞(ドラマ部門)受賞。第94回アカデミー賞、作品賞、脚色賞(シアン・ヘダー)、助演男優賞(トロイ・コッツァー)受賞。

 

 

 フランス映画、『エール!』(2014)をリメイクした本作。ファンタジックなコメディ感を纏い、視覚的効果も美しい同作品に比べ、今回の『コーダ』は、テーマ性を少し強く押し出した感じだ。

 ヘダー監督が脚本も担当し、アカデミー賞脚色賞を受賞した。(実際は始めに脚本を担当し、その後監督のオファーを受けたとのこと。)

 

 軽妙洒脱なフランス映画と、テーマ性重視のアメリカ映画。ということなのか、誰かの好みなのか分からないけど、どちらにせよ両作品とも、涙を滲ませずには観られないのだった。

 (以下、ネタバレお気をつけください。)

 

 

 さて「CODA(コーダ)」とは、聴覚障害者の親をもつ聴者のこと。「Children of Deaf Adults」の略。(Wikipediaより)

 主人公である高校生のルビーは、マサチューセッツ州のとある漁村で、両親と兄と共に暮らしている。ルビーだけが耳が聞こえる。早朝は漁師である父と兄と共に漁へ。海では作業と共に、ろう者である二人の代わりに無線の対応をし、帰港すると、取引の交渉を担当する。また日々、聴者と家族達の間の通訳を任されている。

 始めに物語が動くのは、ルビーの高校でのパートだ。作品中では、家族との生活と、学校生活のパートが交互に描かれる。

 しかしそのうち、ルビーのみならず、家族それぞれにも変化が訪れることになる。

 

 新しい世界へ力強く足を踏み出そうとする、兄。踏み出しかけるが、躊躇するルビー。知らない世界に不安を感じ、今ある家族の秩序と平和を維持しつづけようとする両親。

 しかしそんな両親にも、やむない形で変化が訪れる。国の視察をきっかけに、漁村全体が揉め始める。そして彼ら自身は出漁禁止を食らってしまうのだ。

 

 

 面白いのは、それぞれの世界が絡み合いながら、広がって行くことだ。

 円と円が少し重なっている図がある。あんな感じで、少しずつ重なり合いながら各円が広がって行く。家族だけではなく、漁村の漁師仲間達の世界も、この家族の勇気と行動をフックにして、広がって行く。

 ルビーも「歌」という自分の新しい世界を見つけるが、しかしそれは家族と重なり合わない。自分のこれまで生きてきた世界とも重なり合わない。そのことに対する怒りと諦めと焦燥と、不安が描かれる。

 

 水平方向へ広がっていた世界が、深化するのが終盤だ。

 夜の庭先で、「俺のためにもう一度、合唱会での歌を歌ってくれるか?」と父はルビーに頼む。ルビーが歌い出すと、耳の聞こえない父は、彼女の喉の震えを指で感じ取ろうとする。最初は右手の指をそっと添え、それから両手を使い、彼女の喉を包み込むようにする。その父の手を歌いながら握りしめるルビー。

 

 ここで私達は、重なり合わない部分を見るのをやめる。

 

 「ここで見る星は、海で眺める星ほどキラめいてないな。」父の台詞で初めて、私達観客は、海上の星空を見上げ、同時に深く深く暗い海の底を意識する。

 水平に広がろうとしていた意識が、空と海の深度を得て、初めて垂直に解放される。

 

 

 その解放感に涙しないなんてことがあるだろうか。

 円と円の、重なり合った部分の底なしの深度を見せられて、涙しないなんてことがあるだろうか。

 少なくとも私は、耐えきれなかった。(耐えていたわけではないけれど)

 

 

 その後ラストはどうなるの?勿論、ハッピーエンドである。ハッピーエンド派の私としては、それもこの映画が好きな理由の一つである。

 

 

ロッシ家の皆さん。↓座右の銘「家族は仲良く」。この言葉の裏表も深い。

ルビーが合唱部に入るきっかけとなるマイルズと、特訓をしてくれるV先生。↓

「くそ兄貴」のレオ。↓全然くそではなくて(笑)家族を牽引する役割を担う。

アカデミー賞獲りました。↓

元作品の『エール!』↓エリック・ラルティゴ監督、2014年、105分、仏。原題は『La famille Belier』(ベリエ家)。

 

 

 


『モリコーネ 映画が恋した音楽家』…モリコーネ映画史

2023-01-17 02:17:59 | 映画-ま行

 作曲家エンニオ・モリコーネを知っていますか。

 正直、私は良く知らなかった。

 1950年代末頃から映画音楽の作曲、編曲を手掛け始め、生涯で500本以上の映画に携わる。1987年、『アンタッチャブル』(ブライアン・デ・パルマ監督)でグラミー賞受賞。2007年、アカデミー賞名誉賞受賞。2016年、『ヘイトフル・エイト』(クエンティン・タランティーノ監督)でアカデミー賞作曲賞受賞。

  1928年11月10日、ローマで生まれ、2020年7月6日、ローマにて逝去。 

 

 1989年の『ニュー・シネマ・パラダイス』から長く、深く親交を結んだトルナトーレ監督が、生涯の仕事、そしてモリコーネという人を描き出した。

 

 身振り手振りを交え、饒舌に語るインタヴューで、モリコーネは「絶対音楽と応用音楽(映画音楽のような)」の狭間における葛藤を語っていた。正統で伝統的な音楽を学んできた彼が、映画やテレビの仕事をするようになったきっかけは、生活の為だったかもしれない。同僚に馬鹿にもされたし、師を裏切っているのではないかと悩むこともあった、と言っていた。音楽の世界は良く分からないが、音楽はそれだけで完結する芸術である、という誇りというか、言い分は分からないでもない。

 

 それとは別に、「映画的なウソ」というものがある。

 「ウソ」というと一般的にネガティブな感じがするが、「映画的な」が付くと、途端にそれは一転する。それは、観る者の心を震わせる為の演出であり、希望であり、真実であり、美しさ、正確さ、慈しみ、喜びと恍惚の源にもなり得る。

 巨匠モリコーネは、いわゆる「映画的なウソ」のようなものに巧みだったんじゃないか。 

 

 新しいものを恐れず、自身の音楽も進化し変化させ続けた気質は、脚本や登場人物の醸し出す世界観に、新しい旋律、新しい音、もう一つ音楽的な「ウソ」を付け加えるという冒険を楽しむことが出来た。

 何にせよ、脚本にインスパイアされて音を作り出すということにおいて、脳内の回路が何の抵抗もなく開かれている。それが天才というなら、そうなんだと思う。

 

 もう一つ、イタリアというのは、どんな国なんだろうか。それも気になった。

 1960年代のマカロニ・ウエスタンも、もっと観たくなった。若かりし日のクリント・イーストウッドを拝みに行こう(笑)

 それから、そうだ、若かりし日のロバート・デ・ニーロも拝みに行こう。

 

 

 『モリコーネ 映画が恋した音楽家』、ジュゼッペ・トルナトーレ監督、2021年、伊、157分。原題は、『Ennio』。

 

エンニオ(左)とトルナトーレ監督。↓シーン1のテイク1。ドキュメンタリーの撮影開始。

作曲風景。↓楽器を使わない脳内スタイルです。