失敗したなと思うのは、原作作家の伊坂幸太郎さんが念頭に浮かびすぎたこと。また「日本が舞台」という言葉に惑わされてしまったこと。
良かったなと思うのは、原作を読んでいなかったこと。
昔、伊坂さんの小説が面白すぎて、はまっていた時期があった。コアなファンということではなかったけど。
ばらばらだった謎や、偶然と思える出来事や魅力的なエピソードが、終盤が近づくにつれて、まるで魔法のように見事に集約されて行く様に夢中になった。丁寧に並べられた沢山の切手が、いつのまにか、最後にきれいな一枚の絵葉書になっているような感じ。
この言い方が正しいのかどうか分からないけど、とにかくその読後感が好きだった。
今回そして、変な期待をしてしまったような気がする。
もちろん、この群像劇は終点の京都駅に近づくにつれ、庭木の不要な枝を一本一本落としていくように、きれいな形が出来上がっていく。
そこにあの感覚が全く無いわけではない。ただ、目の前の約2時間の総合芸術作品ではなくて、過去に読んだ何かを、記憶の底から引っぱり出そうとしながら観てしまった感じがする。
もう一つ失敗したこと。それは作品の舞台設定について。
変なニッポンが出てきても、気にしないようにしよう。と思っていたけど、ちょっとそういう事では無かったなと、見終わってから思った。
帰ってから調べてみると、実際の撮影は日本では行われていないらしい。そうだよね。聞いた話によれば、幾つか東京で背景用の画像もしくは映像の撮影をし、後はロサンゼルスのスタジオでそれらを元に作り込んだとのこと。新幹線の中はもちろんセット。だから厳密に言うと、「日本が舞台」という言い方は少し間違いだったというわけだ。
少なくとも私のイメージした「日本が舞台」とは、違うスタイルだったと気がついたのである。
「日本にインスパイアされた、どこか」。
ブラッド・ピットがハチ公前で誰かを待っていたりするのかな。なんてハリウッドと日本の日常的光景の融合を素朴に想像していた私は、完全に間違えていた。ブラッド・ピットは新橋で焼き鳥を食べたりはしないし、清水寺の舞台から下を見下ろして微笑んだりはしない。東京駅の改札をくぐったりはしない。
そういう事じゃない。そういうストーリーじゃないし映画じゃない。ということに気がついたのは、観終った後だった。
もし、まだ観ていない、これから観に行くという方がいるのなら、余計な事を考えずに観ることをお勧めしたい。
雑念は無用。
色々な謎やアイテムや人物があなたの前に現れるので、キラキラとした目でそれを受け取ってほしい。流れる音楽をそばだてた耳で聴いてほしい。物質的で、明快に存在し、自信とユーモアに満ちた個性的な登場人物に笑ってほしい。
そしてそれは、ハリウッドの質感なのである。
監督のデヴィッド・リーチ氏は、元々スタントマンをしていたそうだ。スタントマンとして、『ファイト・クラブ』や『Mr.&Mrs スミス』等、ブラッド・ピットとも五つの作品で仕事したという。
狭い車両内でのアクションも、流れるようにスムーズ。なるほど、これはアクション映画だった。
そういえば伊坂作品の中の、「世界と少し距離感のある妙な人物」は健在なんだろうか。それぞれが生息する世界は鮮やかだ。そして、ぼんやりとした透明感のある重なりを見せて重なり合っている。穏やかできれいな凪の中で、ふと隣の誰かの鮮やかさを感じた時、ストーリーが展開する。
原作を読んでいないので、これから読んでみようと思う。また出会えるのは幸運だな。
『ブレット・トレイン』、デヴィッド・リーチ監督、2022年、126分。原題は、『Bullt Train』。原作は、伊坂幸太郎『マリアビートル』(2010)。
真田広之さんの迫力とキレのあるアクションも健在↓必見!(笑)
↓車内がめちゃくちゃになってる!けどギリギリセーフ!が見所。
「さゆり」(?)がそれだった。
地元が舞台のドラマと同じく、違和感に苛まれます。
コメントありがとうございます。
そうですね。日本が舞台と聞くと、ちょっと嬉しくもなるのですが(笑)。
そういうもんだと慣れればいいのかなぁと思ったりもします。
不思議なもんですね。