
「アメリカを撃つ 孤高の映画作家ロバート・クレイマー」、という特集上映。 『アイス』(1969年)、『マイルストーンズ』(1975年)。
60年代、70年代には何が起こったんだろう。憧れにも近い形でその残り香を嗅ぐ。ただしその時代に生きた人たちに向いた反発心を日々はじけさせつつ。また自分がその時代に自我として生きていたとしても、ネクタイをしめ、もしくは三つ折りの靴下を礼儀正しくも(もしくは慇懃無礼に)履いていたような気がしつつも。
どうでもよいことだけれど、私自身はあまり直接的なものは好きではない。でも、あんまり抽象的なものも困ってしまう。その中間がいい。そこそこがいいのだ。そこそこ?その気分は現代的なものなんだろうか。ただ時代の気分に乗っているだけか、個人的なものなんだろうか。
これほど作家というか、作家=撮ってる人を感じさせない映画は初めてかも。ドキュメンタリーとフィクションの合いの子のような映画だけど、フィクションの部分でさえ、私は作家性を感じなかった。感じなかったのではなく、もしかしたらロバート・クレイマー自身が、忘れていたのかもしれない。自分自身を映し出すのを忘れていたのかもしれない。映像の向こうを見つめすぎていて。そういう意味では、この二本の映画においては、私はこの監督が好きだ。そしてこの人には、確かに「孤高の」という冠がふさわしいのかもしれない。垂直性を持たない、「水平方向に転がり続ける、孤高」という意味で。

※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます