不思議な映画だった。
この映画を、どんな形で自分の中に残しておきたいのか、何だか良く分からなかった。
所々で、おそらくストーリーと関係なく、ふっと頬が緩んでしまう場面がある。多幸感と言えば良いのだろうか。
その反面、人間であることを、心を、冷徹に観察する目が付いてまわる。
ファッション雑誌編集者でゲイの浩輔は、パーソナルトレーナーの龍太と出会う。惹かれ合い、幸せな時間を過ごす二人だが、龍太はとある秘密を抱えており、それが理由となって「あなたとはもう会えない」と別れを切り出す。
前半はほぼ恋愛映画なのだが、しかし違和感がある。
この作品はR15+指定が付いていて、おそらく性描写の為だろう。それもかなりしつこく(主観だけど)時間を割く。またその演出は(演技ではなく)、ロマンチックとはあまり言えず、むしろ淡々としていて即物的に感じた。幸せなストーリーとは相反するように。
温かくて、大きな光が広がるような、そんな多幸感に癒やされながら、しかしロマンチックな恋愛に浸ることは許されない。
そんな目線は後半、衝撃的に逆転する。(以下、ネタバレになるかもしれないので、お気を付けください。)
非情であるかのごとく、自らの心を冷徹に観察し、そして赦した視線に、今度は心の底から救われる。
浩輔や妙子(龍太の母)の自他に対するギリギリの立ち位置に、バランスをもたらすのがその視線だ。
言い換えられるなら、それは優しさ、なんだろうか。愛、なんだろうか。
優しさとか愛とかは、複雑すぎて私には難しい。けれど針の穴くらいでも、隙間があるなら、優しさとか愛とかで、その隙間から、誰かと繋がりたい。
人と関わり多様性の中で生きて行く。そこで味わう孤独も多幸感も、もしかしたら一瞬の火花のようなものなのかもしれない。
タイトルの「エゴイスト」は、むしろ勲章だ。
原作者がどのような心境で自叙伝的小説にそのタイトルを付けたかは分からないが、それはもはや「身勝手」とは言い切れない。受け取った誰かがいるのだから。その誰かも、ギリギリの隙間を通したのだろう。
松永大司監督、2023年、120分、日本。鈴木亮平、宮沢氷魚(ひお)、中村優子、ドリアン・ロロブリジータ、阿川佐和子、柄本明。
原作は、エッセイストの高山真『エゴイスト』(2010、浅田マコト名義)。
この映画は、ゲイ映画であって、ゲイ映画じゃなかった。
メインの役者さん、素晴らしい↓阿川さんの存在感。台本はあってないようなものだったそう。
最寄りのシネコンでは、裏返しで陳列されていたチラシ↓
何枚か直してみたら(笑)後日また裏返しになっていて、わざとだと知る。ごめん。
2022年に本名で再出版↓2020年に亡くなった著者。付けていた香水は、シャネルの`エゴイスト’だったそうだ。
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