tokyoonsen(件の映画と日々のこと)

主に映画鑑賞の記録を書いています。

『光の墓』

2016-06-02 16:21:34 | 映画-は行
 『光の墓』、アビチャッポン・ウィーラセタクン監督、2015年、タイ・英・仏・独・マレーシア。

 どうも映画が観られない、映画館へ足が向かないと言っていたけど、昨日久しぶりに新百合ヶ丘のアルテリオにて。

 何んでだろう、ウイーラセタクン監督の映画なら観たい、観られると思った。もう一本『世紀の光』というのをしていて、こちらは今日観に行こう。二本続けて観ようかと思ったけど、病み上がりなので(笑)一本でやめておいた。

 この監督は、無理に世界を切り取らないでいてくれるからかもしれない。切り取るなら切り取るで、もう思いっきり「他は知りませ~ん」という見ざる聞かざるのあっけらかんさならいいのだけれど、中途半端が一番、病にはいけない。


   


 『ブンミおじさんの森』のアソシエイト・リンクも、もう一度貼っておこう。


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ピーター・ブルックとグランド・シャルトルーズ

2014-11-25 17:26:39 | 映画-は行
 『ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古』、サイモン・ブルック監督、2012年、仏・伊合作。

 今、この瞬間を生きるということは、とても難しいことなのだな、と改めて思う。
 俳優さん達は、「嘘です」という世界を、「現前」させるために特訓を行う。それは体の動きであり、即ち「今生きている」ことへの集中力だ。それと共に、リアルに辿りつくには「想像力」が必要だということにも、やはり衝撃を覚える。

 「本当です」ということの、いかに偽が多いか。

 でもそれを見分け、認識するのはなかなかに困難だ。


 そう思うと、例えば、

 『大いなる沈黙へ グランド・シャルトル―ズ修道院』、フィリップ・グレーニング監督、2005年、仏・スイス・独合作、
 
 こちらは脳に制限をかけた人たちの話だ。

 善良な人達だと思う。ちなみに余計な話もしないから、その中ではもめ事もない(ように見える)。
 脳にうまく制限をかければ、生きるための「合目的的行為」のみで足りる(ように見える)。いや、それでも祈らないと脱線するのかな。作品の中の祈祷の時間は、脳と意識に制限をかける、魔法の時間とも受けとれる。ここまでです、あとは神様にゆだねなさいと。

 想像力の使い方について考える。

 善良な人間でありたい。難しいけど。



      
 

 

『ブルージャスミン』

2014-07-16 22:09:57 | 映画-は行
 ブルージャスミンとは、憂鬱なジャスミンということらしい。

 話の筋とか結構どうでもよくて、主演のケイト・ブランシェットばかりが際立っていた。彼女の表情や立ち居振る舞いを見ているだけで、あっという間に終わってしまった。しかしオシャレな映画だのう、終わり方とか。

 ただ、なんだかしょうもないことばかりが出てくる。
 
 ケイト・ブランシェットが、オーストラリア、メルボルンの出身なことを初めて知った。

 そして、あんまりな筋立てなので、ウディ・アレンが嫌いになりそうになった。ジャスミンの独り言の中に巻き込むのはやめて欲しい。

 それはただただ哀しいのだった。



 ウディ・アレン監督、2013年、アメリカ。第86回アカデミー賞主演女優賞。


    

『フィルス』

2014-07-03 16:47:09 | 映画-は行
 『フィルス』を観ていて白眉だったのは、後半四分の一の、主体がどんどん変わるところ。

 主体というか、視点、主観がどんどん変わって行くのでジェット・コースターに乗ったみたいだった。それで事件は解決するが、人の性は解決しない。

 前半もおとぎ話のようで、作りこまれたブルース・ロバートソン(ジェームス・マカヴォイ演ずる)の脳内に私たちは案内されるんだが、それはそれで、ほぉ、こんなところが、と楽しく観覧していればよい。ただそれではどこへも行けず、舞台のエディンバラに観客的閉塞感が霧のように立ちこめはじめる頃、ぐんぐんとジェット・コースターは加速する。


 ああ、こんななってたんだ。


 その昔AV女優になると言ったAちゃんが、自分の秘部を「こんななってるんだ」と思って観てね、と言った時と同じような感じで脳内が稼働した。

 妄想を刺激するお話である。


 主演のジェームス・マカヴォイは、青年からまったくのおじさんに変身しての熱演だったが、さわやか青年の『つぐない』だって、実は青年たちの妄想のお話である。そういうのが好きなのか。アンジェリーナ・ジョリーに教育されるあの映画も見よう(なんというのか忘れた)。結構好きなのかもしれないな。誰かに似てる。原作は、『トレインスポッティング』(主演ユアン・マクレガー、1996年)のアービン・ウェルシュ。ジョン・S・ベアード監督、2013年、イギリス。


