『フラッシュバックメモリーズ 4D』を観に行った。
もともとは『フラッシュバックメモリーズ 3D』という3Dドキュメンタリー映画で、主人公はGOMAさん、4Dは、上映しながら GOMA & The Jungle Rhythm Section というバンドが、その前でライブ演奏をするというイベントだった。
皆踊っていたし、バンドや今いる人達の存在感が圧倒的に映画を消し去って、実際には生の音を映像に合わせるのがとても大変だったそうだけれど、大変そうだというより、同時生成しているような、音が止まると映像が動き出すような、何とも不思議な感覚だった。映画は前に観て感動していたし、劇場の前から2列目のほぼかぶりつきに立っていたので、余計演奏の方に意識が行っていたんだろう。
とにかく、ミュージシャンばかりを観ていて、その音ばかり聴いていた。
GOMAさんのことも(事故やそれからの過程や)ある運命として見つめ衝撃を受け、称賛するというより、映画のつくりが意識の中に入りこんでくるような感じなので、GOMAさんの聞いたこともないような生々しい言葉と共に、なんだか恐ろしい次元に引っ張り出されるような、内臓を改造されるような感じがした。(映画のつくりというのは、映画の力なんだろう。そして映像がすごいという以外の感覚を持った、こういう3Dは、初めてだった。)GOMAさんがミュージシャンだったというのも、意識の層のつくられ方、剥き出しの意識のひだが幾層も自分の中に重なっていくような感覚を起こさせる、大きな要因だった気がする。
ディジリドゥが、こういう風に演奏されるのを初めて見た。初めて知った。
事故の後、GOMAさんが自分を絵描きだと思っていて、ひたすら描いていたという絵が、アボリジニの点描画dreamingのような絵だったので、記憶がなくても、忘れていても、身体に染みついているんだなと思った。
松江哲明監督、2012年。(『フラッシュバックメモリーズ 3D』)
もともとは『フラッシュバックメモリーズ 3D』という3Dドキュメンタリー映画で、主人公はGOMAさん、4Dは、上映しながら GOMA & The Jungle Rhythm Section というバンドが、その前でライブ演奏をするというイベントだった。
皆踊っていたし、バンドや今いる人達の存在感が圧倒的に映画を消し去って、実際には生の音を映像に合わせるのがとても大変だったそうだけれど、大変そうだというより、同時生成しているような、音が止まると映像が動き出すような、何とも不思議な感覚だった。映画は前に観て感動していたし、劇場の前から2列目のほぼかぶりつきに立っていたので、余計演奏の方に意識が行っていたんだろう。
とにかく、ミュージシャンばかりを観ていて、その音ばかり聴いていた。
GOMAさんのことも(事故やそれからの過程や)ある運命として見つめ衝撃を受け、称賛するというより、映画のつくりが意識の中に入りこんでくるような感じなので、GOMAさんの聞いたこともないような生々しい言葉と共に、なんだか恐ろしい次元に引っ張り出されるような、内臓を改造されるような感じがした。(映画のつくりというのは、映画の力なんだろう。そして映像がすごいという以外の感覚を持った、こういう3Dは、初めてだった。)GOMAさんがミュージシャンだったというのも、意識の層のつくられ方、剥き出しの意識のひだが幾層も自分の中に重なっていくような感覚を起こさせる、大きな要因だった気がする。
ディジリドゥが、こういう風に演奏されるのを初めて見た。初めて知った。
事故の後、GOMAさんが自分を絵描きだと思っていて、ひたすら描いていたという絵が、アボリジニの点描画dreamingのような絵だったので、記憶がなくても、忘れていても、身体に染みついているんだなと思った。
松江哲明監督、2012年。(『フラッシュバックメモリーズ 3D』)