最近思うのだけれど、人は管理するものが多すぎる。正確には管理するものというより、管理すべきと言われているもの。
例えば日々の洗濯でさえ、それなりの管理能力を使っているわけで、そんな生活のルーティーンから始まり、衣類、本、チラシの類、爪切りや歯ブラシ、自転車や玄関の置物にいたるまで、家中にあふれる物たちは、管理されるのを待っている。
物だけならまだいい。
これが時間に広がると、記憶や思い出になり、希望だってそうだ。それから心構えのようなものでは、脳や心を管理していることになる。もちろん自分の体全般は、すでに管理対象内だ。
少なくとも建前上は。
だから、管理すべきものをしぼって行こうと思う。世の中の要求に従って何でもかんでも管理して行くのは、自分には難題である。
大切なものだけを贅沢に管理する。そして使い切る。
使い切れなさそうと思うものは、そもそも頂かないようにしよう。頂くというのは人からということではなくて、自然界からというような意味で。
例えば日々の洗濯でさえ、それなりの管理能力を使っているわけで、そんな生活のルーティーンから始まり、衣類、本、チラシの類、爪切りや歯ブラシ、自転車や玄関の置物にいたるまで、家中にあふれる物たちは、管理されるのを待っている。
物だけならまだいい。
これが時間に広がると、記憶や思い出になり、希望だってそうだ。それから心構えのようなものでは、脳や心を管理していることになる。もちろん自分の体全般は、すでに管理対象内だ。
少なくとも建前上は。
だから、管理すべきものをしぼって行こうと思う。世の中の要求に従って何でもかんでも管理して行くのは、自分には難題である。
大切なものだけを贅沢に管理する。そして使い切る。
使い切れなさそうと思うものは、そもそも頂かないようにしよう。頂くというのは人からということではなくて、自然界からというような意味で。