 
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『フラッシュバックメモリーズ 4D』

2013-11-28 19:49:45 | 映画-は行
 『フラッシュバックメモリーズ 4D』を観に行った。

 もともとは『フラッシュバックメモリーズ 3D』という3Dドキュメンタリー映画で、主人公はGOMAさん、4Dは、上映しながら GOMA & The Jungle Rhythm Section というバンドが、その前でライブ演奏をするというイベントだった。
 
 皆踊っていたし、バンドや今いる人達の存在感が圧倒的に映画を消し去って、実際には生の音を映像に合わせるのがとても大変だったそうだけれど、大変そうだというより、同時生成しているような、音が止まると映像が動き出すような、何とも不思議な感覚だった。映画は前に観て感動していたし、劇場の前から2列目のほぼかぶりつきに立っていたので、余計演奏の方に意識が行っていたんだろう。
 とにかく、ミュージシャンばかりを観ていて、その音ばかり聴いていた。

 GOMAさんのことも(事故やそれからの過程や)ある運命として見つめ衝撃を受け、称賛するというより、映画のつくりが意識の中に入りこんでくるような感じなので、GOMAさんの聞いたこともないような生々しい言葉と共に、なんだか恐ろしい次元に引っ張り出されるような、内臓を改造されるような感じがした。(映画のつくりというのは、映画の力なんだろう。そして映像がすごいという以外の感覚を持った、こういう3Dは、初めてだった。)GOMAさんがミュージシャンだったというのも、意識の層のつくられ方、剥き出しの意識のひだが幾層も自分の中に重なっていくような感覚を起こさせる、大きな要因だった気がする。

 ディジリドゥが、こういう風に演奏されるのを初めて見た。初めて知った。
 事故の後、GOMAさんが自分を絵描きだと思っていて、ひたすら描いていたという絵が、アボリジニの点描画dreamingのような絵だったので、記憶がなくても、忘れていても、身体に染みついているんだなと思った。

 松江哲明監督、2012年。(『フラッシュバックメモリーズ 3D』)


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『ふじ学徒隊』

2013-08-10 11:27:54 | 映画-は行
 透明で、深い湖をのぞいているような気持ちになった。

 動いているものがほとんどない。沖縄の自然だけだ。壕からカメラが外をのぞくと、葉っぱが風に揺られている。今度は、深い湖の中から、水面を見上げているみたいだ。

 上映時間48分という、短くて、シンプルなこのドキュメンタリーは、深い深いところまで潜って行って、そしてまた戻ってくるという運動のようだ。48分間というのは、息を止めていられる時間なのかと思う。

 野村岳也監督、2012年、日本。


 海燕社という会社が作っていて、野村監督もこの会社の人みたいです。『イザイホウ』(1966年)も是非観たい。製作日記がとても面白い。 http://www.kaiensha.jp/column01.html


    

『八月の鯨』

2013-08-03 21:09:00 | 映画-は行
 この描かれた一日は、老姉妹にとって、特別な一日だったんだろうか。それとも、似たような日々の中の、ありふれた一日なんだろうか。

 どっちでも良いけど。良くないかな。

 それよりも、こうやって少しずつ違うバージョンの色んなことを繰り返して、そうやって一日一日は過ぎてゆくんだなあと、感慨深く思った。
 それで、一日一日が過ぎてゆく間に、人は老いてゆくんだなあ。きっと。少しずつ違うバージョンの一日一日。この言い方いいな、古き良き言い方って感じがして。

 それでもこの一日には色々あったけれど。映画の中のことです。自分のことじゃないですよ。

 リリアン・ギッシュ演じるセーラが、もう整える場所もないのに、部屋の中を見渡し、クッションを持ち上げて叩いてから戻す場面が、印象的だった(表面のへこみ具合がほんの少し変わったくらいで、ほとんど意味はない)。そういうのって好きだ。
 決まったものが決まった所に。部屋の壁に差した手紙も、何十年もそこにあるんだろう。もう読むわけじゃないんだろうな。

 リンゼイ・アンダーソン監督、1987年、アメリカ。リリアン・ギッシュが妹役で、ベティ・デイビスが姉役。ほんとの歳は、ギッシュが12歳上らしいけど。

 (1988年に岩波ホールで31週間上映し、連日満員だったという。岩波ホール創立45周年記念上映のニュープリントが、他の映画館に回って来た!大画面で観られて嬉しかった。)


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『ベルベット・ゴールドマイン』

2013-07-26 09:43:17 | 映画-は行
 70年代にグラム・ロックなるものが世の一角を席捲したことは知っている。そのきらびやかなタイフーンにちょっと遅れてきた世代の私は、デヴィット・ボウイを、『ラビリンス/魔王の迷宮』(ジム・ヘンソン監督、ジョージ・ルーカス製作、1986年、米)で知った。その後、『戦場のメリークリスマス』(大島渚監督、ジェレミー・トーマス製作、1983年、日英豪ニュージーランド)かな。これはビデオかテレビで観たんだったかなあ。

 いつの世もいつの年代もいつの歳も、イメージに支配される一角があることは大体知っている。支配されてるのか支配しているのか分からないけど、頭の先からつま先まで、お湯につかってみれば普通の人間なら溺れるわけである。でも宇宙人は溺れない。そういう映画だった。それで私は結構好きだ。

 トッド・へインズ監督、1998年、英米。第51回カンヌ国際映画祭芸術貢献賞受賞、英国アカデミー賞衣装デザイン賞受賞。

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『ハッシュパピー バスタブ島の少女』

2013-07-13 19:55:11 | 映画-は行
 2週間ほど前に観てから、ずいぶん日が経ってしまった。

 面白い、と、面白くない、の間くらいだった。

 アメリカ、ルイジアナ州の南端で撮影されたという。
 低地で温暖化の影響を受けやすく、またハリケーンの来襲や経済格差など、当地の現実の問題を根っこに置き、そして現実の土地を舞台にして、神話的な物語が語られる。
 数々の賞を受賞した、ハッシュパピー役の女の子がほんとうに力強くかわいらしいので、まるでジブリのヒロインを見ているようでもあり、まさに神話的な強度のかわいらしさと言った感じ。
 
 面白かったのは、このバスタブ島の住人は「壁の向こう側」と完全に切り離されている訳ではなく、独自の生活をしつつも、何かしらの経済活動をし、住民登録され、「壁の向こう側」と同様、流通の一部にいるということだ。ハッシュパピーのぶかぶかの長靴を見ながら、そんなことを思っていた。バスタブ島の祝祭性と生命力は、切れ切れに表されているので、ドキュメンタリー風でもあり、幼い少女の記憶の中とはこうゆうものかもしれないな、と思う。
 くっきりと登場するのは、巨大イノシシのような有史以前の動物、「オーロック」。もちろん「架空」で、でも細部まで本当に存在するような存在感だ。

 オーロックに象徴される、はっきりとした輪郭を持つ想像力の世界と、一つに繋ぎ切れない現実の世界を行き来しながら成長して行く、少女の物語という感じだった。

 監督、共同脚本、音楽、ベン・ザイトリン。2012年、アメリカ。第65回カンヌ国際映画祭カメラ・ドール受賞、第28回サンダンス国際映画祭グランプリ(審査員大賞)受賞、などなど。


    

『ビル・カニンガム&ニューヨーク』

2013-06-22 22:01:51 | 映画-は行
      

 この監督は、もしかしたらすごいんじゃないか。

 すごいというのは、えらく好みの監督なんじゃないか、ということだけれど、それは「個人的に」でもないらしい。ニューヨークの一館のみでの上映が、「またたく間に感動の輪が広がり、(略)全米で異例の大ヒットを記録した。また上映された世界各地の映画祭で、多くの観客賞を受賞した。」とパンフレットに書いてある。

 リチャード・プレス監督、2010年、アメリカ。

 NYタイムズ紙のファッション・コラムを担当しているニューヨークの名物フォトグラファー、ビル・カニンガム氏を追ったドキュメンタリー。
 制作期間は、10年ということ。監督曰く「ビルを説得するのに8年!撮影と編集に2年かかったということです。」


 観客賞を受賞したのは作品だけれど、投票した観客たちは、おそらくもう一方の手に見えない票を持っていて、それをビル・カニンガム氏に投票したんじゃないか。
 
 こんな人がいるんだな。
 カニンガムさんの後を追うカメラを見ていれば、自然とカニンガムさんの視線を借りるようなことになり、「透明人間」のさらに後ろにいる透明人間になった気分。色んな場所や色んな社会階層を行き来して、ファッションそのものを、カニンガムさんは切り取って行く。公平なジャッジ。美意識。そのための努力や思考、なにより情熱は並大抵ではなくて、自分の情熱を守り通す強さと、あの素晴らしく人懐こい笑顔はなぜ両立するんだろう。「喜び」だ、って言ってたけど。

 毎週日曜日は教会に通っているという。
 ただその場面は映画の中には映っていなかった。毎週だというのに。「あなたにとって宗教とは何ですか?」と聞かれ、急にだまって下を向き、しばらく経ってからカニンガムさんが顔を上げた時、なんだかどきどきしてしまった。こうやって、一つ一つのことに誠実に答えを出してきたのかもしれないな。
 カニンガムさんの切り取る世界は、一つの物語にもなっていて、その物語を解き明かすためのヒントを紡ぎ上げたこの映画は、やっぱりとても面白くて複雑な映画のように思う。
 あ、途切れることなく登場する、おしゃれびとたちのオシャレもとても楽しかったです。